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山田尚文さん

「ヴィジュアル系視覚障害者」を自認する山田尚文さん。弱視の世界は全盲とは全然ちがっていて、「いろいろ変なことが起こる」そう。医学的には「視野が欠けている」という症状になっても、脳が補完しているので、本人にはそのように見えるわけなく、ドライブ中に高架がひんぱんに現れたり、人間違いが増えたり。在宅勤務になり、オンラインのコミュニケーションになったことで、かえって同じ土俵に立てるようになったというのは意外な発見でした。


山田尚文さんプロフィール

1955年、三重県生まれ。30代で緑内障を発症し、ロービジョン(弱視)の視覚障害者。
電機メーカー勤務。趣味は、音楽鑑賞、絵画鑑賞、読書。

 

◎オンラインだとむしろ同じ土俵に立てる

山田 ついさっきまで在宅で仕事をしていました。

 

伊藤 お疲れのところありがとうございます。オンラインでの仕事はいかがですか?オンラインでの会議などもあったりすると思いますが。

 

山田 視覚障害者は、テレワークにはわりと親和性が高いのではないかという気がしています。視覚障害者の仲間でもZoomで集まったりしていて、最近は、そこでも在宅勤務の状況について話すことがあります。何か問題があったときにすぐにとなりの人に助けを求めることができないから、いろいろ困るという話がある反面、オンラインの会議でいろいろ気付くこともあります。ひとつは、リアルで会議をすると、見える人は「これ」とか「あれ」という言葉を使って説明することが多いんですよね。「ここに書いてあるように」とか。ところがオンラインだと、目が見えていても見えていなくても、「これ」「あれ」を使わなくなるので、わりと説明をちゃんとするようになり、視覚障害者にとって分かりやすくなったということもあります。

 

伊藤 なるほど!指示語って物理的な空間を共有しているからこそ使えるものですもんね。今、確かに指示語を使わなくなってますね。

 

山田 私のような完全に見えないわけではない人間からすると、見えにくい映像って逆にノイズだったりするわけですよ。スライドを映されても、文字が読めないからノイズになる。ノイズはないほうがいいので、リアルな会議でも逆に目をつぶってシャットアウトしたりすることがあります。

 

伊藤 その場合の「ノイズ」ってどういうことですか?

 

山田 見えていた時代があるから、見えなくても読もうとするんです。読もうとすると疲れるし、読もうとしても読めないから、読めないことに意識がいってしまう。その点、オンラインになると、拡大するなりして自分の見やすいように調整してしまうか、あるいは見ないことにして音だけにしてしまう。そうすると、余計な情報が入ってこないので疲れない、だから、逆に親和性が高いという感じはします。

 

伊藤 なるほど。面白いですね。Zoomってすごく視覚的なツールなので、その人の雰囲気など視覚以外の情報がなくなる分、目の見えない人や見えにくい人にとって在宅勤務は苦労が多いのかなとばかり思い込んでいました。

 

山田 どちらかというと、「同じ土俵に立てる」という感じですね。オンラインでよく、「会話に入り込むタイミングがとりにくい」と言いますよね。ところが視力が弱いと、そもそもリアルな会議でも目線を合わせることができないので、「なんとなく視線を送る」「まわりを見回す」といった発言前の合図がキャッチしにくい。だから発言がかぶってしまったり、割り込んでしまうということを、視覚障害者はそもそもやりがちだと思います。それがオンライン会議だと、みんな同じ土俵になるので、発言をうながすときには「〇〇さん」と指名するルールがだんだんできてくる。それを言ってくれると、視力が弱くても発言に入りやすくなる。だから、普通の人が不自由だと思っていることが、視覚障害者からすると、もともとそうだった部分があって、同じ土俵に立っている感じがします。

ほかにも、職場で、オンラインで困っていることについてみんなで話す機会があると、「手元に紙の資料が持てないし、メモがとれないので不自由だ」という意見がよく出ます。でも我々はもともと紙の資料は見えないから使えないんですよね(笑)。見えにくくなった当初は、私も習慣で会議中にメモをとろうとがんばった時期があるんですが、それがとても辛くて、メモをとるのを諦めて逆に楽になりました。だからメモをとるということもハナから期待していない(笑)。だからコロナの時代ってすごく面白くて、いままで健常者ができなくなって不自由だと言っていることが、我々にとってはずいぶん前に解決したことだったりするんですよね(笑)。

