Research

石田智哉さん

zoomを使って、石田智哉さんにインタビューをしました。人によって違うアプローチの仕方を察する面白さがあるから、「介助はダンスっぽい」と石田さんは言います。ドキッとしたのは、服の着方にせよ、頭の洗い方にせよ、石田さんは、介助を通してその人が自分の体をケアするときの動作の習慣をさまざま知っているということ。まさに触覚を通じた人との知り合い方をしてるんだなと思いました。しばらくぶりの介助では、石田さんも「ああ、この人の感じはこうだった!」と思い出すんだとか。


石田智哉さんプロフィール

1997年東京生まれ。立教大学で映像制作系のゼミに所属し、卒業制作としてしょうがい者と表現活動をテーマにしたドキュメンタリー映画『へんしんっ!』を製作する。現在は、しょうがい者が芸術活動をすることでの、身体観やしょうがい観の変化に関心を持ち、同大学院で学んでいる。

 

 

◎不安定な姿勢の恐怖/開放感

伊藤 この前はイベント(「ひみつのからだサロン#5 2020/8/2」)にいらしてくださりありがとうございました。あのとき、石田さんが「車椅子に移乗するときの感覚がダンスに似ている」とおっしゃっていて、衝撃を受けて、私から連絡をとらせていただきました。

石田さんはいま大学院生ですよね。ずっと電動車椅子で生活されているんでしょうか。

 

石田 電動車椅子を使うようになったのは中学1年からです。それまでは車椅子で、人に押したりしてもらっていました。病名的には筋ジストロフィーで、筋肉が生まれつき人に比べて少ないのと、関節に関して、足の曲げ伸ばしだったり、腕の曲げ伸ばしだったりが、硬くなって伸ばしにくいという感じです。

 

伊藤 今日はめちゃくちゃ暑いですけど、発汗作用とかは問題ないんですか?

 

石田 それはあまり問題ないです。ただ足はあまり動かせないので、足先、末端は冷えやすいです。そういうときは、摩ったり、足湯につけたりして温めます。熱い、冷たいを感じるのは問題ないです。

 ただ、皮膚が弱くて、擦り傷とか切り傷になりやすいです。介助してもらう人がつけている腕時計やベルトでわりとすぐに切れてしまいます。金具とか尖ったもので傷ができやすいですね。

 

伊藤 なるほど。中学生で電動車椅子に乗るようになったとき、それはかなり大きな変化でしたか?

 

石田 大きかったです。自分のペースで止まれるようになるんですよね。まず、学校と家の往復が一人でできるようになったんですが、その行き帰りで見かけたもの、たとえば花とか鳥とか、普段見ないような格好をしている人とか、そういうのがあると止まれるようになったんです。押してもらっていると、興味があっても視線を向けることはできても、立ち止まることができないので、それは大きな変化でしたね。

 

伊藤 面白いですね。電動車椅子というと「行く」ことばかり考えがちですが、「止まる」が重要だったんですね。自分の興味にしたがって、予定外の行動ができるということですね。石田さんは、ふと何かに興味を惹かれがちなタイプなんですかね(笑)

 

石田 そうですね(笑)

 

伊藤 そうすると、電動車椅子歴10年くらいになりますね。今のもので何台目になりますか?

 

石田 電動は3台目ですね。中学生のときと18歳のときに作りました。

 

伊藤 最新の車椅子は気に入っていますか?

 

石田 作るときからかなり要望を出して1年くらいかけて作ったんで、気に入っています。

 

伊藤 マイホームみたいですね(笑)

 前に送っていただいた『介助の仕方』という手作りの冊子がとても面白かったです。その中にまず「姿勢が安定しない」ということが書いてありました。それがどういう感覚なのか知りたいんですけれど、姿勢が安定しないとうのは、体が勝手に動くということなのか、それとも一点に力がかかって痛むということなのか、どういった感覚なのでしょうか。

 

石田 姿勢が安定している状態は、一箇所に重心がある感じです。力がかかっている感じ。逆に不安定なときは、何も体に力がかかっていない感じがします。

 

伊藤 なるほど。それは力をかけようとしてもうまく力が統合されないという感じですか?

