成澤俊輔さんは、50社以上の会社のコンサルティングを手がける視覚障害の当事者。「見えないからこそ捉え直しができる」という姿勢は、まるで美術鑑賞のソーシャル・ビューをビジネスに応用したかのようです。もともと福祉系の大学に通ったけど「生きて行くのは大変だぜっていうのを学問的に勉強するだけ」で、結局成澤さんの障害に価値を与えてくれたのは経営者たちだった。経営者たちの「なんでこんなことになってしまったんだろう」という答えのない苦しみが、成澤さんのトラブルやハプニングだらけの人生に重なったのだと言います。異端児の伴走をしたいという、まさに異端児の視覚障害者です。
成澤俊輔さんプロフィール
1985年、佐賀県生まれ。徐々に視力を失う難病・網膜色素変性症を持つ。視覚障害による孤独感や挫折感から大学在学中に2年間引きこもるが、克服して経営コンサルティング会社でのインターン経験などを重ね、2009年に独立。
2011年12月、就労困難者の就労支援と雇用創造をするNPO法人FDA(Future Dream Achievement)事務局長に就任。就労困難者の「強み」に焦点をあてた、相互に働きやすい環境づくりに取り組む。
「世界一明るい視覚障がい者」をキャッチフレーズに、障がい者雇用分野の当事者・福祉の専門家・経営者という3つの立場を生かし、日夜奔走している。
2016年8月より同法人の理事長に就任。2020年4月に事業承継をし、現在は株式会社YOUTURNの取締役、株式会社サイレントボイスの社外取締役を務める。
◎強みは「降ってくる」こと
成澤 ぼくは伊藤さんのことをいろいろ知っているんですけど、僕のことを知っていただくためにちょっと自己紹介をさせてもらっていいですか。えっと僕は今36歳で、TEDでスピーチをさせてもらってるんですけど、結構人生でいろんな事があって。父親が医者だったり、お姉ちゃんが3歳で癌で死んだり、3才の時に家族みんなで花火をしてて「花火が消えたらバケツの中に入れてね」って言われて花火が消えた瞬間バケツの場所が分からなくなって、網膜変性症がわかったり。3歳で網膜色素変性症がわかるってそうとうのレアケースだと思うんですけどね。で、幼稚園は父親の仕事の関係で家族みんなでアメリカで過ごして、たぶんちょっと日本人離れした考え方をしているのもそのおかげかなと思っています。それで小中高と日本の普通の学校に行って、まあその頃サングラスをかけたりしてたのでいっぱいいじめられました。
生まれが九州の佐賀県だったんですが、ちょっと親元離れてもっと情報やチャンスがあるところに行きたいと思って、大学から東京の方に出てきました。自分の病気をうまく整理したいなと思って、ソーシャルワークの勉強をするために、埼玉県の越谷にある埼玉県立大学というところに障害持つ学生の1例目として入学したんです。でも、福祉の勉強をしたら、もっともっとどんよりなってきたんですよね(笑)。わかりやすい言葉で言うと、なんで健常者の人から俺は福祉の勉強してるのかな、と。みんなのんべんだらりと授業受けてるんですけど、結構傷ついていくというか、生きて行くのは大変だぜっていうのを学問的に勉強するだけだった。歴史的に見ても大変だし制度見ても大変そうだ、おれにはこの業界生きづらいなぁと思って。
で、たまたまその頃、15年位前はベンチャーブームだったので、ベンチャーの経営のコンサルティングファームにインターンシップで拾ってもらった。それで人生が開花したんです。入社倍率4000倍ぐらいの会社だったんですけれども、2つ大きい出来事があって。一つが、僕に目標とか予算とかノルマがついたんです。それが最高に楽しかったんですよ。今まで自分のために勉強してたんですが、自分の為にやる行動ってそんなにエンパワーされない。でもその目標・予算・ノルマって、向こう側にはお客さんとか部下とか同僚がいるわけじゃないですか。やっぱり人は自分のためより誰かのための方が頑張れる、この「誰か」っていうのがクリアに見えた方が頑張れるってなって。
