ナルコレプシー(過眠症)患者当事者として活動する駒沢さん。場所や時間をとわず眠くなってしまうというイメージがありますが、中核症状として他にも、喜怒哀楽どれでも感情が高まると体がぐにゃりとなってしまう「情動脱力発作」もお持ちです。知らないことばかりの未知の世界でしたが、「人の体ってすばらしい」と語る駒沢さん。お薬の登場が患者会に分断を生むというお話も示唆的でした。
駒沢典子さんプロフィール
NPO法人日本ナルコレプシー協会副理事として患者団体を運営している。小学校高学年くらいから過眠の症状がではじめ、19歳から情動脱力発作の症状がではじめる。現在は病歴40年以上。
◎感情が揺れ動くと力が抜ける
伊藤 お話している最中に調子が悪くなっちゃう可能性はありますか?
駒沢 それはないですね。大丈夫です。感情が揺れ動くと筋力が脱力する(情動脱力発作、カタプレキシー)っていう不思議な症状があるんですけど、それは非常につらいので、お薬を飲んでいます。
伊藤 あ、脱力なのにつらいんですか。
駒沢 つらいです。自分で動かそうとしても動かなくなるので…。
伊藤 感情が高ぶるというのは、感情の種類によらず、ということですか?
駒沢 はい。喜怒哀楽すべてです。でもどちらかというと、陽の感情のほうが多いですかね。調子に乗っているときとか、浮かれているときですね。
伊藤 レベルで言うとどのくらいですかね。年に何回くらい脱力が起こる感じですか?
駒沢 私は情動脱力発作の症状が非常に強いので、薬を飲まないと、家から出られなくなります。特に人と会って楽しく、ウケるような話をすると、必ず起きます。人がいる場所はどうしても起きやすいんですよね。でも一人でいても、空想していてウキウキすると、くにゃっとなります。あとは宅急便が来ることがわかっていて、ピンポンが鳴ったりすると「あ、来たな」と思って立ち上がろうとすると、ぐにゃっとなります。
伊藤 宅急便が来るなってわかっていることが重要なんですかね?
駒沢 たぶんそうだと思います。「あ、来た」っていうちょっとした気持ちですね。前に治験をやったときにお薬を全部抜いたんですけど、睡眠表に起きているときと寝ているときを書いていたら、脱力発作が書ききれなかったです。
伊藤 なるほど。くたっとなるというのがイメージがつきにくいのですが…
駒沢 軽い発作だと、私は口のまわりに出ることが多いので、しゃべれなくなるんです。声が出なくなるので、話していて、舌の筋力が抜けて、舌がもつれるというか、言葉になりにくくなったりします。聞いている方は、なんか喋り方がおかしいなって思うかもしれないですけど、そういうときはすぐ戻るので、あまり気づかれないかもしれないですね。
伊藤 しゃべっているときだから口に出るんですかね?
駒沢 そうですね。宅急便のときだと立ち上がって行こうとするときだからがくんとなります。我慢は一応します。意識もちゃんとあるので、一生懸命阻止しようとしています。
伊藤 力を入れるということですか?
駒沢 えっとですね…とりあえず立ち止まります(笑)。私の場合は、発作が起こりそうになったら、立ち止まって冷静になる。
伊藤 なるほど。症状に対応しようとするというより、原因のほうにアプローチする感じですかね。
駒沢 脱力をしてしまうので、どうにもならないんですよね。立ち止まるっていうのは大切なんですけど。あとはぐちゃっとならないように、壁に寄りかかったり、手をついたりします。瞬間的で終わることもあれば、続くこともあります。眠っているんじゃないかなと思われる方が多いんですが、この動画(https://www.youtube.com/watch?v=VA6FeiGgLF0)を見ると、倒れないように我慢してるのが分かります。意識もあるし、戻りたいと思っているんですけど、体が動かないんですよね。目も開いていないんですけど、一生懸命起きようとしています。バドミントンやって、面白くなって、発作が来ちゃったんだと思うんですけどね。経験したことない人はあまりそうは思わないと思いますけど、患者としては、苦しいだろうなと思いますね。
伊藤 一般的に苦しいのって、体がこわばって固くなる苦しさですよね。そういう緊張の苦しさはみんな知ってると思うんですけど、日常の中では力を抜くっていいことだと思われていますよね。脱力が苦しいというのは確かにイメージがつきにくいかもしれないですね。
駒沢 そういうときは、そのまま寝てしまったら楽なんでしょうけど、レム睡眠が突然やってきて、金縛りとまったく同じ状況です。私の場合は、情動脱力発作のときは、呼吸も乱れるんですよね。息ができなくなるような感じがして、「これは起きなきゃ」って思いますね。
伊藤 それは恐怖ですね。
駒沢 そうですね。金縛り状態をとにかく解かなきゃ、と思うので非常につらいですね。
伊藤 リラックスしてるというよりは、体に命令が出せない、ということなんですね。
駒沢 ALSの方が無表情じゃないですか。あれって、本当は笑いたいのに、筋力がなくて笑えないっていうことなんだろうなと思うから、つらさはすごくよく分かります。
◎現実と夢が混ざる
伊藤 あらためて時系列をさかのぼって教えていただきたいんですけど、最初に情動脱力発作の症状が出たのはいつごろですか?