 

石田 どこに力を込めればいいのかよく分かっていないという感じですね。

 

伊藤 体の質感で言うと、体がやわらかくなっちゃったみたいな感じですか?むしろバラバラになる感じですか?

 

石田 言葉としてはバラバラのほうが近いかもしれませんね。

 

伊藤 なるほど。体がどっか行っちゃう感じではないんですよね?

 

石田 それはないですね。

 

伊藤 面白いですね。自分の意志が通じないわけですよね。

 

石田 頭の中では、こういうふうにしたらいいというのがあるんですが、体が言うことを聞いてくれない感じですね。体から反応がないという感じですね。

 

伊藤 私は吃音があるんですが、吃音も自分がしゃべりたい言葉を体が言ってくれない感じなんです。吃音の場合は、「言うこときかなさ」に2パターンあります。ひとつは体がやわらかくなって暴走してしまって、思ってないことを言ってしまうパターン。いわゆる「連発」と言われる症状です。もう一つは、体が硬くなる「難発」で、しゃべろうとしても体が緊張してそれを受け付けてくれません。でもさっきの石田さんのお話はどっちでもない感じがして、私の知っている「体の思い通りにならなさ」からすると未知の領域に感じます。

 姿勢が不安定になったときの気分や感情は、どんな感じですか?慌てちゃう感じなのか、なるようになれという感じなのか。

 

石田 両方あります。基本的には、安定しないというのは前か後ろに体が倒れていくなかで、受け身がとれなくなっている状態です。床にバンとぶつけることになって、頭を打つ可能性があります。だから恐怖心があります。日常生活では、その不安的な状態を作らないようにしています。でも一方で、リハビリのときには、意図的に不安定な、体が解体されていくような状態を作ります。バランスボールにお腹をつけて、重力で首の後ろを伸ばしたりとか、バランスボールの形に体を添わせることで、体が軽くなる感じを味わったりします。意図的に体を解体していく、ほぐしていくことで、凝り固まって緊張しているところを解放しているんだと思います。マッサージに行く感覚に近いのかなと思います。

 

伊藤 なるほど、姿勢が不安定であることは、恐怖でもあるけど解放にもなるわけですね。以前、盲学校の先生と話したときに、先天的に全盲の子だと、なかなかうまく走れないとおっしゃっていました。走るというのは、いったん体をオフバランスにして、その反動で次の一歩を出す動きなので、見えてない場合にはわざわざその不安定な状態に行かないんだと思います。でも、いったん不安定の可能性を知ってしまうと、気持ち良くて、それを楽しむようになるのだそうです。

 

石田 目が見えない人と何人か関わったことがありますが、体幹がしっかりしているんですよね。

 

伊藤 そうなんですよ。目の見えない人と待ち合わせすると、すごい堂々と待ってるんです(笑)重心真ん中で仁王立ちしてる。待ちあわせする場所は人通りが多いから、ぶつかられても大丈夫なように準備しているんだと思います。

 

◎手の雄弁さ

伊藤 姿勢が安定しにくいと、椅子とかヘッドレストとかに体を支えられているということが多いと思うんですが、そうなると、まわりの道具や物との距離感が私と違うのではないか、と想像します。私も壁に寄っかかったりしますが、「この壁がなくなったらやばい」みたいなシビアさはない、その程度の関係です。でも石田さんの場合にはそのあたりの関係が違うのではないかと思います。

 

石田 そうですね。いろいろなものをオーダーメイドで作ってるんで、代えがきかないんですよね。

 

伊藤 「どこでもいい」とか「なんでもいい」じゃないということですよね。たとえば車椅子で一番こだわった部分はどのあたりですか?

