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バンバンクラブ勉強会

目の見えない人やその他障害のある方のための伴走・伴歩のクラブ、「バンバンクラブ」の勉強会にお招きいただきました。午前中に炎天下の葛西臨海公園で走りこんだあと、午後から勉強会(三部構成、4時間半!)をしようという精神にまずは脱帽です。しかし実際に参加してみて、クラブの雰囲気のよさを実感。これなら1日を仲間と一緒に過ごしたいという気持ちもわかる気がしました。みんな「バンバンネーム」を持っていて、それで呼び合っています。

私が担当したのは第二部の鼎談のモデレータと第三部の講演。以下は、やぶたろうさんとドラさん、対照的な二人との鼎談の様子です。ほぼ先天盲のやぶたろうさんの世界を理解するのに四苦八苦しています(笑)。写真は、会の最後にいただいた特注のビブスと手作りのロープ、お菓子の首飾り。暖かく迎えていただきありがとうございました。MHさん、お世話になりました。すばらしい会でした!

 

◎代々木公園・伴走伴歩クラブ(通称 バンバンクラブ)

障害(視覚・盲ろう・知的・肢体・・・)を持った方が、伴走・伴歩者とランニング&ウォーキングを楽しむクラブ。2005年に沖本武さんが創設し、現在の登録会員数は1,200人程度。東京とその近郊を中心に、毎週土曜日に活動。定期的に勉強会やイベントを実施。

 

◎登壇者

やぶたろう(50代、全盲、走歴38年)

ドラ(60代、全盲、走歴7年)


 バンバンクラブ勉強会(2部)2016年7月30日@南葛西第二中学校

○対照的な認知スタイル

伊藤 ではこれから公開インタビューのような形で、やぶたろうさんとドラさんにお話をうかがっていきたいと思います。最初に、お二人の見え方を教えていただけますか。

 

やぶ やぶたろうは、目を一つは11歳、もう一つは38歳のときに摘出しました。もともと先天性の緑内障という、目が大きくなっちゃう病気だったんです。11歳のときのは、看板にぶつかって目が破裂しました。20歳のころから全然見えなかったんですが、38歳のときに、くしゃみをしたとたんに目から血が出てきて、もう目なんかいらないということでもう一つも摘出しました。目がなくなったので、ぶつかって破裂する心配がなくなって、今は思いっきり走れる感じですね(会場笑)。走るのは20歳からやっています。いま38年目です。

 

伊藤 破裂する心配は常にあったんですか。

 

やぶ 常にありました。「木の枝が刺さったらどうしよう」とか、「車の後ろから何か出ていたらどうしよう」とか。そういう怖さは常に、常にです。

 

伊藤 見えていた時期もあるんですね?

 

やぶ 見えていたとは言えないですね。自分なりによく見えていたときは、ホームに立っていて赤い電車がやってくることぐらいは分かったかな。見えるうちに入るか入らないか分からないけれど。

 

伊藤 たとえば今いるこの会場はどんなふうにイメージしていますか?イメージ、という言い方はおかしいかもしれませんが…たとえば、広さや窓の様子など、気にしていますか。

 

やぶ 難しいね…窓は全然気にしていないね。広さも…それなりなんだろうな、というぐらいで…気にしてないね、はい。今日ここに来て話すのにドキドキしちゃって、それどころじゃないね(笑)

 

伊藤 さっき、休憩時間に笛を吹いてらっしゃいましたよね。

 

やぶ ほんとは笛よりホラ吹くほうが得意なんですが(会場笑)。あ、今日はラジオの取材が来るというので先生より面白いこと言っちゃいけないね(笑)。

 

伊藤 (笑)ありがとうございます。ではお二人目、ドラさん。見え方はどんな感じですか。

 

ドラ 全盲です。ふつう、全盲というと「目の前が真っ暗け」というのをイメージすると思うんですが、私の場合はそうじゃないんです。原因不明の視神経萎縮症で、じわじわと見えなくなりました。二十歳までは視力が1.5あって、イラストレーターをしていました。だんだん絵を描いていても見えにくくなってきたり、細かい仕事をしているときにふっと目をあげるとカレンダーや時計が見えなくなってきました。あるときバイクで事故を起こしかけて、視野がとても狭くなっていることに気づいて、いろいろな病院で検査をしました。視神経が萎縮しているのが見つかったけど、原因は分からず、現代医学では直しようがないと言われました。