 

伊藤 面白い(笑)。いきなり先輩になっちゃいましたね。

 

山田 そんな感じですね(笑)。だからZoomってそんなに悪くなくて、いろいろな気づきがありますね。

 

◎「視野が狭まる」というより「いろいろ変なことが起きる」

伊藤 山田さんが見えなくなったのはいつ頃からですか?

 

山田 ほぼ30年前ですね。病気を発症したのはほぼ30年前、30歳代の頃です。最初に気がついたのは、設計の仕事から海外関係の仕事に移って、英語を学ぶために社内の研修所に一ヶ月入りました。そこでスポーツの時間があって、外国人の先生と英語でスポーツをするんですが、体育館でバドミントンをやったんです。そのときに、上にあがったシャトルを追えなかったんです。その前後にもいろいろあったんでしょうが、一番印象に残っているのはそれですね。

 

伊藤 それはびっくりしたのではないですか?

 

山田 視野欠損って、てっきり横からだんだん狭まってくるのかと思っていたのですが、緑内障って鼻の上のあたりから欠けていくんですよね。横は見えているから、視野欠損だとは思っていなかったんです。真ん中に見えないものがある、というのは意識していませんでした。シャトルが上に行ったとき、その欠損しているところに入ると、どこに行ったか分からない、どこに落ちてくるか分からない感じになるんです。それで眼科にいったら視野欠損が見つかりました。

 

伊藤 なるほど。ではそこからかなりゆっくり進行してきたということですか?

 

山田 はい。私は、幸いなことに、すごくゆっくりでした。治療をしてきたということもあって、治療法が確立していないころだったらきっと全盲になっていたと思います。だから、見えにくいさまざまな場面を30年間経験してきたという感じですね(笑)。そのあいだに手術も何度か経験しています。

 

伊藤 なるほど。それは単に欠損の部分が広がるということではなくて、もっと見え方としてさまざまな「見えにくさ」なんでしょうか。

 

山田 医学的には確かに欠損の部分が広がっているということなんだろうと思います。あんまりこういう患者はいないと思いますが、私は20年分くらい視野の測定図を持っているんです(笑)。1998年に一回目の手術をしたときに、気になって、そこからお医者さんにコピーしてもらうようになりました。わたしはもうすぐ定年なのですが、60歳になったときに、障害のことをもっと見つめてみよう、そしてこれまで自分は助けてもらう側だったから今度は助ける側にまわれないかな、と思いました。それで、もういちど自分の視力の状態を振り返ってみようと思って、視野の測定図を見返したんです。それで、視野の状況と自分が経験してきたことを関連付けて考えるようになりました。

でも自分の実感としては、「視野が狭くなっている」というより、「いろいろと変なことが起きる」という感じでしたね。シャトルが消えたり、当時小学生だった息子とキャッチボールをしようとすると、ボールを受けられない。キャッチボールをするときは、こちらからはふわっと普通に投げられるんだけど、向こうから返してもらうときには、転がしてもらっていました。

 

伊藤 転がすと見えるということは、ボールの速度が関係しているんでしょうかね。

 

山田 スピードは関係していると思います。真ん中の視野欠損の部分にボールが入ってしまうと消えるから、ボールが追えるためには、見える部分で追わないといけないんです。それからサッカーボールが消え始めました。

 

伊藤 より大きいものが消え始めたんですね。

 

山田 そうですね。そのうちに子供が消え始めました。広い場所で子供を見つけられなくなったんです。子供が動くから、見失ってしまう。それから、車を運転しているときに、真正面の上の信号が見えなくなりました。今は大人が見えないし、左から来る車はまるごと見えないですね。

 

◎脳が補正している

伊藤 子供が見えにくくなった頃は、見るための工夫みたいなことはされていたんですか?