 

石田 車椅子では前傾姿勢になっていることが多いと想定されるので、前にあるクッションとか、電動車椅子を操作するときのレバーを真ん中にしました。レバーはふつうは左か右かのどちらかにあることが多いんですけど、真ん中にあったほうが操作しやすいんです。前傾姿勢になったときに疲れないことを優先して作っています。お腹、胸のあたりに圧をかけているような姿勢の状態です。

 

伊藤 棒を使いこなしているのも面白いですね。ボタンを押したり、周りの人に指示するときにも便利そうですね。

 

石田 あれは普通のつっぱり棒です(笑)。エレベーターのボタンを押せるのは大きいですね。

 

伊藤 動画を拝見させていただいて、やっぱり言語化する能力がすごいですね。ものすごい数の指示語が出てきますよね。「ここのボタン」とか「あそこのテープ」とか。

 

石田 ぼくはあんまり指示がうまいほうじゃないのかなと思っていて、初めての人だと「ここ」とか「あそこ」だと戸惑うかもしれないな、と。なかなか言葉にしづらいですね。

 

伊藤 すごくおもしろいなと思ったのが、指示語を使うときに石田さんの手がよく動くということです。手がすごく雄弁ですよね。こうやってお話していても、手がものすごくしゃべりますね。

 

石田 自分の体のなかで一番動かせるのが、手の指から第一関節のところで、だから手で細かいニュアンスとかを表現していたのかなと思います。映像作品を作って、自分の動きを何回も見てみて、そのことに気づけました。

 

伊藤 細かいこと聞いちゃうんですけど、今、左手をこめかみに当てて、頭の重さを支えるような姿勢をとっていらっしゃいます。手を伸ばして机に置いている状態から、その姿勢に移るときの行き方がすごく面白いなと思っていて、手を振って反動をつけるような動きをされますよね。

 

石田 たぶん、腕が伸びきらないからだと思います。前に伸ばさずに、顔の近くを通ってこめかみまで行っているということですね。肘が90度より先に行かないので、これしかないんだと思います。

 

伊藤 なるほど。石田さん、手が大きいですよね。指が長いのかな?

 

石田 指は長いと言われますね。でも手のひらの横幅は他の人と比べると、小さいかなと思います。動き方は左右同じですが、左利きなので、左のほうがよく動きますね。

 

伊藤 生活のなかで手を使う機会は多いと思うのですが、冊子のなかで「体調によってキーボードの位置が変わる」と書かれていたのが印象的でした。

 

石田 手元に寄せるときと、距離をとるときがあります。「Aの位置がいつもより右側だな」とか「左側だな」とか感じますね。手の調子というより、背中や肩まわりの可動域の違いで変わってくる気がしています。

 

伊藤 動いているのは手先でも全身が影響してくるということですね。

 

◎介助のダンスっぽさ:その人ならではのアプローチを察する

伊藤 介助者との関係もうかがいたいのですが、ぶっちゃけ、介助者との相性はありますか?たとえば、介助者のぱっと見の印象と、実際に介助を受けたときの印象が違うときはありますか?

 

石田 相性は、個人的にはあるなあと思っています。ギャップもけっこうあります。話しているときは、慎重なタイプの方なのかなと思っても、実際にやるとけっこう大胆に移乗してくれる人だったりします(笑)。上着を着せてもらうときの肘の持ち上げ方が、人によってバラバラだったりしますね。

 

伊藤 それはスキルの問題なのか、もうちょっと違う、人間的なレベルの問題なのか、どっちなんでしょうかね。

 

石田 どっちなんですかね。意外と、「介助している経験が長い人はこう」みたいな法則もあまりないような気がします。わりと人間性のほうが影響するのかもしれません。あとは介助者自身が、自分で服を着るときにどういう習慣でやってきたかにも影響されるんだと思います。

 

伊藤 面白いですね。確かに「服を着る」と言ってもみんな着方が違いますよね。力の入れ方以外にも、手から通すのか、首から通すのか、いろいろバリエーションがありますね。石田さんにとって、そういう動作の順番は重要ですか?

 

石田 上着にもよりますが、ぼくの場合には、手から通してもらったほうがやりやすいのかなと思います。

 

伊藤 なるほど。手から着る場合には、基本的には自分の利き手から通すことが多いと思いますが、石田さんの利き手である左手ではなく右手から通されると違和感があったりしますか。

 

石田 違和感というよりは、通しにくくて時間がかかります。介助者の利き手が右なのか左なのかも関係してきますね。自分の右左よりは、介助者の右左を優先していることが多いかもしれませんね。

 

伊藤 介助者が右利きだと右から着せるほうが多そうですね。でも前から着せるか後ろから着せるかでも変わってきそうですね。

 頭を洗うときはどうですか?