 見えなくなってきた当初は、真っ黄色に見えることもあるし、赤黒くなっていることもあるし、その中にぼんやり風景が見えているという感じでしたが、だんだんモヤの方が濃くなってきて、視野も狭まってきました。中心部から下は全く見えていなかったので、足元を通った子供を蹴飛ばして、まわりの人に「なんてひどいやつだ」と思われたりしました(笑)。

 それでも白杖を持ちなくないという見栄があったので、傘を持ち歩いて、先を探りながら「誰も寄ってこないでね」という感じで全身の神経を尖がらせながら歩くという時期がありました。でもある程度見えなくなって、友達に説得されて、白杖を持とうと決心して、それでようやく自分の障害を受け入れることができたんです。

 見え方は日によって違います。今は目の前が真っ白で、そこに緑色とかいろいろな色が浮いているような感じです。体調によって目の前が暗くなることもあって、本当に真っ暗になったら怖くて足が一歩も出ないかもしれないんですが、何となく見えそうで見えないという状態なので、そこに自分で勝手にイメージを割り当てています。さっきそこで椅子に座っていたときには、壇上にいる人たちが緑色っぽい机に並んでいる感じがしていたんですが、今自分が壇上に来てみると、今度は後ろに緑色の黒板があるようなイメージを描いています。気にしているわけではないんですが、勝手にイメージしてしまうんです。ある部屋に入ったりとか、道路を歩いていたりすると、イメージができてしまっていて、そのときにガイドしてくれる人が具体的な説明をしてくれると、自分の頭の中で描いているイメージが「このあたりにこういう店がある、じゃあ、道路はこのあたりにこういうふうに走ってる、こちらにはこういう川が流れている」みたいな感じで、ぼんやりとした風景のなかにひとつずつ鮮明に作られていくんです。ジグソーパズルみたいに作られていく、そういうイメージのなかで行動しています。

 

伊藤 なるほど。ドラさんは、無意識的にまわりの環境をイメージしようという傾向がはたらくんですね。音はどうですか。たとえば今、外で工事の音がしてますよね。こういう音は頭の中のイメージに変化を与えますか。

 

ドラ ありますね。見えていたころ、遠くで何か破裂するような音がすると、目をつむっていても花火のようなものがパシャーンと広がるということがありました。たぶん他のみなさんでもあるんじゃないかと思いますが、音に反応して脳の中の視力を司るところに刺激が入って、一瞬にしてイメージが出てくるんじゃないでしょうか。

 常に声や風のような周りの刺激を使ってイメージを作っているんですが、あるときガード下のうるさい騒音の中を走ったときは、周りの情報がわからなくなって怖かったです。

 

伊藤 ありがとうございます。お話を聞くと、お二人はかなり対照的な見方をされているようですね。ドラさんはイメージを作りながら動いていて、それが安心につながる。一方でやぶたろうさんは、周りの空間のことはあまり気にせず、ゴーイング・マイ・ウェイというか(笑)、環境のイメージがなくても恐怖心なく動ける。

 

やぶ そう、目では全くイメージしないですね。

 

伊藤 音はどうですか。

 

やぶ 音は大事だよね。たとえばマラソンのレースのとき、近頃応援でラッパ吹いたり太鼓叩いたりしてるでしょ、ああいうのが俺にとっては迷惑で。足音とか気にしているからね。

 

○ロープを通した「思い」のやりとり

伊藤 走っているときに一番大事な情報は何ですか。

 

やぶ やっぱりロープを持ってる左手だよね。伴走から伝わってくる「ちょっと曲がってるよ」とか、言葉で説明するのは難しいけど、ちょっとした動きで分かるよね。そういった情報が気になって、どうしても左手って振らなくなっちゃうけど。

 

伊藤 ロープを通してどんな情報をやりとりする「言葉にできないような情報」って何なんでしょう。

 

ドラ やぶたろうさんがおっしゃったような、ちょっとずつ左にカーブするんだろうな、とか、伴走者の「判断」が伝わってきますよね。いつも一緒に走っている伴走ほど、それほど言葉で説明してもらわなくても、手から伝わってくることからそうとういろんなことが感じられます。たとえば、「さあこの辺からスピード出していこうか」という思いのようなものが、お互いに、手を通して通じあう。あるいはこっちが「ちょっと飛ばしたいな」と思っても、相手が「前が詰まってるから待ちなさい」といったことも伝わってきます。

