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岩永はるかさん

しゃべるのは跳び箱を飛ぶような感じ、という岩永はるかさん。ロイター板が見つかるとうまくとべて言葉がでるけど、そこにロイター板があるかどうかは待ってみたいとわからない。もともとの準備好きな性格と、意外にも本番に強い吃音との組み合わせが理屈を超えていて面白いです。研究室の横井春香さんにもサポートしてもらいました。


 【岩永はるかさんプロフィール】

東京生まれ、山梨育ち。社会人になってから、より吃音を意識し出す。もがきながら自分なりの納得を探している。

 ◎ロイター板がどこにあるかは待ってみないとわからない

伊藤 連絡を下さってありがとうございます。結構勇気がいることですよね。

 

岩永 いえいえ……でもそうですね、勇気はいったんですけど。

 

伊藤 そうですよね(笑)

 

岩永 2年くらい前にホームページを発見して、ちょっと読んでいて。ずっといつか受けてみたいなと思っていて。

 

伊藤 なんと、2年越しに連絡をくださったと思うと、感慨深いです。でも、吃音の話ってあんまり人と話す機会がないですよね。当事者の集まりに行かれたことはありますか?

 

岩永 1回も行ったこと…なくて。行こうと思ったこともなくて。当事者の方と関わってみたいなと思ったことはあって、ジモティーっていう掲示板で投稿してみたら、何人か、お返事くださったんですけど、そこでそのときに関わった方達がみんな、「アパレルで働いている」とか「接客してる」とかっていうメールをいただいて、「こりゃ無理だ」と思ったんですよね。

 

伊藤 (笑)

 

岩永 なんていうんでしょう。

 

伊藤 世界が違う?

 

岩永 あの……その場になったときに、自分がどういう失敗、失敗というかどういう気持ちになるかっていうことが、気持ちが押し寄せてくるというか、湧いてきちゃって。とても無理だというか。すごく緊張するので、その緊張を人の分、いや人じゃないんですけど、それは自分なんですけど、2倍になっているような。

 

伊藤 あ、その接客のシーンで例えばうまくしゃべれなかったときのその人の気持ちまで全部入ってきちゃうみたいなそんな感じ?

 

岩永 そう、そうですね。

 

伊藤 なるほどー。

 

岩永 それで、2倍はちょっと……自分の緊張感だけでいっぱいだと思って。やっぱり解決策は人によって違うから、ちょっと今は関われないなっていう気持ちでしたね。

 

伊藤 私も自分が吃音を研究するときに、研究するともっとどもるようになるんじゃないかっていう恐怖が最初にすごくあって。なんか鏡をみているみたいな感じっていうか。ありますよね。

普段はどんなふうに過ごされているんですか。

 

岩永 今ですか?今は、6月から7月までちょっと入院していて、今退院して、先月は1ヶ月ゆっくり回復っていう感じで家で過ごしていて、ちょうど昨日かな?職場に行ったりして、職探しみたいな。

 

伊藤 「この分野が」とかあるんですか?

 

岩永 うん、電話のない仕事だったら!みたいな。

 

伊藤 電話問題(笑)。そうか、事務系だったら電話がついてきちゃうんですね。

 

岩永 基本的にはついてきちゃって。前は「そういう仕事はもうないだろう」と思って、そこでがっかりするのもすごくつらかったので、最初から肉体労働的なこととか倉庫で作業とか、そういう仕事ばっかり選んでいたんですけど。最近電話がなくてもできる仕事っていうのが見つかるようになって。前は図面を書く仕事みたいなもの、書類をつくるみたいな仕事は電話がなかったので、すごく快適、ストレスフリーっていう感じでした。

 

伊藤 電話は対面よりもかなり吃音が出る感じですか?

 

岩永 対面はごまかせるのでいいんですよね。アドリブがきくし。電話って声だけじゃないですか。他に声以外に表現ができないので、困るんですよね、すごく。止まったときに。

 

伊藤 そっか。じゃあいろいろなごまかしの技をもっているんですね(笑)。

 

岩永 (笑)ごまかしの技はいろいろあって。

 

伊藤 ほとんどわからないですよ、特にマスクをしちゃうと。

 

岩永 そうですか。

 

伊藤 うん、わからない。その裏にあるテクニックを教えてください(笑)。

 

岩永 言えない言葉が出てきた時は、単純ですけど、違う言葉に置き換える。あとは忘れたふりをして言ってもらう、とか。あとは考えているふりをして時間稼ぎをしてタイミングを見計らうとか、違う言葉を考えるとか。あとは、アクションしてなんかごまかすとか。場がとまっちゃうとすごく変な空間になっちゃうので。一般の人たちがやっているような自然なリアクションっていうところを真似するというか。「これくらいだったら自然に感じられる」っていうところを真似してやっていますね。

 

伊藤 なるほど。

 

岩永 あと話さない。言いたいことがあったとしても、ちょっとそれは諦めて話さない。

 

伊藤 今お話をうかがっておもしろかったのが、いろいろごまかしているんだけど、ゴールはそのタイミングが来る、というところに設定されている感じがしますね。タイミングって何なんですかね。自分が言えるタイミングってことなのかな。

 

岩永 そうですね。

 

伊藤 それってどういうものなんですかね。

 