 

石田 「介助の仕方」の冊子をお送りしたときに見返して、入浴介助の仕方が書いていないことに気づきました。入浴介助が一番、身体同士がダイレクトに関わるもので、人によってめちゃくちゃ違っているんです。髪の洗い方も人によってすごく違っていて、わりと頭のてっぺんから行く人もいれば、わりと右とか左とか横側を重点的にやってから上に行く人もいて、けっこうバラバラなんですよね。

 

伊藤 そう言われてみると、確かに頭の洗い方って自分も誰かから教わっているわけじゃなくて、長年の習慣で理由なくそうやっているだけですからね。その人のものすごくプライベートな習慣を、介助という形で石田さんに開示しているわけで、ある意味石田さんは、ひとそれぞれのプライベートをものすごく知っているわけですよね。

 

石田 アプローチのしかたが全然違うんだな、と感じますね。体の洗い方にしても、お風呂の入れ方、移乗の仕方にしても。そういう人の違いが出るからダンスっぽいのかなと思います。

 

伊藤 なるほど、一対一という感じですね。それは石田さん的には、相手の出方をうまく読んで、それに合わせられるところは合わせるという感じですか?

 

石田 冊子を作ったんですが、この冊子がすべてではないと思っているんです。結局のところ、介助がどういうふうに成り立つかは、その人との関係でしかないんですよね。わりと人がどういうふうに考えているのかを、介助を通して察する方に、ぼくは興味があるのかなと思います。

 

伊藤 介助されるのってものすごく観察力がいりそうですね。

 

石田 そうですね。面白いですね。面白いっていうのが正しいのか分からないですが、その人が何を重視しているのかが、人によって全然違いますね。

 

伊藤 石田さんのなかに「こうじゃなきゃだめだ」という基準を設定しすぎていないということですね。

 

石田 そうですね。最低限、こうやってもらわないと、あとで自分が怪我する、あるいは体調を悪くするというのはあるとしても、あとは柔軟にやっていますね。

 

伊藤 この前読んでいた本のなかで、人に介助してもらうっていうのは、痒いところを人に掻いてもらうようなものだと書いてありました。痒いところにぴったり手がとどいていることはめったになくて、たいていは微妙に痒いところからずれていると。よくも悪くも、そういう感じはありますか?

 

石田 あると思いますね。さっきに入浴介助でもそうですが、どこが痒いのかを具体的に指示するのって意外と難しいです。頭を掻いてもらうときに、自分で頭を動かして、痒いところを掻いてもらえるようにしたりすることもあります。

 

伊藤 それはかなりダンスっぽいですね(笑)。抱きかかえられているときにも、そのように自分で調整する余地はありますか。自分にとって居心地の悪い抱きかかえ方をされているときに、居心地のいいポジションに移動したり、あるいはせめて、居心地が悪いということを相手に伝えたりしますか。

 

石田 かかえてもらうときは、お姫様だっこみたいな感じで、首とひざのあたりに手を添えて持ち上げてもらうことが多いので、首とかのあたりは、体をちょっと動かして、自分が楽にいられるポジションに入っていったりすることがありますね。あとは抱えるときのその人との密着ぐあいを調整します。手だけでお姫様だっこをすると相手に負担がかかってしまうんです。

 

伊藤 なるほど、相手のことも考えて調整するわけですね。やっぱり石田さんの負担が少ないと、相手の負担も少なかったりするんでしょうか。

 

石田 ぼくの場合はそんなに体重が重いほうではないので、わりと力技ですばやくやっちゃったりすると思うんですけど、ある程度体重があったり体型が大きかったりすると、ポジショニングしだいでかなり負荷が変わるようですね。

 

◎人間関係の変化

伊藤 介助者の姿勢として、石田さんの事情をものすごく拾ってくれる慎重なタイプの人がいいのか、「俺についてこい」みたいな感じで、やりたいことを明確に示してくれるような感じがいいのか、そのあたりの塩梅はいかがですか?