 

伊藤 なるほど。方向などの情報だけでなく、意志の対話みたいなものも、ロープを通して交わされるんですね。日常生活ではガイドの肩や肘を触れることがほとんどだと思いますが、それと紐では情報の伝わり方が違いますか。

 

やぶ そうねえ…日常のガイドと走るのでは違いますね。全然違いますね。違うと思います。

 

伊藤 どんな違いですかねえ。障害物の存在を伝えたり、向きを教えたりするという意味では同じだと思いますが。

 

やぶ 何といったらいいのかなあ。杖も持ってないし、スピードも全然違うしね。

 

ドラ 走っているときは、二人で同じ動きをしてるんです。紐を持ってますけど、腕が触れそうな状態で同じ動きをしていますよね。日常生活では、あっち向いたりこっち向いたりしているし、こちらも、次は車に乗るんだな、とか先にある行動を予想しながら動いています。ランニングだと、予測しなくてもずっと同じ動きを続けられる。

 

伊藤 なるほど。同じ動きをずっとしているということは、ランニングの方が集中しているということですか?リラックスしているという感じ?

 

ドラ 目が見えている人でも、走っているときは、ある部分は緊張していると思うんです。走り慣れているコースを走り慣れている相手と走るときには、だいたい今どのあたりかなというのを想像しながら、かなりリラックスしています。でもレースのときはまた違います。初めてでたレースで、ゴール寸前で、右から入ってきた目が見えているランナーに横切られて、足をひっかけられて危うく転びそうになったことがちょっとトラウマになっています。カーブのときは、こっちに来ないでという感じで、つないでいない方の手を外に開いて身構えてしまいます。

 

伊藤 なるほど。何が起こるかわからない緊張があるということですね。長い距離を走っていくなかで、ランナーズハイみたいな感じはありますか。

 

やぶ それはいつもありますね。十年くらい前だったかな、いつも歩数を数えながら走っているんだけど、このくらいのスピードで千歩くらい走ったら1キロだなというのがだんだん分かってきたんですよね。そうすると、距離の不安がなくなるので、だいぶ楽になりました。

 

伊藤 距離を歩数×速度に変換して感じるんですね。面白いですね。

 

やぶ 若い時は、今何分走ったかということを伴走によく聞いていたんだけど、今はそういうことはないかな。

 

ドラ 私はやぶたろうさんみたいな快速ランナーじゃないので、ファンランみたいな感じでまわりの環境を楽しむことが中心でした。でも最近はスピードトレーニングを初めて、歩数を数えるようになりました。歩数を数えながら走るとそんなにつらくないですね。

 

伊藤 やぶたろうさんは快速ランナーなんですね。スピードを感じるっていうのはどういう感覚なんでしょうか。もちろん測れば速さは分かりますが、体感としてどんなふうに感じますか。

 

やぶ 体が「ぴゅっ」と行く感じかな…(会場笑)。膝の上に体が乗って、前へ行く感じかなあ。そういう感じがすると、1キロ4分切るくらいの速さかな。若いころはそんな感じがありました。

 

伊藤 なるほど。体の重さの感覚のようなものでスピードを感じるというのは面白いですね。

 

ドラ 私は「天気がいいときに外を歩きたいな」というところから始めました。最初レースで5キロ走れたときは、それでもう満足でした。風を感じたり風景を楽しめればよかった。そこから距離を伸ばしていきましたが、最近は7年目でだんだん欲が出て、もうちょっと速く走りたいと思うようになってきましたね。

 

○レースの記憶

伊藤 風景を感じるということについてですが、見えている人の場合は、自分の体が前に進めば風景が後ろに流れいきますよね。そういう感覚はあるのですか。

 

ドラ 霧のような感じでも風景の中を走っている感じはありますね。そのときに伴走者がいろいろ教えてくれると、レースが終わってから振り返ると、あたかも自分の目で見て走っていたかのように、そのレースを思い出すんですよ。

 

伊藤 なるほど。走っているときと、振り返るときでは、「見え方」がちょっと違うんですね。

 