岩永 タイミングですか。どういうものなんだろう。

 

伊藤 待つ感じですよね。タイミングって……

 

岩永 跳び箱で、ロイター板ってありますよね。あれに乗れたら行けるんですけど。

 

伊藤 あー、うんうん。

 

岩永 ロイター板がどこにあるかっていうのはちょっと待ってみないとわからないっていうか。ちょっと時間が必要で。でもロイター板がない場合もあって(笑)。そういう場合は、違う手段にいくしかないんですけど。

 

伊藤 なるほど!向こうからベルトコンベアみたいに何かがやってくるっていうよりは、探している感じなんですかね。

 

岩永 そうですね、探している感じですね。あとは「どう思われているんだろう」っていうのはすごく気にしていて。最近はそんなに気にしないようになってきたんですけど、気にしてもしょうがないなと思うので。…いろいろ考えているかもしれないです。

 

伊藤 どう思われてるのかなっていうのは、ある程度一般論で、つまり「このくらいの間はごまかせてるはず」「これはちょっとやばい」みたいな、自分内法則で動いているのか、それともそのつど相手の表情をけっこう見てる感じなのか、どういう感じですか。

 

岩永 表情も気にしてますけど、一般論で、基準値として自分の中にあるもので動いていますね。

 

伊藤 なるほど、でも周りの表情をみれているっていうことは、外側にもアンテナがたっていて、かつ自分の中でもロイター板を探している。

 

岩永 ロイター板探してます。

 

伊藤 じゃあ内と外に両方アンテナ張ってる感じなんですかね。

 

岩永 そうですね、言われてみればそうかもしれないですね。

 

伊藤 結構周りがまったく見えなくなるっていうタイプの方も聞いたことがあるので。

 

岩永 前は、結構見えなかったかもしれないですね。

 

伊藤 なるほど。それはちょっといい感じなんですかね。

 

岩永 そうですね、心にやっぱり余裕があるかな、という感じ。

 

◎なんでかわからないけど、本番はいける

伊藤 跳び箱のイメージについてもうちょっと聞きたいんですけれど、しゃべるときに瞬間的にグッと力がはいるっていうところが跳び箱なのか、それとも自分の力じゃないっていうか、いったん踏んでしまえばオートマティックに体が上がっていくところが跳び箱なのか、どっちのイメージなんでしょうか。

 

岩永 うーん。タイミングに行き着くのは自力じゃなくて。なんか、何かの力というか、そのタイミングで。あとは自動でいくので、そこに出会うのが苦しい時っていうか。

 

伊藤 なるほど。どのあたりでみえるんですか、そのロイター板は。

 

岩永 助走期間っていうのがあって、「来そう」っていうタイミングはあるんですけど。でもそれは自分の中の時間の感覚なので、何秒とかっていうのはわからないんです。でも、たしかにその助走期間っていうのはあって、「いける」っていう感じですね。

 

伊藤 なるほど。それはある程度自分の体の特性みたいなものの予測がついてるっていうことでもありますよね。「大丈夫、いけるな」ってどこかで安心できるポイントが、言うよりちょっと手前に来るっていう。

 

岩永 うん。

 

伊藤 それは何か打率というか、見つかるのは……打率はどのくらいですか。

 

岩永 打率……2割くらいですかね。

 

伊藤 あ、2割くらい。

 

岩永 はい、ほとんど言えないですね。

 

伊藤 それは結構、見つかった時は……

 

岩永 うれしい。

 

伊藤 ですよね。

 

岩永 言いたい言葉を言えたっていうのは、やっぱりうれしくて、人によって受け取り方とか捉え方とかって違うから、自分の思っているようには伝わっていないと思うんですけど。自分の今の気持ちにぴったりの言葉を言えないっていうのは、すごくストレスで。なので、すごくうれしいですね。

 

伊藤 なるほど。それは調子の波みたいなのってありますか。

 

岩永 ありますね。あんまりよくわからないんですけど。多分心に負荷がかかっている時のいろいろな要因で、(それがある)ときは割と出やすいのかなと思うんですけど。

 

伊藤 出やすいっていうのは、難発が出やすい?

 

岩永 そうですね。症状としては難発のみです。

 

伊藤 なるほど。じゃあ、シーズンごとの出やすさの波というよりも、シチュエーションとか相手とかの波?

 

岩永 そうですね、その自分の状態、心の状態によってやっぱり違うのかな、という感じはします。でも不意に起こり始めるときもあるので、ちょっとわからないです。

 

伊藤 私も月曜日の午前中の授業がすごく苦手で(笑)。

 

岩永 月曜日の午前中ですか(笑)。

 

伊藤 そう思うと一層そうなるんですけど。なんですかね。週末とちょっとスイッチを変えないといけないから……

 

岩永 でもわかります、それ。

 

伊藤 でも仕事をしている人は「月曜日憂鬱」ってそれなりにあると思うんですけど。

 

岩永 いや、でもわかります。

 

伊藤 なんかね、うん。……今までで一番話して気持ちよかったっていう時間と、逆に一番つらかった時間はなんですか。つらい話を伺うのはちょっとあれかもしれないですけど…

 

岩永 大丈夫です。ありがとうございます。

 一番気持ちよかった……っていうのは、人前で話すっていうことは結構大丈夫で。

 

伊藤 あ、そうですか。

 

岩永 本番に強いタイプっていうセルフイメージみたいなのがあって。

 

伊藤 そうですか!へー!

