Project 2024.02

2/1午後=ジャカルタ(Gudskul)

午後3時、ジャカルタ入り。空港を出た瞬間にジョグジャとのギャップに驚く。なんか都会だ。みんなスマホみてる。用もなくだらだらしてる人がいない。

ホテルまでは高速道路で一直線。春節ムードのホテルでしばし休憩したあと、ruanrupaのGudskulをめざす。やばいよやばいよと言われていたジャカルタの交通事情。確かに道がくねくねしててめちゃくちゃ混んでる・・雨に濡れたビルとバラックの町を横目に見ながら到着を待つ。

Gudskulは、ギャラリーあり、シアターあり、スタジオあり、カフェあり、ショップあり、保育施設あり、リビングあり、レジデンススペースありの、非営利複合文化施設だ。でも日本のアートセンターみたいなものとはだいぶちがう。Gudskulの正式な名前は、Contemporary Art Collective and Ecosystem Studies。ここはつまり学びのプラットフォーム、学校なのだ。というとまたカルチャーセンターみたいなものを想定されそうだけど、そうではなくて、アーティストたちがお互いの経験やスキルをシェアしつつ、共に(コレクティブに)学びながら仕事を進めるラボみたいな場所。企画としては展示やイベントもやられているけれど、日々の風景としては、夜になるとどこからともなくアーティストたちが集まってきて、音楽をかけながらコーヒー片手に夜中まで延々と議論している感じだ。日本語の動詞でいうなら「だべる」かな。

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ここができたのは2018年。2022年のドクメンタ15で芸術監督をつとめたジャカルタのコレクティブruanrupaが、SerrumとGrafis Huru Haraといっしょにつくった。以前はスペースを借りていたけれど、音が近隣にも響いてトラブルになり、このスペースを購入したとのこと。ただしまだ購入しきってなくて、「今はこの道路のとこまでがウチ」と、陽気なruanrupaメンバーが教えてくれた。彼女に施設内を案内してもらう。全体は二階建てで、1階がパブリックスペースだ

20240229140247.jpegギャラリースペース

20240229140401.jpegruru radioを配信するスタジオ(青)と、服やら本やらの雑貨を売ってるrurushop(黄)、半屋外のだべりスペース

20240229140911.jpegコーヒーや紅茶はカフェブースkuluk kulukで注文

20240229141137.jpegキッズスペース。ruanrupaのメンバーが子育てをするようになったからできたとのこと。

ひとしきり施設内を案内してもらったあと、じっくり話を聞こう・・と思っていたのだけど、その前に気になっていたrurushopを物色。すぐ出てくるつもりだったのだけど、かわいいイラストつきのカバンと本が欲しくなり、スタッフのお兄さんにお願いしたら「このカバン、値段がよくわからないから友達に電話してみるね」とスマホとにらめっこ。同行のTさんの買い物についても、なぜか計算をレジではなく手計算(筆算)でしはじめ、結局お会計に30分くらいかかったよ・・Javanese time

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彼らがEcosystem(生態系)という言葉を使うのは、お互いに影響しあい、依存しあっているからだという。"Having so many problem triggers helping each other"なのだと。trust currencyとお金がここでは両方循環していて、それはRTの仕組みと似ていると言っていた(RTでも見回り当番に行きたくなければお金を払う形でもよいらしい)。大事なのは、Humanity、Curiosity、Local Anchor。

世界中で仕事をしている彼らだけど、メンバー内のコミュニケーションは基本オーラルなのだそうだ。とにかく話す。メールでアジェンダ流したりするけど、それはあまり信用してない。とにかく三度の飯よりnongkrong。nongkrongとはもともと「しゃがむ(ヤンキー座り)」という意味で、gotongroyongとも関連するジャワのおしゃべり文化だ。雑談と本題の区別がないまま進行していくようなよりあい的「だべり」の時間。昼に始めたnogkrongが夜中の1時くらいまで続くのはふつうらしい。もちろんみんながずっと集中して議論に参加してるわけではなくて、トイレ行ったりタバコ吸いにいったりご飯食べにいったり、出たり入ったりのふらふら自由参加なわけだけど(zoomでの事前meetingでも、人が入ったり出たりしてた)。仕事の依頼がきたときの役割分担とかもあまり明確に決めていないみたいだし、そもそもどこまでがruanrupaのメンバーなのかの境界もあいまいみたいだし、国内の仕事はまだしも、欧米のきっちりした相手とどうやってビジネスしてるんだろうか??いずれにしても、このnongkrongこそが、ruanrupaがドクメンタでかかげた「アートを作らないで友達をつくろうNO ART MAKE FRIENDS」の実践であると深く納得。そしてnongkrongにはやっぱり半屋外に長時間いられる熱帯の気候が不可欠なんじゃないかという気もしてくる(*)。

ちなみにnongkrongに関しては、ポーランドで開催されたgotongroyong展関連のこちらの動画でも、Irwan Ahmett & Tita Salinaが話題にしている。セブンイレブンはインドネシア参入に失敗したのだが、その原因は、若者が涼しい店の中を待ち合わせ場所にして、コーラ一本で長時間nongkrongするかららしい。nongkrongという生産性に寄与しない活動が、期せずして資本主義やジェントリフィケーションに対するプロテストになった、と。台湾でも、出稼ぎで家事労働などに従事しているインドネシアのマイクロワーカーたちが、休日に駅前のスタバでnongkrongして店を占拠し、こちらも期せずしてプロテストになっている。(1:08あたり、台北の様子の映像有)

学ぶことを目的としてる学校だから、失敗を大事にしてるという話も印象的だったな。基本が忍耐強いから、成功/失敗の判断を先延ばしにできる、結果を待てる、ということなのかもしれない。

