伊藤としゃべり方が似ているかも、と興味をもってくれた瀧瀬彩恵さん。米国で複数の言語を行き来しながら育ったことで、「相手に対する応答可能性を最大限残しておく」ための、余白をふくんだ吃音的しゃべり方が身についたそう。帰国子女の身体論、みたいなものがあるのかもしれません。
【瀧瀬彩恵さんプロフィール】
2-10歳を米国で過ごす。現在は東京で執筆や日英翻訳など、言葉にまつわる仕事に従事する。
◎言葉の根っこが干からびる
瀧瀬 本当この12月1月ぐらいって一番言葉が出にくくなったり、しゃべるのがすごく苦手になるんです。しゃべる以前のその言葉の根っこがもう干からびてるみたいな感じになっちゃう。
伊藤 どういう感じですか、「言葉の根っこが干からびる」って。
瀧瀬 言葉の手前にあるイメージがない感じです。ちっちゃいときから体の内側/外側みたいな感覚があるんですが、声として外に出て行くものがそもそも内側に無いんです。言葉を身体的に捉えているっていうか、動きみたいに見えてるっていう感じがあって…
伊藤 それは単語が思い浮かばないっていうこと?
瀧瀬 単語以前の流れみたいなもの、名前が付く前の状態みたいなものが出てこないです。
伊藤 それは逆に「言わなきゃプレッシャー」を感じているっていうことですか?
瀧瀬 その場で相手の話すテンポとか、「声の圧」っていうんですかね、なんかそこにうまく当てようとしてずれちゃう、みたいなことがあります。ちっちゃい頃ダンスをやっていて、今も言葉が出てこない時に家で踊るんですけど、そうすると「ああこの動きの感じだ」ってなるんです。ものすごくゆっくりのものでも、すごく激しいものでも、ある程度、体がその動きに合わせた体にならないと踊れないんですよね。その場にふさわしい、その場でちゃんとしゃべれる状態に、体がなってないと、言葉のイメージが出てこないんですよね。たぶんすごく緊張しちゃってるんだと思います。
伊藤 一番話しやすい状況や相手はどんな人ですか?
瀧瀬 話しやすいのは…伊藤さんぐらいの感じっていうんですかね。なんかふわっとしているというか。逆に、何かになろうとして話してる人、何かのペルソナに自分を適応させて話している人は、圧が強いって言うんですかね、それに圧倒されちゃいます。理論武装している人とか、広告代理店の営業さんとか、横文字すごい並べてしゃべるみたいな人(笑)。体の状態が良ければそこにすごいついていって、そのドカドカした感じにこう自分も巻き込まれていくんですけどね。
伊藤 そのあとはどうなるんですか。
瀧瀬 疲れます。お肉食べないとやってけない、みたいな。
伊藤 (笑)「今日仕事でうまく打ち合わせ出来なかったな」って感情的に落ち込むというよりは、もうちょっと拮抗できるところまで自分の中のパワーを高めよう、という感じなんですかね。
瀧瀬 話す癖とかがこじれちゃったりとか、その人の話す癖とかを引き継いでほかの人に話しちゃうと、話し方があんまり自然じゃなかったり、自分もその体になったままほかの人に話す、みたいになっちゃいます。
伊藤 ひきずるんですね。そういう変化を人に指摘されますか?
瀧瀬 本を作っていて、それに載せる音楽を作ったんです。私がいろんな場面で話している音源、日本語だったり英語だったりするんですけど、それを混ぜた音楽を作ろうと思って、作る人に渡したら、「全部あなたの声だと思えない」と言われました。
伊藤 その音源っていまあったりしますか?
瀧瀬 あります。
(音源聞く)
伊藤 確かに!英語だと声が低くて全然別の顔を思い浮かべますね。
瀧瀬 話している相手がアフリカ系のアメリカ人だったので、その人の英語に私が寄ってますね。久しぶりにアメリカ人と英語で話したときで、自分が生まれ育った英語を話しているっていう感じです。
伊藤 やっぱりホッとする感じなんですか?
