Macical Mystery Tour

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私の手の倫理(12)噺の手

高座を初鑑賞しました。
座布団から動かずに繰り出される
喋りが人、動物、もの、景色の
情感を発して引き込みます。
これは落語家さんの"手"だなぁ、と
感じました。

まぁ近頃は…と昨今の事を
ほぐす言葉で軽快に歩み寄り
〜なのでごさいます、と情景を
引きで見せる滔々とした語りが
こんな風かな?と映像を脳内に
招き立ち上がらせてくれます。
話では旦那、おかみさん、娘さんに
小僧さんらが瞬時に入れ替わり
次々に出現。
声の強弱、早さ、上げ下げ次第で
本人と呼び掛け相手の距離感に
表情迄もが浮かんで顔の向きに視線、
背景はどんなか、が一変。
お(→)い!と、お(⤴)い!の声ひとつ
でも意識の伸び縮み感がまるで違う
面白さがあります。
例えば頼み事の時。
どうよ?と座った膝を軽く
手の先でつつかれるのと、
おねげぇしますよぉ!と懇願されて
肩を揺すられ腕を引っ張られ…
みたいな異なる手の使い方の
ニュアンスです。
ねぇお前さん、的な時には
顔が色っぽくなるのと同時に
声の目配せに揉み手もありますね。
からん、ころん…の下駄音も
高いか低いか、早いかゆっくりかの
声で軽やかにもおどろおどろしくにも
歩かせ方が変わってきます。

縦横無尽にやって来て導く言葉に
巻き込まれ笑いや拍手が
湧き起きるのも、反射的にいいぞ!
良く言った、そう来るか…を
多さや長さで客席から飛ばす
まさに手応えになっています。
心揺さぶり掴み遊ばせてくれる
噺家さんならではの声の手。
席に居ながら意識を引かれ
出逢う新たな時空の景色。
自由に描くそれらに包まれる
何とも楽しいひとときですね。

(Y. I.さん)

私の手の倫理(11)

私は、30代から医療機関の事務職として働き始めました。
事務職とは、患者さんを介助したりケアしたりすることは一切できない職種です。
しかし、私が病棟の事務として勤務をはじめてから、体にふれることはありませんが、入院期間が長く、いつも同じような生活の繰り返しを強いられている患者さんたちは、よくデスクに座っている私に話しかけてくれました。

まるで、「私の心にもっとふれてください」とでも訴えるかのように。

そんななかで私は気づきました。

いつも定位置で働く自分だからこそ、できること。それは、患者さんに触れなくても、心の泉や光、闇、しこり…それらを感じ取れたら素敵だな。体に触れられなくても、心に手を当ててあげることならできる❗と思いました。

そう思うようになってから、私は患者さんの心にふれる機会を自分からつくるようになりました。
中でも比較的自立していて、看護師さんのケアや介助も少なく、手のかからない患者さん、気をつかってわがままや頼みを言えない患者さんに自分から声をかけるようにしました。

すると、それまで一切誰とも話そうとしなかったある人が、私の名前を覚えてくださったようで、ご自分からお願いごとを私にしてくださいました。
それまでは一言も喋らず、リハビリのないときはずっと部屋にいた方だったのに。
その患者さんいわく「リハビリの担当の職員さんが、いつもあなたの話をしてくれていたから。明るくて話しやすくて頼りになる事務員さんだよ、と教えてくれた」と。

嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。
その頼み事以来、その方はよくデイルームに来られるようになり、私を見つけるとご自分から心をひらいてくださいました。
病気になる前のこと、これからやりたいこと。沢山お話してくださいました。

その方がご退院されて、1ヶ月後。外来に用事があり、あるフロアを歩いていたら、偶然その方のご両親がおられ、私を見つけると、急いで寄ってきました。
「今、息子は診察前の検査中だけど、診察おわったらあなたに会いたい、元気な顔を見せたいって言っていたから必ず病棟にいきますね」そう笑顔で仰られていました。