20240229145314.jpeg夕食はGudskul近くの屋台でナシゴレン。小さな屋台なのに中華鍋で器用に人数分調理してくれる。現地スタッフの方にお腹を心配されたけど、今回の旅でいちばん美味しかった気がする。

(*)nongkrongには半屋外にいられる熱帯の気候が不可欠、と書いたけど、案外そうではないのかもしれない。たとえば、建築家の金野千恵さんは、イタリアのロッジアという半屋外のスペースに注目し、韓国のような非熱帯の地域を含め世界のあちこちに同様の空間が存在していることを教えてくれている。金野さんといえば春日台センターセンターが有名だけど、ここにも半屋外のスペースがうまく作られているし、この記事では半屋外とケアの関係について語っている(福祉楽団 地域ケアよしかわの写真、なんかGudskulに似てる)。金野さんとは関係ないけど、半屋外とケアといえば、アーケードのあるカプカプもそうだった。まざるスペースが重要なんだと思う。

(引用・転載禁止:筆者のメモと記憶で書いているので、事実と違う場合があります。悪しからず・・)

2/1午前=ジョグジャカルタ(Jogja Disability Arts)

今日もいい天気。最初のアポは8:30にJogja Disability Arts、って早くないかい?と思ったけどインドネシアではこの時間は別にふつうみたい(公立の学校の始業時間は7:15!)。

(移動中、車中から見えるグラフィティやポスターをパチリ。真ん中の黄色と黒のポスターもそうだけど、社会主義リアリズムっぽい絵をときどき見かける。赤狩りは激しかったはずなのに、あれはどこから来たものなんだろう?)

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めざすJogja Disability ArtsR.J. Katamsiギャラリージャカルタ芸術大学(ISI)の中にある。建物に到着するとJDAのリーダーであるButongさんが外まで迎えてにきてくれていた。Butongさん、とっても魅力的な方だったな。ジョグジャで初めて乗るエレベータで2階にあがり、JDAのオフィスとギャラリーの間の廊下というかホワイエ的な場所にみんなで座る。建物の中なのになんとなく屋外っぽいところに集まるのが勝手にジャワっぽく感じてしまう。ギャラリーはこちらも選挙期間のため展示はなく、もぬけの殻。

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途中合流してくれたNano Warsonoさんとともに、JDAについてヒアリング。どこに行っても飲み物と複数の種類のお菓子でもてなしてくださるので、恐縮してしまう。(大学の場合、こういうのの経費はどうなっているんだろう?)NanoさんはISIの先生で、さっそく朝イチで授業の準備を済ませてきたとのこと。お会いしたときはサングラスをかけていて表情がわからなかったけれど、アメコミ風?のポップな絵を描いているアーティストみたいだ。2人が出会ったのは2018年。Butongさんはそのとき別のコミュニティを運営していたのだけど、それが解散して、Nanoさんのプロジェクトの公募に応募して意気投合して合流することになったそうだ。

手渡してくれたJogja International Disability Arts Biennale 2021Pameran Mini Festival: Suluh Sumurup 2022 (小さな展覧会祭り: トーチ?)のカタログをめくりながら、おすすめのアーティストを紹介してもらう。前者のキュレーターはButongさん、後者のキュレーターはNanoさん。

名前があがったのは、イギリスの義足のアーティストAndrew Bolton X Oggzや、バリの伝統絵画を彼女なりにアレンジして描いているWinda Karunadhita、日本でも賞をとっているらしいAbell Young Johakartonoなど。Pameran Mini Festival: Suluh Sumurup 2022のほうでは、昨日おじゃましたPara Rupaのインスタレーションも展示されていたみたい。

おもしろいなと思ったのは、アートにかぎらず社会制度の多くがインフォーマルな活動によって支えられているジャワのような世界においては、正規の教育を受けている/受けていないで線引きをする「アウトサイダーアート」という概念が、そもそも成立しないということだ。この展覧会に出品しているアーティストはみんな、自己流で絵を描くようになったり、地域のコミュニティの活動の中で作品づくりをするようになったわけだけど、それは障害の有無にかかわらず、ジャワではむしろ普通なことなのだった。一方で彼らの活動拠点はISIという大学の中にあり、そこには正規の美術教育を受けている学生がいて、中には障害のある学生もいるらしい。でも、Nanoさんのようにフォーマルとインフォーマルの両方で活動している人がいる以上、両者の区別はあいまいで、何がインサイダーで何がアウトサイダーなのかという境界は不明瞭になっていく。もっとも、このあたりは美大卒であうことが、卒業後の活動にどの程度影響するのかとか、もっと厳密に見ていかなくてはいけないけれど。

実際、JDAは大学の中にギャラリーをもちながらも大学の外にスタジオを構えていて、そこで月に4回、子供向けのWSを開催しているそうだ。すべてがcommunity base でgrass rootsだ、と彼らはいう。(このスタジオにも言ってみたかったけど、やはり選挙中でお休み。)

でも展覧会をしたりして特定のアーティストをプッシュするということは、メンバーの中に「売れている作家」と「売れない作家」を作ることになり、コミュニティを分断することにつながるような気もする。その疑問をぶつけてみたところ、ここでもgotong royongという言葉がでてきて、たとえばバリのWindaさんは、自分の作品が売れると、売り上げの半分はコミュニティのために使うようにしているのだそうだ。作品を売っているわけで、Disability Artだからといってチャリティにはしない。でもその売り上げはコミュニティの強化のためにも使う。これがJDAの哲学なんだと思う。

帰り際に見せてくれた動画も痛快だった。四肢に障害がある人のための松葉杖が楽器に魔改造されている・・。アンプにつながれた松葉杖を真顔で奏でる人、そして白杖も穴を開けられて笛に・・・シュールすぎる。