駒沢 19歳のときです。ナルコレプシーじたいは小学校高学年のときですね。一般に同時に出ることはあまりないんですけど、症状が加わった形ですね。情動脱力発作が先に出ると、おかしいなと思うので、わりと診断が早いと言われてます。でも、ナルコレプシーだと眠気だけなので、気づかれないまま来ちゃうんですよね。
伊藤 小学校のころは授業中に寝てしまう感じだったんですか?
駒沢 小学校を卒業するまでは、授業に寝るようなことはなく、ちゃんとまじめに受けてました(笑)。でもあちこちで寝ることは多くて、友達と家で遊んでいて眠くなったら、トイレで隠れて寝ている、みたいな感じでしたね。ふだんから、誰かと一緒にいるときに寝ていることが多かったのか、よく親には注意されていました。怒られないようにトイレに隠れるというのが、私の中では常套手段でしたね。
中学校に行ってから症状がひどくなって、授業のとき毎時間寝ちゃう、という感じでした。だんだん授業が分からなくなってくるし、成績も落ちてくるので、親には怒られましたね。私としては、授業をちゃんと受けたいという気持ちはあるのに、寝てしまうから、先生から信頼がなくなるんじゃないかと思って、それを部活で取り戻そうとしたんです。時代的なものもあるのかもしれませんが、部活がさかんな学校で、合唱部を熱心にやっていました。楽しくて、のめりこんだので、親からは「部活やってるから眠くなるんだ」って再三にわたってやめろと言われていたんですけど、私としては信頼を失いたくない、というのがあって。
伊藤 確かに、眠るって原因がわからなかったら人間関係に影響しちゃいますよね。
駒沢 そうですね…
伊藤 情動脱力発作は急に来る感じでしたけど、眠ってしまうときはその前に眠い時間があったんですか?
駒沢 眠いのはわりと突然やってくるんです。お薬で調節する前は、寝たことに気づいていなかったりするんです。中学のときに、クラスで座っている状態で、関東大震災の日か何かだったと思うですが、黙祷をしたんです。黙祷しているときに私は寝たんですけど、気づいたときには、隣の男子に「おまえ寝てて寝言も言ってたぞ」って言われて、「えっ」という感じでした。黙祷が終わってガヤガヤし初めて、そういう刺激があればパッと目が覚めるんですけどね。
伊藤 黙祷が終わって寝ていた状態から目が覚めたということを意識しなかったということですか?
駒沢 すごく不思議なんですけど、現実と夢が混ざり込むようなところがあって。寝言を言っていたくらいなので、たぶん夢を見ていたんだと思うんですよね。
黙祷の場面の出来事は、ちょっとおかしいな、普通じゃないなと思いました。でも、当時は眠くなる病気があるということが認識されていなかったので、親には言えませんでした。当時はネットもなくて、家にあった『家庭の医学』をぱらぱらめくっていたら、こころの病気のところに睡眠の異常のページがあって。そのページのほとんどが不眠症について書かれていたんだけれども、最後の一行くらいに「まれに眠くなるナルコレプシーという病気がある」って書いてあって。私はそれをみて「ああ、これじゃないの??やっぱりそうだ」って一筋の光が差しました(笑)
伊藤 すごいですね、『家庭の医学』で!それで病院にかかったんですか?
