Macical Mystery Tour

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7/12午前=ケソン市 the SMART CHILD: e-Habilin program

2コマの授業を終え、暑い東京から暑いマニラへ。電線スパゲティ(entanglement)の夜の街で一泊したあと、ケソン市へ。私たちがふだん「マニラ」と呼んでいるのは、実は「メトロ・マニラ(マニラ首都圏)」のことだそうで、16の市と1つの町から構成される。ホテルがあるのはマカティ市、ケソン市はより北に位置し、人口も面積もメトロ・マニラ最大の政治の中心地だ。

その後何度も往復することになるメトロ・マニラを北上する高速道路、その壁面に植物が植った植木鉢がならべてあって、市の職員?らしき人が上や下から水やりしてる。緑化による環境美化?空気はあまり綺麗とは言えない感じだけど意味あるのかな??国際交流基金のマニラ事務所の方のお話によれば「今の市長はこういうの好きだからね〜でも市長変わったらなくなるんじゃないの(笑)」とのこと。こちらの政治事情についてもちょっとずつ学んでいこう。

午前の視察は、Sangguniang Barangay Parkにて、ケソン市が2023年に始めたOFWに残された子供たちのプログラムthe SMART CHILD: e-Habilinのレクチャーを受けること。OFWとはOverseas Filipino Workerのこと。国内に仕事がない(とみんな口々に言う)フィリピンでは100万人以上、つまり国民の10%が海外に出稼ぎに行っていて、海外送金もGDPの10%を占めるという。国がこの政策を開始したのは1974年、今年で50周年だから、もはや伝統的な国家ビジネスのひとつといえる。空港の出国審査コーナーにもOFWレーンがあって、人がぞくぞく吸い込まれていっていた。

20240721210759.png日本だとフィリピン人労働者というと女性のイメージがあるけれど、全体の統計でみると男女比は約半々。男性は大型船の乗組員や工場労働者、女性はドメスティックワーカーが多いようだ。行き先としては、1位がサウジアラビア(23.0%)、2位がUAE(13.7%)と中東が多い(2022)。国は彼らを「英雄」として扱うけれど、実態はさまざまな搾取や暴力にさらされることも多く(その詳細は14日午前に聞くことになる)、また日本もそうしたグローバル・ケア・チェーンの当事者なのであるから、単純には語れない。今回話を聞くプログラムも、親が海外に働きに出た子供たちが、学校に通わなくなったり麻薬に走ったりする傾向があるという問題をふまえ、始められたものだ。

会場は建物の2階なのでどうぞ〜と通されてびっくり。な、なにこれ?会場には20人くらいの子供と30人くらいの大人がいたのだけれど、階段から上がってくる私たちにみんながスマホを向けて写真をパシャパシャとってくるのだった。まるでレッドカーペットのセレブ?あとから知ったのだが、とにかくフィリピンの人は写真が大好きなのだった。聞いたところによると、人とのコネクションが重要な社会なので、「〇〇機関(会社)の〇〇さんと映っている写真」がものを言うらしかった。私の写真が意味があるのかよくわからないけれど、海外からの視察があったということは彼らにとっては「箔」になるのかもしれない。

とたじたじしているとステージ右手の席に通される。レクチャーを聞くつもりで来たのだけれど、「レクチャーを聞いている日本からの訪問団をみんなで見る会」みたいになってる。マイクはカラオケ仕様?で言ってることがよく聞こえないし。とにかくわけがわからないまま担当者のレクチャーが始まった。うーん、スライドの字がちっちゃい上にスクリーンが観客の方を向いているので見えない・・とかいうカルチャーショックがいちいち面白い。

20240721215014.jpegレクチャーによれば、このプロジェクトはPre-migrationからOn site、そして帰国後のReintegrationまでサポートしているとのこと。habilinとはタガログ語で「something that is entrusted for safekeeping」を意味する言葉とのこと。子供たちのメンタルのケアにPsychosocialという言葉が使われていたのが印象的だった。この語は翌日のパヤタスの教会でも耳にすることになる。

レクチャーのあと子供達(みんなピンクの服を着てる)やその家族に集団でヒアリングさせてもらうことに。OFWで残される状況はdistantだけどlonlinessではないということを複数の子供が言っていた。確かに今はzoomでも何でもできるから、毎日のように海外に働きに行っているお母さんやお父さんの顔を見ることができるもんね。彼らの自分の気持ちを表現する言語能力の高さに驚くとともに、そういう「感情の型」みたいなものを提供することがこのプログラムの役割のひとつなのかな、とも感じた。そういう型があることで楽になることもあるだろう。一方で、本当に自分の気持ちと向き合っていることになるのかな、という疑問も。コロナで滞在先で仕事を失って帰国した家族、逆にフィリピンでの仕事を失って海外に行くことになった家族、いろんな苦労の話を聞く。