 

山田 視野欠損って、教科書的な表現だと、視野の一部が白く抜けていたり黒く塗られていたりすると思うんですが、本人にとっては、見えていないところがあるという自覚はあまりないんですよね。

 

伊藤 そうなんですね。それは不思議ですね。

 

山田 「見えにくい」という自覚はあるんですよね。でも「見えているところと見えていないところがある」とは思わないんです。見えない箇所が視野のなかに存在するということは、普段は、ちゃんとした自覚はない。今でさえ、ないです。

 

伊藤 「ここが欠けてるな」という感覚はない、でも見えるはずのものが見えなかったりするわけですね。

 

山田 そうです。これがなぜ起きているかということですが、最近になって、脳が補正をしていることが大きく影響をしているんだということが自覚的に分かってきたんです。いま自分の左側の世界はぼやけていて、ぼやけているという自覚はあるんだけど、見えていないという自覚はない。

 

伊藤 たとえばご自分の手が左側にかざすと、ぼやけているけれど手は見えているという感じなんですね。

 

山田 そうなんです。それが、手は、目をつぶっていても見えるんです。もちろんはっきり見えるわけではなくて、手の影が見えるという程度なんですが。でも「なんとなくここはこういうことだろう」と思い込んでいるということではなくて、「見えている」という感じなんです。それに気がついたのは最近ですね。はっきりと、「これは実は見えていないものなんだ」と気づいたのは今年のはじめくらいです。なぜそれに気がついたかというと、伊藤先生の『記憶する体』を読ませていただいて、その中に、目が見えなくなったことに気づかずに表に出た、という話がありますよね。ふつうあんなことはありえないと思うじゃないですか。だけど、あれは起きるのかもしれない、とふと思ったんですね。

2017年に緑内障の2回目の手術をしているんですが、その前に左目の視力が1年くらいでぐっと落ちて、それで、そのときは「手動弁」という、目の前で手を振られたときにそれが分かる、という程度の視力になっていました。それで手術のあとにもこの視力が残っているかが気になって、自分で目の前で手を動かしてみたら、手の影が見えてほっとしたのですが、しばらくして、目を閉じても手の動きが見えることに気が付いたんです。しかも、この現象が起きるのは、見えない左眼だけなのです。「これは何なんだろう」と思っていて、家族に話したら、娘が目を閉じた私の顔の目の前で手を振ったらしいんですね。そしたらそれが分からなかった。でも自分の手を振ると、分かる。それではっきりと、これは脳が作っているイメージなんだということが分かったんです。

 

伊藤 面白いですね。そもそも「見る」ということが、純粋に目だけの話ではないということですよね。晴眼者でも、かなり脳が作っているものを見ていると言われています。

 

山田 たぶんそうですよね。左側に窓があって光が入ってきているような状況で、目をつぶって頭をふると、その影のようなものが動くのがわかります。家の中だとずっと住んでいるから何がどこにあるかということが分かっていますしね。視力がちゃんとある状態のときは、ぼんやりした視力のことはほとんど意識していないんですが、視力が落ちてくるとそのぼんやりした視力に従って動くようになるので、意識するようになるんです。それで、これは脳が作っているんだということを自覚できるようになりました。

 

伊藤 脳が作っているということは、ご本人からすると実際に見えているものと区別がつきにくいと思うのですが、そこにはどのようなメカニズムがあると思いますか?たとえば、慣れている自宅の中だと、記憶で補完できる部分が大きいのかな、という気がします。でも必ずしもすべてが記憶に由来しているとも思えない。どんなメカニズムがありそうでしょうか。

 

山田 いろいろな状況が考えられるので、一概にどうこうというところまではよく分からないんですが、今は右目はまだそれなりに視力があるので、右目の視力に頼っている部分が私の場合はけっこう大きいのですが、このあと全盲になったときに自分はどういう動きをするかというのを考えたときに、ほかの全盲の方は空気の流れや音など視覚以外の情報を使っているようなのですが、自分の場合は慣れたところなら記憶にもとづいた情報をよびだして、それと視覚以外の情報を組み合わせて知覚するようになる気がします。今の私の場合は見えている領域と記憶の領域で世の中を見ている気がします。

 

伊藤 なるほど。右目はいまどのくら見えているんですか?

