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上野章裕さん

「目が見えない人と話しているとどもらない」という発見から、テレビの解説放送のお仕事につかれた上野章裕さん。その手があったか!という工夫と天職のお話にびっくりしつつ、その仕事によって上野さん自身の感じ方に進化が起こっていることにさらに驚く。とても楽しいインタビューでした。


上野章裕さんプロフィール

幼少期から「言葉」や「音」に関して興味を持ち、現在は視覚障害者のための音声ガイド(解説放送)の制作に携わっている。

 

◎ひとりソーシャル ・ビュー

上野 僕はいま解説放送という、視覚障害者のためのテレビの音声ガイドの原稿制作や収録のディレクターをしています。

 

伊藤 お仕事の内容があまり想像つかないんですが…まず、すべての番組に解説放送が付いてるんですか?

 

上野 いまはおよそ5%ほどしか付いていないんですよね。

 

伊藤 どういうジャンルの番組を扱っているんですか?

 

上野 ドラマとか、あとは旅番組などです。特にドラマの需要が高いので、そのドラマの場所とか表情とか、動き、要は音が出ないものについての説明を、セリフを邪魔しないように、隙間で入れるんですよ。隙間ってほんとになくて、せいぜい3,4秒くらいなんです。例えばいまこの(インタビューの)状況をどこから言うべきか、部屋の感じ、それともこう向き合ってる感じ、人物のこと? とかそういうことを、言葉を取捨選択しながら3,4秒くらいに収めます。文字にして30文字も入らないくらいですかね。ほんとに5・7・5みたいな、文字数・音数の制限があります。言葉の経済効率っていうんですけど。雨の音がドラマでしているのに、〈あめがふっている〉なんて言わないんですよ。だったら、雨が降っている音はするんだから他のことを言おうっていうことで、どんどん意味合いの重複をなくしていく。〈急いでいる〉〈焦っている顔〉だったら、まあどっちかを言えばいいんじゃない?焦ってるのは伝わるんだから、みたいに、どんどん凝縮させていきます。僕はいま7年目なんですが、はじめて解説放送の仕事を説明されたときに、目が見えない人に、見たままのことを言えばいいんだよって言われて、それは何か違うんじゃないかなと思いました。

 

伊藤 前任者はいたんですか?

 

上野 先輩が数人いて、「習うより慣れろ」みたいな感じで思っていました。そのときに、目が見えるから、目が見えない人に情報を与えてあげようっていう考えだと、どうもずれてくるなと思って。プロサッカー選手が高校野球を教えに行くみたいな(笑)。一応プロフェッショナルではあるんだけど、そもそも見えてる世界・聞こえてる世界が違うのに、目が見えている方が情報量が多いから、そのぶんを与えてあげようというのは、そもそも見え方が違って、向こうは向こうのプロなんだから、これは無理じゃないかと思って。僕はひとりでいわゆるソーシャル・ビューみたいなことをやろうと心に決めたんです。どういうことかというと、原稿を書くとき、自分の心のなかに、目の見えないもうひとりの自分を置くことにしたんです。

 例えばどういうことかというと、ドラマで、さっきみたいに雨が降っていて、女の子が走っているシーンがあるとして。原稿を書こうとするわけなんですけど、「いま女の子が雨のなかを走ってるよ」って目の見えないもうひとりの自分に言うんですよ。そうすると、「走ってるって、傘さして走るってなかなか難しくない?傘ひっくり返ったりしないの?」「前かがみなの?前見えなくない?」みたいなツッコミが入るわけです。そうすると「あ、たしかに」みたいな感じになって。実際にはしゃべらないですけど、そういうのを心のなかでやっていくわけです。じゃあそこで引っかかるんだったらと思って、〈傘もささずに走る花子〉みたいな解説文を書くんですね。

 

伊藤 なるほど!難しそうですね。

 

上野 そのときは「こういう風にしよう」って決めるんですけど、ドラマではどんどんシーンが進んでいく。例えば翌日になって、「花子がベッドで横になってて、お母さんが看病してるよ」ということを書くとして、「なんで?」って(もうひとりの自分に)聞かれる。「たぶん昨日濡れたからじゃない?だから風邪引いたんじゃないかな」って答える。「だったら〈傘もささずに〉というのは伏線としてわかりにくいから、さっきの文章を〈びしょぬれで〉みたいな、印象的な言葉にしたほうがいいんじゃないか?」と言われて、「あ、そうだね」みたいな。ひたすら目の見える人・見えない人が同じ土俵で話し合うみたいなことをずっとやってきて、いまもこのスタイルが僕にあっていて。