もう一つは、いろんな経営者たちに会うなかで、彼らが、目が見えなくて仕事したことがない僕にすごく共感してくれたんですよね。なぜかというと、経営者の悩みはMBA的にいうところのヒト・モノ・金では無いんですよね。経営者って答えのない苦しみがあって、「なんで?」っていう3文字がふと浮かぶんです。「なんでのあのとき辞めたんだろう」とか「なんでこんなときにコロナが起きるんだろう」とか。僕の悩みも、今は光覚だけですけど当時はちょっとだけ字が見えたんですが、「移動が大変」だとか「字が書けない」っていうようなことは枝葉の悩みで、本当の悩みはやっぱり答えのない苦しみがあることだったんですね。「なんで」って思いながらも経営の仕事をしたりしていて、その前に進んでいる僕の姿が、彼らの答えのない苦しみに向き合う人生と重なって。僕のトラブルやハプニングが多い人生に、初めてそこに価値づけをしてくれたのは彼らだった。「ああ、俺はこいつらのために生きよう」と思ったんです。答えの無い苦しみや自分のトラブル・ハプニングも、それが誰かの役に立った瞬間にいい経験だって浄化することができる。
でもベンチャー企業がリーマンショックで解散したり、そのあと僕が独立したらパートナーにお金を持ち逃げされたり、 8年前に髄膜炎で死にかけたり、去年8年半経営した会社の事業承継したり、いっぱい「降ってくる」んですよね。これが僕の圧倒的な強みで、どうにもならないことに慣れているんです。今、イノベーション、つまり何かをやめることと誰もやったことのないことをやってみることが求められる世の中で、子育てだって経営だってみんな苦労してやっているので 、どうにかならないことに慣れている僕ができることっていっぱいあるんです。
◎自分の中に非連続をつくる
僕、どんどん生きやすくなってきてるんですよ。まず人々がインスタ映えに疲れていて、facebookの「いいね!」に疲れていて、みんながマスクしてることにも疲れている。要は見えるものに振り回されて、と同時にコロナという見えないものにどうやって対処したらいいかなと悩んでいる。でも僕は見えないことを33年もやっているので、見えないことをどう捉え直したらいいかっていうのは分かるんです。
この前、アフリカのケニアに1人で10日くらい行ってきたんです。なんかね、アフリカに 行きたくなったんですよね。ぼくは仕事を愛しているので、世界中に仕事があれば戦争がなくなるとすら思ってるんですけど、僕は英語が喋れないし目も見えないけど、でも誰かのために行こうと思って1人でアフリカに行ったんです。たぶん、自分のためだったら安全安心にガイドとかを使いながら行くと思うんですよ。でも、目が見えないけど、英語もしゃべれないけど、ひとりでノリでアフリカ行けたよ!って言ったほうが企業家も海外に行きやすくなると思って。アフリカに行く時にみんなに言われたんです。「成澤くん、アフリカって手でご飯食べるよ。日本の人って衛生的だからそれに悩む人多いよ」って。でも俺は手で食べるのが一番得意なんだよ(笑)。俺は日本よりアフリカのほうが生きやすいんじゃないかなって思って、生きづらさや働きづらさってなんだろうなみたいなことを考えました。
ご飯を食べるのに、やっぱりキレイに食べるのは難しいですよね。僕は色も輪郭も分からないんで。だけどあると気づいたんですよね。綺麗に食べることは俺のマナーじゃないなって。むしろ美味しそうに飯を食うのが俺のマナーですって。おいしそうに食べたら、こぼしても「母性本能くすぐられましたか?」ぐらいのこと言えると思いますし(笑)、しょうがねえかってなると思います。僕には専属の秘書がいますけど、僕がね、ガイドヘルパーを教育するとしたら、自分の料理が何かっていうことより、目の前の人が食べている料理をガイドして欲しいですね。僕の前の12時の方向にお茶があって、3時の方向にカツ丼があって、みたいなことは、お盆の中だったら手で触ったら当たりつくじゃないですか。それって「食事」っていうレベルのことだと思うんですが、僕が興味があるのは、「食卓」的な話だと思う。目の前にいる人がカレーを食べていたら、「それを僕も一口もらいたい」みたいなことが食卓であって、 作業的に安心安全な食事を食べることじゃないんですよ。
この障害のおかげで、捉え直しをするのが少し得意なんですよね。たとえば大学時代よく恋人とカラオケに行ってたんですけど、だんだんカラオケの字が見えなくなる。僕は、できないことが1つあると、いつもできることが1個増えるんです。カラオケが歌えなくなるって現象がおきると、俺の分まで歌っていいよっていう話になるんで、恋人の歌を2倍楽しめるっていうできることでもある。これはカラオケを楽しむということを僕なりに再定義しているんです。目が見えないことで、楽しめる力というか、捉え直しみたいな事を、すごく教わったなと思っています。