 

岩永 なんでかわからないですけど、本番はいけるっていう。練習はだめでも本番はいけるっていう。

 

伊藤 最強ですね!

 

岩永 そういうイメージを、思い込みかもしれないけれどそういうイメージがあって。

 

伊藤 それは小学生とか小さい頃からそういう成功体験みたいなものが?

 

岩永 明確に負のイメージがついたのは19歳くらいの頃で。

 

伊藤 そうですか。吃音だっていうことで?

 

岩永 はい、それでなんでかなって思ったんですけど、小学校3、4年くらいまで外で一切喋らない子供だったんですよ。

 

伊藤 家の外で?

 

岩永 家の外で。一言も喋らない子供だったので、そういう自覚がその辺まではなくて。それからぽつぽつと出始めていたんですけど、そんなに自分の中で問題ではなかったんですよね。19歳くらいで簿記を勉強する学校に行ったんですけど、回答で当てられるんですね。そうすると苦手な言葉の出だしが必ず入っているんですよ。それでものすごく苦手というか負のイメージがついてしまって。そこから意識に入ってきて、そこから最初の仕事について、その仕事でも電話で自分の名前が言えなくて。すごい時間……あれ何時間、いや、何分だったんだろう。それが一番つらい経験だったかな。

 

伊藤 じゃあいきなり実践の中で自覚したっていう感じですね。仕事をし始めてさらされたっていうのは結構…

 

岩永 ショックですね。

 

伊藤 ですよね。そうですか。小学校とかで外であまり話さなかったのは、話したくなかったわけじゃなくて、なんとなくそうだったっていう?

 

岩永 そうですね。なんとなく…

 

伊藤 なるほど。

 

岩永 今で言う場面緘黙、に近いのかもしれないですね。それではないかもしれないですけど。

 

伊藤 うん、なるほど。なんかそのことと吃音って関係しているって考えていらっしゃいましたか、自分の中で。

 

岩永 うーん。なんか話すっていうことに対して、育ち方の中であまりしてこなかった。家庭の中でも、例えばお母さんと何か日常であったことを話すとか、そういうシチュエーションがあまりなくって。結構我慢してきたっていうところもあって、そういうようなものも、性質的なところに関係があるのかな、とは思います。

 

伊藤 うんうん、そうか。それが「本番に強い」っていうイメージには…何かないとなかなかいかないような気がするんですけど。何かあったんですか。

 

岩永 「本番に強いな」って自覚したのは、えーっと、23、4歳の時に、リハビリで…自分で「これを直したい」と思って、言語聴覚士っていう仕事を勉強しようと思って専門学校に行ったんですよ。そこで発表する場面があって、そこで「あ、本番いけるんだな」っていう経験をしたんですよね。それで「あ、本番に強いタイプだ」って。それまでもなんとなくあったと思うんですけど、本番に強いっていうのは。

 

伊藤 そうなんだ。いいですね!本番になるとなんで強いんですかね。

 

岩永 なんか……腹が据わるっていうか。失敗するかもしれないっていうことはあまり考えなくて、「できる」っていう、そっちの方を意識しているっていうか。そういうことかもしれないですね。

 

伊藤 それは「いっぱい練習してきた」っていう、練習の先にある本番なのか、むしろ練習から切り離されて、本番だとちょっと別人格の自分になっちゃう、なれるっていうのがあるのか、どっちなんですかね。

 

岩永 切り離されてる方ですね。ちょっとこう、「そこではできる」っていう。なんでしょう。

 

伊藤 おもしろい。難発にならず…その時は原稿を読んだんですか、発表の時は。

 

岩永 両方、原稿もあってアドリブも入れていたと思います。どっちかというと原稿の方が苦手で、言わなきゃいけない言葉が決まっているのはすごくストレスというか、アドリブの方が、気楽なんですよ。

 

伊藤 その状況見てみたいですね(笑)。

 

岩永 (笑)

 

伊藤 周りから何か言われました?

 

岩永 特に何も……私症状に気づかれたこともほとんど、というか一回もなくて。だから普段と変わらないかもしれないです、周りから見たら。

 

伊藤 自分の中ではものすごく変化していて、それが周りの人から見ると実はそう見えていない部分が変わっているっていう。…でもそれが電話では発揮されないんですね。

 

岩永 電話は、発揮されないですよね(笑)。電話を本番と思えたらいいのかもしれないですね。

 

伊藤 自分からかける時もかかってきた時も同じような感じ?

 

岩永 そうですね。電話は…本当に。あの最初に職場で自分の名前が言えないっていうのがちょっと。多分何処かにあるのかもしれないですね。

 

伊藤 対面だと言える?自分の名前言えますか?