 

伊藤 映像をすでに見ちゃっている自分を一回ミュートして、言葉だけの情報の自分にするってことですよね。

 

上野 見えちゃってるんで、前提の情報量が多いから、それを一度無にして、どうしたらこの物語を追えるかなっていうレベルで、重要な要素、伏線とか、表情とか、そういったところだけ抽出していく。週5日のうち4日原稿を書いているので、週4日ひとりソーシャルビューをやっています。

 

伊藤 めっちゃその心の声を聞きたい(笑)。

 

上野 年間200日ソーシャルビューしていて、6年間となると、すごい数ひとりでやってるわけですよ。そうすると、仕事じゃないときでも、もうひとりの自分がツッコミを入れてくるんです。ニュース番組を見ながらスマホをいじっているとして、「かんせん」って言葉があるじゃないですか。そのときちょうどオリンピックだったんですよね。だから「かんせんした人が」と言うときに「どっちのかんせん(感染/観戦)なの?」って即座にツッコミがくるんですよ。「かんせん者は原則ワクチンを1回受けていること」と言われて、「ああ見る側のかんせん(観戦)ね」みたいな。

 

伊藤 その心のなかにいる視覚障害者の原型となった人はいるんですか?

 

上野 それは完全に、僕を投影してるかも。同じ思考回路でありつつも、目が見える・見えないとだけの違い、というほうが話しやすいので。いままでお会いした◯◯さん、というわけではないですね。

 

伊藤 晴眼者の体に視覚障害者のOSを走らせてる感じですね。

 

上野 そうなんです。いまのは同音異義語で、あともう一個は、聞き間違えやすい言葉に敏感になってしまって。いますごく「コロナ禍」って言いますけど、「このなか」と「ころなか」がめちゃくちゃ似ている。しかも絶対コロナ禍「で」って言うじゃないですか、「このなか」も、このなか「で」って言いますよね。「これどうにかしてくれ!」ということを心のなかで言われるんです。

 

伊藤 視覚障害者であり編集者ですよね。つねにもうひとりの全盲の編集者がいますね。

 

上野 もう、います(笑)。6年の付き合いなので、すごくいます。

 

伊藤 自分がしゃべるときにも、相手が見えている人(晴眼者)であっても、その見えない彼がツッコんだりするんですか?

 

上野 言葉選びとかも無意識にそう回避している気がします。

 

伊藤 すごい特殊な脳の使い方ですよね。

 

上野 もうひとりの自分に完全に乗っ取られているかもしれないです(笑)。ほどほどにしてほしいけど。たとえば、最近電車で英語のアナウンスが増えていますよね。西武池袋線だと「SI-18」みたいな、駅によって略称があります。井の頭線は「IN」なんですが、吉祥寺が「IN-17」なんですよ。「I am 17」と聞こえてしまって、即座にツッコミが来るんですよ(笑)。

 

伊藤 死角の部分が聞こえちゃうんですね。それは1個の情報を、ぼんやり聞いていると聞こえるんですかね。それとも、注意しているとそうなるのかな。

 

上野 ぼんやりしているときにいきなり突っ込まれるかんじですね、「おい、いまの聞いた?どっち?!」って感じですね。僕は集中して音を聞くことは普段仕事だけにしているので。

 

伊藤 (笑)ちょっとリプレイかけるんですね。ある意味で空耳に満ちているんですね。面白いですね。

 

◎解説放送というジャンル

伊藤 ちなみに直近で関わられたお仕事は?

 

上野 ドラマの解説をもう5年くらいやっています。音声を切り替えると、副音声で解説放送が聞けます。

僕は原稿書きと、収録のディレクションをしています。解説放送と言っても、局によってテイストがなかなか違うんですよ。こんなにも違うかなっていうくらい。解説放送という分野自体、数年前まではただの視覚障害者のための音声ガイドに過ぎなかった。例えばナレーションも、「部屋の中。なんとかをする花子。」みたいな。これを平坦にする必要はないので、むしろ読み聞かせみたいに抑揚を付けたほうがいいなということになって、子供向けアニメがきっかけで、抑揚をつけた解説が始まったんですよね。「パンチが飛んでいくぞ~!」「わー、飛んできた、あぶなーい!」みたいな。情報というよりかは、スポーツの実況解説に近いですね。そういうことを、ドラマでもやりはじめていて。

 

伊藤 すごいですね。音声をやってらっしゃる方は声優さんですか?

