2/1午前=ジョグジャカルタ(Jogja Disability Arts)
今日もいい天気。最初のアポは8:30にJogja Disability Arts、って早くないかい?と思ったけどインドネシアではこの時間は別にふつうみたい(公立の学校の始業時間は7:15!)。
(移動中、車中から見えるグラフィティやポスターをパチリ。真ん中の黄色と黒のポスターもそうだけど、社会主義リアリズムっぽい絵をときどき見かける。赤狩りは激しかったはずなのに、あれはどこから来たものなんだろう?)
めざすJogja Disability ArtsのR.J. Katamsiギャラリーはジャカルタ芸術大学(ISI)の中にある。建物に到着するとJDAのリーダーであるButongさんが外まで迎えてにきてくれていた。Butongさん、とっても魅力的な方だったな。ジョグジャで初めて乗るエレベータで2階にあがり、JDAのオフィスとギャラリーの間の廊下というかホワイエ的な場所にみんなで座る。建物の中なのになんとなく屋外っぽいところに集まるのが勝手にジャワっぽく感じてしまう。ギャラリーはこちらも選挙期間のため展示はなく、もぬけの殻。
途中合流してくれたNano Warsonoさんとともに、JDAについてヒアリング。どこに行っても飲み物と複数の種類のお菓子でもてなしてくださるので、恐縮してしまう。(大学の場合、こういうのの経費はどうなっているんだろう?)NanoさんはISIの先生で、さっそく朝イチで授業の準備を済ませてきたとのこと。お会いしたときはサングラスをかけていて表情がわからなかったけれど、アメコミ風?のポップな絵を描いているアーティストみたいだ。2人が出会ったのは2018年。Butongさんはそのとき別のコミュニティを運営していたのだけど、それが解散して、Nanoさんのプロジェクトの公募に応募して意気投合して合流することになったそうだ。
手渡してくれたJogja International Disability Arts Biennale 2021とPameran Mini Festival: Suluh Sumurup 2022 (小さな展覧会祭り: トーチ?)のカタログをめくりながら、おすすめのアーティストを紹介してもらう。前者のキュレーターはButongさん、後者のキュレーターはNanoさん。
名前があがったのは、イギリスの義足のアーティストAndrew Bolton X Oggzや、バリの伝統絵画を彼女なりにアレンジして描いているWinda Karunadhita、日本でも賞をとっているらしいAbell Young Johakartonoなど。Pameran Mini Festival: Suluh Sumurup 2022のほうでは、昨日おじゃましたPara Rupaのインスタレーションも展示されていたみたい。
おもしろいなと思ったのは、アートにかぎらず社会制度の多くがインフォーマルな活動によって支えられているジャワのような世界においては、正規の教育を受けている/受けていないで線引きをする「アウトサイダーアート」という概念が、そもそも成立しないということだ。この展覧会に出品しているアーティストはみんな、自己流で絵を描くようになったり、地域のコミュニティの活動の中で作品づくりをするようになったわけだけど、それは障害の有無にかかわらず、ジャワではむしろ普通なことなのだった。一方で彼らの活動拠点はISIという大学の中にあり、そこには正規の美術教育を受けている学生がいて、中には障害のある学生もいるらしい。でも、Nanoさんのようにフォーマルとインフォーマルの両方で活動している人がいる以上、両者の区別はあいまいで、何がインサイダーで何がアウトサイダーなのかという境界は不明瞭になっていく。もっとも、このあたりは美大卒であうことが、卒業後の活動にどの程度影響するのかとか、もっと厳密に見ていかなくてはいけないけれど。
実際、JDAは大学の中にギャラリーをもちながらも大学の外にスタジオを構えていて、そこで月に4回、子供向けのWSを開催しているそうだ。すべてがcommunity base でgrass rootsだ、と彼らはいう。(このスタジオにも言ってみたかったけど、やはり選挙中でお休み。)
でも展覧会をしたりして特定のアーティストをプッシュするということは、メンバーの中に「売れている作家」と「売れない作家」を作ることになり、コミュニティを分断することにつながるような気もする。その疑問をぶつけてみたところ、ここでもgotong royongという言葉がでてきて、たとえばバリのWindaさんは、自分の作品が売れると、売り上げの半分はコミュニティのために使うようにしているのだそうだ。作品を売っているわけで、Disability Artだからといってチャリティにはしない。でもその売り上げはコミュニティの強化のためにも使う。これがJDAの哲学なんだと思う。
帰り際に見せてくれた動画も痛快だった。四肢に障害がある人のための松葉杖が楽器に魔改造されている・・。アンプにつながれた松葉杖を真顔で奏でる人、そして白杖も穴を開けられて笛に・・・シュールすぎる。
魔改造の極めつけはButongさんのバイク。彼は左手が使えないので、ブレーキが足で操作できるようになっており、さらに杖を置くためのサイドカーがとりつけられている。そしてButongさんはこの改造を全部自分でやったらしく、このバイクでジャカルタの実家まで行っちゃうらしい。この改造、法律的にどうなんだろう・・なんて制度の枠を確認するより先に、自分の手でなんでも問題を解決しちゃうDIY力の高さ。(こういうバイク改造は他にもいろいろあるのかも。今回、行く機会がなかったけど、Difa Bikeの活動も気になる)
その後、大学を後にし(構内の壁にもでっかくgotong royongと書いてあった)、初日にお会いしてgotong royongというキーワードをくれた北澤さんのスタジオを訪問。展示やイベントもここでやりたいというできたばかりの東屋でお茶をいただいたのち、ご自宅やその近辺の路地を案内していただく。生活の様子が見られるのは貴重だ。
ご自宅は窓の格子の幾何学模様がなんとも可愛い猫の家。トップライトから光が入る明るい室内と大きなキッチン、玄関の脇には北澤さんに作品が展示されているギャラリーみたいに客間がある。道に出ると北澤さんは近所のおばちゃんに話しかけられるまくるのだが、途中には町内会で交代で担当する見張り用の小屋(テレビつき)や市場が。市場はもう終わりかけていたけれど、卵、肉、野菜、日用品などなんでも売ってる。
その後北澤さんにお礼を言って海沿いのNEW Yogya International Airporへ。お昼ご飯は空港内のGudeg Yu Djum Pusatというレストランでジャックフルーツ料理をいただく。ジャックフルーツはよく肉の代わりの食されるフルーツだけど、ここでは鶏肉や卵といっしょになってでてきた。予想を裏切らずぐだぐだになるまで火が通してあって、甘いのだけど、ご飯にあう味で美味しかった。
のんびりしていたらフライトのファイナルコールぎりぎりになって、乗り場まで走る羽目に。間に合ってよかった。午後はいざ、ジャカルタへ!
(引用・転載禁止:筆者のメモと記憶で書いているので、事実と違う場合があります。悪しからず・・)