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バンバンクラブ2

視覚などに障害がある方むけの伴走・伴歩のクラブ、バンバンクラブのみなさんと、リベンジ・トークをしました!機会をくださったのは、つくば市民大学の講座「ともに楽しむアートコモン・ラボ 目の見えない人は世界をどう見ているのか」。ありがとうございました。それにしても、伴走中、調子がいいと二つの体のあいだに起こるという「共鳴現象」については、3名のみなさんが同意。振動の力、おそるべし。


 ・リンリンさん

男性。晴眼。走歴は40年、伴走歴は15年のベテランの伴走者。元自衛官。


・ジャスミンさん

女性。先天性の弱視で30代まで光がぼんやり見えていたが、現在は全盲。フルマラソンを4時間台前半で走る。マッサージ師。

・ラッキーさん
男性。幼少期に失明。元サブスリーランナー。学生時代に宇宙物理学を専攻。JBMA(日本盲人マラソン協会)理事。

 

伊藤 きょうはバンバンクラブ(代々木公園・伴走伴歩クラブ)のメンバーでいらっしゃる三名の方といっしょに、「目が見えない人の空間感覚」をテーマにお話していきたいと思います。リンリンさんは晴眼者のベテラン伴走者、ジャスミンさんとラッキーさんは全盲のランナーです。ちなみ、いまお呼びした名前はバンバンネームと呼ばれているもので、クラブ内でお互いに名前を呼びあうニックネームです。

 ところで今回のテーマが「空間」になったのには、実は経緯があります。ちょうど一年ほど前に、バンバンクラブの勉強会に呼んでいただいたことがありました。そのときも今日のように、ランナー数名と私でトークをしました。そこで話題になったのが「曲がる」とはどういうことか、という問題でした。目が見えていれば、自分が曲がれば空間も曲がるので、「曲がった」ということがはっきりわかりますよね。ところが視覚がない世界だと、自分の体と空間のあいだに「あそび」のようなものがある。つまり見える人のようには、空間と体が連動していないわけです。そのような状態で「曲がる」という運動がどういう感覚をもたらすのか、気になったわけです。

 ところが、根掘り葉掘り聞いてはみたものの、いくら答えを聞いても、見えない人にとっての「曲がる」がどういう感覚なのか伝わってこない。私もそうとうしつこかったと思います(笑)。ついに登壇者のひとりであるやぶたろうさんにこう言われてしまいました。「右に曲がるは右に曲がるだよ!」。

 やぶたろうさんは漫才師のようにおしゃべりがうまい方なので、会場は大爆笑でしたが、これは研究者としては失格ですよね。体の条件が違う人どうしの経験を翻訳することが仕事なのに、「翻訳できない」と言われちゃったわけですから。いつかリベンジしたいと思っていたところ、今日のお話をいただいたため、テーマを「空間」とさせていただいたんです。

 さて、伴走をするときには、目の見えないランナー(B組さん)と目の見える伴走者(G組)が、お互いに一つのロープを持ちながら走ることになります。まずはこのロープがどんな役割を果たしているのか、どんな情報をやりとりしているのか、うかがいたいと思います。

 

◎「共鳴」の気持ちよさ

ジャスミン 点字のカンペがあるので、それを読みながら話します(笑)。ロープがピンと張っていると「異常なし」という感じです。ロープを持って二人で走っていると、「共鳴」するような感覚があるのですが、お互いの調子があがってくると、はずむようなリズム感が伝わってきて、楽しい、こころが踊る感じがします。トランポリンで遊んでいるときや、軽快な音楽を聴いているような感じです。路面の悪いところにくると、相手がつまずいたり、ロープのゆれが伝わることで分かるんですが、それは「びくっ」っとする、言ってしまえば、脊髄から脳にかけて電流が走ったような恐怖感のようなものを感じます。

 

伊藤 面白いですね。脊髄がロープで直接引っ張られるみたいな感じですね。

 

ジャスミン 腕から脊髄にかけて電流が走ります。「わっ、どうしたの⁈」って。これは相手がポケットをさぐったりしても同じ反応がおきるので、やはりロープの動きがこういうことを起こしているのかなと思います。

