Research

古川遼さん

古川遼さんは難発系の吃音当事者。ドミニク・チェンさんとのインタビューを見て連絡をくださいました。文頭に症状が出ることの多い吃音ですが、古川さんは最近「なんですけど」が言いづらいという文中でのどもりを経験しているそう。職場での様子など、終始ポジティブに楽しく話してくださいました。


古川遼さんプロフィール

京都出身の24歳。現在、大手通信関連会社で人事を担当。小学校低学年に吃音を発症し、成人になってからも治らず。大学時代には吃音者による心理的な影響を研究。一人一人が生をより実感できるための方法として、コーチングを副業として行っている。趣味はHipHopと読書。

 

◎なぜか「なんですけど」が言いづらい

伊藤 メールをいただいてありがとうございます。Zoomは話しやすいですか?

 

古川 ぼくは副業でウェブを使ったコーチングをしていて、Zoomには慣れているんです。直接会うよりも、Zoomのほうが話しやすいです。

 

伊藤 なるほど。よかったです。

 

古川 もともと小学校のころから吃音があって、いまでもあるんですけど、症状としては、みんなの前でプレゼンをするときとか、電話や音読の瞬間とかに、どもりが出ます。

 

伊藤 そのときは、連発の症状ですか?

 

古川 難発ですね。音が出ないです。

 

伊藤 苦しいですね。

 

古川 そうですね。ごまかしごまかししながらやっています。大学生のころはあまりに出なかったんですけど、社会人になってから、前より緊張するシーンが前がふえて、それで再発してきちゃってる、というのが現状ですね。もともと大学は京都で、発達心理学と吃音を組み合わせた研究というのをしてきたので、吃音に対して将来的に貢献できたらな、という思いはすごくあります。

 

伊藤 大学のときは症状は重くなかったけど、研究としてはわりと向き合っていた感じなんですね。研究をしたことによって自分の状態に何か変化はありましたか?

 

古川 研究したことによって自分に何か変化が起こったことはないんですが、研究で分かったこととして、「確かにそうだよね」と思うところはありました。やっぱり自己肯定感が高いと、吃音があったとしても引きこもりにはつながらない、というのがあって。吃音に対する前向きな考えというのを、社会も含めて考えていくということが、自分にとってはテーマかなと思っています。

 

伊藤 なるほど。症状そのものだけじゃなくて、社会を含めて吃音をどうしていったらいいか、ということに興味があるんですね。

 

古川 そうですね。

 

伊藤 研究は実験をする感じだったんですか?

 

古川 ASEBAという質問票を使用しました。18-64歳が対象なんですが、そのひとつの項目で「言葉が出にくい」というのがあって。その中でも「吃音がある」と書いていただいている方のデータをとってきて、他の項目とどういう相関関係があるか、というのを調査しました。

 

伊藤 そこで自己肯定感との相関関係を調べられたんですね。

 

古川 そうです。

 

伊藤 メールで、小学校のとき「大きなかぶ」を音読しているときのことを書かれていますね。

 

古川 最初吃音が出た瞬間はよく覚えています。ぼくア行でつまるんですけど、学童保育で、「大きなかぶはぬけません」というのを音読することになったとき、声が出なくなって。「これ、なんなんだろう」と思ってそこから意識するようになりましたね。

 

伊藤 そのときはパニックというか、慌てる感じだったんですか。

 

古川 いや、「なんなんだろう」という感じでしたね。学童の先生も、それまで僕がスラスラしゃべっていたので、「どうしたの」という感じでした。その場はなんとかごまかしごまかし行けたと思うんですけど、それを意識しはじめて、そこから特にあ行でどもるようになった感じですね。

 

伊藤 最初から難発だったんですね。一般的には連発を抑圧して難発になる、と言いますけど、そうじゃなかったんですね。

 

古川 そうですね。ぼくの場合は、もう「おおきなかぶ」の一発目が言えないという感じでした。

 

伊藤 連発はないですか?