駒沢 まだ中学だったので、親と一緒に行かざるをえないんですけど、親にはなかなか言えなくて、しかも精神科に行くというのが身近じゃなくて。総合病院のなかにも精神科があるところがほとんどなくて、さすがに精神病院にいくのはハードルが高いなと思っていました。親に言って信じてもらえる自信がなかったです。それだったら部活をやめるぐらいしてみろ、と言われそうだったので…。自分ひとりで行きたいと思っていて、となると中学のうちはいけないけど、高校になったら行けるかなと思って、高校に入ってから自分ひとりで行きました。
伊藤 それは長い間ひとりでかかえてしんどかったですね。
日中に症状が出ているときは、夜は眠れるんですか?
駒沢 やっぱり寝つきはいいです。すぐ眠れちゃう。ただ、続けて長く眠れないんですよね。98年くらいにオレキシンという物質が覚醒に関わるということを筑波大学の柳沢正史先生と櫻井武先生が見つけてくださって(https://www.nippon.com/ja/column/g00296/)、私の病気の人は、オレキシンをうまく作ることができないということが分かりました。オレキシンは最初は眠気のもとをつくる物質だと思われていたんですけど、そうではなくて、睡眠と覚醒のスイッチを固定化する物質だったんです。私の場合はそれを作り出せなくなって、ないので、スイッチがゆるゆるしてるんです。それなんで、ちょっとした刺激で睡眠に行ったり、覚醒に行ったり、ということを常に繰り返しているんです。
伊藤 眠気がすぐにやってきちゃう、ということじゃないんですね!
駒沢 治験の前に断薬すると、断眠状態になって、昼も夜もほとんどなくなる感じです。私には体内リズムがあるんだろうか?っていう気になります(笑)。寝たり起きたりを頻繁に繰り返しています。
伊藤 なるほど。だから夜は起きちゃうんですね。
駒沢 夜は何度も起きちゃいます。あと、夜から朝にかけてものすごくお腹が空くんですよね。ナルコレプシーの患者さんは、だから、朝起きれないということはないんですよね。朝はわりに元気な人が多いです。朝の食事はバッチリとらないとだめなんです。夜中も目が覚めて食べてしまうことが多くて、食べると落ち着いて寝られるんですよね。
伊藤 そういうときは何を食べるんですか?
駒沢 お腹にたまるもののほうが眠れるんですけど、それだと太っちゃうので、寒天とかを食べてる方もいますね。睡眠中に食べたくなるのは、主治医の先生によると、眠たくなると理性のたがが外れるかららしいんですよね。日中は理性で抑えているものが、たがが外れて、食べたくなっちゃうんだ、と。反復性過眠症(クライネーレビン症候群)というすごくレアな病気だと、眠くなる傾眠期に入ると、食事も誰かから促されないとしなくなり、排泄くらいしかしなくなって、ずっと何日も眠り続けるみたいです。傾眠期があけると、ごく普通にもどる病気なんですけど、やっぱり傾眠期に入るときに、すごく過食になったり、海外の話では男性の性欲が強くなって間違いを犯してしまうとか、そういう話も聞きます。でも、傾眠期があけると、そのときの記憶はないんですよ。
伊藤 ものすごくなんと言うか、深い病気ですね。
駒沢 私も睡眠の相談を受けているんですけど、やっぱり2、3件そういう話は聞いています。性欲ではないんですが、中学生で傾眠期にむりやり学校に行ったら友達と約束をしちゃって、それをまったく覚えていなかったりするので、あとでトラブルになったら困る、という話をお母さんがされていました。
伊藤 内容によらず記憶が抜けちゃうんですね。
駒沢 性格もちょっと変わるというか、退行が起こって、甘えん坊になるらしいんです。中学生でふだんはツンとしているのに、傾眠期に入るときにすごく甘える感じでベタベタしてきたりするそうです。傾眠期があけるとまたもとに戻るから淋しいってお母さんが言ってました(笑)
伊藤 (笑)でも本人からしたらそういうことが起こるって不安ですよね。
駒沢 そうですね。それはお母さんからの相談で、診断してもらったほうがいいのか、という話だったんですけど、ご本人からしたらつらいだろうなと思いますね。今のところ炭酸リチウムが発作を抑えるところがあるようなんですが、それでなくなるというわけではないようで、ほかには治療のしようがないんですよね。そもそも傾眠期に入ったら病院にも連れて来られないので、何もできないから大変だよなあって思いますね。
伊藤 家にこもりがちになっちゃいますね。
駒沢 そうですね。傾眠期に入ったときだけ休めて、それ意外は普通にお仕事ができたりするシステムがあったりするといいんですけどね。
◎医学辞典片手に処方
伊藤 お話がもどっちゃうんですけど、高校生のときに病院に行って、すぐに診断は出たんですか?