 

伊藤 伴走している側はどうなんでしょう。リンリンさん、その「脊髄感」ってありますか。

 

リンリン ジャスミンとも走ったことがあるんですが、この人怖いですよ(笑)。ごまかして走れないんです。たとえば子どもが飛び出してきたけれども、大丈夫かなと思って特に言わないでそのまま行こうとすると、「いまの子どもでしょ?」って言われます。ものすごく微妙な動きでも読まれてしまいます。私の精神状態や体調も読まれますよ。この前も風邪をひいていたら「気管がおかしい」と言われました。女性は怖いですね(笑)。

 ロープを通じてやりとりする情報は、こちらから伝えることもあれば、意外と読まれることもあります。さっき「共鳴する」という話がありましたが、ほんとにリズムよく走っていると、お互い気持ちよくなってどんどん走れちゃいます。逆に相手がものすごく苦しそうなときだと、いっしょにゴールした途端、私もヘロヘロになっていたりします。私としてはたいして速く走っていないのに、です。何か、同調しちゃうんです。

 

伊藤 自分の輪郭が大きくなって、二人で一人になるような感じですね。

 

リンリン そうですね。それが、「伴走してあげる」とか「伴走してもらう」じゃない、「一緒に走っている」という感覚ですね。

 

伊藤 面白いですね。ラッキーさんはどうですか。ロープを介した情報のやりとりはありますか。

 

◎伝える情報/伝わる情報

ラッキー やはり相手がどれだけ緊張しているか、それともリラックスしているかは非常によく伝わってきますね。緊張していると、動きがギクシャクしたり、腕の振りが止まってしまったりします。相手が緊張しているなと思うときには、さっきの「共鳴」みたいなことや、気持ちのよさがなかなか感じられないです。相手が気持ちよくなってこないと、こちらも気持ちよくなってこないんですよね。そういう意味では、伴走者が慣れていないと、こちらもうまく走れないですね。

 あとは、もうすぐ右に曲がるというときに、ロープを持っている腕が、ちょっと右に曲がる用意をするんだと思うんですよね。そういうのも伝わってきますね。

 

伊藤 なるほど。そのレベルの情報は、伝えた情報ではないですよね。伝わった情報ですよね。

 

ラッキー もちろん言葉で指示があるときもありますし、手で押し気味にするということもありますが、微妙なカーブの場合には、そういうのは無しで、自然に伝わって自然に曲がって行くというのがあると思います。

 

伊藤 さっき「脊髄で直接反応する」というのがありましたが、それって頭で考えるレベルということですよね。頭で考える前に、お互いの体が反応しあっているというレベルですよね。

 

ラッキー たぶん見えている人が、道が曲がっているのを目で見て、自然に曲がって行くような感覚で、曲がっていけるんじゃないかと思います。

 

伊藤 リンリンさんからすると、曲がり方の度合いによって、伝えるかどうか迷うということがあるわけでしょうか。

 

リンリン はい、あります。言葉でわざわざ言わなくてもいい程度のカーブなのに「カーブです」と言うと、逆にストレスがかかるよと言われます。慣れない伴走者は、ゆるいカーブでも「カーブです」って言うんですが、ラッキーさんに聞いたところ、そのようなカーブはカーブだと感じないそうなんです。特にゆっくり走っているときはそうです。だから、どの程度のカーブの場合は言ったほうがいいのか、というのは以前ずいぶん考えました。でもラッキーさんの話を聞くと、「ここは言葉で伝えなくてもいいかな」と思ったカーブでも、自分の体が反応して、カーブであるということが相手に伝わっちゃっているのかもしれません。

 

伊藤 なるほど。ということは四段階あるんでしょうかね。まず①カーブであるという自覚なく曲がっていくレベル、②伝えたわけではないのにカーブであることが伝わっているレベル、③ロープで引っ張ってカーブであることを伝えるレベル、④言葉でカーブであることを伝えるレベル。この順番にカーブがきつくなるということでしょうかね。

 