 

古川 ほぼないですね。言葉が出ない感じです。あと、最近急に出てきた症状で、「〇〇なんですけど」と言おうとしたときに「〇〇なん」で終わっちゃうんです。「ですけど」が出ない。

 

伊藤 おもしろいですね〜。最初じゃなくて途中で出なくなるんですね。

 

古川 そうなんです。これまでこういう吃音なかっです。「そういう意見もあるんですけど」という感じのときですね。「〇〇ですけど」とか、言い換えちゃいます。

 

伊藤 「〇〇ですけど」は言えるんですね。ものすごい微妙ですね(笑)

 

古川 ぼくの意識的になんですけど、「ん」が入っちゃうと、何か出にくいんですよね。この1、2ヶ月で出てきた症状です。

 

伊藤 面白いですね。もともと関西弁ネイティブであることと関係があるのかな…

 

古川 これまでずっと使ってたのは「なんですけど」なんですよ。あ、いまの「なんですよ」もちょっと言いにくいです。

 

伊藤 なんでしょうかね。音的なものなのか、意味的なものなのか。

 

古川 イメージとしては音的なほうが近いかな、と思います。

 

伊藤 ほかにも「ん」が嫌だな、というときがあるんですか。

 

古川 そうですね。ア行と、「ん」となるときが、ちょっと気持ち悪い感覚はありますね。

 

伊藤 別の方で、「ん」は楽だとおっしゃっていた方もいたのので、意外な感じがします。その方は「かたださん」は言いにくいけど「かんださん」は言いやすいと言っていました。

 

古川 確かにそうですね…もしかしたら意味的なものも関係しているのかもしれません。「なんですけど」って言うときって、そのあとに何か言葉をつなげるのがふつうじゃないですか。そこの無意識のプレッシャーがあるのかもしれません。でもそうすると「ですけど」だと言えるのが説明つかなくなっちゃう…

 

伊藤 確かに「なんですけど」って一回終わってまた始める感がありますよね。

 

古川 伝えたいのは、「〇〇なんですけど」の「〇〇」じゃなくて、その後の方なんですよね。その主張を言うというところで、無意識に緊張しちゃってるんですかね…。

 

伊藤 なるほど。つまっても、本題には入れるんですか。

 

古川 はい。ぼくは話がとまるほどどもる、というのはまだないですね。

 

伊藤 その「ん」はこれからどうなっていくのか、興味深いですね。吃音は変化しますからね。

 

◎家族に「いまの思い」を発表してた

古川 そうですね。大学生のときにほとんどどもらなくなって、やっと吃音の呪縛みたいなものから離れてくらしていたんですけど、社会人になって再発しちゃって。

 

伊藤 やっぱり、緊張とか、人から見られるといったことが原因ですかね。

 

古川 ぼくは「当然できる」というハードルが嫌いで。音読とかもそうなんですけど、「当然、このプレゼンくらいできるやろ」とか、「内容が問題なんであって発言をするということ自体は当然終えられるでしょ」みたいな環境が、自分的に嫌なのかな、と思っています。

 

伊藤 人からの期待があって、そのミッションをコンプリートしなきゃいけない感じですか?

 

古川 コンプリートというか、「最低限できるでしょ」という、それができないとマイナスになるぐらいのハードルが嫌ですね。

 

伊藤 なるほど。ミーティングとかで5、6人で話しているときに、指名されて話すのと、自分から発言するのでは、どっちが楽か、違いはありますか。

 

古川 そういうのは、両方いけますね。平場というか、意見を出し合うところは大丈夫なんですが、プレゼンのようにぼくから伝えないといけない状況が嫌ですね。あとは、営業とかで、ぼくが当然話さなくちゃいけないときですね。

 

伊藤 自分が中心になってその場を進めなくちゃいけないときが、吃音が出やすいという感じですね。

中学や高校ではかなり吃音が出ていたということですか?

