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7/12午後=パラニャーケ市  E Boxing Gym

午後は、日本人研究者Iさんと合流し、Iさんの導きでマニラの人々の生活の深部にダイブイン!半日とは思えない濃密さだった・・

Iさんとの待ち合わせ場所であり午後の視察の拠点は、Iさんが20年以上前からフィールドワークしているEボクシングジム。Eジムは元世界チャンピョンが1970年代初頭に設立したジムで、現在は子供や孫の世代が経営している。経営している、といってもここはある種の複合施設で(ただし組み合わせは日本人の感覚からすると異分野すぎる感じ)、まず敷地内のメインの建物の1階はリングが2つあるボクシングジム(プロのボクサーが使う時間帯(6-7時/13-15時)と富裕層向けフィットネスの時間帯がある)で、2階は闘鶏場(もちろん賭けながら、の男の世界。鶏の足には刃がついていて、どちらかが死ぬまでやる。)、3階は大型客船みたいな紳士マダムの社交ダンス場。その隣は数百人分の席がある大きな野外レストランがあり、その奥にある商業用プールは、さらにはボクサーたちが生活する建物や鶏小屋がある。このほか敷地外にもいくつかのフィットネスクラブを運営していたり(コロナでかなり打撃があったとのこと)、ほかにも質屋や水売り場があるようだ。ビジネス手広くやってるなー才覚あるなーという印象を受けるが、案内してくれたマネージャーのMさんの話を聞くと、むしろ引退したボクサーたちや関係する仲間たち(ファミリー)のセカンドキャリアのための場所をたくさん用意しているということのようだ。たとえば彼らのフィットネスクラブのトレーナーは、引退したボクサーがつとめている。

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Iさんとは日本でお会いしたことがあって、それが学会だったからかもしれないけれど、フィリピンでお会いすると全くの別人そのものなのだった。事前のIさんからのレクチャーで「フィリピンは東南アジアだけどラテン系です」(フィリピンのスペイン統治は370年以上(1521-1898)、そもそもフィリピン=フェリペのこと)と聞いていたけれど、何を隠そうIさんがまっさきにフィリピン化=ラテン化していたのだった。汗をかきかき満面の笑顔でジムのボクサーたちとボディタッチでコミュニケーションをとり、2分に1回ペースできわどいジョークを飛ばす(「NOシャブ、BUTしゃぶしゃぶ」)。あとでIさんが教えてくれたようにフィリピンの人たちはパーソナルスペースが小さく、このことが地方から出てきた知り合いを自宅に迎えるような「家族」の流動性の感覚や、辛いことを泣き笑いしながら話す感覚につながっていて、そのときは気づかなかったけど、たぶんフィリピンの相互扶助を物理的感情的レベルで支える配置なのだと思う。

「家族Familiy」は、ジムのマネージャーでMさんもしきりに力説していた。ジムにいる人たちはみな家族なのだ、と。この意図するところのひとつは、ケアするのが当然という感覚、つまり返礼義務がないということなのだと思う。Mさんは仕事を世話したり、お金を貸したりして一方的に与える側にも見えるけれど、そのことで自分が損しているという感覚はないようだ。kuripot(けち)はよくないよ、と。Utang na loob(心の負債)を感じなくていい相手がFamilyということなのかもしれない。

(全然関係ないのだけど、Mさんの話を聞いているあいだ、そのうしろの壁がずっと気になっていた。ブロックを重ねたような作りで、たぶんあれはボクサーのみんなで作ったのではないかと思う。Mさんの話を聞いたのはメインの建物の1階の奥の事務所のようなところで、手前にはボクサーたちの生活空間があってIさんもここで暮らしたベットやシャワーをチラ見させてもらった)

Mさんはプライベートスペースにも案内してくれて、その住居の一画はこのジムを作ったチャンピョンの資料館のようなスペースにいなっていた。印象的だったのは、チャンピョンベルトやグローブにまじって、たくさんの革靴が展示されていたこと。チャンピョンは非常に貧しい家の出身で、靴を履くということに特別な意味を感じていたそうだ。

