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ばけもさん

ばけもさんは、自身を擬獣化したキツネの「ランピィ」として活動されている方。着ぐるみを着ると、息がしにくかったり、視界が制限されたりと、体が拘束されるのですが、他方で「頭の上のキツネの耳で聞いている感じがする」など、身体感覚の拡張が起こるそう。身体イメージだけでなく感覚器・ペルソナ・コミュニケーションまでもが、リアルとフィクションをまたぎながらゆらいでいく世界にぞくぞくします。動くランピィの姿がものすごく可愛かったです。


ばけも(a.k.a. ばけねこ/化着眠猫)

2017年ごろからケモノ系のイベントに参加、2018年ごろから参加するだけでなくスタッフとしてイベントに関わるようになり、2020年からは着ぐるみキャラ、キツネの「ランピィ」としても活動。

イベントの運営や同人誌の編集、時には着ぐるみを着たままトーク企画を行ったりと様々な企画に関わる。

なおプライベートでは、大学・大学院で生物学を専攻したのちヒトに化けて普通にサラリーマン活動している。

最近は別名義でケモノをモチーフとした小説“ケモノ小説”の執筆を始めた。

ブログも随時更新中

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◎擬人化でなく擬獣化

伊藤 メールいただいて、全くわたしの知らない世界だったので、かなり興味を持ってしまいまして(笑)

 

ばけも 本当ですか!

 

伊藤 はい、でも知らないので色々教えていただかなくちゃいけないんですけど……

 

ばけも ぜひぜひいろいろお話しできればと思います。

もともと伊藤先生のことは昔からよく知っていて、先生の研究の本もいくつか読ませていただいていて、実は引っ越しのたびに『REVIEW HOUSE』1号(注:伊藤が学生時代に編集・出版していた雑誌)から持ってきています(笑)

 

伊藤 すごい!古文書のようですよ、それは。

 

二人 (笑い)

 

ばけも 身体論の話をいろいろと読んでいて、自分の趣味としてやっている着ぐるみとしての活動と、障害者の方々が普段自分の生活を送る上で抱いているものっていうのが、なんかちょっと近しいものがあるんじゃないかっていうふうに考えていて、一度伊藤先生と話がしたいなあというふうにずっと思っていたんですけれども。

 

伊藤 ありがとうございます。嬉しいです。

 

ばけも まず大前提として、「ケモノ」って言われている世界があるんですね。動物を擬人化したようなキャラクターってありますよね。それも、「ケモ耳」が生えているだけのキャラクターではなくて、もっと動物っぽい、全身に毛が生えていたりするものです。ああいうのが好きな人たちっていうのが一定数昔からいたんですね。よく「ケモ耳はケモノじゃない」みたいな感じで言われたりするんですけど(笑)。

 

伊藤 へえ〜。

 

ばけも それが1990年代くらいに、一般的に「ケモノ」を好きな人を「ケモナー」って言うようになったんです。で、それがずっとコミケットとかの同人誌即売会で、そういうところで交流がじわじわと行われ続けていって、ぼく身もだいたい2004年とか2005年とかそのあたりからコミケットでケモノの同人誌を買うようになって、ケモノのイラストとかが好きで、見ていた。で、本当に、ぼく当時はずっと勉強ばっかりやっていたので。

 

伊藤 高校生ですか、2004年って。大学?

 

ばけも そうですね、中学ぐらいの時ですね。高校ぐらいのときから同人誌とか買うようになって。で、同人誌を買うっていうことはしていたんですけれども、いわゆる交流、同人誌活動を通した交流みたいなことっていうのは、ちょっと別世界の話だなあと思って、ずっと離れていたんです、距離をとっていたんですね。で、その頃から、海外で生まれた文化ではあるんですけどいわゆる「ファースーツ」って言われる着ぐるみが登場し始めて。その頃は自分で着ぐるみを作って活動するっていう人たちがちょこちょこ現れて、そういう人たちが集まって交流しましょうっていうような、いわゆる「オンリー即売会」とか「オンリーイベント」って呼ばれるケモナー向けのイベントっていうのが開催されるようになります。ただぼくはその頃もまだ「ちょっと違う世界だなあ」っていうのがあったので、というか「ぼくは勉強とか研究で忙しいから、その人たちとは住む世界が違うんだな」と思いながら、即売会でたまに本を買う、みたいな感じのことをだいたい2016年くらいまでずっと続けてきていたんですね。

で、大学、大学院と博士課程まで進んでいたんですけど、ちょっとそのころ研究で悩み始めちゃって。それで、ただずっと勉強と研究しかやってこなかったので、逃げ場所がなくなっちゃったんですね。そんなときに救いを求めたのがケモノの人たちでした。それで、ちょっとそのオンリーイベント(注:ケモノ好き=ケモナーだけが集まるようなイベントのこと)であったり交流活動というのをしてみてようかな、と思ってイベントにまず行き始めました。で、イベントに行ったら、もちろんケモナーの人たちがたくさん集まっているっていう感覚に加えて、ぼくが一番いいなと思ったのが、着ぐるみを着て活動している人たち、着ぐるみを着て自分の姿を変えて交流をしていて。ケモナーの人たち、ケモノを好きだっていう中で、ケモノに対する憧れが出てくる人たちが一定数いて、ぼくもその中の一人で、ぼくもケモノの姿になりたいって思うようになったんですね。

2010年前後くらいになるともう着ぐるみを作って生計を立てているような、もしくはイラストでよくコミッション(注:個人間での金銭を伴う依頼)ってありますよね、あれと同じで着ぐるみのコミッションをやっていたりっていうようなかたちで作ってくれるっていうところが国内でも数多くできて。それでそこの一つに自分の、ぼくの着ぐるみのお願いを出した。それが2017年のおわりです。

 

伊藤 なるほど。最初に「ケモ耳の人たちよりもよりケモノに近い」っておっしゃっていましたよね。それが程度の差なのか、それとも決定的に違いがあるのかっていうのを伺いたいんですけど。メールでは「擬人化じゃなくて人間のケモノ化」って書かれていましたっけ…

 

ばけも 「擬獣化」って書きました。

 

伊藤 擬獣化!もう言葉が追いつかないですよね。あとでゆっくりうかがいたいですが、「ファーソナ」っていう言葉も。

 

