Research

江尻悠介さん

「お世話になっております」のような職業化されたしゃべりは吃音が出やすいという江尻悠介さん。ここまでは多くの吃音当事者の頷くところかと思いますが、江尻さんの面白いのは、もっとライブ感重視で付き合えるように人間関係を調整していくところ。仲良くなるポイントは「広義の非常事態」「文化祭的労働」「〇〇な目にあってる感」だそうです。


 江尻悠介さんプロフィール

1996年、茨城県生まれ。一人っ子。大学では建築・デザインを学び、アートプロジェクトのコーディネーターなどを経て、現在は出版社に勤めるかたわら、個人でも本をつくったり選んだり貸したりしている。

 

◎職業化されたしゃべり

 

伊藤 ふだんはインタビューをすることが多いですか?

 

江尻 つい先月までやっていた仕事はアートの裏方なので、アーティストさんのトークを設定するとかシンポジウムをやるみたいなことが多くて、なので簡単に話をふったりすることはありますけど、がっつりインタビューすることはないですね。

 

伊藤 吃音の話をするのは慣れていらっしゃいますか?

 

江尻 慣れてはいないですけど、以前、本に関する活動を一緒にやっているメンバー3人で集まって、伊藤亜紗さんの『どもる体』の読書会をやったんですよね。そのときに初めて、ちゃんと吃音について話したという感じがあって。そのときは、残りの2人も興味津々で聞いてくれて、そういう場が最初でした。

 

伊藤 そのときは、話してみてどうでしたか?爽やかでしたか?

 

江尻 あ、それは爽やかでしたね。

 

伊藤 分かってもらえましたか?

 

江尻 「うん、まあ、そういう感じなんだ」「ぼくもこういうことあってね」みたいな反応でした。僕以外の2人も、ぼくの言ったことに似た体験はこういうことかな、というのを考えながら3人でしゃべっていた感じですね。

 

伊藤 では今日は改めてという感じになりますが…

 

江尻 (笑)

 

伊藤 基本的に自分のことって理路整然と話せないものだと思うので、気楽にさぐりさぐりできたらと思います。

 

江尻 自分から得意げにしゃべったりすることはないですからね(笑)

 

伊藤 話すこと自体は好きですか?

 

江尻 それはそうですね。好きですね。小さいころから好きでしたね。

 

伊藤 どんなお子さんだったんですか?

 

江尻 小学校とか中学校は、クラスにひとりくらいいる変な人という感じでしたね。ヤンキーみたいな人とも話すし、いろんな人と話していました。話し方変だなということはどっかでみんな思ってたかもしれないんですけど、そもそもマニアックなものが好きだったので、ユニークなやつ、みたいなポジションだったかなと思います。その感じのまま変わってないですね。自分のことに臆することもなく、楽しいときは楽しくしゃべる感じでした。話すことは好きなタイプでしたね。

 

伊藤 ちなみにどっち方面のマニアックだったんですか?

 

江尻 カルチャー全般、アートとかデザインとか建築とかに興味を持ってましたね。

 

伊藤 なるほど。わりと大人っぽい子供だったんですかね。

 

江尻 お母さんが美術館に連れて行ってくれてましたね。茨城だったので水戸芸術館とかによく行ってました。

 

伊藤 いいですね。書くことも含めて言葉は好きだったんですか?

 

江尻 好きでしたね。理系に進んだんですが、現代文だけの個人塾に通ったりして、そこは先生が面白かったです。問題を解きながら一般的な話もしてくれて、いろいろ相談できる先生でした。話を聞いてくれる大人がまわりにいたなっていう感じはしますね。

 自分のことを考えるにしても、自分一人で分析していくというよりは、本を読んだりしながらさぐっていく感じでした。

 吃音に関しては、いつ読んだのかは忘れちゃいましたけど、武満徹さんの「吃音宣言」(1961-63)ってあるじゃないですか。あそこに書かれている「職業化されたしゃべり方のそらぞらしさ」みたいな話は、「確かにそうだな」と思って、輪郭を与えられた感じがしました。今年大学院を卒業して3年目なんですけど、いろいろ働いてやっているなかで、やっぱり「職業化されたしゃべり」っていうか、「こう話さなきゃいけない」みたいなものの通りに話せない、ということがけっこうあって。でもそうじゃないところで、それをカバーしようとするところがあるというか。

