ロービジョンフットサル日本代表の岩田朋之選手にお話を伺いました。弱視の場合は、ぱっと見に分からない障害である分、言葉が重要になりますね。「分かりにくい障害のシンボルとしてのロービジョンフットサル」という位置づけ、とても面白いです。(2016年4月14日、伊藤研究室にて)
岩田朋之
ロービジョンフットサル日本代表(F.C.SFIDAつくば)
1986年1月17日生まれ。東京都出身渋谷区出身。趣味は、サッカー日本代表観戦、サーフィン。
2012年夏に突然、レーベル病を発病し、急激な視力低下で視覚障害者となる。
同年10月、関東リーグの観戦をきっかけにロービジョンフットサルと出会い、2013年4月、筑波技術大学理学療法学専攻入学を契機に、茨城県つくば市を拠点に活動するF.C.SFIDAつくば所属。
2015年よりロービジョンフットサル日本代表キャプテンとしてチームを牽引。同年5月、IBSAワールドゲームズでの世界大会初勝利に大きく貢献。
第11回ロービジョンフットサル日本選手権(2015年7月)で準優勝を果たし、大会得点王受賞。
医学用語や数字が生む誤解
伊藤 まず見え方を教えていただけますか。
岩田 医学的にはレーベル病という視神経が萎縮する病気で、「中心暗点」という状態です。同じ病気でも見え方が全然違っていて、ぼくの場合は全体的に白っぽく、靄がかかって霧がかかっているような状況、特に中心部は靄や霧が濃い状況です。一般の日常生活だと人の顔や、紙の文字や駅などの看板が見えづらいですね。あと、色が分かりにくくなりました。淡い色、この時期だと、桜の色が見えづらいです。
伊藤 桜が白くなるということですか?
岩田 うすピンクに白い靄がかかった状態です。でも中途の障害で、桜の記憶がある。だから、映像としては「白っぽいなあ、たくさんあるなあ」という感じなんだけど、頭の中では「あんな感じなんだろうなあ」と分かります。あとはiPadやiPhoneで撮影して拡大して見る方法もあります。いつもやる訳ではないですけどね。
伊藤 なるほど。記憶としてイメージしているものが見えてしまうということはないですか?
岩田 ないですね。ただ、たとえば洋服を買いに行って、最初は薄い色や細いストライプが分からないんですが、店員さんに色や柄を教えてもらうと、何となくそういうふうに見えてくる感じはありますね。
伊藤 なるほど。さきほど「暗点」とおっしゃっていましたが、暗いわけではなく白っぽいんですね。
岩田 そうです。「暗点」というと黒っぽいという感じだと誤解されてしまうので、初対面の人には「中心暗点」という医学的な言葉は使わないですね。「靄がかかっている」と言ったり、「山道を車で運転していて、遠くに信号があるのは分かるけど、青信号なのか赤信号なのか分からない感じ」と言ったりします。最近選手のあいだでもそういう話をしたんですが、視力を数字で言うこともしないようにしています。一般の方に「0.01です」と言うと、「あ、ぼくもコンタクト外したら0.02なんだよ、一緒くらいなんだね」といった答えが返ってくる。確かに数字としては同じなんだけど、ぼくらのような弱視の人というのは、矯正が効かないから障害者なわけですよね。数字を使うと、共感してもらいにくくなってしまうんですよね。ぼくはもともとの近視があって眼鏡をかけているので、なおさら誤解されやすいようです。
伊藤 チームメイトどうしでもかなり見え方が違うんですか。
岩田 ぼくも、去年の世界大会ではキャプテンをやらせてもらったりしましたが、実際のところチームメイトがどう見えているかは分からないです。それは一般に人によって性格が違うように、なんとなく分かるけど、完全には分からない。それでも長く一緒にいると、合宿などを通して、こういうところは困るんだなと分かることはあります。ぼくの場合は白っぽくなりますが、同じレーベル病でも黄色やオレンジっぽく見える人もいます。病気が違えば右目がまったく見えていなくて左目が歪んでいるというような見え方もあります。
