Macical Mystery Tour

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4/26 Ho Tzu Nyenなど

4/20 下北沢キム・ウォニョンさんのダンスをみにいく。香瑠鼓さん(淋しい熱帯魚とか振り付けた方)の誕生日記念イベントに出るのなぜ?と思ったが、ソウルでのWSの参加したことがきっかけとのこと。車椅子の動きもいいけど、床に降りてからの動きは、吃音を見たときのように見てはいけないものを見た感じがして、どきどきする。本当は音無しで踊りたいのでは。

4/26 都現美で津田道子さん、ユニ・ホン・シャープさん、 Ho Tzu Nyenなど見る。津田さんのハローカメラは想像以上の量とスピードで横スライドしていく感じがあって、楽しかった。Ho Tzu Nyenは京都学派を扱った《ヴォイス・オブ・ヴォイド―虚無の声》など。ひとつの作品が分散している構成は、余韻に介入してくる感じがあって面白い。the critical dictionary of South-East Asiaもよかった。東南アジアを統一体として描くことは可能なのか?東南アジアのケアプロジェクトもこういう文脈においてみたい。

4/14 差異についての学

ランを始めて約3ヶ月経った。最初のきっかけは津田道子さんのイベントで有楽町を走ったこと。金沢でイベントがある予定だったが、震災で延期になり、代わりに金沢からきていた津田さんのランイベントに参加した。その後、家の近くを4キロ弱くらいちょこちょこ走るように。

アディダスアプリの記録を見ると、1/29は29分31秒かかって距離が、4/14は20分32秒で走れるようになっている。分速にして7分34秒から5分21秒に。筋肉がついて足の形も大根からさつまいもになった。血流がよくなって全身の肌がつるつるになった。太ももの肌がすべるらしく、トイレにいくたびにズボンをあげる感触が変わっているのを実感する。

4月からのチャレンジもうひとつは、英語で授業を始めたこと。留学生たちのバックグラウンド(アートへの関心ぐあい)がわからず余計に緊張したけど、slidoへのコメントでアスキーアートを返してくるあたり、当たり前だけどふつうの東工大生でもあることを知って妙にホッとした。

あとはIris Marion Yongを読んでる。『身体の美学』のための準備。美学が扱う趣味の問題は、つまりは「違いがわかること」だとして、これをアイデンティティポリティクスと結びつけるということが、この本でとりくみたいこと。趣味判断は物を対象とした判断が想定されることが多いけど、物ではなく人の身体を対象とした趣味判断も(道徳的には禁じられているとしても)当然あって、その後ひきつづく人と人の相互行為を規定している(趣味判断そのものよりも趣味判断した「後=実践的関心」が重要)。「違いがわかる」を「上下の優劣の違い」ではなく、「水平的に多様性なものたちの間の違い」を分かることだとすると、美学は法的に保障された差別禁止を深いところ(習慣に関わるところ)で補完する重要な「差異についての学」だということになる。これらをBlack Aesthetics やDisability Aestheticsなどを素材に考えること。美学が美学史学になりがちで、社会のなかでAestheticsという言葉がどう使われてきたか(つまりは美学の政治性)の歴史から切り離されているのはすごくもったいないと思う。そうであるかぎり、文化資本に囲まれて育った子女のためのの学問、みたいなイメージから出られないじゃないかな。

3/24 名古屋

以前インタビューさせていただいた方と名古屋駅近くでお茶をする。2年ぶりにあえてとても嬉しい。

中世の修道女は痛みを神からの呼びかけだと理解していた、というところから、その方が神学部で学び、右から左までいろいろな宗派の集まりに行った経験があることを知る。たしかに宗教は、痛みなど体に起こる出来事に対する理由づけの仕組みという側面があり、身体論として考えられるものなのかもしれない。自分の痛みを通じて他者の痛みを感じること、についていつか考えてみたい。

3/21 能登

金沢の知人のお世話になり、車で能登を案内していただく。小木中学校の避難所、鵜川地区などまわる。

車で片道3時間、1日たった今でも微弱な酔いが。原因は道路があちこちででこぼこしているから。工事中の箇所が100箇所くらいあったのではないかと思う。特に橋のつなぎめ。橋は落ちないけど地面が落ちてしまって段差ができる。震災直後はパンクが多くて修理剤が大量に必要だったそう。

特にひどいところでは、ガードレールが宙に浮いていた。山の斜面に造成した道で、山肌を削ったほうは頑丈なのだけど、盛り土をしたほうが弱くて土が流れてしまう。そういうところも、消しゴムで線を消して引き直すように臨時の道が作られていく。土木すごい。こういう作業は現場の計画でどんどんできるように、事前に協定が結ばれているそうだ。

(追記)案内してくれた地元の方は、このガードレールを「シュール」と形容していた。大変なのは現実だし炊き出しなどたくさん動いていらっしゃるかただけど、「被災」とは違う語りが必要とされているのかな、と思った。能登にはいろんな面白い人がいるからそれを見てほしいとも言っていた。

20240322084157.jpeg避難所は体育館の半分ほどに40戸ほどの段ボールで囲われた生活空間が残っている状態。中学3年生の門出をみんなで祝いましょう、と自治体の職員さんが声をかけて、この状態のまま卒業式をやったそう。花飾りなども避難者の方が作ったとのこと。ここはランチは週5で自衛隊の食事がでて、夜は地元の事業者さんが行政から800円でうけおってお弁当を作っているそう。800円というとビジネス的にはまわりそうな気がするけど、みんな利益度外視で栄養のある料理を提供しようとするらしい。避難所はひとつの町のようなもので、コの字型に家を配置して真ん中のスペースに屋根をかけ、お茶の間のようにしている避難所もあるそうだ。プライベートとパブリックの中間の領域が重要そうだ。小木の避難所ではストーブのまわりにおばあさんたちがあつまっていた。一方で避難所をしめるむずかしさもあって、依存が生まれてしまったり(「ありがとう」を言わなくなって軋轢がうまれている場所もあるとのこと)、行き場所がない人もいるらしい。地銀も職員が複数の店舗を兼ねており、週に2−3日しか営業していない。日常とはほど遠い。

小木といえばイカキング。イカ漁がさかんなところ。寄せ書きとか至るところにイカが描いてある。海はほんとうにおだやかだ。

20240322085048.jpeg鵜川地区は、家屋の被害がかなり大きかったところ。それまで生活を成り立たせていたものが文字通りフレーク状の端材の山になってしまっている。道路に散乱していたものを敷地まで片付けたところ。川の向こうの地域ではほとんど被害がないのに、ちょっとしたことで影響の出方が違う。残酷だ。

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