リンリン そういうことだと思います。言葉に出すのは、直角で、方向を不連続に変えるような「曲がる」ですね。以前いろいろ考えていたときに思ったのですが、これは車の運転に似ています。車を運転している人は、ゆるいカーブだと曲がっているつもりはなくても自然に曲がっていきますよね。「ハンドルを切るぞ」なんて思う必要はない。見ているだけで曲がって行く。ところが、カーブがきつい場合は、意識してハンドルを切る必要があります。伴走の場合は、このように意識しないと曲がれないような場合に、声をかけるんだと思います。

 

伊藤 面白いですね。その「自然に曲がっていく」というのが、視覚の特徴ですね。自分の体の運動と空間を知覚することが常に連動している。考えなくても細かいフィードバックがあって、曲線という空間の条件に、自然と体の運動がそう形になります。

 

◎曲がったことの感じ方

伊藤 ところで、ラッキーさん、「曲がる」って何ですか(笑)?

 

ラッキー いきなり来ましたね(笑)。感じないこともあるわけですが、90度曲がったようなときは感じます。はっきり曲がるときは、足を蹴る触覚で感じますよね。

 それほどはっきりと曲がったわけではないときは、やっぱり我々は視覚以外の感覚で感じるしかないので、音が大きいと思います。まわりの音、たとえば代々木公園で走るときは、音楽やっている人や、演劇をやっている人がいます。あとは夏だと蝉が鳴いていたり、鳥が鳴いていたりします。もちろん音を出しているものも動くことはありますが、瞬間的には移動しないので、自分が曲がったら、聞こえてくる音が変わります。それで、自分が曲がったことを感じます。あと、晴れていれば太陽の光ですね。それから、風。風が吹いていれば、向かい風だったのが横からになったとかで分かります。そういうふうな、大ざっぱな感覚で感じていますね。

 

伊藤 そういう音や太陽の情報というのは、どういうふうに空間と関連づけているんですか。たとえば向こうで楽器の音がしたら、そちらの方向に楽器の形のような視覚的なイメージに変換して思い浮かべる、というような感じなのでしょうか。それとも単純に音として思い浮かべているのでしょうか。

 

ラッキー そうですね…。私は楽器の形まではイメージしていないですが、コンピュータの画面上にアイコンがどういうふうに並んでいるか、というような感覚として、どこに楽器を演奏している人がいるか、というようなことを把握しているんじゃないかなと思います。いつも必ず正解を描けているかは分かりませんが、自分の感じられる情報を総合して、そういうものを作ろうとしています。分からない部分は分からないまま放ってあるという感じですね。

 

伊藤 面白いですね。ジャスミンさんはどうですか。空間の情報はなるべく手に入れようとしますか。

 

ジャスミン 私は基本的に鈍臭くて鈍いので、環境の情報は口に出して言ってもらいたいタイプなんです。えっと、カンペで、さっきの続きがあるんですが、お話していいですか(笑)?ロープのありなしじゃなくて単にそばにいるからかもしれないんですが、おそらくお互い慣れている伴走者の場合は、感情みたいなものが通じることがあります。「あのカラスうるさいな」とか、偶然同じことを考えていたりするんです。伴走者とときどき話すんですが、ロープが神経繊維みたいな感じがします。何となく、むむっとしたものが伝わってきて「怒らしちゃったなあ」とか(笑)、そういうのがありますね。自分で心当たりがあるからかもしれませんが(笑)。

 

伊藤 へえ、神経繊維ですか!それは、ふつうに街中などで肩や肘をさわって介助してもらうときとは違う感覚ですか。

 

ジャスミン 走っているときは、そもそも感情とか感覚が敏感になっているのかなと思うんですよね。

 まわりの環境に関しては、伴走者がいる位置をのぞいた340度くらい、半径1−2メートルあたりに集中している感じです。音がすれば、半径5メートルくらいにも意識が向きます。私は鳥が苦手なので、鳩が飛び立つ音がすると10メートルくらい向こうでも「ぎゃっ」って言っちゃいますね。空間の大きさというよりも、音の種類に左右されている感じがします。