ドラ 走っているときは必死なので、「花が咲いてますよ」なんて言われても、「ああそうなんだ」くらいですが、あとから思い返すと、「25キロすぎから坂がきつくなってきて、苦しかったけど、花がきれいに咲いている中を走っていたな」と見たように思い出すんです。

 

伊藤 思い出したときに風景が見えてくるというのは面白いですね。しかもちゃんと「25キロ地点で」というような位置情報も入っているんですね。

 

ドラ 「○キロあたりにあるか」ということを基準にして情報を組み立てているんです。

 

伊藤 それはコース全体をマップのように俯瞰してイメージしているということですか。

 

ドラ 走る前にコースがどういう感じかという見取り図を全員もらいます。それを伴走者から教えてもらって、頭にいれておいて、実際に走りながら、花や橋やいろいろな情報をそこに加えていきます。覚えていようと思わなくても、自然に頭に刻みつけられます。数字と風景が結びついていくんです。

 

伊藤 走っているときに、マップの中のどこにいるかという現在地点をイメージしているということですね。

 

ドラ あとはゴールまでどんなコースになっているか、というようなことはイメージしていますね。

 

伊藤 面白いですね。最初はざっくりしたマップの情報が、実際に走ることで細部が鮮明に書き込まれていくわけですね。

 やぶたろうさんはどうですか。レースを思い出すことはありますか。

 

やぶ よく覚えていますよ。風景はよくわからないから、あそこは坂だったとか、橋を渡ったとか、そういったことですね。特に飛騨とか山の中のレースが好きです。景色という感覚とは違うんだけどね。

 

伊藤 景色じゃない山の中の感覚…ビジュアルではないわけですよね。

 

やぶ 何ていうんだろうねえ(笑)説明できないねえ。こういう感じの山だったなあとか、山道の感覚とかですかね。

 

伊藤 思い出すときは、一歩一歩踏んでる感覚も思い出すんですか?

 

やぶ 踏んでる感覚は思い出さないね。苦しかったこととか、悔しかったこととか、ね。

 

伊藤 やはりマップの情報がベースになっているんですか。

 

やぶ はしゃぐタチなんでね(笑)。最初にスピードを出しすぎちゃう。だいたいひどい思いをするんで、大変なところは情報として覚えておかないとね。

 

伊藤 レースのことが夢に出てくることはありますか。

 

やぶ 夢ねえ…やぶたろう夢見ないんだよねえ。死んだ女房も一回も出てきたことない(笑)。

 

伊藤 深くていい眠りっていうことですね(笑)。

 あそこは失敗したな、とか反省することはありますよね。

 

やぶ 反省しきりでございます(笑)。高山の100キロマラソンで、最初自分としてはゆっくり行ったつもりが、はしゃいでしまって、30キロですでに潰れてしまって、結局74キロで止めました。10時間くらいかかりましたね。

 

伊藤 やっぱりペース配分が課題ですか。

 

やぶ ペース配分と、あと痩せたことが影響しているかもしれないね。

 

伊藤 同じコースを何度も走ることはありますか。

 

やぶ よくあります。館山のわかしおマラソンは毎年出ていますね。

 

伊藤 そうするとコースの情報もだいぶ覚えていますよね。

 

やぶ そうだねえ、覚えているね。「もうちょっと行くとヘアピンだな」とかね。

 

伊藤 でもそれは風景じゃないんですよね。ということは、「ヘアピン」というのは言葉で覚えているんですか?

 

やぶ 言葉じゃないね。走っていると分かるよね。「もうちょっと行くと海岸だな」とかね。

 

伊藤 「ちょっと先が見える」という感じですかね。「つぎヘアピンだぞ」と思うと、どういうふうになるんですかね。ジグザクの道をイメージするのとも違うんですよね。

 

やぶ うん…わかしおマラソンだと23キロ地点のところでぐるっとUターンするんだけど、その手前に陸橋があって、陸橋をすぎると500メートル急坂をのぼって、それで左側にUターンするというふうになっている。だから陸橋すぎると、「ああもうすぐだな」と思う、ということかな。

 

伊藤 音楽のメロディーを覚えているみたいな感じですかね。

 

やぶ ちょっと違うんじゃないの(会場笑)。

 

伊藤 (笑)もうちょっとヒントが欲しいなあ。覚える仕組みが違うんだと思うんですよね。それがどういう違いなのかなあ。

 