 

山田 右目の視力は0.07から0.09くらいで日によって違いますね。ただ、視野欠損があるので、見えているのは、右の外側と下のあたりなんですよね。なので路面はわりと見えているんですが、左側と正面は見えていないです。

 

伊藤 そうなると、どこまでが右目で見ていて、どこからが記憶なのかというのが、シームレスにつながっている感じですね。

 

山田 そうですね。いま在宅なんで近所を散歩したりするんですが、近くだと慣れているので、左側が見えていなくてもここは左に曲がるということが分かります。頭を振って全体像を確認しながら動くと、白杖を使わなくてもほぼ歩けます。問題なのは「人」です。記憶の中にはない、不規則に出現するものなので、いきなり目の前に人の足が現れたりします。誰もいないイメージで歩いていると、いきなり人がそこにいるんです。

一方記憶が全然ない場所の場合、例えば、先週家族で出かけたときにタクシーに乗り、私は助手席に乗っていたんですが、そこから風景を見ていると、右側は視野があるので運転手さんは見えている。正面は右半分は見えていて、左半分は見えていない。でも脳からすると、その左半分の上のあたりに影、そして左側に壁のようなものが見えているんです。それは、道路か線路の高架の下に車が入ろうとしているようなイメージなんです。それで、高架のところかなと思うと、実は高架ではなかったりして、なんだかしょっちゅう高架の下に入ろうとしているような感じがするんですよね。

 

伊藤 なるほど。面白いですね。ただの抽象的な影ではなくて、かなり意味付けされていますね。

 

山田 そうですね。家の近所や職場の近所は、見えていないけど記憶が存在するから、そういう感覚になることは少ないんですよね。でもまったく初めてのところに行くと、脳は記憶にないんだけれども、なるべく近い状況であてはめようとするみたいですね。少し前に、ふだん行かない道を歩いていたときに左側が森のような感じがすることがありました。視野を振ってみると、ふつうの町の景色なんですが、そこが森か林のようなところに見えるんです。なんでだろうと考えてみると、街路樹か何かがあって、それが視野にひっかかると、木があって光があまり感じられない領域というところから、そこはずっと木が重なっているというふうに、脳が作り込んでいる気がするんです。

 

伊藤 面白いですね。本当に少しの情報から風景を作り出すんですね。逆に言うと、全く何もないところから作っているわけではないんですよね。少ないインプットを記憶で補完している感じですね。

 

山田 そうです。そういう感じです。

 

◎ヴィジュアル系視覚障害者

伊藤 補完されていることは、ふだんどの程度意識していますか。そのときどんな行動をとっているかによっても変わってくるように思います。座っているときだったら、まわりの景色が脳の想像だったとしてもあまり困らないと思うんですが、町のなかを歩いているようなときは、安全に直結するから、これは想像なんだろうか、それとも実際に見えているんだろうか、という判断をシビアにやらなければならないこともあるように思います。

 

山田 あまり意識していないですね。最近は、見えている領域がかなり限定されているので、安全確保第一ではいますが、でもいちいち白杖で確認するようなことはしていないですね。私はあくまで「ヴィジュアル系」で、視覚にたよっている。そうすると、見えている領域をなるべく足元にもってくる傾向が強くなります。路面を見ながら歩いているので、周囲がどうなっているのかということは、ふだんはあまり意識せず歩いていますね。ふだんよく歩いているところだと、路面の情報から全体像を想像しながら、脳で見えないところの画像を補正しながら歩いているんだと思います。イレギュラーなものがないかぎりはそれで大丈夫です。

 

伊藤 注意すべきものの方に顔を向けていれば、白杖を使わなくても歩けるということですね。

 

山田 そうですね。問題は初めていくような場所です。困るのは勘違いです。路面を見ていて、意識せずそのままつっこむ時が怖いです。「ここはこうなっている」と思い込んでいるというより、もはやそう見ているというときに、段差があったり、物があったりすると危ないです。でも、今よりずっと見えていたときのほうが、いろいろトラブルが多かったですね。最近は、そうは言っても自分があまり見えていないという自覚があるから、昔よりも危険な目にあうことは少ないように思いますね。