駒沢 たまたまとなりの市に精神科がある総合病院があるのを電話帳で一生懸命見つけて、そこに行きました。そこの先生が少し睡眠医学を知っていたのかもしれません。当時はまだ脳波の検査機器が確立されていなくて、入眠時にレム睡眠が出現するかというのを診断基準にしていました。そのときは検査してすぐにレム睡眠が出たんだと思うんですけど、ナルコレプシーですね、と言われてお薬を渡された記憶があります。病気だった、ということでホッとした、というのが本音ですね。これで親にも言えるなと思って。話したら親はピンときてない感じでしたけど、町医者でなく都内の大きな病院に移るように言われました。でもその病院に精神科があると私は思っていなくて、大丈夫なのかなと思っていたら、受付で「どうかしましたか」と訊かれたので「眠くなるんです」って言ったら、もう本当に不思議な顔をされて(笑)。「えーっ!?」って。その顔を今でも覚えています。やっぱりそういう認識なんだなあって。なかなか分かってもらえないなあ、という感じはしましたね。
伊藤 その顔は記憶に焼きついちゃいますね(笑)。
駒沢 はい。一応第二内科みたいなところに通されて、今思うと児童精神科だったと思うんですが、待合室の他のお母さんが「うちの子は学校に行けないのよ」みたいな話をしていました。紹介された先生も専門ではなくて、病気の説明はあまりしてもらえず、検査も同じようにやってナルコレプシーですねとは言われたんですけど、お薬も事典を見ながら探す感じでした(笑)。
伊藤 よく覚えてますね〜!
駒沢 事典を見ながら「これか…」って感じで出されましたね(笑)。そのとき眠気を抑える薬は出て、それがとても効いたということは確かでした。このお薬は生きているために欠かせない、と当時は非常に思いました。やっぱり眠ってしまうことに対して嫌悪感があって、そのころは本当に悩んでいました。高校に入ってからは、親とも喧嘩するのは嫌なので、部活には入っていなかったし、学校でも先生に全然理解してもらえなくて、注意されるのがすごく嫌でした。先生には、病気のことを話して、寝ていても見逃してくれと言ったんですが「あなただけ特別扱いできません」って言われて。注意されることで目立って、いじめられるんじゃないかなと思っていました。「あなただけを見逃して、他の人で眠っている人がいるのを注意したら、かえって目立たない?」と言われて、ひどい先生だなと思いました。絶対に先生には相談しまい、とそのとき心に決めました。
伊藤 時代的には90年代ですか?
駒沢 80年代ですね。
伊藤 まだ全然知られていなかった頃ですね。当然、同じ症状の人に出会うこともないですよね。
駒沢 ないですね。私は高校時代、眠くなることで悩んでしまって。もともとけっこう明るくて、誰とも友達になるほうだったし、自分から声をかけるほうだったのに、高校に入って悩み始めたら、それが全然できなくなっちゃって。殻に閉じこもったようになってしまって、高校時代はつらかったです。中退したらそのあとの道はない、大学にだけは行きたいと思っていたので、あと何日か指折り数えながら通ってました。
伊藤 味方がまったくいない状態ですもんね…
駒沢 診察が平日なので、遅刻して学校に行かなくちゃいけないし、そうするとなんで遅刻したのか訊かれるし、薬も何の薬か訊かれるし、バレないようにすることばっかり考えていました。いまでもそうなんですけど、お薬がパッケージに入っていなくて、チャックの袋に入れて渡されるんです。その保管にすごく困って、どうやって持ち歩いたらいいだろう、ということを常に考えていました。当時はフリスクの容器に入れて、薬っぽく見えないようにしていました。いまでも「これ、薬入るな」とか収納するものを探すのをライフワークにしてます(笑)
伊藤 そのまま渡されるのは理由があるんですか?
