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島袋勝弥さん

島袋勝弥さんは宇部高専で教鞭をとるロービジョンの生物学者。「視野はせまいけど視力はそれなりにある」タイプの弱視で、だから物を落としたときなどは「ちょっと離れると見つかる」(そのほうが視野が広がるから)。顕微鏡を使った研究にこだわるのは、細胞ひとつひとつ、タンパク質ひとつひとつが実は違うという、生物のいい加減さと複雑さに触れることができるから。「平均の世界から離れることができる」という表現にも痺れました。


島袋勝弥さんプロイフィール

1977年生まれ沖縄県出身。宇部工業高等専門学校物質工学科准教授。沖縄県立球陽高等学校を卒業、東京工業大学に進学。2004年に東京工業大学大学院生命理工学研究科博士課程修了。学位は博士(理学)。大学院生時は吉田賢右教授(現、名誉教授)、宗行英朗助手(現、中央大学教授)のもと、分子モータータンパク質の1分子観察の研究を行う。
2005年に渡米、フロリダ州立大学のThomas M. Roberts研究室にて、細胞がアメーバ運動する様子を試験管内で再構成することに成功。この成果で日本生物物理学会若手奨励賞受賞。2011年に帰国し、1年間、日本科学未来館で研究員を勤めた後、2012年4月に宇部工業高等専門学校 物質工学科に講師として着任。2014年に准教授となり、現在に至る。専門は生物粒理学、細胞生物学。
発信できる視覚障害者としても活動中(執筆、講演、ロービジョンケア普及活動)。発表物に第54回NHK障害福祉賞入選(「ヴィジュアル系研究者でいこう!-視覚障害者だけど、顕微鏡マスターになりたい-」、)、第18回オンキョー世界点字作文コンクール優秀賞(「「ロービジョンだけど、ハイテンション」な僕」 )など。一覧はこちら

◎離れると見える

島袋 それで最初にちょっと確認したいんですけど、お互いのことは「さん」付けでいいですよね?

 

伊藤 そうですね。「さん」でいきましょう。研究者仲間だし。

 

島袋 「先生」は、言われ慣れてないんですよ。やっぱり「さん」の方が話しやすいんです。

 

伊藤 東工大にいらしたのはいつごろですか?

 

島袋 僕は96年に入学して、2005年の夏までずっと東工大です(博士号は2004年、その後1年程度研究員として吉田研究室に残り、2005年に渡米です。)でも生命系だったのですずかけ台キャンパスで、吉田賢右(まさすけ)先生の研究室にいました。

 

伊藤 今の見え方としてはどのような感じでしょうか。

 

島袋 右目は手動弁ですね。光は問題なく分かって、右目の前で何かが動くと、何かが動いたなとわかる程度です。でも正直言って右目はノイズですね。左目は真ん中が見えて、文字が読めたりするんですけど、やっぱり両目でピントを合わせようとするんですよ。そうすると、見えてる左目と見えてない右目だからかえって中途半端になる。本当は僕も10年ぐらい前から、右目を隠したほうがやりやすいよと言われてるんですよ、なまじ右が見えてるから、変な映像とかが入ってきて、情報が正確じゃなくなるわけです。 もちろん無意識に使っているところはあると思うんですよね。たとえば右側から人が来たという場合に、なんか動くものがあるっていうのは多分わかってる。でも、それも僕の中ではそんな重要ではないですね。正直、右目は大事じゃない。

左は、ドーナツ状に視野が欠けていて、メガネかけたら真ん中の部分は視力0.7から0.8ぐらいは出ます。裸眼だと0.1あるかないかぐらいなんですけど、それなりの視力はある。だから真ん中に見える部分があって、もう少し周辺に行くと見えない部分があって、さらに奥のほうに行くと見えている、という感じなんですよ。数字で言うと、普通は130°見えるんですけど、僕の場合は中心2°と40°から外が見えているんです。つまり3°から 39°が見えない。

でも、視野がドーナツ状に欠けているからといって、実際に僕が見えている領域にドーナツ状に暗い領域があるというわけではないんですよね。暗いドーナツが見えるかっていうと全く見えないです。

 

伊藤 ぼやけてるわけでもないということですか?

