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中瀬恵里さん

中瀬恵里さんにインタビューをしました。中瀬さんは先天盲。「集合写真をとると一列目の人の頭の上から二列目の人の頭が生えているように見えるのでは?」「道を間違えたときに、振り返って戻るのではなく、そのままバックする癖があった」など、まさに見える人の盲点をついてくる痛快なインタビュー。見える人中心の社会との柔軟な付き合い方も参考になります。


中瀬恵里さんプロフィール

1981年生まれ、36歳。先天盲。大学卒業後、電機メーカーに就職し、現在は社内広報を担当している。晴眼の夫と二人暮らし。趣味は読書、落語観賞、ウォーキング。

 

◎二次元の困惑

伊藤 高校時代に留学されていたんですね。

 

中瀬 ペンシルバニアだったんですが、すごい田舎でびっくりしました。朝は「コケコッコー」で起こされる(笑)。

 

伊藤 大学では何を学ばれていたんですか。

 

中瀬 政治学です。若者の投票率を上昇させるためにはどういうことが必要かについて卒論を書きましたね、はるか昔に(笑)。卒論はパソコンで書きました。

 

伊藤 ずっと東京ですか?

 

中瀬 生まれは京都なんですが、中学で東京に来て、中学、高校と筑波大学附属盲学校に行っていました。この町には大学時代からずっと住んでいます。

 

伊藤 お仕事はどんなことをされているんですか。

 

中瀬 企業の社内広報です。社員向けのサイトに記事を書いたり、それの翻訳の手配やチェックをしています。

 

伊藤 会社の中でいろいろ取材に行かれるわけですね。

 

中瀬 取材もしますが、写真を撮らなくちゃいけなかったり、出張で移動があるので、だいたい2人で行きます。私がインタビューをして、同僚が写真を撮ってくれます。

 けっこう困るのが、見えないということを言うタイミングです。メールだと気づかれないので、会って初めて分かる場合もあると思うのですが、かといってあまり早い段階から言うと、かえって接しにくくなる場合もありそうなので。最近はできないことが現れそうな段階、たとえば写真やレイアウトについて話す段階になったら、言うようにしています。

 

伊藤 恵里さんは先天的に見えないのですよね?

 

中瀬 そうです。生後3ヶ月くらいのときに目の病気が見つかって、両眼ともに摘出し、いまは義眼が入っています。

 

伊藤 そうすると、「写真」と言われたときに、どういうものだとイメージしていますか?

 

中瀬 なんかそれがすごい難しくて(笑)。情報処理の問題にも関わってくると思うんですが、写真は3次元を2次元に持ってきたものだということは理解しています。ただ、この前同僚に、何気なく質問して困惑されたことがあります。集合写真を撮ったときに、人が何列も並んでいますよね。それを平面に持ってくると、私のイメージでは、一番前の人の頭の上に次の人の頭が乗っているみたいに見えないのかな、って思うんです。頭の上から首が出ていて、その上からまた首が出ているような。

 

伊藤 それ、すごい怖い感じですね(笑)

 

中瀬 そうなんです。それを同僚に言ったら困惑されました。

 

伊藤 でも、文明から隔絶されていた目が見える人が、初めて写真を見たらそう見えるかもしれないですね。見方ってけっこう学習するものなので。19世紀末に初めて映画を見た人は、列車が迫ってくる映像を見て逃げたっていいますからね。

 

中瀬 なるほど。同僚の説は、遠近感があるから分かるんじゃないか、ということでした。二列目の人は、一列目の人よりもちょっと小さく見える、と。

 

伊藤 遠近感というのはピンときますか?

中瀬 言われたら分かります。たとえば太鼓の音が、近いと大きく、遠いと小さく聞こえますよね。それと似たようなものだな、と。ただ、どれくらい離れたときにどれくらい小さくなるのか、ということが分かりにくいです。理屈では分かっているけど、よくは分かってない、というところがあります。

 

伊藤 そもそも三次元を二次元にする、ということはどうですか?

