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今泉美佳さん

今泉美佳さんは大のミスチルファン。NHKで放送された小林武史さんと伊藤の利他対談を見て、連絡をくださいました。幼い頃から皮膚が腐ったり関節が腫れ変形する難病で、常に痛みとともに生きてきた美佳さん。長く生きることを想像できず、来週の約束をするのも嫌だったと言います。でも最近、人工関節を入れたことで、人生初の痛みのない体を経験。歩くと前にすすむ自分を花のようだと感じたと言います。思春期を経て、心を病気から守りつづけた美佳さんは、信じられないくらい笑顔がきれいな方。左脳タイプの夫・崇さん曰く「この人は超越的な何かを出す」。直感タイプのからっとした明るさと、長い苦労から得た深い洞察が共存する唯一無二のインタビューです。


今泉美佳さんプロフィール

4歳頃から皮膚潰瘍、15歳頃から多発性関節炎がみられ難病の診断をうける。難病を乗りこえ、2021年、ずっと隠してきた体中の傷痕(コンプレックス)や障害という枠を超えていきたいと思い立ち、ケアマネージャーを辞職し、SNSで発信をスタートさせる。

https://www.instagram.com/mikasorahikaru

 

 

 

◎人生初の「痛みがない」

今泉美佳 もう本当に吐きそうなぐらい恥ずかしい感じなんですけど、さいきんはInstagramで発信をしていて、手とかの写真も全部出すようになったんです。自分を開示していて。もう本当に脱ぐ勢いです(笑)。見てもらうしかないんで、この手をちょっとずつ見せていこうと思っていて。膝も、人工関節が入ってるんですけど、見せていって。じゃあそれをもとにどうするのっていうところは、まだ模索中ではあるんですけど。

 

伊藤 言葉にするよりもまずはビジュアルで出していくっていうのが、ご自身にとって一番抵抗があるからこそ、やる意味があったんですね。

 

美佳 今までは写真を撮るときは常に隠して、見えないように、見えないように、半袖は着ない、スカートは履かない、ってやってたんですよね。なので、ビジュアルで出していこうと思って。

 

伊藤 今の手の状態はどんな感じですか?

 

美佳 最近また開かなくなってきて。ひざだけじゃなくて手の指の関節がちょっとずつ変形してきていて、大学の時にこれで鉛筆を持つので痛かったんですよね。右手の中指に関しては、見た目が悪いよねっていう話で、整形外科の先生にまっすぐにする手術をしたほうがいいんじゃないって言われて、人工関節を入れました。右手薬指に関しては今は曲がらないんですけど、骨盤から骨を切り取って入れました。でも当時MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)の院内感染が流行っていて、感染してしまって、人工関節を抜去しました。中指はピンみたいなものがずっと入っていて、板で固定していたんですけど、毎日やっぱ生活してお風呂入ったりすると、指の先からピンが出てきちゃうんですよね。何回も戻したりはしてたんですけど、痛いし、結局抜けちゃったんです。それでもう、関節がない指ってことで、ぷらぷらしてます。もう少し長かったですけど、縮んでいくんですよね。それでこのぐらいの指になっちゃったんです。でも前みたいにぷらぷらしていないので、危なくはないですね。 前は引っ掛かったらボキッといきそうで怖かったんです。

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伊藤 すみません、さっき私、ペットボトルで飲み物をだしちゃったんですけど、コップの方がよかったですか?

 

美佳 全然大丈夫です。 開かないときは、お下品なんですけど、歯で開けています。ちょっと隠して見えないように、子供にも「真似しないでね」って言いながら(笑)。衛生的にどうかなと思うんですけど、それしか方法がないんで。

 

伊藤 いまメイクもされていますよね。力は入れにくいけど、器用な仕事はできるっていう感じでしょうか。

 

美佳 力が入れにくいっていうこともあんまりないかもしれないですね。機能自体は指に関しては少ないですけど、重い荷物も持っているし、パソコンも打てます。困ることは、すごい細いとこに手を入れて取る、とかそういう細かい作業ですね。あとはオセロとかも、目指していた石だけではなくて周りをひっくりかえしちゃって、うまくできないな、というのが最近ありました。握力も5か6ぐらいはありましたね。

 

伊藤 ということは、神経的なものは問題ないんですかね。

 

美佳 神経…脳?

