昼間はかっこよく仕事をして、帰りの車のなかからぶわーっと食べる。かつては過食嘔吐の症状がなければ立っていられなかった、というヨウさん。食べて出すという管の問題を、「一方通行の道なのに海ほたるみたいにUターンできちゃった」と表現します。その症状を手放すまでのプロセスは偶然に満ちていて、回復の道筋は本当にオンリーワンの物語なのだと実感しました。それが本当に面白くて尊い。一緒に自助グループの活動を行っている、ミコさんにも同席いただきました。
ヨウさんプロフィール
神奈川県在住。大学生時代に過食嘔吐が始まり、四半世紀近く症状の波に揺られ続けた。症状を手放す過程で参加した摂食障害の自助グループの活動に関わっている。美術館や博物館が好きで、ずっとその環境で働いている。
ミコさんプロフィール
神奈川県在住。娘2人が思春期に摂食障害を発症、長期にわたる不登校も経験。母親として日々悩みつつ回復に伴走。娘たちはいつの間にか症状を手放していた。その途上で自助グループを立ち上げ、毎月家族会、本人会に参加し、今に至る。
◎海ほたるみたいに帰ってこれちゃう
伊藤 《ひだまりカフェ》はいつもここ(アートフォーラムあざみ野)で活動されているんですか?
ヨウ ここの施設に10人くらい入れるこじんまりしたスペースがあって、そこで活動しています。
伊藤 もう活動としては長いんですか?
ヨウ 2005年からですかね。履歴書がわりに年表をまとめてきたんですが…細かくて見えないですね(笑)
伊藤 もともと静岡にいらしたんですね。
ヨウ そうですね。《ひだまりカフェ》は2005年にミコさんが別の場所で始められて、2006年(本人会は翌2007年)からこちらに入れていただきました。
伊藤 「ここに入る」っていうのはどういうことですか?場所をただ借りているのとは違って、組織としてやっていらっしゃるんですか?
ヨウ 毎年応募して選考を受けるんですけど、市内の男女共同参画センターを運営する協会が自助グループ支援ということで募集をかけてまして、それに応募するんです。わたくしどもの場合は毎年それを繰り返し選考に通っていまに至るという感じです。書面を取り交わしています。なので、場所代はなくて、チラシやホームページでの広報もしていただいています。
伊藤 摂食障害だとNABAという自助グループがありますね。
ヨウ NABAは大きいですね。たまたまこの館ができる半年前に《ひだまりカフェ》は活動し始めましたので、タイムリーにここに入れてラッキーでした。
伊藤 お二人は少しお立場が違うと思いますが、ヨウさんが摂食障害を当事者として経験されていて、ミコさんが当事者のご家族ということであってますか?
ヨウ はい、そうです。《ひだまりカフェ》には家族会と本人会があって、それぞれ月に1回ずつ開催しています。ここのきまりとして、自助グループに専門家が入ってはいけないんです。コロナ前は自主企画として本人会と家族会の合同会もほそぼそやっていました。
伊藤 ここで実施するにあたってルールがあるんですね。
ヨウ そうですね。選考基準もありますし。始めた当初はあまり自助グループ自体が広く知られていなかったこともあってか、私たちもずいぶん手さぐりな感じがあったんですけど、活動しているあいだに時代も変わって、いまは自助グループの種類もすごく増えたようです。
伊藤 実際にやっていらして、専門家がいなくてよかったな、と思うことはありますか。
ヨウ 摂食障害になっていると、とかくお医者さんの前では「いい子」しちゃうんですよ。「そうです、はいはい」ってなっちゃう。でも本人どうしならばぶっちゃけられます。よく聞くのは、精神科のお医者さんはいつも患者さんが大行列していて忙しいので、申し訳なくなっちゃう、という話です。「大丈夫です、変わりありません」と言って帰ってきちゃう。入院しても、とりあえず体重を増やして、帰ってきたらまた食べられなくなったり。
伊藤 ヨウさんもそういう感じだったんですか?