魔改造の極めつけはButongさんのバイク。彼は左手が使えないので、ブレーキが足で操作できるようになっており、さらに杖を置くためのサイドカーがとりつけられている。そしてButongさんはこの改造を全部自分でやったらしく、このバイクでジャカルタの実家まで行っちゃうらしい。この改造、法律的にどうなんだろう・・なんて制度の枠を確認するより先に、自分の手でなんでも問題を解決しちゃうDIY力の高さ。(こういうバイク改造は他にもいろいろあるのかも。今回、行く機会がなかったけど、Difa Bikeの活動も気になる)

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その後、大学を後にし(構内の壁にもでっかくgotong royongと書いてあった)、初日にお会いしてgotong royongというキーワードをくれた北澤さんのスタジオを訪問。展示やイベントもここでやりたいというできたばかりの東屋でお茶をいただいたのち、ご自宅やその近辺の路地を案内していただく。生活の様子が見られるのは貴重だ。

ご自宅は窓の格子の幾何学模様がなんとも可愛い猫の家。トップライトから光が入る明るい室内と大きなキッチン、玄関の脇には北澤さんに作品が展示されているギャラリーみたいに客間がある。道に出ると北澤さんは近所のおばちゃんに話しかけられるまくるのだが、途中には町内会で交代で担当する見張り用の小屋(テレビつき)や市場が。市場はもう終わりかけていたけれど、卵、肉、野菜、日用品などなんでも売ってる。

20240228101511.jpegその後北澤さんにお礼を言って海沿いのNEW Yogya International Airporへ。お昼ご飯は空港内のGudeg Yu Djum Pusatというレストランでジャックフルーツ料理をいただく。ジャックフルーツはよく肉の代わりの食されるフルーツだけど、ここでは鶏肉や卵といっしょになってでてきた。予想を裏切らずぐだぐだになるまで火が通してあって、甘いのだけど、ご飯にあう味で美味しかった。

のんびりしていたらフライトのファイナルコールぎりぎりになって、乗り場まで走る羽目に。間に合ってよかった。午後はいざ、ジャカルタへ!

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(引用・転載禁止:筆者のメモと記憶で書いているので、事実と違う場合があります。悪しからず・・)

1/31午後=ジョグジャカルタ(bakudapan/Kunci/Merawat, HONF)

この日のランチは、昨日北澤さんとお会いしたレストランのすぐ近くにあるジャワ料理やさんWarung Bu Agengへ。陽がだいぶ強くなってきて、大きな屋根の下、半屋外で休めるのが嬉しい。メンバーの2人がcat fish=なまずを注文し、運ばれきたボッシュの絵にでてくる黒い悪魔のような彼を見つけておののく。ジャワ料理、極限まで火を通す傾向がある??

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食後は、また車に乗って近くのKUNCIへ。ここはいろいろなコレクティブが入っているスタジオアパートメント的な施設。私たちはここでbakudapan、Kunci、Merawatというコレクティブのメンバーとまとめてお会いすることになっている。

bakudapanは8名の女性から成る「食」をテーマにした研究グループ。ダイレクトに食とケアの問題をテーマにしたプロジェクトもある。事前にzoomで一度面談をしていて、そのときも「研究」の色を強く感じた。国際学会で海外の研究者と話しているときのような、言語は違うんだけど専門用語を共有しているから妙に話が通じちゃう感じ(実際、そのとき面談してくれたのは人類学が専門の研究者だった)。もっと率直言うと、彼らはインドネシアで活動しながら、その活動を説明する言葉は完全にグローバルスタンダード、というか英米系の言説なのだ、という印象をもった。たとえば彼らは活動の中で読書会をしているらしく、そこでは、Joyful Militancyとか

Commoning Care & Collective Powerとかを読んでいると教えてくれた。せっかくなので私も行く前にパラパラ目を通してみた。

「楽しい闘争」とでも訳せそうな前者は、 アクティビズムの大変さ(不安になったり、好奇心がなくなったり、仲間割れしたり・・)を乗り越えてどう活動を継続するか、という本。同じ事前の面談で、bakudapanのメンバーは「疲弊」について話していた。ジョグジャカルタ特別州の政治や特殊で、王様が知事をつとめている、ゆえにトップダウンで物事が決まりがちで、アクティビストたちが無力感を感じがちであり、その疲弊をサポートすることが重要な課題になっているのだ、と。うーん、ケアを考える上でもサステナビリティは重要な論点だと思う。

後者は2011年に起こったスペインの市民運動15M(キンセ・エメ=5月15日)の中で生まれたチャイルドケアについての本。15Mについては、工藤律子『雇用なしで生きるーースペイン発「もうひとつの生き方」への挑戦』(岩波書店)に詳しいけど、「時間銀行」(自分がやったことの対価を、お金でなく「時間預金」で受けとる。その分また別の人に何かをしてもらえる)や「地域通貨」など興味深いたくさんの試みを生み出し、政治的にも2014年にポデモス党が結党さて、一時連立与党入りしていたが2023年に右派に敗北した。本の表紙に掲げられた自律と依存についてのエピグラフ"To be autonomous micht mean to know our connection and synergies, and to make powerful decisions about our interdependences, to walk a specific path with others. To be interdependent, on the other hand, might mean to know aour autonomy and from there to reach out to embrace out entanglements and connection."にぐっとくる。ポデモスジョアン・トロントによる序文つき。

さてさてKUNCIの建物はレンガ屋根の一軒家だ。庭にはパパイヤやらランブータン(毛の生えたライチみたいなやつ)など美味しそうな実のなる木が生えている。あとあちこちで見るコウモリラン(他の木の幹に着生するコウモリみたいな植物)。コウモリラン、かわいいよね。私も学生時代に部屋で育ててた。