 

上野 声優さんをけっこう使っています。

 

伊藤 なるほど。でもアニメでなくドラマの副音声の場合、「これは誰の声なの?」ってなりませんか?

 

上野 そうなんです。ドラマの初回には、見えている人たちは役名と顔を一致させますよね。そのとき解説では、声と役名を一致させなければいけないんです。なので何度か、声を発した後に役名を言うようにしていますね。第1話で声と名前を覚えてね、2話からはさすがに言う余裕がないから、という紐づけを。

 

伊藤 それはその世界で、新しい楽しみ方ができそうですよね。見える人もドラマの音声だけを聞いて、というような。

 

上野 まさにいま「ながら見」の時代で、最近の方って集中してテレビを見ないですよね。だいたいスマホを見ていて。解説放送も、声優さんを使っているということで、徐々にブームが来ています。ノーマライゼーションというんですかね。視覚障害者のため、というわけではなくて、誰でも楽しめるものだったら、結果的に視覚障害者の人も気兼ねなく、「解説入れちゃって見える人に悪いな」と思わなくなる。みんなに楽しく使ってもらえるというのを最近目指していますね。

 

伊藤 今度料理しながら聞いてみます。

 

上野 はい。テイストは局によって全然違いますね。

 

伊藤 局のなかで議論があったりとかは?

 

上野 基本的に、少数精鋭でやっているので、ひとりでひとつの番組の原稿を書いています。固有名詞、表現方法、差別用語・商標とか、放送として乗せてはいけない言葉のチェックとかは厳しく入りますが、基本的な表現に関しては一任されています。人が変わってしまうと、語り部じゃないですけど、ガラっと変わってしまうので、違和感を感じやすいのかなと。

 

伊藤 これまで一番難しかった番組はなんですか?

 

上野 アクションドラマですね。『見えないスポーツ図鑑』にもありましたが、もう、無理なんですよ(笑)。自分が担当した作品に、どんどん殴るドラマがあったんですけど。これはもう、「ゔ~~~、う、うんっ(唸る)」って音だけで、ここに何を入れたらいいの?っていう。結果的にどっちが勝ったっていうのを言えばいいの?それとも、主人公が頑張っていること?それとも、こう、もっと「うわ、やられそうだ!」っていうことを言えばいいの?っていうことですよね。

 

伊藤 殴っている人の声で(何が起こっているのかを)言うっていうオプションもあり得るわけですよね。

 

上野 その選択もあるんですよ、もう声だけに委ねるという。どっちが優勢か、「○○(役名)が押されている!」みたいな、抽象的な言葉を言えばいいのか、「腹部に一撃を食らわし」みたいなディテールを言うのか。でもそうすると結果的に、起きたことを後出しで言っているので、ちょっと遅れちゃうんですよね。ガイドを聞いた瞬間には次のシーンに進んでいるので。それはスポーツと一緒で、どうしても同じタイミングで楽しめないというところがいまも課題としてあります。そこはまだ解決していないですね。

 

伊藤 ドラマによっても正解が違いそうですもんね。

 

上野 サッカーで言うと「入るのか?入るのかな?」っていうところを、解説で言っちゃうと匂わせというか、ネタバレになっちゃうんですよね(笑)。さらに、スポーツだと結末がわからないんだけど、ドラマだと結末がわかっている。だから犯人を描写するときも、「袖まくりをしてなにかしている」とか言うと、こいつ犯人じゃん!ってバレてしまう。だから後出ししなきゃいけないんだけど、でも、同時に楽しまなきゃというのがめちゃくちゃ難しくて。いまも正解がわからない。

 

伊藤 見えない人に実際に聞いてもらってフィードバックとかあったりしますか?

