このHPを見てご連絡いただいた全盲のシンガーソングライター、大嶋潤子さんにインタビューを行いました。大嶋さんは見えなくなってから、しばしばスクリーンに映った文字や映像が見えるという不思議な経験をするようになりました。彼女が「心のスクリーン」と呼ぶこの現象について、ぞんぶんに語っていただいています。
◎大嶋潤子さんプロフィール
「あのオーラに触れると明日への希望が湧いてくる」
「私は32歳で光を失ったから幸せになりました!」
全盲のシンガーソングライター、カリスマ講師養成クラブ認定講師。
32歳で失明。41歳で歌に出会う。
自身の半生をドラマティックに語るトークコンサートと、心のスクリーンをテーマにしたセミナーライブを全国各地で展開中。
http://ashaoshima.web.fc2.com/index.html
大嶋潤子さんインタビュー 2016年9月2日 西葛西駅前のカラオケボックスにて
◎妊娠中の失明
伊藤 ファッションが素敵ですね。フェイスブックで拝見して、ステージ上の衣裳かなと思っていたら、普段もエスニックな服をきていらっしゃるんですね。
大嶋 ありがとうございます。これはインドの衣裳です。見えているときからだから、20数年こういう服を着ています。昔は変わり者だと思われていましたが(笑)、今は定着して「大嶋のイメージ」になっています。エキゾチックなモチーフ、たとえばこういう刺しゅうの形やペイズリー模様、あとは色づかいっていうんですかね、そういうところが好きですね。
伊藤 夏は涼しげですね。
大嶋 ええ、これは見た目は涼しそうなんですが、化繊なんで暑いんです(笑)。裏もついてます(笑)。みなさんが涼しく見えるように貢献して、エライですねえ(笑)。
伊藤 (笑)ではまず、いま見え方はどのような感じですか?
大嶋 ゼロです。全く見えません。光もほとんど分かりません。少し明るくなったり、暗くなったりということが分かるかどうかな、という感じですね。
伊藤 それは実際にまわりが明るいと明るく見えるときがあるということですか?
大嶋 そうですね、そういうときもありますね。
伊藤 体調に左右されることもありますか?
大嶋 そうですね、そうかもしれませんね。
伊藤 なるほど。でも基本的には何も見えない、真っ暗な状態ということですね。
大嶋 ええとね、真っ暗っていうより、色で言うと白っぽいグレー、そんな感じです。暗くないんです。白っぽいグレーが、明るいところに出るとやや白っぽくなったりするんです。微妙な差ですが、強いて色で言うとそんな感じです。
伊藤 いただいたメールだと、32歳の時に突然見えなくなったということですね。
大嶋 そうですねえ。何か変だなとは思っていたんですね。新聞を読んでいて、読もうとしていたところがパッと消えちゃったりしていたんで、その時点で視野がなくなっていたんでしょうね。へんだな、へんだなと思っていても、危機管理能力がなかったもので(笑)、ほっといたんです。今だったら行くと思うんですが、当時は若かったし、何の知識もなかったんで、疲れているのかな、くらいでした。そしたらある朝起きたら、ほとんど見えなくなっていた。白っぽいグレーでした。今よりは若干明るいくらいの差はありましたが、起きたらそうなっていたんです。前日までは、視野は欠けていたけれどぼんやりとは見えていたんですけどね。
伊藤 それは驚きましたね。
大嶋 びっくりですね。それで遅まきながら病院に行きました。急性緑内障と網膜剥離だと言われましたが、先生には怒られましたね。なんでこんなになるまで放っておいたんだって。これじゃ、海水浴で溺れた人に一週間経ってから人工呼吸するようなもんだから、これじゃ助けたくても助けられないじゃないかって。それで私はこの先生は正義感にあふれたいい先生だなって思いましたね(笑)。そのときはもう、自分の目は見えなくなるっていうのは直感でわかってましたから、そうだろうなと思っただけでしたけどね。
伊藤 それだけ急激な変化だと、新しい状態に慣れるのも大変ではなかったですか?