ばけも ケモ耳を好きな人ってだいたいどちらかというと、いわゆる人間のキャラクターが好きで、その人間のキャラクターのかわいい要素の一つとしてケモ耳を捉えている人が多いと思うんですよ。で、ケモナーの人たちっていうのは、ちょっとこれは極端ですけど、人間は別に好きじゃない(笑)。動物のそのキャラクターが好きなのであって、人間は別に好きじゃないので、ケモ耳っていうところにあまり魅力を感じないことが多くて。結構差別化されていることが多いですね。

 

伊藤 ふんふん。「かわいい」っていう言葉はあんまり出てこないんでしょうか。ケモナー世界では。

 

ばけも いや、そんなことはなくて……ケモナーっていっても中で幅が、好みに幅があるんですけども、もちろん「かわいいケモノさんになりたい」とか「かわいいケモノさんが好き」っていうような人たちもいるし、「筋肉がムキムキのかっこいい着ぐるみさんが好き」「かっこいいキャラが好き」っていうパターンもありますし、さらにちょっと複雑になってくるのが、メスの、女性のキャラクターが好きっていう人とオスのキャラクターが好きっていう人もいて、そこでまた違う。

 

伊藤 へえ〜!それは見た目でオスメスわかるんですか、そのケモノになった状態でオスメスは意識しながら普段しているっていう?

 

ばけも それもやっぱり人によりますね。自分がケモノになったらオスがいい/メスがいいっていうのもありますし、人によっては男性の方でメスのケモノになりたいって言ってメスのケモノを着て……ただ、普段はしっかり男性みたいな方もいたりするので。

 

伊藤 なるほど。じゃあ人間からケモノっていうだけじゃない、性別なども含めたいろんな変身が起こっているっていうことですね。

 

ばけも そうですね。その変身のしかたっていうのが結構ちょこちょこ人によって違うところがあって。ぼくなんかの場合は、この子はランピィって言うんですけど、ぼくとランピィは同一の存在なんですね。

 

伊藤 そうなんだ。

 

ばけも はい。同一の存在なので、同じように暮らしをするし同じようにしゃべるしっていうかたちを崩さないんですけど、人によってはいわゆる「中の人」と完全に切り分けてほしいっていうような人もいて、自分の憧れのキャラクターを世の中に生み出したいから着ぐるみを着るんだっていうタイプの人もいます。そういうタイプの人なんかは、ぼくはランピィは自分そのものなので他の人に着せるっていうことは考えられないことなんですけど、自分がそのキャラクターに会いたいからという理由で他の人に着せるっていうような人もいて。

 

伊藤 ええ〜!

 

ばけも だから着ぐるみに対するアプローチのしかたも結構人それぞれなんですよね。

 

伊藤 へえ、おもしろい。そうかあ。すごいですね。同一っていうのもすごいですね、自分に不満があってケモノを着ているとかじゃないわけですよね。すごくナチュラルに。

 

ばけも そう……ですね。

 

◎ファーソナとしての着ぐるみ

伊藤 ランピィって「くん」とかつけないんですか、普段。

 

ばけも ああ、ぼくはランピィランピィって呼びますけど、ランピィくんって呼ぶ人はいます。ただ、それは自分自身のことをくん付けで呼ばないのと同じ感覚ですね。

 

伊藤 なるほど。例えばわたしがくんをつけて呼んでも違和感はない?

 

ばけも ああ、それは全然違和感ないです。

 

伊藤 ランピィくんってあれですよね、実物の、実在の動物から、キツネから生まれてるっていう話が……

 

ばけも あ、そうですね。この子は一応モデルが、アメリカのほうに住んでいるシマギツネ(注:シマハイイロギツネ;Island fox)っていうのがモデルになっていて、さっきちょっとでてきた「ファーソナ」っていう話になるんですけど、ファーソナって人間でいうペルソナの転用なんですけど、自分のひとつの姿、一面性を表したときになんらかの形をとる。それを何かの動物で当てはめようとしているっていうのがファーソナって言われているようなもので、ぼく自身がもしファーソナの姿を取るとしたらどういう生物だろうなっていうのをいろいろ考えた結果、このシマギツネっていうのがぼくにふさわしいんじゃないかっていってまず生まれてきて。生まれてきた当時はやっぱりちょっと差があるんですね。でもだんだんその姿をとっていくうちに、やっぱりどんどん一致してくるみたいな感覚もありました。

 

伊藤 どうしてそのシマギツネが自分だって思えたんですか?見た目とか性格とか住んでいるところとか……

 

ばけも そうですね。住んでいるところがまず一つあって、やっぱり離島で、キツネもそこまで群れない生物なんですけど、ばらばらで育っていて、かつちょっと他の人がいないような人里離れたようなところで暮らしているっていうところ。あとキツネがもっているちょっとずる賢いとかひねくれているというようなイメージとか。

 

伊藤 なるほど。それはどうやって探していったんですか?積極的に探して「あ。これだ」っていう感じだったのか、たまたま出会いがあったとか。

 

ばけも ぼくの場合は探していって「この動物だ」っていうのがやっと途中で見つかったっていうようなかたちなんですけど、人によっては「〇〇の動物になりたい」っていったらその動物を自分の着ぐるみとして捉える、それがファーソナになるかどうかはまた別なんですが、っていう人もいるし、「〇〇くんって動物でいうと△△だよね」って周りからつけられるっていうこともありますし、ぼくみたいに「自分が動物だとしたら何になりたいか、うーん」って、「ああ、こういう動物に似てるなあ」って考えてもってくるみたいなパターンもありますし、という感じですね。

 

伊藤 研究されていたこととは直接は関係ない?

 

ばけも あ、全く、全く関係なくて。ぼくはDNAを使ったDNAバーコーディングって言われるような研究手法を専門にしていて、シロアリとかサルとかのバーコーディングの研究をやっていました。

 

伊藤 子どもの頃動物が好きだったとかキャラクター、マスコットが好きだったということは(ありますか)?

 

ばけも それはですね、どちらかというとぼくはいわゆる市販の着ぐるみってあるじゃないですか、小さい頃に、販促で出しているような。ああいう着ぐるみはぼくは苦手だったんですよ。

 

伊藤 ええ!怖かった?

 

ばけも 怖かったですね。なので自分が着ぐるみを着るようになったっていうことは信じられないことで。

 

伊藤 そうなんだ……。キャラクターっていうもの自体はどうですか?

 

ばけも 今としては結構好きなんですけど、そこまで好きだったかと言われると……ただ、小さい頃からかわいいものとかかわいいキャラクターっていうものは好きで、それはどちらかというと女性的なかわいさというよりはマスコット的なかわいさの方が好きだったなっていうのはありましたね。

 

伊藤 なんか覚えている人形とかぬいぐるみとかってあります?