20240215100332.jpeg建物に入ってすぐの土間的なスペースは、「Kunchi Copy Station」と名付けられ、リソグラフ、コピー機、壁に所狭しと貼られたポスター、そしてインクなどの機材や紙の山が。そう、ここはKuciに入居しているコレクティブたちの共同の印刷所なのだ。彼らは「出版」をすごく大事にしている印象で、たとえばbakudapanは雑誌も出している。できたてほやほやの火山についての本も並んでいた(後述)。

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印刷所の左手には、彼らが2021年に台湾で展示をしたときのバナーなどが。タイポグラフィがかっこいい。ちなみにbakudapanはYCAMでも展示をしている。

20240215101820.jpeg20240215101843.jpegそして室内は、本、本、本!室内全体がライブラリみたい。

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そして奥にはキッチンが。みんなで作業できそうな大きなテーブルもある。食のコレクティブだもんね。あとで、ここで切ったスイカを食べさせてくれた。

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そんなこんなで室内を案内してもらったあと、各コレクティブのメンバと訪問者われわれ、合計10名強でわいわいテーブルを囲んで話をうかがうことに。アクティビスト、映像作家、リサーチャーなど立場もさまざまで、バックグラウンドも人類学、心理学、アートなどいろいろ。パリなど国外にいるメンバーもいるらしい。Kunchiがスタートしたのは1999年ともう四半世紀もの歴史がある。bakudapanがスタートしたのは2015年。

cooking is careだと彼らは言う。それは「やらなければいけないことresponsibility」であると同時に「喜びをもたらすものであるaffection」という意味で。自分に子供がいたら、となりの子のためにも料理を作るのは自然なことだよね、と。でもこの両面があるからこそ容易に感情労働になってしまうことにも注意が必要だ。

そんな話をしていると、ある男の子が大きなモニターにつながったパソコンを操作し始める。彼が探していたのは、amae..そう、土居健郎の『「甘え」の構造』であった。私(というか日本の文脈では)ケアと甘えってあんまり結びついてなかったな、と思ったら、この本の英訳タイトルは The Anatomy of Dependenceなんですね。bakudapanのメンバーもすごいが土居先生もすごい。

じゃあgotong royongどう思いますか、という我々の質問に、グローバルスタンダートな彼らは「gotong royong はソーシャルキャピタル」と即答。ま、確かにそうですね…。

ただしCOVID-19のあいだ、彼らは一時gotong royongが嫌いになったと言う。なぜならこの言葉が、政府や王様が無策であることの言い訳として使われていたから(まずは「自助と互助」、「公助」は最後)。しかも、彼らが困窮する人に食糧を配布する活動をしていたら、警察が来て彼らを取り込もうとしたのだそうだ。

gotong royongは今は美化(romaticize)されている、と彼ら。gotong royongに搾取を隠蔽する構造がある。自分がどんな敵に脅かされいるのか、という自覚なしの相互扶助は、ある種の自己搾取になってしまうだろう。彼らにとってはgotong royong的な行い、careそのものがactivisimであることは、必要条件であるようだ。

(この間、雨がごうごう降り出して雷まで鳴る始末。さっきまであんなに晴れてたのに)

ただし、戦う的はみんな違う(政府、会社、近所の人...)。ならば、そのちがう戦いをしている活動家たちが疲弊しないように結びつけることが重要になってくる。bakudapanは「休みをとる場所」なのだと彼らは言う。

だから彼らにとってもっとも大切なのは「skill sharing」なのだ、と話してくれた。たとえばリソグラフをどうやって使うか、みたいなことから身近なことから始まって、「甘え」のような概念をみんなが戦いのツールとして使えるようにすることも一種のskill sharingなのだろうし、料理のレシピとかもそうなのかもしれない。(文脈を忘れてしまったのだけど、Valorised but not valued? Affective remuneration, social reproduction and feminist politics beyond the crisisという論文を教えてくれた)

帰り際、彼らがつくった本を購入。どちらも手触りがよくて装丁がかわいい。左の本は青いケースに入って、山のスケッチが描かれた銀色のシールが貼られている。printed matter好きにはたまりません。

20240215111953.jpeg右のテラコッタ色の本はインドネシア語で書かれていて、google翻訳によるとタイトルは『野生は希望を与える』。ジョグジャの野生植物の分布や料理のレシピが載っている。

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スカイブルーの箱入り本は実は火山の本。ジョグジャにはムラピ山という活火山があるのだけど、独立戦争中の1952年にGeorges de Neveというオランダ植民地で生まれたヨーロッパ人科学者がこの山についての調査をし、Berita Gunung Berapi(Volcano News)という雑誌をしているらしい。この雑誌は科学的な内容だけでなく詩なども入っていたようで、de Neveによれば、火山科学こそが、ポスト植民地を統一するのだ、と。今回の本はこのde Neveの雑誌にもとづいて作られたもの(表紙は当時と同じ)。火山だけでに全体的に文字が赤い...gotong royongの作品を作っていて、あとでジャカルタで一瞬お話しする機会のあったTita SalinaさんもIrwan Ahmettとの共著記事を寄稿してる。

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KUNCIをあとにし、ホテルに一瞬立ち寄ったあと、HONFのスタジオに。1999年に科学者・アーティストのコレクティブとしてスタートしたらしい。彼らの自己定義は「one who gets excited about no one care about」。2011年からは3つの部門に分かれて活動しているとのこと。smart farming systemで作ったお酒を飲ませてもらう。今の関心はもっぱら宇宙で、2019年からはNASA Singaporeと仕事をしているらしい。スペキュラティブデザインのようなアプローチに見える。宇宙関係の仕事は思ったより大規模そうだ。一方でQueer関連の活動をしているメンバーもいるらしく、ジャワのローカルな演劇には両性具有的な存在が出てくる(Moelyonoが絵に描いたものと同じかもしれない)が、LGBTQの概念が入ってきて、かえって混乱していると教えてくれた。

