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藤田和子さん

藤田和子さんはアルツハイマー病本人としてパワフルに活動されている方。認知症というと「忘れる」というイメージがありますが、「間違える」というフェーズもある。何も考えずにやると、思っていたのと違うことをしてしまうことがあるのだそうです。でも藤田さんはそれを嘆いたり、誰かのせいだと責めるのではなく、「不思議な現象」だと言います。そのチャーミングさに家族や周りが引き込まれているのではないかなあと想像します。


藤田和子さんプロフィール

45歳でアルツハイマー病と診断され、今年で12年目。日本認知症本人ワーキンググループ代表理事。著書に『認知症になってもだいじょうぶ!そんな社会を創っていこうよ』(2017年、徳間書店)。


◎テレビの音と人の声の区別がつきにくい
藤田 時間のことは、なんか違うなと思っていました。

伊藤 進み方が違うということですか?

藤田 進み方っていうか、「そういえばあの人としばらく電話していないわ、どうしてるのかな」と思って電話の履歴を見ると、二、三日前に電話していたりします。なんか、ふつうの一週間が、自分にとってもっと長く感じるのかな。きのうとかおとといのこともだいぶ前のことに感じたりします。だから、人間関係を継続するときに、ずっと会ってない、ずっと連絡くれてない、とか思っちゃったりするんだけど(笑)、そうでもなかったりする。逆にそう思って連絡すると、相手方にとっては「なんでこんなにしょっちゅう連絡がくるんだ」みたいになる(笑)。こちらがわの時間感覚と、ふつうの時間感覚が、違う感じはしますね。
でも何時間とかいうのは分からなくても、自分の体調がぐったりしてくると、「ああ、これはもう一時間半くらい経ったよね」とか、しんどさで分かるんですよね。

伊藤 そのつかれ具合の時計は、かなり正確ですか?

藤田 だいたいですね。そのときの調子によって違って、一時間でつかれたり、二時間大丈夫だったりするので。もともとのその日の体調にもよりますね。でもだいだいそういうので時間を知る、というのはあるかなあ。

伊藤 せっかちになったりすることはありますか。

藤田 せっかちとは違うけれど、一日のなかにしなければならないことがたくさんありすぎると、気持ちが焦ってしまって、時間が足りない感覚にはなりますね。それはふつうの感覚なのかもしれませんが。ゆったりと、一日が長いと感じたことはないかもしれないです。やらないといけないことに追われている感覚が今の私はあります。それは同じ認知症の人たちでも、日々どんなふうに過ごしているかによって違うと思います。今の私は異常なくらい忙しくて、家のこともやるし、認知症の啓発に関する活動であちこちに出かけることが多いです。

伊藤 毎日、活動の場所に行かれるのですか?

藤田 鳥取では本人ミーティングや公民館サロンを開催していますし、ワーキンググループの事務所は東京にあるので、用事があるときに東京に行きます。ここのところは週末ごとに出かけている感じですね。家にいるときも、打ち合わせや確認だったり、いろいろなことで電話をするんですよね。そうするとひどく脳が疲れてしまって、それで家のこと、ごはんを作ったり用意をしたりといったことをやっているので、わーっとなってしまいます。

伊藤 そういうたくさんのことをこなすのに、段取りを頭の中でイメージするのは難しくないですか。

藤田 考えるだけでしんどいですね。実行するときは慎重にやります。焦っているときには目標を低くしてすごす、という感じです。認知症であることによって、これまでどおりにはできないということは自覚できているので、そのときの自分の調子によってもちがうし、やる内容も変えるようにしています。外のことは、立てた予定はこなさなくちゃいけないことが多いですけど、家のことは手を抜いています(笑)みなさんと同じです。

伊藤 喫茶店でメニューを選んだりするときには、大変さはないですか。自分が何が欲しいかすごく迷ってしまったりしませんか。

藤田 字を読み込むこと自体が、うろうろする感じはします。

伊藤 それはどんな感じですか。

藤田 果てしなくいっぱいある感じがします。どれにしようどれにしよう、と一つずつ感じるじゃないですか、この1ページをずっとそうやって考えていっただけで脳が疲れます。だから、自分の知っているものから見ていきます。一つ一つ見ていると大変なので。まず「コーヒー」「紅茶」のようなジャンルから見て、入っていく。でも、もともと珍しいもの好きだから(笑)、「え、これ何?」というようなワードが目に入ってきたりすると、それを選ぶこともあります。ここのお店は初めてだから分からないけど、何度か来ているところだと探しやすいですね。
メニューを決めるときって、ほぼ一瞬で、これは何か、自分は何が飲みたいかということを判断しているんですよね。そういうのがとてもつらい。そういうことの連続の日々を過ごしていると思います。そこで、本当なら感じなくていい疲れを感じてしまう、というのがある。
言葉を、相手に伝えるために探すのも、だんだん出にくくなっています。ま、こういうお話は初めてするし、初めて会う方なので特にそうなんですが、なんか一生懸命考えているんですよね(笑)。何を相手に伝えようとしているのか、というところから、するするとした会話につながらないんです。