 

中瀬 あーそれが超大変(笑)。小さい頃に保育園で、お絵かきの時間がありました。私が描く絵は、見える子からすると衝撃的だったみたいです。たとえばキュウリを描くと、枠を描いて、その外側だけ粒(イボ)を描いたんです。内側は図があるので、粒(イボ)はないと思った。そうしたら先生に、それは輪切りにしたキュウリの状態だと言われました。

 

伊藤 恵里さん的には、三次元を二次元にすると、粒(イボ)が出てくるのは周りのところだけ、と思ったんですね。

 

中瀬 そう思いました。三次元のものを二次元に持ってくるときは、立体を触って感じたままをもってきちゃっていたんだと思います。表面に粒(イボ)があって、皮があって、中に図があるよね、っていうキュウリの構造を分かった上で、それを二次元に持ってきたのが、その輪切りのキュウリだったわけです。確実にそうなると思いました。

 

伊藤 三次元という感覚はありますか?

 

中瀬 あるにはあります。保育園のころは自分の絵が変わっていてもあまり気にしない感じでしたが、小学校に入って中学年くらいになると、おかしいと言われて、だいぶ描かなくなりましたね。たとえば犬を描くときに、脚が4本だということは理解しているんですが、それを横から見たときに、全部見えているのか、2本描けばいいのか、そういうことを考えだすと訳がわからなくなってきました。みんな、犬を描くときにどの角度から描いているのか、というのもよく分からなくて、だんだん描けなくなっていきました。

 一方から触った感覚が二次元なんじゃないか、と思っていた時期もけっこう長かったです。ふつう、触るときは全体の形を捉えるような触り方をします。犬がいたら、左の手で喉の下を持っておいて、右の手で「頭があって、背中があって、足があって、足があって…」みたいな触り方をする。そうすると全体の大きさや特徴がよく分かります。そうではなくて、横から触っているような感じで捉えると、二次元の感じになるのかな、と。

 これもまた困惑した例なのですが、小学校6年生のときに円錐の投影図を習いました。上から見た図、横から見た図、というのがあるんですが、私は、上から見た図は点になると確信していたんです。下の丸が見えることは、担任の先生に言われて初めて知りました。それがあって、横から触るという感じとは違うらしいというのが分かって、どんどん描けなくなりました(笑)

 

伊藤 なるほど。たとえば、円錐の一番上を触っているときは、頭の中では何を思い描いているんですか。つまり、触っているところの先に本体の部分がある、というイメージは持っていますか。

 

中瀬 上から触っているときは、立体を思い描いています。でも絵に描くと、当時は点になると思っていた。

 

伊藤 じゃあ、変換のときにズレが生まれるということですね。

 

中瀬 そうですね。

 

伊藤 三次元とはまた別に、「空間」というものもありますよね。物そのものの立体感ではなくて、物が複数あったときに、それらを包み込むのが空間ですよね。

 

中瀬 私の場合は、空間は必要なときに呼び出してくる情報ですね。たとえば、今座って話しているときに、広がっている空間はあまり意識しなくていい、必要情報じゃないですよね。知ってはいるけど意識にはない。でも、冷蔵庫まで行ってお茶をしまうぞ、となったときは、冷蔵庫までの経路を呼び出してきて、そのときだけ意識する。

 

伊藤 空間を呼び出すってカッコいいですね(笑)。自分が行動するときに必要な空間が思い浮かぶということですね。

 

中瀬 たとえば料理しているときも、包丁で切っているときは切る作業に集中しちゃって空間は意識にないです。でも切ったものを器に入れようと思うと、流しの奥にどのくらいの隙間があるとか、器との位置関係を呼び出してくる。でもそのときはまだ炒める作業には入っていないから、ガスコンロのまわりの情報は意識にない。炒めるぞ、となったら材料を炒める順番にならべるんですが、そうなるとガスコンロが意識に入ってくる。

 

伊藤 変化がありますね。やろうとしていることに応じて、視野が変わる感じですね。

 

中瀬 変わりますね。スイッチされていきますね。

 

伊藤 逆に、まったく空間を意識しないで何かをするということもありますか。

 

中瀬 パソコン仕事をしていたり、集中して本を読んでいたり、動かないときは意識していないですね。

 

伊藤 動くときに意識する空間は、たとえば本を読んだときに書かれている空間をイメージするものと、どのように違いますか。本のなかで登場人物が料理をしているシーンを思い描くのと、自分が料理するときでは、空間の意識の仕方はどう違いますか。

 

中瀬 どうかな…。たとえば初めてのレストランに行ったとしますよね。そうすると、広そうなレストランなのか、こじんまりしたレストランなのかは、なんとなく雰囲気で分かります。でもカウンターが何席、テーブルがいくつ、といった細かい情報が入って来ません。でも、本を読むとすごく情報が細かい。ふだん知らないようなことも書いてあって、「へー、テーブルが5つ」みたいな(笑)。行きつけのお店でも数えたことないような情報が入ってくるから、細かいな、と思います。リアリティはすごく出るなと思います。

 

伊藤 面白いですね。本の描写は細かいんですね。そのリアリティは触っている感じなのですか?