 

上野 最近はあまりできていないのですが、前は定期的に、1年に1回ほど。

 でも人によって見るスタイルは違うじゃないですか。それと一緒で、目の見えない人も、みんなが音に集中して聞いているかというとそうではない。例えば、場所(の情報)とかだけ言ってもらえたらいいよっていう人もいます。なぜかというと、想像の余地があるから。服装とか細かく言われると逆に制限がかかっちゃう。そういう楽しみ方をする人もいれば、具体的にイメージしたいから、髪の長さから顔立ちまで詳細に言ってほしいと言う人もいる。そこは人それぞれなので、どちらにあわせることもできず、という難しさもあります。

 

伊藤 映画の世界で音声ガイドを付けられている方とは交流があったりするんですか?

 

上野 映画とはまったく交流がなくて。ただ、映画を放送することはあるので、その解説は付けているので、映画ってまた付け方が違うなと思ったりはしますね。

 

伊藤 ドラマのほうがテンポが早いですもんね。

 

◎視覚障害者相手だとどもらない

伊藤 そもそも解説放送の世界に入られたきっかけは何だったんですか?

 

上野 学生のときに「同行援護」という、目の見えない人の同伴ですね、一緒にマックに行ったり。それになんとなく、大学のボランティアで参加していました。それで吃音の話にもなるんですが、僕は小さいときに吃音を持っていて、たぶん特殊な吃音だったと思います。吃音というと喋りたいけど発せられないというところに葛藤があるけれど、僕は幼いときに、「これはしゃべれないから、う、う、か、か、とやるよりはしゃべらない方がいいな」と思って(笑)。喋るのをちょっと諦めた側の子どもだったんですよ。

 

伊藤 なるほど。その諦めた感覚は覚えていますか。

 

上野 詰まることで相手に「?」ってされた記憶があんまりない。無口な子、という選択をしたので、珍しいとは思うんですけど。でも国語の音読とか、レストランの注文とかは避けられないじゃないですか。電話とか。

でも同行援護をしてみて、めっちゃスラスラ言える、不思議だな、と思って。どういうロジックなんだ?と自分なりに考えて、目の見えない方が僕の口元を見ていないなと気づきました。

 

伊藤 見られていないとどもらない??

 

上野 カ行が苦手で、喋る前の予備動作でモゴモゴしてしまう。この感じを見られるのが嫌だったんですよ。でも頑張って声を出そうとしているところを見られていないと、向こうとしてはスムーズにしゃべっているように聞こえるのかな、これは気持ちが楽だなあ、ということに気づいて。そういうときに、吃音者は身体的に何か問題があるというよりかは、視線についての特殊な能力を持っているんだなと思いました。つまりそれは、視覚情報からその次に起きることを予知する能力なのかなと転換して考えてみたんです。

 例えば友達と歩いていて、飛行機雲があって、そのとき僕は瞬時に、「これは飛行機雲の話題が来るわ」って思うんですよ。それで、「きれいだね」の「き」が出ない。次の展開を高速で予知してしまって、出ない。その点での頭の処理速度は、吃音の方は結構早いと思う。マックで注文するときも、店員さんと僕で同じメニューを見ているからこの会話になる、という予測になるから、「ビッグマック」の「ビ」を言わなきゃいけない。それで声が出なかったんだな、僕の場合はそうだったんだなということに気づいたんですよね。だから相手の視点と、僕の視覚情報から来る吃音というパターンもあるんだなと。

 

伊藤 準備をしちゃうから話せなくなっちゃうっていうことですかね。

 

上野 準備というか、相手はこれを期待しているなって、相手の気持ちを余計に読んでしまう。コーヒーを飲んだら「美味しいね」みたいになって、向こうもこっちを見ている。この話題だな、ってなって言えなくなる。

 

伊藤 ベースが、結構相手の目線を見てるんですね。

 

上野 だからこそ、視覚障害者の人に救われたというか。視線がないってこんなに楽なんだと。

 

伊藤 面白いですね。逆に言うと、見えない人との会話は急に来るみたいな感じですか?