駒沢 もともと瓶に入っているんですよね。ちょっと特殊なお薬で、合法なんですけど覚醒させるお薬なので、あまり改良されてないですね。たぶん古いお薬なので、すごく薬価が安いんですよね。製薬会社もあまり生産したくないんだろうなあ、と思います。
伊藤 オレキシンそのものではないんですか?
駒沢 ではないんです。前からある、興奮させるメテルフェニデートという物質ですね。リタリンというお薬で、最初に渡されたときからそうでした。いまは、モダフィニルというお薬が第一選択肢になっていますけど、マイルドな感じなので、わたしは最大量飲まなきゃいけないんですよね。薬価が高くて一錠400円くらいするので、そこまでするなら安いお薬でいいやと思って、リタリンを使っています。
伊藤 1日何回飲むんですか?
駒沢 朝と昼に飲んでいます。覚醒させるお薬なので、夕方以降に飲むと眠れなくなる人もいるということで、あまり飲まないようにしています。
◎患者会のなかの分断
伊藤 初めて仲間というか、話せる人に出会ったのはいつですか?
駒沢 高校を卒業して、大学に入ったんですが、そのときは自分の病気を知っている人は誰もいないと思って嬉しくなって、うまくやりすごして行けると思いました。大学は本当に充実して過ごしていたんですが、そのころに情動脱力発作が出始めました。主治医の先生に情動脱力発作に出すお薬はもうありません、と言われて、リタリンに少し作用があると言われたんですが、わたしはこんなものでは全然おさえられなくて、困りました。そのあと、研究をしている先生のところに行くことになったときに訊いてみたら、すでに昭和30年代くらいにはお薬が確立していたようです。だからたぶん先生が知らなかったんだと思います。
そのとき、主治医の先生に「あんまり笑わないように」って言われて。「え?そういう問題じゃない」って思いました。笑うから症状が出るんじゃなくて、そういう気持ちが生まれるから症状が出る。「先生全然分かってないわ」って。こりゃこまったなと思っていたら、朝日新聞の健康欄に、いまの主治医の先生のお父さんの記事が出ていたんです。
伊藤 家庭の医学につづき、新聞なんですね(笑)
駒沢 先生が頼りにならなかったので、当時日本一大きかった神保町の三省堂の医学書のコーナーに行って、何か本がないかと思って探したら、久留米大学の先生が書いた睡眠障害に関する本があって。それを買って見ていったら、脱力発作には三環系の抗うつ剤が効くって書いてあって、「やっぱりお薬あるじゃん」って思いました。抗うつ剤を出して欲しいなと思っていたころに、朝日新聞の欄があって、すぐにその先生のところに行きました。
その先生がナルコレプシーの第一人者で、患者会もその先生が声かけをして、当時は東大病院のなかにあったようです。昭和40年代の頃の東大病院って難病とか奇病の人が全国から集まってくるような場所だったらしく、患者さんたちが待合室でバラバラにいてひとり寂しそうにしている患者さんが多いので、先生が声をかけたのが患者会の始まりだったようです。
私が行ったときも、月に一回、先生の診察日に、部屋を確保していてくれて、そこに行くといいよと言われて、ぼんと投げ込まれたんですけど(笑)、そこで初めて同じ病気の患者さんに出会いました。ただ私くらいの年代の人がいなくて、みなさん年上だったんです。年取った方ばかりでした。それで、なんか面白くないなっていうのが第一印象でした(笑)。みなさん、ふだんの生活が完全にクローズドで、その集まったときだけ病気の話をするという雰囲気があって、秘密の集会みたいな印象を受けました。
伊藤 なぜ年上の人ばかりだったんですかね。
駒沢 私の年代は、なぜか患者さんがいないんですよね。今も名簿を作るんですけど、いないんですよね、不思議なんですけど。
伊藤 男女差の偏りはないですか?