 

中瀬 何だろう…自分がよく知っているところみたいな感じです。

 

伊藤 ということは、ふだん空間を意識するときと、本を読むときに持つイメージの違いは、情報の量ということになりますか?質はどうですか?

 

中瀬 情報の量は違いますね。質も違うかもしれない。本の描写では、椅子が何脚で机が何脚で、ということは書いてあるんですが、材質や座り心地はあんまり書いていない。テーブルも、四角いか丸いかはあんまり書いてない。触覚とか匂いとか、そういうものは見える人の書く本からは落ちている気がします。自分の場合は、ベンチに座ったら、お尻がくぼんでいるなとか、ずいぶん柔らかいなとか、どういう座り心地なのかは意識する、というか勝手に入ってきちゃうんです。

 

伊藤 ということは、「あの行きつけのレストランの椅子」と言われたら、その椅子の座り心地を思い出すということですか?

 

中瀬 思い出しますね。椅子の背がカクカクしていたかとか、椅子を引いたときの重さとか、思い出しますね。

 

伊藤 それはどういうふうに思い出されるんだろう…背中やお尻に、座ったときの感覚がよみがえるような感じですか?

 

中瀬 うーん…椅子の触感とかは、座ったときの感覚がよみがえる感じですね。形は、脳内に立体がイメージされるみたいな感じです。

 

伊藤 形は視覚で見るのに近い感じなのかな…

 

中瀬 色は落ちてますよね。あとは手触り。木って言ってもトゲが刺さりそうなやつなのか、山小屋みたいな凸凹のやつなのか、ニスっぽいきれいなやつなのか、そういったことは手触りで覚えていますね。

 

伊藤 そういった手触りが「あの椅子」って言われたときに瞬時に思い出されるんですね。「つるつる」とか言語化されているわけではなく、感覚として。

 

中瀬 そうですね。感覚として瞬時に思い出されますね。見ている人が、「あそこのレストランの椅子は茶色系だったよね」って思い出す感じと近いんじゃないかと思います。

 

伊藤 不思議だなあ。そうやって形と質感の情報がセットになっているんですね。恵里さんはけっこう触覚を使う派ですかね。

 

中瀬 そうですね。使う派だと思います。時計も触覚ですし。聴覚と比べたときに、たとえば小説を流し読みしたいときは音で聴きます。でも資格試験の勉強とかだと、点字でゆっくり読まないと頭に入ってこない。そういう違いはあります。

 

伊藤 なるほど。点字のほうがゆっくり、じっくり読めるわけですね。点字を読むときに、文字を音として思い浮かべていますか?

 

中瀬 音は思い浮かびますね。読みながら、頭の中で音を思い浮かべていくような感じで読んでいると思います。

 

◎後ろ向きに歩くvs振り向いて方向転換

伊藤 恵里さんからみて、見える人のここが信じられない、みたいなことはありますか。

 

中瀬 うーん、見える人って情報をなるべく早く処理する傾向が強い気がします。傾向が強いというか、そうなっちゃうんだと思うんですが。たとえば仕事をしている同僚はほぼ全員見える人なのですが、見える人は、文章をまずざっと読んで把握する、と言います。私は一行ずつちゃんと読まないと、全体で何を言っているかなんて分からないし、だからこそ見えない人の場合は、スクリーンリーダーで読んでいくと、「てにをは」の漏れといった間違いに気づきやすいですね。見える人は、そういうミスの発見率が、見えない人より低いという気がします。ざっと把握しておしまい、みたいなところがあるかな、と。だから同僚から「悪いけど私が書いた文章、一回読んでおいて」と頼まれることも多いですね(笑)。

 

伊藤 その気持ち分かります(笑)。見える人はいろいろいいように補完しちゃうんですよね。

 