大嶋 大変でした。いきなり目隠しされるような感じでした。お医者さんに初めていったときに、手術をするという選択もあったんです。先生は、手術しても見えるようにはならないよってはっきり言ったんですが、もしかしたら、もうちょっと明るくなるかもしれないよ、っていう希望はないことはなかったんです。ただ、そのときお腹に子供がいたんです。手術って薬を使うじゃないですか。だからそれが子供に影響するのは絶対に嫌だったんです。そんな思いするくらいだったら、別に見えなくなってもいいや、ぐらいの感じでした。手術をするんであれば、子供が生まれてからやろうと思いました。まだ妊娠1−2ヶ月の大事なときでした。
伊藤 初めてのお子さんですよね。妊娠と、見えないこと、初めての経験が二つ同時に起こったわけですね。妊娠中はどんなふうにすごされていたんですか。
大嶋 そのとき、実は前の主人と離婚したんですね。見えなくなっちゃって、何もできないし、地方に住んでいたので、障害者手帳のことも知らないし、訓練という発想も浮かばないし、ただ部屋にこもって寝たきりでした。自分でトイレ行ってお風呂に入るのが精一杯。自分のためにお手伝いさんをやとってくれとも言えないし、実家に帰りたいということを切り出しました。それで、自分のわがままで帰ってきたんですね。実家が自分を受け入れてくれたんで、運がよかったですね。実家の近くの病院で出産しました。
伊藤 ビックイベントが続いて、不安ではなかったですか。
大嶋 そうですね。ただね、何というか…両親の庇護のもとにあれたというのはすごく安心だったし、自分の中に、自分の意識とは別に、もうひとつ子供の意識があるじゃないですか。そうすると、何か表現できない希望っていうんですかね、それがありましたね、今思うと。もちろん前途真暗ですよ。何もできないんだから。どうやって買い物をしよう、どうやって宅急便受け取ろう、とにかく何もできなかった。ただ、お腹に子供がいるのが一縷の希望でしたね。死のうとは思わなかった。
伊藤 お子さんが生まれた瞬間はどうでしたか。
大嶋 34歳で高齢出産でしたから、帝王切開で出産しました。がんばったんですが、子宮口が開かなくて。初めて子どもを抱っこしたときは、触りまくりましたね。ほんとうに可愛くて可愛くて(笑)。で、とっさに、指先で触ると爪でつついたりして大変だと思って、唇で顔を触りまくりましたね。ものすごい可愛かったですね。
◎心のスクリーン
伊藤 その後は子育てをなさりつつ、見えない世界に慣れていく過程があったわけですね。
大嶋 きっかけとなったのは、実家に帰ってきて、子供を抱いていたときに、「自分はこの子に何をしてやれるかな」と思ったんです。こんな目も見えなくなっちゃって、親として何を教えてあげられるんだろう、と。そう思ったときに、心のスクリーンに5つの文字が映ったんです。それがね、「不屈の精神」だったんです。黒くはっきりした文字で、縦にそう書いてあったのが映ったんです。それを「心の目で見る」という表現を私はしてるんですが、それを見たときに、「ああそうか!」って瞬間的に涙があふれてきました。抱っこしながら滝のように涙がでてくる。「自分は生涯をかけてこの子に不屈の精神を見せてやろう」と。それが、見えなくなって初めて泣いたときですね。
伊藤 「心のスクリーン」というのはどういうことですか。文字が見えるというのはどういうことですか。
大嶋 強いて言えば、映画のスクリーンみたいなものが胸のところにぱかっと入っていて、ここに映ったものが目の前に投影されてくるという感じですね。
伊藤 変な質問ですが、文字の字体はどんな感じですか?明朝体ですか?ゴシック体ですか?
大嶋 すごい面白い質問ですね(笑)。それ聞いた人いません(笑)。えっと、字体まではよく分からないんですけれども、はっきりとした、すうっとした形ですね。明朝体ではない、角が山になっていたりしない、ふつうの字体ですね。
伊藤 いつも縦書きなんですか?
大嶋 私の場合は縦書きに出てきます。
伊藤 それは何でしょうね…見えているときに本を読むのがお好きでしたか?
大嶋 好きでしたね。いろいろな本を読みました。シルクロードが好きで、『中央アジア探検』みたいなノンフィクション系の本を読んだりしましたね。
伊藤 文字に親しんでいたというのはあるんですね。
大嶋 それ以降も文字で出てくるのはありましたね。なぜかというのは分からないんですが…。これは後に勉強してわかったことですが、アメリカのカリフォリニア大学リバーサイド校のローレンス教授という方が、知覚能力の研究をなさっていて、人間はひとつの感覚を失うと、それを補うように他の感覚が研ぎ澄まされてくるということをおっしゃっています。心のスクリーンもそれじゃないかと思うんですね。知覚能力のあり方は、たぶん個人差がいろいろあると思うんですが、私の場合は心のスクリーンに映像や文字が映るという形なんです。映画を見るように。
伊藤 映画もお好きだったんですか?
大嶋 映画はあまりに見ていないですね。ただもともと見えていたので、映像をイメージしやすいというのはあると思いますね。
伊藤 スクリーンとして、四角いフレームも見える感じですか。
大嶋 スクリーンじたいは見えないんです。ただ、胸のところにあるな、という感覚ですね。スクリーンが胸にあって、映ったものが目の前に投影されてくる感覚なんですね。
伊藤 何だろう…夢を見ているような感じですか?
大嶋 夢とはちょっと違いますね。夢はその中に自分が入っている、三次元的感覚ですよね。でもスクリーンに映るのは二次元的なもので、それを自分が見ているんです。そこに文字が映ることがあるんです。
伊藤 「不屈の精神」という文字は、涙が出ているあいだも映っていたんですか?