そんなこともあって今だいたい55社ぐらいの会社のコンサルティングをしてます。仕事をするうえで、三つのことを決めています。ひとつめは、初体験の仕事以外やらない。人工衛星を使った農業の会社とか、水槽を作ってる会社とか、ふんどし屋さんとか、蝋燭屋さんとか、ブルーチーズ屋さんとか、納豆屋さんとか、保険会社さんとかとお仕事をしていますが、初体験の仕事のときが、もっとも大胆なことを言いやすいんですよね。初体験のときってもっとも勉強するんです。ぼくは自分の中にルーティーンが生まれたら終わると思っています。多分視覚障害を持つ人は、世の中でもルーティンを好む人が多いところだと思うんですよね。でもそれが一番危ういなあと僕は思っていて。組織の多様性じゃなくて自分の中の多様性みたいのが最も求められる時代に、もっとも自分がフレッシュな状態にいるためは、自分のなかに非連続や断絶を作る必要があって、だから初体験のことだけをやります、と、みなさんにはお伝えしています。適当なことを言うことと、すごく一生懸命勉強すること、この2つやっておけばきっと何とかなるんじゃないかと。
2つ目は、結果を出すことをコミットしない、と決めてるんです。結果にコミットしたらアクションの量が減る。球を見て、あっ今の振らない方が良かった方がよかったって考えてると足がすくんじゃう。だから結果にコミットしないというより、その結果というものを再定義します、くらいのことをお客様には強烈に言っています。
3つ目は、継続性にコミットしない、ということです。これを一年続けようと思うと、一年続かなかったときにどうしよう、やっぱやめようってなる。とりあえず1回やってみよう、みたいなことが、結構僕は大事かなと思っています。
初体験のことしかしない、結果にコミットしない、継続性も担保しない、というのでよくまあこんなに世界中から仕事が来るなと思ってるんですけど(笑)。今、クリエイティブな仕事も多いんですよね。たとえば漫画関連の仕事だと、ぼくは漫画を読んだことがないから、適当なことが言いやすいんですよね。アート作品もさっぱり分からないから、捉え直しがしやすい。
結局僕は経営者の通訳と編集の仕事しているんですよね。通訳というのは組織を作る仕事で、編集の事業を作る仕事で。異端児の伴走をしたいんですよね。僕には言葉しかないんです。言葉を紡ぎたいという思いが強くある。ある意味では物事を目で見てないから先入観がほとんどなかったりするんで、人に乗り移るのは得意なんですよ。境界って概念があまりないので、誰かの言葉を聞きながらその中に入っていって、言葉をつけてあげるという、コンサルティングとメンタリングとコーチングとカウンセリングとファシリテーションの間みたいな仕事をしていると思ってます。
◎勝手に気づいてよ、好きにするから
伊藤 ありがとうございます。めちゃくちゃ面白かったです。ソーシャル・ビューと私が呼んでいる美術鑑賞のやり方があって、目の見えない人が、触覚ではなく対話を通して、目が見える人といっしょに作品を鑑賞するんです。ソーシャル・ビューをやっていると、目が見える人が見た目にとらわれているときに、目が見えない人が見えていないからこそ本質的な質問を投げたり、見える人がうまく作品を説明できなくて言葉を失ったりするという面白さがあります。そういうソーシャル・ビューの構図を、成澤さんはコンサルティングの世界でやっているんだなと思いました。
お話の中身について質問する前に、成澤さんの表情がとても豊かで、体がよく動くことが印象的でした。
成澤 表情が豊かだとはすごくよく言われます。1番よく言われる褒め言葉が、「目が見えているように見える」です。もちろん目線も合わせますし、見えてるように見えることで、人と対話が進みやすいということを考えます。伝えることじゃなくて、伝わることが大事だなぁ、と。
伊藤 それは、意識して表情を作ったり体を動かしたりしているんですか?
成澤 全く考えてないですね。僕いま36歳ですけど、小学校の時は1m離れるとサッカーボール1個分見える範囲があったんです。それが中学高校でソフトボールくらいになって、大学の時に500円玉になって、22―3歳ぐらいの時に色も文字も輪郭もなくなった。表情や体の動きは自分では見えないけど考えずにやっていますね。
伊藤 声もいいですよね。
成澤 ラジオとかやりたいなーと思ったりしています。年間120回ぐらい講演をやるのですが、「フェイスシールドすると声に体重が乗らない」とか、声には気を使っていて、とても興味がありますね。
伊藤 スポーツをやってらっしゃるんですか?