その後、ジョグジャの歴史がわかる王宮の博物館Sonobudoyo Museumに行き、ざっと展示を見る。いろんな形のクリス(剣)や中国文化と合体したワヤンクリなど。最上階はAR的な展示もあった。

夕食はご陽気なバンドの生演奏が聴けるレストランに。疲れていたけど、あたたかい牛肉のトマト入りスープを飲んで回復。長い1日、ホテルにもどってバタンキュー(アザーンに起こされませんように・・)。

(引用・転載禁止:筆者のメモと記憶で書いているので、事実と違う場合があります。悪しからず・・)

1/31午前=ジョグジャカルタ(Para Rupa Yogya)

今日から本格的にリサーチスタート。朝食にナシゴレンとパパイヤをいただき、ミニバンにのって出発。(そういえば今回の旅は、ほとんど外を歩かなかったけど、それは私たちが外国人だからというより、ジョグジャの人もとにかく歩かないみたい。北澤さんによれば、「すぐそこまででもバイクをつかう」。)

最初の訪問先はPara Rupa Yogya。Paraはパラリンピックとかの「パラ」で、Rupaは「アート」、つまり「パラアートジョグジャ」という意味だ。

彼らの活動拠点はすてきな細い路地の奥にあり、車はそこまでは入れないので、車道沿いで車を降りていくことになる。と、そこにはもうおじさん4人と女の子とおばさんが「ようこそ〜」てな感じで出迎えてくれていた。挨拶もそこそに路地に入っていくが、おじさんのうち一人はPara Rupa Yogyaとは関係なかったみたい。何食わぬ顔であんなに4人ぴったりならんで立っていたのに。誰でも潜在的に友達であるってこういうこと?

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路地の入り口には赤と緑の手作りらしいゲートがついている。あとで知ったけどこの路地まわりの最大30世帯(デサ=村落部)ないし50世帯(クルハラン=都市部)がひとつのRT(隣組)を構成するらしく、「私たちのRTへようこそ的」なゲートなのかもしれない(推測)。ちなみにその後ジャカルタで訪問したLabTanyaの話では、さいきん国が設置した妙に近代的なゲートもあるらしく、でもそれは本当にRTに必要なサポートではないのに、とのこと。

ちなみにこういうRT掲示板みたいなものがあちことにある。めざすPara Rupa Yogyaはこの広めのところ。

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すてきな路地をジャランジャラン。

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そしてPara Rupa Yogyaのスタジオに到着。関係者20名くらいが集まり、半分は室内のゴザの上、半分は屋外のテラスにはみだして丸くなる。あちこちでみかける鳥カゴがここにもあって、みんなの頭の上からきれいな声でピーチクしていた。私は室内に座らせてもらったのだけど、壁がスプラトゥーンみたいなライムグリーンに塗られていて、敷かれたゴザも緑だった(ハンガーもカップホルダーも緑)。その緑空間の中にピンクのストライプの服を着てピンクのヒジャブをかぶった、でもシックな雰囲気の女性が床座りしている。入って右にはカラフルな服がいろいろ。一瞬、古着屋さんみたい。しまってあったドットペインティグも出してきてくれた。

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Para Rupa Yogyaの発足は2019年4月。その名のとおり障害のある人のアート活動を行っているのだけど、その特徴は「少人数」で「家族ぐるみ」の運営をしていること。現在6家族が所属しており(うち1家族はアクティブではないので実質は5家族)、それぞれ病気、知的障害、精神障害、ダウン症、自閉症の子供がいるそう。つまりここに集まってくれている約20名は、子供達と、そのお父さんやお母さんたちなのだ。子供だけだなく家族が楽しむことが重要、と教えてくれた。

ヒアリングは通訳の関係もあって2時間くらいの長丁場だったのだけど、その間、子供たちもつきあってくれた。ひとりの女の子は途中から丸いビーズでブレスレットを作り始めた。別の子は風邪気味なのか、ずっとティッシュで鼻をかんでいた。

彼らが2022年に開催した展覧会のテーマは、ズバリ「Familiy Kin」だったらしい。月に1度集まってテラスで作品を作っているのだけれど、その成果展だ。あるお父さんが、展覧会のパンフレットや展示風景の写真、雑誌記事を見せてくださる。印象的だったのは、展示の形式がインスタレーションだったこと。つまり絵画なら絵画だけを見せるのではなく、その子供の生活空間全体を見せているのである。自転車が好きな子の作品のところには、自転車が置いてある。

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見せてもらったパンフレットも、作品じゃなくて子供のことを顔写真入りで紹介している。表紙になっているレモンクッキーがたくさん乗っているようなオブジェは、みんなで制作したそうだ。件のお父さんは、制作において子供たちに何かを強いることはない、と言う。あくまで子供たちがやろうとしていることをサポートしている。

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ちなみに「家族」「少人数」という方針は、彼らのfacilitatorであるMoelyonoの方針だと言う。Moelyonoは、Seni Rupa Penyadaran(Art for conscientisation)というシリーズ本が出るくらいインドネシアアート界では重要なアーティストであるようで、昨日買ったArtisit and the Peopleでもがっつり紹介されていた。それによればもMoelyonoはアートを「解放のためのツール」と捉えて、周縁化された人々のコミュニティにかかわる活動や作品制作をしているらしい。

こちらは2023年の作品(出典はこちら:本人による動画解説あり)。アクティビストっぽいアーティストをイメージしていたのでこういうリアリズムっぽい絵画を最近も書いていることにちょっとびっくりしつつ、でもこれは東ジャワのLudrukという演劇を描いたもの(この演劇の話はその後HONFでも聞いたかもしれない)だそうで、手前にはトランスジェンダーの人がいたり、フランシス・アリスみたいに氷を運んでいる人がいる。もともとLudrukにはトランスジェンダーの役があるのだそうだ。Ludrukのパフォーマーと一緒に5年かけて制作したらしい。