 

伊藤 どこからが作っている情報なのかということは意識していなくても、キャッチするべき情報に対する注意力があがっていたり、工夫がそこにあったりするんでしょうね。

 

山田 中瀬恵里さんのインタビューで、路面がすべすべのところとそうでないところで自宅の場所を判断するという話がありましたが、あれに近いことを、残っている視覚でやっている感じですね。ちょっと色の違う何かが出てきたらそこに記憶を引っ張り出す、みたいな感じですね。

 

伊藤 脳が視覚を補完するときの作り方は、遠くの風景を見るときと、自分の手元を見るときでは違いがありますか。

 

山田 似たようなことが手元でも起こるんだとは思います。昔、今よりももっと見えていたときのことを振り返ると、以前は中心部分に視野が残っていて、周辺部分に霜降りのように見えるところと見えないところがまだらに混在している状態の時がありました。その時は見えにくいなりに本を見ようとすれば見えていたんですが、そうすると文字が部分的にかすれたような見え方になるんです。そうすると、たとえば英単語を見た時に、単語の始めと終わりだけが見えていて、真ん中が見えていないという状態になっていたはずなんです。でも実際にはそういうふうには見えていなくて、補正機能が働いて、それに近い単語に認識されるということが起きていた気がします。

 

伊藤 へえ〜単語も補われるんですね。

 

山田 だから、読み間違えがすごく多かったです。全盲と弱視って同じ視覚障害の分類に入れちゃいけないんじゃないかと思います。不思議なことがいっぱい起きるんですよね。当時は視野欠損でそういうことが起きているということが分からなかったので、ミスが多くなったり不注意が多くなったりしていると思っていました。しかも視力検査をすると、その頃は、0.8とかあったんですよね。

 あと補完という意味で面白かったのは、一時期、人間違えがすごく多かったんです。今は人の顔はあまり見えていなくて声で判断することが多いのでそういうことは逆に少ないんですが、中心部に視野が残っていた当時は、その人の顔のパーツの一部が見えていないんですよね。顔の右半分が見えているんだけど、左半分が見えていない、というような状態です。ときどき駅でぱっと「あの人だ」と思うんですが、声をかけると別人だったりしました。

 

伊藤 私も最近人間違えがあります。コロナでみなさんマスクをしているので、顔が部分的にしか見えていないんですよね。そうすると、街中で「あれ、知ってる人かな?」と思うことがすごく多いんです。

 

山田 これもコロナで気が付く同じ土俵ですね(笑)。

 

伊藤 ほんとですね。

 

山田 今より見えていたときは、こまごましたところで不思議な現象が起きていましたね。

 

伊藤 その不思議感をどういうふうに受け止めていたんですか?人によっては自信をなくしてしまったり、自分を責めたりしてしまいそうな気もするのですが、山田さんは科学者のように探求されていますよね。

 

山田 探求しはじめたのは最近で、当時はよく分からなかったですね。意外とショックを受けるのは、生活の中で普通にやってきたことで起きるトラブルですね。例えば、買い物の支払い時にお金を間違えるとか・・。十円玉と百円玉の違いが、しっかり見れば分かるから自分が識別できないとは思っていないんだけれども、視野がまだら状態なので、百円玉だと思って出したら十円だったり、一万円札だと思って千円札を出してお釣りを待っちゃったときなどは、ものすごく気まずいですね(笑)。そういうことひとつひとつはやっぱりショックを受けますね。あと、マンションのエレベーターの中で娘だと思って親しげに話しかけたら違う人だったりとか、あるいは家の近所で娘なのに若い女性が近寄ってくると思って逃げたりとかね(笑)

 

伊藤 まわりの人も山田さんは見ている前提で接したりするから、気まずいことがありそうですよね。

 

山田 そうなんです。だからひとつひとつは笑い話ですけど、その場ではそれなりにショックです。

 

伊藤 体調や時間帯による見え方の変化もありますか?