 

ばけも うーん……あんまり覚えてない……ですけども、結構動物園とか行くと動物のぬいぐるみ買って帰るとか、そういうことはよくしていた記憶があります。

 

伊藤 あ、動物園で売っている系のぬいぐるみだったんですね、プーさんとかじゃなくて。

 

ばけも そうですね、いわゆるサンリオキャラクターとかディズニーキャラクターって、今でもそうなんですけどそこまで好きではなかったですね。

 

伊藤 なるほど。そうなんですね。じゃあ最初に同人誌を買うきっかけっていうのはなんだったんでしょうね。

 

ばけも それはもともとぼくがゲームをやっていて、そのゲームの音楽のアレンジをしている人たち、いわゆる同人音楽の人たちがいて、それでまず同人音楽を中学生ぐらいから聴くようになるんですよ。テクノ系の同人音楽を。で、そこらへんの人たちの中にケモナーの人がいて、そういうようなイラストとかを出してくることがあって、「こんな世界があるんだ!」っていって、まあその頃インターネットもだいぶ普及してきていて、2004年くらいなので、ネットを使うようになるのとケモノのイラストを探すようになるのとがほぼ同時くらいのタイミングでしたね。

 

伊藤 なるほど。それで2016年ぐらいから会に参加したりするようになって、2017年に自分の着ぐるみを手に入れるっていう……

 

ばけも いや、その着ぐるみはですね、(製作の)お願いをしてから2年間待ったので、2019年の末に手元に来たんです。なので、まだ(来て)1年ちょっとです。

 

伊藤 2年!それだけ人気があるということですね。

 

ばけも メーカーさんによりますね。ただ今は結構1年待ちっていうようなメーカーさんが多い。ぼくがお願いしたところは個人で作られてる工房さんなんですけど、そこは結構待ち時間が長いというふうに言われていて。ただ、その頃にはいろいろキャラクターの着ぐるみを見ることがあったので、「どこどこさんの工房はこういう特徴があって」みたいな違いがあって、その中で「ここの工房さんにお願いするのがいいかな」って思って。

 

伊藤 なるほど。その自分のものを手に入れる前に別の人の着ぐるみを着てみる経験とか、工房で着てみたりとか、そういうのはあったんですか?

 

ばけも それは、2、3回かな?2、3回「着てもいいよ」っていうような人に着させてもらうっていうことはありました。で、小学生みたいな感想ですけど、楽しかったなあっていう記憶が残っていて。ただそれはあくまで、非日常的な体験をするという意味での楽しさが強いかなあという感じで、今思い出してみると、やっぱりランピィを身に纏ったときの一体感とかそういうのとはちょっと違うところは(ありました)。

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◎不自由さの解放感

伊藤 そうか、「一体感」だったんですね、最初にランピィを着た時は。

 

ばけも ランピィは……最初慣れるために、家で無駄に1日1時間着てみるとかそういうことを試行錯誤していって、徐々に自分の体に慣れていったっていう感じですね。

 

伊藤 慣れないといけないんですね、洋服とは全然違うんですね。

 

ばけも ああ、そうですね。単純にまずひとつ、暑い、息苦しい、手足が不自由っていうことがあって、慣れない人はまずうまく呼吸ができないので、長く着ていられないですね。

 

伊藤 構造としては、頭部と下、下は全身スーツみたいな感じ?

 

ばけも はい、今実物をお見せします。まずこれがヘッドって言われている部分で、この辺も工房さんによって違うんですけど、後ろがファスナーになっていて、ガバってかぶって後ろをファスナーで留めるというような勝手です。

 

伊藤 へえ!結構小さいですね、空いている場所。

 

ばけも そうですね。この子はそういうかたちをしていて、一番多いのはふつうにガバッとかぶるだけというヘッドです。

 

伊藤 なるほど。グリーンがめちゃくちゃきれいですね、写真で見るより……すっごくきれいです。

 

ばけも そうなんですよ!はじめ工房さんにお願いしたときに緑色を断られたんですよ。緑色のファー、これはいわゆるフェイクファーと言われる布なんですが、フェイクファーで緑色でいいものが、その工房さんが「うちで出せるクオリティのファーがない」と言って、断られたんですよ。ですけどその後で、「いい感じのファーが見つかったからそれで作るよ」って言われて。それで体は……

 

伊藤 あ!爪も緑なんだ。

 

ばけも (手は)ゴムで繋いであるんですけど、これ基本的に手は外せるもので……

 

伊藤 どこがゴムで繋いであるんですか?肩のところ?

 

ばけも これは袖の中にボタンがついていて、普段留めっぱなしにしてあるんですけど、一応手ですね。手は4本指になっているんですけど。で、こういう(肉球)中に綿が入っているようなところはぜひお会いして触っていただきたいところですけど……

 

伊藤 柔らかいってことですか?

 

ばけも はい。それで大きくなっているので、物掴むのも大変なんですよね(笑)。で、全身がこう言う感じで、足がこうなっていて、この子は前面が開いて、綿がついて……

 

伊藤 あ、胸がすごい厚いなと思ったら綿が入っているんですね。

 

ばけも はい、ここにちょっと綿が入ります。で、普段着るときは足の腿のところにも綿を入れて大きくします。で、ぼくのランピィは綿を詰めるのが3ヶ所だけなんですけど、3ヶ所はかなり少ない方で、もっといっぱい詰めて本当にマスコットみたいなかたちにする人たちもいます。あとこの子は、一応尻尾一体型でついてます。

 

伊藤 重くないですか、尻尾。

 

ばけも 慣れちゃえばそうでもないですけど……けっこう重たいらしく、干しているとこのあたり(尻尾上あたり)が弱くなってくる……(笑)

 

二人 (笑い)

 

ばけも でも普段身につけている時はそんなに重さを感じることはないですね。もっと大きい尻尾をつけている人もいます。地面に擦っちゃうような。で、最後に足ですね。足はシンプルにスポってはめるだけの足になっていて、後ろ(足の裏)もついていて、あんまりきれいじゃないんですけど。こういうかんじで(肉球がついている)。

 

伊藤 スリッパみたいな感じですか。長靴とか?

