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セラフとラジオとおしゃべりと2

長年の相棒だった盲導犬のセラフと2020年の10月にお別れした西島玲那さん。側からみても分かるくらい玲那さんとセラフの関係は濃密で、玲那さんにとってセラフとの別れはまさに体の一部を失うような経験だったといいます。セラフとすごした時間を整理すること。お別れしてからの身体感覚の変化を観察すること。この大切な作業に並走させていただいています。最初はPodcastの聞き手という形だったのですが、どうしても聞くだけでは体に入りきらない感じが。。。そこでやはり文字起こしをし始めました。以下はPodcast2回目の内容です。Podcastには玲那さんのプロより上手い歌声も入っているので、そちらもぜひ。


西島玲那さん:1985年生まれ。15歳で網膜色素変成症を発症。19歳で失明。

◎びっくり痛

西島 夫と『スペック』っていう超能力が出てくる昔のドラマを見ながら話してたんですけど、最近セラフがいなくなっちゃったので、ひとりで外歩く練習をしてると、音が痛い時があるんです。

 

伊藤 音が痛い?

 

西島 そう。私は普段、頭の中で映像を作って、もともとあった視力よりも見える世界、見えていたころよりも視野が広い世界を見ているんですけど、例えば、その場所に人が4人いるなと思って、頭の中に4人置いていたとするじゃないですか。ところが実際の世界は5人だったりしたときに、その5人目がジャンバーが「シャッ」ってずれる音だったり、なんかむしゃむしゃ食べてる音だったり、何でもいいですけど、そういうちょっとした刺激でパッと現れたりする。それだけで、なんか、そう、その人が現れた人が右側にいたとしたら右の肩のあたりとか「いったー」ってなるんですよ。

 

伊藤 それは玲那さんの右肩が痛いということ?つまり、その5人目に近いところが痛いのかな?

 

西島 そうです。杖で歩いていても、杖の先が何かに当たったときに、「ズキっ」「イタっ」「ピシっ」ってなるんです(笑)。もちろん毎回じゃなくて、自分が思っていた想定より大分ずれてる時だけですけど。

 

伊藤 その痛みは強さで言うとどのくらいなのかな?あと、どのどういうタイプの痛みなのかな?

 

西島 ええとですね、結構鋭くて、しかも冷たいが併用されてるんです。金属の棒をピッピッて当てられているような。でも外側から当てられているんじゃなく、自分の身体の中から、内側から自分の皮膚に向かって当てられている感じですね。

 

伊藤 なるほど。その金属の棒の先は尖ってるのかな?

 

西島 かなりビックリした時は、尖ったものという感じがします。でも、「点」で痛いんじゃなくて「線」で痛いんですよ。「シャっ」ってなる。一箇所「ウっ」と痛いというよりは、例えば肩から前腕にかけて「ピッ」っと痛いという感じなんです。

 

伊藤 それは「電気が走る」みたいなのとも違うのかな?

 

西島 マイクの「バリバリ」というノイズのような、電気が走る音がしたときは、電気が「ビリっ」と走る感じになります。でもそれ以外はそうでもないです。自分の思っていた映像の中にズレが出てきたときに、そのズレがかなり大きいと「うっ」ってくるんです。

 

伊藤 なるほど。そこには何か感情が伴うんですかね。「怖い」とか「やばい」とか「げっ」とか。

 

西島 あーでもそれあると思います。だから結構みんな痛いのかなとおもっていました。たとえばホラー映画を見ていて、後ろから何かが近づいてくるような音響効果ってあるじゃないですか。ああいうドキドキする音も、ちょっと「いたいっ」てなる。

 

伊藤 でもなんとなく、玲那さんは危機感と同時に冷静な感じもする。もしホラー映画を見ていて本当に背後から何かが近づいてきたら、恐怖を感じて「逃げよう」みたいな行動に出ようとすると思うんだよね。でも玲那さんが5人目に気づいて痛いときっていうのは、「発見」をしているわけだよね。それは幽霊とかではなく人間であるわけだから、ビックリするけどでも、恐怖とかともちょっと違うのかなと思いました。

 

西島 そうですね。でも恐怖はじわじわやってきてますね。「痛い」と「冷たい」が最初に来て、だんだん心拍数があがってきて「ドキドキ…」というのが後から追っかけてくる。これって結構個人差があるのかなと思うんですけど、怖いっていう感情って、安心してから怖いと思うのもあるんじゃないかと思うんですよね。最初に「怖い」っていうのが来るのもあるんですが、私の場合には状況が分かってからだんだん「怖い」ってなる。

 

伊藤 なるほど。それは階段を降りていて、自分の思っていた段数と違ったときに、最後踏み外しそうになるときの怖さとちょっと似てるのかな。

 

西島 あのときは、「痛い」「冷たい」が先で、あとから怖いがくる感じですね。

 

伊藤 その怖さは「本当にころんでいたらやばかった」みたいな怖さかな?