 

崇 (笑)

 

美佳  31歳か32歳で、いま9歳の息子を妊娠しているときに、くも膜下出血をやって。そこはほぼ記憶がないです。 

 

崇 はい、大変でした(笑)。夜中にとにかく頭が痛いって何回ももど(嘔吐)して。

 

美佳 私はつわりだと思っていたんですよね。それで病院に行ったらくも膜下ですって言われて。で、「死ぬよ」って言われて(笑)

 

崇 70%の確率で亡くなるんで、家族を呼んでくださいって言われました。 

 

伊藤 ひえ〜よりによって妊娠中のタイミングで来るなんて…

 

美佳 くも膜下自体は病気とは関係ないと言われているんですけど

 

崇 彼女の病気はPAPA症候群という病気なんですけど、それを知っている方が東北大にいて、とにかく慌てて電話をしてみたら、そんな事例はないと言われました。そもそもPAPA症候群が世界に1000人しかいないので、事例が少ないんですが。それで分からないと言われて、当時買ったばかりのiPhoneで調べまくって埼玉医大にくも膜下のプロがいるということで、そのときは大宮に住んでいたんですが、救急車ですぐ行って、助かったんです。

 

美佳 前は仙台に住んでいたので、30代までは東北大に通っていたんですが、結婚して大宮にきてからは、子供のことがあってステロイドの薬もやめるって決めていたし、もう寛解状態には入っていたんで、別の病院を紹介されましたが、通ってはいません。 皮膚が腐ったりっていうような症状も落ち着いてもいたので、もう行かなくていいかな、と。それからはほぼ子育てに没頭してますね。

 

伊藤 この2年間が一番健康ってメールに書かれてましたね。

 

美佳 膝に人工関節を入れて、リハビリも長かったんですけど、普通に歩けるようになったっていうのが人生初で、「こんなに速く歩けるんだ」っていう感動があって。人工関節を入れる前は、O脚で、足を運ぶのも何とかやっているという感じだったんです。自分の意志で動かしても、進まない進まないっていう状態で、働きながら子供を保育園に預けてやっていたんで、もうなんかすっごい大変だったんです。でも人工関節を入れて、リハビリを半年ぐらいしたら、歩けるようになって。「前に進めるなんて!」ってものすごく感動していました。小走りとかもできて、「走って前に進めるってこれなんだと!」って。痛みに関しても、今までは起きた瞬間から痛いのが始まって、寝るときも痛いっていう状態だったのが、痛くない。たぶん自分の人生で初の痛みがない状態だったので、感動してました。

もちろん手がこういう状態なんですけど、使えないわけじゃないから、悩んでてもしょうがないし、できる範囲で、できるやり方でやっていこう、できる方をどんどんやっていこう、というふうになって。生活でも困ることはなくなりましたね。

 

伊藤 素晴らしいですね。そうなるまでの時間、常にある痛みとどうやってつきあってきたのか、伺ってもいいですか?痛みって本人しか分からないもので、「なんで分かってくれないの」っていう気持ちが浮かびやすいものだと思うですよね。まわりも分かってあげられなくてつらくなるでしょうし。

 

美佳 大変だったのはやっぱ思春期ですね。心が安定しなかったのもあるし、見た目を気にするようになる時期でもあったし。中学校3年ぐらいから関節が痛くなって、それまでは、皮膚が腐ってただれてるっていう状態だったんですが、やっぱり家族には当たってました。私は5人兄弟なんですけど、他の4人がもう健康そのものなんです(笑)。本当になんで私ばっかりこんなに痛い思いしなきゃいけないのっていう状態で。皮膚の時の痛みっていうのは、ジンジンっていうよりもヒリヒリという感じで、肉が空気に触れてる状態なんです。乾くと痛い。ヒリヒリして…肉が見えている状態なんです。肉芽の細かいのがポコポコっとしたのがあって、そのまわりが茶色くなって、腐ってる。緑黒っぽい色で広がってくんですけれども、匂いも皮膚が腐った匂いで、それを取らないとどんどん広がっていくから、挙句に自分でそれを切り取ってました。もう、本当に何やっているの、っていう感じです(笑)。

 

伊藤 それはつらいですね…。ふだんはガーゼを当てたりしていたんですか?

 

美佳 そうですね。小学校の写真はガーゼだらけです。最初は3、4歳の頃で手から始まって、「なんか化膿したね」みたいな感じでガーゼを当ててたんですが、それが足に増えて、お尻、肘、とよくぶつかるような場所に広がっていきました。足もちょっと見ていただくと…こんなふうに今はケロイド状になっているんですが、腐っていくのが本当にあっという間で、下手すると骨が見えてきちゃうんです。

 

伊藤 骨が見える…その痛みに耐えられるものなんですか。

 

美佳 お風呂に入っているときは、潤っているから楽でしたね。

 

伊藤 滲みるのかと思ったら、楽なんですね。

 

美佳 うん、楽でしたね。 上がった瞬間皮膚が渇きだすんで、ヒリヒリヒリってものすごく痛くて、そこから自分で消毒して、薬ぬって、ガーゼをはって、テープではってっていうのをやってました。箇所が多くて(笑)。 お尻は見えなくて大変でしたね。

