3/16-17 八丈島リタビフェス
2週間前に利他学会議を終えたばかりだけど再び八丈島へ。魚谷さん企画のリタビフェスに登壇するため。1日目のテーマは「漏れる利他」、2日目のテーマは「ぼけと利他」。肝がすわってる!
1便で空港についたら、魚谷さんが迎えに来てくれていた。約束してないのに。1日目のワークで言われたけど、そう、島では約束とかしないのだ。来るのわかってたら迎えにいくでしょ、みたいな感じ。それを支えているのは「誰が今どこで何してるかが筒抜け」「噂好き」みたいな見方によっては窮屈な情報空間なわけだけど、それがあるからこそ「利他=一員であること」が可能になる。そうだよね、一員だったらいちいち約束とかしない。バンドのイメージが一員性に近いのもそのためだ。
約束のなさは会場についたときにも。山でとってきたらしい植物で、会場がとても素敵に飾られていたのだ。これは魚谷さんが頼んだものではないらしい。ツル植物とトロピカルが共存しているのが八丈らしい。舞台のところにはバナナの葉っぱ。これが計画せずにできてしまうのはすごい。
ちなみに会場は旧末吉小学校。流人がつくった学校で、日本で3番目に古い小学校らしい。このおかげでいまでも末吉の人は勉強熱心だそうだ。島のなかでははしっこだけど、かつてはこのあたりが中心地だった。水が出るから。
ワークでも、八丈の方言には「ありがとう」という言葉がないと教えてもらった。これはインドも同じだと中島さんが言っていたな。ありがとうって約束と同じで白々しいこと、ふたたび関係を切ることを前提にした近代的個ベースの発想なんだろうな。じゃがいもとか余った食べ物を玄関に置いておくという習慣がいまでも八丈にはあるらしいけど、それが誰かからというのはよく分からないことも多くて、分かったときも「ありがとう」とは言わずに、肘でツンと合図するくらいなのだそうだ。ちなみに「こんにちは」も言わなくて、「おっ」て手をあげてあいさつするらしい。「ありがとう」「こんにちは」がためらわれるくらいだから、ましてや「利他」なんて恥ずかしい言葉を口にしちゃう研究者は、島ではそうとうに「さむい人」という感じがする。
情報交換についてはかつては「朝参り」という習慣があったそうだ。朝、だれかの家やビニルハウスなどに集まって、情報交換する。それをハシゴすることによって、みんなの近況が島中に伝わるらしい。明治からあり、中之郷では今でも毎日やってるようだ。SNSではニュアンスが伝わらないけれど、これならいろんな意味を乗せられる。
ただ南海タイムスが2020年に無くなったことは、島の情報共有をずいぶん困難にしているそうだ。南海タイムスは政治的に中立で、どんな立場の人も読む新聞になっていた、と。守備よく、島の本屋さん(八丈島コーナーがある)で、縮刷版を購入することができた。戦時中のものもある。漁関係が多い。春休みにゆっくり読みたい。
こちらは朝のジョギングでいった「海辺のベンチ」。現地では溶岩と海の組み合わせが非人間的すぎて怖かったけど、写真で見ると光は春。