 

西島 えっとね、その時の痛さって、落ちたとき運にぶつけただろうなって言うところ、おしりとかが痛いですね。そのとき地面に触れている踵とかではないです。踏み外しそうになって、「ほーっ」てなる。亜紗先生はどうですか?

 

伊藤 その階段「踏み外しそうになってほーっ」っていうのは私もあります。でもそのときは怖いもあるけど安心もちょっと混ざってる感じかな。結局ころばなかったわけだから。でもさっき言ってたような「内側からの感覚」っていうのはないかな。

 

西島 うーん、踏み外しそうになったときは、むしろ転んだら痛いだろうところが痛いんですよね。でもドアをノックする音がしたりすると、自分の内側から自分の骨に向かって「コンコン」ってノックされているような皮膚感覚が一緒にあって。

 

伊藤 それは、玲那さんが常に映像を作って、VRを見ていることと関係しているのかな?現実で起こっていることがVRを書き換えるわけですよね。その書き換えたときの刺激が体の中から痛みを感じる、ということになっているのかな。

 

西島 どうなんだろう…やっぱり音とか匂いとかのさわれない刺激が入ると、映像が書き換わる、いや「書き変わる」っていうか映像が「修正していく」んですけど、体の内側から外側に向かって圧を加えられたり刺激があったりする感じも同時に起きる。ほかの人も、見たものとか聞いたものとか嗅いだものとかを、皮膚感覚的に感じるというのがあるのかと思ってたんですよね、夫とおとといしゃべるまでは。

 

伊藤 いや、ないなあ私は(笑)。想像と違うことがおこると鳥肌がたったりするけど、痛くはないなあ…

 

西島 「冷たい」は?

 

伊藤 「冷たい」はちょっとわかるかなあ。冷や汗をかいたり、血の気が引くみたいなのはある。でもそれは、「棒が内側から体にさわる」みたいな特定の場所に感じる冷たさではなくて、全身の冷たさかなあ。

 

西島 そうなんだ…初めて知った(笑)  

 

伊藤 それは小さいころからそうだったのかな。

 

西島 そうですね、だいぶ昔から、小さいときからそうですね。

 

伊藤 見えないこととは関係ないのかな?

 

西島 そうですねえ、見えなくなってからよりびっくりするから痛みが強くなりました。

 

伊藤 それは1日に結構な頻度になりますよね?大変じゃない?

 

西島 まあ、あんまりそれで怪我するわけでもないので、「いった〜」と思うくらいですね。ただ、改造された車の音とか、黒板をひっかく音とか、誰でも嫌がるような音は、痛いからかなりダメで避けていました。

 

◎白杖で外を歩くとき、体にチューニングかけてる

伊藤 なるほど。セラフがいなくなって、ひとりで外を歩くようになって、痛みを感じる機会が増えたということなのかな?

 

西島 そうですね、その痛みの強さが、今はセラフがいたときの比じゃなくて。久々に歩き始めた最初は「いたっ」「いたっ」「いったー」という感じで、「そうだった、セラフがくる前はこんなだった」って思いました。セラフがいるとあんまり想定外っていうのを、感じていなかったんですよね。3mくらい先までに不安をあまり感じてなかった。だからセラフを初めて入院させた時も3メーター先が見えないっていう感じ、足元までギリギリまで寄ってきてやっと見えるという感じでした。セラフがいたときも、想定してたものとズレてることはあったんですけど、なんかね、見えてる感じになってたんです。

 

伊藤 なるほど。じゃあ今は歩くときに、注意力のレベルをかなり上げて歩いているっていうことだね。

 

西島 そうですね。すごくいろいろな感覚がごちゃごちゃになっていて、ひとつひとつ頭で整理しながら歩いている自覚があります。セラフと歩いている時って自動操縦してる隙が結構あったなーって今となって思うんです。でも今は、「太陽の位置こっち、オッケー」「日を遮ったから通過した」みたいなことを皮膚感覚的に認識してますっていうホストコンピューターの私と(笑)、各部署が「OKです」「OKです」っていうのがある。その皮膚感覚だけをとっても、温度を感知するのに「額OK、首OK、ちょっと待ってください手が冷えてます」みたいなのがあるんですよね(笑)。そのときにびっくりして痛くて冷や汗かいたりすると「メンテナンス入ります」みたいなのがちょっと必要で、手をひらひらさせて乾燥させて。空気の触感がずれないようにしたり。 杖の持ち方も、「今日はえんぴつ持ちがいいな」とか、体にいろんな感覚にチューニングかけてる。耳も、自分かを情報をキャッチしに行くために何の音を発するかみたいなことを考えていて、そういうことを考えているのが自分のキャパシティを超えるとつらくなってくるんで、その手の汗を飛ばすみたいなことをしてる。自分の状況をね、整えないと、ほんと歩けない。

 

伊藤 なるほど。外側の情報に注意を払うだけじゃなくて、基準となる自分の体の状態にも注意を払ってチューニングしておかなくちゃいけないわけだね。

 そもそも玲那さんが街を歩く時の感覚についてあまり聞いたことがなかったことに今気づいたけれど、音の情報はけっこう使ってるのかな?