 

山田 私はそれはあまりないほうですね。

 

◎視覚障害者を演じてしまう

伊藤 休日はどんなふうに過ごしてらっしゃいますか。

 

山田 コロナでずっと自宅にこもっていたんですが、先週の土曜日は8ヶ月ぶりにコンサートに行きました。

 

伊藤 いいですね。展覧会に行かれることもありますか?

 

山田 10年前に視覚障害者を対象としたある調査で、趣味は美術鑑賞ですって書いたんですけど、あとから「視覚障害者がこんなこと書いていいのかな」ってうしろめたい気持ちになって。それがひっかかっていた時期があります。視覚障害者だけど「見る」ということにこだわるということがうしろめたくて、障害者団体に行っても全盲の人のほうが視覚障害者らしいということになるし…

私は、最近、自分のことを「ヴィジュアル系視覚障害者」って言っていますが、あの言葉には救われたんです。以前、宇部高専の島袋勝弥さんというロービジョンの方が書かれた文章を読んだのですが、その方は仕事で顕微鏡を使うということから目を使うということで、タイトルが「ヴィジュアル系研究者でいこう!─視覚障害者だけど、顕微鏡マスターになりたい─」となっていたんですよね。

 

伊藤 その「うしろめたい」というのは、「こんなこと言っていいのかな」という感じですか?

 

山田 うーん、これは何なのか、複雑な感情がある気がします。世の中の視覚障害者の支援が全盲の人を前提にできているんですよね。誘導の仕方も全盲を前提にして肩とか肘に手を添えるというふうになっている。私も駅などの表示が見えないので、初めての場所に行くときなど、ホームを間違えないように駅員に誘導を頼むことがあるのですが、だいたいあの標準形の誘導になるんです。最初の頃は、「全盲でなくて見えているので、後ろをついて行きますから」と言ってたんですけど、これって向こうも困るだろうなと思って、何となく、そういうところに行くと、視覚障害者を演じてしまうわけですよ。

 

伊藤 なるほど…それは考えたことがなかったです。全盲っぽくふるまうということですね。

 

山田 そうです。面倒くさいから、肩を持ってついていくということをしていて。ロービジョンもある程度見えにくくなると、当事者団体につながってくるんですけど、私の十年前の見え方では基準でいうと立派な2級の視覚障害者であるものの、なんとなく当事者団体にはつながらないんですよね。こういう感覚は、世の中の問題もあるでしょうし、自分の気持ちの問題もあるでしょうけど、そういう状況で「美術鑑賞って言ってよかったっけ?」って思っちゃったんですよね。そういう感覚はありましたね。

 

伊藤 「演じてしまう」というのは、何か大きい問題を感じますね。

 

山田 ロービジョンっていうことの問題は、人によって見え方が違うのでなかなか難しいんですけど、もうすこし認識が広まらないと、堂々と「視覚障害者です」と言えない感じになってしまいますよね。

 

伊藤 どちらかというと、堂々と言いたいという感じですか?

 

山田 ようやく最近になって、白杖をもって美術館に言ってもいいと自分で思えるようになった。だから周囲の問題もあるけど、自分の気持ちの問題もあるんですよね。それまでは、美術館の中では、白杖を出さずに、見えている感じでいましたね。視覚障害者が美術館に行くことは、何もうしろめたいことではないし、いろいろと楽しむ方法はありますしね。今はオーディオガイドがあるので、聞くだけでも楽しいです。絵も残っている視野で鑑賞できますしね。

 

伊藤 白杖を使うというのは、勇気がいることというか、宣言的なニュアンスもありますよね。

 

山田 そうですね。しかも私のような視野狭窄の場合には、脳の補正があるので、本人的には「見えている」という感覚があるので、抵抗感に加えて「白杖が無くても大丈夫」って思いやすいんですよね。ほんとうは、かえって危険だったりするわけですが・・・。

 

◎わたしの目は印象派

山田 美術鑑賞の話をすると、絵によって、鑑賞しやすいものと、しにくいものがあるんですよね。

 

伊藤 へえ〜そうなんですか。

 

