私の手の倫理(10)会話を歩く為の手
食道がんで喉頭を摘出して
肉声の無い生活をしています。
なので名前を呼ぶ、喋る、笑う
などが音声で出来なくなり今は
言葉も感情も相手に見て貰って
初めて伝わる形になっています。
"ねぇ"、や"あの…"、と声を掛けて
気付いて欲しい時には身体に触れたり
ひらひらと手を振ったりして
先ずは触覚や視界に入ります。
主な会話は液晶画面の文字表示や
顔絵文字の手書き。そこに表情や
手話、身振りなどが付いてきます。
入力や書く事は多少時間が掛かり
ニュアンスが伝わりきらない事も
ありますが、相手の方の肉声を介した
意識にそれ以外の"手"で触れに行くのは
緊張感があり何処か不思議です。
喋りたい気持ちはまさに
喉から手が出る(喉元に開けて呼吸を
している気管孔から意識の手を出して
伝えようとする)感覚です。
伝えたい事を考えている時には、
ペンを持ち文字入力をする右手が
首を傾げたりする様に動く癖が。
短く的確な言葉を探り、忘れ逃さない
為にも思考のネジ巻き的な無意識の
ものみたいです。
言葉や意味の輪郭を示すのに重要な
文字表示も、感情や表情が響き合い
会話に慣れてくると嬉しくなり
見せる為の書き出しをするよりも
身振り手振りに気持ちが入ります。
最初は手袋をはめていたのが
素手で触れ合える様な、テンションの
波動を感じる方が大切になります。
心に触れ伝え話そうとする意識の手。
伝える為に働き動く身体機能の手。
これらの手を使いながら、静かに
時に賑やかに日々会話を歩いています。
(Y. I.さん)