成澤 いやあ、スポーツやってたらこんな体型にならないんですけど(笑)、いまパーソナルジムに9ヶ月くらい通っていて、それが楽しくてたまらないんです。はまってるのは、バランスボールと逆立ちです。やったことがないことをやるのがすごく好きなんですよね。あと去年3月に仲間と沖縄に旅行行ったんですけど 、15年ぶりぐらいで自転車に乗ったら普通に乗れたんですよ。ブラインドサッカーのコーラーのような感じで、前後の人にしゃべってもらって、沖縄の広い道を走りました。どう見られてるかっていうのはたぶんかなり意識をしてるのかなって気がしますね。
伊藤 さっき、「答えのない苦しみ」のお話がありました。そのことに対する成澤さん自身の具体的な感情やアプローチ、考え方の変化について教えてください。
成澤 いくつかあるかなあと思うんですけど、1つは8年前に髄膜炎で死にかけたことです。3日間意識不明の重体になっていたんですが、それまで、ぼくは網膜色素変性症で、40から60歳ぐらいで失明するということを恐れていました。まあもうほとんど見えていないんですけど、そのちょこっとの情報量を失うことにビビっていた。そうしたら神様が僕にいつ死ぬか分からない病気を授けてくれたんですよね。10年後の見えなくなる不安より、今日できることをやろう、まあ今日を楽しもう、みたいな概念が強くなったなという感覚があります。
もうひとつは3.11ですね。3.11の時に、自分の将来が見えたんですよね。その頃には光だけが見えていたんで、夜でもガソリンスタンドとかコンビニとか自動販売機とか、光が灯ってところは分かった。それが3.11で全部光がなくなったんですよね。あっ俺の将来こんな感じなのか、と思いました。
僕はどんどん見えなくなっていってるんですけど、明らかにどんどんエネルギーが湧いてきている。自由度が増しているという感じがしますね。
伊藤 成澤さんの社会の状況とご自身の状況をリンクさせて再定義する力には圧倒されます。一方で、客観的にみればハードな体験をたくさんされていますよね。精神的にすごく落ちてしまうことはないんですか?
成澤 えっと過去で言うと大学3年4年の時に引きこもってたんですよ。学校に行けなくなっちゃった。自分の支えだった勉強が自分ひとりでできなくなって、そこで価値を出せなくなったんで、その時はすごい悩みました。2年間は学校に行ったふりですね。
落ちない秘訣みたいなものがいくつかあるとしたら、仕事を楽しもうという概念が無いんですよね。仕事を楽しもうと思うとうんなんか偉そうな人間になっちゃうなとか思ってるんです。淡々と楽しそうに仕事をするけれども、楽しめるかどうかという概念を持たないことによって、いい意味でoperativeに目の前のことを粛々とやれるみたいなところは強くあるなあと思っています。
あとは、目が見えないのは大きいかなと思っています。人は目から入ってくる他人との比較情報で不安とか緊張とかにとらわれて悩むと思うんですよね。「あの人より太っている」「年賀状の手書きの字大丈夫かな」「パワーポイントのデザインどうかな」「講演会誰も入ってないな」みたいな。やっぱこれがないのは圧倒的にwell-beingが高いですね。他人との比較はほとんど目からの情報ですよ。これがないのはすごくヘルシーですね。
伊藤 なるほど、すごいですね。「仕事に楽しいという概念を持ち込まない」ということに関連して、成澤さんはコンサルティングの仕事を「伴走する」と表現されていますよね。これはどういうことですか。
成澤 まず僕はお客さんにはコンサルっていう言葉は使わないですね。なんか偉そうじゃないですか(笑)答えを出さなきゃいけない感じもある。そんな責任は負いたくなくて、「勝手に気づいてよ、好きにするから」という感じでやってます。でもたぶん1人で走るよりも僕との方が遠くに行けるだろうし、1人でとれないような情報もあるだろうし、一緒に見ていくと違う感覚を得ることもあるはず。今までのリサーチ型のコンサルってどんどん意味なくなって来ると思います。人に残されたことって、余計なこととおせっかいだと思います。ネットで検索に入れても出てこないことや、AIに言われてもうまく納得いかないようなことが、これからのコンサルタントの仕事だなって僕は強く思っています。
2021/1/25オンラインにて