 

伊藤 「そうじゃないところでカバーする」っていうのは・・

 

江尻 たとえば、最初はうまく話せないけど、そのあとだんだんやっていくうちに信頼を得ていくっていくか・・

 

伊藤 なるほど。ということは、「その場でうまくいかなくても、あとから何か打つ手はある」っていう余裕を感じながらやってるということですね。

 

江尻 なんとなくそう思ってます。それは経験則的に、これまでも大丈夫だった気がしているので。余裕があるからといって、一発目うまくいくわけじゃなかったりするんですけどね(笑)

 

伊藤 物理的な症状としては何がでますか?

 

江尻 難発が多いですかね、うん。しかも、その日のコンディションによることが多いですね。今日はこれが言えないな、というのがありますね。

 

伊藤 1日単位で波がある感じですかね。

 

江尻 基本的にずっと言えてないんですけど、今日は特にこれ言えないなというのがあったりするんです。他の方も書いていたかもしれないですけど、あとは自分の名前が、言いにくいですね。えじりの「え」が言えない、みたいなことは結構ありますね。

 

伊藤 ああ、分かります。私は「早稲田大学」が言いにくい言葉ワースト5に入りますね(笑)

 

江尻 僕はア行が基本的にずっと言えないので、この前までいた職場の最初が「あ」だったので、電話番がたいへんでした。さっきもお話ししたとおり職業化されたしゃべり方だと、変えようがないじゃないですか。「お世話になっております」を「どうですか?」みたいに言ったりすることってできない。回避できないので、毎回ちょっと言いづらいです。でも、電話を切って、社内の人と内線で話したりするときは大丈夫なんですよね。それは普通に言い換えたりできるので。

 

伊藤 職業化されたしゃべり方がしゃべりにくいのは、人格やキャラクターの問題ではなく、単に言い換えができないからということなのですかね。

 

江尻 というのがあると思いますね。それをキャラクターでおぎなっているというのはありますね。「あ、すいませんすいません」みたいな(笑)。なので連絡はメールがいいですね。

 

伊藤 Zoomはどうですか?

 

江尻 Zoomは結構話しにくいなと思っていて。Zoom飲みが流行ったときも、仲良い人たちとやっているのにすごく話しにくかったです。理由はよく分からないんですけど、体が同じ空間にいるのといないのとではちょっと違うのかな。こうやって同じ空間にいると、言おうとして言えないことをまわりの人が判断して言ってくれたりするけれど、Zoomだとそこの情報が伝えにくいですね。

 

伊藤 相手によっても話しやすい人と話しにくいがいますか?

 

江尻 話しやすい人もいますね。それが、その人とどのくらい仲良いかとあまり関係ないんですよね。だから、自分も仲良いと思っていて相手もそう思っているんだけど、どもっているとずっと距離が遠い感じになっちゃう(笑)。安心しているからどもる、というわけでもなく、そのときによりますね。意外と、親と話しているときは、すごく安心しているんですけど、どもりやすいですね。たまに実家に帰ったり、母親と電話したりすると、そういうときもけっこうどもるなという感じもします。

 

伊藤 私もそうなんですよね。親はどもります。一緒に住んでいたときもこんなにどもっていたかなという気もするんですよね。

 

江尻 あまりこの話をちゃんとしたことないんですけど、うちのお父さんもたぶんどもっていて。でも話し方でどうにかしている感じでなんですよね、「あれだよ、あれ」みたいな。たぶんそういうのもあって、親と話すときはどもっているのかなと思うんです。

 

伊藤 お父さん以外のどもる人と話したことはありますか?