 

ばけも この子の場合は本当にスリッパを履いている感じですね。足の感覚が足にそのまま伝わるような感じになっていて、よく着ぐるみの足で、中に学校で履くような上履きをいれたり、いわゆるクロックスみたいなサンダルをいれたりしてしっかり履けるような感じにしているようなタイプの着ぐるみもあるんですけど、ここの着ぐるみはそういうの特になくて、本当に下にウレタンの板が置いてあるだけなので、下の、底の衝撃がそのまま足に伝わってきます。靴が入っていないので。

 

伊藤 着ぐるみはおいくらくらいするものなのですか?

 

ばけも 今は最大手の工房さんだとだいたい60万円が相場だったり、どんどん相場が上がってきていて、幅広く、高いものだと200万円くらいのものが最大だったかな……それぐらいまでいろいろ今増えていて、それだけ上げても買う人がいる。今「着ぐるみバブル時代」とか言われているのですが。

 

伊藤 へえ。なぜそこの工房さんにしたんですか。造形的な理由とか機能的な理由とかあったと思うんですけど。

 

ばけも 大きくは、ぼくはファーソナとして着ぐるみを着たいというのがあったので、長く着られる、快適さを求めたんですね。ここの着ぐるみは非常に楽、というのを前知識として得ていて、視界もよくて、呼吸も結構しやすい。あとは全体的なデザインが結構気に入っていたので、というのがあったのでここに依頼をしました。で、さっき綿を詰めるって言ったんですけど用語として「あんこを詰める」って言うんですね。あんこをぼくは3つだけにして本当にすらっとしたような体つきにしてもらって、そうすると動きやすくて、普段しているようなことができる。ただちょっと手が使いづらいだけで。

 

伊藤 なるほど。実際作る過程としてはさっきのシマギツネでしたっけ、それがいいですっていうだけなのか、何回も往復があって最終的なデザインが決まってくるのか。

 

ばけも ぼくのランピィの場合は特殊な流れがあって、まず1回ランピィの元デザインを友達のデザイナーにしてもらったんですね。ぼくをよく知っているので、「ぼくをイメージしてシマギツネモチーフでキャラの絵を描いてくれないか」といって、描いてもらったんですね。そのデザインをもとに工房さんに投げて、「着ぐるみ化するんだったらこんなデザインですが、いいですか」っていうかたちで、そのあと少しやり取りして、「じゃあこれでいきましょう」っていうかたちで、決めました。

 

伊藤 そうか、やっぱりファーソナっていうところが一番しっかりというか、根拠に、そこを大事にして作ってきている。

 

ばけも そうですね。その辺は、着ぐるみをファーソナと捉えている人は、自作で着ぐるみを作られている方が多くて、やっぱり自分を反映するため、自分でデザインして自分で着ぐるみ化して、という流れを取られる人が多いですね。なかなか、委託で作るっていうタイプの人は、そこまでファーソナとしての着ぐるみという意識は高くないかなあ、と。

 

伊藤 さっき「ファーソナとして作るから長く着ていたい」っておっしゃっていたんですけど、何十年も、という意味の長さなのか、それとも一回の着用時間を長くしたい、ということなのか、どちらでしょうか。

 

ばけも 先ほど「着て結構苦しくて」という話があったかと思うんですけど、例えばイベントとかで着ぐるみを着て出てきて、「苦しいから脱がなきゃ」っていう状態になることって、なんだかちょっと、身体論的な話をすると「引き剥がされるような感覚」があるわけです……。

 

伊藤 へえ、そうなんだ!

 

ばけも 自分が自分のいたい姿でいることを、着ぐるみの制約によって止められてしまうということを、ものすごく苦痛だなと思っていて。理想は、なりたい時になって、ならなくていいかというところでやめるっていう。そういうことができるのが良いな。

 

伊藤 最長でどのくらいまで着て過ごしたことがあるんですか?

 

ばけも ええと。ぼくの場合は完全な姿で着ていたのは2時間ちょっとだと思うんですけど、ヘッドだけ外して水を飲んで、とかだったら5、6時間は普通に着ていられますし、よくぼくの友達でめちゃくちゃ長く着る奴がいるんですけど、そいつなんかとよく話すのは、「着ぐるみの限界はトイレだよね」っていう話。

 

伊藤 トイレは……後ろファスナーでしたよね。

 

ばけも ぼくは前ファスナーです。

 

伊藤 脱がないとできない?

 

ばけも 脱がないとできない。

 

伊藤 そうかあ。

 

ばけも それが一番の(限界)。その友達なんかは、わざわざトイレ行かなくて済むように、「着ぐるみを長く着る前はあまり水を飲まない」って言っていて、よく「脱水と戦っている着ぐるみの人たちがいる中で、すごいなあ」って思いながら聞いているんですけど。

 

伊藤 へえ、そうか。着ぐるみを着ている時って、まず中って暑いっておっしゃっていましたけど、何かTシャツとかは着てはいる?

 

ばけも 一応全身いわゆるスポーツインナーを着ることが多いです。そうすると基本的に、全身の肌が直接ファーに触れないので。フェイクファーって基本的に洗えないものなんですよ。なのであまり直接肌が触れてほしくない。かつ薄着のものが……ってなると、スポーツインナーが一番。

 

伊藤 それを着ていって、かなり汗をかいたりとか。

 

ばけも するときはしますね。

 

伊藤 どこが一番拘束されているんですかね。頭?でも拘束にもいくつかパターンがありそうですね。見えないとか動かないとか押し付けられているとか。

 

ばけも そうですね。そういうのもあります。その拘束感が好きで着ぐるみを着るっていうタイプの人も、いなくはないです。

 

伊藤 それは締め付けとか……

 

ばけも (締め付け)とか、ちょっと暗いとか。そういう方向性のものもあります。

 

伊藤 そうか。なんか拘束されることが制約、時間的な制約とかさっき「引き剥がされるみたい」っておっしゃっていたけど、それが制約でもありでもそれがすごく可能性を持っているっていう……

 

ばけも そうですね。(ぼくは)どちらかというと解放感とかを覚えることの方が多いですね。

 

伊藤 え!そうなんだ。

 

ばけも 多いですね、ぼくの場合は特にそうですね。やっぱり例えばイベント、着ぐるみのイベントって広いホールとかがあって、そこに人とか着ぐるみがわーっていて何してもいいよ、っていうフロアがあることが多いんですけど、人でそこに行くのと着ぐるみを着てそこに行くのでは解放感がまず全然違う。それはでも、イベントの「場」っていうものも大きいのかなというふうに思っていて、先ほど『ケモノイベントの裏側本』が手元にあってびっくりしちゃったんですけど、その中でも座談会とかでみんな人でしゃべっているんですけど、ぼく一人だけ着ぐるみを着て。