 

岩永 言えない時もあるんですよね、それが。

 

伊藤 あ、でも言える時もあるんですか。私は100%言えないんですよね。言えることはないので、打率0%(笑)。どっちもあるんですね。

 

岩永 言える時もあります。でも苦手は苦手なんですけど。

 

伊藤 私にとっても「岩永さん」ってちょっと言いにくい感じですね。

 

岩永 「い」ですもんね。

 

伊藤 「い」言いにくいですよね。「わ」も結構言いにくい。

 

岩永 そう、だから自分の名前も変えたいなって思った時あるんですけど。

 

伊藤 何に変えますか?なんでもいいって言ったら。

 

岩永 そうですね…

 

伊藤 言いやすい名前ってありますよね。言いにくい……

 

岩永 横井さんとか言いやすいです、私。

 

伊藤 横井さん、そうかもね。

 

岩永 ありがたい名字(笑)。

 

一同 (笑い)

 

横井 その観点で褒められたのは初めてで、なんだか嬉しいです。

 

伊藤 同僚に、磯崎さんっていう方がいて。

 

岩永 あー。

 

伊藤 本当に言えないんですよね。「変えて!」って言いたいくらい。

 

岩永 本当に変えてほしいですよね。

 

伊藤 変えてほしい。言えないんですよね……横井さんは確かに言いやすいね。

 

岩永 言いやすい。

 

伊藤 やゐゆゑよは割と言いやすいかもしれないです。

 

岩永 言えないのは母音もなんですけど、破裂音っていうか。しかも口唇音じゃなくて奥の方で破裂する音、だからタ行とか。タ行が…あとパ行もだめですね。あとサ行とか。サもそうかな。

 

伊藤 なるほど…じゃあそういうのが来たときは、ヤ行とかに言い換えて(笑)。

 

岩永 そうですね。でも自分の名前が言えないときは本当に困りますよね。

 

伊藤 そうですよね。

 

岩永 名前とか、固定のものは変えようがないので。株式会社とかも嫌なんですよね。

 

伊藤 来ましたね!そうですね。自己紹介とかも必要のない情報を最初にくっつけてやったりして。「東京出身の」とか、聞かれてもないのに(笑)。

 

一同 (笑)

 

岩永 わかります。

 

伊藤 それも一種の跳び箱みたいな感じですよね。

 

岩永 そうですね。前の言葉とつなげて言ったりします。

 

伊藤 つなげて言う?

 

岩永 そのままの勢いで、言えないのを滑らかに、通り過ぎるみたいなイメージで。

 

伊藤 文章にしたら句読点が入りそうなところを。

 

岩永 続けて。

 

伊藤 なるほどね。

 

岩永 それもあんまりうまくいかないんですけど、でもやらないよりはやってみるっていう。

 

伊藤 結構手数が多いですね、いろいろな方法で。

 

岩永 そうですかね。本当に試行錯誤で。いかにしたら普通に聞こえるのかっていうところですかね。

 

◎準備は完璧にしておきたい

伊藤 19歳で自覚されてから、例えば日記に書くとか、自分の中で起こっていることを言語化する機会だったり、しようって思う気持ちだったり、そういうのはあるんですか。

 

岩永 ノートに書いてました。自分だけのというか。誰かに見せるわけじゃないんですけど。

 

伊藤 そうですか。言語聴覚士の学校とか行かれてると、専門用語とかも…

 

岩永 ありましたね。

 

伊藤 そういうのを使いながら分析していた感じ?

 

岩永 でも言語聴覚士の学校は、他にいろいろな口のリハビリとか、食べるのに、とかいろいろな分野があって、本当に少しだったんですけど。それがあんまり役に立たなかったんですよね、自分には。結局、役に立たないっていう感じがして。

 

伊藤 それはゴールが自分と目指しているものと違うっていう感じなのか、そもそも現状認識が自分の現状を言い当ててくれていないみたいな感じなのか。

 

岩永 そうですね。原因がわからないっていうところが、治しようがないっていうか。アプローチをどうしていいのかもわからないし、その上で表面的な、「そんなこともうやってるよ」っていうようなことしかないっていうか感じのように思いました。

 

伊藤 ゆっくり話すとかそういうアプローチですかね。

 

岩永 そうですね。あと緊張とか。あと言い換えるとか。そういうようなのをやっています、みたいな。

 

伊藤 なるほど。じゃあその道には進まなかった?

 

岩永 そうなんです。それは、ちょっとこれは吃音とは関係ないんですけど、交通事故に遭って、入院してしまって、ちょっと脳を打っちゃったので、それでちょっと難しくなってやめたっていうことなんですけど。でも気持ちもそのときちょっと離れていたので。

 

伊藤 それは大変でしたね。

最近のコロナ禍の状況はどうですか。マスクがあったりとか、あとzoomを使われることはありますか、人と話すとか。

 

岩永 あります。

 

伊藤 そういう環境の変化で吃音の状態って変わったりとか、逆に周りの人の話し方について何か発見したとか、そういう変化とかってあったりしますか。

 

岩永 そうですね。うーん、あんまり自分の中では変化はないんですけど。zoomだと、対面よりも一人で話してしーんと聞かれているという感じがあって、それはすごく緊張感を呼び起こすというか。慎重になっちゃう感じはします、すごく。

 

伊藤 しーんとしている感じって確かにありますよね。

 

岩永 ありますよね。

 

伊藤 それは結構話し方に影響しちゃうっていう感じですかね。

 

岩永 してると思います。こうやって対面で会ってる方がアクションが見えるし、なんか安心?「ちょっとくらい大丈夫か」っていう感じがするんですよね。

 

伊藤 どんな感じでzoomを使われるんですか。結構大人数?

