2/1午後=ジャカルタ(Gudskul)
午後3時、ジャカルタ入り。空港を出た瞬間にジョグジャとのギャップに驚く。なんか都会だ。みんなスマホみてる。用もなくだらだらしてる人がいない。
ホテルまでは高速道路で一直線。春節ムードのホテルでしばし休憩したあと、ruanrupaのGudskulをめざす。やばいよやばいよと言われていたジャカルタの交通事情。確かに道がくねくねしててめちゃくちゃ混んでる・・雨に濡れたビルとバラックの町を横目に見ながら到着を待つ。
Gudskulは、ギャラリーあり、シアターあり、スタジオあり、カフェあり、ショップあり、保育施設あり、リビングあり、レジデンススペースありの、非営利複合文化施設だ。でも日本のアートセンターみたいなものとはだいぶちがう。Gudskulの正式な名前は、Contemporary Art Collective and Ecosystem Studies。ここはつまり学びのプラットフォーム、学校なのだ。というとまたカルチャーセンターみたいなものを想定されそうだけど、そうではなくて、アーティストたちがお互いの経験やスキルをシェアしつつ、共に(コレクティブに)学びながら仕事を進めるラボみたいな場所。企画としては展示やイベントもやられているけれど、日々の風景としては、夜になるとどこからともなくアーティストたちが集まってきて、音楽をかけながらコーヒー片手に夜中まで延々と議論している感じだ。日本語の動詞でいうなら「だべる」かな。
ここができたのは2018年。2022年のドクメンタ15で芸術監督をつとめたジャカルタのコレクティブruanrupaが、SerrumとGrafis Huru Haraといっしょにつくった。以前はスペースを借りていたけれど、音が近隣にも響いてトラブルになり、このスペースを購入したとのこと。ただしまだ購入しきってなくて、「今はこの道路のとこまでがウチ」と、陽気なruanrupaメンバーが教えてくれた。彼女に施設内を案内してもらう。全体は二階建てで、1階がパブリックスペースだ
ギャラリースペース
ruru radioを配信するスタジオ(青)と、服やら本やらの雑貨を売ってるrurushop(黄)、半屋外のだべりスペース
コーヒーや紅茶はカフェブースkuluk kulukで注文
キッズスペース。ruanrupaのメンバーが子育てをするようになったからできたとのこと。
ひとしきり施設内を案内してもらったあと、じっくり話を聞こう・・と思っていたのだけど、その前に気になっていたrurushopを物色。すぐ出てくるつもりだったのだけど、かわいいイラストつきのカバンと本が欲しくなり、スタッフのお兄さんにお願いしたら「このカバン、値段がよくわからないから友達に電話してみるね」とスマホとにらめっこ。同行のTさんの買い物についても、なぜか計算をレジではなく手計算(筆算)でしはじめ、結局お会計に30分くらいかかったよ・・Javanese time
彼らがEcosystem(生態系)という言葉を使うのは、お互いに影響しあい、依存しあっているからだという。"Having so many problem triggers helping each other"なのだと。trust currencyとお金がここでは両方循環していて、それはRTの仕組みと似ていると言っていた(RTでも見回り当番に行きたくなければお金を払う形でもよいらしい)。大事なのは、Humanity、Curiosity、Local Anchor。
世界中で仕事をしている彼らだけど、メンバー内のコミュニケーションは基本オーラルなのだそうだ。とにかく話す。メールでアジェンダ流したりするけど、それはあまり信用してない。とにかく三度の飯よりnongkrong。nongkrongとはもともと「しゃがむ(ヤンキー座り)」という意味で、gotongroyongとも関連するジャワのおしゃべり文化だ。雑談と本題の区別がないまま進行していくようなよりあい的「だべり」の時間。昼に始めたnogkrongが夜中の1時くらいまで続くのはふつうらしい。もちろんみんながずっと集中して議論に参加してるわけではなくて、トイレ行ったりタバコ吸いにいったりご飯食べにいったり、出たり入ったりのふらふら自由参加なわけだけど(zoomでの事前meetingでも、人が入ったり出たりしてた)。仕事の依頼がきたときの役割分担とかもあまり明確に決めていないみたいだし、そもそもどこまでがruanrupaのメンバーなのかの境界もあいまいみたいだし、国内の仕事はまだしも、欧米のきっちりした相手とどうやってビジネスしてるんだろうか??いずれにしても、このnongkrongこそが、ruanrupaがドクメンタでかかげた「アートを作らないで友達をつくろうNO ART MAKE FRIENDS」の実践であると深く納得。そしてnongkrongにはやっぱり半屋外に長時間いられる熱帯の気候が不可欠なんじゃないかという気もしてくる(*)。
ちなみにnongkrongに関しては、ポーランドで開催されたgotongroyong展関連のこちらの動画でも、Irwan Ahmett & Tita Salinaが話題にしている。セブンイレブンはインドネシア参入に失敗したのだが、その原因は、若者が涼しい店の中を待ち合わせ場所にして、コーラ一本で長時間nongkrongするかららしい。nongkrongという生産性に寄与しない活動が、期せずして資本主義やジェントリフィケーションに対するプロテストになった、と。台湾でも、出稼ぎで家事労働などに従事しているインドネシアのマイクロワーカーたちが、休日に駅前のスタバでnongkrongして店を占拠し、こちらも期せずしてプロテストになっている。(1:08あたり、台北の様子の映像有)
学ぶことを目的としてる学校だから、失敗を大事にしてるという話も印象的だったな。基本が忍耐強いから、成功/失敗の判断を先延ばしにできる、結果を待てる、ということなのかもしれない。
夕食はGudskul近くの屋台でナシゴレン。小さな屋台なのに中華鍋で器用に人数分調理してくれる。現地スタッフの方にお腹を心配されたけど、今回の旅でいちばん美味しかった気がする。
(*)nongkrongには半屋外にいられる熱帯の気候が不可欠、と書いたけど、案外そうではないのかもしれない。たとえば、建築家の金野千恵さんは、イタリアのロッジアという半屋外のスペースに注目し、韓国のような非熱帯の地域を含め世界のあちこちに同様の空間が存在していることを教えてくれている。金野さんといえば春日台センターセンターが有名だけど、ここにも半屋外のスペースがうまく作られているし、この記事では半屋外とケアの関係について語っている(福祉楽団 地域ケアよしかわの写真、なんかGudskulに似てる)。金野さんとは関係ないけど、半屋外とケアといえば、アーケードのあるカプカプもそうだった。まざるスペースが重要なんだと思う。
(引用・転載禁止:筆者のメモと記憶で書いているので、事実と違う場合があります。悪しからず・・)