 

伊藤 着てますよね。

 

ばけも (着て)しゃべっていて、ぼくはやっぱりこの(ランピィの)姿であることがすごく好きなので、可能であるのだったらこの姿でいたいっていうところがあって。イベント会場とか座談会とかでも、そういうことをすることが許されている場であるってなったら、だったらぼくはそっち(ランピィ)の方がいいっていうことで、それを選択しているんですね。

 

伊藤 じゃあ解放感は、割と対人的な部分っていうのが、人と関わりやすいっていう部分が大きいんですね。

 

ばけも ああ、それもあるかなあと思います。実際着ぐるみの人たちって、交流が盛んなんですけど、よく着ぐるみを持っていないと交流できない、逆説的に着ぐるみを持っていれば交流できるっていうような感覚が一般的に持たれているくらい、交流のきっかけにはすごくなるんですよね。

 

伊藤 そうか、でもそれ「も」ある、という感じで、直接的な自分のテンションであったり、何かが解放されているっていう(感じ)。

 

ばけも それはあります、ぼくはそういう感覚があります。気持ち的にもぼくは自由になるっていうところはあります。

 

◎体が拡張する

伊藤 そうなんだ。その自由な感覚は、体への物理的な刺激から来るのか、それともランピィであるっていうことから来るのか…そこはきっとそんなに区別できないのかもしれないけど。

 

ばけも うん、区別できないですね。着ぐるみを着ている時、締め付けがあるという感覚もあるんですけど、もう一個感覚としてあるのが、体が拡張する感じがすごくするんですよ、ぼくの場合は。この辺の話はちょこちょこ周りの人としていて「あ、その感覚俺にもある」みたいな話をされるんですけど、あの……(ランピィの手を取りに行く)(生の)手がこういうふうにあって、着ぐるみの手をこうつけると(ランピィの手をつける)こんな感じに(手を握る動作をしながら)なるんですけど、今さすがにあまり一体感というものはそんなに強くないんですけど、一体感がすごく強い時は、目に見えなくてもここ(爪)に何がぶつかっているかとか、この爪に。

 

伊藤 ああ、爪を通してわかるっていうことですか。

 

ばけも ぶつかっているかとか、爪の位置までわかるので、こう(招くような動作)ものを触りに行くとかすごいできるんですよね。

 

伊藤 そうなんだ。

 

ばけも で、ぼくがあとすごく感じるのは、耳が上に生えているかと思うんですけど、音を聴くときにこの辺で(生えている耳のあたり)聴いている感じがするんですよ。

 

伊藤 ええー!

 

ばけも 横からじゃないんですよね。

 

伊藤 それってどういう感じなのかなあ。音が……脱いだ時とつけている時で音が違う入り方をしているぞ、って感じがするっていうことですよね。

 

ばけも そうですね。耳がやっぱり上にあるから、耳で聴いているっていうのがすごく感じるんですよね。

 

伊藤 それって多分最初はなかった感覚ですよね、おそらく。

 

ばけも そうですね。特に今でも着ぐるみを着たらすぐそういうふうになるっていうわけではなくて、だんだんだんだん一体化してくる、自分の体が拡張していく。拡張、もしくは変化していくっていうのがあって。その感覚が忘れられないから何度でも着ぐるみを着るみたいなところがあったりしますね。

 

伊藤 何分くらいでその、一体化が完了というか……

 

ばけも ああ、その辺は結構時と場合によって違うんですかね。よくいろいろな人から聞くのは、「お酒を飲んで着ると楽しい」っていうのがあって。みんなよく「楽しい」って言うんですけど、多分なんですけどお酒を飲んでいる状態で酔っ払った状態で着ると、すぐその一体感が来るかなあ、と思っています。

 

伊藤 そうなんだ。その一体化した状態とお酒を飲んだ状態というのは似ているんですか?お酒を飲んでいない時に一体化している時の高揚感とかって。

 

ばけも あ、でもなんか近いですね。

 

伊藤 そうなんだ。それは気持ちよさそうだなあ。でもさっきの、着ぐるみの手をつけて触ってすごく感じるっていうのは、感覚が鋭敏になっているっていうふうに思うんですけど、酔っ払っている時ってちょっと鈍感になっているというか、ぼうっとしているみたいな感覚もありますよね。

 

ばけも 簡単に言うと、もしかしたら情報が絞られるからこそ、一部の場所とかそういう特定の場所の感覚が研ぎ澄まされているのかなっていう考えも、しはするんですけど……

 

伊藤 そうか。でもどこも生身の世界とは接していない状態なわけですもんね、体の皮膚は。

 

ばけも そうですね。

 

伊藤 それってかなり特殊な状況ですよね。普段……

 

ばけも そうだと思います。

 

伊藤 苦しくはないんですか。

 

ばけも いや(笑)全く苦しくないかと言われるとそれは、苦しいですね(笑)。

 

伊藤 なんだろう、もう完全に自分の体がランピィになっているっていうことですよね。

 

ばけも そうですね。

 

伊藤 例えばなんだろう、ちょっと狭いところを通るときとかに頭とかぶつかるかな、みたいなこととかあったり?

 

ばけも ああ、そうですね。よく慣れていない人は耳をぶつけるんですけど、頭を天井とかに。ぼくは耳があるからって頭を下げたりとかは自然に(しますね)。

 

伊藤 もう自分の体のイメージが完全にそっちになっている。

 

ばけも なってますね。

 

伊藤 それがでも単なるイメージじゃなくて、情報の入り方レベルでそういうふうになっているってことですよね。

 

◎視覚なしで歩けるようになってきた

伊藤 さっきの耳から音が入ってくるのをここ(顔の横)じゃなくて上に感じるっていうのは、どういうことなんですかね。耳って前向いてましたっけ、さっきの。

 

ばけも (見せながら)こういうかたちですね。

 

伊藤 あ、ちょっと横って感じか。

 

ばけも そうですね。

 

伊藤 かなり大きいですよね。

 

ばけも 大きいですね(笑)。

 

伊藤 よく聞こえるっていう感じですか?