 

岩永 大人数の場合もありますし、3人くらいで話す時もありますね。

 

伊藤 そっか、それで差とかありますか?

 

岩永 大人数の方が緊張度が、みんなに聞かれてるっていう、それがなんかすごく、そう。なんでしょう……出にくい感じを感じるっていうか、自分の中で。それを意識しすぎず、でもするっていうか。意識しておかないと不意になった時にショックを受けちゃって。

 

伊藤 ああ、おもしろいですね。意識しないようにしておきながら意識するっていう。

 

岩永 そうですね。ちょうどいい感じの意識のし具合っていうのが。

 

伊藤 意識しすぎると逆に言えなくなる?

 

岩永 そうですね。意識しすぎると、基本的に100%言えなくなっちゃうので、それがちょっと外れたところで、でも「くるよ」っていう感じで、で来て出なかった時にショックを受けないようにするっていうか。

 

伊藤 ふーん!

 

岩永 突然のことにすごくびっくりするんですよね。性格的なものかもしれない。

 

伊藤 なるほど。意識する度合いを下げるっていうより、ちょっと横で意識するとか。

 

岩永 そうですね、そういう感覚が近いかもしれない。

 

伊藤 うんうん、なるほど。急に自分が、なんというか、難発になると思っていなかった時になると、ショックを受けるっていうのは……ショックっていうのは精神的なショックなのか、それとも緊張がぐーんとあがっちゃうようなそういうショックなのか?

 

岩永 精神的なショック……。

 

伊藤 自分を責めちゃうような感じ?

 

岩永 どうしたらいいかわからなくなっちゃうっていう。

 

伊藤 パニックみたいな?

 

岩永 軽くそうですね。予定外のことが起こると、どうしたらいいかわからなくなっちゃうっていう、性格的なものだと思うんですけど。準備しておかないとなんか心配というのもあります。

 

伊藤 そうか、その特性は吃音とはぶつかりますよね。吃音って準備すればするほどうまくいかない世界で、でも一方で準備しておかないとうまくいえない。

 

岩永 そうなんです、そのバランスっていうか、兼ね合いが難しい。

 

伊藤 ああ、なるほど。だから連発は出ないのかもしれないですね。連発って準備がない時にやっぱり出やすいので。

 

岩永 うん。

 

伊藤 結構いろいろなことを準備する傾向があるんですかね。

 

岩永 そうですね。そうかもしれないです。話すにしても事前に言えない言葉が言えそうになる文脈を避けるみたいな。

 

伊藤 (笑)

 

岩永 無意識でやっていると思うんですけど。「こっちに行ったらやばい」みたいなやつがあって。そういう感じでけっこうやってるかもしれないです(笑)。

 

伊藤 三手先くらいまで意識するような。

 

岩永 そうですね。でも全然外れるんですけど。でもそれでも心配なので、やっちゃうっていう。

 

伊藤 なるほど。普通の生活の中でも結構準備しがちですか?いろいろな……出かける時とか、行く場所のこと調べたりとか。

 

岩永 あ、調べますね。結構。調べるかもしれないです。電車の時刻表も全部、「前後」チェックして、「ここで行くんだけど、もし寝坊した場合は何時までだったら大丈夫」とか!

 

伊藤 すごーい!

 

岩永 駅から電車降りて改札までの距離がどのくらいあるんだろう、とか。それによって待ち合わせの時間に間に合う、到着時刻、「何時までだったらいい」っていうのもわかるし。すごいいろいろ調べます。

 

伊藤 そうなんですね。それっていつ頃調べるんですか。例えば今日だったら、今日10時に待ち合わせで。前の日から調べる?

 

岩永 そうですね。昨日から何度も調べて。メモをここ(スマホ)の中に残して、で、それをみながら今日来ました。

 

伊藤 ありがとうございます(笑)。なるほど、待ち合わせにもどんな服装をしているかを細かく書いてくださっていて。丁寧な方なんだなと思っていました。そもそも結構準備が得意なタイプなんですかね?

 

岩永 そうかもしれないです。

 

伊藤 吃音と準備上手との組み合わせがおもしろいなと思います。

 

岩永 ありがとうございます。

 

伊藤 それが安心につながるわけですもんね。

 

岩永 そうですね。その場に、例えば電車だったら「何時に乗るんだっけ?」って覚えていられない。で、それをメモにしておいたら……インターネットにつなげるのに時間かかったりするとすごく焦るんですよ。だからメモにしておくとか。

 

伊藤 すごく先を読んでる(笑)。

 

岩永 なんかできることをやっておくみたいな。心情が、だからびっくりしたりとか焦ったりとか、慌てたりとか、そういうのがすごく嫌なんだと思います、多分。

 

伊藤 そうなんでしょうね。かつ本番に強いっていう、おもしろいですね、いろいろ。

 

岩永 確かに、考えてみたら不思議ですね。

 

伊藤 不思議ですね。なんかそんなに人って論理的には作られていないと思うんですけど、いろいろな側面が「準備」ということをめぐって見えてきて、おもしろいですね。

 

岩永 そうですね。聞いていただいて、「あ、自分ってそうなんだ」っていうのを、認識しました。

 

伊藤 それって単純に疲れたりとかしないですか、一日の予定とかが終わった時なんかはほっとすると思うんですけど、いっぱい準備したことによって疲れるとか、そういうことは。

 

岩永 ありますね、やっぱり。でも前ほどは疲れなくなりましたね。前は、準備するにも不安で。不安症なのかもしれないですけど。「大丈夫だろうか」っていう気持ちがすごくあって、やっぱり終わるとそれから解放されるので、どっと疲れるっていうのはありますね。

 

伊藤 なるほど。寝込んじゃったりとかするくらい疲れたりとかはしましたか。

 

岩永 前はそれくらい疲れてましたね。最近はでも、もうちょっと軽く考えられるようになったので、だいぶ良くなったんですけど。なんとかなるっていうのが経験の中でちょっとずつあったんだと思うんですよね。

 でも雑なところもすごくあるんですけど。

 

伊藤 あ、そうなんですか?