 

古川 そうですね。英訳の課題が出ても、訳はできるのに英語を読むという音読の部分ができなかったですね。国語でも、大事なところはどこかと言われたときに、答えは分かっているのに、そこを読むことができない。

 

伊藤 音読問題はありますよね。私も音読は苦しいんですけど、音読が好きという人もいるんですよね。我々からすると信じられないことに(笑)。音読のつらさは、同じ吃音の人でも分かってもらえないくらいなので、吃音でない人に伝えるのはかなり難しいように思います。どうやったら伝えられると思いますか?

 

古川 そもそも吃音というものがある、というのをみんな知らないですよね。「この人、吃音かもしれないな」というのが頭にあれば、そのあとの反応も変わってくると思うので、まずは吃音とは何かということを知る機会が重要になるんじゃないかなと思います。

 

伊藤 カミングアウトじゃないけど、人に吃音であることを伝えることはありますか?

 

古川 はい、一緒に働いている方には伝えています。プレゼンは得意じゃないんですけど、できれば克服したいんで、そういうチャンスがあればください、というふうに言っています。

 

伊藤 まわりの反応はどうですか?

 

古川 OK、OKみたいな感じですね(笑)もしかしたら自分の見えないところでアサインとか調整してくれてるのかもしれないけれど、プレゼンとかも任されますからね。任された一方で、練習して役員とかに対してプレゼンをしたらどもりが出ちゃって、「もっとプレゼン練習しなよ」「もっとプレゼンがんばりなよ」みたいなフィードバックをもらったときに、「そこじゃないのになあ」と思いますね。役員の人が「もしかしたら吃音かもしれない」というのを持っているだけで、より僕のためになるフィードバックをもらえたのにな、と。なので、

 

伊藤 日本人ってみんな日本語が上手ですよね(笑)。英語だと英語が下手な人がいっぱいいるから、あまり目立たないけれど、日本語だと超目立ちますよね。

 

古川 そうですね。特に連発になったりすると、特徴的なので、目立ちますね。

 

伊藤 言語運用能力と人気としての評価をちゃんと分けてほしいですよね。

 

古川 いま思いを伝える方法が言語しかないから、こんなふうになっちゃってるんでしょうね。

 

伊藤 プレゼンはパワポも使いますか?

 

古川 使います。でもパワポにいろいろ書いちゃうと、それを読まなければいけなくなるので、パワポにはこれだけは伝えたいということだけ書いて、残りは頭に出てきたことをバンバン伝えていくというスタイルですね。

 

伊藤 お話伺っていると、基本的には何かを伝えたり話したりすることが好きな方なのかなと思います。

 

古川 そうですね、好きですね。

 

伊藤 吃音があっても必ずしも話をするのが嫌いというわけじゃないんですよね。

 

古川 そうですね。ぼくは吃音の中でもけっこう話せる方かなと思います。中学生のころ、友達の家に言ってピンポンするのがすごく怖いという状態でした。だから、大学生になって、あるいは今も、ちょっとでも話せるというのが嬉しいですよね。それは吃音だからよかったことかなと思います。

 

伊藤 メールにも、「吃音と苦楽をともにしてきた」って書かれてましたよね。「楽」もあったんだな、と。

 

古川 そうですね。ぼくは吃音だからこそ、自分の話す言葉にすごく敏感になれているなと思っています。吃音の人って、何話そうかなというのがまずあって、「このワードちょっと無理やな、こっちで行こう」みたいな思考になると思うんですよね。それによって、自分の話している内容であったり、相手が話しているワードにひとつひとつ敏感になって、それが今やってるコーチングにも生きる機会が多いなと思います。それは吃音というハードルを超えたからこそ得た楽しみ、メリットという感じがします。

 

伊藤 そうですね。言葉に対する何段階かのチェックが入りますね(笑)文章を書くのはお好きなんですか。

 