ヨウ 私自身は入院の経験はないです。大学が関西だったんですけど、一人暮らししているときに摂食障害が始まって。私は過食嘔吐でした。嘔吐が、やったらできちゃったんです。ずっとその症状を持っていたんですけれども、大学を卒業してすぐ美術館につとめることができてしまいました。外には隠せるんですよね。過食嘔吐でもそれほどガリガリにはならなかったので、自分のなかで決まりを作ってやっていれば、外にはバレないんです。だからこじらせてしまった感じです(笑)。四半世紀以上振り回されていて、昼間はきれいな仕事をカッコよくするんですけど、帰りの車のなかからぶわーっと食べるんですね。
伊藤 車を運転しながら?
ヨウ そうです。パンとかイカリングとか(笑)べとべとするんですけど、運転しながら食べます。「あ〜あ、昼間はかっこいい顔しているのに、本当はだめなんだよなあ、なんてダメなんだ」っていう気分でした。
伊藤 車じゃないところでも過食はあったんですか?
ヨウ そうですね。私の場合は昼間のあいだはふつうに食べるふりをして、お弁当も小さく、決まったものしか食べないんですけど、夜はバーっと食べます。自分で食べちゃだめと決まっているものをちょっとでも食べちゃったら、早く排出しなきゃって思っちゃうんです。そういう排出できる環境じゃないと、いっぱい食べないですね。例えばみんなとスキーに泊まりで行って、夜みんなでワイワイ飲むじゃないですか。そういうときは、「あのトイレなら人もいないし吐けるな」と思うと、みんなといっしょにワーっとたべて、出しちゃったりとかしました。
そのやり方は人それぞれですよね。そもそも摂食障害って拒食の方と、チューイングの方と、私みたいな過食嘔吐の人と、いっぱい食べてしまう方と、みなさんそれぞれ個性的です。自分をどれだけ許せないかの度合いによって、どこまで外のものを入れられるのかがあるのかな、と思ったりします。かたくなさ、と言うか…。拒食の方とか絶対に召し上がらないので、私なんか「すごいなあ」と思っちゃうんですけど。過食嘔吐だと胃までは入れられるので、「みんな、食べられていいなあ」と思ったら、隠れてそれを食べて出しちゃえばいいという感じなんですよね。でも絶対に入れない拒食の方は、すごいなと思いますね。
さいきん思ったんですけど、高速道路みたいな引き返せない一方通行の道ってあるじゃないですか。その入り口で車を通さない方が拒食で、途中まで行けるんだけど無理矢理逆走しようとして、私みたいに逆走がうまくいっちゃうと、アクアラインの海ほたるみたいにUターンして帰ってこれちゃう(笑)。過食の方は、逆走はきらいだったりにがてだったり、どんどん食べられて、向こうまでいけちゃう。でもあるとき、通しすぎちゃった車をいったん止める必要にせまられて、過食と拒食を繰り返したりするのかなって。私はたまたま夫が潰瘍性大腸炎で、そうすると車は通すんだけど途中で橋が落ちてたりとか、燃えてたりとかする(笑)。それは気の毒だなあって思います。同じ「管」の話でも、どこまで許すかが違うんですよね。
伊藤 (笑)車はどこからくるんですかね?車は「来ちゃう」っていう感じなんですかね。
ヨウ ふつうに流れてればいいんですけど、なんで止めちゃったり、そこで引き返せってなっちゃうんですかね。私は今は症状も手放しちゃったんですが、前は一日に3回とか症状があって、症状がなければ立っていられないような感じだったんです。外に対して、いい格好していられなかった。だけど、そもそも過食嘔吐なので、食べ物を買ってくるところから始めなくちゃいけなくて、それが面倒臭くなったんですね(笑)。「あ〜、今日はもう面倒くさいな、もういいかな〜」って。あとはすごく仲のいいお友達とランチに、もちろん私が食べられるランチなのであんまり脂っこくないものなんですけど、一緒に行ったんです。通常なら家に帰って速攻出しちゃうんですけど、すごく楽しかったので、それを出して嘔吐で終わらせたくないという気持ちが出て、「ああ、別に吐かなくても済んだな」って。そんなことが重なって、だんだんその感覚が離れていって、「まいっかな、まいいや」みたいな感じになっていきました。
象徴的だったのは、10代から30代の症状がひどいときに、デニムとかを履くと太いベルトをしないと気が済まなかったんです。茶色いのと黒いのを持っていて、一年中それをしていたんですけど、あるとき症状とともに、「なくてもいいや」ってなったんです。今、はずれるといいなと思っているのは、お腹から腿まであるガードルをいまだに履き続けていて(笑)、それがやめられたら本当に自由になるのになあ、と思っています。
伊藤 しめつけたいっていうことですか?
