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みいさん

みいさんは23歳で余命半年の宣告を受け、「何が起こるか分からない」という実感のなかで30年以上生きてこられた方。足には麻痺がありますが、外では二本の杖、家の中では体のあちこちを足の代わりにしてなめからに移動します。「体を観察するけど法則化しない」は至言だと思う。一見矛盾しているように見える「自分の体は自分で責任をとらなくちゃいけない」と「自分と体を別物みたいな感じで見てます」のあいだにこそ、生きるという営みがあるのだと思う。


 みいさんプロフィール

神奈川県出身。夫と二人暮らし。中学・高校・社会人とバスケットボールをやりました。1989年、第四腰椎骨巨細胞腫を発症(術後、両下肢麻痺)。趣味は、オカリナ、読書、歌。

 

◎外では杖、家の中ではバスケのターン

伊藤 その杖、すごく軽そうですね。

 

みい 持ってみますか?

 

伊藤 あ、左右両方だと重いですね。

 

みい 右足が悪い方は左足に杖を使って、左足が悪い方は右足に使うんです。悪い方と逆なんです。

 

伊藤 あ、そうなんですね。そりゃそうですね。杖は足が出るより先につくんですか?

 

みい どうだろうな…。私は両方なのでそのときどきですけど…一歩だして…?ふだん考えて歩いてないからよくわからない(笑)

 

伊藤 ものすごくナチュラルに使ってらっしゃるんですね。

 

みい 片方を使うときは、悪い方の足と杖を先にだして、それからいい方を出す、かな。私は右足は膝から下が麻痺していて、足首が上がらないんですね。感覚も、分かるところと分からないところがあります。熱い/つめたいも分からない。左足はすべて麻痺があって、階段を上れない。

 

伊藤 右のほうが動く?

 

みい そうですね。だから右で出して、左足は上がらないので回して歩くという感じです。ただ、右も足首があがらないので、どうしてもちょっと坂があったり凸凹があったりすると、地面に足を擦っちゃう感じになるんです。足を固定するような装具もあるんですけど、だけど最初からそういうのを使わないでやっていたんで、使うと逆に怖くなっちゃって。だから引きずってでも自由なほうがいいんです。

雨がふるとどうしてもゴムがすべるんですよね。そうすると転んじゃいます。あとコロナ対策で消毒液が置いてあると、その下が濡れるんです。あれで転びました。転び方は、体を支えられないので、見事に転びます。

 

伊藤 体を打っちゃいますね。

 

みい そうですね。でも上手です(笑)。バスケットやってたんで、転び方もうまいです。

 

伊藤 もともと活発な方なんですね!

 

みい バスケットは中学、高校とやっていました。社会人になって、たまたまバスケットボール部があってお誘いが来て。最初は断っていたんですけど、向かいの職場の同期2人が、バスケットをやっていたっていうんで、誘われていって、結局11年くらいやっていました。病気になるまでは、試合に出たりしていました。だけど動けなくなっちゃって。

 

伊藤 もともとの運動神経のよさが、杖の使い方なんかにも生きているんでしょうね。

 

みい 家の中は杖を使わずに、壁でもテーブルでもなんでも触って、ポンポンポンとバスケットのターンみたいにして動いていますね。何もないところだとワンちゃんのように動いています。だんだん筋力が落ちてきたので、滑り止めのついたソックスを重ね履きしてるんです。これだと床とか、特にマットが敷いてあるようなところは、すべらなくていいです。

 

伊藤 一枚よりも重ね履きのほうがいいんですか?

 

みい 5本指の靴下を履いて、麻痺のある足をなるべく広げているんです。それで、その上から滑り止めを履いています。休むときは、横になれる座椅子に足をのっけています。病気をして15年くらい経ってからリンパ浮腫を発症して、なるべく足を上げていたいんです。座椅子に足を乗せるときに、足の指が開くようにはめ込むものありますよね、あれをはめて本を読んでいるんです。そういうことをしています。

 

◎いつ何があるか分からない

伊藤 病気をなさったのは23歳のときですよね。

 

みい そうです。ちょうどバスケットを一緒にやっていた方と結婚して。その人は同じ会社じゃなかったんですけど、もぐりこんでバスケットをいつもやっていたんです(笑)。自営業だったので、私は会社をやめて、一緒に仕事をするようになりました。それで半年経って、病気が分かって。私は聞かされていなかったんですけど、そのときは、あと半年の命だと言われたんです。最初は骨肉腫という診断で、でもそれは聞かされていなくて、とりあえず入院していろいろ検査をして。腫瘍が大きくて大人の拳大でした。

 

伊藤 そうですか…それは触って分かるような感じだったんですか?