伊藤 丁寧に話してくださってありがとうございます(笑)
その、「脳が疲れる」というのは、認知症の方がよくおっしゃる表現ですよね。頭痛とは違うんですよね。

藤田 一応頭痛とは言っていますが、頭痛とは違って、脳が膨張したり、ぐわぐわ揺れているような感じですね。
 あと、疲れているときは音に反応しますね。テレビもがちゃがちゃ楽しそうな番組も、前は見られていたのに、うるさくて、ついつい静かな番組にしちゃいますね。映像も人や色がたくさん出ているようなものではなく、静かに語ってくれるようなものを好むようになっちゃいましたね。うるさいのはシャットアウトしたくなっちゃう。
 最近は、テレビから聞こえる声と、本当の人の声が区別がつかないこともあります。娘はふだんは別のところに住んでいて、家にはいないのですが、ご飯を準備したりしているときに、静かだといやなのでテレビをつけながらやっていると、後ろで誰かがしゃべっている感覚がして、「え?」っと振り返ったりしちゃいます。誰もいないはずなのに、ととてもびっくりしたり。なんだか不思議な感覚です。いつもではないですが、テレビの声だ、というふうに認識できないときがあるんです。

伊藤 面白いですね。生の音に聞こえることがあるんですね。

藤田 後ろから声をかけられると、ものすごくびっくりすることもありますね。

伊藤 集中しているからですかね?

藤田 人の気配を感じないのに、声をかけられるからかな、と思ったんですよね。お茶碗を洗っていたり、何かを作っていたりして、集中して、そこしか見えていないというのはありますね。すごくびっくりして、心臓が止まるくらいびっくりします。よく、「認知症の人には正面から声をかけてください」と言われますけど、そのとおりだなと思いましたね。

伊藤 気配を感じない、というのはどういうことですかね。

藤田 気配を感じる余裕もなく、やっているのかもしれませんね。

伊藤 なるほど。正面から来ると、見えているから分かるんですね。

◎好きなものの看板は目に入る
藤田 あと、見え方でいうと、階段の段差がわかりにくいです。段差のところに線がついていたりするものはいいんですが、同じ模様だったりすると、段差に見えなくて、すーっと表面がつながっている感覚があります。でもはっきりと、平らだと思っているわけではなくて、段のはずだよね?と思いながら降りているんですが、どの程度の段差なのかが不安です。

伊藤 さっきも慎重に手すりにつかまって降りていましたね。

藤田 講演で壇上にあがったりするときも、壇上の色と床の色が同じだと、そんなに段差がないような感じがします。「ここは段差がある」と自分に言い聞かせたりしています。

伊藤 それは怖いですね。

藤田 怖いです。でもいつもではなく、スムーズだなと思うときもあります。自分の脳の疲労の具合や、その場所を知っているかどうかによって変わりますね。
 街並みでも、自分が住んでいる鳥取だと、「あれ?」と思っても、こういけばここに出る、という予測ができます。試してみても大丈夫、という感じです。でも東京に行ったりすると、全然わからない。いつも日本認知症本人ワーキンググループの人が一緒についてきてくれるんですが、同行者の後を追って付いていくのが精一杯です。その人の後ろ姿しか見ていないような感じです。まわりの人に注意を払うことはできないですね。必死です。

伊藤 それは疲れますね。

藤田 いつだったか、階段をゆっくり降りていたら、一緒にいる方が男性でたったっと先に行っちゃって(笑)、顔をあげたらいなかったんです。何人かがいらして、そのうち一人の人が見てくれていたので助かりました。

伊藤 情報がたくさん入ってくると混乱しちゃうんですね。

藤田 そうですね。でもそうも言いつつ、きれいな雑貨みたいなものが好きなので、そういうのが目に入ると、はっとそっちにいっちゃうんですよね(笑)。そういうのは、なぜか入ってくるんですよね。