 

上野 例えば交際5年目くらいのカップルが、無言を気にしなくなるじゃないですか。あれに近いです。言いたいときに言えばいいよね、という心地よさはありましたね。

 

伊藤 見えない人だと、自分の言葉もするする出てくるんですよね。

 

上野 僕がはじめて無口キャラからおしゃべりキャラになれたのは、修学旅行。夜寝るときに、暗いし、みんな天井を見ていて、僕の顔も見られてない。いつしゃべってもいい感じがあるじゃないですか、いつ途切れてもよくて、こんな自由なことある?みたいな、そこで僕はめちゃくちゃスムーズにしゃべってましたね。

 

伊藤 なるほど〜そこまで視覚としゃべることがリンクしているとは考えたことなかったけど、確かに話すときは相手のことを相当見ていますよね。以前人から聞いた話ですが、テレビの生放送の音声さんは、つねに誰が次面白いことを言いそうかを読んでいて、この人だと思った人の声をマイクで拾っているそうです。ふつうの会話でも、この人なんか言いたいことあるなとか、この人これについて話しそうだなというのは、間違っちゃうこともあるけど、ある程度予測してますもんね。

 

上野 そういう経験があったから、同行援護のときに、いまの解説みたいなことを少ししていました。「こんなものがあります」「このへんはこんな感じです」と。僕は番組の制作会社にいるんですけど、そのセクションに細々とそういうことやってる部署があるということを知って、そこに行きたいです、と言って、いまやっているんです。

 

伊藤 ほんとによくその天職に辿りつきましたね!そういえば私もダイアログ・イン・ザ・ダークに行くとすごく饒舌になるんですよね。でもそれは、見えないから喋らないと存在が消える、みたいな切迫感がから来ているかもしれません。

 

上野 チャットに近いですかね。言わないと存在が消える、みたいな。

 

伊藤 そうですね。楽になる感じとは違うけど、たしかに何かのモードが変わっている感じがあります。ある意味で忖度しないというか、人が何を言いたいか気にしなくていい状況になっているのは似ているのかもしれません。

 

◎感劇

上野 解説の仕事が5年目くらいのとき、最近ですけど、偶然伊藤さんの本を上野駅の本屋さんで見つけて、「面白い!まさに僕が考えていたことと同じだ!」と思って。目の見えている人は視覚だらけだけれども、見えない人は自由な視点を持っているから、むしろ不自由なのは僕たちのほうだって思ったときに、解説放送も、不完全だなというか、解説以外にも、ドラマとか映画を伝える手段ってもっときっとあるなって思ったんですよね。解説だと限界があるから、何かないかなと思っていたときに、偶然『見えないスポーツ図鑑』を見て、「これだ!」と。

「感戦」は、見えている情報だけじゃなくて、内面的にその人にダイブするっていうところでは、目の見える人も見えない人もわからないじゃないですか。そこを感じ取ろうという部分では同じ動きをしているから、ドラマで「感劇」をできないかな、と考えていて。スポーツでは、感覚的・精神的な開放とか快感を、ものを使って感じ取ろうとやっていたわけじゃないですか。それをドラマに置き換えたらどうなんだ?と考えたら、登場人物の、映像では語られない心情の変化とか、心の成長とか、テンションの起伏を体とか言葉を使って一緒に感じ取ってみるというプロセスが「感劇」になりえるかなって思いました。

 例えばお母さんが主人公で、息子が突然迷子になっちゃって、ずっと見つからないと。早朝ぐらいにようやく家に帰ってきて、「何やってたの!」と思わずビンタをする、というシーンがあるとします。母親の不安からの安堵、みたいな。目が見えている人からすれば「よかったねー」となりますが、仮にビンタされるシーンで、見ている僕もビンタされるとしますよね。そうすると一気に、子どもの視点になるわけじゃないですか。お母さんは「本当に心配したんだからね!」と言っているけど、僕からしたら「痛っ」っていう(笑)。僕も迷子で不安でやっと会えたのに、なんでさらに痛い目にあわなきゃいけないの?抱きしめるより、なんでビンタ?と。お母さんとしては、ドラマ的には不安から安堵っていう心情の変化があったんだけど、子ども的には、会えた安堵からの不安みたいな、逆を行っているというのが、なかなかドラマを見ているだけでは同時に感じ取れない。映像だと感じられない部分を、触覚や嗅覚を使って、その人物に身体的にダイブできる見方をやったら面白いかもなと思いました。

 

伊藤 めちゃくちゃ面白いですね!実際やったらどうなるんだろう…葛藤の場面は、駆け引きを表現できるかもしれないですね。しっとりした場面だと逆に難しいかも。言葉だと説明しすぎになってしまうところが、身体的にダイブするとなると違う可能性がうまれそうですね。

 

上野 心拍数とか、テンションの起伏=高低差とかですかね。駆け引きだと綱引き、とか。それぞれが登場人物になりきって、テンションが上がってるときに引っ張ってみる、みたいなことかもしれません。という新しい視聴スタイルを、ドラマとか映画でもできないかなと、ほそぼそと考えています。