 

江尻 あまりないんですけど、大学の後輩で、ひとりどもる人がいて、たまにそんな話をしていましたね。でも確かにどもっている人と話すときのほうが、自分も言葉が出にくい感じがあるかもしれないですね。就活の面接が大変だという話とかをしていました。

 僕は建築やアートの裏方の仕事をしたいと思っていたのでそういう関連の会社や団体の面接を受けていて、でもそういう人文系の人たちは比較的寛容というイメージが勝手にあったので(笑)、そこでは苦労することはあまりなかったですね。逆に吃音でネガティブに評価されたら、そこでがんばる必要はないなと、そのくらいの気持ちでやっていました。でも就活で苦労する人は多いですよね。

 

伊藤 その差は何なんですかね。江尻さんは、吃音を持ってるけど、それを核にして社会に出ていってないというか、そのせいで苦労しているというふうには生きていないように見えます。

 

江尻 さっき話した武満さんの本とか、規範から外れてしまうことを肯定的にとらえる言説に影響を受けているので、何なら剥き出しのままやったほうが、みんなにとっていいんじゃないか、くらいに思ってますね。

 

伊藤 すばらしいですね…それって平たく言うと「自己肯定感が高い」みたいなことになるんでしょうか(笑)

 

江尻 そうですね…。自己肯定感が高いというか、吃音のことでいじめられたり馬鹿にされたりといった経験をそんなにしてこなかったからかもしれないですね。このままでいいという感じもありますし。あと関係あるか分からないですけど、大学の建築学科が一学年180人くらいいて、人数が多いので、人と違う考え方や発言の仕方がいいと言われるような雰囲気だったんです。いい意味でも悪い意味でも自分に特徴があるというのはいいことなのかなと思っていました。本当にまわりの人にめぐまれていたという感じだと思います。

 

◎ライブ性に舵を切る

 

伊藤 でも江尻さん自身も、さっきのキャラクターの話のように、何かでカバーするような技術を身につけたというのもあるんですかね。現象としての吃音を、まわりの人が前向きな価値として受け取れるような状況を、江尻さん自身が作っていたというのもあるような気がします。

 

江尻 めちゃくちゃ楽しそうだからいいのかな、みたいな感じですかね(笑)。直接関係があるか分からないですけど、吃音があることに影響されて獲得したであろう考え方があって、そこは切り離せないんですよね。その考え方を肯定するには吃音も肯定しなくちゃいけなくて。読書会で『どもる体』を読んでいて、国語辞典的に話す、みたいな話がありましたよね。たとえば「新宿駅」と言えないときに「代々木駅の次」みたいに言っていく、といった感じで、ある単語を言えないときに、その条件を言っていく。ふだんから、その逆がけっこう得意なんですよね。研究室の先生とか職場の社長が、ある単語を言えなくなっているときに、絶対一番最初に僕がわかるんですよね。「これってあれですよね」みたいに。

 

伊藤 それってある意味では、人と境界があまりないということなんですかね。その人の考えていることが、言葉以前に分かるということですよね。

 

江尻 その人がこういう興味嗜好で、その文脈で言おうとしているんならこれだな、みたいな。

 

伊藤 吃音があると、「発言」みたいな感じで、きっちり文章にして言葉を提示するという感じではなくなって、察してもらったり、察したりする要素が増える気がするんですよね。ものを渡すというよりは、雰囲気を一体化させておくような感じがします。

 

江尻 集合的に話している、みたいなことですかね?

 

伊藤 うんうん、そうですね。

 

江尻 それはあると思いますね。

 

伊藤 いい意味での忖度みたいなことにエネルギーを割ける仕方でしゃべる、というか。自分の言いたいことを言うにしても、相手の言いたいことを理解するにしても、100%言語でやりとりする、というふうにはしていない、というか。

 

江尻 確かにそうですね。100%言語で伝えていないというのはあるかもしれないですね。何か違うものを借用することでニュアンスを伝えたり、その場にいる全員の共通認識がある状態で、小説のシーンや、漫画について「〇〇みたいな感じ」って言ったり。うまく具体例が思いつかないんですが、たとえば「村上春樹のあの小説のこのシーンみたいだね」と言った場合、文章としてはその文章しか言っていないけれど、もっと情報量が大きいものを伝えていますよね。それをポンと投げたりすると、たとえばそこにいた3人が「あれってこういう意味合いだよね」みたいになってきて、何人かで話しているとだんだん輪郭が見えてくる。そういうような話し方をすることが多いように思いますね。会議というよりは、アイディアを出したり、友人と本をつくったりするときは、そういう話し方をしているかなと思います。