 

伊藤 自分で自分をケアするということを小さいころからやっていたんですね。

 

美佳 お尻なんかも、当時は和式で、おしっこをすると濡れて、それが滲みて、変えなきゃいけない、みたいなことがありました。母が、小学校2年になったときに亡くなっているんですね。なので、父しかいない状態で。父もいろんな病院に私を連れて行って、なんとかしようと思ってはいたんですけど、どこに行ってもよくならなくて。夜になると私は父に当たってました(笑)。「なんで私がこんな思いしなきゃいけないの。私がなんかしたの」って。父もだまって、責任感かんじていたのか分からないんですけど、「そうかそうか」って聞いてましたね。それが高校までです。

 

伊藤 「なぜ」っていう問いが生まれてきてしまいますよね。

 

美佳 まわりのみなさんがちょうど可愛くなっていく時期だったので、さらに劣等感にさいなまれる感じでしたね。そのころは顔にもステロイドを塗っていたので、頭皮もただれる、血が出るという感じでした。高校のときはルーズソックスが流行った時代だったので、隠したり、制服も長めにしたりしていました。暑いけど、長いワイシャツを着て、半袖は着ませんでした。そのときは指はまだまっすぐでした。大学ぐらいになって指がぎゅーっと縮んできたんです。

 

伊藤 体が変化する…経験した人にしか分からない感覚がありそうですね。肉が腐っていくという変化もとても早かったっておっしゃっていましたけど、指が縮んでいくという変化も想像がつきません。

 

美佳 腐っていくのは保育園のときからで、かさぶたを掻いてしまったりしていましたね。保育園の布団、私の布団だけ血だらけだったのを覚えています。赤い模様ができていて、たぶんお友だちが何か言っていたと思うんですが、私の中ではもう入らなくなっていました。おかしいなとは思っていたけど、何がおこっているかは分からなくて。小学校にあがってから、あれ、おかしいな、自分はちがうんだなと思い始めて、それでももうしょうがないというか、傷の処置も、仕事でいそがしいお父さんにいちいちやってもらうわけにもいかなくて、結局自分でやっていました。泣いてばかりいましたね。お風呂上がりが特に痛くて…

 

伊藤 夜は寝られていたんですか?

 

美佳 皮膚だけのときは眠れていたと思います。軟膏を塗って、うるおった状態で、ガーゼをしちゃえば、一応痛みという意味では落ち着くので。中学校になって、関節が痛くなってからは眠れないくらいの痛みでしたね。肩、手首、手、ひざ、足首、足の指、ぜんぶがジンジン、真っ赤に腫れて、という状態でした。炎症が、脈打つほどに、ジン、ジン、という状態で。寝返りを打つにも痛い、起き上がるのも痛い、立てなかったですね。

 

伊藤 痛みを自分のなかでちょっと脇にやる、とか、意識レベルで、考え方やイメージの仕方を変える、みたいなことはあったんですか。

 

美佳 中学校、高校は、なかったですね。なかったです。で、大学に入ってからも、なかったかな…とにかく痛い、苦しい、痛い、苦しい、みたいな感じで、100%受けていました(笑)。それを頭のどこかに、というのはなかったですね。

 

伊藤 原因を分析する、みたいなモードだったんですかね?冷静に理由を考える、みたいなタイプの方もいらっしゃると思うのですが…

 

美佳 私たぶんそういうタイプではなかったですね(笑)。病院の先生に任せる、それで先生の言った薬を飲む、という感じですね(笑)。さいきんは飲んでないですが、最初のころは真面目に飲んでました。いろんな薬を先生が試してきたので、奥歯が黒いんですよね。歯の形成期に薬が入っていたんで。小中高はまじめに薬を飲んでいて、先生もいろんなの、いろんなのを試すけど、効かなくて、悪化していく。自分のなかで「じゃあ、私が調べるわ」というふうにはいたらなくて、「何が起こっているんだろう」という感じでした。先生もいつも首をかしげていて、「こんな病気見たことない」と。十和田市に東北大の先生がいらしていたんですが、「大学病院でもこんな症状はない」ってずっと言われていました。「いやあ、そう言われましても」っていう感じだったんですけど(笑)。記憶はないんですけど、保育園のときに入院して検査もしていたらしいんですが、何が悪いのか、他の症例がないから効く薬が分からない、という感じでした。そのときは「血管炎」という病名はつけられていたんですけど、結局何か分からないという状態だったなあ、というところです。

 

伊藤 そういう状態だと、信じるものがない、すべてが不確かで、何に自分が巻き込まれているのかも分からない、という気分になりますよね。

 

美佳 分からなかったですね。最終的には、田舎だったので、神頼みしかない、みたいになったりもしました。青森だったので、いたこだったり、神様と呼ばれる方がいて、そういうところにいったこともあります。悪いのが憑いているみたいなことを言われて、バンバン叩かれて、むしろ痛くて(笑)、何も改善しないで結局帰ってきたり、薬を通りこしていろんな神社に行ったりだとかしてましたね。十和田の病院も、皮膚科の先生も決まった曜日しか来ないような感じで、すがるところがない感じの状態でした。父も私もその大学病院の先生に頼るしかなく、セカンドオピニオンという考えもなかったし、そもそも病院が少なかったですね。

 

◎病院に行くと病気の人になっちゃう

伊藤 仙台に出てきたのは大学からですか?