ヨウ そういう自分のきまりにしちゃっているんですよね。すごくきまりが多い、ルーティンが多い。20代、30代のころは毎日朝と夜に掃除機かけてダスキンで全部ホコリをはらわないといけなかったですし、何かしら自分で自分に対するきまりがある。相手に対してはそれほどでもないとは思うんですけどね。しなくてもいいや、ってだらだらする感じになってきて、症状も消えてきたかな、という感じです。症状を何とかしなきゃいけないってじたばたしているときはまだ回復のほんの入口で、忘れちゃったころに、気がつくとなくなってる。じたばたするのは、傷に塩をするような感じで。エクセルに毎日毎日体重を記録してグラフを作ったりしていたんですが、子供を二回産んでるので、グラフが大きく揺れてどきどきしていました。他の《ひだまり》にくるみなさんと同じように、100グラムに一喜一憂していました。あとは過食嘔吐なのでお金をトイレに流しちゃってる感じなんですよね。だから買った金額をまたエクセルにつけて嘆いたり(笑)。自分で何とかならないかと思ってやってるんですけど、「あーあ、やっぱり自分はだめだなあ」ってため息が出るような感じでしたね。
◎脂は敵だから好き
伊藤 毎日家を2回掃除しなくちゃいけないというルールと、食べ吐きのルールって同じ種類ルールなんでしょうか。たとえば「きれいにしたい」という意味では両方とも似ている気がするけれど、掃除のルールは比較的合理的で、こっちだけを持っている人というのもいると思います。食に関してのルールはどういう基準で増えていくんでしょうかね。
ヨウ 何でですかね…
伊藤 さっき、「うまく吐くことができちゃった」っておっしゃっていましたよね。「できちゃう」っていうのが先なんですかね。
ヨウ 「しめた!」って感じですね。いっぱい食べても大丈夫。
ミコ 娘が過食だったんですけど、過食がひどかった時期には「家中きれいにしなきゃ」というこだわりもすごく強くて…。私がいくら見てもわからないようなものにも、「ほら、ここに汚いものがついてる!」って言われて。ヨウさんの極端バージョンになっていた時期があったかなと思います。本人じゃないから内側の気持ちは分からないですけどね。
ヨウ 合理的ではないですね。家の財布と過食用の財布を分けたりとか、めんどうくさいですしね。スーパーに入っても、消化するものと消化しないものというふうにしか目に映らない。「これは過食のもの」「これは消化してもいいかな」っていうふうにしか見えないんですよね。
伊藤 それは食品の種類によって、ということですか?栄養成分的にということではなくて。
ヨウ 自分で思い込んでいるところがありますね。とりあえずカロリーを見ます。脂は敵ですよね。脂は敵だから逆に好きなんですよね。過食の材料にはなるんです。
伊藤 なるほど…おもしろいですね。でも毎日そうやって考えていたら頭使いますよね(笑)。
ヨウ それがすごい嫌なんですよね。泣きながらやってる時期もあるんですけど、回復を重ねていくとき、その入り口のときには、楽しめるようになるんです。そういう人多い気がします。
伊藤 楽しめる?
ヨウ 「今日は家に誰もいないから、過食嘔吐し放題だ!」みたいな感じです(笑)。ニコニコして「今日はやるぞ!」って。
伊藤 (笑)
ヨウ 回復期の最初の頃だと思うんですね、「ああ楽しかった」という感じ。それまでは「自分はこんなことしてだめだ」という感じばかりなんですけどね。
伊藤 同じことをしていても、それに対する評価みたいなものが変わるんですね。
ヨウ そうですね。そうでした。
伊藤 楽しいと思えるようになってくると、距離がとれてくるんですかね。
ヨウ そうかもしれないですね。そうすると過食じゃなくても面白いことがほかにでてきたりするんですかね。
伊藤 一回離れたら、また症状が出てくるということはないんですか?