 

島袋 ぼやけているのとまた違うんですよね…。なんかふにゃふにゃしてる(笑)。僕は脳で解釈している画像としては繋がっているんですけど…。たとえば、いまこうやって顔の前で左手を動かしていますよね。左目の前あたりに手があると、見えるんです。でももうちょっと左にいくと消えるんです。さらにもうちょっと左の肩のほうに行くと見える。見えてるはずなのに、手が消えたり出てきたりするっちゅう変な感覚なんですよね。それが「ふにゃふにゃ」です。

 

伊藤 面白いですね。「見えてるはずなのに」ってどういうことですか。存在するはずのものが見えないって感じがあるっていうことですか。

 

島袋 そうです。たぶん昔の経験と一致してないんだと思うんですよ。もともと輪っか状に欠けてたら違ったかもしれないんですけど、昔は目の前でものが動くとずっと連続的に繋がっていた。ところが今ドーナツに欠けちゃったから、見える範囲から出ると消えちゃうわけですよ。脳にとってはここの部分は別に真っ暗でもなんでもないのに、なんかものが捉えきれなくて消えちゃう。だからぼやけてるというのも違っていて、なんか無い部分に何か適当な画像を埋め込まれてるみたいな感じですかね。はっきりした画像でもないんですけど、見えるように騙されてるっていうような感じですね 。

 

伊藤 補完されてるって感じがあるんですね。

 

島袋 あります。すごく補完されていると思います。

 

伊藤 そうなると、たとえば人の顔の全体を見るときは、どんなふうに見えますか。

 

島袋 例えば伊藤さんと普通の距離で話しているとした場合、だいたい伊藤さんの左目だけしか見えないんですよ。でも周辺の視野もあるので、人の大きさとか、シルエットはわかる。だから具体的にちゃんと見える真ん中と、周辺視野によって全体的に見えるシルエットみたいのを合わせて、これは誰だって判断してるとかいう感じですね。話してる時は、相手の左目を見るんですけど、一応、最初確認するときは顔全体をスキャンするような感じで、眼球を動かします。部品の配置をつかむみたいな感じですね。

 

伊藤 スキャンすることで、顔は分かりますか?

 

島袋 いや顔は、分からないです。僕の場合、15m先にいる人は僕の視野に収まるので誰だかわかるんですよ。その距離で誰か認識したまま近づいてきたら、誰と話しているとわかるんです。でもいきなり横から来て話しかけられると、「誰?」ってなるんですよ。

 

伊藤 そっか、視野が限られるから遠いほうが見えるんですね。

 

島袋 そうなんです。遠いほうが見えるんですよ。例えばペンを落としたとしますよね。もちろん音でわかるときや、手でさぐってみることもありますが、それでもわからないときは5メートルぐらい下がって見つけて、それで戻ってきて拾うんです。

 

伊藤 面白い!それは、離れてペンを見つけて、そこから近づいていく過程で消えるんですか?

 

島袋 消えます。見つめたまま近づくこともあるけれど、たとえば落ちてたのがホワイトボードの足元だってわかれば、あとはホワイトボードに近づけば足元はわかるので。慣れた研究室なら頭の中でここだって分かりますしね。

 

伊藤 なるほど。となると、生活の中でピント調整というか、見るために遠ざかったり近づいたりする前後運動が割と多くなりますか?

 

島袋 えっと…ですね、知らない場所だったら多いです。 知ってる場所だったら、もうほとんどあそこに何が見えるって分かっているので、自動的にピントは調整できているんですけど、知らない場所だと調整が必要になる。 でも知っている仕事場でも、いきなりドアをあけたところに突然工事用のトラックが止まっていたりすると、分からなくなるんです。そのような状況だと、トラックの一部しか見えないので。

 

伊藤 なるほど。そうやって立ち位置を調節するのって、場合によってはちょっと面倒くさいときもあるんじゃないかと思うんですが…

 

