Macical Mystery Tour

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私の手の倫理(19)声と言葉を探る手

2020年に食道がんで喉頭摘出以来
肉声の無い生活をしています。

会話は主に筆談やタブレットへの
文字入力と表情や身振りなどです。
あとは食道発声(食道入口部の粘膜を
声帯代わりに息で震わせて"げっぷ"の
要領で声を出す)です。こちらは未だ
日常会話レベルには厳しく、最近
咄嗟の時の発話に備えて人工発声器
EL(エレクトロ・ラリンクス)を使い
始めました。

ELは外してしまった声帯代わりの
振動を発する機械で、喉元で「あ」の
音がはっきり響く場所を探し当てて
口と舌を動かすと息を吐かなくても
声になります。
今までは指先を通して文字変換する
のに相手を待たせない為にもなるべく
凝縮した言葉を考え降ろしていたのが
瞬時に声を出せる様になり、喉で震える
拡声器がやって来たみたいです。
発音が鮮明な喉の位置は日によって微妙
に変わるのでELで声を出しながら触れ
決め、調節ボタンでイントネーションも
付けます。喋りのイメージはAI登場以前
のロボットといった所でしょうか。
これも自身の声、と認識されてゆくの
かな…と不思議な感じでもあり慣れる
のに日々手探りですね。

ちょっと悩ましいのがELは
は行=はひふへほ、で語感の輪郭が
何だかぼやけてしまい
あ行=あいうえお、になります。
例えば「星(ほし)を見る」は
「推し(おし)を見る」に聞こえるそう。
区別が出来る迄は「空のお星さま」など
伝わり易い発音と言葉を探すのも
課題になりました。

声と言葉を届ける方法が増えてきて
話す事の意識の使い方や感覚は
今後も色々面白くなりそうですね。

(Y.I.さん)

私の手の倫理(18)「座る」を受ける手

ポール・ケアホルムの
ミニマムデザインの椅子を観て座って
きました。
潔い設えは鮮烈ながら人を想う温かさが
あり、其処に身を置く人達の体幹にも
新たな線を引ける様に感じました。

合理的機能性を支えるものには
意識の輪郭や線描点描があります。
素材も革、スチール、成型合板、藤
…と硬さやしなり具合、編み方など
質感ならではの特性も活きてきます。
椅子の横顔からは作品の背骨を感じ、
実際座ると背骨と付随する材質からの
感覚の意外性に驚かされました。

椅子のフォルムによって身体は
腰=落とす、沈める、置く、掛ける
背=もたれる、寄り掛かる、伸ばす、
沿う…などになり
アップルパイの表面模様に似た編みの
座面は、繋ぐ線と隙間で受けられて
いる感が独特です。
腰回りに触れる硬さ柔らかさが膝上の
付加に響き、足への力加減も脱力か
伸ばす方がいいかが異なります。
後ろからU字状に包むものや肩から
手が生えたかの様に支えるものも。
力が分散集約される面の広さ狭さや
傾きで視界も変わります。
今まで座った事のない形では心身の
息遣いや気の巡りも軸が動き穏やかな
拡張が得られますね。

ベッドで長く過ごす入院中には眠り〜
座りの微調整を手元でしていました。
頭から背中の傾斜に腰から足…と
呼吸や重力感の通り道を少しでも
楽にしたく、探りながらより良い所に
決めていきます。定まった時は
"受けられた!"とベッド全体がまるで
自分の別の手になったかの如く不思議
な感覚でした。
日常では一見ありふれた座る事も
休み寛ぎ姿勢を守る…を色々な形で
身を受ける"手"があって、その時々に
出逢える面白さを楽しんでいきたい
ですね。

(Y.I.さん)

「東南アジアのケア」リサーチ日記:ベトナム編

・9/26 ホーチミン 技能実習生送り出し機関

7/15 バギオ市 Tam-awan village、Kapwaレクチャー

ロッジ風のすてきなホテルで朝食をいただき、バギオの街へ。坂道だらけの街で、山肌に家が点在する。

最初に訪れたのはTAM-AWAN VILLAGEという、イフガオ族の居住跡地につくられたアート村(でも観光地化している)。イフガオ族の踊りや住居が見られるほか、アーティストたちがレジデンスして作品を作っていて、作品の購入も可能。趣旨としては北海道のウポポイに近いところがあるかもしれないが、イフガオ族の踊りのデモンストレーションをしてた人が、曲が終わるといきなり踊りをやめるのが面白かった(イリュージョン感ゼロ)。

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その後のランチはOh My Gulay へ。ここは、35年かけて制作された『500年の航海』などで知られる映画監督キドラット・タヒミックが手がけたレストラン。ビルの最上階に広がる眺めのよい異世界レストランでパスタをいただく。ちょっとジブリっぽい。

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ランチ後は池のあるバーナムパークへ。同行してくれたアーティストのWSで、ここまでで見た景色を絵に描く。久しぶりに絵に集中して楽しい。池のまわりにはベンチが置かれているのだけど、フィリピンに人たちは密着して座るので、日本なら3人掛けのところに5人くらい座っている。ジプニーもめちゃくちゃ混んでるしなあ。さっきレストランでみかけた本にも、フィリピン人の椅子で寝る方法を説明したページが。

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20240916161001.jpeg午後は、同じくタヒミックが手がけたカフェIli Likhaへ。ハウルの動く城的なカフェで、いまだに工事中らしい。

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20240916162205.jpegここの2階?スペースが映画館になっていて、ここでデラサル大学のEさんからレクチャーを受ける。テーマはKapwa。Kapwaはフィリピンサイコロジーの概念で、Other is a part of me/ shared identityのような意味らしい。フィリピンの学問は植民地の歴史を踏まえつつ自分たちの伝統を立ち上げようとする意識が高いように感じる。

心理学者Jaime C. Bulataoの比喩によると、Kapwaは目玉が二つある目玉焼きみたいなものらしい。つまり、私と他者がひとつの白身につつまれている感覚。面白いなと思ったのは、これが心理学の用語であると同時に物理的な側面もあるということだ。たとえばどこかに行ったらお土産を買ってくるとか、人と人の距離が近いとか。香港でOFWの人たちが集まる場所があり、そこで料理がされているのもKapwaの一例だと教えてくれた。 Katrin De Guiaという人が書いたKapwa: The Self in the Other, Worldviews and Lifestyles of Filipino Culture-Bearersという本は、現象学的なアプローチでそのあたりがわかりやすく書かれているらしい。