 

伊藤 340度ということは、後ろもかなり注意してるんですね。

 

ジャスミン そうですね。自転車が来る、子どもの声がする、といったことは後ろも注意してますね。何となく、自分の周囲が安全かな、というところに意識を向けています。伴走者がいるところは、伴走者の呼吸音などを聞いていますね。さっきリンリンさんが言っていた話のときは、ヒューヒューいっている感じで、何だか変なかんじだなと思いました。

 

ラッキー 相手の状態を呼吸で感じることはありますね。ただ、呼吸が荒いからといって、必ずしもきついというわけではないみたいです。人の癖があって、楽でも呼吸が荒い人もいます。

 

伊藤 ということは、手の振りと両足の動きは、二人で合わせているのに、呼吸は合っていないということですか?

 

ラッキー 呼吸は合っていることもあるし、合っていないこともあります。私がまえに伴走してもらった人で、実業団の選手でもあるとても速い人だったんですが、二回吸って一回吐く「スッススー、スッススー」(下線で吐く)人がいました。最初の一歩目からそれで、そういう個性的な息の仕方をする人の場合には、状態の判断材料にはならないですね。

 

(質問&休憩)

 

◎ロープの種類と持ち方

伊藤 みなさん質問をたくさんありがとうございました。後半は、みなさんの質問を踏まえつつ、前半のお話をさらに膨らませる形で進めていきたいと思います。まずは、さきほどいたたいだ質問の中で、私も気になっていたものから始めたいと思います。さっき、カンペを読みながら、ジャスミンさんが「点字が汚い」とつぶやいていました(笑)。「点字が汚い」ってどういうことですか?

 

ジャスミン (笑)点字が汚いというのは、一度書いたものを消してその上から書いていたりすると、何書いているのか分からなくなります。あとはマス開けのところに余計な点が打ってあったりするとわけがわからなくなります。

 

伊藤 点字を消すときはどうやって消すんですか。

 

ジャスミン 爪でガリガリって(笑)。消すグッズとかもあるんですけど、爪でやってます。あまりに汚くて、上から点字シールで補強してあるところもあるんです。学生の頃は点字をよく打っていたんですが、最近は打つ機会がないので、ときどき打ったりすると、疲れるは手が痛いは汚いはで大変です。

 

伊藤 なるほど。納得しました。次の質問は、ロープの材質についてです。ロープは、B組さんが各自の自分のロープを持っていて、伴走者の方がそれを使うという形ですよね。ジャスミンさんはどんなロープを使っていますか。

 

ジャスミン 私は手芸用の組紐や毛糸を編んだものです。自分で作るときは、毛糸を三つ編みにしたものをさらに三つ編みか四つ編みにします。柔らかい材質を使います。強度があって、伝わりやすいものです。

 

伊藤 ラッキーさんは手元に用意していただいていますが、かなりスポーティな感じですね。

 

ラッキー これは伴走用に作ってもらったもので、靴紐を太くしたような素材ですね。

 

伊藤 リンリンさんは、伴走するたびに、いろいろなロープを経験されるわけですね。

 

リンリン 四、五年前に編んだタイプを使う人が多くなりましたね。持ち方についても、ものすごく短くして使う人、逆に長く持つ人がいますね。競技レベルがあがって、パラリンピックに出るような人だと、拳と拳がくっつくような感じになります。短く持つと、直接伝わるので、情報量が多くなりますね。ただ、足が合わない人は、長く持ったほうが、腕振りがずれたときも安心です。混んでいるスタート地点では短く持つけど、すいてきたら長く持つ人もいます。

 

伊藤 ジャスミンさんはどんな感じで持ちますか。

 

ジャスミン 薬指と中指と人差し指をひっかける感じです。小指は出していますね。これは個人差があると思います。安心していると3本で持っていますが、足元が不安だと4本でぎゅっと持ちます。

 

ラッキー 私は小指も入れています。気分転換に外すことはありますが。掴む力は、とてもゆるいです。私はロープが動いてくるくるまわってしまっても気にしません。

 