大嶋 いや、そのときは映っていなかったですね。映っていたのは一瞬でしたね。
伊藤 面白いですね。そういうお話をうかがったのは初めてです。「不屈の精神」以降もいろいろな文字が映ったんですか?
大嶋 面白いのは、物事の本質が映るんです。たとえば、今の私のメンターである渋谷文武先生という方がいらっしゃるんです。2014年に自分で企画して、「トークコンサート」というのは初めてやりました。それでトークの部分をもっとブラッシュアップできないかと思って、You Tubeで「話し方教室」というワードで検索してみたら、一番最初にひっかかったのが、渋谷先生の「一瞬で人を惹きつける話し方」という動画だったんです。それがすごくて、「これだ!」と思って、渋谷先生の動画を次から次へと見ていきました。見終わった瞬間に、「この人に弟子入りしようかな」と考えていました。そしたら、心のスクリーンに「渋谷文武」っていう黒い文字が映って、それが背後から金色にぱっと光ったんです。それで即弟子入りして、現在に至るんですが、大正解でした。失敗したことはないですね。金色に光ったということは「この人のもとに行くと良いよ」ということなんですね。
伊藤 そのときも縦書きで、漢字で映ったんですか?
大嶋 漢字ですね。
伊藤 漢字はどうやって知ったんですか?
大嶋 ふつうスクリーンリーダーだと漢字まで読まないですが、名前については詳細読みにかけて、どういう漢字を書くのか見るんです。検索するときのも漢字は必要ですからね。亜紗先生の漢字も確認しました。
背後が金色に光ったというのは今までに2回あって、もう一回は現在の音楽プロデューサーと巡り会ったときです。だから探さなくていい、あっという間に決まるんです。この人だよっていうのを知らせてくれている、変な言い方ですけれどね。心のスクリーンがあると人生に迷いがなくなります。
伊藤 心のスクリーンにネガティブなメッセージが映ることもあるんですか。
大嶋 一度だけありました。あまりに見ないようにしていますけれどね。
伊藤 スクリーンが出てくる頻度はどのくらいですか?
大嶋 その質問に答える前に、スクリーンの別の使い方についてお話します。それは、自分の将来なりたい姿を映せるんです。そうするとそれが実現するんです。なので、使おうとと思えば何回でも使えるんです。
伊藤 なるほど、スクリーンに問いかけることができるんですね。
大嶋 自分の映したいものを映せるんです。自分が声楽の勉強をしていたとき、コンクールで入賞したいなと思って、自分が超一流のホールですごい衣装を着て手をひろげている様子を映すんです。そうすると、今度は自分の声がホールに響き渡っている感じとか、終わったあと、お客さんからブラボーの声がきた感じとか、自分の名前が呼ばれてガイドヘルパーさんと表彰台にあがってトロフィーをいただいて、こんどは客席の方を向いてトロフィーをかかげる瞬間とかを、あえて映し出すんです。そうするとそれが鮮明になってきて、それにむかって一生懸命練習するんです。そうすると、本当にそのとおりになるんです。
伊藤 その場合は、文字ではなくイメージなんですね。それも視覚的なものだけではなくて、かなり具体的な情景のなかに入れるんですね。
大嶋 そうですね。情景の中に入って、それを表現しているという感覚ですね。面白いですね。
伊藤 占いみたいなものに近いんですかね?
大嶋 占いというよりも…何といったらいいんでしょうかね。いろいろなものが見えるという人もいますが、そういうのとはちょっと違う気がしますね。見えないと、見えているものに振られることがないので、その人の波動、本質的なものを感じるというのはありますね。
伊藤 見えていたときとはだいぶ人との関わり方が変わりましたね。
大嶋 見えている人でも、心のスクリーンは持っているんだと思います。ただ見えているから、ふつうは必要ないんですよね。でも訓練によって見えてくる。見えなくなることによって、心のスクリーンが働きだすんですね。
伊藤 実際に人と会ったときに、どんなふうにイメージしますか。
大嶋 見えなくなった当初は、その人の外見をすごく気にしましたが、今は気にしないですね。外見的なことではなく、心的なものですね。暖かい人だな、とか、そいうことを気にしますね。見えるというより感じるというのが正しいですね。
伊藤 お話をうかがっていると、いろいろなタイプの感じ方をもっていらっしゃいますね。視覚的なものであっても、文字のように読むものもあれば、こうなりたい自分を鮮明にするときのように映像的なものもあり、さらには人と相対するときには非視覚的な感じるというレベルになる。いろんなチャンネルがありますね。
大嶋 そうですね。自分ではいっしょくたになっていますが、こうやってお話すると確かにいろいろありますね。
◎声楽
伊藤 声楽の勉強はいつごろ始められたんですか?