やぶ 何度か走ってればねえ、そのうち右へ曲がるってのが分かるよね。

 

伊藤 ダンスの振り付けみたいな感じなのかなあ。次はこれが来てこれが来てこうなる、みたい手順を体の動きとして覚えるというか。

 

やぶ 体の動きとも違うなあ(笑)。もうすぐ曲がるから曲がるんで、どういうふうに覚えていると言われても困ったなあ(会場笑)。

 

伊藤 (笑)「曲がる」ってどういうことですかねえ。見えている場合は、曲がると風景が回るので、曲がったことがはっきり分かります。やぶたろうさんはそういう分かり方じゃないんですよね。

 

やぶ 曲がるは曲がるだよねえ(会場笑)。わたし根性もだいぶ曲がってますけれど(笑)、右へ曲がるは右へ曲がるだし、左へ曲がるは左へ曲がるだよねえ(笑)。

 

伊藤 (笑)はい、すみません。研究者魂はしつこいんです(笑)。ありがとうございます。

 ドラさんは夢を見ますか?

 

ドラ 夢はよく見ます。ユングに関心があって夢日記をつけています。以前は不健康な夢が多かったのですが、最近は健康的な夢ですね。たとえば、街をぐるぐる歩いていて、「あ、あそこに杖を忘れてきちゃった、でも見えてるからいいや」みたいな感じで、なくても歩けて喜んでいたりします。あとは、本屋に行くことも多いです。「私が目が見えなくなっているあいだに、こんな本も出ていた、あんな本も出ていた」と、夢の中で本を読み漁っていたりします。あくまで勝手に出てきた本です。

 

伊藤 夢の中では見える人という設定になっているけど、白杖が出てきたり、混ざっているわけですね。

 

ドラ そうですね。一瞬、白杖がなくて焦るんですが、見えるようになったと思って喜んで歩き回っています。でも目がさめると、「やっぱり白杖がないとだめかあ」となるんですが。

 

伊藤 夢の中の風景は現実に見た風景ですか。

 

ドラ むかし見ていた風景をやりくりしているのかなと思うんですが、こんな風景あったのかなと思うようなことが多いです。どこからそれが出てきたのかはよくわかりません。知らない、行ったことのない街を歩いています。オリンピックが近いとなったら、外国人がいるところを歩いていたりとか。

 

伊藤 面白いですね。先ほどの本の話もそうですが、内容はフィクションでも、オリンピックなどの時事的な出来事の影響を受けているんですね。

 

ドラ ニュースを聞いていると画面が見えていたような気がしているからだと思います。視覚を使っていますね。点字を読んでいても、目がすごく疲れます。

 

伊藤 へえ、点字で目が疲れるんですね。

 

ドラ 国家試験を受けるための勉強とか、楽しみではない目的でテープを聴いているときにも目が疲れますね。細かい字を読んで目が疲れるときと同じ疲れ方です。いろいろな情報が耳や指から入ってきても、それを脳が処理するときには、視覚的な情報を処理するところが働いているじゃないかなと思います。

 

やぶ やぶたろうも夢見ました、そういえば!(会場笑)学生のころ、よく夢を見ました。二つの夢があります。一つは、道に迷っていて、誰も教えてくれない夢。もう一つは、赤点をとって、先生のところに頼みにいく夢。いやな夢で、今はありがたいことに夢は見ません。

 

伊藤 辛い夢ですね(笑)。それは風景でない仕方で見るわけですよね。

 

やぶ 風景じゃないですね。どちらも困っている夢なので、「ああやだな」という感じです。

 

伊藤 困った状況に取り憑かれている状態が続く感じですね。

 

やぶ そう、そうです。

 

○「走る」とは

伊藤 そもそもの質問になりますが、走る楽しさってどこにありますか。

 

やぶ やぶたろうは、一般ランナーとかけっこできることが楽しいです。これがモチベーションでずっとやっているんです。79年に初めて青梅マラソンを走りましたけど、走っている途中で「周りを走っているのはみんな目の見えている一般ランナーなんだ」と思ったときに、「あ、なんかオレすごいことやっちゃってんじゃない」ということに気づいた。当時は、目が見えなくてマラソンやっている奴なんて誰もいなかったし、一回でやめようと思っていたんだけど、きっと将来はいろんなマラソンレースを走れるようになるかもしれない、諦めちゃいけないと思ってずーとやっております。

 

伊藤 一般ランナーと一緒に走ってるというのは、競争できているということ?