伊藤 天気や時間帯によっても見え方が変わりますか。
岩田 変わりますね。ブラインドサッカーと同じように屋外の人工芝で試合があるときには、午前と午後で太陽の入り方が違いますし、西日が強いと本当に分からなくなってしまう。影がより濃くなると、そこにボールが入ったときに全く分からなくなる。環境によって見え方が違う分、屋外だとばらつきがでますね。室内だと、強いコントラストがあればボールが見えやすくなります。国際大会だと薄いブルーの床に黄色っぽいボールを使うんです。さらに観客席が白っぽいと、ぼくの場合は遠近感がおかしくなります。去年の韓国の試合は観客席が白くて、さらに普段やらないような広いところだったので、なかなか慣れることができなかったですね。ブラインドサッカーのように壁があるわけではないので、距離感がつかめないんです。自陣にいるときは、相手のゴールは見えていないので、たぶんあのへんにあるんだろうなというイメージで捉えています。もちろん照明にも左右されます。
伊藤 かなりデリケートですね。環境のちょっとした変化で見え方がかなり変わるんですね。
1ヶ月間の変化
伊藤 2012年に目が見えにくくなったとうかがいましたが、どのくらいのスピードでそうなったんですか。
岩田 今のような状態になるのにかかった期間は、トータルで一ヶ月くらいです。
伊藤 急激な変化だったんですね。
岩田 はい。最初右目が見えにくいなと感じて、仕事のストレスかなと思っていたんですが、眼鏡の角度を変えたりしても見え方が変わらず、おかしいなと思いました。当時は、飲食店のウェイターとして働いていたんですが、やがてお客さんの顔やワインのラベルが見えにくくなってきた。ランチの時間は窓から光が入るように、ディナーは照明を絞って営業していたんですが、どちらも見えない。ディナーに接待で来たお客さんがお店の外に車を止めるんですが、2、3週間したら、そのナンバーを控えようとしても見えなくなってしまった。
そこでオーナーに相談して、知り合いの眼科医にかかりました。そこで、眼球自体には異常がないけれど中心の視野が欠損していると言われました。でも原因が分かりませんでした。眼球に異常がないのに視野が欠損しているということは、脳に異常があるのではないかととても不安でした。それが8月1日で、次の日から大きな病院に移ってあらゆる検査をしました。けれども異常がなく、その病院の眼科と神経科にかかりました。お盆ころまで仕事をしながら週に3日くらいで病院に外来で通っていました。仕事はフロアだと迷惑をかけるので、洗いをやっていたんですが、汚れが見えないんですよね。朝の掃除も、床の白いタイルに落ちている糸くずに気がつかず、注意されて内心「ヤバいな」と思っていました。
お盆明けに入院して、9月の頭まで検査をすることになりました。その間にもどんどん悪くなり、看護婦さんの名前と顔が一致しなくなってきました。一番きつかったのは、毎日お見舞いに来てくれるお母さんの顔がどんどん分からなくなってくるんですね。記憶はあるし、しゃべっている感じからも分かる、表情も想像できるんですが、顔がのっぺらぼうのように見えてしまう、顔がないような感じなんです。ショックを受けるかもしれないと思って言えませんでしたね。
最終的に血液を採取してアメリカに送って調べてもらい、9月末にレーベル病だということが分かりました。iPhoneでレーベル病について調べたら、現代の医療では治療できないと書いてあって、「ウソでしょ?」と思いました。検査結果が出る2、3週間はかなりこたえましたね。
伊藤 非常に珍しい病気ということですよね。
岩田 人口全体でみると珍しいですが、視覚障害者のなかではちらほらいます。筑波技術大学に行くと、1年生でも1、2名います。
伊藤 中心が見えにくいということは、焦点があっているところが見えにくいという理解でいいですか?