 

石田 俺についてこいタイプはけっこう怖いなと思いますね。そういう人は本当にときどきですけどね。さぐりさぐりのタイプの人がいいのかなと思います。

 

伊藤 基本はたぶんそうだろうなと思うんですけど、ものすごくさぐりさぐりだと、逆に怖そうですよね。

 

石田 そうなんですよね。ものすごくさぐりさぐりで気を使われると、逆にこっちが疲れてしまうんですよね。友人でも介助になると急に敬語になって「大丈夫?大丈夫?」みたいにやられると、不安があるのは分かるんですが、困ってしまいますね。

 

伊藤 敬語になるんですね(笑)

 

石田 回数によっても変わってきますね。初回だとやっぱり緊張感があります。適度な距離感を見つけるのは、本当に難しいですね。

 

伊藤 ふだん、生活のなかで介助する人はある程度固定されていますか?

 

石田 家族と、入浴介助などで入るヘルパーの人はわりと固定で、あとは大学の学部のときは、前期と後期のカリキュラムに応じてサポートする学生が入ってくれました。そうすると日程によって、結構人が変わりますね。授業が14回あるなかで、介助に慣れてくる様子が分かって面白かったですね。

 

伊藤 関係が変わるときは、明確にステップがあったりするんですか?

 

石田 一番分かりやすいのは、作業にかかる時間が少なくなることですね。移動サポートや、教室についてからタブレット端末などの荷物の用意や水分補給をやってもらうんですが、荷物の出し入れは何がどこに入っているかをつかむのが第一段階ですね。それからどこに何を置くと使いやすいのかをつかむのが第二段階ですかね。

 

伊藤 そういうときに「上手になったね」みたいなことは相手に伝えるんですか?石田さんが「いいな」と思うポイントを目指して学生はサポートをしているので、石田さんが満足している姿を、学生は基本的に見たいと思うんです。でも石田さんが「正解を知っている人」になっちゃうと、先生と生徒みたいな関係になっちゃって、ダンス的じゃない、息苦しい感じがします。

 

石田 そうですね。あんまり自分から「うまくなったね」みたいなことは言わないですね。介助してくれる人から「だんだんコツをつかんできました」みたいなことを言ってもらうことはたまにありますけどね。この人はうまい、この人はあまりうまくない、というように、比べることはあまりしていないですね。

 

伊藤 なるほど、すばらしいですね。「ありがとう」は言いますか?

 

石田 「ありがとう」はめちゃくちゃ言いますね。以前は「すみません」って言っていたんですけど、「すみません」より「ありがとう」のほうが、お互いにとって心地いい感じがするので、変わりましたね。

 

伊藤 なるほど。以前、全盲の友達二人と話していたときに、「ありがとう」って言うか言わないかで二人が論争してたんですよね。一人は絶対に「ありがとう」とは言わないと言っていて、代わりに「自分のことを介助して楽しかったと思えるように、ふつうの友達関係みたいになるようにしてる」と言っていました。

 

石田 そこは難しいですね。以前、介助をやってもらって「ありがとう」と言ったとき、「そんなこと言わなくていい」と言われたこともありました。言われると負担なんですかね。

 

伊藤 そうですね、必ずしも負担には思わないかもしれないけれど、「ありがとう」と言われると、介助する側とされる側という関係が固定する感じがあるんじゃないですかね。わたしの場合は、その固定されてしまう感じが切ないというのはあるかもしれません。もちろん言われたら嬉しいけれど、「してあげる、みたいなつもりじゃなかったんだけどな」とは思うかもしれません。たまに言われたら嬉しいけど、連発されると切ない、という感じかな。

 

石田 介助してもらうとき、全部の工程に「ありがとう」と言うと多すぎるので、言うとしたら、すべての作業が終わって別れるときに言うという感じですかね。

 

伊藤 それも人によって違うだろうし、ほんとうに介助って人間関係ですね。

 

◎久しぶりの介助で

伊藤 あと、冊子に掛け声が重要だということが書かれていました。掛け声は介助者がかけるものだと思いますが、それを言ってもらうと準備ができるということでしょうか?その準備は具体的にどのようなものでしょうか。

 

石田 気持ち的な問題と、あと介助者が声を出したほうが腰が座るのかな、と思っています。

 

伊藤 なるほど。必ずしも息を合わせることだけが掛け声の目的ではないんですね。

久しぶりに介助を受けて、忘れられていたりすることはありますか?

