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3/24 名古屋

以前インタビューさせていただいた方と名古屋駅近くでお茶をする。2年ぶりにあえてとても嬉しい。

中世の修道女は痛みを神からの呼びかけだと理解していた、というところから、その方が神学部で学び、右から左までいろいろな宗派の集まりに行った経験があることを知る。たしかに宗教は、痛みなど体に起こる出来事に対する理由づけの仕組みという側面があり、身体論として考えられるものなのかもしれない。自分の痛みを通じて他者の痛みを感じること、についていつか考えてみたい。