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Artisit and the Peopleで紹介されていたのは、2011年のインスタレーションRetak Wajah Anak-Anak Bendungan(Distintegrating faces of children of tha dam)。出典はこちら。動画はこちら。ダムに沈んだ村の子供達のポートレイトを水位を示すメーターなどとともに展示したもの。

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話を戻して、そのMoelyonoにfacilitatorとして関わってもらいながらPara Rupa Yogyaが活動するにあたって、提示された条件が「少人数」「家族」だった。障害をもった子供達のいる家庭があつまって一緒に場を運営するなんて、まるで…と思っていたら、お父さんの方から例のキーワードが出た。そうgotong royong(相互扶助)。困ったら助けあう、そして自分たちでつくる。2006年の地震のときにはDIFAGANA’s (People with Disabilities Task Force for Disaster Response)というコミュニティができたりして、そういうのはgotong royongのimplementationなのだとお父さんは語った。

RT/RWの活動についてもいろいろ教えてもらう。そもそも月に1度集まって制作するPara Rupa Yogyaの活動はRT/RWの町内会活動をモデルにしたものなのかもしれない。メインとなるRT(これは基本的に男たちが参加)のほかにサブワーキング的な集まりがあるらしく、そこにはPKK(ペカカ)と呼ばれる婦人会もあるそうだ。日本の頼母子講や沖縄のもやいみたいに、みんなでお金を出し合って必要な人が使えるようにする庶民金融的な仕組みもあるそう。そういえばこのPara Rupa Yogyaの集まりも、なんかPTAみたいだ。

Para Rupa Yogyaのお父さんお母さんたちは、障害者に対するスティグマをなくしたいと語るが、そういう話をしていて感じるのは、彼らの中に、子供<家族<地域<州<国が、同心円的かつシームレスに拡張していくイメージがあることだ。つまり家族がよくなればおのずと地域がよくなり、地域がよくなればおのずと州がよくなり、州がよくなればおのずと国がよくなる、というある意味では「希望」を持って活動しているように見える。日本にいると、少なくとも私はそういうイメージはもてない。たとえば自分の職場の仲間のあいだで何か活動することと、政治を変えるために活動することは、まったくルートが別に思える。お父さんお母さんたちがそういう同心円・シームレスのイメージをもてるのは、もしかしたら国の政策がRTを通じて直接末端まで伝えられている、というトップダウンの仕組みがあるからかもしれない。でもだからといってボトムアップを信じられるのはなぜなんだろう?

帰り際、奥の部屋を見せてもらうと、そこはろうの子供たちがミシン仕事をするスペースになっていた。高級ホテルのリネンの発注なんかも受けているみたい。

(引用・転載禁止:筆者のメモと記憶で書いているので、事実と違う場合があります。悪しからず・・)

1/30午後=ジョグジャカルタ(北澤潤さん)

深夜0:05羽田発のフライトでジョグジャカルタ入り。トランジットのジャカルタで飛行機の遅れがあったので、ジョグジャについたのは13:00すぎ。この空港は2016年にできた新しい空港で、みんなわざわざ「NEW Yogya International Airport」と呼ぶとのちに北澤さんが教えてくれた。預けていたトランクが湿気でベトベトになっていて、乾燥した真冬の東京からトロピカルに来たことを実感する。南国では屋内と屋外の境界があいまいで、「えんがわ」的な日陰のスペースにみんなが自然と集まってくる。この気候が意外とケアのありかたに影響していることをのちのち実感することになる。

金色のゴージャスな空港の出入り口(金色の馬車みたいな展示もあった)を抜け、手配していただいた車にのりこむ。ホテルまで1時間強。街に入る前から道の両側に黄色や赤の巨大な旗が飾られていて、平塚の七夕祭り?みたいな賑わいである。聞けば2/14に大統領選があるとのことで、各政党が自分たちの色の旗を出しているのだそうだ。旗だけでなく候補者の顔がでかでかと配置された看板もある。日本と違うのは、大統領と副大統領がペアになって立候補しているところ。だからポスターにも顔が2つある(1つのやつは地方議会)。ジャカルタ生まれでジョグジャで大学時代を過ごした現地スタッフのIさんが、「現職のジョコ大統領の息子が副大統領候補になっていて、世襲政治が批判されている」と教えてくれる。日本では当たり前すぎて問題にすらならないけど・・。ちなみにジョコJr.とペアを組んでいるのは国防省のプラヴォ氏。ジョコ大統領に過去2回破れていて、そのときはコワモテ強硬派なイメージで売ってたけど、今回はソフトな印象に戦略を変えているとのこと。

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大統領選期間中であったことは、訪問のタイミングとしてはアンラッキーだった。展覧会やイベントがことごとくやっていないのである。この時期、人が集まるようなことをするのを、みんな避けるらしい。滞在中にいろんな人に理由を聞いたけど、「忙しい」「利用されるリスクがある」などの答え。「利用される」というのは、イベントに立候補者や関係者がとつぜん来て、票集め活動をすることがあるのだそうだ。

