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往復書簡④玲那→亜紗

亜紗先生へ

こんにちは、西島です。
返信がおそくて大変申し訳ございません。
録音したものを何度も聞き直しては、ちょっとずつちょっとずつ、咀嚼しておりました。

まずは加藤さん。

まさしく「近くて遠い存在」であり、「似て否なる存在」。
加藤さんは先天性、私は後天性とわかりやすい違いがありますから、何かしらの違いはあるだろうと予想はしていました。
でも、想像以上にくっきり違う。
違うところははっきりちゃんと違う。
それがとても驚きました。
今の視力には違いがないというのに、加藤さんの「みている」世界と私の「みえてる」世界は全くの別世界。
(ここではあえて「みる」という言い方をしてますが、ようは捉え方や感じ方など。)
私たちは死ぬまで相手の世界を完璧に覗き込むことはできないけれど、今回お話をする機会をいただけたことで、
加藤さんの「みている」世界を疑似体験したような興奮がまだ残っています。

加藤さんの効率的かつある種選択的な感覚は、私の装飾だらけのスクリーンとは対照的にも思えますが、
やはりそれぞれの居心地の良さを探求した先の一つのかたちであることは確かでしょうね。

実は眼振がはじまって数年経ちますが、私のVRはだいぶかすんできています。
制度も確実におちています。
とてもさびしい。本当はすごくすごくさびしいです。
わたしにはとても必要な世界で、今も戻せるならすぐに戻したい感覚です。
(毎日お風呂のお湯につかりながら、VRを自分の意思でコントロールできるように練習しているのです)

そこまでしてでも必要なことに明確な理由があるのに、言葉にして伝えることはひどく困難で、でもそれが記憶と生きている証拠でもあるように感じてもいます。
わたしは亜紗先生との出会いがあって、この「記憶する体」を慈しめるようになりました。

そして今回は加藤さんやチョンさんの体にも尊さを感じられました。

加藤さんからの最期のメッセージは、まさしくエールとして大事にもっていたい言葉でした。

余談ですが、加藤さんと同じテーマで映像を別々で作ったらどんな風になるだろう?と思いました。
わたしは映像をつくった経験はありませんので、全く実現性の低い話なのですが、
でも何かを「つくる」という共通項があったなら、もっともっと意外なものが現れないかと妄想しております。
うんうん。そうですね。
やはり作ってみたい。なにかを一緒に作る機会がぜひほしいですね。
(図々しいですね。)

加藤さんとの対談は、再発見も再確認もあったけれど、
最後にはっきり「作りたい意欲」を見つけさせていただけたことが一番大きいかもしれませんね。

2020年2月15日
西島 玲那