 

美佳 福祉のほうの大学に通うために一人暮らしで仙台に出てきて、そのとき東北大学病院に通うようにはなったんですよね。大学に2週間いったら1ヶ月入院して、という状態でした。大学は友達と話したりとか、サークルも楽しかったんですけど、傷がどんどん悪化していく。それで、すぐに入院になっちゃっていました。大学に入ってから、勉強しないわけにいかないので、痛かったんですけど、「書く」ということを続けていたら、ぎゅーっと手が縮んできて。

 

伊藤 手を使ったから縮んできたんですね。

 

美佳 だと思うんですよね。拘縮っていうんですか、手に力入れて無理してきたから曲がったのかな、と。やっぱり骨が完全に固まっているんですけど、でもこれも今もちょっとずつ変わってきています。使っている向きで変わってきています。

 大学くらいから、病院信用ならないなと思い始めて(笑)。「こんなに入院していろんな薬飲んで、ステロイド飲んで顔がパンパンになっても、治らないじゃん」って。それで薬を勝手に飲まなくなりました。自分で調整して、痛み止めを飲んだりするようになったんです。社会人になってからはもっと適当になって。やっぱり子供が欲しいなと意識するようになったら、「あ、こんなの飲んでられない」と思って。高校生のときに免疫抑制剤を飲む時点で、子供が奇形になる可能性があるよって言われたんですけど、高校のときは「いやあ、そう言われましても」という感覚だったんですけど、社会人のときは、もうやだなあ、と。体をクリーンにしたくて。いっぱいいただいてくるんですけど、ごっそり捨てた(笑)。

 

伊藤 それは面白い変化ですね。

 

美佳 そのあたりから、病院に行くと悪くなるというか、病気の人になるみたいな感じに気づいたんですよね。大学にいると、病気の人という感覚がなくて、わーって楽しめているんですけど、病院にいると病気の人になる、っていうのは環境って大事だなと思い始めて。もちろん悪化してただれているようなときは入院するしかないんですけど、関節の痛みに関しては入院しても変わるものではなかったんで、痛み止めだけはずっと手放せなかったです。でも痛み止めももう聞いているかは分からないんです。でも飲まないとさらに苦しいんじゃないかと思って飲んでいたという感じですね。どうしようもないときは座薬のボルタレンをいれたりしていました。これは即効性があってすぐ効くんですけど、3時間か4時間すると戻ってきて、ジン、ジン、ジンって体じゅうが痛い痛いっていう感じでした。

 

伊藤 抽象的な質問になっちゃうんですけど、小さいころから痛みがあったり、ケアしなきゃいけない体ってどういう存在なのか、あるいは病気ってどういう存在なのかっていうことが気になります。たとえばお祓いをしてくれるような人だったら、病気は何かがとり憑いている、という解釈になるわけですよね。でも実際に痛みを経験しているなかで、体をどういうふうに感じていたのか、イメージみたいなものが知りたいです。

 

美佳 悪いものが憑いているというのは、私もそのとき信じていたんですよね。私が住んでいる村が昔戦場で、悪い霊が私に憑いていて、みたいなことを言われて、ああそうなんだって。そのときは、「なんで私に」って思わなくて、「私でよかったな」って思ったんです。こんなに痛い思いをして、悪い霊が誰かにつきたいんだったら、兄弟とか父とか家族じゃなくて、私が苦しめば、みんなが元気なんでしょ、みたいな感じで、小中学校くらいは思っていました。

たぶんもう早いうちに、苦しくて死ぬと思っていたんです。長い未来を見ていなくて。だから長く生られる、とか、将来の夢は、とかを全然描けない人で、1週間後とか2週間後とかの約束もあんまりしたくない感じだったんです。だから高校も、もっとこういう高校に行ったほうがいいよ、と言われたんですけど、近くの農業高校でいいっていうことで、どうせ生きているか分かんないし、とにかく近いところっていうことで。大学も、行きたいというよりは、どう見てもこの痛みで仕事はできないでしょって自分で思っていて、それで福祉のほうに興味を持ち始めて、でも人の介護ができる状態じゃないから、卒業できなくてもいいって思いながら入りました。介護技術とかやったりするだろうなあ、と想像してたんで、そのとき中退しようと思っていました。だから、つねに明日死んでもいいや、というぐらいの気持ちで生きていて。中学生とのきのジンジンする痛みのときは、いつも寝るときに「明日目が覚めなければいいのに」って思いながら泣き疲れて寝るという感じでした。 