 

伊藤 見えないスポーツ図鑑プロジェクトのなかでも、ドラマではないですが、選手の心理的な状況を翻訳できないかなという実験をしています。まだうまくいっていないですが、例えば野球のピッチャーがランナーを背負って満塁になってしまったときの気持ち。緊張してるし大変なのはわかるんですけど、具体的にどんな気持ちかっていうのをインタビューしてみたら、「お茶こぼした感じ」ってプロ野球でピッチャーをしていた方が言ったんです(笑)。周りに人がいて、お茶をバシャーンってこぼして、やばいやばいってなってて、みんな「大丈夫だよ」って言ってくれるんだけど、結局自分で処理しなきゃいけないっていう感じだって。野球って仲間がいるゲームで、みんなでフォローしあって、という感じだけど、やっぱり最後は自分で何とかんしなきゃいけない、ということをつきつけられるんだそうです。

 

上野 野球っていきなり個人にフォーカスを置かれる場面がありますよね。

 

伊藤 そうなんです。試合全体の物語とは別に、ひとりひとりの選手の心の状態を翻訳するようなアプローチもありえるかもしれないなと思っています。

 

上野 僕たちも見えてないところが多くて、そこを感じ取ろうというのは面白いですよね。

 

伊藤 お話を伺っていると、さっきも「ダイブ」とおっしゃってましたが、目の前にいる人とかものの見えていない部分を見る、ある種の憑依みたいな能力にとても長けている方なのかなと思いました。憑依っていいのかどうかわかりませんが……。

 

上野 『SIREN』というホラーゲームがあって。面白いシステムなんですけど、「視界ジャック」というのがあって。主人公が能力を持ってて、ゾンビがうじゃうじゃいるんですが、そのゾンビの視点を見れるんですよ。そういう感じなのかな。

でもつねに僕は、もうひとりの自分にジャックしてやってますね。だから本当に、それをやってきていたから、ソーシャルビューという言葉はまさに!というものでした。

 

伊藤 うれしいです。それと関連するか分かりませんが、上野さんは、最初にいただいたメールからすごい入り込みやすい雰囲気があるんですよね。ものすごく丁寧さを感じると同時に、それが距離にならなくて、気持ちを引き出してくれる感じがありました。

 

上野 それはきっと、解説放送の仕事のときに、ドラマって引き込まれなければ見ないんですよね。僕は説明すると同時に、引き込むような言葉を選んだほうがいいなと思ったんです。キャッチーで覚えやすい言葉とか、それを繰り返して言うこと、響き、自分でつくった言葉で印象づけるようなことは、実生活でしているかも。

 

伊藤 たとえばメールの文面に「吃音は予知能力」という言葉がありましたが、これはすごく凝縮されていて、絶対に2秒で入る表現だけど、情報としてはすごい多い。その言葉の使い方はどこで鍛えられたんですか?

 

上野 僕は子どものときにしゃべることを諦めた代わりに、作文を褒められました。文で表現してやろう、上野の内面をさらけ出すのは読書感想文コンクールだなと思って、文才キャラで行こうって思ってましたね。あえて口数を減らして言ってないだけなんだな、みたいな。「無口」じゃなくて「寡黙」になろうと。本も読んでいたので。マンガは読まなくて、じつは子どものときから実用書とか好きでした(笑)。親が見てたら不安になりますよね。

 

伊藤 戦略立てるのが好きとか、そういうことですかね。

 

上野 それこそ『◯◯の10のコツ』とか、「10でマスターできるの?!」と引き込まれてました。

 

伊藤 (笑)ほんとに独自のアプローチを開拓してますよね。

 

上野 不思議なつながりで、解説でご一緒している声優さんも、吃音を持っていたんです!どうやって克服したのかは聞けていないんですが、きっとアプローチを決めて「こういうとき楽だ」と知って、それをやっていたんだろうなと。僕は書くことにシフトしたからいまも書いていますが、声優をやっているってめちゃくちゃすごいじゃないですか。声優って好きなときにしゃべれるわけじゃないので、キューランプが付いたときに、口に合わせて言わなきゃいけないってすごいなって。なんでそこにシフトしたのか、いつかは聞いてみたいです。

 2021/10/18 大岡山にて