 

石田 ありますね。一ヶ月ぶりに介助をしたりすると、動線や物の位置とかが分からなくなって、「どうやってやるんだっけ」ってなったりします。でもやり始めると、「こうだったな」って思い出すんです。

 

伊藤 一ヶ月でも頭では忘れちゃうんですね。動き始めれば思い出すというのも面白いですね。

 

石田 手順のようなものは覚えていても、体の感覚は一ヶ月たつと忘れちゃう。それはお互いで、ぼく自身も「この人の体の位置関係はどうだったっけ」ってなっちゃうことがありますね。やっているうちに「あ、この位置だった」「この力の入れ具合だった」って思い出すんです。すごい感覚的なものですね。

 

伊藤 面白いですね。その介助者によって違う力の入れ具合って、時間的なものもありそうですね。いきなり最大の力を入れる人もいれば、少しずつ入れる人もいて、人によってリズムが違いそうです。

 

石田 確かにどっちのタイプもいますね。これぐらいの速度で持ち上げていくんだな、とか、目線とか、人によって違いますね。

 

伊藤 そういうお話を伺うと、石田さんは、わたしとは違う仕方で、さまざまな人のことを知ってるんだな、という感じがします。わたしにとっての人の知り方って、顔とか、言葉の使い方とか、興味があることとか、笑いのツボとか、そういったもので、確かに半年ぶりくらいに会ったりすると、最初はちょっと忘れてるけど「ああ、この人こういう感じだった」って徐々に思い出す感じがある。でも石田さん見ているその人の人となりってもっと違う部分ですよね。

 ちょっと、恋愛小説っぽいですね。その人が無意識にやっているプライベートな部分も含めて、徐々に人を知っていく感じが。正解はなくて、ほんとうに一対一の関係をさぐりながら構築していく感じがあります。しかも石田さんの場合には、それを同時に複数の介助者とやっているわけですもんね(笑)。

 

石田 確かに、介助には物語がありますね。

体を使って向き合うという意味では、ダンサーもそうなんだろうなと思います。自分の体を使うことや、人の体とどうコンタクトとるかということを考えている感じがする。ぼく自身も、砂連尾(理)さんに会うまでは、ダンスに興味を持っていなかったんですけど、たまたま大学3年生のときに砂連尾さんが着任して、介助の冊子を見せたらダンスみたいだねと言われて、介助をダンスとして捉えることの驚きがありました。芸術関係の人は、自分と違う状況の身体に興味を持つ人が多いのかなという気がします。

 

伊藤 ダンスの公演に行かれたことはありますか?

 

石田 あります。たんぽぽの家で佐久間新さんが障害者の人とやったダンス(「だんだんたんぼに夜明かしカエル」2019.03.10)を見に行ったり、ダンスとはちょっと違いますが、五人くらいいろいろな障害を持った人が、自分語りをしながらそれを作品にしていくダンスと演劇が混ざったような舞台(Ping Chong’s ドキュメンタリー・シアター Undesirable Elements 『生きづらさを抱える人たちの物語』 2019.01.19)を観に行ったことがあります。障害を表現として見せているときと、日常生活とで、見え方が変わってくるのが面白いなと思います。

 

伊藤 ドキュメンタリー映画を制作されるにあたって、映像に撮られたご自身を見て、結構発見がありましたか。

 

石田 そうですね。思ったより体が動いているなと思いました。インタビューしているときに手を無意識に動いているときとか、床に降りたときの足の動きとか、映像に撮られてそれを見返すことによって気づけましたね。

 

伊藤 今みたいにzoomを使うと、体全体が見えないので、むしろ手が全身みたいな感じになりますね。ものすごく動いているように見えますね。

 

 

2020/8/27 zoomにて