駒沢 男女差はないですね。
伊藤 いま活動されている場所は、そのときの患者会とは違うんですか?
駒沢 同じです。最初参加していたんですけど、すごく閉鎖的で、わたしの上の年代の人たちは、病気を知ってもらおうというよりは、どうやって隠して生きていくか、その術をみんなで集まって考えるという場所でした。当時はマスコミで取り上げられるときも、金縛りがあったりするので、超常現象とか都市伝説的な扱いをされることが多くて、わたしの主治医の先生もすごくナーバスでした。記者さんが来ても、ちゃんとしたところでないと、変なふうに取り上げられるので困るって。患者会でも変なふうに報道したところに抗議をしたりしていたようです。当時は、お払いとかに行く方も多かったみたいで、「あなたはお払いに行った?」って訊かれて「え?これは病気なのに」ってびっくりしました。けっこう行っている人が多かったです。
伊藤 病院のなかの患者会でもそうなんですね。
駒沢 やっぱり病気って言っても説明がしずらくて、普通の方が居眠りするのと違いが分かりにくいんです。だからオレキシンが発見されたのはすごく大きくて、説明がしやすくなりました。それまではレム睡眠とか言ってもよく理解されませんでしたね。
わたしの上の世代の方って、自分の病気は知られたくないんだけど、この病気は知ってほしい、というすごく複雑な感情をもっていたな、と思います。多重人格的なところがあったのかなって。お薬を飲めさえすればふつうの人とは変わらないんだ、という思い込みもすごく強かった。患者会の中でもお薬を飲んでうまく折り合いがつけられない方に対しては、すごく厳しかったです。それもわたしはすごく嫌で。みなさん、努力して、この病気に折り合いをつけてきたっていう気持ちが強かったからだと思うんですが、折り合いがつけられない人に「真面目に治療を受けてないからだろ」とか言ったりしていて、辛かったですね。
なんでそういうことを言うんだろうなって、年配の患者さんに対して思っていたんですけど、久しぶりに前の理事長さんとお食事をしたときに、その人が、病院に初めて来たときは、お薬の対処療法が確立していたんだけど、もっともっと上の世代の人たちは、お薬の対処療法が確立していなくて、苦労が全然違っていた、という話をしてくれました。当時は戦争中で、ものすごくひどい扱いを受けたという話ばっかりしていて、それが辛かった、だから明るい話がしたかった、と。今はお薬を飲めばなんとかなるんだから、みんなでがんばっていかないと、今まで苦労してきた方々に申し訳がたたない、と。それを聞いてなるほどな、と思いましたね。
伊藤 ふつうにお薬を飲めば生活できると信じたいから、うまくいかない人がその反例に見えちゃったんですね。同じ病気だから一つになれるわけじゃないですよね。
駒沢 ほんとうにそうなんですよね。やっぱり同じ疾患だと言って集まっても、やっぱり分断があったりします。わたしは西洋医学は病気を解明していく上では大切だと思うんですが、細分化する学問だなと本当に思っていて。この症状とこの症状とこの症状が揃っているとこの病気、という感じで、そうじゃない人は違う、って判断する。そういうことをすればするほど患者の中で分断がおこるんですよね。だいたい悩んでることは一緒なのに、なんでそこで分断が起きなきゃならないのかなという気がします。そのあたりは医学に対して不満がありますね。
伊藤 なるほど。東洋医学など非西洋医学に向かったことはないのですか?
駒沢 わたしはまったくないです。どうなんですかね。
◎信仰に救われた体
伊藤 最近の当事者会の様子は変わってきていますか?