 

伊藤 未来のイメージする、ということ自体ができなかったんですね。 

 

美佳 長く生きるなんて絶対思っていいなくて。この痛みから解放されるには死ぬしかないんだ、って。ただ自殺しようとかそういう思いは一切なかったんですけど、母が亡くなったのも見てたんで、この痛み、苦しみが何十年も続くとは思っていなくて、「明日目が覚めませんように」くらいの気持ちで、早く楽になりたいっていっつも思っていました。

 

伊藤 そういう中で2年前に痛みがないというのを経験したというのは…

 

美佳 本当に初めてで、感動しました。前に進める!朝起きて痛くない!というのが、「こんなのいいの?」という感じで。痛み止めを飲んでいない自分にびっくりして、「ああ、これが生きるってことなの?」って。そうしたら、あれもやりたい、これもやりたいってどんどん気持ちが出てくるんですよね。

 

伊藤 すごいことですね…

 

崇 なんか、見てて、膝がよくなって、動けるようになって、「変わるんだ」っていう感じでしたね。手術後3ヶ月くらいはつらい思いをしていたけど、いつの間にか落ち着いて…

 

美佳 原因不明の血がたまったりして。そのあとは、たぶん筋力がもどってきたんだと思う。人工関節を入れたら歩けるんだ、というものすごい希望が湧いてきて、でもガクンってなって筋力がないことに気づいて。それからリハビリでしたね。

 

崇 膝もそうなんだけど、脳の手術後も、いきなりリハビリで歩きはじめるときも、「なんで歩けないの?」って言っていて(笑)。

 

美佳 脳のときは、長い間ICUにいたという記憶が私のなかにはないので、(夫が)マタニティホテルのプランをキャンセルしたっていうから「何やってるの?!」って。

 

崇 脳の病気になる前は、子供が生まれる前に旅行をしようって予約をしていたんですよね。Mr. Childrenのライブのチケットもとっていて、両方とも楽しみだねって話しているさなかに、脳出血になっちゃったんです。

 

美佳 私はそこから記憶がないから、歩けると思ってるし、勝手にキャンセルされたと思って(笑)。ごはんももらえなくて、たくさんの管がついてるし、これは拷問だ、と思って鼻の管を抜いたらこんどはミトンはめられるし(笑)。

 

崇 あとで身体拘束のサインしただろって怒ってましたね(笑)

 

美佳 そのあと11月に転院して、脳外科から別の病院の産婦人科に転院しました。鼻から管が入った状態でごはん食べられない状態だったんだけど、こっそりベビースターラーメン食べてました(笑)

 

崇 先生に食べたら死ぬぞって言われてたのに(笑)

 

美佳 私は絶食が耐えられなくて、「死なないよ」って。そのとき大晦日にMr. Childrenのライブがさいたまのアリーナであって予約していたんで、これは鼻から何が出ていようが絶対に行くからねって。それでなんとか歩いて行ったんです。

 

◎心までこの病気にやられないで生きたい

美佳 もともとたぶんあんまり考えないタイプなんです(笑)

 

伊藤 度胸が座っているんですかね?

 

美佳 度胸なのかな…。

 

崇 右脳で生きるタイプなんですよね。私は左脳で生きるタイプなんで、分かんないですよね。ロキソニン毎日飲んで、痛いのに、顔は毎日笑顔なんですよね。

 

伊藤 そうなんですよね。失礼かもしれないけれど、痛そうに見えないです。

 

美佳 みんなにそう言われて…。たぶん福祉のほうで、相手に不安を与えちゃいけないということで、ソーシャルワーカーやっているときも、相手が苦しい人なので、自分を客観的に見て、援助技術を学んだからなのかな、と思います。顔は凛としていてニコニコしていて安心感を与えようとしてる。心の中は痛くて苦しくて、あるいはどうしようって焦っていたりとかするんですけど、全然そう見えないらしくて。でも血がにじんでたりしてて、働いているときも「何で言ってくれないの、いつもニコニコしているから分からないよ」って言われていました。

 

伊藤 ご家族の前でもいつもそうなんですか?