中瀬 そうみたいですね(笑)。何でそうなっちゃうのかよく分からないんですが。見える人は、ものを読むときに、実は音に変換しない読み方をしているのかな、と思ったり。

 

伊藤 漢字の力は大きいかもしれないですね。漢字は音に変換しなくても意味が入ってくるので。だから前から一文字ずつ順番に読まなくても、漢字をつまんでつないで読んでいるようなところがありますね。ひらがなのところは、「ま、たぶんこうだろう」みたいな感じで、あんまりよく読んでいないこともあります。

 

中瀬 それがちょっと信じられない(笑)。

 あとは、仕事していて思うのは、見える人がすごく写真に重きを置いているということです。あるニュースをなるべく早く伝えなくちゃいけない、でも担当の部署から写真が来ない、となったときに、見えない人の感覚だと、とりあえずアップしておいて、写真はあとから追加すればいいよね、となると思います。でも見える人中心の社会なので、写真がないのだったら掲載を延期してでも写真を待ったほうがいい、と言われることも多い。やっぱり、「百聞は一見に如かず」じゃないけれど、状況をパッと見て「こういう雰囲気だったんだな」というのを、写真から理解したいというのがあるんでしょうね。だからSNSでも写真を載せると「いいね」がいっぱいついたりするんだと思うんですが。

 見えない人の場合は、記事を読んだときに、プログラムを追体験しているみたいな感覚が欲しいのかなと思います。「あ、こういうことがあって、こういうことがあって、こういうことがあったんだな」みたいなのが分かることに価値があると思っているというか。見える人でもそういう面はあるんでしょうが、文章に書いてあるじゃん、というふうにはならない。

 

伊藤 なるほど。何かアイキャッチ的なものに惹きつけられたい、という欲望が強いのかもしれませんね。日本は特に視覚的な傾向が強いかもしれません。旅行のガイドブックみても、日本のものは写真集みたいな感じですし。

 

中瀬 他に見える人との違いを感じるのは、歩行についてです。見える人は後ろ向きに歩くことをとても怖がりますよね。大学を卒業して就職したときに、会社まで行くための歩行訓練を受けたんです。そのときに、先生に怒られたことがありました。自分ではそのくせを意識してなかったんですが、「あ、道間違えた」と思ったら、そのまま振り返らずに、後ろに5歩くらいだったら歩いちゃうんです。

 

伊藤 それは見える人からすると信じがたいですね!

 

中瀬 くるって向きを変えるほうが、自分の地図がブレるから嫌なんですよ。もう確認して歩いてきたら、よっぽどのことがないかぎりバックしてもよかろうと思って、ててててってバックする癖があったんです(笑)。でもそれを先生にすごく怒られて、「あなたが後ろに下がってくることなんて誰も予測してないんだから、ぶつかるかもしれないからやめてください」と言われました。確かに見える人って、道を間違えたらたぶん、めんどくさいけどそこでくるって振り向いて、何歩か戻るんだろうなと思って。

 あと、家のなかでも、トイレを終わってスリッパを脱ぐときに、トイレから後ろ向きに出ることが多いです。見える人は、何もないことがわかっていても、前向きに歩きたいみたいで、旦那のスリッパがそろってないんです(笑)。

 

伊藤 (笑)見える人が後ろに歩けるのは、一歩までですね。それ以上は怖いです。

 

中瀬 イラっとはするんですけど、見えるんだからしょうがないかって(笑)。

 

伊藤 恵里さんにとっては前も後ろも変わらないわけですね。

 

中瀬 変わらないですね。家の中だと特に。外だと杖でさぐってないので、言われてみれば確かにあぶないので、最近はがんばってやめるようにしてます(笑)。

 

◎自宅からオフィスまで

伊藤 歩くことに関して、最寄駅からご自宅まではどのように来ていますか。

 

中瀬 商店街もない道を通っているので、匂いはあまり手がかりになりません。だから足の裏の感覚を重視して歩いていると思います。信号は点字ブロックや音響信号で分かります。あとは縁石にそって歩くというのが私にとってはけっこう重要で、杖で道の縁をガリガリ触りながら歩きます。自宅のマンションの探し方としては、道のタイルを張り替えたところがあって、そこだけつるっとしてるんです。そこに来たら、そろそろだなと思って、杖で探っていって、植え込みにざくっという音をさせながらスロープに杖がぶつかると、「あ、ここ」と分かります。