岩田 そうです。視神経が萎縮しているので、全体に見えづらく、色も出にくいんですが、特に中心が見えにくくなります。
伊藤 さきほどのお母さんの顔がのっぽらぼうに見えたというお話で、顔がそこにあることや、胴体は見えているわけですよね。
岩田 胴体は見えています。顔に焦点を当てて見ているので、顔だけがのっぺらぼうっぽくなるんです。そこで、焦点をそらして見る訓練をしました。ずらして見ると多少見えるようになります。表情が見えるほどではないですが、視野の周縁の残された視力を使って見ます。
伊藤 なるほど。「焦点をそらす」というのはどのように行うんですか?
岩田 訓練では、牛乳パックに書かれた「おいしい牛乳」の文字を切り抜いて、その「い」が見えるような位置に目を持っていくんです。文字を動かしながら、ずっと「い」が見えているような位置に目を保つ。目の筋肉が筋肉痛になるくらい訓練をしましたよ(笑)。その次の年に筑波技術大学に入学したんですんが、そこで会った先天的に中心が見えづらい人は、自然にそういう見方をしていました。
伊藤 今はもうナチュラルにそういう見方が出来るようになっているんですか?
岩田 多少は出来るようになりました。
伊藤 今、私と目があっている状態ですが、これだとよく見えないということですね?
岩田 そうです。ちょっと上を見ると、多少は見えるようになります。
ロービジョンフットサルを始めたきっかけ
伊藤 ロービジョンフットサルを始めたきっかけを教えてください。見えていた頃からフットサルをやられていたんですか?
岩田 サッカーを観るのが好きで、その延長線上で仲間といっしょに楽しむ程度でフットサルをやっていました。小学校、中学校では鹿島アントラーズを応援していて、その後は日本代表をずっと応援していました。
伊藤 見えにくくなって始めてボールに触ってみたときはどうでしたか。
岩田 違いましたね。一番最初にフットサルをやったときは、ロービジョンフットサルではなく、もともと趣味でやっていたチームでやりました。人と会わないとまずいなというのがあったので、命をつなぐために無理矢理そういう場所に行きました。行ってみたら、みんなバラバラのトレーニングウエアを着ているので、黄色とオレンジの違いが分からない。でもそのときは、分からないことを言えず、辛い気持ちでした。ボールも浮き球で追うことができず、孤独感が強かったです。
伊藤 最初はもともとのチームに行っていて、そのあとにロービジョンフットサルと出会ったんですね。
岩田 そうですね。見えなくなった年の11月頃にブラインドサッカーの関東リーグが新宿であったので見に行きました。すごいな、これならパラリンピックに行けるかも、と感激しつつ、でもブラインドサッカーだと今まで一緒にやってきた人と一緒にできなくなるなと試合を見ながら思っていました。ブラインドサッカー日本代表の落合選手を紹介してもらい、挨拶しているときに、弱視向けのB2、B3クラスのロービジョンフットサルもあるということを知りました。これだったらほぼ普通のフットサルだし、今までの人とできるなと思った。レーベル病は遺伝病なのですが、ミトコンドリアの異常に関するものなので母系遺伝なんです。つまり自分の子供には遺伝しない。だから自分に子供ができたときに一緒にできるように、なるべく健常者に近いほうをやろうかなと思いました。
伊藤 弱視の方の場合はブラインドサッカーとロービジョンフットサルのどちらかという選択肢があるわけですね。
岩田 国内だとどちらでもできます。ただ世界大会に出る場合には、もう少し視力や視野が悪くないと、ブラインドサッカーはできないようです。
伊藤 なるほど。本格的にロービジョンフットサルを始めたのはいつですか。
岩田 2013年の4月に筑波技術大学に入学して筑波に技術大学を母体にしたチームがあって、そこで始めました。その次の年の冬に今の代表の監督になり、日本代表チームのメンバーとして強化していくことになりました。ロービジョンフットサルはパラリンピックの種目ではないんですが、日本代表は日本代表だと言ってくれる人もいて、そのときは切羽詰まっていたので、みんながいたおかげで自殺せずにここまでこられたということを表現する場になっていました。
伊藤 非常に周りの方に配慮される方なんだとお話をうかがっていて感動しました。
日本代表チームの構成は、全国のロービジョンフットサルのチームから選抜されるんですか?