ヨウ 症状が出てきても、私の場合は、年に1回か2回ですね。お酒を飲み過ぎて気持ち悪いくなったときとか便利にできちゃう、とか。その程度ですね。買い込んできて吐く、ということはもうないです。でも食べ方に変な癖はもちろん残っていて、敵とみなす食べ物はまだあります。お料理を作っていても、たとえば焼きそばを作っていたりするときに、肉と野菜をフライパンの別のところで炒めて、絶対に混ぜないんですよ(笑)。それで、自分の分は、肉に触れていないほうをとります。煮物でもそうですね。豚汁を作っても、先に野菜を煮て、それで自分の分をとって、そのあと家族の分の肉を投入してさらに煮込む、というような面倒臭いところは残っています。でも、自分でするときはそうでも、主人が作ってくれたりしたときには、食べられるんです。見てなければいいんです(笑)。
伊藤 お肉も食べられるっていうことですか?
ヨウ 食べられますね。もちろん少なめですけど、そこにちょっと脂が浮いていようが、作っていただいたものは食べます。でも自分で作るとなるとできるだけ避ける、というようなところはまだ残っていますね。
伊藤 おもしろいですね。何ゆえの敵なんですかね。
ヨウ 何でしょうね。そもそも摂食障害の方はダイエットがきっかけの方が多い気がします。自分もそうでした。大学時代に、鈴木その子さんが流行っていて、「やせたい人は食べなさい」と言っていました。炭水化物を食べて脂を抜く、その刷り込みはけっこう大きかったと思います。もちろんこんなふうにこじらせちゃったのは私だけかもしれなくて、一緒にダイエットしていた友達はさっさと抜けちゃいましたし。
伊藤 メールをいただいたときに、私が以前インタビューさせていただいたnaoさんが「体は他者だ」とおっしゃっていることに対して、「そういう見方はあまり聴いたことがなかった」と書かれていました。ヨウさんの場合には、ご自身の体は他人ではないですよね。
ヨウ そうですね。気持ちと頭とくっついている感じですよね。気持ちが「まあいっか」「面倒くさいや」と思い始めたら、体も楽になってくる。海ほたるまでじゃなくてもっと先まで行ってもいいかなって(笑)。naoさんの見方はあまり聞いたことのないお話で新鮮でした。
伊藤 naoさんは自分の心がDV夫で、妻である体をずっとコントロールしようとしていて、でもそれがうまくいかなくなって体が言うことを聞かなくなったから「他者」という言葉ができたのかな、と思います。ヨウさんの場合は、「体をコントロールしている」というのとは少し違うんですかね。
ヨウ そうですね。体のほうが止まらなくなってた感じですもんね。頭はやめたいんだけど、体は買い出しに行っちゃう。天気予報を見て明日は雨だとわかると、その次の日の分まで全部買いだしに行ったりとかもしていました。
伊藤 気づいたら行ってた、くらいの感じなんですね。
ヨウ もう行かなきゃいられないような感じです。だからよく依存症に近い部類に入れられることもあると思うんですけど、さっきミコさんとも話していたんですが、依存症とも障害ともちょっと違うような気もするんですよね。
ミコ なんかちょっと違う感じカテゴリーかなと思います。
ヨウ 依存症とは回復過程がかなり違う気がします。食べることをやめることはできないですし。
ミコ 障害という言葉も引っかかって…。以前プリントか何かを作っていて、摂食障害者と書くとなんか違うかなという感じがしました。
ヨウ 何の病気でも障害でも、とりあえず自分が困っていなければ病気でも障害でもない気がするんですけど。
ミコ 最初の段階ではみなさん治りたくなかったり、認めたくなかったり。本人は困ってなくても家族は心配していたり…。周りからは「これ、食べ方変だよね」という感じでも、本人は「大丈夫よ」という段階がけっこうありますよね。
伊藤 さっきスーパーの買い出しのときに過食用の食料と消化する食料を分けていたり、フライパンの上で敵陣地と味方陣地を分ける、というお話がありましたが、二つに分けたうちにひとつを止めた、という感じではないんですね。
ヨウ ではないですね。そっちもちょっと許してあげる、という感じですね。私の場合は、前はちょっとでも吸収してはいけないものを体内に入れたら、それがトリガーになって、とにかく出さなくてはいけない、というふうになっていたんですけど、それが許せるようになるんですよね。
ミコ スイッチが入るんですよね。どこかから先は自分のコントロール外ですね。
ヨウ そうですね。体もコントロール外っていうか。それをしている間は、それで困っていることすら忘れられるので、そこは少し依存症っぽいですね。
◎家族との関係
伊藤 お仕事で美術館系のことをなさっていたとうかがいましたが、どんな美術がお好きだったんですか?