伊藤 なるほど。さっきの「神経繊維」のイメージではきっちり持っているのかなと思いましたが、案外ゆるく持っているんですね。

 

◎   身体と空間の分離

伊藤 他に、空間についての質問もありました。以前見ていたのが見えなくなったお二人にとって、空間の感じ方はどのように変わりましたか。

 

ラッキー ふだん一人で歩いているときも、私は一応まわりの空間を把握できているという前提で歩いています。それが、何かの前提で分からなくなるということはあります。それがホーム上で起きたりすると、どこがどっちだか分からなくなってしまう。それは先ほどおっしゃっていた、自分の体が空間から分離された状態にあたるのかなと思います。

 

伊藤 そういうときは、どうやって復活してくるんですか。

 

ラッキー 白杖でまわりを探りながら復活することもありますが、まわりの人が教えてくれることが多いですね。

 

ジャスミン ラッキーさんの答えを聞いていて、まったく同感だなと思いました。視力がちょっとでもあると、ないのとは全く違います。たとえば明るい時間にスーパーの外に出たいと思ったときに、ちょっとでも見えていると、明るい方が出口だと分かります。見えないと空間から分離されたようになりますが、私も空間は把握しているつもりで動いています。でも何かにちょっとぶつかったりして方向が分からなくなると、完全にひとりぼっち、どうしたらいいか分からない状態になります。ホーム上でそうなると、見てくれなんて気にしている余裕がなくなって、白杖を思いっきり前に出して、ぐるぐる回して、そろそろさぐったりします。駅前の自転車に入っちゃったときも、ちょっと見えていれば「あっちには自転車がなさそうだな」と分かるけど、見えないとどっちに言っても出られなくて、誘蛾灯に入った虫みたいな気分になります。

 

伊藤 自分の体が空間から分離されてしまったときは、それまでの自分の空間の理解を修正しなければなりませんよね。でもそれってとても難しいのではないかと思います。

 

ジャスミン 修正するのはすごく難しいです。空間が分からなくなっても、認めたくなくて、そのまま突き進んでしまう。そうすると、行ったこともないようなところに行っちゃったりします。来た道を戻ったつもりで90度曲がってしまっていたり、一人で修正するのはとても難しいです。

 

伊藤 よく、頻繁に行っている駅のほうが転落事故が起きやすいといいますよね。

 

ジャスミン 慣れたところの方が迷いますね。まっすぐ行っているつもりが、横から出て来た車につられて曲がっちゃったりとかします。間違えていることすら気づかなかったりします。

 

ラッキー やっぱりそういうときは、方向が違っていることが多いですよね。だからあまり動かなければ、復活したときもすぐに戻れます。でもそこで動いちゃうと、場所も違っちゃって、訳が分からなくなります。だから私は、周りの人にどう見られているかは気にせず、あまり動かずに復活するまで待つ、という感じですね。歩いているときに話しかけられると混乱してしまうことがありますが、止まっているときに話しかけていただけるとありがたいことがあります。

 

伊藤 やはり方向という要素は大きいんですね。さっきも少し見えて入ればスーパーの出入り口の方向が分かるというお話がありました。

 

◎魚に「走る」を説明するとしたら

伊藤 次の質問なのですが、先ほど、ラッキーさんが宇宙物理学を研究されていたということもあり、「宇宙空間に目の見えない人が行ったらどうなるか」という質問がありました。実は、これとちょっと関連するかもしれない質問を、私も事前に投げていました。「海中にいる魚に『走る』ってどういう感覚か説明するとしたら、どういうふうに説明しますか」という質問です。変な質問かもしれませんが、私の研究ってこんな感じなんです。自分と体の条件が違う人に自分の経験を伝えるとしたら、どうしたらいいか。その「翻訳」が面白いんです。魚は両手足がないし、空気の流れというものも知らない。そういう存在に「走る」とは何か伝えるとしたら、いかがでしょうか。

 