岩田 そもそも競技人口があまり多くないんです。見え方では弱視は全盲の9倍くらいいるのですが、競技人口になると、ロービジョンフットサルをやっている人はブラインドサッカーをやっている人の9分の1になってしまうんです。だからロービジョンフットサルはスポンサーもなく、日本代表は招集というより、自費で参加する覚悟があるかどうかがまず問われます。2015年に韓国の世界大会があり、そこまで毎月あるいは2ヶ月に1回合宿がある。その交通費、宿泊費を自分で出していける人、その先にパラリンピックがなくてもそれができる覚悟のある人は一緒にやりましょう、と監督に言われました。日本はロービジョンフットサルというと障害者スポーツの域を出ないのですが、それでは世界で勝てない。海外では「目が悪いけどサッカーやってます」じゃ通用しないんです。失敗があったとしてもロービジョンを理由にしないというのが監督との最初の約束でした。見えないのを工夫するのはいいけれど、理由にはしないと。
プレイ中のコミュニケーション
伊藤 以前からやっていたフットサルをまた始めるにあたって、一番変わったのは、見方ということになりますか?ボールを見たり、周りの状況を見るときにも、その訓練された見方で見るんですよね?
岩田 フットサルをするにあたって特別な訓練を受けてはいないのですが、たくさん首を振って動くようにしていますね。見えづらいけれど、たくさん動かしていれば、情報量は多く入ってくる。より自分の足元に向って首を突き出した状態、目が近い状態になりがちなので、それをなくすように意識はしています。そうなると足が出なくなったり、見えている範囲が狭くなってしまいます。
伊藤 ロービジョンフットサルを始めてから、ボールはどのように見えていますか?先ほど浮き球が追えないという話がありましたが、やはり急に飛んでくる感じがしますか?
岩田 しますね。足元のボールだと、半径2−3メートル以内でないと認識できません。そもちろん声で人がいることは分かるんですが、蹴る瞬間が見えないので、身体の動きで蹴ったことが分かるという感じです。ただ守っているときにミドルシュートを打たれると、急に出てくる感じになるので、顎に当たることが多いです。
伊藤 仲間とのコミュニケーションはどのようにとっているんですか。
岩田 パスをするときにはなるべく声を出すようにしています。情報の質が重要です。ただやみくもに叫んでも分からないので、「足元」など的確に伝えます。それから、フィールドを12分割し、電話のボタンの配置に合わせて1〜6が相手側、7〜12が自陣というふうに番号を振っています。一生懸命やればやるほど、相手がどこにいるか分からなくなるんですね。そういうときに「7番」と言われると、そこにいることがわかる。あとは指差しですね。弱視だと、指を指していることは分かるので、それで伝えます。二人のうちどちらをマークするかを指先で合図します。指差しは声よりも簡潔に伝えることができるので便利ですね。またキーパーは晴眼者なので、常に声で実況中継をしています。
伊藤 面白いですね。手話のように身体を使ってコミュニケーションしてるんですね。
岩田 あとは触覚を使って、相手を触るようにしています。
伊藤 そういうコミュニケーションの文法は、日本代表チームのなかで自然に出来ていったものなんですか?
岩田 何度も話し合いをして決めました。フィールドの分割も最初は9分割にしていたんですが、そうすると真ん中の4、5、6がハーフラインをまたぐので、自陣か敵陣か分からなくなってしまう。そこで12分割に変えました。
世界大会で困ったのが、選手交代です。フットサルは選手交代を自由にできるので、出入りをしているうちに、マークが分からなくなってしまう。そこでずれてしまうと、すぐに失点につながってしまうんです。
あとはロービジョンフットサルでは、ぼくのような比較的見えにくいB2の選手が4人中2人はいないといけないというルールがあるのですが、見えやすいB3の選手をうまく使うことも重要です。
伊藤 なるほど。一般的なフットサルと基本的には変わらないけれど、そういったロービジョンフットサルならではの条件が、戦術などに関わってくるわけですね。他にロービジョンフットサルならではの戦術はありますか?