島袋 道具としては、マイナスルーペを使っています。これはものを縮小して見るんです。視力が悪いタイプの視覚障害者は単眼鏡を使いますよね。でも僕みたいに視力があるんだけど視野が狭い場合は、縮小するレンズで視野を広げるんですよ。例えば僕は横断歩道を渡る時に、反対側の信号が見つからなかったりすることがあるんです。それでどうするかというと、マイナスルーペをかざして、そうすると広い視野が見えるので、あ、あそこにあるなって把握して、マイナスルーペをはずして、あとは実際に信号を見て変わったら渡るっていうようなやり方をします。

それともう1つやるのは、iPhoneですね。iPhoneで写真撮っちゃえば、いろいろ見える。 僕が使っているのはiPhone 7なんですけど、このサイズがいいんですよ。これ以上大きいのは僕にとってアウトなんです。視野が狭いので画面が小さいiPhoneがよくて、画面が大きいiPhoneだとどこ見ていいかわからない。このiPhoneで写真撮った後に、探しているものを見つけて、実際にそれを見る、といったようなことをやります。

 

伊藤 私はふだん自分の視野の調節をほとんど意識したことがありませんが、島袋さんにとってはそれが距離の遠近やツールの使用という形で自然に行われているのが面白いです。

 

島袋 自分がドームの中に居ると考えたら、視野は表面積のことだから、距離の2乗に比例するじゃないですか。だから2倍離れたら僕は4倍の視野に広がるはずだ、みたいな感じで距離をとったりするんですよ。そういう工夫はかなり自然なものになってますね。

 

伊藤 となると、調整をめんどうだと感じたり、諦めたりすることはあまりなさそうですね。

 

島袋 実は簡単にそうでもなくて、いろいろ条件付きなんですよね。例えばその場所が明るいか暗いかで対応が全然違うんですよ。僕のように網膜色素変性症だと、夜が全く見えないんです。となると例えば夜道で何かを落としたら、基本それは諦めます。一応、落としたところを手探りしたり足払いしみて落とした物がないかというのを探るんですけど、なかった場合、それは諦めます。でも昼間の場合だったら、それなりに目が使えるので、距離を置いてそこから探しているものを見つけて近づく、というようなことをやるんですよ。

だから僕の目の状態というのは、夜は完全に盲に近いですんだけど、昼間はそうではないんです。昼と夜での動きの差が大きいと思います。

 

◎バスに乗るときは見えない、降りるときは見える

伊藤 「見る」といったときに、特定の対象にフォーカスするのではない、空間の広さや雰囲気といった全体をぼんやり把握するような「見る」もあると思います。たとえばレストランにはいったとき、どの席に座るか決めるときというのは、まず店の中の全体を把握して、席を決めるという流れになります。そういうときも、さっきの人の顔を把握するような「スキャン」をやりますか?

 

島袋 いや、レストランに入るときは、全体像を把握しないですね。その建物自体の空間マップみたいなものはもう全然作らなくて、一緒に行く人に席まで案内してもらうということが多いです。初めての店には、基本的には僕はもう1人で行くことっていうのはあんまりなくて、あったとしても確実に店員に声かけて席まで連れて行ってもらいますね。それはさっきの暗さの話と関係していて。夜に居酒屋とかに行くと、暗いじゃないですか。だから僕の目ではほぼ見えないんですよ。さらに、暗順応が遅いんです。だから昼間でも、こういう晴れた日に建物が入ると、入った瞬間って何も見えないんです。絶対的な明るさだけじゃなくて相対的な明るさもすごく影響しているんです。

 

伊藤 なるほど。夜と昼という単純な区別じゃないんですね。

 

島袋 そうなんです。例えばバスに乗ることを考えると、実はバスに乗って席を探して座るっていう行動は、夜の方がやりやすいんですよ、真っ暗の中から明るい蛍光灯が点いたバスの中入るわけだから。逆に昼は、明るいところから暗いところに入るから、乗った瞬間は見えなくて、どこの席が空いているのか白杖でさぐりながらうろうろして、みんなに声かけられて「ここ空いてますよ」って言われて座る。でも降りる頃には目が慣れているから、スタスタ降りていくんです(笑)

 

伊藤 それはまわりはびっくりしますね(笑)

 

島袋 そうなんですよ。見えてるんだか見えてないんだかわからないと言われますね。僕みたいな視覚障害だと周りの条件の影響を受けるので、あるときは全然見えないし、ある時はパッと見たら普通の人と変わらないように行動するし、差が激しいですね 。

 

伊藤 順応にはどのくらい時間がかかるんですか?