 

ばけも いや、よく聞こえるわけではないですね。ただ、音を聞く時になんかこの辺(頭の上の方)を使っているなっていう気がすごいするんですよね。抽象的に言うとなんか、むずむずするようなっていう感じですかね。結構目を瞑っちゃうことも多いんですよ、着ぐるみを着ているときに。

 

伊藤 なるほど。

 

ばけも どうせそんなに見えていないから、そんなにがんばって見てもしょうがないんですよね。例えば、ぼくはあまり経験がないんですけど、小さい子どもがわーってやってきて足元に来たと。普通の着ぐるみだと足元っていうのは見えないんですよ。完全にデッドスペースで、そんな中で子どもたちに、頭なでてあげてとか背中さすってあげてとかやるって、普通に見えていない状態でやらないといけないんですね。だからあまり視覚に頼らない、頼らなくなっていく。

 

伊藤 そうなんだ。

 

ばけも この辺は伊藤先生の本を読んで思っていたことなんですけど、視覚に障害がある方って、他の感覚でそれを補う、補うっていうか違う見方で世界を捉えることでそれをこなしていくっていうようなことをされていると思うんですけど、それと同じように、見えないとか感覚が鈍いとか、そういうようなことを補うような、また別の感覚でうまくやり取りするようになっていくのかなっていう。

 

伊藤 そうか。視界は、かなり狭いですね?

 

ばけも そうですね。

 

伊藤 足元は見えなくて?

 

ばけも 足元は見えないですね。

 

伊藤 首は動く?

 

ばけも 首はまあまあ動きますね。この辺も着ぐるみそのものによって大分違ってくるんですけど、ぼくの子は比較的視野が広いみたいです。けど、もっと狭い人いますし。わかりやすく言うとぼくはだいたい、ある程度離れたところであれば左右の視界がつながるんですが、真ん中は絶対に見えないというタイプの着ぐるみはいます。なので、「写真を撮るよー!」ってやることが多いんですけど、カメラが見えない位置を見るみたいな(笑)。

 

伊藤 ええー!

 

ばけも カメラは自分の体を把握することがすごく大事で、「撮るよ」って言われたときにどういうふうに見られているのかっていうのをちゃんと感じなきゃいけないじゃないですか。これは普通に人間のときもそうだと思うんですけど。着ぐるみの場合は視界がさらに悪いので、視界が悪い中で今どういうふうに写っているか、目線が上じゃないか下じゃないかとか、そういうようなことをちゃんと把握していないといけないですね。

 

伊藤 そうか、それはもうかなり弱視、視覚障害レベルですよね。

 

ばけも そう思いますね。弱視の方々をぼくはあまりそこまで知らないのですが、本当に見えにくい着ぐるみはそうだと思います。光もかなり暗くなっちゃうので、暗いところだと全然視界がなくて、本当に第六感みたいな感じで歩いているときはありますね。ぼくは近所に公園があったりして、たまに友達が来た時に、人がいないはずなので、人通りが少ないということで夜間に屋外撮影みたいな感じで、着ぐるみを着てふらふら歩いていくときがあるんですけど、照明のないところではまじで何も見えなくて。何も見えない中で進むのは結構慣れが、慣れがって言っちゃうあたりだいぶんもう歩ける。

 

伊藤 ですね。かなり進化してますね。

 

ばけも 慣れていない人だったら本当にもう歩けないと思います。真っ暗なので。見えないけど見えるんで、歩けるんですよ(笑)。

 

伊藤 へえ(笑)。じゃあさっきの、両足裏の感覚とかも結構重要なんですね。

 

ばけも それは、ぼくにとっては結構重要です。足がすごく感じるっていうのは大事で。

 

伊藤 なんか本当にもう、視覚障害者と話しているように思えてきました。

 

二人 (笑い)

 

伊藤 じゃあベースでやっぱり耳をすませているとか、触覚とか聴覚の情報を取ろうとしているっていうのはありますよね、視覚がない分。

 

ばけも そうですね、そう思います。

 

伊藤 そうか、そういうことなのか。

 

ばけも もともとやっぱり、着ぐるみを着ることが障害者の方々と近い感覚なのかなっていうのは、自分が着ぐるみを着る前からずっと考えていたことで。実際に自分で着るようになって「やっぱそうじゃん」って最近よく思っていて。

 

伊藤 おもしろいですね。ただ締め付けとか拘束からくる感覚の変化なのかなと思っていたけど、やっぱりバランスがすごく変わりますよね、自分に入ってくる情報の。視覚がばっと減りますもんね。

 

ばけも 変わりますね、はい。その中でパフォーマー、着ぐるみを着てパフォーマンスをするっていう方もいたりして、例えば着ぐるみを着てジャグリングをするとか、いるんですよね。

 

伊藤 見えないですよね。

 

ばけも はい。それで普通に、アクロバットをしていて。

 

◎ハグが挨拶

伊藤 そうか、その状態で、メールにも書かれていた、誰かに触られたりする、人間に触れるっていうときの感じが、例えばこう耳を触られると、耳なのに自分が触られているように感じる。

 

ばけも そうですね。

 

伊藤 不思議だなあ。フードとか触られても、服を触られたとしか思わないですもんね。

 

ばけも そうですね、そこらへんはやっぱり服なんだなあって感じがしますけど。やっぱり、ファーの表面を撫でられると気持ちいいって思う人も結構いますし。

 

伊藤 どういうふうに触られるのが一番気持ちいいですか。撫でる?

 

ばけも ああ、やっぱり撫でるのが、一般的には。

 

伊藤 どこですか?頭とか背中とか。

 

ばけも それは好みですね。お腹を撫でられるのが好きっていう人もいて、頭を撫でられるのが好きっていう人もいるし、あと犬とかそういう生き物たちが多いので、顎の下をこうやって(カリカリするように)撫でられるのが好きとか。それこそ犬になった気分になれるとか、そういうような側面もあったりしますね。

 

伊藤 なるほど。それはちょっとこの人に触られるのは嫌だなとか、この人だと嬉しいみたいなのはあるんですか。

 

ばけも ああ、それはかなり人に依存するとは思うんですけど、この人の撫では気持ちいいとか、そういうのはよく聞きますね。友達から「いや、〇〇くんの撫でがすごい気持ちよくて」「撫での天才だよ」とかいって騒いでいて、なんか「そうかあ」と思いながら聞いていたんです(笑)。

 

伊藤 ああ、あるんだあ。長めのストロークと短めのストロークとか、そういうのでも違うんですかね。

 

ばけも そうですね。なんか力の入り方と長め、短めだと。あとはちょっとファーを引っ掛ける感じで撫でるのが、とか。

 

伊藤 え、引っ掛ける?逆撫でするっていう感じですか?