ヨウ もともとは古美術系が好きで、最初の美術館もそうでした。でも家の事情や鬱になってしまったこともあり、正社員ではいられなくなって、より家に近い地元の博物館で10年くらいアルバイトをしていました。結婚して子供を産んで離婚して、結婚して子供を産んで今に至るんですけれど、そのあいだにたまたまこちらに引っ越してきて、こちらのギャラリーでアルバイトしています。それまでは古美術、古いものだったのに、こちらはコンテンポラリーアートで新しいものだったので、すごく新鮮なギャップがあったんです。でも、それももしかしたら「え、これでもいいのか」とか「こんなことするの⁈」みたいな考え方を体感として知ったことで、「ま、いいか」という視野が広がったというのはあるかもしれない。
それともうひとつ、自分の症状が変わったきっかけには、娘がメビウス症候群という日本に千人くらいの病気だったこともある気がします。赤ちゃんのときに亡くなってしまう方もいらっしゃるそうですが、基本は顔面神経麻痺と外転神経麻痺で、無表情で寄り目です。プラス、四肢形成不全とかがあって、彼女は右足がない、というかあるんですけど礼文島みたいな形をしていて、家族で礼文島に行ったりとかしました(笑)
伊藤 アプローチがおもしろいですね(笑)
ヨウ 彼女を産み育てているあいだに、やっぱり「これじゃまずい」と思ったのは、自分の体重が減りすぎていて、彼女をお風呂に入れるときにふらっとして、これじゃ二人とも死んでしまうと思ったんです。それで何とかせねばと自分から思って、たまたまこの自助グループにたどり着いたんです。この子と一緒にいることで、今まで木を見て森を見ず的な感じだったんですけど「ああ、いいじゃん、この子自分で飲み食いできるし、足はないけど歩けるし、すごいじゃん」みたいに思うようになったことも大きかったかもしれないですね。それで、いい加減止めておこうかなというのが深層心理であった、というのは確かだと思います。
伊藤 見ている世界の幅が広がって、「こんなのもあっていい」と思えるようになったんですかね。それが偶然やってくるというのが面白いですね。
ヨウ そうなんです。前も東大の山田理絵さんのインタビューのときに、摂食障害の回復の方法で偶然性によるところが多いですねという話をして。
ミコ 千差万別よね。こうしたらこうなる、ああしたら治るとかっていう筋道はあんまりはっきりしないわよね…。
ヨウ 治るっていうか、まあね。いろんな食べ方を知らなかったころに戻るわけじゃないんですけど、そのへんがちょっと難儀なところかなと思っています。
伊藤 でも偶然やってきてもキャッチできる人とできない人がいるでしょうし、できる人の中でもできるタイミングとできないタイミングがありそうですよね。
ヨウ 確かに。確かにいくらでも落ち込もうと思えば落ち込めましたね(笑)
伊藤 娘さんの話は苦労が増えた話としても聞ける話だと思うんですけど、そうならなかったのが面白いなと思います。
さっき大学生でひとりぐらしをなさったときに症状が出たってうかがいましたが、そのときはご家族には話はなさらなかったんですか?
ヨウ しなかったですね。自分でもよくわからなくて、(嘔吐)できちゃって、くせになっちゃって、病院に行ったほうがいいのかなと思って、帰省したときに胃腸科に行ったりしました。でもなんか常に、なんていうのかな…、病気になったりすれば周りから心配してもらえるんじゃないか、こっち向いてもらえるんじゃないかとか、そういうのがあったかもしれないですね。病院の先生に「もうよくなってきたね」と言われるとがっかりしてましたね(笑)。
伊藤 なるほど。
ヨウ だから症状を手放せない、いまはそれがないと立っていられない、という感じでした。
伊藤 症状であり、それ自体がコーピング、生きていくために必要なものだったんですね。
ヨウ ああ、そうですね。
伊藤 《ひだまりカフェ》の中では、ご家族との関係は難しいという方が多いですか?