 

やぶ そういうことだよね。べつに3000人いて3000位でもいいんだよ。見えない奴5人で1位になるよりよっぽどマシです。それが楽しいからやってんですよ。

 

伊藤 盲学校で走ることはありましたか?なぜマラソンを選んだんですか。

 

やぶ 盲学校らしいスポーツはいろいろやりましたけどね。当時、盲人野球というのをやってたんだけど、冬になって毎日5キロ、8キロと走っているところを陸上の先生が見て、「おまえらそんなに走っているなら青梅マラソンに今度一緒に出ようよ」ということになり、誘われて出ました。それが37年前で、そのときは伴走をつけて走るというのはありえない世界だったんでね。

 

伊藤 本当にパイオニア、第1号だったんですね。

 

やぶ 他の県でどうだったかは分からないけど、あまり聞いた事ないね。大もめにもめたりなんかしたしね。次の年はなおもめましたけれどね。

 

伊藤 どこがもめたんですか。

 

やぶ 最初のときは、確か先生が高体連(全国高等学校体育連盟)に根回ししたんだよね。「今年だけいいじゃないか」という感じでなんとなく出ちゃった。次の年は真正面から行ったんでもめて、結果的には15分遅れで後からスタートという形になった。一緒に走れなかったし、記録もなしですね。だから、「勝手に走りたきゃ走ってください」という感じかな。そういう時代だったんですよ。

 

伊藤 そこから時代の変化をずっと見てこられたわけですよね。

 

やぶ 大変な時代をみんなでやってきたんですね。80年代当時は、直接相談すると断られるんで、申し込み用紙を2枚出して、適当に並んで走っちゃう。向こうが「あ、あ、あ」と言ってるときには、もうスタートしちゃってる(会場笑)。ただ、その代わり絶対に根を上げない。なるべく早くゴールして、「どうもどうも」って涼しい顔して帰る(会場笑)。途中でつぶれたりすると、もう来ないでくれってことになっちゃうからね。それは暗黙のルールとしてみんなでやってましたね。

 

伊藤 まさに道がないところに道を作っていたわけですね。すごいですね。

 ドラさんは、走る楽しさ、気持ち良さはどのあたりにありますか。

 

ドラ 私はうちにこもって仕事をしていたときに、友達と芝生がある公園に行って、両側から腕を組んでもらって、スキップしたんですね。スキップは怖くなかったんです。そのとき、両足が宙に浮く瞬間というのが何とも快感で。目が悪くなってから、電車のホームから落ちたり、大怪我することが多くなって、だんだん摺り足で歩くようになっていたんですね。それが、スキップした瞬間に、「ああ、この感触、久しく忘れていたな」と思った。それが忘れられなくなって、ランニングにつながっていったんです。

 

伊藤 なるほど。見えなくなると、足の裏から情報を入手しなければいけないし、恐怖心があるので、どうしても両足を地面から離すという機会が減りますね。スキップは、そうやっていつも足を擦っていた状態から、解放される感じがあったわけですね。

 

ドラ そうですね。スキップってその場で飛び上がるから、ランニングより怖くないんですよね。スキップが怖くなくて気持ち良かったから、走ってみたいなと思いました。そのあと一緒に走ってくれる人がご近所で見つかったんですが、最初に走ったときは怖かったですね。相手の人も伴走した経験がなかったし、紐も何を使ったらわからなくて、いろいろな素材を試していました。そのときはそろりそろり走って、気持ちいいねと言っていたんですが、次の瞬間にほんのちょっとの段差で転んじゃって。怖いなと思ったけど、だんだんベテランの伴走の人と走るようになって、「この人に任せ切っちゃおう、転んでもいいや」と割り切ったら怖く無くなってきました。

 

伊藤 自分で全部注意しなきゃと思うと緊張が勝ってしまうけど、伴走している相手に対して乗っかるという感触があって初めて走れるわけですね。

 

やぶ ガイドに対しては信頼だけだよね。信頼しなきゃ怖くて走れない。もう、お任せですね。

 

伊藤 その全てを任せる信頼感がこのバンバンクラブの仲の良さを作っているんでしょうね。やぶたろうさん、ドラさん、今日はどうもありがとうございました。