リンリン この質問のせいで寝不足になりました(笑)。私は、魚はどういう感覚で泳いでいるのかな、と考えました。3月に伊豆大島のマラソンに出たんですが、走っているうちにものすごいガスが出てきて、前にも後ろにもランナーがいなくなって、視界が5メートルくらいになってしまった。ほんとうにコースこれで大丈夫かな、とすごく不安でした。一緒に走っていたランナーにも不安が伝わって、二人で大丈夫かな、と話していたんですが、しばらく行ったら距離表示が出て来て安心しました。あの感覚って、見えない人の走る感覚にも似ているかもしれないけれど、魚ってこんな感覚なのかな、と思ったんですね。走っているというのは、景色が後ろに流れていくというよりは、景色の先に自分がどんどん進んでいるという感覚ですよって説明しようかなと思います。

 

伊藤 確かに魚には景色がないですよね。景色が流れない状態で、体が前に進んでいる感じで、宇宙空間にも近そうですね。さらに上下運動も入ってきますね。

 

ラッキー 私は空間的にどう説明するかはよく分からなかったんですが、魚はたぶん自分が泳いでいるっていうことをあまり意識しないで、どこかに行きたいと思っただけで、そっちのほうに向かっていくんだと思うんですね。それと同じように、ランナーも、特に何か意識しなくても走っていく。だから魚が泳ぐのも、ランナーが走るのも、大差ないんじゃないかなと思います。

 宇宙で視覚障害者がどうなるかは私もわかりませんが、宇宙のひとつの特徴は、重力がないので、ちょっとそちらの方向に行ったらそのままずーっと動いていってしまう、というのがあります。だから宇宙ステーションでも、宇宙飛行士の人は壁についている手すりを掴みながら動いていくわけで、そいういう意味では視覚障害者にも対応しやすい環境なんじゃないかなと思います。

 

伊藤 なるほど。確かに宇宙空間では触覚が重要ですね。さきほどの「特に意識しなくてもそちらに体が進んでいく」という感覚がとても面白いなと思ったのですが、それは見えないことと関係していますか。

 

ラッキー 見えている人はまわりの景色のことが印象に残りやすいですが、見えていない人はまわりのことは伴走者に任せている部分が大きいので、走ることに集中しています。そういう意味では魚に近いのかなと思います。

 

伊藤 走ったことを、たとえば一週間後に思い出した時、景色でないとするとそれは記憶としてどういうふうに思い出されるんですか。

 

ラッキー そうですね…。感覚的なことが印象として残るのはそうとう強烈な出来事があったときですね。むしろ伴走者とそのとき話したこととかが印象に残っています。あるいはレースならば記録や、体がきつかったことなどを覚えています。

 

伊藤 ありがとうございます。ジャスミンさんはどうですか。

 

ジャスミン カンペに書いてあること、ちょっと長いですが読みますね(笑)。二拍子のリズムに乗って、海水よりちょっと軽い空気の中を軽く進んでいる感じ。ただ、無重力ではないので、一度の動きで進める距離が小さいので、水中より少し非効率的な動きなのかな。あとは地上だと閉塞感が少なくて、周囲の広さを感じやすいです。音の伝わり方も空気のほうがゆっくりになるので、そうすると方向が感じ取りやすくなるので、安全確保がしやすいのかなと思います。

 

伊藤 リズムのお話、面白いですね。走るときは、タッタッタッとリズムを刻みますね。もちろん泳ぐなかにも、体をくねらせたりするリズムはあるのでしょうが、走るときはよりはっきりしてますね。

 

ジャスミン そうですね。走る時は地面に足をたたきつけるので、はっきりしたリズムになりますね。

 

伊藤 そういったこともさっきの「共鳴」と関係しますか。二人で一つのリズムを共有しているわけですよね。

 

ジャスミン そうですね。二人のリズムが同じだと共鳴していて、進みやすいですね。二拍子が合っていればいるほど、軽い感じがしますね。最初に言った「こころが踊る」という感じですね。泳ぐ場合には、スピードは合うことはあっても、リズムが合うことはないのかな、と想像します。伴泳をしていただいたことがないので分かりませんが…。

 

伊藤 二人でリズムがあっていると体が軽いというのは、さっきラッキーさんがおっしゃっていた、特に考えなくても体が進む感じと通じるところがありそうですね。

 