 

みい 分からないです。でも昔からお腹が大きかったよね、と友達に言われたりはしました。第四腰椎なんですけど、そこからお腹のほうに出てきていて。そこに放射線を当てて、あとはもう自宅療養という形でした。これ以上治療ができないし、あと半年だったらもう切らないでくださいって言っていたみたいで。ただそのあいだに、国立がんセンターとコンタクトをとって、診てもらえることになったんです。そこから骨肉腫じゃないんじゃないかということになり、また検査をして、これなら手術できるっていうことで手術で取ったんです。ただ、その腫瘍に神経が3本巻き込まれていて、もしかしたら麻痺するかもしれないって言われていたんですけど、3本のうち1本を切断しなくちゃいけなくて、そのために麻痺が起こったという感じです。

 

伊藤 最初に診断されていた内容よりは良かった、ということですね。

 

みい そのときは悪性度はそれほど高くないって言われていたんです。だから手術で、となりました。ただ、1年後に、肺に転移しちゃうんです。「残念だね」って言われて。そのとき初めて「死ぬかも」って思いました。それがまた肺の中で2箇所、大きくなっちゃうんですね。抗がん剤を使ったけど小さくならなくて、手術で2つとりました。ただ開いたら肺のなかいっぱいで、あと閉じちゃったって。それもあとになって聞かされたので、私は取れたものだとばかり思っていました。そのとき抗がん剤治療も何クールかやって、でも体がもたなくて、途中でやめてしまって、あとはリハビリをしていました。「好きにさせてください」って言って、やっていたら、知らないうちに肺にあった癌がなくなっちゃって、それものちのち聞かされました。だから、「いつ何があるか分からない」っていう考え方にそこでなりましたね。

 

伊藤 それが20代のときですよね?もうその後の人生のほうが長いということですか?

 

みい そうです。

 

伊藤 本当の病状をまわりの人から言われてなかったことは、振り返って考えると良かったですか?

 

みい どうなんですかね…。知っていたかったという思いのほうが強いですかね。もし残りの人生がどれくらいと言われていたんだったら、そのあいだに何をしたいか、今だったら思いますけどね。

 

伊藤 神経を1本切らなければならなくなって、それで足の感覚がなくなった、ということですよね。それ以来は状態は変わっていないですか?

 

みい 最初の手術では、腰の骨に移植するために左の骨盤を切り取って、お腹から入れて、後ろから金具で止めたんです。だけどそれもリハビリをやっている中で、折れてしまって。再発したときにそこから炎症が起こっちゃうということで、結局その金具を抜いたんです。だから骨がぐらぐらの状態で、寝たきりが長かったので、筋力がかなり落ちてしまって、最初は車椅子で、そこから歩行器になり、リハビリでなんとか片杖まで持っていきました。そこからはどんどん活発に動くようになって、筋力がついてきました。でも年とともに衰えを感じます。腰に負担がすごくかかるので、金具を抜いてしまったことで、移植した骨がつぶれてしまったんです。だから私は腰椎の4番目の骨がなくて、3番と5番がぶつかってちょっと捻れた形で、45度曲がってる。それを起こしている状態なので、腰痛があったり、しびれがあったり、最初のころは電気が走るような痛みがありました。年月とともに痛みが減っていって、今はたまにはありますけど、やり過ごして、なるべく薬を使わないようにしています。年に1度、1月に検診に行くんですけど、痛み止めをもらって、それで1年分と思って、お守りのように持っていて、ここぞというときは痛み止めを使って動いています。でもある程度はストレッチとかマッサージとか、自分で心得ているので、それで日常をすごしています。

 

伊藤 ご自身の体をどうするとうまく調子のいい状態に持っていけるのかという研究みたいな感じですよね。こうするとこうなる、これをするといい、みたいな。

 