瀧瀬 ホッとするし、やっぱりみんな訛ってますよね。違う言葉をいくつかしゃべれるとそれ用の人格のチャンネルがある感じがします。英語だと物の区切りが明確になる感じだけど、日本語だと主語とかなくて語順がバラバラになっててもお互い補完しあって話せたりとかする。流れ出したところが一番解像度が高いっていうんですかね。そういう抽象的な話とかエモーショナルな話とかはやっぱり日本語の方がしやすいです。英語だとそういうのがスパッと切れて、そういう自分がいなくなるみたいな感じがする。だから通訳をしたり、仕事の打ちあわせで英語と日本語を行ったり来たりし過ぎると、脳みそとか体の状態とかがどっちつかずになって、どっちを出せばいいのかっていう瞬発力がおかしくなる気がします。
伊藤 私は残念ながらその感覚は分からないんですよね。日本語の比重が大きいから英語をしゃべっても日本語の上で喋ってるんですよ。英語で人と会話してるときは、自分の思っていることが伝わっているんだろうか?っていう不安が常にあるから、人格が移るまでは行っていない気がします。
瀧瀬 あ、でもその不安は私もあります。日本語しゃべってても私の使ってる日本語ってみんなと同じ日本語じゃないかもしれない、一応わかり合っていることになってるけど…みたいなのがある。英語でもそうで、多分3日間フルで英語喋っている人に囲まれたりとかしたら、その不安は無くなってくるんですけど、最初はもう英語の皮を被った日本人みたいな感じです。「私ちゃんとここに居るのかな」レベルで不安になってくるんです。そうするとくだけた表現とかを使うのが怖くなっちゃって、いったん食傷状態みたいな感じでしゃべっています。
伊藤 しゃべるってつねにジャンプがありますよね。この人はここまで言って通じるかな、とか、今の自分ここまで言えるかな、みたいなジャンプがあって、その飛距離をちょっとずつ伸ばしていって、何も考えずに楽に話せるようになる、というか。
瀧瀬 そこが本当に目の前10センチぐらいのところで止まっちゃてる感じですね。そこからだんだんくだけてくる。体が英語を話すモードになってる、という慣れが大事で、脳みそでこう変換しようとしないで、顔の動き方とか体の動かし方も変わってこないとだめですね。
伊藤 そのとまどいのほうは私も分かるんですけど、二つの言語、二つの文化がだいたい同じくらいの比重で自分のなかにある、という感覚が私には分からないんです。
瀧瀬 うーん、そうは言っても私は10歳までしかアメリカにいなかったので、比重は圧倒的に日本の方が大きいんですけど、でも重心にあるのはやっぱりアメリカなのかなっていう気がします。たぶんその英語を喋ってる癖のままずっと来ちゃってるんだと思います。
◎体を観察する習慣
瀧瀬 そもそも伊藤さんに連絡しようと思った一番のきっかけが、鴻池朋子さんとのトークショー拝見したときに、今日も話しててそうですけど、なんか話し方似てるなと思ったんです。
伊藤 本当ですか(笑)
瀧瀬 なんていうか…相手がどう話してもいいように臨戦態勢でいるっていうか、ちょっとモッタリするっていうか、子音をすごい感じるみたいな話し方っていうんですかね。日本語になってもいいし英語になってもいいし、誰のどんな話し方にも対応できるっている感じです。自分の声を録音したものを聞いても、体がどう動こうか迷ってる感じがあります。
伊藤 なるほど。確かに私も常にどこでも行けるようにはしてますね。それは対人的なものっていうよりは、吃音があるから、「この言葉で言おうとして言えない時にはハンドル切れるような余地をギリギリまで残しておこう」みたいなことはすごくやっていると思います。
瀧瀬 私もその落としどころがこの話し方なのかなって思ってます。海外の生活が長かったいとこがいて、日本語と英語とフランス語をしゃべるのですが、その子と私のしゃべり方が似ていて、伊藤さんと話していても同じしゃべり方だなと思います。
伊藤 色んな言語環境で育った人の「スイッチ」は、どのくらい明確なんですかね。言語がまざったり地続きになったりしないのかな。
瀧瀬 今ちょうどフランス人のアーティストの友人のプレゼンテーションを英訳しているんですが、彼女のフランス語だと、google翻訳にかけつつ原文を見ても、彼女の言ってる事がフランス語として何となくわかっちゃうんです。なんかすごい不思議なんですけど。
伊藤 その方とは面識はあるんですか?