 

ばけも えっと、単純にこう(手のひらで)撫でるのか、爪を立てるような感じでこうやって、とく?髪をすくような感じでこう撫でるのか、みたいな。

 

伊藤 へえ。そうなんだ。すごい。そもそも触っている方も気持ちいいわけですもんね。

 

ばけも そうですね。いわゆる着ぐるみを通した交流っていうのは、結構身体接触、ボディータッチが多くて、イベントとか大きいところのイベントでは普通に写真を撮らせてもらうとか、あと一番一般的なのはハグをさせてもらう、というような交流をさせてもらうことが多いんですけど、いわゆるオフ会、お家でオフ会するみたいな遊び方が一般的には多くて、そこでは結構、一緒に抱きしめながら寝るとか、そういう遊び方をすることが多いですね。ハグっていうのがすごく一般的というか、スタンダードな交流の方法で、「何をしていいかわからない、とりあえずハグをしよう」みたいな。ちょっとそういう文化のところではあります。

 

伊藤 ハグする前はなにか言うんですか?「ハグしていいですか」とか。

 

ばけも その辺は一応マナーとしては、「ハグしていいですか」って聞いてハグすることが、マナーです、とは言われています。

 

伊藤 向かい合ってですよね。後ろからとかもある?

 

ばけも まあ向かい合ってが普通ですね。ケモノ同士でもそうですし、人とケモノでこう(ハグする)。「『ハグさせてくださーい』って言えるようになりましょう」っていうのがよく初心者で(ある)(笑)。

 

伊藤 (笑い)でもすごく自然な衝動なんですね、ケモノ着てると。

 

ばけも ああ、そうですね。「とりあえずハグ」みたいなところがあって。

 

伊藤 すごいですね。人間は、特に日本人はないですもんね。

 

ばけも そうですね。本当に。あんまり聞かないですけど。ケモノの人は、ケモナーの人たちはハグが挨拶みたいなところ、普通にプライベートで友達と会う時ハグするようになっちゃったりとかして。なんか引っ張られてる部分が(ある)。

 

二人 (笑い)

 

伊藤 そっか。ばけもさんって結構背が高いのかな?

 

ばけも 178(センチ)あります。

 

伊藤 そうすると自分より小さい人が多い感じですかね。

 

ばけも 大きい人はぼくより大きいですね。着ぐるみを着るとさらに大きくなるので、ぼくは結構大きい方ではあります。

 

伊藤 そうかあ。そうするとあんこが入っているとか入っていないとか、ハグ感にも影響するんですよね。

 

ばけも そうですね。ぼくはそんなに抱き心地いいほうじゃない、かなと思いながらやってはいますね。人によっては本当に詰め放題みたいな、「何十個いれるの!」みたいな。

 

伊藤 肩とかですか?手とか?

 

ばけも 全身もこもこみたいな感じの。ぼくのランピィは結構人の形を留めている、いや言い方が違う、人間っぽいフォルムをしているんですけど、もっとマスコット体型みたいな感じにする人も多いので、お腹周りにいっぱい入れて、抱き心地をよくするみたいな人は結構いますね。そっちの方が、結構マスコット寄りでかわいらしいっていう印象は一応あるみたいで、一般的というか、日本だと流行っていますね。その辺ちょっと国外だとまた流行りがあったりするので。

 

伊藤 国ごとの違いもあるんですね。

 

ばけも そうですね、結構特殊な世界ではあるんですけど、ちょっとずつ日本(でも広がっている)。アメリカなんかだとそういう人たちの存在が一般的に知られていて、ちょっといろいろ揉めているんですけど……アメリカから問題が普及して、ヨーロッパを経由して日本にも発展しつつあるんですけど、日本でもちょっとずつ着ぐるみ趣味というものがメディアに露出するようになってはきていて、イベントがテレビ取材を受けてローカルテレビとかで放送されたという話はちょこちょこ聞きますね。この前もこのランピィの元デザインをしてくれた「竹藤狐」(https://takefuji-fox.jp/)っていうデザイナー、フリーランスのデザイナーがいて、今何県だっけ……四国の離島に住んでいるんですけど、そこの村おこし隊みたいなところで働いていて、自分の着ぐるみを着て船の出港式に参加した、みたいなのがNHKで流れた、と言って騒いでいましたね。

 

◎コミュニティの広がり

ばけも 着ぐるみを介して交流するようになって、またいろいろなものも見えてきたなあというところはありますね。着ぐるみは、本当に着てみて大きく印象が変わったところもあるし、着てみてさらに「あ、やってよかったな」って思うことが結構多いですね。で、ちょっとぼくがあまりよく知らないので話すのを避けていたんですけど、実はそのケモノ文化の中で、着ぐるみと、今もう一個ちょっと大きく立っている柱があって、これは最近の流行りなんですけど、VRチャットなんですよ。VRチャットで、ケモノキャラクターのアバターを使って交流するっていうムーヴメントが今ちょっと強くて。着ぐるみよりもっと手軽にケモノになれるみたいな感じでできるっていうので、そっちも今結構盛り上がっていますね。

 

伊藤 そのファン層って重なり得るんですか?ケモノの人とVRの人と。

 

ばけも そうですね、やっぱり「ケモノになりたい」とか「ケモノと交流したい」っていう人が多いので、オフラインで会えるんだったら着ぐるみさんと交流ができればいい、オンライン上でVRでもまた自分がケモノキャラクターになれる、ケモノキャラクターと交流ができる、という意味で結構かぶっていますね。結構なんでもやれる人は自分でなんでもやっちゃうので、絵を描いて、着ぐるみを作って、今度はVRチャットのアバターを自分で作って、ってやっている人が結構いますね。

 

伊藤 だいぶん身体感覚的にはまた違うでしょうね。

 

ばけも そう思うんですよね。ぼくは結構、着ぐるみが持っている熱が大事だと思っていますね。着ぐるみって着ている側も温かいし、触る側も温かいって感じるんですよ。単純に暑いだけなんですけど(笑)。でも温かさに生命を感じるなって思っていて、結構これも聞いたりするんですけど、着ぐるみが暑くて苦しくて、ハアハアしている息づかいが、生命を感じるっていうタイプの人がいる。こういうのがVRにはないからなって思って、ぼくは着ぐるみの方がいいってずっとちょっと思っているんですけど。

 

伊藤 ないない。そうか、ハグするとハアハア聞こえたりとかってするんですか?

