私の手の倫理(12)噺の手
高座を初鑑賞しました。
座布団から動かずに繰り出される
喋りが人、動物、もの、景色の
情感を発して引き込みます。
これは落語家さんの"手"だなぁ、と
感じました。
まぁ近頃は…と昨今の事を
ほぐす言葉で軽快に歩み寄り
〜なのでごさいます、と情景を
引きで見せる滔々とした語りが
こんな風かな?と映像を脳内に
招き立ち上がらせてくれます。
話では旦那、おかみさん、娘さんに
小僧さんらが瞬時に入れ替わり
次々に出現。
声の強弱、早さ、上げ下げ次第で
本人と呼び掛け相手の距離感に
表情迄もが浮かんで顔の向きに視線、
背景はどんなか、が一変。
お(→)い!と、お(⤴)い!の声ひとつ
でも意識の伸び縮み感がまるで違う
面白さがあります。
例えば頼み事の時。
どうよ?と座った膝を軽く
手の先でつつかれるのと、
おねげぇしますよぉ!と懇願されて
肩を揺すられ腕を引っ張られ…
みたいな異なる手の使い方の
ニュアンスです。
ねぇお前さん、的な時には
顔が色っぽくなるのと同時に
声の目配せに揉み手もありますね。
からん、ころん…の下駄音も
高いか低いか、早いかゆっくりかの
声で軽やかにもおどろおどろしくにも
歩かせ方が変わってきます。
縦横無尽にやって来て導く言葉に
巻き込まれ笑いや拍手が
湧き起きるのも、反射的にいいぞ!
良く言った、そう来るか…を
多さや長さで客席から飛ばす
まさに手応えになっています。
心揺さぶり掴み遊ばせてくれる
噺家さんならではの声の手。
席に居ながら意識を引かれ
出逢う新たな時空の景色。
自由に描くそれらに包まれる
何とも楽しいひとときですね。
(Y. I.さん)