山田 単眼鏡を使うとちょうど残っている右眼の視野と単眼鏡の視野が重なるので、それでサーチするように見るのですが、全体を見るときには、やっぱり補正が働くんですよね。だから、予測しやすい絵は見やすいですね。たとえば風景画だと、突然異様なものがあったりはしないので、サーチした状態で、自分の頭の中では全体像が見えているんですよ。でも以前、シュルレアリスムの絵を見たときには、これはちょっと厳しいかなと思いました。たとえば砂漠の中に全然関係ないものがあったりしますよね。そうすると、砂漠の端のあたりしか見えていないと、何ということはない、ふつうの砂漠の絵になっちゃうんですよ。それで目線を動かすといきなり変なものが現れるという感じなんですよね。

 

伊藤 なるほど。砂漠にいきなり時計があったりしますからね。

 

山田 そうなんですよ。それはないものとして処理してしまうので、そういう絵の場合は、補正がきかないんですよ(笑)

 

伊藤 それは鑑賞としてはどっちのほうが楽しいんですか?

 

山田 うーん、どうなんでしょうね。補正できない絵があるということに気づいたという意味では、それなりに楽しいですよね(笑)。でも、それで絵が鑑賞できているのかどうかということについては、若干の疑問が残りますね。

 

伊藤 絵の全体像を把握するということを大事にされているんですね。

 

山田 全体の構図は把握したくなりますね。まだ把握できるだけの視力が残っているということもあるでしょうし。そういう意味では、触覚を用いた美術鑑賞は私のなかでは、ちょっと違うかなという感じがあって、全盲になったとしても、頭のなかにヴィジュアルを起こしたいですね。

 

伊藤 山田さんにとって、ヴィジュアルが重要である理由はありますか?たとえば、まわりにいる人が見えているから、その人と世界を共有したいということなのか、それとも山田さんがずっと生きてきたスタンダードがヴィジュアルだからなのか。

 

山田 何なんでしょうね…そのあたりは自分でもよく分からないですね。ゆっくりゆっくり見えにくくなったということが関係しているような気もします。見えにくくなった最近のほうが、特にこだわるようになってきた感じもあります。緑内障は一応治療方法があるので、今までは、眼科でも「あなた全盲になります」という言い方はされなかったんですよね。最近は視神経が弱っているので、「このまま行くとどうか」というような話もされますが、治療方法がない難病でロービジョンに入るのと、緑内障でロービジョンに入るのとでは、見ることを捨てるかどうかというところでは大きいかなと思いますね。

 美術鑑賞も積極的に行くようになったのは目が悪くなってからですしね。とりわけ最近は脳の補正の問題に気がついてきたので、絵を見るときにもそういう見方をすることがあります。たとえば印象派の絵は点で描いてあって形がないから、モネの絵が風景として見えるのは、そもそも脳が補正しているからなんですよね。そう思って最近は絵を見たりするので、見方が変わってきましたね。

 

伊藤 ほんとうにそうですね。ロービジョンでいらっしゃることによって、見ることの原理が種明かしされている感じがありますね。そういうふうに言っていただくと、確かに自分も補正しているんだなということに気が付きますね。むしろもっとよく見えてるというか、そもそも人間にとって見るって何なのかということが分かってくる感じがしますね。

 

山田 モネは晩年、白内障で絵を描いていたわけですよね。原田マハさんの『ジヴェルニーの食卓』という本には、目が見えにくい状態でモネが絵を描いているシーンが描かれています。以前、私もジヴェルニーのモネの家に行ったことがありますが、モネがどういうふうにあの風景を見ていたのかと考えたときに、ひょっとしたらまさに印象派のように見えていたんじゃないかという気がしてくるんです。残っている私の残存視野も、最近は荒い画像になってきていて、見えている風景が、益々印象派のような映像になっているんです。なので、最近、私が考えてるキャッチフレーズは「わたしの目は印象派」なんですよ(笑)

 

伊藤 確かにモネってキャンパスの端っこまでちゃんと塗ってないですもんね(笑)

 

山田 ぼやけているし、ぼうっと見たときに見える絵ですよね。補正機能で見せる絵ですよね。

 

2020/10/13 Zoomにて