みい はい。まず、ストレッチは痛みを軽減します。やっぱり凝ってると、筋肉が収縮しているので、それをほぐすと、血液の流れがよくなります。リンパ浮腫もあるので、マッサージが必要です。そのふたつかな。あとは疲れが出やすいです。今日早い時間を希望したのも、夕方になるとだんだん疲れが出てくるんです。夕飯を6時半にすませると、「今日はもう98%だからあと2%しか動けない」とか言いながらやっていて、7時には厚みのある無圧のマットレスの上でごろごろマッサージとストレッチをしながらテレビを見て、2時間くらいほぐして9時には寝ちゃいます。

 

伊藤 自分のエネルギーの残りの量を常に意識しながらうまく計画を立てたりしているんですかね。

 

みい そうですね…でも1日は目一杯使ってもいいと思っています。たとえば今日ここでお会いするとなったら、いい状態に持っていくために数日は外出しません。1日出ると、痛みやむくみもでるので、その後2日は休みたい。元気になってくると、動きたい気持ちになるので、そういう感じで、母と週に1回は会うんです。先月辞めちゃったんですけど、今までは声楽をやっていました。

 

伊藤 声楽?

 

みい 50代になったときに何かやろうと思って、始めました。その前はオカリナをずっとやってきたんです。オカリナをやって元気になりました。今日はオカリナを持ってきました。

 

伊藤 かわいい!綺麗ですね。

 

みい これは知り合いのオカリナ製作者から購入した手作りのオカリナです。

 

伊藤 座ったまま声を出したり息を出したりは難しくないですか?

 

みい 難しくはないです。リコーダーがふければ大丈夫です。ただ息の量で音が上がったり下がったりするので、調節が必要です。これをやってすごく元気になりました。このあいだバンドでこれを吹きました。もうひとりオカリナのおじさんとギターとキーボードとボーカルとベースがいて。そのおじさんが終活で田舎に帰るというので、最後に25周年コンサートをやったんですけど、私は5年ぶりに復帰しました。体力のことがあって離れていたんですけど、離れているあいだに声楽をやっていました。でも声楽は通うのが大変になってきて、先月やめました。今年はまた新しいことをやりたいなと思っていた時期に、伊藤さんの本と出会ったんです。なんかもう、わくわくする方向に動こうと思っています。

 

伊藤 ありがとうございます。前向きに進むのが難しい時期と、進める時期と、波があったりしませんか?

 

みい 私の場合は、オカリナを始めてからずっと前向きですね。仲間にも出会って、楽しく受け入れてもらって、あちこち演奏をしたり、お祭りで吹いたり、楽しくてしょうがなかったです。だけど、さっきお話した結婚相手とは離婚したんです。今の夫とは再婚なんです。病気をする前の元気のときの私と、不自由になってからの私と、たぶん人が変わったと思います。

 

伊藤 それはご自身でもそう思いますか?

 

みい 思います。今はすごい前向きです。言いたいことを言うし。

 

伊藤 前はちょっと違うタイプだった?

 

みい 前は「何考えているの?」って言われるような感じでした。自分からはあまりしゃべらなかったかもしれないですね。人に合わせる感じだったのかな。でもオカリナを始めて、好きなことができたことで、楽しくて、そのためには体力もなくちゃいけないし、動いていますけどね。

 

伊藤 やっぱり「いつどうなってもおかしくない」と思う経験をされたことは大きいですか?

 

みい 大きいですね。いつもそう思っています。くいのないようにしたい。だから何年も先のことは考えていなくて、自分がいま幸せに、という視点でいろいろ考えています。やりたいと思ってやれないことは諦めるけど、やれることはやっていこうという感じです。どうしても体力的なことが私はネックになるので、どっちをとるかというときに、こっちをとるかあっちをとるかという感じですね。

 

伊藤 年齢による変化を感じるというのも、使える体力の量が減ってきたというところが大きいですか?