 

島袋 10分ぐらいですかね。

 

伊藤 結構長いですね。

 

島袋 長いですよ。レストランとか行っても、10分くらいするとようやく「あっ隣にもテーブルがあったんだ」とか「隣が壁だと思っていたら人が座ってたんだ」みたいなことが見え始める。

 

伊藤 聴覚情報はあまり使ってない感じですか?

 

島袋 聴覚は結構使ってはいると思いますね。例えば僕はクラス担任をしてるんですけど、教室は入った時に誰がいるかっていうのは耳を使いますよね。誰かの声が聞こえたら、「こいつがいるんだったらいつもつるんでるあいつとあいつとあいつもいるな」という感じです。たまにいなくて困るんですが(笑)。

 

◎顕微鏡があると平均の世界から抜け出せる

伊藤 研究のことも伺いたいんですけど、島袋さんはずっと顕微鏡を使ってらっしゃいますよね。顕微鏡で研究するってどういう面白さがあるんですか。顕微鏡っていうのはつまり視覚化するってことなのかなと思うんですが、それは例えば数値で捉えると言うことと違う価値をもっているということなのでしょうか。

 

島袋 ひとつは説得力の違いなんですよね。グラフや表を作ることもあるけれど、顕微鏡なら写真1枚見せればそれでいい。一発必中って感じなんですよね。もちろん目が悪いのに顕微鏡をやっていることに対するジレンマはずっと感じています。でもやっぱり、顕微鏡の画像や動画がもっている説得力ってすごい。だからこれを使わない手はないんじゃないかと思います。

ふたつめは、顕微鏡だと集団ではなく個を見れることです。例えば細胞がたくさんいるとして、それを数字にしてしまうと、平均の値しか見えなくなってしまう。でも顕微鏡を使えば細胞1個1個が見えるわけです。同じ条件で育った細胞にもかかわらず、やっぱり個体差っていうのがあって。僕が東工大にいたときはタンパク質を一分子だけ取ってきてその動きを見るっていう研究やってたんです。タンパク質なので結局アミノ酸がたくさんつながったモノなのですが、それでも個体差があるんですよ。「なんかこいつ速いな」「なんかこいつ遅いな」とか。

 

伊藤 へえ〜そんな世界があるんですね!私自身の研究の関心も「個」にあります。人間一般とか身体一般みたいな抽象化した何かではなくて、ひとりひとりみんな体が違うということにフォーカスしたかった。それと同じことが細胞レベル、タンパク質のレベルでも見えてくるなんて考えてみませんでした。

 

島袋 一卵性双生児でも、DNAは同じなのに、成長して行く途中でDNAに飾りが付いて、性質や性格が変わってきます。生物って結構なあなあなあって決まっているところがあって、それが面白いところだし、難しいところでもありますね。その生命のいい加減さっていうのが、顕微鏡だと見える。「あれ、このタンパク質働いてないじゃん」とか「なんでこの細胞こんな形してるんだろう」みたいなのが出てくる。

 

伊藤 めちゃくちゃ面白いですね。そういう個体差そのものは研究対象にできるんですか?

 

島袋 できてますよ。僕は大学院生だった頃にタンパク質の1つの分子だけを見られるようになって、平均の世界から脱することができたんですよね。そこから分子って全部同じじゃないよね、なんか個性あるよねっていう話になって、その個性はどこから来てるんだろうという話題が吹き出したんです。

 

伊藤 その研究は、単に個体差があることの確認に終わらずに、もっと大きな問いにつながっていくのでしょうか。

 

島袋 そうだと思います。タンパク質一個が分からないのだから、人間のことなんか分からないというのが僕の持論です(笑)

 

伊藤 じゃあ毎日顕微鏡を見るのがめちゃくちゃ楽しいですね。

 

島袋 そうですね。でもまあいつもそれがちゃんと見える訳じゃなくて、見るための技術が必要です。今はいろいろな装置が出ていますが、僕が大学院生だった頃は 1個の分子を見るための顕微鏡を自分で作らないといけなかった。むしろそれができる人だけが、平均の世界から抜け出すことができたんです。僕が学生のころは、日本が最先端を走っていたんです。平均でも平均でないところでも話ができるっていうのがやっぱりすごい魅力なんですよね。

 

伊藤 魅力的ですね。今使ってらっしゃる顕微鏡はどのようなものですか?