古川 いや、ぼくは文章を書くとかはこれまでしてこなかったですね。日記とかもつけていませんでした。空で言うのが好きですね。今の思いみたいなものを家族にひとりで話すということをしていましたね。これはもともと吃音を克服するための練習としてやっていたもので、書くとかよりも、話す機会が増えれば、吃音が治るんじゃないかと思って、小学校後半くらいから、自分が今日したことや、そのときの思いみたいなものを、両親や妹に話すっていうことをずっとやっていました。それが癖になっていました。発表みたいな感じで5分くらい話すんです。吃音を治したいとは思っていたんですけど、家族以外に知られるのは嫌だったんで、家族に相談してみたら、前に日記を書いたりするのがすごく好きだったんで、それを発表してみたら、と言われたんです。そんなに理路整然とはしていなかったと思うんですが、父さん母さんも黙って聞いてくれていましたね。ありがたかったですね。

 

伊藤 おもしろいですね。話すっていうことだから直球の練習のような感じもするけど、それをやると自分のなかのしゃべるスタイルみたいなものができそうですね。

 コーチングは難しくないですか。話すことを使って相手を導くわけですよね。

 

古川 コーチングはあまり話さないんで、楽なんです。相手が話して、それを傾聴していくことが、相手にとっての気づきになる、というものなので。質問のタイミングは緊張するんですけど、これまで考えてきて、口に出しやすい質問とかがあるので、それをうまく使えば、できますね。

 

伊藤 今後のキャリアの予定などがあったら教えてください。

 

古川 来年10月に大学院に留学したいなと思っています。社会学とか組織心理学とかをきちんとビジネスに落とし込みたいなと思っています。あとは副業として今やっているコーチングをもっと上達させて、組織開発とかと組み合わせたいなと。コーチングをしていると、90分なら90分の限られた時間のなかで、その人のやりたいことがたくさん出てくるんですよね。人が変わる。そしてその目標に向かっていく。そういう姿を見ると、すごく嬉しいです。そういうふうに思える社会というのは、自殺率も下がっていくだろうと思います。コーチングをしてみんなが変わっていき、それが伝播していって、社会がよくなっていく、というのが今のぼくのしたいことなのかなと思います。

 

伊藤 なるほど。そういうふうにうかがうと、大学時代に研究されていた、吃音と自己肯定感の話ともつながってきますね。

 

古川 将来的にはそこで培ったものを何か吃音に生かせたらいいなと思っています。

 

伊藤 とくに採用の場面は吃音者にとってハードルになりがちですからね。

 

古川 ぼくもよく採用のチームから質問されます。そもそも吃音って何なのかって。手帳をとりにくいという事情もあって、吃音の影響を踏まえたうえで採用すべきかどうかどうかの明確なアドバイスができればいいなと思っています。

 

伊藤 いまはオンラインでの面接が増えていますし、そこにAIを導入する動きもあって、採用が保守化していくと、吃音の人を避けるようなことにならないか心配です。

 

古川 吃音があっても何かできることがあれば採用されると思うんですよね。なので、社会の側が変わらなくちゃいけないことと、吃音の方が意識したほうがいいことがあると思います。そのひとつが、自己肯定感なのかなと思います。

 ずっと持っているもやもやした気持ちがあって、吃音の人がいると、「あ、吃音の人や」って思っちゃう、その感じがすごく嫌なんです。それを100パーセント受け入れられない、その人を知ろうとする前に吃音が気になってしまう感じがある。知り合いで3人くらい吃音の人がいて、今は仲がいいんですけど、最初は「うわ、吃音の人や」って思ってた。その時の感情は言語化できていないですけど、すごく嫌なんですよね。

 

伊藤 それは大事な気持ちですね。ほかの障害の人、たとえば視覚障害者と話していても、自分が一番視覚障害者に差別的な意識がある、というような話が出てきます。白杖をつくとまわりの人の扱いが変わるからなるべく普通でいたい、でもそう思うということは、視覚障害であることを否定していることになる、と。

 

古川 それはめっちゃ分かりますね。どもっている方を見て、自分もこういうふうに見られているんだと思ってしまうと、もう見たくないと思ってしまう。

 

伊藤 他人が鏡みたいに思えてしまう、というのはありますね。きっと吃音でない人はそんなふうには思ってないんですけどね(笑)

 

5月9日Zoomにて