約束どおり、患者さんとご両親は
病棟に来てくださいました。
エレベーターが開くやいなや、車椅子を素早く動かして来てくださり…「Kさん、僕、お礼の気持ちががいいたかったです」
そういって、ハグをしてくださいました。私も…思わず強く抱き締めて泣いてしまいました。

ありがとう、ありがとう。
私にあなたの心をおもいっきり触れさせてくれて。
ありがとう、ありがとう。
私の心の、1番あったかい所をみつけてくれて。

そんな私は翌年から、介護職員になり、高齢者のかたの心とからだにふれています。

(Y.K.さん)

私の手の倫理(10)会話を歩く為の手

食道がんで喉頭を摘出して
肉声の無い生活をしています。
なので名前を呼ぶ、喋る、笑う
などが音声で出来なくなり今は
言葉も感情も相手に見て貰って
初めて伝わる形になっています。
"ねぇ"、や"あの…"、と声を掛けて
気付いて欲しい時には身体に触れたり
ひらひらと手を振ったりして
先ずは触覚や視界に入ります。
主な会話は液晶画面の文字表示や
顔絵文字の手書き。そこに表情や
手話、身振りなどが付いてきます。
入力や書く事は多少時間が掛かり
ニュアンスが伝わりきらない事も
ありますが、相手の方の肉声を介した
意識にそれ以外の"手"で触れに行くのは
緊張感があり何処か不思議です。
喋りたい気持ちはまさに
喉から手が出る(喉元に開けて呼吸を
している気管孔から意識の手を出して
伝えようとする)感覚です。
伝えたい事を考えている時には、
ペンを持ち文字入力をする右手が
首を傾げたりする様に動く癖が。
短く的確な言葉を探り、忘れ逃さない
為にも思考のネジ巻き的な無意識の
ものみたいです。
言葉や意味の輪郭を示すのに重要な
文字表示も、感情や表情が響き合い
会話に慣れてくると嬉しくなり
見せる為の書き出しをするよりも
身振り手振りに気持ちが入ります。
最初は手袋をはめていたのが
素手で触れ合える様な、テンションの
波動を感じる方が大切になります。
心に触れ伝え話そうとする意識の手。
伝える為に働き動く身体機能の手。
これらの手を使いながら、静かに
時に賑やかに日々会話を歩いています。

(Y. I.さん)

私の手の倫理(9)声の手 物の手 意識の手

月に一度、茶道を習っています。
大正〜昭和中心のアンティーク店の
中にある和室で行っています。
古物の経年の波動や、赤茶の
電球明かりが温かい不思議な場所です。
お茶独特の作法を知り真似て直す中
ご指導で自身には触れないのですが
先生の声や言葉で、手の様に導かれ
所作を整えられている感じです。
日常には無い手先指先の扱いも多く、
自分の手なのに上手くいかない事も
まだまだあります。
お稽古を繰り返すと袱紗や茶筅に
柄杓が身体に同化した様な感覚も。
指先で細く固い柄をすっと掴む、
ひらひらした袱紗を手に収まる様
最後は綺麗に畳む…など難しいですが
持った茶筅や柄杓がお茶碗に当たると
次第にそれも自分の手、の感覚に
なってきます。
物を通して感じる茶碗の生地や温度も
味わい深いです。
お茶を頂く時は、お茶碗を回して
正面を定位置に来させます。
左手に底を置いて右手で回す時には、
背中辺りから"意識の手"が出て来て
何とか正面を合わせよう合わせよう…と
毎回一緒に回してしまいます。
昨今、強めにはっきり見せたものを
瞬時に分からせて完結させるものが
増えていてそれらとは対象的な
時間と空間でのお稽古のひとときです。
在る肉体ではない様々な"手"の存在や
触れ方を感じながら所作を整える
面白さ。
窯にお湯が沸く、茶筅で泡立てる、
足袋が畳を擦る…の音や風にも
敏感になり、普段と異なる事にわくわく
しながら適応しようと全身の意識が
立ち上がっているのかもしれないですね。

(Y. Iさん)