 

西島 うーん、あんまりこっち側からたくさん音を出すっていうのはやらないですね。「確認しておきましょ」だったり「ここでずれてるとなるとまずい」だったり、保険じゃないですけど事前に手で打っておく感じで使うことがメインです。人の目が怖くて、白状もあまりカンカン音を立てたりしないです。音は、やっぱり向こう側から発されるものを聞いてるという感じです。

 

伊藤 なるほど。今住んでいるおうちは線路にかなり近かったよね?線路の音は方角を理解するのに使ったりするのかな?

 

西島 そうですね…たぶん音が自分の見てるい映像と一番接続しやすいんで、自分が歩くために音を聞くって言うよりは、自分の見ている映像を豊かにするために聞いている気がします。ほかの感覚の方が自分から取りに行ってる、「感覚使うぞ」って思って使っているフシがある。耳はやっぱり意識してっていうよりは、入ってきたものを可視化するということが自動的に行われている感じがしますね。

 

伊藤 ということは、自動で入ってくる感覚と、確認用に能動で取りに行ってる感覚がある、ということですね。触覚に関してはどんな感じですか?

 

西島 触覚に関してはもうほとんど能動的ですね。自分から取りに行くぞって思って取ってないと落としてしまう。無意識に入ってくる触覚って、例えば強風とか雨とかで、そこまで行っちゃうと、今度は邪魔で。耳はさえぎられるし、触覚よりもやっぱりノイズが気になっちゃって。もともと触覚を使うのはあまり好きじゃないんですよね。

 

伊藤 となると、結構キャパシティいっぱいいっぱいの状態で歩いているという感じですか?

 

西島 そうですね。あと自分の深部感覚、自分の体をどう動かしてますって言うことも結構ベクトルが向いていて。細かいところで言えば足の裏のどこをついたかっていうこととかを、ちょこちょこ意識しています。つま先で探るように歩いていないか、とか。やっぱり自分の中心軸がズレるとまっすぐの方向がズレるっていうのがあると思っていて。自分の中の状態と宇宙の状態(笑)がズレてるかも、自分の真ん中の線が原点に対して角度がズレてるかも、と思うと気になるんです。実際、まっすぐ歩いてるつもりでも、ちょっとしたことでズレていくし。振り返った方向が違うとなるとそれもまたズレるし。あくまでも自分指標ありきの情報が入ってきて映像が出る。だから、自分位置を外から見て確認出来るための触覚情報が必要になってくる、そういう順番だと思います。

 

伊藤 なるほど。基準点としての自分が「点」だったら楽だけど、「体」だから、それがちゃんとチューニングされていないと、外界の情報もくるってきちゃうということだね。

 

西島 顎の位置とかで、自分を外から見て、「あー私疲れてきてんだな」とか思いますね。

 

伊藤 そうなんだ!疲労感じゃなくて姿勢とかの外側からの情報で自分を観察して理解してるってことなんだね。玲那さんの内側と外側の関係は、相当面白いですね。能や武術をやっている人みたいだね。

 

◎再生とカメラアイ

西島 誰かと一緒に歩いている人がいると、自分に向かっている感覚がだいぶ弱くなるんです。体感的に疲れたなーとかそういうのがわかってくる。誰かいるとその人が何を見ているのかが気になるので、同じ方向を見て同じ方向に頭を下げてっていうことをし始める。 自分が右に増える感じですかね。右側に来てもらうことが多いので。

 

伊藤「自分が増える」って感じなんだ。

 

西島 そう、自分が増えてくって感じです。自分が右にちょっとこうベローんって増える。その人が見ているのを私がもらっているっていうよりは、もうその人の視界が自分の視界になっていくんです。だからその時も、介助の人がうっかり何かにぶつかると、自分もちょっと痛いんですね。

 

伊藤 なるほど…玲那さんは体の輪郭が何パターンかありそうだね。

 

西島 亜紗先生は目隠ししてジョギングとかした時に、一緒に走ってる人の見てるものとかを気にしてます?