 

崇 そうです。今もそうなんですけど、つきあっていた4年間も、顔色ひとつ変えずに、自分で処置していて。私は血を見るのがいやで、外科医だけはなれないって子供のころから思ってて(笑)。でも本人はひょうひょうとしていて自分で治療していて。

 

美佳 もう慣れちゃって、自分がつらいんだということを見せたところでどうしようもないというか、見せようとも思わない。「すごい痛いんだよ、分かってよ」みたいな気持ちももうないし。表情が悪くなってくると、自分の心もまた病気になってくる。病気の人になっちゃう。私は体が病気なだけで、心はそれにやられてないよ、そっちは自分を保とうと思って。

 

伊藤 なるほど…どうやったらそういうふうになれたのかがすごく気になります。援助技術もあるかもしれないけれど、おそらくその前から何か心を守る技術をお持ちだったんじゃないかと思うんです。

 

美佳 高校まではぐちゃぐちゃで、気持ちが安定しなくて、父に毎晩当たってたんですよね。父がいつも晩酌しながら聞いていて、言ってもしょうがないんだけど、言う相手がいないから父にばっかり当たっていて、そしたら一回、父がトイレに行って泣いてたのを見たんですよね。それで「あっ」と思って。自分も苦しいけど、大事な子供が苦しんでいるのを見るのもつらいんだって、初めて気がついて。そのときから当たるのをやめたんです。そっかあ、って。痛いのは痛くて、でも父に電話しても明るくしていて。「痛くてもうどうしようもないよ」って明るく痛みを伝えてましたね。大学では帰省したときも「痛くてつらい」というのは絶対に見せなかったです。

 

伊藤 それだけ聞くと、言っても仕方ないから絶望して、自分の気持ちを隠すようになった、とも言える状況ですよね。でもきっとそうじゃないですよね。

 

美佳 たぶんそうじゃないですね…。体に関してはなるようになるという感じで、隠しているというよりは、自分の大切な人に痛みを伝えることで、その方の悲しい顔を見たくない、いまこの時間を大事にしたいという感じですね。「いま、傷3個だよ」みたいに笑い話で痛いことは言うんですけど、どうしようもないんだ、辛い、とは言わない。

 

伊藤 痛みを言う、っていうのもポイントですね。

 

美佳 言うようにはしてます。父はもう幼少期からだったんで、悲しい顔をもう見たくなかったんですよね。何度も「代わりたい」って言ってたなあ、と思って。でも父にこの痛みを代わってほしくないなと思ってて。それだったらこの痛みを私が甘んじて受けます、みたいな。私にしか超えられない、耐えられない痛みなんだろうな、って。神様が、なんていうと変ですけど、試練という意味で私がいただいたのであれば、私が乗り越えられる痛みということで与えられたことなんだろうなと思って。入院中にいろんな本を読んで、神とか自己啓発とかそっちまで行きましたね(笑)

 

崇 すごいですよ。自分が病院に行ったら、間違いなく医学関係の本を読むと思うんですけど、そうじゃないんですよ(笑)

 

美佳 そういうのを読むと、私はこういう病気だということで、病気の人というのを自分が演じるようになっちゃうんで、そうじゃないよっていうところですね。心のほうまでこの病気にやられないで生きたいなってずっと思っていたんで。

 

伊藤 お二人、面白い組み合わせですね(笑)

 

美佳 真逆なんですよね。根本的なところでは同じところを言ってるんですけど、夫は論理で固めて、自分は言霊とかそういうところで自分自身を高めてきたので、インスタで活動するときにもそういうところをお伝えしています。夫は、目には見えないもの、論理では説明できないものはたぶん信じないタイプなので(笑)

 

崇 ぼくが体調をくずしたときも、絶対大丈夫としか言わないんですよ(笑)。

 

伊藤 お二人はもともとはバンド仲間なんですよね。

 

美佳 そうですね。会社の中で、趣味レベルですけど。

 

伊藤 音楽との出会いはいつですか?

 

美佳 もともと小学生くらいのときから歌が好きで、大学で合唱サークルに入って。そしたらとなりに軽音サークルがあって、怖い人たちに声をかけられて(笑)、それでボーカルをやりました。楽しかったですね。

 

伊藤 けっこう注目されますよね。

 

美佳 いつも長袖長ズボンでした。涼しい顔をしてましたが、いつも暑くてしょうがなかったです。でも「見られない」というのが私のなかで一番の服を選ぶ基準になっちゃっていたので。足首が出るだけでも嫌でしたね。

 

崇 白い服、白い下着も持たないですよね。血がつくからって。

 

美佳 あ〜言ってたね。

 

崇 プレゼントで白い服を買ってあげようと思うんだけど、赤とか黒がいいって言ってましたね。

 

美佳 血がつくっていう前提があったんですよね。今はやっと白を着られるようになりましたが。高校のときも作業着で血が滲んで、「なんかついてるよ」って言われたことがあって、トラウマというか、目立たない服を意識してましたね。

 

伊藤 美佳さんは、変わることに対しては柔軟な方なんでしょうか?