 本当は道の脇に壁があると安定してるんです。杖を振りながら反響音を聞いていると、だいたいまっすぐ歩けちゃうんですけど、あの道は歩く側によっては壁がないので、縁石や下をたどります。あとは、車の音と自分を平行に、というふうに調整することもできなくないんですが、疲れていたり寝不足で調子が悪いときには、曲がってしまったりして、あまり安定しては歩けないですね。調子が悪いと、電信柱につっこんじゃったりもしますね。

 

伊藤 なるほど。マンションの前をどうやって見分けているんだろうと思っていたんですが、タイルだったんですね。帰りに確認してみます(写真参照)

 

中瀬 杖のすべりが急にすべりやすくなるんです。色も同じなので触らないと分からないかもしれません。

 職場に行くときも、オフィス街なので匂いの手がかりがなく、音響信号と足の裏の感覚、それと杖を振って探す感じですね。会社の建物の入り口が道から少し引っ込んだところにあるので、探しにくいんですよ。柱の数を数えて、曲がるのにちょうどいいところを見つけています。

 

伊藤 ということは、場所によって杖の振り方を変えているんですね。

 

中瀬 変えてますね。杖の手がかりがあまりいらないところだと、擦ったりもしないで、ポンポンと横に振ってるだけです。縁石のときはたどるようにさぐるし、道の脇に地下に降りる階段があるときは落ちないようにさぐります。

 

伊藤 通勤の経路だと、ここはこういう空間だというのがわかったうえで、杖の振り方を変えていくんですね。柱の数で曲がるところを把握するというのは面白い目印ですね。

 

中瀬 前に、親切な人が声をかけてきて、私をどうしてもオフィスまで案内したいとのことでした。オフィスがどこか聞かれたんですが、説明できなくて。「柱2本めです」って言って「どこから2本目ですか」って聞かれても困ってしまう(笑)。見える人は何を目印にしているのかなって。自宅に帰るときも、自分はこう行くけど、この道をどう伝えたら見える人は間違わずに行ってくれるのか、まずそこが分からなくて、それで声をかけてもらってもサポートを断るということがけっこうあります。

 

伊藤 確かに「つるつるのタイルのところのマンションです」って言われても、見える人は気づかないですね(笑)。目印がパーソナルだから共有が難しいですね。見えない人どうしでそういう話をすることはありますか。

 

中瀬 あまりしないですね。ただ、震災のあとの計画停電のときに、弱視の人が、自販機の灯りを目印にしていたので、それが消えてしまって道に迷ったという話はよく聞きました。私は光が見えないので、自販機を目印にすることはあまりなく、するとしてもゴーっという音なので、光というのは考えもつかなかったです。見え方によってこんなに違うんだというのはびっくりしましたね。

 

◎りんごの皮むき

伊藤 これまでに、身につけるのに苦労した技術はありますか。

 

中瀬 あります。基本的に「見よう見まね」ができないので、すべての技術において、人がやっているところを触るか、自分がやっているところを人に手をとって教えてもらうか、あるいはテレビとかでやっていることを聞いてなんとなくやってみる、というような習得方法になります。すごく苦労した記憶があるのは、りんごの皮むきです。包丁じたいは、保育園で飼っていた鶏のためにキャベツをきざんでいたので、使っていたんです。

 

伊藤 保育園で包丁は早いですね。

 

中瀬 包丁は、刃の場所を把握して、手を置いてはだめなことなどを教えてもらったら、あとは切っているうちに分かって、わりと習得が早かったんです。でもりんごの皮むきって、やってるのを触るのがすごく怖くて、指が切れるんじゃないかと思うと思い切って触れなくて、かといって自分でやってもなかなかきれいにできなくて、苦労しました。

 

伊藤 丸のままむいていくときには、面も曲面だし、皮のあるところとないところを辿っていかないといけませんね。

 

中瀬 親に「包丁を動かさないでりんごを動かすんだ」と言われてますます分からなくなりました(笑)。どうやってりんごを動かしたらいいのかが分からなかった。今はプロ級にできるようになりましたが(笑)。やっぱり父親の手を触らせてもらって、理屈を理解して、自分でイメージして、真似てできるようになった感じだと思います。