 

岩永 多分あると思います。

 

伊藤 頑張りたい部分と、割と抜けている部分があったりするんですか。

 

岩永 抜けてるとはよく言われますね。家族から。

多分注意を向けているところが違うんですよね。だからしっかりしているようでしていないっていうのは言われたりします。

 

伊藤 それは物をなくしたりとかですか?

 

岩永 家の鍵を閉めなかったりとか(笑)。

 

二人 (笑)

 

岩永 それはちょっと困ると思うんですけど。

 

伊藤 本当におもしろいですね。

 

岩永 なんなんでしょうね。

 

伊藤 でも全部に注意を向けるって不可能ですからね。

 

岩永 能力外なんでしょうね、鍵は。

 

伊藤 外出の時何回も鍵が閉まっているか確認しちゃうっていう人もいるじゃないですか。

 

岩永 そうですね。家に帰ってはじめて鍵をやったら閉まっちゃった、みたいな。けっこうあるんですよ(笑)。

 

伊藤 それはあれですよね、違うことを考えているからですよね。

 

岩永 そうですね、電車の時間のことを考えているんでしょうね。注意がもうちょっとバランス良く向けられたらいいのかもしれないですね……。

 

伊藤 質問の中に、何に親近感を覚えますかっていうのがあったと思うのですが…。

 

岩永 面白い質問ですね、すごく!

 

伊藤 なんか無茶振りなんですけど。

 

岩永 なんて書いてあったかな、ちょっと見ていいですか(スマホを見る)。……あ、そうそう、前は全然親近感を感じるものってなかったんですよ。自分に近いっていうことですよね、親近感というのは。

 

伊藤 うん。

 

岩永 そういうふうに思ったことがないというか、考えたことがないというか。そういう向きで。だったんですけど、伊藤さんの本を読んで、すごく親近感を覚えました。

 

伊藤 よかった(笑)。

 

岩永 なんていうんでしょう、目の向き方とか考え方とか、すごく面白いなっていうか。言葉で言うとあれなんですけど。すごく好きなんです、そういう展開の仕方が。

 

伊藤 うれしいです。視覚障害の本も読んでくださったとか。

 

岩永 福祉ということに対しても、なんとなく「なんでこう?」という違和感みたいな、そういうものが「あ、そういうことなんだ」というのがちょっとわかったというか、そういうのもすごく、見えるということを基準にして、だから足りないっていうふうに思っていたけどそうじゃないんだっていうところが、すっごくおもしろくて。

 

伊藤 今日お話を聞いていても、バランスの取り方が、その人の長年培ってきたバランスがあって、電車の時間はすごく注意を向けるのに家の鍵は……(笑)なんかそういうのの延長だと思うんですよね、視覚じゃなくて聴覚が優位、みたいな人も。そのバランス感がね、本当に面白いですよね。「なんでそれでうまくいっているんだろう?」っていう、人から見たら疑問に思うことも、その人の中では完璧に回っていて。それを補ったら、それが必要なこともあるけど、逆にバランス崩れるっていうことがあるから、そのバランス感のまま行きたいなあっていう。

 

◎肉体は他人、魂が自分

伊藤 横井さんからも質問ありますか。私は吃音だから、結構「わかるわかる」みたいに思っちゃう部分が多いけれど、横井さんにとってはいろいろわからないことがあると思うから。

 

横井 そうですね、すごく面白いなあと思っていて。自分と似てるなあというところもあって。話の展開で「こっちいったらやばいやばい」みたいなのは結構ありますね。

 

伊藤 そうだよね、結構読むタイプだよね。

 

横井 そうですね。私はあまり昔のことをちゃんと覚えていないというか、中学校の記憶とかあまりないんですけど。一個すごく覚えているのが、私は名古屋の出身で、中学に入った時に埼玉に引っ越して今埼玉県に住んでいるんですけど。「西の方の人って考えないですぐにしゃべるよね」って言われたことがあって!すごくざっくりしていますけど「そうなんだ…」みたいになって。

それからあまり気持ちよくしゃべった思いがあまりないんですよね。それまでは何も考えずにしゃべっていて、それ以降はもうずっとよくわからないみたいな感じになっていて。「こっちはよくなさそうだから、ところでとか言ってみようかな」とか。

 

岩永 周りの状況をみて、みたいな。

 

伊藤 自分内反省会が始まっちゃう。

 

岩永 反省会やりますよね。

 

伊藤 ね、やりますよね。「ああ、今日あれ言えなかった」とか。

 