国政も気になるけど、でもインドネシアがよく「東南アジアでもっとも民主化した国」と言われる(実態は分からないけど)のは、むしろ地方分権化が進んでいるかららしい。今回の旅のために一夜漬けした『暴力と適応の政治学ーーインドネシア民主化と地方自治の安定』(岡本正明、京都大学出版会)によると、60年代半ばに確立したスハルト体制(映画『アクト・オブ・キリング』にもなった1965/9/30の共産党によるスカルノへのクーデータ未遂→スハルトによる共産党解体→権力掌握)はむしろ中央集権的だったらしい。「共産主義を完全に否定することで、格差の政治化を認めず、地方にはあまり自治権を与えず、エスニシティや宗教の政治化には歯止めがかけられていた」(6-7)。まあ、エスニシティ的にも、宗教・宗派的にも、階層差的にも、地域差的にも超多様なインドネシア(そもそも一体感があったわけでわなく、もともとオランダの植民地だったという成り行きでひとつの国になった)を統治するのはなかなか至難のわざだろう(旅行中、誰一人として「私たちインドネシア人は」という主語で語らなかった。みんなせいぜい「ジャワ人はJawanese」どまり。でもジャワ島といっても多様だし、これが厳密にどの範囲を指すのかは不明)。スハルト体制は30年も続いたが、97年のアジア通貨危機であっけなく崩壊。その後国内は混乱し、国家分裂論争もあったくらいで、インドネシアも第二のスーダンや第二のソマリアになるのかと思われたが、地方分権化がうまくいって、民主化に成功したようだ。ただ社会的亀裂が政治的争点にならないようにする工夫はいろいろあるみたい。今回の大統領選においても、同日に国会議員や地方議員の選挙もまとめて行われるらしく、これも争点を拡散させる仕組みなのだそうだ(9-10)。

地方自治といってもジョグジャは特殊で、王様(ハメンクブウォノ10世)が州知事をつとめている、ということを事前にオンラインミーティングしたBakdapanのメンバーが教えてくれた。王様が地方自治をして民主化、というのが日本の感覚すると何重にも謎めいているけど、北澤さんによれば「ふつうにその辺の道を自転車で走ってる、いい王様」らしい。一方で政治的にはいろいろ問題もあるようで、Bakdapanのメンバーは、「王室があるかぎりどんな運動をしても変わらないので ジョグジャのアクティビストはみんな疲弊している、それを支える必要がある」とも言っていた。

さてさてそんな赤や黄色の旗たちに歓迎されながら市街へ、そしてホテルへ。ホテルの前にはどこもベチャ(三輪人力車)が停まっていて、運転手のおじさんが猫並みの絶妙な体勢で昼寝してるのだった。

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ホテルで少し休憩したあと、リサーチのメンバーみんなで少し街を歩くことに。最初に行ったのはCEMETIというギャラリーで、SISATというグループ展が1/27まで開催されていたらしいのだけど、やはり大統領選の影響でいまはクローズド。SISATとはtacticという意味だそうで、地震と津波のあとの瓦礫でこどもたちと宝探しをやるプロジェクトなど、リサーチのテーマである「ケア」に通じそうな内容が紹介されていたらしく、これは見たかったなあとポスターの中の大統領候補者たちに恨み節を言う。でもクローズドしてても中に入れちゃうのがトロピカル?ジョグジャ?らしいところで、まだ搬出作業前だった最後のオブジェを見せてもらったり、スタッフの方と話して別のギャラリーを教えてもらう。

教えてもらったのはLAV Galleryというところで、パステルカラーのハートがあったからLAVはLoveのことなんだろうか。「Life of our years」という展覧会で日本の有名作家をグロくしたような作品とかがあったりして、退散。入場券にドリンクがついていて、温かいお茶(こちらのお茶は砂糖入りがデフォルト)をすすりながら猫をくすぐりつつ、今後の予定の確認。ちなみにギャラリーの前は中学校で広い校庭(というか原っぱ)でグランドホッケーや陸上をしていた。途中、道路をうめつくすバッタの群れのような通勤ラッシュのバイクたちを右手一本で制してわたるIさんの手腕に脱帽。

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夕食に向かう途中、Periplusという本屋を見つけて物色。基本英語の本のみで、日本では知らない日本人の本なんかもある。わたしはEelly KentのArtists and the People: Ideologies of Art in Indonesiaという本を購入。今回のリサーチの大事な副読本になりそう。

夕食は北澤潤さんさんとMediterranea Restaurantにて。北澤さんは2019年からジョグジャカルタ在住のアーティストで、こちらではStudio Belimbingを運営し、ガジャ・マダ大学で人類学を教えていらっしゃるとのこと。カルボナーラ、ピザ、タコ、サーモンステーキなどをつまみつつ、北澤さんご自身の活動や、それを通じて感じたジャワ文化のことをうかがう。北部での強制立ち退きがあった地域で、建国記念日用の運動会的イベント(パン食い競争)を企画したり、みんなが作るのが得意な小屋のコンテストを開いたことなど、「久しぶりに日本語が話せてうれしい!」とおっしゃってくれる北澤さん。ジャカルタ最初の夜に北澤さんのお話をうかがえたのは、今回のリサーチにとってめちゃくちゃ大きかった!

なぜなら「ケア」という私たちのテーマについて考えるうえで外せない、大事なキーワードを教えてくれたから。それは「ゴトン・ロヨンgotong royong」というもの。日本語に訳すなら「相互扶助」だ。語源的にはgotongとはパタヴイア地方の語で「非常に重いものを運 ぶこと 」「2、3人がかりで荷物を運ぶこと」、royongは「① よろめくこと」「② 物語」という意味らしい。この旅の間、いったい何回この言葉を口にしたり聞いたりしたことか!(ケアがその地域の社会情勢や文化の影響を受けて地域差をもつ、という点は重要)