 

みい 回復に時間がかかることと、筋力が落ちてきたことですね。ただ、声楽をやったことで体幹は鍛えられました。腰痛が楽になりましたね。腹筋の練習ですね。ただ声楽って座って歌うということがネックなんだな、というのを感じてきていて、このまま続けてもいいけど、切り替えてもいいかなと悩んでいるときに、伊藤さんと会うことになりました。ここに出るには2日前の声楽を休まなくちゃいけないから、どっちとるかみたいな感じなんです。そういうことがいくつか重なって、「ああ、もういいや」となりました。家では歌っているんですけどね。何か楽しいことないかな、という感じです。動けるうちは楽しまないと損、と思っています。

 ただ車椅子になったらもっと動けるんじゃないかなとも思っています。自宅から買い物に行くとき、今はセニアカーっていうちょっとバイクみたいな四輪に乗っているんです。あれに杖を差してヨーカドーに行くんですけど、ヨーカードのカートに杖を差して買い物をして、荷物は乗せて帰るというふうにしています。

 

◎    足の代わり

伊藤 もう少し体のことも伺ってみたいんですけど、今は下半身は暑さ寒さも感じないということですか?

 

みい 部分的に感じるところはあります。常に左があったかいんですけど、右足は冷たくなっちゃいます。

 

伊藤 血流の問題ですかね?

 

みい それもあるけれど、麻痺が関係しているのかなと思います。

 

伊藤 それは気をつけていないとやけどしちゃったりしませんか?

 

みい そうですね。ありますね。入院しているときにポットのお湯が垂れていても分からなくて、水膨れを作っちゃいましたね。そのときは白血球の値が下がっちゃっていて、隔離されるような状況でそんなものを作っちゃったので、大変でしたね。感覚がないというのは怖いですね。足がどっちに向いているかを分からずに立ちあがろうとして足をひねる、ということが前はよくありました。今はだいたい動きで足がどっちを向いているか、振ればこういうふうに動くというのが分かっているから推測したり、あとはもう目視するしかないです。

 

伊藤 ときどき足を見て確認する癖があるということですか?

 

みい 家ではだいたい確認しなくても大丈夫ですね。家の中で動いているのと外で動いているのとはでは感覚的に違っていて、家の中では自由です。自分の体が大きくなったような気がします。どこでもあまり意識しなくても、何がどこにあるか、体が分かっていて、動くときに勝手に手がポンポンと何かを触っています。何かに触っていればころばないので。ただ外に出て、初めての場所や、段差やちょっとした転ぶものがあるところに行くと、ものすごく神経を使います。下を見ながら歩きます。

 

伊藤 住んでいらっしゃるお家はもう長いんですか?

 

みい 20年になります。

 

伊藤 それは知り尽くしていますね。

 

みい そうですね。ただ段差はあるので、お風呂に入るときなどは「よいしょ」って足を持ち上げたりします。そういうときに初めて「重たいな」と思います。手術して寝たきりのときに、一番感じたのは「足が重い」ということなんです。なんか、タプタプのものがどんとある感じでした。

 

伊藤 タプタプなんですね。

 

みい タプタプですね、力が入らないから。厚めのゴムに水を入れているような感じですかね。重たーい感じです。

 

伊藤 ずっしり重いのかと思っていたので、意外でした。

 

みい ずっしりを感じるのはもちあげるときですね。私のイメージですが(笑)

 

伊藤 足の左右差はどうですか?

 

みい 動かないほうが重たい感じがしますね。右は動くのでそういう感じはないですね。だけど足の先の指のほうはぐっと力が入らないので、ドラえもんの手のようなイメージですかね、感覚としては。

 

伊藤 幻肢痛や幻肢の感覚はないですか?

 

みい それはないです。ただ、お尻のほうから痛みが走ったり、常に痺れがあったりするんですけど、もう、慣れですかね。痺れって痛み止めでも効かないので、意識しないようになっているのかなと思いますけど、ただ疲れたりして意識すると、「今日は痺れ強いな」とか、寝ていてもピリッと痛みが走ったりするときはあります。でも何が原因でそれになるかは分からない。急に来ます。1回なると、続けて何回も起こります。何かが当たっているとなることもあって、そういうときはずらしたりします。3番と5番の腰椎のところが触ると固いんですけど、高さも左右で違うので、クッションで工夫しながらすごしています。この椅子はいいんですけど、沈み込むような椅子はだめですね。

 

伊藤 元気だったときの体の記憶は今はあるんですか?