たとえば10年、子供と離れるのはさぞ大変なことだろう、と思う。だけど彼らに悲壮感はない。国民の1割ともなると、マイノリティ感もない。子供たちはとてもフレンドリー、というか人懐っこくて、6歳くらいの髪の長い女の子が特になついてくれて、「I miss you」と言いながら抱きついてきた。頭を撫でてくれる。甘え足りないのかな?というより「私を見て」エネルギーを感じる。別の男の子は話すときにいつも口元に手をやる癖があって(歯の矯正をしているらしい)、それがとても可愛かった。

「東南アジアのケア」リサーチ日記:フィリピン編

【フィリピン編 2024/7/11-7/16】

・7/12午前 ケソン市 the SMART CHILD: e-Habilin program @Sangguniang Barangay Park

4/26 Ho Tzu Nyenなど

4/20 下北沢キム・ウォニョンさんのダンスをみにいく。香瑠鼓さん(淋しい熱帯魚とか振り付けた方)の誕生日記念イベントに出るのなぜ?と思ったが、ソウルでのWSの参加したことがきっかけとのこと。車椅子の動きもいいけど、床に降りてからの動きは、吃音を見たときのように見てはいけないものを見た感じがして、どきどきする。本当は音無しで踊りたいのでは。

4/26 都現美で津田道子さん、ユニ・ホン・シャープさん、 Ho Tzu Nyenなど見る。津田さんのハローカメラは想像以上の量とスピードで横スライドしていく感じがあって、楽しかった。Ho Tzu Nyenは京都学派を扱った《ヴォイス・オブ・ヴォイド―虚無の声》など。ひとつの作品が分散している構成は、余韻に介入してくる感じがあって面白い。the critical dictionary of South-East Asiaもよかった。東南アジアを統一体として描くことは可能なのか?東南アジアのケアプロジェクトもこういう文脈においてみたい。

4/14 差異についての学

ランを始めて約3ヶ月経った。最初のきっかけは津田道子さんのイベントで有楽町を走ったこと。金沢でイベントがある予定だったが、震災で延期になり、代わりに金沢からきていた津田さんのランイベントに参加した。その後、家の近くを4キロ弱くらいちょこちょこ走るように。

アディダスアプリの記録を見ると、1/29は29分31秒かかって距離が、4/14は20分32秒で走れるようになっている。分速にして7分34秒から5分21秒に。筋肉がついて足の形も大根からさつまいもになった。血流がよくなって全身の肌がつるつるになった。太ももの肌がすべるらしく、トイレにいくたびにズボンをあげる感触が変わっているのを実感する。

4月からのチャレンジもうひとつは、英語で授業を始めたこと。留学生たちのバックグラウンド(アートへの関心ぐあい)がわからず余計に緊張したけど、slidoへのコメントでアスキーアートを返してくるあたり、当たり前だけどふつうの東工大生でもあることを知って妙にホッとした。

あとはIris Marion Yongを読んでる。『身体の美学』のための準備。美学が扱う趣味の問題は、つまりは「違いがわかること」だとして、これをアイデンティティポリティクスと結びつけるということが、この本でとりくみたいこと。趣味判断は物を対象とした判断が想定されることが多いけど、物ではなく人の身体を対象とした趣味判断も(道徳的には禁じられているとしても)当然あって、その後ひきつづく人と人の相互行為を規定している(趣味判断そのものよりも趣味判断した「後=実践的関心」が重要)。「違いがわかる」を「上下の優劣の違い」ではなく、「水平的に多様性なものたちの間の違い」を分かることだとすると、美学は法的に保障された差別禁止を深いところ(習慣に関わるところ)で補完する重要な「差異についての学」だということになる。これらをBlack Aesthetics やDisability Aestheticsなどを素材に考えること。美学が美学史学になりがちで、社会のなかでAestheticsという言葉がどう使われてきたか(つまりは美学の政治性)の歴史から切り離されているのはすごくもったいないと思う。そうであるかぎり、文化資本に囲まれて育った子女のためのの学問、みたいなイメージから出られないじゃないかな。