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大岡山研究会レポート(9月)

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今年の4月から、目が見える人と見えない人で月に一度の研究会を開催している。テーマは、ざっくり「感覚」や「身体」。より特定されたトピックとして「アート」や「美術鑑賞」についても扱っている。メンバーはほぼ固定の5−6名。当初は毎回「色」「錯覚」といったお題を決めて、参加者が自分の経験を持ち寄るという形で進めていた。だけど、それだとどうしても「見える人が見えない人の話を聞く」ばかりになり、見えない人にとっての発見が減ってしまう。ならば素材はすでにあるものを使いそれについて各自の視点で議論すればいいのではないか、という話になった。そんな手探りと紆余曲折を経て、9月以降は私がチョイスしたテキストをみんなで読むことに。しばらくは「ソーシャル・ビュー」に関わりがありそうなテキストをいろいろ読んでみている。ほとんど内輪向けのものだが、毎回担当者を決めて、その記録をこのウェブ上に残していくことにする。


9月の研究会レポート(担当=伊藤)

開催:9月28日(月)19:00〜21:30 伊藤研究室にて

佐々木敦『「4分33秒」論』

下條信輔『意識とは何だろうか』

アメリア・アレナス『みる・かんがえる・はなす』

参加者の興味をさぐる意味もこめて、上記3つのテキストから各3〜4ページを選んだ。事前にテキストデータの形に変換したものを配布して各自で目を通しておき、感想メモを伊藤が受け取って当日の研究会を進行した。

とても面白かったのは、テキストの内容以前に、それぞれの筆者の文体が話題になったこと。これは目が見えない人ならではのアプローチで、要するに音声読み上げソフトで聴いたときに聴きやすい文体と、そうでない文体があるらしい。確かに目で読む場合には、多少分からない部分があっても理解を保留して「あとから読み返そう」くらいの気持ちで気楽に読むことができる。しかし音声読み上げソフトで読む場合には、ソフトが時間を管理することになるので、「分からないな」と立ち止まってしまうとそこから先が頭に入ってこなくなってしまう。修飾語を長くしすぎないなど、工夫が必要そうだ。

加えて、同じ文章でもどの音声読み上げソフトを使って読むかで印象が変わるということが話題になった。「新しいSiriは、人間に近づいた分だけ余計な感情がはいってきて、それが嫌味に聞こえる」なんていうこともあるらしい。また人間の声による朗読も、人によってやはり相性があり、特に小説を読む場合には問題になるそうだ。

目の見える人が読む場合は、書かれたテキストと読み手がダイレクトに結びつくが、見えない人が読む場合には、テキストと読み手のあいだに媒介物が入る。それは場合によってはノイズだろうが、媒介物によってテキストの意外な一面が見えてくるということもあるだろう。見える人にとっての「フォントの種類」や「誌面のデザイン」に相当するものだろうか。今まで考えたことのない側面だったのでとても面白かった。

それぞれのテキストの内容に関することでいえば、完全な沈黙がないように、完全な闇もないのではないか、という話が興味深かった。目の見えない人でも、カラフルな七色の粒が上から降ってくるのが見えたり、閃輝暗点で螺旋状の幾何学模様が見えたりする場合があるそうだ。これは純粋に神経的なものだと考えられるが、混雑した場所で見えると注意をそがれてしまうので、やっかいだ。またビジュアルの夢も見るとのことで、見えない人の夢の特徴はむしろ「夢から醒めたときに何も見えなくなる」というところにあるようだ。