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1/31午前=ジョグジャカルタ(Para Rupa Yogya)

今日から本格的にリサーチスタート。朝食にナシゴレンとパパイヤをいただき、ミニバンにのって出発。(そういえば今回の旅は、ほとんど外を歩かなかったけど、それは私たちが外国人だからというより、ジョグジャの人もとにかく歩かないみたい。北澤さんによれば、「すぐそこまででもバイクをつかう」。)

最初の訪問先はPara Rupa Yogya。Paraはパラリンピックとかの「パラ」で、Rupaは「アート」、つまり「パラアートジョグジャ」という意味だ。

彼らの活動拠点はすてきな細い路地の奥にあり、車はそこまでは入れないので、車道沿いで車を降りていくことになる。と、そこにはもうおじさん4人と女の子とおばさんが「ようこそ〜」てな感じで出迎えてくれていた。挨拶もそこそに路地に入っていくが、おじさんのうち一人はPara Rupa Yogyaとは関係なかったみたい。何食わぬ顔であんなに4人ぴったりならんで立っていたのに。誰でも潜在的に友達であるってこういうこと?

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路地の入り口には赤と緑の手作りらしいゲートがついている。あとで知ったけどこの路地まわりの最大30世帯(デサ=村落部)ないし50世帯(クルハラン=都市部)がひとつのRT(隣組)を構成するらしく、「私たちのRTへようこそ的」なゲートなのかもしれない(推測)。ちなみにその後ジャカルタで訪問したLabTanyaの話では、さいきん国が設置した妙に近代的なゲートもあるらしく、でもそれは本当にRTに必要なサポートではないのに、とのこと。

ちなみにこういうRT掲示板みたいなものがあちことにある。めざすPara Rupa Yogyaはこの広めのところ。

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すてきな路地をジャランジャラン。

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そしてPara Rupa Yogyaのスタジオに到着。関係者20名くらいが集まり、半分は室内のゴザの上、半分は屋外のテラスにはみだして丸くなる。あちこちでみかける鳥カゴがここにもあって、みんなの頭の上からきれいな声でピーチクしていた。私は室内に座らせてもらったのだけど、壁がスプラトゥーンみたいなライムグリーンに塗られていて、敷かれたゴザも緑だった(ハンガーもカップホルダーも緑)。その緑空間の中にピンクのストライプの服を着てピンクのヒジャブをかぶった、でもシックな雰囲気の女性が床座りしている。入って右にはカラフルな服がいろいろ。一瞬、古着屋さんみたい。しまってあったドットペインティグも出してきてくれた。

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Para Rupa Yogyaの発足は2019年4月。その名のとおり障害のある人のアート活動を行っているのだけど、その特徴は「少人数」で「家族ぐるみ」の運営をしていること。現在6家族が所属しており(うち1家族はアクティブではないので実質は5家族)、それぞれ病気、知的障害、精神障害、ダウン症、自閉症の子供がいるそう。つまりここに集まってくれている約20名は、子供達と、そのお父さんやお母さんたちなのだ。子供だけだなく家族が楽しむことが重要、と教えてくれた。

ヒアリングは通訳の関係もあって2時間くらいの長丁場だったのだけど、その間、子供たちもつきあってくれた。ひとりの女の子は途中から丸いビーズでブレスレットを作り始めた。別の子は風邪気味なのか、ずっとティッシュで鼻をかんでいた。

彼らが2022年に開催した展覧会のテーマは、ズバリ「Familiy Kin」だったらしい。月に1度集まってテラスで作品を作っているのだけれど、その成果展だ。あるお父さんが、展覧会のパンフレットや展示風景の写真、雑誌記事を見せてくださる。印象的だったのは、展示の形式がインスタレーションだったこと。つまり絵画なら絵画だけを見せるのではなく、その子供の生活空間全体を見せているのである。自転車が好きな子の作品のところには、自転車が置いてある。

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見せてもらったパンフレットも、作品じゃなくて子供のことを顔写真入りで紹介している。表紙になっているレモンクッキーがたくさん乗っているようなオブジェは、みんなで制作したそうだ。件のお父さんは、制作において子供たちに何かを強いることはない、と言う。あくまで子供たちがやろうとしていることをサポートしている。