大嶋 41歳のときです。見えなくなって9年後です。子供が小学校1年くらいのときです。きっかけは、近所の音楽教室で子供がギターを習いはじめたことです。そこに子供を連れてった、というか子供が私を連れてくんですけどね(笑)。レッスンのあいだ、ロビーで待ってるですが、暇なんですよ(笑)。時間がもったいないなと思って、そうだ自分もここで何か習ってみようと気づいて、主人と相談して、その時間に空いていた声楽のレッスンを受けるようになりました。そんな他愛もないきっかけで、1年に1−2回行くカラオケでうまく歌えればいいよな、くらいのつもりでした。そこからのめり込んでいきました。
見えなくなっちゃうと、表現する手段というのがなくなっちゃうじゃないですか。もともと絵を描くのとか好きだったんですけどね。見えなくなっても、歌なら自在に思いを表現できる。私の声帯は声楽の発声に向いていたようで、のめり込んで、どんどん上達して、調子にのってますますのめり込んでいきました。
伊藤 見えなくなると、耳からの情報が重要になってくると思いますが、歌っているときは、自分の声で全身が満たされると思います。それはとても気持ちいいことだと思いますが、逆にまわりの状況が入りにくくなってしまうことはありませんか?
大嶋 それは不思議なんですが、舞台に立つと、自分の表現に全身全霊を傾けますが、お客さんの意識が手に取るようにわかるんです。サビのところで歌い上げるときは、地引網をかけて、魚がいっぱいかかっているのを引き上げるような感じですね(笑)。もう一人の自分がいて、自分に対して意識を向けている感じですかね。
伊藤 見えているときは人前に出ることはあったんですか。
大嶋 ないです、すごくあがり症だったしね。
伊藤 どんな子供時代、少女時代でしたか。
大嶋 そうねえ…どんなだったかなあ。活発でよくしゃべる子ではあったと思いますが、一人で本を読んだり絵を描いたり、机の上で作業するのが好きでしたね。暗いですね(笑)。仏像とか石像のイメージ好きでね、ああいうのをたくさん描いていましたね。考古学、天文学が好きでしたね。20代は国家試験の勉強に明け暮れていいましたね。
伊藤 見えていたころのご自分と今のご自分、そうとう変わったなという印象ですか?周りの人にどう言われますか。
大嶋 もう別人です。周りの人に言われるというのは、見えていたころの知り合いに会わないので、あまりないですね。やっぱり見えなくなってしまうと、一切の関係を絶ってしまうんですね。かわいそうと思われるのが嫌なんでしょうね。そこから這い上がっていく過程で知り合った人と今も付き合っている感じです。中途失明者だとそういう人が多いですね。今は見える人の知り合いがほとんどです。見えない人の知り合いもいますが、付き合いはないですね。
いまの付き合いは、渋谷先生のカリスマ講師養成クラブの仲間が自分のホームグラウンドになっています。起業家、お医者さん、先生、いろいろな職業の方がいらっしゃいますね。
伊藤 歌うことと話すことは似ていますね。
大嶋 そうですね。私の場合は、トークコンサートとセミナーライブというのをやっているので、二つを合わせたようなことをやっています。トークコンサートの一番基本的な形は、前半30分で自分の半生をしゃべって、後半で歌うという感じですね。セミナーでは、心のスクリーンを開発するにはどうしたらいいか、自分の経験から考えたことを話しています。アイマスクをしてもらって、点図を触ってもらいます。見たくても見れないので心のスクリーンを働かせることで、だんだん見れるようになるんじゃないかと私は思うんです。聴覚に関しては、音声パソコンの読み上げスピードを変えて聞いてもらって、速聴をしてもらいます。嗅覚についてはクラブにアロマ講師の方がいらっしゃるので、それを嗅いでもらうということをしています。
要するに、私の状態を体験してもらうということですね。視覚障害者の体験というと、マイナス面を体験するものばかりですが、視覚障害者のプラス面があるということを私は大前提として思っています。それが心のスクリーンで、見える人がこれを手に入れたら鬼に金棒ですよ(笑)。
伊藤 参加された方の反応はどうですか。
大嶋 人によって得意不得意がはっきりありますね。点図を触っても、すぐに分かる人とわからない人がいます。もともと心のスクリーンに映し出して見ている人もいます。毎日30分アイマスクをしてご飯を食べてくださいと言っても、実際にそれで簡単に見えるようになるわけではないですが、そういうのが大事だということはみなさん分かってくださいますね。みなさんが受け取るのは、心のスクリーンが見える/見えないということではないんですよね。大嶋が、見えなくなってもマイナスのことをプラスに展開してここまでやっている、というところにみなさん着眼するんですよね、残念ながらね(笑)。でもそれはすごくありがたいことですね。