私の手の倫理(6)仏像の修復
大英博物館で修復のインターンをしていたときに、自分が足の部分を担当していた仏像の手に自分の手を合わせたいという欲求がすごくあって。右の手のひらを前に向けている姿で、調べたらそれは「don’t fear」という意味でした。それである朝早く仕事場に行って、誰もいないときに横に座って手を合わせてみました。もうゾクゾクっとする感じでした。手を合わせたことで、この仏像が言っている「don’t fear」ということが入ってきて、将来私が落ち込んだりしたときに、この感触を思い出すんだろうなと思いました。心が通じたというか、特別な感覚でした。仏像も床に寝ていると、威圧的じゃなくて、親近感があるんですよね。普段見下ろされているのに、私が見下ろすというのは変な感覚ですね。(S. M.さん)
像を触ることで分かるものは何層かのレイヤーになっていて。肖像でバストだと、修復するときも、モデルになった人をイメージしますよね。その人はもういないんだなあと思う。さらにそれは誰かが作ったわけだから、作った人のことも考えるんですが、裏側を見たりすると鑿で荒く削ったところとか、石膏だと手で掻き出したりしたところがあって、そこを手でなぞったりします。素材自身の歴史もあります。たまに石のなかに小さい化石が入っていたりして、何億年か前の生き物を感じたりします。前の世代の修復の方がやっていらした仕事も見えますね。
修復の仕事をしていると、「親密になる」ってみんな言うんですよね。一緒にいるという感じで、手放しちゃうのが淋しいです。(S. M.さん)