 

島袋 光学顕微鏡がメインですね。電子顕微鏡は小さいものまで見えるんですが、真空で観察しないといけないんで、ウェットな生物にはあまり向いてないんです。スルメを見てイカを想像しないといけない感じですね(笑)

あとは走査型顕微鏡も使います。めちゃめちゃ細い針で物や生き物の表面をなぞっていくことで、表面の凹凸をとらえます。でもこれって視覚障害者が触覚でものを感じているのと同じなんですよね。針の動きをみながら、「白杖振ってる俺に似てるな」と思ってます(笑)。

顕微鏡を見る時にはカメラで撮って画像で取り込んでパソコンで見ています。そうすればコントラストを調整したりすることもできますからね。30年前はフィルムだったけど、いまはリアルタイムで学生とわいわい顕微鏡を見ながら画像を確認できますからね。

 

伊藤 研究者として顕微鏡を見ることと、ロービジョンで生活していることって、なんか通じるものがあるような気がするのですが…

 

島袋 顕微鏡を扱ってきたことは、めちゃくちゃ生活に役立っています。アナログ的なところでいうと、レンズの仕組みがわかるので、さっきのマイナスルーペの使い方がわかる。それから顕微鏡を使っていると光に強くなります。たとえば今日も午前中に遮光眼鏡の調整をしてきたんですけど、遮光眼鏡って実はひとつじゃないんですよ。いろんな色があるんです。そういうのを見たときに、「この人はこの眼鏡を使っているからこの色が苦手なんだろう、じゃあこういう感じの資料を渡そう」みたいなことができます。明るさ調整なんかに関しても、偏光板をまわしたり、他の人がやらないような工夫をしますね。

あとはデジタルなところで言うと、ロービジョン用のツールもいまどんどんデジタル化しています。それも顕微鏡を使いながらカメラをつなげてパソコンを使ってということをやっているので、新しい機器がでてきても説明なしで使い方が分かります。それどころか、ここを工夫したほうがいいというアドバイスができるので、どんどん注文の多い視覚障害者になっています(笑)。なので、顕微鏡学者として生きてきたことが、結果的に、自分の日々の生活のQOLをあげるのにめちゃくちゃ役立ってますね。

 

伊藤 なるほど。生物学がご専門でも、実際にはかなり光学やメカニックな部分の知識が必要で、それが生活に役立っているわけですね。

 

島袋 あとは限界も分かりますよね。この機械にできるのはここまでだと分かるわけなので、わざわざ限界をこえたようなことはやらない。そのあたりの判断は早いでしょうね。

 

伊藤 なるほど。もう少し具体的なレベルの話も伺ってみたいんですけど、顕微鏡って倍率を操作しますよね。その感覚と、生活のなかで視野を調整する感覚は似ていたりしますか。

 

島袋 顕微鏡を使うときには、最初にあたりつけますよね。まず倍率が低い状態で「ここを見たい」って決めて、それから倍率を高くしていく。最初に森を見て、見る木を決めるんです。1歩引いたところで見るのと、ガン見するところ使い分けはしますね。それをしないと、例外ばかり追いかけてしまって解釈を間違えることがあるんです。全体の雰囲気を見て、平均の基準を作って、それから拡大して個を見ていくという感じですね。

 

伊藤 おもしろいですね。お話をうかがっていると、現実の空間の話なのか、顕微鏡の世界の話なのか、よく分からなくなる感じですね。

 