岩田 そうですね…今はまだ一勝もできていないので、フットサルとしての基本的なプレイを練習しています。とにかくサインプレイですね。出たボールを中に入れるときに、「2、2、2」と番号で知らせ、あらかじめ決めておいた「2」のパターンで攻撃を始めます。合わせるのに苦労して、何度も何度も練習しています。
伊藤 世界レベルを視野に入れると、もっと高度なプレイをやっている国もあるんですか?
岩田 スペインとウクライナですね。浮き球を胸でトラップしてパスして、それをヘディングでシュートしていました。ウソでしょ?見えてるの?と思うくらい巧い(笑)。練習するしかないですね。繰り返すことで、ボールの軌道やタイミングが自然と合ってくるんだと思うんです。見えている人に比べると時間がかかりますが、それは仕方ないですね。
伊藤 ボールを蹴った音でどの程度のスピードでどっち方向に飛んだかは分かるものなのですか。
岩田 何となくですが、最近ようやく分かってきました。自分も含めて下手であることを自覚しすぎて、真面目に考えすぎていたんですが(笑)、最近は余裕がでてきてそういったことが分かるようになってきましたね。チームメイトのあいだだと、右足で蹴った場合と左足で蹴った場合の飛び方をあらかじめ知っておいて、試合のときに生かすというようなこともしています。
伊藤 シナリオの数がものを言うわけですね。
岩田 攻めるときは本当にそうですね。守備は視力は関係なく、抜かれないこと、負けないことが重要ですが。
伊藤 ロービジョンフットサルを含めて全般的に、間や雰囲気のような、目に見えないものに対する感度がかわったということはありますか。
岩田 だいぶ変わりましたね。まずテレビを見なくなりました。サッカーなどは見ますが、そもそもあまり興味がなくなりました。むしろラジオのほうが音の情報が正確なのでよく聴いています。最近は、ラジオをイヤホンで聴きながら、その上からヘッドホンをずらしてつけてPCトーカーで文章を書いてますよ(笑)。あまりに目を使うと疲労で悪化するので、なるべく音で聴くようにしています。目の疲労には気をつけていて、世界大会のときはハーフタイムにアミノ酸とエネルギーをとるようにしています。そうするとだいぶ落ち着くようになりました。
伊藤 なるほど。身体のコンディションの管理と言ったときに、目の管理も入ってくるわけですね。
岩田 そうですね。それを怠ると、試合の最後の方は全部が真っ白になってしまいます。
「分かりにくい障害」のシンボルとしてのロービジョンフットサル
伊藤 ロービジョンフットサルは日本だと障害者スポーツというカテゴリーに入るけれど、世界ではちょっと捉え方が違うんですね。
岩田 もちろん世界的にも弱視の人のためのサッカーなんですが、サッカーがそもそも文化としてあるので、見えづらい子でも小学生くらいからボールを触っている。日本だと「危ないからやめなさい」で、大学生になってやっと始めるような感じなので、大きな差ができますね。
伊藤 盲学校の体育でも、対人プレイのある種目は敬遠されがちだと言われていますね。岩田さんはロービジョンフットサルの日本代表であると同時に、種目自体の強化のためには普及という問題も考えざるをえない立場にあるわけですね。
岩田 はい。来年以降は筑波大学の大学院に進学して、インクルーシブ体育、インクルーシブ教育の研究をしていきたいと思っています。いろいろなところで話をさせてもらったり、教育実習で普通校に行ったりすると、子供たちが、勝手に影響されるんですよね。たとえば教育実習で、最初のうちはなかなか名前と顔が一致しなくて苦労したんです。みんな制服を着て同じような髪型だし、顔は全員のっぺらぼう。そこでコミュニケーションをたくさんとってそれぞれの子の特徴や考えていることをなるべく早く情報収集するようにした。そういうぼくの工夫を見てか、子供たちからすごく勉強になったという感想が返ってきた。そういった経験や、今学んでいる理学療法の知識を生かして、当事者の立場から、インクルーシブ教育について研究していきたいんです。