瀧瀬 あります。彼女の作品や興味、世界観を知っているからかもしれません。こういうものを作ってるから、こういう言葉が並んでいると、こういうことで…って情景がうかぶ感じです。彼女自身もそんなに言葉がうまい人ではないから、話す時も結構単語を並べがち[AT1] で、そういうコミュニケーションが普段からあるから、通じあっちゃってるのかな。
伊藤 わかるって不思議な出来事ですよね。
瀧瀬 最近、共感するっていう言葉を簡単に言う人がなんか増えたなと思っていて、共感ってどのレベルなんだろうって思っちゃいます。これを言うとなんかオカルトみたいなんですけど、私、蟻地獄につかまったみたいに、話すと疲れちゃう人がいるんです(笑)。相手のためみたいに言いながら本当は自分のプライドのためだったりコンプレックスを隠すために接してるみたいな、やたらマウントとろうとしてくる人と話してると、なんか肩のあたりがすごい重くなってくるんですよね。
音楽レビューの翻訳の仕事をいくつかしてて、そうするとちょっと格好つけて評論する音楽レビューならではのお作法があったりして、そういうのはすごく訳しづらいんです。この人ちゃんと感じ取って言ってるのが分かる、という人は翻訳しやすいんですけど、「音楽ライターとして音楽評論書いてるんだ、俺」みたいな意識がすごい出てる文章っていうんですかね、言葉の意味はまあ分かるんですけど、どこがどう被さっているか分からないんです。言葉同士が手を繋ぎ合ってない感じっていうか。一つ一つの言葉はすごくキラキラしていて、綺麗なものとして輝いているんだけれども、書いた人の中でそれがちゃんと手繋ぎ合ってなくて、読み触りのいいことばとして放たれているだけっていう感じ。まあなんとか仕上げるんですけど、私、日本語の読解力おかしいのかなって、自分を疑っちゃう。
伊藤 お話を伺っていると、音として聞こえてくる言葉がどこから出てくるのか、最初におっしゃっていた「根っこ」に通じるのかもしれませんが、「言葉の出どころ」みたいなものを常に探る意識っていうのがありそうですね。多分、そういうの全然気にしない人もいると思うんですよね。言葉を花吹雪みたいにぱーっと撒き散らして全然OKという人もいると思う。でも瀧瀬さんはそうではなくて、相手の言葉の出どころを確認してないと、それが自分の不安に返って来るって感じですね。
瀧瀬 あ、そうです。結構、人の緊張とか、体のどの部分に力が入ってるとか、分かっちゃうんです。たぶんそれは、ちっちゃい頃に私が日本人で周りは他の人種の人たちだったので、人の体を観察するのが好きっていうか、ずっとそういう感じだったんだと思います。まわりが全然自分と違う体をしてるっていうのも小っちゃい時からわかってたから、みんなきれいな長い脚だな、腰の位置が私と違うな、みたいなところから意識していたんですよね。
伊藤 それすごく面白いですね。相手のことを体レベルで分かろうとする習慣がついていて、それは自分と違う体の人たちのなかで育ったことが影響しているんですね。
瀧瀬 そうですね。 子供の喜怒哀楽も全然違いますよね。いわゆるアメリカ人の女の子って、格好つけるときのスナップが違うみたいな感じがあって(笑)。特にブラックの人とかラテン系の人達って、もうDNAに刻み込まれてるレベルで、嬉しい時に腰から動くのとかを見ていて、「この人どういう体してるんだろう」みたいな不思議さ、感動がちっちゃい頃からずっとあって。この人は同じように喜んでるけど私よりも全然喜べる、私はみんながわあわあ騒いでるところに入ってるんだけれど、なんかこの私の体ではみんなと同じように騒げない、みたいな感じがありました。逆に日本に帰ってくると、どっかずれていて、顔が人より動いちゃうみたいなのがあって。大人になったらいろんな人がいるからそういうのは気にしなくていいんですけれど、ちっちゃいころはそういう風に感じてましたね。
伊藤 自分と違う体にかこまれる環境で育ったからこそ、表面にでてくるものと、そのおおもとにある根っこを、分けて理解する習慣がついたのかもしれませんね。帰国子女って言語や文化の問題としてとらえられがちですが、身体感覚の問題としてもとらえられそうだなと思いました。
瀧瀬 逆に日本からきた日本の女の子を、不思議な存在として捉えてもいました。日本のこどもの仕草が、アニメから出てきたみたいで、あっそっか、アニメとか漫画ってこういう人たちが日本にいるからそうやって描くんだな、とかちっちゃいのに分析グセが付いちゃって。「えっ?」って首かしげる動きとか、「何これ、日本人ってこういうふうに動くんだ!」みたいに思っていました。
先週の月曜日まで静岡で音楽のイベントがあって、そこに設営から5日間ずっと居たんですけど、山や木々に囲まれているなかで、そこから東京に戻ってきた時には、白線とかプラスチックのポールとかが妙に新鮮に見えて。5日間行っただけですぐにその場所になじんじゃって、帰ってきたときに「ここは異世界で初めまして」みたいな感覚になりやすい。どこにでも初めましてしやすい感じがあります。この土日でやっとその東京初めまして感覚が抜けて、都会の体に戻ってきたって感じです。
伊藤 体って面白いですね。意識がキャッチする以上に環境の情報をキャッチしてるんでしょうね。私も東工大に着任して数年、顔が男性的な感じになったんですよね。男性が多い環境だから、いろんなものを映してるのかもしれません。
瀧瀬 私も5年前まで広告制作会社にいて、そのときの顔がガラスがパキパキしてるみたいな感じでした。業界のイケイケな人たちと接することも多かったので。自分のそういう性質に気づいたのがその頃で、もっと関わる人とか場所とかに自分で責任を持てるようになりたいと思って、会社辞めたんですよね。実際、体調崩したりとかもして。
伊藤 あ、さっきの話はそこにつながるんですね。
瀧瀬 はい。私が若かったのもあると思うんですけど、マウントとるタイプの人も少なくなくて、当時の自分ではハンドリングできなくて。最近はそういう人と接しても「あ、このタイプね」みたいな感じで、どういう風に接すれば向こうも心開いてくれるかが分かる。「膝かっくんする」って呼んでるんですけど(笑)、そういう化けの皮はがしたところでちゃんと人と接したいみたいな気持ちがあるんです。
2021/11/16東工大大岡山キャンパスにて