2/2午後=ジャカルタ(Troto Art)
午後のアポまでは時間があったので、高層ビルが建ち並ぶイケイケな地域(日本の融資でできた地下鉄もある。延伸工事が道半ばで大使館の前で止まってるらしい)を抜け、定番の観光地であるモナス(独立記念塔)に連れて行ってもらう。暑い!公園を抜け、ひとまず屋台で昼食。どの店だかさんざん迷い、そもそもこの机がどの店の机がよくわからなくなったところで席につき、定番のSOTO AYAMをいただく。
そのあと砂漠のような日照りのアスファルトをぬけ、モナスのほうへ。モナスは1975年に作られた独立のシンボルで、ろうそくの形をしてる。インドネシアの国旗も赤白の二色だけど、あれもろうそくらしい。知らなかった・・
目的は地下の歴史博物館。先史時代からさまざまな宗教の流入、オランダによる支配、日本による支配、独立、までのインドネシアの歴史が遠近感のあるちっちゃなジオラマでつぎつぎ展示されていて、おもしろかった。それにしても本当に迫害と戦いの連続だな・・
ぐったりした気分で地下から灼熱の地上にあがり、遊園地の中にありそうな電車型のバスを使って車のある場所にもどる。と、そこには本物のゆるキャラがいた。
握手は遠慮して、無事に車にのりこみ、アポの場所をめざす。途中 、Ismail Marzuki Parkというアートセンターに立ち寄る。gotongroyongの作品をつくっているTita Salinaさんが夜のレクチャーパフォーマンスのリハをやるので、ここにいけば一瞬ご挨拶できそう、とのことで。Titaさんを待っているあいだ、下のカフェで「アボガドコーヒー」というメニューを見つけ、興味本位でたのんでみる。でもこれが運の尽きで、一緒にいた人が「アフォガード」という音が似たメニューを注文したために、やな予感はしていたんだけど、やっぱりバニラアイスの上にエスプレッソをかけたやつが2個でてきてしまうのだった。「いやいや違うよ、たのんだのはアボガドコーヒーだよ」と通訳さんにクレームを言ってもらったら、こんどはアボガドジュースが出てきた。もういい。
そんなこんなで午後のアポの場所をめざす。目的地は、空港にも近いTroto Art。Trotoとは「歩道」という意味で、カンポンのなかで活動しているコミュニティだ。そのカンポンは高速道路の下にあると言う。
細い道を強引に車で進み、ついた先にあったTrotoArtの拠点は、カンポンの中でもかなりシビアだと思われるカンポンの中にあった。私を含め日本から来たメンバーはあまり細かいサインに気が付かないので、ある意味ぼーっと見てしまうのだけれど、何より現地の通訳さんの表情が違う。明らかに緊張しているし、その後もTrotoArtリーダーのジョニーさんの通訳をするのをためらう様子が見られた。とにかく人が多い。バイクがくる。路地に入って靴の紐を直そうとしゃがんだら、側溝の隙間から蚊?ハエ?の赤ちゃんたちが湯気みたいに立ち昇ってきた。ここに住む人たちはコロナのときはどうしていたんだろう。近くに下水がたまる川があったから、洪水も頻繁に起こっているにちがいない。
Troto Artの拠点の入り口は楽しい雰囲気でお菓子やテンペを売っていた。奥にとおされ、キッチンのあるスペースで話を伺うことに。ジョニーさんはこのカンポンで生まれ育った独学のストリートペインターで、1989年に活動を始めたそうだ。こちらは近所の共同浴場にジョニーさんが書いたという絵。
だがその後、2001年にArt Publicを始め、それがTroto Artにつながる。このあたりの地域では貧困のため学校に言っていない子供が多く、そうした子供はギャングになってしまう。薬物も横行していて、School gang fightsばかりなのだそうだ。そんな環境で独学でペインターになったジョニーさんはそれだけでそうとうすごいと思うのだが、ジョニーさんとしては学校に行っていない子供たちが気掛かりである。そこでそうした子供たちや、彼らの両親たちといっしょに、ミサンガや髪飾りなど手芸的なものを作る、という活動をはじめた(もともとこの地域はテキスタイルが盛んらしい)。とにかく自分にはできるという感覚、楽しみをもつことが重要で、地域のエンパワーをしたいという気持ちが核にある。
ジョニーさんは地域の中だけにとどまっておらず、知事や政府系機関とのつながりも構築しているし、2015年のジャカルタビエンナーレに出品している。そのときの動画がこちらで、このカンポンの様子もわかる。あとでその場所を案内してもらったけど、サッカー場らしきスペースがゴミだらけになっていたのだが(ゴミというか死体もあったと言っていた)、そこをみんなで整備するプロジェクトを行ったそうだ。
さらにTroto Artは高速道路の下にレジデンススペースを整備していたり、日本人をふくめ海外からのアーティストの訪問もうけいれているそうだ。ジョニーさんの家やカンポンの中も少し案内してもらったけど、途中からどしゃぶりの雨がふりだして、夕暮れも相まって、なんか映画スワロウテイルのような景色になっていた。
帰り際、ジョニーさんはほかほかのテンペのフライをもたせてくれる。雨のなか車で走り出すが、道が狭くてアリの巣にモグラが押しかけたような格好になってしまう。この角ぜったいに曲がれないでしょ、という角を曲がろうとしたり戻ったりの針の穴に糸を通すような運転で、カンポンから抜け出すのに1時間くらいかかる。やっとのことで高速に乗って空港へ。ケアをさがす旅はここまで。夜の便で寝たまま東京に帰りました。
(引用・転載禁止:筆者のメモと記憶で書いているので、事実と違う場合があります。悪しからず・・)