 

伊藤 逆に吃音のせいでまわりが見えなくなるようなことはありますか?自分が話そうとしていて、言うことに集中して、他の人に気を配れなくなるというか…

 

江尻 それはあるかもしれないですね。会話というか、プレゼンテーションや発表で自分の話す分量が多いときに、他の人の合いの手が、重要なフレーズを言っていたとしても入ってきてない、ということはあるかもしれないです。やっぱり自分一人で話し続けるのが、その場所によってできるときとできないときがありますね。平日やっている仕事以外の本に関する活動のなかで、ゲストとして呼んでいただいて、人前で話したりすることが何回かあったんです。そういう自分のフィールドで話していいときは、楽しく話せます。でも同じ人数でも、仕事の相手にプレゼンをするときは、言いにくい感じがあって。それってたぶん、話さなきゃいけない情報が決まっているかどうかなんですよね。

前の会社をやめるときのスピーチをするときも、話したい内容を書いておいて完璧に覚えておくんですけど、当日はそのとおり話さないっていうのが自分にとっていいなと思っていて。一語一句用意してそのとおり言うっていうこともできたと思うんですけど、それはたぶん用意しちゃった段階で、言葉が言いやすいかどうかに関係なく、言いにくいものになっちゃうんですよね。なので、選択肢としては、完璧に用意したものがある状態で、それが言えそうなときには言うけど、言えないときには違うほうを言うっていうのが、これまでの経験則上、自分にとってよいやり方だなと思っています。暗記はする。

 

伊藤 それってどういう構造ですか?一回覚えておくというのは、「保険」みたいなものなのか、「道路」を作っておくということなのか。ふつうの人が聞いたら、「どうせ言わないんなら無駄じゃない?アドリブでよくない?」って思いますよね。準備をするにしても、箇条書きにしておくとか、一字一句覚えるとか、いろんなやり方があると思うんですが…

 

江尻 意外と一字一句覚えていますね。一字一句覚えておくんだけど、当日はそのとおり話そうとも思わないで、とりあえず話せることを話そう、というようなスイッチで話していて。一字一句考えて言いたいことがあるから、その発展で、当日また言いたいことが出てくるんだと思うんですよね。だから「先に敷いてる」みたいな感じですね。

 

伊藤 一回覚えたことを、違う言葉で言っているという感じですか?

 

江尻 違う言葉で言うこともあります。でも全然違う話をするときもありますね。たぶんそれは、そのとおり言おうとはしていないからだと思います。

 

伊藤 でもだんだん冒険が遠くなってくると、帰れなくなったりしませんか?(笑)

 

江尻 帰れなくなりますね(笑)。帰れないかも、というときはその方向で話すしかないですね。

 

伊藤 スリルが楽しいってことですか?

 

江尻 それもありますね。スリルが楽しいというのはあるかもしれないし、パソコンに向かって話しているわけではないので、話しているときのまわりの表情で「こっちだな」というのがあって、そこは尊重したいなと思っています。

 

伊藤 再生ボタンをカチッと押すというよりは、ライブ性、人との関係の中で話す感じですね。

 

江尻 そうですね。そもそもカチッと再生しようとしてもそれほどうまくできないのだったら、やっても仕方ないので、ライブ性のほうに行っているという感じですかね。

 

伊藤 そうすると、何で準備が箇条書きじゃだめなんですかね。

 

江尻 箇条書きだと、時間軸というか、全体の構成が分からない感じがあって。この言い回しのあとはこれだ、みたいなのが、書いていると出てきますよね。書いているときも、全体としてバランスがとれているかというのは気にしてやるし、当日話しているときも、できる限りそれは意識していると思います。箇条書きだと、入れ替え可能な感じがして、フィックスしない気がするんです。

 

伊藤 なるほど。箇条書きって案外一次元的なのかもしれないですね。一字一句のほうが、実は立体的に情報が整理されている。

 

江尻 そうですね。やっぱり文章の形にして書いてみないと、それがいいのかどうか分からないですね。

 