ジャスミン そうだと思います。

 

ラッキー そうですね。リズムが合うと、ペースがあがることがあると思います。それで、二人でペースをあげていって、オーバーペースで潰れるということもあります(笑)

 

伊藤 自分一人ではそうならなかったことが、二人だと起こるというのは面白いですね。体の限界を超えちゃうんですね。私たちの生活ってほとんどが一人でペースを作ってやっていくのが基本だと思うんですが、そうではない、人に乗せられるとか、人に乗っかっていくとか、そういう経験がある。かつてだったら「祭り」とかでやっていたようなことに近いかもしれませんね。トランス状態とまではいかないとしても、集団で何かをすることで、平常のラインを超えてみるわけですね。

 

◎伴走者の存在を忘れる

伊藤 では最後の質問なのですが、これまで練習、レース、旅行先、様々な場面で走ってこられたと思います。そのなかで、人生最高のラン経験について教えていただけますか?

 

ラッキー 私は競技志向が強いので、タイムなどを気にするのですが、あえて今日は、いつも走っている代々木公園の周回コースについてお話しようと思います。ふつうの周回コースはわりと平らで単調なんですが、坂道のトレーニングができるちょっと遠回りなコースがあります。パラリンピックになぞらえて「アテネコース」とか「ロンドンコース」とか四年ごとに名前を変えて呼んでいるんですが(笑)、ふつうと逆回りに走ると、くねくねと曲がりながら下って、最後まっすぐ上るというコースになります。膝のことを考えて、一気に下らないようにしているんですが、そのくねくねと下るところは、伴走テクニックとしてはかなりハイレベルになると思います。そこをリンリンさんとよく走っていると、そんな難コースでも、私は特に危険を感じることもなく走れます。慣れない人と行くとつまずいたりするのですが、リンリンさんだとスムーズに誘導してくれる。走っている時間が長く、お互いによく知っているということもあるのですが、すごいことだなと思います。

 

リンリン 泣いちゃいそうです(笑)。私の最高のラン経験は、この講座の火付け役になったやぶたろうとのことを話そうと思います。彼とは走力が同じで一緒にフルマラソン30回くらい走っています。走力が同じということは、どっちかがつぶれることになるということなので、走りながらお互いに「早くこいつつぶれないかな、そうしたら楽になるのに」と思っています(笑)。30回走って、勝率はだいたい五分五分です。10年くらい前、佐野マラソンに参加したとき、お互いに調子がよくて、スタートからゴールまでずーっと二人、同じ速いペースでまさに「共鳴」して走れました。最後まで、どっちかがキツいということもなく、かといって楽しているわけでもなく、お互い全力を出し切ってゴールしました。彼は自己ベスト、私も伴走のなかではベストのタイムが出てゴールしてからもお互いキツくない。私のなかの最高のランでしたね。

 

伊藤 すごいですね。羨ましいですね。ジャスミンさんどうですか。

 

ジャスミン まず前提としては、伴走していただけていることそのものを最高だと思っています。なかでもベストの記録ができたとき、それこそ「共鳴」して手足がぴったり合っているときというのは、最高の気分です。本当にときどきなんですが、伴走者の存在を忘れて、一人で走っているような錯覚にとらわれるときがあります。そんなときは、目の前に走路が見えるときがあって、すごく驚くとともに幸せな気持ちになります。納得する走りができたとき、伴走者が喜んでくれているのを見ることのほうが、自分が嬉しいよりももっともっと嬉しいことです。

 

伊藤 ジャスミンさんらしい、優しいコメントですね。そして伴走の究極形は「伴走者が消える」なんですね。

 

ジャスミン そこ絶対反応されると思ってました(笑)6年くらい走っていて、本当に2、3回なんですが、「あ、私いま一人で走ってる感じがした」って夢から醒めたみたいなみたいな感覚になることがありますね。伴走者は喜んでくれますね。

 

伊藤 すばらしいですね。三人のゲストのみなさん、今日はありがとうございました。

 

 

(2017/6/24)