ヨウ そうですね…。ご家族や環境に因果を感じていたり、あとは家族を困らせちゃいけないと思っていたり、空気を読みすぎるような方が多いかもしれないです。
伊藤 当事者の方と会うと、なんか自分と似たところがあるな、と思うことがありますか?
ヨウ 真面目で、ちゃんとしてて、という感じですかね。でもそう言われると逆に、自分って「そうだったんだ」って思い込んじゃうようなところもあるんじゃないかと思います。本やネットに「そういう子がなりやすい」と書いてあると、逆に自分を固めてしまう。私の場合は鬱になったとき、カウンセリングをたくさん受けて、過去のことをいっぱい思い出しました。そうすると父親の関係がこうで、とかあのときの言葉がこうで、と思い出すたびに固めちゃっていくんですよね。そうすると、摂食障害もそれが原因だったのかと思っている時期が長くなって。でも実は、父が物理的に離れて、亡くなって、自分が家族を変えて、子供を二回産んでも症状は止まらなかったんだから、それだけの理由じゃなかったんですよね。10代まですごした家族だけが原因ではない、というのが、こじらせてみてわかりました。カウンセリングは悪いことはないと思うんですけど、それがすべてではない、という気がします。
伊藤 自分の人生がこうだった、というのが固まっちゃうんですね。
ヨウ 一昔前は母親との関係がよく言われてたんで、お母さんが苦しみますよね(笑)
ミコ 「お母さんとの関係に原因が」って言いさえすれば治るかっていうと、何も変わらなかったりするんですよね(笑)。
伊藤 原因ひとつに決められる話じゃないですよね。
◎「仲間」化しない自助グループ
伊藤 《ひだまりカフェ》は女性が多いですか?
ヨウ 月1でやっていて、男性はまったくいらっしゃらないわけではないんですけど、圧倒的に女性が多いですね。私たちとしては、自助グループに閑古鳥が鳴いて、誰も来ないねっていうのが理想なんですけど(笑)、新しい方がコロナ禍にも次々通り過ぎて行かれて。私は個人的に《ひだまりカフェ》には、一期一会でお互いさまっていうだけのスタンスで参加しているんです。よく「仲間」っていう言葉が使われるんですけど、私はあんまり好きではなくて。仲間って思ってもらうのは構わないんですけど、「来た人は仲間です」という言い方はしていない。自助グループに来て、言いたいことを言って、それっきりでもいいですし、使えるんだったら使うツールみたいな感じですね。お医者さんも薬もカウンセリングも自助グループも、いいところもあればそうでないところもありますよね。自助グループだって聞かなくていいことを聞いちゃうじゃないですか。吐きやすい食べ物とかね(笑)。いい感じで利用してくださればOKですよ、とはずっと言っています。
ミコ そうですね。私もいつもそう言ってます。
伊藤 それは前に仲間っぽくなって失敗したという経験があるんですか?
ヨウ やっぱり近づきすぎるのは危険だと思います。中には個人的にアドレスを交換している方もいますけど例外的です。当事者どうしって限界があるので、あんまり踏み込みすぎるのもよし悪しな気がします。私にしても、ここにいる私と、仕事をしている私と、家にいてだらだらしている私は全然違うし、《ひだまり》は《ひだまり》でちょっとつながるだけで、切れちゃってもいいかなと思います。いろんな自分を使い分けているし、それが当然だと思うので。だから来る方には、うまいこと場と時間を利用してもらっているという感じです。
でも私は《ひだまり》でミコさんに会って、ガリガリのときにベビーカーを持っていただいたりして、私と娘で《ひだまり》の外でもお世話になりました。
ミコ 駅にエレベーターがまだない時代で、赤ちゃんとベビーカーを抱えていて、ほんとうにそこで倒れないで、という感じでした(笑)。切り分けは大事かなと思います。やっぱり人の振り見てそれに合わせちゃう、みたいな方が多いから、あんまりくっつきすぎちゃうと、自分っていう切り分けができなくなっちゃうのかなと思います。変な言い方で申し訳ないけれど、みなさんカメレオンみたいに変色するのが上手なところがあって…。そういう意味でも距離感は大事かなと思います。親との距離感もそうですね。
伊藤 さっきのお仕事が終わって帰りの車の中で過食が始まるというお話は、社会的にはきれいな仕事をしているけれどそうじゃない顔もある、っていう摂食障害によって生まれてしまう二面性のお話だったと思うんです。でも自助グループも含め顔を使い分けるというお話は、むしろ自分で顔をコントロールできている、ということかなと思いました。前者についてはどこか「本当の自分」みたいなものが想定されているように見えます。きれいな仕事をしているのは本当の自分じゃなくて、食べ吐きしているのが本当に自分、でもだからこそこれを分かってほしい、というような。そういう考え方はありませんでしたか?