 

伊藤 えっと…そこまでの余裕はないかな。伴走してもらう時は自分の体と魂が別になったような感じで、体は伴奏してくれる人が持ってるカバンみたいなものになってる(笑)。伴走してくれる人の邪魔にならないように、自分の能動性を発揮せず任せてるって感じですね。で、その「カバンを持った伴奏者」に自分の魂が乗ってる感じかな。

 

西島 なるほど。そこがたぶん私は真逆で。となりの人が見ているのもを、たぶんちょっとズレていると思うんですけど、再生しているのかな。

 

伊藤 そのあたりが、さっきの痛い感覚ともつながるのかな。

 

西島 そうなんでしょうかね…

 

伊藤 「再生」ですよね。情報をキャッチするとき、玲那さんは体の中で再生するようにしてキャッチしているんじゃないかな。たとえば、「バンっ」て音がした時に、「何か落ちたな」って言葉で理解することもできると思うんですけど、レナさんはもっと感覚的に、自分の中にその音や光景を再生してるよね。

 

西島 うんうん、それ、ちょっと 近いかもしれない。

 その感覚の方向性とか位置関係とかを、結構自分の都合よく動かしている気がして。具体的に言うと、私の元々の視野よりも今見てる世界のほうが広いんですけど、場合によっては後ろが見えたりするんです。亜紗先生が見ている現実世界に半透明で後ろの世界を映してる時があるんですよ。ちょっと意識して見てるんだから自然に見ているのではないけれど。

で、最近は筋トレをしてるときにBon Joviをかけるんですけど、そうすると、自分のアングルがすごい切り替わっていい角度で見てるんです(笑)。最初はそのガラスに映っている自分っていう体(てい)で見てるんだけど、曲とかによってテンションとかによっては、最後ドローンでばーっと上がっていったりする(笑)。あと背伸びして体を上に伸ばしていったときに物干し竿にちょっと手が当たったりすると、その物干し竿から手が「くっ」って上がっていくところが目の前に見えて、「ちょっと小指が美しくないな」とか思っていたり(笑)。

 

伊藤 自分を第3者視点、カメラ視点で見てるってことだね。

 

西島 そうなんです。あんまり危険を感じないとき、なおかつちょっと楽しい状況で、自分のそのパーツを見て「うーん、位置が良くないなー」とか。

 

伊藤 それはさっきの深部感覚を使ってるわけだよね?深部感覚をビジュアライズしたものがカメラアイってことなのかな?

 

西島 そうそう、そうです。そういう使い方を割と意図的にするときは、もともとあるビジョンに薄っすら重なっている感じなんです。あんまり意識して見よう見ようとすると、現実の、現実というか元々あったVRの方が強くなっちゃって、たとえばベランダの柵ばっかりよく見えるようになっちゃうので(笑)、「ちょっと見えた」「目に入った」ぐらいにしておかないと、見えなくなっちゃうんです。深部感覚の可視化をしていて、触覚とか耳で反響とかで位置関係を見たりすることは、あまり好きじゃないのかな。

 

伊藤 今日話を聞いて分かってきたけれど、玲那さんの視覚って何種類もあるんだね。今まではVRの話とかも私自身の視覚を基準に考えちゃってたけれど、そうじゃない視点もあって。しかもドローンまで飛ばして、それをけっこう楽しんでる(笑)

 

西島 うんうん。決定的に違うのは、誰かと一緒にいるときと一人でいるときですよね。誰かと一緒にいると、VRゴーグルをがちゃっとつけた感じで、その人の世界に居るみたいな視覚のみになるんです。だから、外側から自分を見るような視覚は、自分ひとりでいるということが大前提かな。

誰かと一緒にいるときに、外側から見ることもたまにあるけれど、それはその人と一緒に居る時間にちょっと退屈になったりしたときですね。あとは、どうしてもその人を自分の一部にできない人っているんですよ。「この人の視界は悪いなあ」みたいに思ってたりする。そういうときは、自分じゃなくてその人を外側から見て、自分の魂を一回抜いて外側に自分の分身を作って見ておいてもらう、みたいな感じですね。

 

伊藤 なるほど。やっぱり外を歩く時の真面目注意モードのような、間違えないように情報をキャッチしているときよりも、そうやって演出家のように視点を切り替えながら行き来して見ているときのほうが、はるかに楽しそうだね。

 

西島 そうですね、自分に余裕があるんだなって言うのがやっぱりわかる。セラフと歩いてる時は、そういうカメラの切り替えみたいなのが思い通りにできた。でも杖で歩く時は そんなことしてる場合じゃないし、見えてる映像の正しさとかにもあんまり気を持ってかれてなくて。なんか「どうやって自分をそのルートに乗せようか」みたいなことを考えている気がします。すごろくの上に駒として自分を置いていくみたいな作業をしている感じですね。いらない確認とかをしながら。

まぁ今はまだ発見に近い感覚ですね。セラフと歩いていた時には、全然使ってなかった能力や、全然頭で考えてなかったことについて、いろいろ自分でやり方を考えてる感じで、どこかちょっと面白がっているところあるかもしれない。けどこれが日常になると、やっぱり ちょっとキツいなあと思っています。

 (2021/1/8)