駒沢 最近は交流はSNSでできるので、若い人で患者会に入ろうという人は減ってきているような感じはしています。だから患者会じゃないとできないことをやろうとしていて、交流よりも、啓発活動を中心にしていますね。会費は寄付みたいに考えてください、と。最近は、眠くなる病気があるという認識は出てきているみたいななので、親御さんの理解がだいぶ変わってきましたね。わたしの世代から上は、親御さんの理解がある人というのはまず聞いたことがないですけど、いまの理事長(40代)から下くらいは、だいぶ親御さんの理解も出てきています。最初は患者会は当事者のみで家族には冷たかったんですけどね。わたしは、親自身の悩みと、子供が悩んでいることをごっちゃにされるのがすごく嫌ですね。わたしの場合は、母親に話すと泣かれたりして、泣かれるのはすごくつらいんですよね。泣きたいのはこっちだ、って(笑)。なので、わたしも初めは親御さんに共感できなかったんですけど、やっぱり親御さんは親御さんでとまどうんだろうなと思いますし、親御さんには親御さんの悩みもあるから、最近は親御さんも支えていこう、と思ってますね。
あとは、発達障害との関連ですね。発達障害の人の多くが、何らかの睡眠障害を持っているらしくて、相談も多いです。全然発達障害に気づいていない方も多くて、生活面に違和感ないですか、と質問すると、思い当たることが多いです。わたしのようなI型と呼ばれる典型的なナルコレプシーでも、3割くらいは併発していると言われます。睡眠外来に行くと、いま過眠症に関しては公的な支援がほとんどないし、睡眠の部分しか見てもらえないことが多いので、睡眠以外に思い当たる事がったら、生活全般を見てくれる発達障害外来に言ってみることを勧めています。
伊藤 細分化する西洋医学が救えていないところを相談のなかで埋めているという感じですね。病院じゃなくて当事者の人たちがそれをやらなくちゃいけないのは、本来はおかしいですよね。
駒沢 そうですね。治療をするなかでうまくいかない人が出てきて、そういう場合は、発達障害がベースにあるということがあって。西洋医学は併発に弱いんですよね(笑)。複数の疾患を抱えている人に弱い。でもひとつの病気しか抱えていない人のほうがかえって少ないと思うんですよね。
伊藤 駒沢さん、かなり細かくいろんなことを観察していらっしゃいますよね。日記をつけていたりするんですか?
駒沢 特につけてないんですけど…
伊藤 これってこうなのかな、という仮説を立てて動いてみる、研究者的なマインドをお持ちなのかなと思って…そうせざるを得なかったのだと思いますが。
駒沢 そうかもしれないですね。わたしは仕事で事務とかはやってこなかったので、患者会でも事務局に入るつもりがなかったんですよね。相談をやりたかった。きっかけは、ハートネットTVでナルコレプシーが特集されたときに、「これだけ情報が出ている時代に悩んでいる人なんているのかな」と思っていたんですよね。でもTwitterをたたいてみたら、けっこう悩んでいる人が、しかも若い子たちでいっぱいいて。それで患者さんがどんな感じなのかなというのを見ることも多くなって、自分がいままで歩んできた治療に関して考えることも多くなりました。伊藤先生のご著書もめちゃくちゃおもしろいし、参考になります。
伊藤 ありがとうございます。駒沢さんは、たいへんさの中にあってもおもしろがる火を絶対に消さないですよね。最初のメールにもおもしろいって書かれてましたよね。
駒沢 人の体ってほんとうに精巧にできてるなって思います。自分の努力でなんとかなる部分なんて限られているのに、それをぜんぶできるかのごとく考えている人が実にこの世に多くて(笑)。体ってすばらしいって思いますね。
伊藤 そういうふうに思われるんですね!体は面倒くさいとか、なんでこの体なの、とかではなくて、体って精巧にできているっておっしゃったことにすごくびっくりしました。
駒沢 利他学のシンポジウムを見ていても、なるほどなと思ったし、体ってうまく作られているなと思いました。結婚して、わたしが25歳のときに母が癌で亡くなって、そのときになかなか喪失感が癒えなくて、32歳のときに井上洋治神父の本に出会って、受洗しました。今のわたしの大きなターニングポイントになったのは、わたしの中では信仰の部分がとても大きくて、聖書のなかに、体は多くの部分から成り立ってていて、そのすべての部分が調和がとれていて、どの部分も尊いんだ、ということが書かれた箇所があるんですが、その部分を読んで、わたしは本当に救われました。自分は今のままでいいんだな、周囲よりできなくても何かしら役にたっているんだ、というを実感した瞬間でした。ただその時点では、自分の病気のことと信仰がつながるとは全く思っていなくて。薬を飲んで、一般の人にどれだけ近づけるかということを、ずっと考えていて、必死に合わせようとしていたんですよね。そのことに疲れてきていたんだと思います。やっぱり限界ってあるんだなと思うし、上の世代の方々が「薬さえ飲めば変わらない」と言っていたけれど、今までわたしの中でもそういう考えがあったんだなと思います。でもそこまでやる必要なないんだ、って感じるようになって、むしろ、なぜ一般の人に合わせなければいけないのかなと思うようになりました。