 

美佳 服に関しては、言霊もそうなんですけど、着る色によって内面や気持ちを高めてくれるということを本で読んだときに、私は黒とグレーと茶色とか、そんなねずみ男みたいな服だったんですよね(笑)。それで紫とかブルーとか、できるだけ色を選ぶように、服を変えていこうと心がけました。そうしたら、その気分に自分がなるな、というのがあって。最初は勇気が必要、恥ずかしい、というのがあったんですけど、気持ちいいなあ、自分が花みたいだと思うようになって、それで最近は明るい色をあえて着るようになりました。断捨離で古い服は捨てました(笑)。思い切りはいいので。自分も生まれ変わりたかったんです。膝を手術して、歩けるようになって、未来を見られるようになったので、気持ちも明るく生まれ変わりたいなと思ったんで。アクセサリーをつけたり、やったことのない工夫をしてみよう、と今はしています。

 

伊藤 「花みたい」という言葉、生き生きとした実感が伝わってきます。人から見られる側になったということですよね。

 

美佳 SNSでも発信するようになって、人に見てもらって勇気を与えたいと言っている人が、黒やグレーを着ていたら「この人大丈夫?」ってなりますよね(笑)。「この人みたいになりたい」と思ってもらうためには、自分がそうでなくちゃいけないなと思うようになりました。まだ勇気はないし、この手でできるか分からないんですけど、ネイルとかもやってみたいなと思っています。

 

伊藤 すごいですね。どんどん変わっていきますね。

 

美佳 変わっていきます(笑)。でも関節じたいは八十歳のおばあちゃんみたいだねってレントゲンで言われたんです。思った以上に、肩とか肘とか、もうみなさんと違うくっつき方をしていて、骨も自分流で十年くらいかけて固定してきたんです。これからもそういうのが残っているとは思うんですけど、そこに固執しないで、何かあったときはそのつど対応していくしかないな、と思っているんですけどね。

 

◎不思議なオーラを持っていた

伊藤 体を見せていったときに、いろんなリアクションが帰ってくると思うんですね。たとえば、私が海外でひどくどもったときに、It’s a beautiful thing.と言われたことがあって、とまどいながらも嬉しかった、ということがありました。でも、自分より吃音が重い人に出会って、すごく惹きつけられたときに、「美しいね」とはまだ言えない感じがあります。残酷かな、とか、嫌がるかな、とか考えてしまうんです。美佳さんはどんな言葉を投げかけられたり、あるいは投げかけられたいと思いますか。

 

美佳 子供は、右手の中指を、汚いんですけど「ウンチくん」って呼んでます(笑)。ぷにぷにしてて、こんな形をしているので。

 

伊藤 いい名前ですね(笑)

 

美佳 子供が手をつないで歩くときとかに、触ってぷにぷにしながら「かわいいね〜ウンチくん」みたいに言ってます。一時期、この指には、シリコンの装飾用の装具をはめて仕事をしていたんですが、蒸れるしかゆくなるんです。それで子供を産むってなったときに、子供は引っ張るし、つけておく必要ももはやないなあ、ということで、取って、フリーにしてみたんです。そしたら楽で楽で。そこからはつけなくなりました。それでも写真のときとかは隠したり、見えないようにしてきたのに、子供は「かわいいね」と言うんですよね。私はそれに衝撃を受けて、よくそんなこと言えるなあと思いました。「この手になりたい?」って訊くと、「なりたくない、絶対」って言うんですよね(笑)。私はこの指が嫌いで、体も嫌いで、コンプレックスの塊だったんですけど、これをいいと言ってくれてる子供がいるんだから、私が子供に恥ずかしいと言っているのは違うなと思いました。これがママの手だし、見せていくことが子供も隠さずに、自然にやっていくことにつながっていくのかな、と思って出すようにしています。長い時間をかけてこうなったのは神様からのギフトでしかないなと思ったから、それを見せていくことが、見えない相手に伝わっていくんじゃないかなと思っていて。自分の体がアートというか、写真展とかやりたいですね。

 

伊藤 ものすごい説得力がありますね。美佳さんの体には時間が見えますよね。

 

美佳 私以外にも傷がある方がたくさんいらっしゃると思うんで、そういう方々が「わたしこうなんだよ」って言える社会、障害とか病気とかいう枠で見られないようにしたいなと思います。

 

伊藤 崇さんも「かわいい」って思われますか。

 

崇 最初は、包帯してて、付き合い初めて1ヶ月くらいはなぜ包帯しているのか、聞かなかったんです。たまたま怪我したのかなと思ってて。ちょうどそのときMr. Childrenのライブが名取というところであって。そのときに手をつないで、いろいろ聞いて、見せてくれるようになりました。

 

伊藤 聴前に手をつなぐのが先だったんですね。

 