伊藤 やはり弱視の場合は傍から見て分からないということが大きいですね。白杖を持っていれば、視覚障害者のサインになりますが、岩田さんのようにぱっと見では見えているような感じがする人の場合には、徐々に知っていくプロセスがあり、そこに学びの契機があるようですね。
岩田 でも今の日本の社会だと、非常に言いづらいですね。白杖をついていたり義足を使っている人が障害者というイメージがあるので、精神疾患や聴覚障害、臓器の内部障害、あるいはぼくのようなロービジョンの人が置き去りになる。パラリンピックの種目もそういった見て分かる種目ばかりなので、2020年以降、いっそうそうなるのではないかと不安ですね。もちろん優勝して金メダルを取ってもらいたいとは思っているけれど、日本の社会がパッと見では分からない障害の人が生きづらい社会になったら困るなと思いますね。自分のような分かりにくい障害は、言葉で説明しなければなりませんが、すべての人にそれができるわけではありませんからね。言ったところでどうしたらよいか分からなくも、分かろうとしてくれるだけでだいぶ違うとは思います。
伊藤 ふだんの生活の中で、どのくらい見えなさを説明されていますか。たとえば、今日は美容院に行かれたそうですが、美容師さんはどの程度理解されていますか。
岩田 見えにくくなってすぐは、もともと行っていた美容室に行きました。典型的な表参道の美容室で、人が多く、スタッフがトランシーバーをつけているような大きなサロンでした。でもそれだと気を使ってしまって、「どうですか」と言われてもよく分からない。そんなときに渋谷区の「理美容券」という福利厚生のサービスがあり、加盟しているお店であれば一回324円(年4回まで)で髪を切ることができるんです。そのお店のリストの中から3席くらいのこじんまりしたお店を選んで、そこにずっと通っています。お願いしたい髪型の写真をfacebookなどであらかじめ共有しておいて、実際に切ってもらうときには自分の頭をiPhoneで撮影してそれを拡大して見ています。
伊藤 ある意味、ものすごく厳密に切ってもらえそうですね(笑)
岩田 鏡だと、じっと顔を近づけるのが恥ずかしいんですよね。iPhoneだとじっくり顔を近づけて「ここをもうちょっと…」と細かい注文を出しています(笑)。自分をリセットする場所でもあり、もう3年通っていますが、最初とずいぶん変わったと言われますね。
伊藤 洋服を買うときはどうされますか?
岩田 最近はお店の人に伝えますね。細かく教えてもらって、店員さんと親しくなると、その後はその人にまたお願いするようにしています。
伊藤 ご自分でネットワークを開拓していく感じですね。
岩田 そうですね。それしかないですからね。街中では見た目が普通なので、自分で言うしかないですね。
伊藤 日本は目に見える差異にはギョッとして、見えない差異はないことにしてしまう傾向がありますね。
岩田 障害者スポーツのなかで、ロービジョンフットサルは独特なポジションにあると思うんです。何と言うか、障害のほうに振り切れていない、グレーゾーンでぼやけたままでいる。ブラインドサッカーなどその他の視覚障害者用のスポーツは、だいだいアイマスクをして全盲状態にしてやるんですが、ロービジョンフットサルはありのままで行くんですよね。
伊藤 確かに「ありのままで行く」種目はあまりないですね。
岩田 ロービジョン○○という競技はないんですよね。だからロービジョンフットサルが、弱視の代表であり、さらには分かりにくい障害のシンボルになりうると思うんですよね。
伊藤 面白いですね。曖昧な立ち位置だからこそ、できることがありそうですね。
岩田 いまの社会は、街中で血を流している人がいたら助けるけど、内出血していて動けない人には声をかけない、という感じですよね。そこで「大丈夫ですか」と気軽に言えるようになればいいなと思います。そこを変えることができるのは、最終的には教育しかないと思っていて、それが自分の大学院の研究ともつながってきます。
伊藤 なるほど。成果が楽しみです。岩田さん、今日は長時間にわたってありがとうございました。