伊藤 それは大きな変化ですね。「このままでいいんだ」って口では言えても、心の奥底からそう思うというのは簡単ではないですよね。
駒沢 ままならない体をかかえながら生きていること自体がとっても尊いというか、そのままでいいんじゃないかなって。
伊藤 すごい。ほんとうにそうですね。
駒沢 同病者でうまく折り合いがつけられないでいる方に、「駒沢さんは運がよかったよね」って言われたんです。初めわたしはその言葉に耳を疑いました、わたしはわたしなりに努力してきた部分もあるんだけどなあ、と思いました。でもよく考えてみたら、確かにそういう部分はあるよな、と思っています。たまたまうまくいって、いまの自分があるだけであって、人の努力とかってたいしたことないんじゃないかなと思うようになったんですよね。
ままならない体だし、ままならない体で一生懸命生きているというのは本当だし、それを伝えることは大切だと思っています。医学的には、睡眠医学って非常に境界線にいるんですよね。精神科と神経内科のあいだくらいの微妙な立ち位置だと思います。精神科からすると睡眠ってあまり重視されていないんですけど、眠れなくても眠りすぎてしまっても、睡眠がうまくいかないと精神的にかなりきびしくなるというのはしっかり言っていかないといけないな、と思います。特に眠くなりすぎる場合、社会的困難が大きくなります。患者さんの中には、この眠気は病気の症状で、この眠気は自分の怠けからきているって切り分けようとする人がいるんです。わたしなんか眠気がきたら全部病気のせいだと思ってるよって言うんですけど(笑)、自分は怠けている部分があるんじゃないかって責めちゃうんですよね。
啓発する際に、「お薬をのめば病状が安定する」と言ったほうがいいのか、「やっぱり苦しんでいる人はいる」というふうに伝えたほうがいいのか、すごく難しいんですよね。病気を早めに知ってもらって、早めに病院に言ってもらうためには、「お薬である程度コントロールできるようになりますよ」と啓発していくんですが、そうするとそれを見た健常の一般の方からしたら、「お薬飲んだらなんとかなる」という理解になり、同病者の人で「あなたは薬を飲んでるのになんとかなってないのは、あなたの怠けではないのか?」と言われたりするケースを聞いたことがあります。でも本人は、自分が差別されているというのに気付いていなかったりします。自分が悪いと思ってる。わたしはその話を聞いたときに、それは差別だよ、症状は個人差があるよ、と言いました。周りの人から「がんばって病気に打ち勝っている患者当事者もいるのに、そういう彼らに失礼だ」とも言われていて、なにそれ、と思いました。
伊藤 眠気の問題って根性論がすぐ出てきちゃう感じですよね。
駒沢 日本は本当にそういう部分が非常に強いですね。根性論でなんとかなるって思われてるんですよね。眠気もそうだし、朝起きれない、といったことに対しても、何の根拠もないのに気の緩みと判断されます。
伊藤 海外の患者さんとも交流がありますか?
駒沢 米国にProject Sleepという団体(https://project-sleep.com)があって、そことはお付き合いがかなりあります。ナルコレプシーの患者当事者は海外のほうが生きやすいと思います。精神論で言われることもないですしね。そもそも同僚に苦情を言われるのがおかしい。そのケースの場合は、電車で乗り過ごしてしまったのですが、遅刻ですでに会社からペナルティを受けているのに、同僚が忠告してくるのはおかしいですよね。しかも、相手のためを思って言っている場合が往々にしてある。
伊藤 お薬がない病気の大変さもあると思いますが、あるからこその大変さもありそうですね。薬があると「飲んだら大丈夫」というシンプルな構図で理解されがちです。「大変じゃないよ」と「大変だよ」を同時に言いたいですよね。
駒沢 すごく複雑でないまぜな気持ちがあるのに、「どっちかにしろ」と断定を強いられる感じが嫌です。
@2022/9/28 東京工業大学大岡山キャンパスにて