崇 そうですね。見せてくれて、正直私はそういうの怖いタイプだから、「わ、痛い」と思いました(笑)。病院に行くときは車で送ったりして、だんだん慣れてきたんで、いまは子供といっしょに何とも思ってない、気にしてなくて、今もペットボトルが出てきても開けてあげる気もない(笑)。当時は買ったらすぐ開けてあげて渡してたんですけどね。

 

美佳 最初は、手はつなぎたいけど、触られたくない、恥ずかしい、どうしようってすごく思っていましたね。

 

伊藤 美佳さんのような手が最初は苦手な方だった、っていうのが面白いですね。

 

崇 この人と付き合おうと思ったのは、26歳で出会ったときに、すでに人間的に超越してたと私は思っています。もう他の人と違う何かを持っていました。大学のとき入院中に作っていたポエムがあるんですけど、その最後に「信じる」という言葉があって、世界でこの人だけは信じられる、と思ったんです。いろいろブチ切れたりもしているんですが、最後は信じられる人間だと思う。理系的な頭で考えると、そういうビリーフというものを、経験から立ち上げて、人間としてかなり完成に近いと感じますね。これはたぶん、どんな先生だろうが、どんな偉い人だろうが、彼女には敵わないと私は思います。個人的ななんですけど(笑)。

 

伊藤 なるほど…。それは美佳さんの中に何かを信じる気持ちがあるから、この人は信じられる、と思ったんですかね。

 

崇 そうですね。信じてくれるし、信じるし。それが私だけじゃなくて、他の誰に対してもそうなんです。もちろん、嫌な人がいるという話もしますし、きつくあたってくるという話しもしょっちゅうするんですけど、でもそれを超越した何かを出すんですよ。そうはいっても、嫌なことを言う人もこう思っているんじゃないか、とか言ったりする。「信じる」がこの人のキーワードだなと思っています。それが、ふつうの人にはできないレベルまで行ってる。

 

伊藤 すごいですね…。ふつうに考えたら信じられなくなって当然ですよね。病気を小さいころからして、お医者さんも首をかしげるみたいな経験をされてきたら、もう治らないんじゃないか、とか、不信感がつのってしまうんじゃないかと思います。ネガティブな方向に行かずに、それを超越して、普通の人がたどりつけないような「信じる」に到達されたということですよね。

 

美佳 高校から大学くらいは、どん底の泥沼にいた感じで、生きることの終わりが早く来いと思っていました。それでも死なないんですよね。明日が来なければいいと思いながらも、生きてるし、学校に行ったり、日々の生活をしてるんですよね。何のために生かされているんだろう、と思うようになって。何か、意味あるの、こんなに私が痛い思いをしなきゃいけないのは、意味があるのかな、って。でも痛いは痛いから、それ以上は何も考えられないんですけど、今になってやっと、あの痛みの意味というか、あれを味わったから言えることがあるなって思うようになりました。

 

伊藤「何で病気なんだろう、何で痛いんだろう」じゃなくて、「何で生きているんだろう」って思うようになった、ということなんですね。

 

美佳 そうですね。「何で病気なんだろう」とは考えなかったですね。病院で検査の結果を説明されるとか、小学校のころからいやっていうほど受けてきたんで、もういいよ、聞きたくもない、という感じでした。またそういう自分だって思いこむことで、気持ちが病気のほうに向いていっちゃうんで、何でこんなに明日来なければいいと思ってるのに明日が来るというのは、生かされている理由があるんだなあと思ってましたね。

 

伊藤 ポエムは公開していないんですか?

 

美佳 あれはあまりに入院しすぎてやることがなくてポエマーになったんですけど(笑)、そのときは生きるっていうことを一生懸命考えていたんですよね、思春期の私なりに。そのときは心がすごく尖っていて、顔は笑っていたみたいだけど、常に何かにイライラして、ギザギザしている自分をいっつも感じていました。それをきっとポエムに書いていたんですよね。

 

崇 あのポエムはすごいと思う。なかなか21、22歳には書けないと思う。あのポエムを見たときに心を打たれましたね。あれで付き合うことを決めたぐらいですね(笑)。不思議なオーラを持ってましたね。いまも不思議なオーラを持ってますが、子供にちょっと取られてる(笑)。まあ、子供が輝いて見えるので同じなのかもしれませんが。

 

伊藤 理系の崇さんがオーラの話をされるのが面白いですね(笑)

 

崇 それはやっぱり影響されたというのがあると思います。この人は絵を描いてもうまいんですよ。そういう宇宙人的なところは、理解はできないんだけど、尊重すべき、そうなんだろうな、と思ってます。足りないところを埋めてくれています。

 

美佳 私も足りないところが(笑)。

 2022/5/12東工大大岡山キャンパスにて