島袋 両方とも見るということだという意味では、僕も同じだと思っています。ただ、一つ大きな違いがあるすると、動きですね。実生活は、車とか人とか、動いてますが、顕微鏡だと実験条件によってはものがほぼ動かない状態でできるわけですよ。しかも僕の見え方って、さっきお話したように見えたものがすぐ消えるので、動体視力0の状態なんです。猫を見つけたとしても次の瞬間いないですし、自転車が飛び出してきても飛び出してきたことすら気づかないまま過ぎ去っていく。だから顕微鏡を見ているときよりも、日常生活のほうが不便かもしれませんね。

 

◎学生たちとの近さ

伊藤 弱視の方は見え方が理解されにくいから、街中で介助をうけるときには全盲のふりをしたほうが楽だって言いますね。

 

島袋 電車に乗るときは、慣れていて必要のない駅でも駅員に来てもらいますね。こっちの駅では介助が必要で、こっちの駅では必要ないというのは、普通の人には意味わかんないですよね。声かけられたときも、素直に諦めて「あ、お願いします」って言います。「ここはわかるから」とかそういうことはもう言わない。いつも以上に見えないふりをするんですが、ときどき「桜が綺麗ですね」とか言ってしまって慌てたりする(笑)

 

伊藤 職場の学校の仲間は、島袋さんの見え方は理解しているんですか?

 

島袋 はい、知ってます。僕も学校の中では杖ついてますし、最初に持つクラスでは必ず見え方っていうのは伝えています。言うときには「これはできる」「これはできない」ということを具体的に示していますね。たとえば落としたら気づかない、とか話しかけるときは名乗ってほしいとか。明文化しているわけではないですが、僕の取り扱いルールみたいなのがあります。

 

伊藤 ラジオを拝聴して、学校の対応がずいぶんうまく行っているという印象をうけました。

 

島袋 すごく上手くいってますね。なぜそこまで上手くいってるか分からないんですよ。これほどの配慮は見たことないって言われるんですよね。理由の一つはタイミングで、2016年に障害者差別解消法が施行されたときに、僕が見えづらくなって学校の中でも白杖をつきはじめたんですよね。いろんな障害を持つ学生が入ってくる、どうしよう、というときにたまたま僕がいたんです。それで、とりあえずできることをやりましょう、みたいな話になっていった。

あとは、僕は背後にタートルがいたので、僕のいろんな要望が具体的だったと思うんです。配慮をしてもらうたたき台として、僕は学校に情報提供書を提出しました。この業務はできますが、この業務はできません、この点は分からないです、みたいなことを具体的に書いていきました。配慮してもらうためにはたたき台が必要で、たたき台は漠然としてたらダメなんですよね。

 

伊藤 なるほど。かなり島袋さんもリードされた感じですね。

でも明文化されていることの隙間というか、その場でみんなが臨機応変に対応していった部分もあったと思うんですよね。まわりの人との人間関係や信頼感によって、そのつど判断されていった細かいことがあったと思います。

 

島袋 それはあったと思います。応援する人が多かったですね。他の学科の先生とか、保健師さんとかが、絶対に戻ってきて欲しい、そのためには何でもする、みたいな感じで応援してくれました。僕は結構、自分の障害を笑いにするんですよね。「ぼくは視野が狭いし、顕微鏡見ているから世界一スケールの小さい男だ」とか(笑)。学生からは「私と話したかったんでしょ」みたいな対応をされますが(笑)。学生のほうも、道の向こうから女子学生二人に「しーまぶ」って声かけられて、遠くだからそれが誰か分かったら、こっちを指差して「見えてるー!」って言ったんですよね。なんて失礼な!と思ったけど(笑)、やっぱそれができるっていうのはなかなかいいことだと思うんです。腫れ物になっちゃいけないですね。「自立とは依存先を増やすことである」っていう言葉がありますが、そのためには、声がかけやすい人じゃないといけない。学生との距離はものすごく近いですね。クラスのLINEにも入ってますが、LINEは間が読みやすくていいんですよね。日常の会話だと動きが入るから、そこが見えないと反応が難しいんです。でもLINEはスマホの中で起こることなので、ぼくの視野におさまるんです。

 

 

2021/3/27 zoomにて