伊藤 面白いですね(笑)。

藤田 そういうのを見ると、心が踊るから、そこはなぜかうまくいくんですよね(笑)。面白いですよね。

伊藤 目に入ってくるというか、向こうが呼んでる、みたいなのはあるんですね。

藤田 このまえ事務局の人と歩いていて、私は食べるのが好きだから食べ物の看板が目に入ってくるんですが、その人はスポーツが好きだからスポーツの看板が入ってくる。そうすると「ねえねえ、藤田さん、さっき〇〇の看板があるの気がついた?」「え?全然気がつかなかった、わたしはこっちの看板が目に入ってきた」なんていう会話になります。やっぱり自分が好きなものや色、関心があるものは、さっと入ってくるんですね。

伊藤 面白いですね。まわりの人よりも集中して、注意をたくさん使っていらっしゃると思うのですが、一方で、そういう寄り道もできるんですね(笑)

藤田 寄り道もできるみたいです(笑)。病状がもっと進んでいったらどんな感覚になるのか分からないですけど、いまのところはできていますね。


◎思っていたのと違うことをしてしまう不思議さ
伊藤 集中して何かをしているときに、自分が何をしていたのか分からなくなることはありますか?

藤田 それはありますね。お料理の味付けをするときにも、こういう味付けのものを作ろうと思って作り始めて、炒めながら、何の味にしようと思っていたのか分からくなって、それで目の前にある素材を見て、そのときにまた新たに考えて(笑)、考えた味にしたしります。あるいは二階に用事をしにあがって、何しにきたのか分からなくなって、一階に降りたらまたしなければいけないことを思いついて、はっとしてまた二階にあがったりします。

伊藤 きっかけがうまくつかめると思い出せることもあるんですか?

藤田 うーん、思い出せなくなるというのが分かっているから、ずっと、「〇〇をする、〇〇をする、〇〇をする」と思い続けて、目的のところまで行く、というような工夫はしています。でもさりげなく、何も考えずに行動しているときに異変が起きるんですよね(笑)。いちばん最近の例では、朝グラノーラをお皿に入れて食べる予定が、別のところにある猫エサのビンをお皿に入れかけていました。はっと気がついて、不思議な感じでした。

伊藤 猫のエサはふだんはテーブルには持ってこないんですよね?

藤田 そうですね。冷蔵庫の横に猫のエサがあるのですが、グラノーラをとるつもりが猫のエサを取っていたんでですよね。すごく不思議でした。

伊藤 微妙に似てますよね、グラノーラと猫のエサって。

藤田 でも、全然ちがうものです。

伊藤 両方とも箱に入っているんですか?

藤田 グラノーラは袋に入っていて、猫のエサはガラスの大きめのビンに入っています。そのときに猫がご飯を欲しがってきていたら、間違いもあるかなと思うんですけど、そのときはいなかったんですよね。そういう間違いは別のところでも起きるんですよね。

伊藤 忘れるのではなく、間違えるんですね。

藤田 忘れるというより、実行機能、判断機能の誤作動みたいなことですかね。こうしよう、って思ってるのに、目についたのか、ちょっと分からないんですよね。

伊藤 「不思議な感じ」なんですね。

藤田 まあ、食べるものではあるし、似たような形状ではあるけれど、何で間違えたのかよく分からないですよね。
 あと、手にいくつかのものを持っていて、そのうち一つを捨てようとしていたのに、捨てるべきじゃないほうを捨ててしまう、ということもあります。それで「あれ、ないない」と焦ってしまう。

伊藤 その瞬間は、意識せずに、違う方を捨ててしまうんですか?

藤田 自分ではちゃんと捨てているつもりなんですよ。今日も、来る前に、娘に「携帯を放置してるよ」と言われて、「二階に置いてあったかな?」と思ったら洗面所に置いてあって、どうして洗面所に持っていたのか、分からないんですよね。だから物がないと探し回るのにつながるんだろうなと思います。自分の中では、二階に置いていた記憶まではある。でもそこからなぜ洗面所に持って行ったのかがつながらないんです。だから、どこにあるか、というのが、分からなくなるんです。そういうことがあるから、物を決まった場所に置くようにはしているんですが、それでも無意識にというか、何か違うことをやってしまって、あちこち探すことがあります。でも家の中で起こることであれば、探せばすむことだし、携帯なら発信してもらって音を鳴らせば分かりますからね。

伊藤 さっき「実行機能」っておっしゃっていましたが、知らないうちに体が思いがけないことをやってしまうということなんですね。

藤田 そうなんですよね。最近は慣れてきて気をつけるようになってきたのですが、最初の頃は、髪を洗っているときに、いまシャンプーをしているんだっけ、リンスをしているんだっけ、ということが分からなくなったり、顔を濡らしているときに洗顔をした後なのか前なのかということが分からなくなったりして、もう一回洗っていました(笑)。その一瞬は凍りつくというか、「あれ、私何やっているんだろう?」ってなりますね。

伊藤 なるほど。顔を洗っている場面だということは分かるんですね。

藤田 それは分かります。状況があるから、顔を洗っているというのは分かります。でも、「(洗顔料で)洗ったのかな、洗ってないのかな」という感じになるんですよね。一瞬の、近い記憶がぱっと消えちゃうんですよね。

伊藤 消える瞬間の感触はありますか?