 あと最近苦労したのが、パワーポイントの操作法です。パワーポイントの操作を習得する大変さは二つあります。一つはマウスを使わずにパソコンを動かす方法の習得です。スクリーンリーダーユーザーは、キーボードで操作するので、マウスを使わないんです。ショートカットキーを使ったり、メニューの中を移動するときは矢印キーを使ったりして、すべてキーボードで操作しています。

 もう一つは、スライドを作りながらレイアウトをイメージすることです。たとえば「上に文章があって、下に二つの枠があって左に写真を入れて…」っていうのが、どういうような状態なのかっていうのをちゃんとイメージできていないと、見える人向けのプレゼンのスライドは作れないんです。

 仕事をする上で、ある程度自分で線引きした面があります。見た目を整えるとか、見やすいものを作るという作業は、できたのに越したことはないけど、自分でやりすぎないうちに、同僚に任せたほうがうまくいく。パワポでも、スライドのタイトルと中身と写真の位置くらいを指定して、あとは同僚に渡してレイアウトや文字の大きさとかはお願いしたほうが、お互いいい。必死に頑張ってやったことが必ずしもいいとは限らないので。自分でやろうとすることは大切だけど、人に任せたほうがいいところはあるな、と思うようになりました。

 

伊藤 なるほど。恵里さんからするとパワポを作ることで、分かりやすくなる感じというのはあるんですか?

 

中瀬 作る過程で、情報をまとめる作業をするので、分かりやすくなると感じます。まとめる作業自体は意味があると思いますよ。聞いている側だったら、パワポである必要性はとくに感じないですけど、世の中がそうなってきてるから、パワポも使えたほうがいいかな、という感じです。

 あと、見える人は表が好きですよね。会社で記事を書いていて、賞を受賞したという記事があったとしますよね。Aさんが1番、Bさんが2番、Cさんが3番の賞を受賞した場合、私は文章でそう言われたほうが頭に入るけど、特に上司からは「項目が3つくらいになったら、『受賞者は下記の通りです』として、表をつけてほしい」と言われます。そういう「一覧性」みたいな見方をするというのが最近分かってきました。

 

伊藤 見える人は、情報の階層が欲しくなるんですよね。「ここは重要」「ここは時間があったら読んで」みたいなメリハリをつけてくれていると気が楽になるんです。

 

中瀬 点字も、上と下に線をつけて強調したり、表を作ることもできるんですが、あまりやらないですね。逆に解釈しなくちゃいけない面が増えてくるんですよね。グラフだったら「あ、ここはこの目盛りだ」みたいなことをいちいち確認していかなきゃいけない、というのがけっこうしんどい。

 

伊藤 見えていると、要素を比較するというのはとても楽なんですよね。表があると要素ができるし、表と地の文があったらどっちが重要かと比較できる。見えない人は、自分で解釈しなければいけない量が多いのではないか、だからこそ逆に解釈する力があるんじゃないか、という気がします。

 

中瀬 それは分かります。道を歩いていても、見える人はぼうっと歩いていても大丈夫でも、見えない人は注意してないと迷っちゃいますし。そういえば、昨日タイミングよく道に迷いました(笑)

 

伊藤 おっ(笑)どこでですか。

 

中瀬 白杖の修理をしたくて、高田馬場の日盲連まで行ったんです。行きは暑くてタクシーに乗ったんですが、帰りは「NPO法人ことばの道案内」というのがあって、いろいろなところからの行き方を言葉で教えてくれるサイトがあるんです。「次の交差点を二時の方向に曲がって」みたいにとても細かく教えてくれるんです。途中まですごく順調だったんですけど、説明の項目がとても多いので、「十時の方向に行って二時の方向に行ってまた十時の方向に…」みたいな感じで、歩いているうちにどこの項目まで行ったのか分からなくなっちゃって(笑)。

 

伊藤 情報のなかでまず迷っちゃったんですね。

 

中瀬 iPhoneにGPSのアプリも入れているので、駅に近づいていることは分かるんですが、結局迷った状態から抜け出せなくて。ふらふら歩いていたら親切な人が声をかけてくれて、そこから連れていってもらいました(笑)。

 

伊藤 どの程度の細かい情報が欲しいかは、人によってそうとう違いそうですね。恵里さん、今日はいろいろ面白いエピソードを準備してくださりありがとうございました。ニヤニヤしながら聞いておりました(笑)

 

 (2017/8/9ご自宅にて)