Project 2021.05

私の手の倫理(11)

私は、30代から医療機関の事務職として働き始めました。
事務職とは、患者さんを介助したりケアしたりすることは一切できない職種です。
しかし、私が病棟の事務として勤務をはじめてから、体にふれることはありませんが、入院期間が長く、いつも同じような生活の繰り返しを強いられている患者さんたちは、よくデスクに座っている私に話しかけてくれました。

まるで、「私の心にもっとふれてください」とでも訴えるかのように。

そんななかで私は気づきました。

いつも定位置で働く自分だからこそ、できること。それは、患者さんに触れなくても、心の泉や光、闇、しこり…それらを感じ取れたら素敵だな。体に触れられなくても、心に手を当ててあげることならできる❗と思いました。

そう思うようになってから、私は患者さんの心にふれる機会を自分からつくるようになりました。
中でも比較的自立していて、看護師さんのケアや介助も少なく、手のかからない患者さん、気をつかってわがままや頼みを言えない患者さんに自分から声をかけるようにしました。

すると、それまで一切誰とも話そうとしなかったある人が、私の名前を覚えてくださったようで、ご自分からお願いごとを私にしてくださいました。
それまでは一言も喋らず、リハビリのないときはずっと部屋にいた方だったのに。
その患者さんいわく「リハビリの担当の職員さんが、いつもあなたの話をしてくれていたから。明るくて話しやすくて頼りになる事務員さんだよ、と教えてくれた」と。

嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。
その頼み事以来、その方はよくデイルームに来られるようになり、私を見つけるとご自分から心をひらいてくださいました。
病気になる前のこと、これからやりたいこと。沢山お話してくださいました。

その方がご退院されて、1ヶ月後。外来に用事があり、あるフロアを歩いていたら、偶然その方のご両親がおられ、私を見つけると、急いで寄ってきました。
「今、息子は診察前の検査中だけど、診察おわったらあなたに会いたい、元気な顔を見せたいって言っていたから必ず病棟にいきますね」そう笑顔で仰られていました。

約束どおり、患者さんとご両親は
病棟に来てくださいました。
エレベーターが開くやいなや、車椅子を素早く動かして来てくださり…「Kさん、僕、お礼の気持ちががいいたかったです」
そういって、ハグをしてくださいました。私も…思わず強く抱き締めて泣いてしまいました。

ありがとう、ありがとう。
私にあなたの心をおもいっきり触れさせてくれて。
ありがとう、ありがとう。
私の心の、1番あったかい所をみつけてくれて。

そんな私は翌年から、介護職員になり、高齢者のかたの心とからだにふれています。

(Y.K.さん)

私の手の倫理(10)会話を歩く為の手

食道がんで喉頭を摘出して
肉声の無い生活をしています。
なので名前を呼ぶ、喋る、笑う
などが音声で出来なくなり今は
言葉も感情も相手に見て貰って
初めて伝わる形になっています。
"ねぇ"、や"あの…"、と声を掛けて
気付いて欲しい時には身体に触れたり
ひらひらと手を振ったりして
先ずは触覚や視界に入ります。
主な会話は液晶画面の文字表示や
顔絵文字の手書き。そこに表情や
手話、身振りなどが付いてきます。
入力や書く事は多少時間が掛かり
ニュアンスが伝わりきらない事も
ありますが、相手の方の肉声を介した
意識にそれ以外の"手"で触れに行くのは
緊張感があり何処か不思議です。
喋りたい気持ちはまさに
喉から手が出る(喉元に開けて呼吸を
している気管孔から意識の手を出して
伝えようとする)感覚です。
伝えたい事を考えている時には、
ペンを持ち文字入力をする右手が
首を傾げたりする様に動く癖が。
短く的確な言葉を探り、忘れ逃さない
為にも思考のネジ巻き的な無意識の
ものみたいです。
言葉や意味の輪郭を示すのに重要な
文字表示も、感情や表情が響き合い
会話に慣れてくると嬉しくなり
見せる為の書き出しをするよりも
身振り手振りに気持ちが入ります。
最初は手袋をはめていたのが
素手で触れ合える様な、テンションの
波動を感じる方が大切になります。
心に触れ伝え話そうとする意識の手。
伝える為に働き動く身体機能の手。
これらの手を使いながら、静かに
時に賑やかに日々会話を歩いています。

(Y. I.さん)