 

みい あります。今もときどきあるんですけど、最初のころはバスケットをやっている夢を見ました。だけど、スピードだして走れないんです。やっぱり不自由な体の私の夢なんです。でも、もし足が動いたとしたら、動きはできると思います。バスケットをやっていたという感覚があって、感覚的に動けそうな気がします。上半身は使えるので、シュートしたりする感覚は残っています。

 

伊藤 とっさに手が出る、足が出る、みたいな感覚が残ってるということですか?

 

みい 残ってますね。足も動こうとしますもんね。たぶん転ぶときはそういうふうに動いていると思います。でもそれで怪我するんですよね。転ぶときはスローモーションのように感じます。「あ、転ぶな」と思って、体が頭を守ろうとしているのが分かります。

 

伊藤 そのときとっさにいろんなことを考えているということですよね。

 

みい 「あ、転ぶ!」って思って、何かを持っていたら、どうやって転ぶかみたいなことをちょっとの間に判断していると思います。

 

伊藤 面白いですね。ご自宅であちこちにつかまりながら移動するのって、ロッククライミングやボルダリングみたいな感じなのかなと思ったのですが…

 

みい そうですね。たぶんそういう感じで動いていますね。速いですよ、チョン、チョン、チョン、って感じ(笑)

 

伊藤 そのために家具を配置しているわけではないんですよね。

 

みい そうですね、自然とです。そのときは何も考えていなくて、あとから「あ、ここ触ってたんだ」って思います。たとえばトイレを出た後に夫の椅子があるんですけど、夫が座っているとちょっと触りにくいという感じがあって、それで「ああ、ここ触ってたんだ」って意識する。

 

伊藤 それって手が足の役割もしているということですかね?

 

みい あ、もうそう思っています。外出るときは足の役割ですね。

 

伊藤 手が足になることによって椅子も壁も地面になる感じが面白いですね。

 

みい あと、消毒をするときなどは、手を離さなくちゃいけなくなりますよね。そうするとバランスが保てないので、お腹をどこかにつけたりしています。背中でもいいんです。ちょっとでも寄りかかるところ、一部でも触れているところがあれば安心なんです。洗濯物を干す時も、後ろにちょっとでも当たっていたら手をあげて干すことができます。

 

伊藤 両足で地面につく代わりに、手やお腹や背中でどこかについているということですね。

 

みい そうですね。足の代わりをいろんなところがしています。頭でもいいです。触っていれば。

 

伊藤 そのつど「立ち方」が変わるんですね。

 

みい そうです。場所によって、たとえば台所で洗い物をするときは前をついて、ガス台のほうに行くと手をついて、うしろに椅子があればそれでいいし。とにかく家の中は杖はいらないですね。玄関では置いたままです。外に出ると杖が必要です。杖が足ですね。

 前に夫とつきあっていたころにお食事に行ったんです。狭いところで杖をかけるところがなくて、床に置いたんです。それを夫が足でよけたことがあって、なんかムカっときたんです(笑)。「ちょっとそれは違うんじゃないか」って。自分の体が蹴られているっていうことだったんじゃないかなと思います。

 

伊藤 面白いですね。蹴られて初めて自覚したんですね。

 

みい 夫もびっくりしてたけど、ああごめんごめんって。ああ、私そういうふうに思ってるんだって意識しました。だから、髪の毛切るときに杖を預けたりすると、なんとなく心細い感じになる。そばに置いておきたい。家では平気なんですけどね。

 

伊藤 杖の寿命はどのくらいなんですか?

 

みい 使おうと思えばかなり使えると思います。前は10年くらい使ってました。これは5年くらい経っています。摩耗するのでゴムだけ交換していますが。たいていこういうのは最初に使ったものに慣れるので、また同じようなものを使うと思います。

 

◎観察するけど法則化しない

伊藤 病気はいまは落ち着いているんですか。

 

みい 病院には年に一度行きます。病気は落ち着いています。神経の関係でおしっこが出にくくなるということがあって、そこに関しては懸念していますが。それ以外は、腰のレントゲンをとって、痛み止めをもらって帰ってくるという感じですね。これから歳をとって変化していくとどうなるのか…対処していくしかないので、車椅子になったらなったでもっと動けるようになるかなと思っています。

 