まず前提として、北澤さん曰くインドネシアは「風穴だらけ」。日本ではアーティストの役割は「凝り固まっているところに風穴を開けること」なんて言われるけれど、それは道路や水道などのインフラや警察などの社会システムが整っているからで、インフラやシステムが脆弱なインドネシアではむしろ「風穴をうめたくなる」。「みんな作る能力が高く」て、たとえば家の前の道路が壊れたら、住民たちでお金と労力を出し合って直してしまうらしい(作る能力の高さは、二日後のJogja Disability Artsで足と手に障害がある方が自分用に作ったという改造バイクで驚愕することになる)。便座が外れただけで大家さんに連絡しちゃう自分を恥じつつ、いやでも道路を治すのはさすがに行政の仕事ではないのか?という疑問も湧く(後述)。足が悪い人がいたらみんな助けるし、病気の人がいたらみんなでお金を出し合って病院に行かせる。そうしたジャワニーズの助けあいの文化がgotong royongだ。

そっか、と納得する。アートの文脈では、インドネシアはコレクティブの活動がさかんというイメージがあるけど、彼らは別にコレクティブ・アートを狙ってやっているわけではなく、そもそもここでは何をするにもコレクティブで、その上にアートを載せるからコレクティブ・アートになるのだった。たとえば北澤さんは、コレクティブで活動しているわけではないけど、それでも何かを作ろうとすると、いろいろな職人さんと知り合って作ってもらうという形になるそうだ。日本だとまずホームセンターに言って材料を買ってきて、みたいになるけど、そうならない。ちなみにジョグジャは工芸がさかんで、職人さんの中にはかなり裕福な人もいるらしく、アーティスト=金持ちというイメージをもつ人もいるらしい。

インフラやシステムがととのっていないから、gotong royongが育つ。北澤さんによれば、こちらでは「他者の感覚が違う」のだそうだ。誰でも友達になる。そもそも生きていることがリスクだらけであり、だから生きているだけでいいという感覚がある。確かにそこにいただけの人がいきなり交通整理を始めたり、その人と運転手が気軽に言葉を交わしたりするのは、ジャワならではの気がする。誰でも潜在的には助け合う人=友達なんだろう。(ちなみにホテルのwifiのパスワードが誰でも思いつくような簡単なやつだったのだけど、やっぱり基本は性善説なのだろうか・・)

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ただし、このgotong royongが日本の相互扶助と違うのは、意外とかっちり制度化されていること。相互扶助というと単なる心構えの問題だと思われがちだけど、こちらには地域ごとにRT(エルテー:隣組)やその上位概念であるRW(エルウエー:町内会)といった仕組みが発達していて、月に1度という高い頻度で集まりがあり、そこで先ほどの道路補修などさまざまな地域の問題が話し合われ、解決されているらしい。

「日本と違う」と言ったが、実はこの仕組みを整えたのは1942-1945年にこの地を統治した日本の植民地政府である。要は、もともとあったgotong royongの文化を日本の隣組と組み合わせて制度化し、オランダ・ユダヤ政治の個人主義を排して、家族主義を根付かせ、勤労奉仕を奨励したらしい(沢英雄「「ゴトン・ロヨン」概念の誕生と変容 一一植民地期末期からスカルノ期まで一一」)。その後1945年の独立に際して、スカルノがパンチャシラ(建国五原則)を定め、それをひとことで述べるならgotong royongだと規定したのである。さらにスハルト政権はRT /RWの仕組みを、共産党撲滅のために利用し、隣組に身元確認の任務を負わせたらしい。こうなると恐怖の監視システムだ。

gotong royong、確かに素晴らしいし、ジャワ流ケアの本質を言い当ててはいると思うけど、一方で公共事業をやらないことの言い訳になっているような気もするし、歴史的な経緯や国家との結びつきもあって、一筋縄ではいかなそう・・そして旅のあちこちで訪ねた「gotong royongどう思う?」という質問に対して、みんな、それぞれの立場から違う答えが返ってくることになったのであった。

ちなみに帰国後に読んだ倉沢愛子『ジャカルタ路地裏(カンポン)フィールドノート』によれば、1983年には「RT・RWに関する1983年度内務大臣規定第7号」が規定されたらしい。その設立目的は以下(39)。

(1)相互扶助(ゴトンロヨン)と家族主義に基づいたインドネシア社会生活の価値を育成・維持し、保存すること

(2)デサ/クルラハン・レベルで行政、開発、社会の任務遂行を円滑ならしめること

(3)人民の福祉向上のための努力の中で、社会の自律的な潜在能力を集積させること

さらにRTの任務はこうなっている(39-40)。

(1)建国五原則(パンチャシラ)、1945年憲法、群島海域構想に基づいた社会生活の実現

(2)相互扶助(ゴトンロヨン)、自立、社会参加に向けて動員する

(3)国家の安定を支える一環と秩序の創造を助ける

(4)政府のひとつひとつのプログラムを周知徹底させ、守ることを助ける

(5)社会の全成員間の、そして社会の成員と政府との間の関係の橋渡しをする

(6)政府の責任になっている社会に対する奉仕を実施する

(7)生活環境の保全の一環として、地域の育成や運営という任務を積極的に助ける

文言だけ読むとなかなか恐ろしいですね・・

そんなこんなで初日は北澤さんからたくさんのことを教えてもらい、ぐるぐるした頭でホテルへ。すてきなホテルなのだけど、裏のモスクから早朝4時にアザーンが爆音で流れてくるので、全然眠れないのであった・・(非イスラム教徒は慣れると聞こえなくなるらしい)

(引用・転載禁止:筆者のメモと記憶で書いているので、事実と違う場合があります。悪しからず・・)

「東南アジアのケア」リサーチ日記

【インドネシア編 2024/1/30-2/3】

1/30午後=ジョグジャカルタ(北澤潤さん)

1/31午前=ジョグジャカルタ(Para Rupa Yogya)

1/31午後=ジョグジャカルタ(bakudapan/Kunci/Merawat, HONF)

2/1午前=ジョグジャカルタ(Jogja Disability Arts)

2/1午後=ジャカルタ(Gudskul)

2/2午前=ジャカルタ(LabTanya)

2/2午後=ジャカルタ(Troto Art)