伊藤 さっきのスリルの話は、何に対するスリルなんですかね。スリルってリスクを感じていて、でもそれが気持ちいいということですよね。失敗をしちゃうかもしれないというリスクに対するスリルなのか、もともと準備していた話から遠ざかるスリルなのか、自分がここで何を言ってしまうんだろうという自分に対するスリルなのか…

 

江尻 自分に対するスリルだと思いますね(笑)

 

伊藤 (笑)

 

江尻 さっきも話したんですけど、失敗したときに「次の手打つか」みたいに思っているので、あまり失敗で終わるという考え方がないんです。どっちかというと、その場でもしかしたら自分は思いもよらないことを言ってしまうかもしれないというスリルと、それが準備していたどの言葉よりもよいものかもしれないので、そこに賭けているみたいなところはあるかもしれないですね。大層なこと言ってますけど(笑)

 

伊藤 なるほど〜おもしろいですね。気持ちいいですね。自分から何が出てくるんだろう、みたいな感じですかね。

 

江尻 自分から何が出てくるかというか、予測できないものが出てきたときにすごく楽しいと感じますね。話しているときもそうだし、考え事しているときもそうですね。ぼくの話ではなく人文系の研究者をしている友達の話なんですけど、文章を書く時にその種類によってはテープレコーダーをセットして、自分が思ったことを一気にしゃべってからそれを文字起こしすると言っていました。そうじゃないと書けないテキストがある、と。僕もアイディアを考えるときに、何人かで話さないと出てこないことがあるように思うし、自分をふだんと違う独特の状況下に置かないと出てこないものがあると思うんで、それを楽しんでいるみたいなところはありますね。人前で話すときはそういうところを楽しんでいますね。

 

伊藤 江尻さんをいろんな状況下においてみたくなりますね。

 

江尻 想像がつかないところのほうがいいですね。もちろん全然うまくいかないこともあるんですけど。

 

伊藤 そういうスリル好き、ライブ好きな部分って、やっぱり吃音で作られたんですかね。そんな簡単に影響関係は言えないとは思いますが。

 

江尻 職業化された話し方じゃない話し方をしようとするとそうなるのかなと思っています。「こういう場所ではこうするべき」っていうのを洗練して活躍する方もいると思うんですけど、そっちに舵を切ってもうまくいかないだろうなと思ったんで、別の方に舵を切ってるという感じですかね。なので、仕事でも、初めて仕事をするときは職業化されたしゃべり方になりますけど、たとえばアーティストさんが展示をするときの準備をいろんな人に連絡してやったりするときなんかは、始まってみるとその人とのやりとりはだんだん職業化されていないものになっていきますよね。相手もそれを求めているし。そっちの時間のほうが長いような仕事が楽しいなと思っています。

 

◎何であの子がこんな目に

 

伊藤 職業化されたシステマティックな関係から外れるときって、自分一人が外れてしまうと、ただの失礼になるじゃないですか。相手も一緒に外れてくれないと困る。そして外れるときは全然違うその人のポテンシャルが発揮されると思うんですよね。どうやって、その外に誘いだすのかな、というのが気になります。

 

江尻 意図的にやれているのかは分からないですけど、展示のときとかだと、「大雨のなか重いものをみんなで運ぶ」みたいなことがあると、ちょっと前まで対立していた人が、「これはみんなで運ばないとだめだ」ってなって、そういうことが境になって立場を超えて本音で話せるようになりますよね。わかりやすい労働があると変わりますよね。

 

伊藤 労働…文化祭的なやつですね。

 

江尻 誰しも助けようとする気持ちはあると思うんですよね。自分一人がすごい量のものを運ぼうとしていたら、手伝うポジションじゃない人が一緒にやることになったりする。そういうのもあまり意図的にはできていないですね。自分のこれまでの経験だと意図的にはできていないんだけど、無意識のうちにそういう契機を作っていて、助けてもらっちゃってる(笑)。

 

伊藤 (笑)そういう例外状態に出てしまうというのがあるんでしょうね。

 

江尻 そういうかわいそうな感じになるから助けてくれる、みたいなのがあるかもしれないですね。

 

伊藤 アップアップになっている状態によくなるっていうことですね。

 