伊藤 何だかとてつもなくつきぬけてらっしゃるような感じがします。どうなるかわからない、ということを経験されたからこそのパワーなのかなと思うのですが…。

 

みい 自分が病気になったときに絶対先に死ぬと思っていたんですけど、家族や職場の同僚が私より先に亡くなって、「あ、死ぬんだ」と思ったんですよね。人生分からないなと思いましたね。常にそれは思っています。意識しているわけではないけれど、いつか死ぬんだから、やりたいことはやろうと思います。そのためには楽しみがないと、張り合いがないです。今日お会いして、何かステップアップできたらいいなと思っています。

 

伊藤 何ですかね、次のステップは。

 

みい まだ分からないです。ただ母が高齢なのでそのことはいつも意識しています。

 

伊藤 講演会とか、人の前で話すことは関心がありますか?

 

みい 楽しいかもしれないですね。

 

伊藤 自分の体には先生がいないですからね。自分で見つけなくちゃいけない大変さと面白さがありますね。

 

みい はい、自分の体は自分で責任をとらなくちゃいけないです。だからちょっとした「何か変」ということには気を遣うようにしています。変だと思ったことはのちのちやっぱり変だったということになるので。去年3回痛みでダウンしたんですけど、何が原因だったか分からないので、どういうタイミングで痛み止めを使うといいいとか、経験として積み上げていきたいと思います。

 

伊藤 そういうのは日記とかに書いていらっしゃるんですか?

 

みい 書いてないです。「これがいい」と思ったことが「いつもいい」わけじゃないと思ってるんですね。変わっていくので。それは気をつけなきゃいけないなと。これがいいと思って、次もいいかといったらそうじゃない。そのときどきで、私の場合の問題は痛みですけど、この痛みが楽になる方法をさぐっていくんです。動きすぎた場合は疲れを取る、動きすぎた場合にはお風呂に入って血行をよくするとかあるんですけど、そうじゃない痛み、神経からくる痛みになってくると、判断するのが難しいんですよね。ビリビリっとくる痛みは原因が分からない。私は我慢強くて我慢しちゃうんですけど、病院に行ったほうがいい場合もあって、ひどくしちゃうということも経験したので。だから、決めつけていないですね。

 

伊藤 面白いですね。体とつきあうということは法則を探すということなのかと思ったらそうじゃないんですね。

 

みい そうですね。体は変わっていくものだから、自分が良かったから人にとってもいいというわけではないし、それぞれのやり方を自分で見つけていくということなのかなと思います。

 

伊藤 それってよく観察する、ということに尽きるんですか?

 

みい そうです。朝起きたときに、今日はどんなだろう、という感じは大事です。たいてい痛みが出るのは、朝ごはんを食べるくらいのときになので、気をつけています。あまり痛みがひどいと、外出の予定があってもやめなくちゃいけない。葛藤することがあります。だからあまり先の予定はストレスになります。

 

伊藤 自分で自分を診断するような感じですか?

 

みい だいたい自分と体を別物みたいな感じで見てますね。「私の体」っていうんじゃもうないかもしれない。「今日の体どんな感じ?」って聞いてますね。自分が動きたいから動けるというわけでもないし。だいたいは分かりますよ。でも突然痛みが来たりするんで、三日前にこれをやったからかな、と原因をさぐります。体はつねにともにいるけど、言うこと聞いてくれることもあれば、聞いてくれないこともある。私が行きたいときに、体が重くて「やだな」と思うときもある。わくわくしたときですよね、GOがでるのは。ちょっと大変でも、「よしっ」となって、そのときは手をつなぐ(笑)。だからわくわくすることはすごくいいと思います。そのときは、リバウンドがあっても、許せる。まあいいじゃん、あれだけ動いたし、楽しかったんだからって。

 

伊藤 なるほど!わくわくするって、あとで大変になるかもしれないリスクを差し置いて、体と手をつなぐことなんですね。

 

みい 夫にはやりすぎだよって言われますけどね(笑)。わかっててやっちゃうということが前はよくありました。疲れると痛みや耳鳴りが強くなるんですけど、オカリナ吹いていたり、歌を歌っていたり、楽しいことがあると意識が離れるんですよね。

 

@2023/3/16川崎駅近くの喫茶店にて