ヨウ うーん…
伊藤 たとえば吃音の人で、言い換えをして吃音をうまく隠せる人というのがいるんです。それをしていくと社会的にはカッコよく振る舞えるんですけど、つづけていると本当の自分を隠している感じになって、「大事な人の前ではどもりたい」みたいに考える人もいるんですよね。そういうことが摂食障害でも起こったりするのかな、と。
ヨウ あ〜なるほど。リラックスできる相手の前では思い切り食べたい、みたいなことでしょうか。私の場合はそれはあまりないかもしれないな…。とにかく秘密裏ですね。こっそり悪いことをしている自分なんですよね。たとえば親に対して、グレたりとか、暴言を吐いたりしないで、食べることで自分を痛めつけて発散するという感じです。相手に対する不満とか苛立ちを、表面に出せない。逆に、食べたり食べなかったりで、体を痛めつけることで毎日をやりすごす感じです。隠れて、誰もいないところで、知られないで、っていうのが醍醐味だったんですよね(笑)。
伊藤 私そういうことしてるんだ、ということは人に言えても、その行為じたいは見られたくないという感じですかね?
ヨウ そうですね。人がいたらリラックスしてできないですね。
伊藤 リラックスしてるんですね。
ヨウ 自分だけの時間と空間ですね。それが「だめだ、またやっちゃった」と思っちゃう行為であったとしても、(「さあ、今日はやるぞ~」と楽しめちゃう行為であったとしても)、とにかく一人でその時間と空間を処理したいんです。
ミコ うちの娘は、狭いところで仮住まいしているときにも過食が続いていたので、台所を占領して、私と妹の前でやってましたね。何人かはそういうケースもあるみたいです。
伊藤 それを見かけたときに何か言ったりはしましたか?
ミコ そうですね。親としては、生理的につらいところはありましたね。親ってやっぱり子供にものを食べさせて、育てて、っていうのをひとつのタスクにして、子供との関係をずっと作ってきているので、それがある日、作ったものを食べなくなったり、作ったものを食べて吐いちゃったりっていうふうになると、それまでやってきたことを否定されるような感じがどこかにあって。辛くないといったら嘘になる、というかすごく辛いというのはありました。でもやむをえないことなんだとわかってはいたので何も言いませんでしたし嫌な顔もしないようにしていたので、空間的な問題からかうちではいつも大っぴらにやってましたね。
伊藤 たしかに親と子供は「食べる」でつながっている部分がありますから、自分が否定されたような気分になりますね。
ミコ どこかそんな気はしたかもしれないですね。
伊藤 食べるって物理的な摂取だけどいろんな人間関係を含んでいるものだから、それが壊れたときに何が壊れたかというのは複雑ですね。
ヨウ 前の夫は「それ(摂食障害)はいけないことだ」と考えがちな人だったんです。ところが今の夫に、実は自分には食べ吐きがあるっていうことを話したら、そしたらもう本当に忘れられないんですけど「○○ちゃんさあ、牛だったらよかったのにね」って言ったんですよ(笑)。牛って反芻するじゃないですか。半分まじめ、半分冗談でそう言われたときには本当に救われましたね。それが再婚の決め手だったかもしれないです。よくよく考えたら、私は食べるほうでややこしかったけど、相手は出すほうでややこしくて、似たものどうしでしたね。さらに子供はメビウスで。
伊藤 その組み合わせも面白いですね(笑)。
2022/10/11 @アートフォーラムあざみ野にて