江尻 自分が計画しなかったからそうなっているというわけではなくて、8人でやる予定だったのに僕しかいないとか(笑)、そういう状況のときにまわりの人が助けてくれたりしますね。無意識のうちにそういう「助けて」というサインを出しているのかもしれないですね。

 

伊藤 それはやりたいことの理想が高いのか、むしろ隙があるという感じなんですかね。

 

江尻 隙があるというのもあると思いますが、責任感は、自分で言うのも変ですが、けっこうあるほうだと思います。どんな場でも自分はぜったいそこにいなければいけない、という意識がある。めちゃくちゃやる気がありそうな人がそういう目にあっていると、やっぱり助けてくれるますよね。

 

伊藤 そのポジションって名前つけるとどういうポジションなんですかね。

 

江尻 リーダー的リーダーではないと思うんですよね。最初にやりはじめちゃう人ですね。

 

伊藤 真面目な人とは見られてますよね。

 

江尻 それはそうですね、見られていると思います。

 

伊藤 真面目な人が損をしている、みたいな状況に見えるんですかね。

 

江尻 真面目な人が健気にやってるっていう感じだと思いますよ(笑)。

 

伊藤 なるほど。

 

江尻 そこはちょっと自分でも自覚しているところもあって、露骨にやっているというほどじゃないけど、真面目な状況で健気にやっていていたら誰かが見てくれているから、効果がないとは思わずにやる、というのはありますね。

 

伊藤 おもしろいですよね。「真面目な人が健気」っていうと、一見するとシステムの中の話のように思うけど、それがむしろ外れる回路にもなっているんですよね。

 

江尻 システム的じゃないところで真面目な人が健気にやってるから、助けてもらえるのかもしれないですね。たとえば、地方の山奥で展示をしていたときに、真面目な人が健気に重いものを運んでいたら(笑)、通行人のおじさんが一緒に持ってくれたりするシーンがあったりして。そういうのはシステムみたいなのではない場所でぽつんとやっていたりすると、手を貸してくれたりしますよね。

 …そう思うと、確かにそういうエピソードをよく友達に話しているなと思います(笑)。こういうかわいそうな状況にあったら助けてもらった、みたいな。

 

伊藤 助けられやすいんですかね。

 

江尻 助けられやすいし、運悪くてそうなっちゃいがちですね(笑)。関係ない話になっちゃうと思うんですけど、たとえば大学の友達と20人くらいで旅行に行ったんですけど、その前に参加したワークショップでイノシシの肉を火を通さずに食べちゃったことがあって、旅行中ずっと具合が悪かったんですよね。急性胃腸炎になって倒れていたんですけど、そういうときに、まわりの友達としては、僕がそういう不幸な状態になっているのって、変な意味じゃなくて面白いらしくて(笑)、面白い話としてされることが多くて。面白がっていると同時に、病院を探してくれたり、バッグをもって送ってくれたりとか、そういうことが他にも何回かあったりして、それを面白いものとして受け止められるのも結構楽しいものだなと思っています(笑)。それで助けてくれて、みんなも気にかけてくれているという状況は結構いいなと思いますね。

 

伊藤 助けられるコツを知りたいんですけど…(笑)

 

江尻 どこにあるんですかね(笑)

 

伊藤 よく視覚障害の友達とも話すんですけど、何かしてもらったときに「ありがとう」とか「すみません」って言う派の人と、言わない派の人がいるんですよね。「ありがとう」とか「すみません」って言うと、助けた側もしんどくなるからあまり言わない、ただ一緒に時間を少し過ごして楽しかった、とその人が思えるようにしているという人もいれば、すぐ「すみません」って言う人もいます。

 

江尻 すごく言うタイプですね。「ありがとう、神様」みたいな感じですね(笑)

 

伊藤 なるほど。それによって相手が負担を感じないようにするような関係を作っているんでしょうね。

 

江尻 まだ答えに接近していないんですけど、助けてくれる人としても、こういうやりとりが僕とあって、結局大丈夫だった、みたいな話を笑い話にしていい感じになっていると思うんですよね。深刻な感じにしていない、重たくならないようにしていますね。