岩永 脳内で何回も同じシチュエーションを繰り返しちゃう。

 

伊藤 なんであんなに残るんですかね。傷ついているっていうか心残りだからなんでしょうけど、すごく反復しちゃいますよね。

 

岩永 反復しちゃいますよね。でも反復してももう二度と取り返すことはできないんですけど、やっちゃうんですよね。

 

横井 ちょっとわかります。「ああ言えばよかった」ってそっちのルートのことを考える。

 

伊藤 パラレルワールドでね。多分聞いている方はそんなに意識していないはずなんですけどね。すごく残っちゃいますよね。

 

岩永 最近はすごく減りましたけどね。やめるようにしたんですよね、それを。人と自分を切り離すというか。前はそれができなくてなんとかしようと思っていたんですけど、もうなんともならないっていうところをだんだんわかってきて、それを意識し始めるとだんだんできるようになってきました。

 

伊藤 じゃあもう思い出さないというか、リプレイされないような感じ?

 

岩永 そうですね、人がどう受け取るかとかどう思うかというところは介入できないじゃないですか、基本的には。だからおまかせするしかないっていうところで。じゃあ自分の気持ちはどうかっていうところで、自分で「よくやったね」とか「がんばったからいいんだよ」っていうところで収めるようにしている。

 

伊藤 そういうふうに思えることでちゃんとそうなっていくっていうところが、すばらしいですよね。

 

岩永 すごくおもしろいなと思います。

 

伊藤 そうか。なんというんでしょう、自分で暗示をかけたりする部分があって、何が本当かわからないんですけど、でもいろいろな変化が常に起こっていて、比べると一年前の自分のリプレイのされ方と変わっているなあとふと気づいたりするし……なんでしょうね。

 

岩永 読んだ本に「肉体は他人だ」って書かれているものがあって、すごくなるほどなと思ったんですよ。肉体に障害があっても、魂には障害はないよって聞いて、すごく「そうだな、そうか」と納得して、吃音の症状が出ることによって自分が苦しかったのは、そのことによって自分がだめだと自己否定とか自己嫌悪とか、そういう気持ちになることがつらかったんだなと思って。肉体は他人だったら、魂の本体の自分はそうじゃないんだと思うと、否定しなくて済むというか。それですごく気持ちが楽になって、吃音を軸に人生を歩んできたので、そこで「解放されてもいいのかな」というか、その軸じゃなくてもっと自分の人生をやっていきたいなという気持ちにすごくなったんですよね。

 

伊藤 なるほど、それはすごいですね。2年くらい前にアメリカに住んでいた時期があるんですけど、アメリカっていろいろな人がいるので、結構英語ネイティブじゃない人とかが多いんですよね。そうすると家庭では違う言語を喋っているけど仕事とか学校では英語しゃべるみたいな人が多いから、なまっていたりうまく言えなくて。だから、みんな上手じゃない英語を聞くことに慣れているんです。それで私はすごく楽だったんです。日本にいるとみんなすらすら日本語をしゃべるので吃音が目立つというか、自分もすごく意識してしまうんだけど、逆にみんなが喋るのが下手な社会にいると、受け止める側の聞く能力が高くて、しゃべっている言葉で人を判断しない、魂部分で、その人の考えていることや人間性みたいなものを聞き取ろうとしてくれる人がいて。もちろんそうじゃなくて怪訝な顔をする人もたくさんいるんですけどね。

 

岩永 それはいいですね。

 

伊藤 本当に。そういういい人と出会えると、魂レベルで生きていけるというか。コミュニケーション能力ってなんだろう、と考えさせられますね。大学だとすごくコミュニケーション能力って言うんだけど、必ずしも魂的な奥行きのレベルじゃないところで話が進んでいたりするので。すごく考えさせられましたね。

 

岩永 質問との中に体との関係ってあったと思うんですけど、体との関係というよりは、あまり体というふうに自分の中で考えたことがなくて、心に問題があるのかなってずっと思っていて。それで吃音ということに関して、心という意味で、基本的には言えないところ、そこで詰まっちゃうことが多いので、自分の中でいろいろ考えたりしている心の世界というのがいっぱいあるというか。そういうことがしゃべれない人たちのいいところというか、おもしろいところなのかなと思ったんですよね。質問をいただいて。

 

伊藤 そうですね、うんうん。さっきノートをつけていらっしゃるって言っていましたけど、多分すごくおもしろいことが書いてあるんだろうなと思って(笑)。溜まれば溜まるほど、それがすぐに出ないつらさはあるけれど、心の中では常に栄養があるっていう感じですよね。

 

岩永 結構実験みたいな感じで、どうしたら自分の心が軽くなるか、というか。そういうことを研究したいというか。そういう気持ちがあって。

 

伊藤 自分を実験台にして、みたいな。

 

岩永 そうですね、経験したことがいったいどういうことだったのかをわかりたいというか。変身したいっていう、そういうところも、自分にもそういう気持ちがあるなあって、これは(伊藤さんの本を)読んでいて発見したんですけど。知りたいという気持ちが結構あるかもしれない、そういう意味ではおもしろいですよね。

 

伊藤 言語聴覚士の学校に行っていた動機もそのあたりでしたもんね。

 

岩永 そうなんですよね。人になにかやってもらいたいというよりは、自分の症状だから何か知れば自分でなんとかやっていけるんじゃないか、という気持ちがあって。それでやってみたんですよね。