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ちなみに「家族」「少人数」という方針は、彼らのfacilitatorであるMoelyonoの方針だと言う。Moelyonoは、Seni Rupa Penyadaran(Art for conscientisation)というシリーズ本が出るくらいインドネシアアート界では重要なアーティストであるようで、昨日買ったArtisit and the Peopleでもがっつり紹介されていた。それによればもMoelyonoはアートを「解放のためのツール」と捉えて、周縁化された人々のコミュニティにかかわる活動や作品制作をしているらしい。

こちらは2023年の作品(出典はこちら:本人による動画解説あり)。アクティビストっぽいアーティストをイメージしていたのでこういうリアリズムっぽい絵画を最近も書いていることにちょっとびっくりしつつ、でもこれは東ジャワのLudrukという演劇を描いたもの(この演劇の話はその後HONFでも聞いたかもしれない)だそうで、手前にはトランスジェンダーの人がいたり、フランシス・アリスみたいに氷を運んでいる人がいる。もともとLudrukにはトランスジェンダーの役があるのだそうだ。Ludrukのパフォーマーと一緒に5年かけて制作したらしい。

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Artisit and the Peopleで紹介されていたのは、2011年のインスタレーションRetak Wajah Anak-Anak Bendungan(Distintegrating faces of children of tha dam)。出典はこちら。動画はこちら。ダムに沈んだ村の子供達のポートレイトを水位を示すメーターなどとともに展示したもの。

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話を戻して、そのMoelyonoにfacilitatorとして関わってもらいながらPara Rupa Yogyaが活動するにあたって、提示された条件が「少人数」「家族」だった。障害をもった子供達のいる家庭があつまって一緒に場を運営するなんて、まるで…と思っていたら、お父さんの方から例のキーワードが出た。そうgotong royong(相互扶助)。困ったら助けあう、そして自分たちでつくる。2006年の地震のときにはDIFAGANA’s (People with Disabilities Task Force for Disaster Response)というコミュニティができたりして、そういうのはgotong royongのimplementationなのだとお父さんは語った。

RT/RWの活動についてもいろいろ教えてもらう。そもそも月に1度集まって制作するPara Rupa Yogyaの活動はRT/RWの町内会活動をモデルにしたものなのかもしれない。メインとなるRT(これは基本的に男たちが参加)のほかにサブワーキング的な集まりがあるらしく、そこにはPKK(ペカカ)と呼ばれる婦人会もあるそうだ。日本の頼母子講や沖縄のもやいみたいに、みんなでお金を出し合って必要な人が使えるようにする庶民金融的な仕組みもあるそう。そういえばこのPara Rupa Yogyaの集まりも、なんかPTAみたいだ。

Para Rupa Yogyaのお父さんお母さんたちは、障害者に対するスティグマをなくしたいと語るが、そういう話をしていて感じるのは、彼らの中に、子供<家族<地域<州<国が、同心円的かつシームレスに拡張していくイメージがあることだ。つまり家族がよくなればおのずと地域がよくなり、地域がよくなればおのずと州がよくなり、州がよくなればおのずと国がよくなる、というある意味では「希望」を持って活動しているように見える。日本にいると、少なくとも私はそういうイメージはもてない。たとえば自分の職場の仲間のあいだで何か活動することと、政治を変えるために活動することは、まったくルートが別に思える。お父さんお母さんたちがそういう同心円・シームレスのイメージをもてるのは、もしかしたら国の政策がRTを通じて直接末端まで伝えられている、というトップダウンの仕組みがあるからかもしれない。でもだからといってボトムアップを信じられるのはなぜなんだろう?

帰り際、奥の部屋を見せてもらうと、そこはろうの子供たちがミシン仕事をするスペースになっていた。高級ホテルのリネンの発注なんかも受けているみたい。

(引用・転載禁止:筆者のメモと記憶で書いているので、事実と違う場合があります。悪しからず・・)