 

伊藤 面白いですね。何なんですかね。

 

江尻 そういう意味では、偶然まわりに人がいるときにそういう状況になるかもしれないですね。前に出張で遠くに行っているときにコロナにかかったんですけど、コロナにかかって病院の駐車場で車がエンストしたときに、職場の人が車で来て助けてくれたんです。みんな心配ではあるんですけど、治ったあとにみんな笑い話として話していて。「映画みたいだったよ」みたいな(笑)。面白くしていい、コンテンツにしていいよ、っていう感じを出しているのかもしれないですね。

 

伊藤 それは起こっていることを自分から言語化しているからなんですかね。

 

江尻 それもあると思いますね。連絡したりするときに、「こういう状況でピンチなんで」と言ったりしますね。お腹痛いときは、厳島神社に行っていたんですけど、本土から船で出るときにもうだいぶ顔が青くなっていて(笑)。でもみんな一緒にいるんで、一応ついていったら、島についたときに限界がきて、本土に戻ったときに病院に行きました。そういうときも、自分がコントロールできなくなっちゃった、という状況をそのまま露呈させとく、それを見せつつ、自分としてはそれをちょっと俯瞰してみているというところがありますね。「何でそんな状態なのに冷静なの?」って言われたりする。

 

伊藤 そうなるとちょっと吃音に近づいてきますよね。自分がこんなことになっちゃってる、というのを引いて見つつ…

 

江尻 引いてみつつ、でもそれをそのまま見せておく。

 

伊藤 見せておくっていうのがなかなかできないですよね。

 

江尻 確かにそうかもしれないですね。それは意識的にではなく、自分がコントロールできなくて見せちゃった、みたいなことが吃音に限らず何回かあったときに、まわりの人は引いてない、大丈夫だ、っていうのが何回かあったので、見えちゃうときは見せちゃっていいのかなと思っているのかもしれないですね。

 

伊藤 「人に迷惑をかけたら嫌だ」という抑圧が働いたりはしないですか?

 

江尻 ふだんは結構あるんですけど、厳島神社のときなんかだと、そういうのを感じることすらできないくらいダウンしているんで(笑)。みんなが旅行しているときだったんで、はじっこのほうで「ううう・・」ってなってました。そこからはもう「見せる」でいいかな、と。自分でコントロールできるうちは迷惑も考えるけど、それを超えると、なるようになれ、ですね。

 

伊藤 面白いですね。それがつくる人間関係ってある気がしますね。偶然だと思うけど、見せとく、というのはすごい名言な気がします(笑)

 職場が変わっていろいろ緊張しませんか?

 

江尻 しますね。そういう関係を築くのはすごく時間がかかりますね。でも何かしら起こるんですよね。学生時代も建築学科だったの文化祭で家を一棟建てるみたいなことをするんですが、遅くまでやっていたら警備員さんに学生証の情報を控えられる、ということがあって。それも「なんで真面目にやっていた江尻がこんな目にあうんだ」って団結するようになって。なんか毎回そういう広義の非常事態が起こるんですよね。ちょっと漫画的ですけどね。「なんであの子がこんな目に」みたいな。

 

伊藤 親近感を感じるキャラクターとかいますか?

 

江尻 誰ですかね…思い出したら言いますね。僕が面白い話だなと思って話すことって自分の話が面白いのではなくて、なぜか偶然変な体験をしてしまったっていう話をすることが多くて、「何でそんな目にあった?」っていうことですね。

 

伊藤 「目にあう」って感じですよね。

 

江尻 「目にあう」って感じですね。その最中は「何でこんな目に」って思っているのに、あとあと考えると面白いのかな、と。

 

伊藤 どこかで「ちょっと無理しちゃえ」っていう要素もあるんでしょうね。イノシシの肉を生で食べたりとか。それはさっきのスリルを楽しむようなところですね。

 

江尻 あるかもしれないですよね。そのときはその場で食べた人はみんな急性胃腸炎になったと思いますけどね(笑)。自分で外部の世界に飛び込むことはあまりないですが、声をかけられたらとりあえず一度は行きますね。

 

 

2023/7/10 東工大大岡山キャンパスにて