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Iさんが著書で示しているとおり、ここは国際的な成功と名声/抑圧と暴力へととつながっている「華やかなボクシングマーケットの入り口」である一方で、スクオッターと呼ばれる不法占拠地域とつながったローカルな「貧困層の人々の日常生活の場」でもある。フィリピンは人口の1/3がスクオッターに住んでいると言われていて、このジムも巨大なスクオッター地域と隣接している。たくさんのセルフビルドの家(でも意外と高層の「建物」もある)が密集するなか、通り沿いは肉、魚、野菜、米を売る店、日用品のみならずwifiを分単位で売ってるサリサリストア、教会などが並び、生活機能がすっかり根付いているさまはスラムというより下町という印象。ジムを後にし、MさんとIさんに案内してもらいながら、そんなスクオッター地域をぶらぶらする。

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スクオッターではジム関係者2名の自宅を案内してもらうことができ、これは本当に貴重な経験だった。1件目は「リノタイプ」と呼ばれる地域のお家で、広さは5畳ほど。確かに中は狭くて、クーラーも水もない(TVと冷蔵庫はある)ので、7人入ると息がつまるような感じがするのだが、マジックリアリズム的な広さ?を感じるのだった。その理由はたぶん、何重にも重ね張りされた壁紙の模様(バラの花、緑色、木目調のビニール)やと、キッチン道具や食材、宗教的なアイコンなどが、びっくりするくらい小綺麗かつ機能的に整理されているから。とくにキッチン周りはすごくて、色とりどりの歯ブラシの並びや、ハサミのしまい方などに、いちいち感動してしまう。毎日どんなふうこの空間を掃除するんだろうか。家族の写真もたくさん飾ってあって(Iさんの写真もあった)、みんなに見下ろされている気分になる。

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もう一件目は「グルーンヴィル」と呼ばれる地域にある家で、この地域は道が入り組んでいて迷路みたいなところをずんずん進んでいく。夕食どきだったこともあり、ドアのない家から醤油とにんにく?をベースにしたいい匂いが。Iさんの著作によれば、カピットバハイ(近隣者)でおかずを分け合うのは日常的な光景のようだ。路地の奥にあったお宅は2階立てで、「2階はファイトマネーで作った」とのこと。ここも室内は絵がかざってあり、小綺麗にものがしまわれている。

印象的だったのは、家のすぐ前にナイター設備もある立派なバスケットコートがあったこと。しかもこれは行政によって作られたものだ。Iさんによれば、スクオッターは確かに「不法」占拠地区なのだが、行政の介入がまったくないわけではないのだそうだ(バスケコートのとなりにはチャイルドケアセンターもあった。もちろん水道などのインフラはないのだが)。こういったものはスクオッターの人たちから見れば交渉のたまもの、政治家から見れば集票マシンらしい。「バスケコート作ってやるからこんどの選挙ではお願いしますよ」というわけだ。そのアピールはかなり露骨で、地域のためにした手柄を示すパネルが設置されていたりもしていて(でも地面に書かれたそれは塗り消されそうになっていた)、気持ちいいくらい見返りを求める利他なのだった。日本は行政が高度にシステム化されていてよくも悪くも抜け穴が少ないが、フィリピンは逆にあらゆることが属人的で、コネ重視、その分不確実性が高く、交渉の余地も多い社会だ。日下渉さんによれば、それは裏を返せば努力が報われない社会ということでもあり、だからドゥテルテのようなディシプリン=規律・しつけを重視するリーダーを招いたという側面もあるそうだが、ディシプリン=規律・しつけの強化は自己責任論の強化であり、弱者の切り捨てにつながっていく。ケアと規律のちょうどといいバランスとは何か?システムと属人性のちょうどいいバランスとは?などなど考え始めるも、問いはさらに翌日のバランガイ・キャプテンの訪問でさらに深まっていくのだった。。

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