 

伊藤 なるほど。本当に研究者ですよね。今日お話しくださってすごく嬉しかったですけど、それとは別になにかアウトプットしたり、したいという予定だったりお気持ちだったりはあったりするんですか。

 

岩永 吃音に関しては特になくて、これってすごく理解し難いことだと思って。自力だけだとどうにもならなくても、いろいろな人の声が、伊藤さんがインタビューされているということで表に出て集まっている、そういう取り組みをしているその中の一員になりたいなと思って。

 

伊藤 うれしい、ありがとうございます。

 

岩永 インタビュー記事を読んだんですけど、自分のストレスだった気持ちが思い起こされたりするので、まともに読めないというか。人によると思うんですけど。でも勉強になるというか。直接関わるともっと大変だと思うので、そういう意味ではすごく「そういうやり方もあるんだ」とか、自分の心とのバランスで、そういうのを読ませてもらったりとか。

 

伊藤 そうですよね。なかなか同じ症状の人のことを読むのも見るのも、自分が未知の領域に投げ出されるような感じですよね。どうなっちゃうんだろう、ってこわいような感じですよね。

 

岩永 心、感情って湧いてくるじゃないですか。今そこにないのに、経験もしていないのに湧いてくるので、それの処理が難しい。

 

伊藤 でもそれを感じなくなったらこわいですよね。鉄壁な状態というのは。それはそれで何かを誤魔化している可能性があったり、逆によく吃音とかでも、こちらがどもったときに相手も何かしら動かされると思うんですよね。「あ、この人」と思ったり。それが社会一般の障害者に対する扱いのルールだと、そういうものに対して寛容であったりとか、特にそれについて言及しないとか、なるべく平常心を保つような方向でいろいろなことを言われると思うんですけど。(岩永 そうですよね)こっちからするとそれはそれでちょっと悲しいというか、自分の体が人に与えた影響を、その人が我慢しないといけないのがつらいし、逆に自分のどもりで人が何も感じないのもつらいし、難しいですけどね。その「どもられる体」みたいなものも同時に、それを否定しないようなことも大事だなと思っていて。私も人の吃音の話を聞くと動かされるんですけど、それは研究を積み重ねていくともしかしたら鈍感になっちゃうかもしれなくて、それは鈍感にならないようにしようと結構意識しているところですね。

 

岩永 確かに。

 

伊藤 お医者さんとか、仕事でやっている方は動かされないことが大事なのかも知れないですけど。

 

岩永 そうですね。

 

伊藤 研究の場合は治すことが目的じゃないので、なるべく専門家にならないというか、ならないようにしたいなと思っているんです。……今何時かしら。11 :30くらいですかね。

 

岩永 ごめんなさい、聞かれてないんですけど、しゃべっても。いいですか

 

伊藤 もちろん!あ、私の質問事項でとばしちゃったのがあったかな、見ないで話していたので。質問事項と関係ないことですか。

 

岩永 最近発見があって。ありのままの現状、環境と自分自身の心情とかいろいろなものを、ありのままを受け入れられると、その先に行けるっていう。それを受け入れられないとそこで止まっちゃう、むしろ後退していっちゃうということを入院中に発見して。なんでかというと、自分の状態とか心情を受け入れられないと、処置の仕方が、特に心情的に、受け入れられればそこから出発していけるんです、そこから先に。だけどここを否定していると、出発できないという感じがあったんです。それは吃音も同じだなあと思って。治そうと思うと、自分の中で否定して直そうとしているとすごくつらいんだなと思って、否定をしないという、それが「肉体は他人だ」ということといっしょになって、なるほどという、ちょっと表現が難しいんですけど、ちょっと違う道に行けそうだなという。

 

伊藤 そうですね、それはいいですね。ありのままを受け入れるためには違う道が必要で、否定する気持ちって勝手に起こってきちゃうから、そこを否定しようとするとまたさらに否定することになっちゃうけど、さっきの「肉体は他人だ」という言葉が違う道をつくってくれていて、道ができると……言い換えみたいですよね、そっちに行けて、結果的に自分の現状を否定せずいられるっていう。そうですよね。同じものの見方を変えるのって、焦点を当て続けて見方を変えるって難しいけど、焦点をずらすと、気づくとこっちが変わってるみたいな。そういうことって結構ありますよね。

 

岩永 ありますね。

 

伊藤 ……という思考回路がすごく吃音的なのかもしれないですけどね(笑)。

 

岩永 そうですね、確かに(笑)。

 

伊藤 AがだめならプランB、みたいな。

 

岩永 そういうのすごく考えますよね。ちょっとずらすとか、そういう感覚はそうかもしれない。

 

伊藤 何かあるかもしれないですよね。

 

岩永 あと客観的に思考するというか、そういう欲求もあって。常に客観的でありたいというか。

 

伊藤 ちょっと引いたところからみたい?

 

岩永 そうですね。目の見えない方達の、「大岡山が山だね」「死角がないね」っていう、そういう感覚を持ちたいのかもしれない。

 

伊藤 なるほど、一個の視点に囚われないということかもしれないですね。

 

岩永 自由でありたいのかもしれない。

 

 

2021/9/10 東工大大岡山キャンパスにて