私の手の倫理(14)心と声を表す手
食道がんで喉頭摘出をしてから
肉声の無い生活をしています。
今迄は口から噴霧の如く響かせ届けて
いたものが2020年春先の術後は、
言葉や感情の多くが相手の方の視界に
入って見せ伝えるものになりました。
タブレットへの文字入力、筆談、手話、
ジェスチャーに表情…とさながら
気持ちに字幕を付ける感覚です。
(映画の文字表示で"まさにこれだ!"と)
相手を待たせたくなくていかに
短く言葉へ的確に想いを込めようか…
迷う時には首よりも"手首を傾げる"
という独特の癖も現れ馴染みのものに。
"口を突いて出る"筈のものが手の方に
降りてきているからかもです。
言葉にはなりきらない宙を掬う手話や
手振りが、咄嗟に出てしまったりも。
それでも相手の方が〇〇なのね!と
雰囲気で解ってくれる事も多く、
受け手の感覚と自身の朦朧な手の所作に
甘える事もあります。
この生活も2年を過ぎて、文字伝達の
表記も変化しています。
例えば言葉で"おいで!"という時、
"おいでぇ!"なら目配せをして
強めの手招きになり
"おいでぇええぇぇ!"だと、大きく
声を張り呼び寄せながら両手を広げて
迎える…みたいな違いが出ます。
実際の手の振りや顔の表情で足りない
感情の起伏背景、それが打ち込みでも
語れる事になってきましたね。
消えた肉声の変換を文字並びに大きさ、
熱や声量の伸びに強弱…の微調整が
指先でも出来ると嬉しくなります。
この出し方で以前より話も盛り上がり
見せ伝える事は勿論大切ですが、
気持ちを素手で掴めている感があり
自身も"喋れているな"と思えています。
会話の歩き方や振る舞いの中、動作と
文字で"嬉しくて叫びながら駆け寄る"
様なニュアンスが加わると更に
外に現す表情が豊かになります。
意識に輪郭を与え、自他の心へと
伸ばして交流をする手はこれからも
どんな働きをしてゆくか楽しみですね。
(Y.I.さん)