 

ばけも ハアハア聞こえたりすることもあるし、胸が上下する感じとかも伝わったりしますね。その息づかいとかはVRとかではまかなえないかなと思いつつも、VRも大事なケモノ表現として結構大きいのかなとは。というかスタンダードになっていくのかなと言う感じはしています。特に今年はオフラインでのイベントがちょっと、ケモノの世界でも軒並み中止になってしまって。結構オンライン上でどうやって交流しようかってなってVRに行った人が多いみたいですね。

 

伊藤 なんかその中間で、結構写真を撮っていらっしゃいますよね。ケモノを着ていろいろなところに行って、設定みたいなものがはっきりあるような写真を撮ったりとか。写真は、自分がケモノを着て写真を撮ったものを見ると、どういう感情になるのかなっていうのは。

 

ばけも ああ、それなんですが、これはわりかし最近なんですけど、最近、今までぼくの個人的な感覚なんですけど、初めの頃ランピィが写っている写真にすごく不思議な感覚があって、なんだろうと思っていたんですけど、最近になって自分の(写真)を見ているのって、鏡を見ているのと同じ感覚で見られるようになっていて。なんというか、何の不自然もなく、「ぼくが動いているだけじゃん」みたいな。そういう感覚でぼくは今見られるようになっています。ただ結構この辺はさっきの、ファーソナ的な考え方によって違って、「そのキャラクターのかわいいところを撮りたい」ってやって「ほらかわいい」って言っているような人たちもいっぱいいます。

 

伊藤 ランピィも首をちょっとこうやって、かしげるみたいなポーズとかってありますよね。かわいいですよね、これ。

 

ばけも かわいいって言ってもらうと、ランピィをほめられているっていうこともあるんですけど、ぼく自身がほめられている感覚になって、ちょっとぼくが照れます。

 

二人 (笑い)

 

伊藤 そういうのはでも自然に出てくるんですよね。なりきっている状態、演じているとかではなくて。

 

ばけも ぼくの場合はそうですね。逆に完全に100%演じているっていう人はいます。だからすごく自然にかわいいポーズとかが出てきて、絶対に普段だったらやらないみたいな。ぼくの場合はちょっと変わっている人間なんで、変なポーズもいつでも、普段の人間のときもやっているので(笑)。あんまり関係なかったですけど。

 

伊藤 「着ている」っていう感じはないですよね。

 

ばけも ないですね、ないです。あまり変わらないです。ここまで極端にキャラと一体化している人は、そこまで多くはないかな。アメリカのだとファーソナとしてのキャラクターっていう文化がすごく一般的なんですけど、ファーソナっていう文化が日本だとそこまでメジャーじゃないんですよね。あくまで着ぐるみっていうのはマスコットキャラクター、みたいな。この辺は、着ぐるみが普及した時に出てきた着ぐるみの工房さんっていうのが、どちらかというとマスコットキャラクター寄りの、かわいいキャラクター、自分と同じというよりは、自分がなりたいとか自分が見たいと言えるようなかわいい系のキャラクターたちを作る工房さんが強かった時代が結構長くて、そういうのもあって、着ぐるみっていうのは理想を具現化してくれるものであって、自分が成り代わるものではないというパターンがありますね。

 

伊藤 なんかちょっと残酷な質問ですけど、ファーソナとしてずっと付き合ってきたものと別れる、別れが来るという可能性はありうるんですか。

 

ばけも うーんと、それは、ありうる、と思います。これはさっきちょっと話題に出た、すごい長い時間着ている友達の話なんですが、実はそいつは自分でファーソナを製作して、着ぐるみ化して、その着ぐるみを着ているんですけど、作ってもう4年だか5年経つんですね。作った当時はもうちょい若かった。今ちょっと歳を取ってきて、なんかだんだん幼すぎるな、このファーソナが、幼すぎて自分とうまく合わない部分が出てきちゃっている、それで作り直そうと思っているんです。でも、作り直すんだったらまったく同じにはならなくて、ちょっと変わったようにしたいんだけど、まだデザインがまとまらないみたいな、それで悩んでいるんですよね。こういうふうにやっぱり人間成長する、歳を取ると、ちょっとずつ変わっていくので、それに合わせてペルソナもそうですし、ファーソナももちろんちょっとずつ変わっていくということはあるのかなと思います。

 

伊藤 なるほど。さらには別のファーソナにならなくても同じファーソナを着ぐるみ化したときに、ちょっと、少年が青年になるみたいなこともありそうですね。

 

ばけも そうですね、そうです。ぼくの場合はランピィって、デザインのランピィと着ぐるみ化したときのランピィってだいぶんデザインが違うので、そもそもぼくはファーソナのランピィ、「ランピィ」って呼ばれてるファーソナが2種類あるんです、すでに。なので、そういうことはいくらでもあると思いますし。

 

伊藤 なんか逆に「自分を変えるためにこのファーソナにしよう」とかもありそうですよね。

 

ばけも あると思います。それって普通にペルソナの考え方と同じで、自分から無理矢理作り出すっていうことも可能だと思うので、ある意味では自分の理想としている姿というものとしてファーソナを創造することもあると思います。

 

伊藤 なるほど。それと、この本の中で、今度イベントの企画で実際にシマギツネのところにいくっていうのがあるみたいですね。

 

ばけも 行きたいですね!

 

伊藤 で、着て出会うわけですよね。

 

ばけも 出会えたらいいなあとは思うんですけど。簡単ではなさそうです。

 

伊藤 (本を見ながら)すごいなあ……。やっぱり男性が多いですか?

 

ばけも 多いです。独特な文化も多くて、そういった意味では「あまり表に出しちゃいけないんじゃないの」っていう人も結構いて。「着ぐるみをもうちょい一般的なものにしたい」っていう人たちと「これはサブカルチャーの世界だから」っていって、もっとアングラに留めさせておきたいっていう人たちとで結構、たまに衝突が起きています。

 

伊藤 そうですよね、なんか変にオープンにしたらいろいろ壊されちゃうものがあったりとか。

 

ばけも そうなんですよね。結構、うーん。いろいろあります、色恋沙汰もいっぱいありますし。

 

伊藤 そうですね。でバブルになっていくと、いろいろ裾野が広がっていくんでしょうしね。

 

ばけも そうですね。今、今年本当にちょっとバブルだった時代で、去年1年間ほとんど動けない、イベントができないっていう状態があったから、ちょっとどうなるかわからないんですけど、再開できるようになってからまた一気にガーって広がっていくんじゃないかなあ、と思っています。

 (2021/2/28Zoomにて)