藤田 消える瞬間は分からないですね。やろうとして分からないから消えたことに気づくという感じです。どんどんぽろぽろ消えていくというのはなくて、はっと気づくとないことが理解できる。理解できるかどうかが大事なんだろうと思います。理解できていれば、引き出しが開けっ放しになっていたりしていたときに、一瞬どろぼうが入ったかと思うけど、「まあ、私の部屋だし、私がやったんだろうな」と思える。でもそうじゃないと、「なんでこんなことになっているんだ」という混乱感や恐怖感につながったり、人を責めたりしてしまいます。そこの判断ができているかが重要だと思います。

伊藤 最初はそうは思えなかったのではないですか?

藤田 最初は不思議な気持ちで、「誰がやったの?」という気持ちに持っていかれそうになりました。でも初めのころから自分が病気だという認識があったので、自分がやったんだろうなというところは納得する癖ができていました。でも夫と話しているときに、「〇〇するんだよね」と言われて、「そんな話聞いてない」と答えたら夫が悲しい顔をしていたりすることもあります(笑)。夫だからはっきり言えちゃう分、夫には悲しい気持ちになっているだろうし、「いや、あのとき言ったよ!」とか問答すること自体が無駄だと諦めていますね(笑)。

伊藤 旦那さん、優しいですね(笑)。
自分が意識していないところで違うことをしているということが、事実として分かったとしても、なかなか受け入れられなかったり、人を責めてしまったり、逆に自分を責めてしまったりしがちだと思うんですよね。でも藤田さんはそうはならずに、「不思議だ」という感覚で受け止めていらっしゃるのが面白いなと思いました。

藤田 最初から、自分はアルツハイマー病だ、それは病気のせいだ、と認識できているからだと思います。そういうことが起こる人だ、ということは理解できているから、不思議な現象が起きても、そういうことが起こるんだ、と思えますね。レビー小体病の人も、幻視が見えたときに、「あ、見えないんだな、他の人は」って思えて、周りからも「あなたには見えているのね」と認められたら、だんだん幻視が見える頻度が減ると言われています。自分の気持ちがそのことを受け入れているかや、周りの人が受け入れてくれているか、安心できる人たちと過ごせているかによって、違ってくるんだと思います。
 予定も、携帯電話とカレンダーがなかったら、一日がどうなっているのかが分からないです。台所にカレンダーがあるから、しょっちゅう見ています。確認をしながら、すごすという癖はついていますね。

伊藤 確認したり、「自分は〇〇するんだ」と意識して体に命令を出したりするときの、解像度というか、細かさのようなものが知りたいです。たとえば「二階に〇〇を取りに行くんだ」と思いながら二階に行くというようなレベルと、「階段をのぼるには足をもうちょっと上げるんだよね」とか「スマホを使うときにはまずこのボタンを押すんだよね」みたいな、もう少し細かいレベルもありえると思います。

藤田 携帯は、意識しなくても使えます。階段も意識しないで登れるけど、手すりを使わないと怖いですね。

伊藤 なるほど。逆にもう少し大きい「今日は◯◯に行く」のようなことはどうですか。

藤田 それは、今はないです。前は車を運転していたのですが、二箇所三箇所まわるときに、あれ、私これからどこに行くんだっけ、ということはありました。それでウロウロしたけど、クールダウン、クールダウン、と思って落ち着かせました。鳥取だと、どこか曲がれば、大回りになるけどだいたい目的地につくんですよ(笑)。ぜんぜん違うところに行ってしまうということはない。あまりにひどいときには、路肩に寄せたりして確認することもありましたけどね。でも「どこに行くんだっけ?」というのは、前のほうがあったかな。いまは、車を運転しないので、目的は一つなんですよね。空港に行くぞ、駅に行くぞ、という一つのために出かけてます。それは間違いないですね。

◎「できない」の手前にある微妙な感覚
伊藤 迷いやすい、分かりやすいスケールがあるんですかね。

藤田 私がまだそこまで行っていないというのもあるし、わりと慎重派なんですよね。どんどん行っちゃうタイプの人もいるけど、私はちょっと怖いなと思う。そうすると分かっている範囲で行動しようとするから、自分で何とかできるんですよね。
 ただ、犬の散歩をしたときに同じコースを逆まわりしてみたんですよね。そのとき、道には迷わないんだけど、「これであってるのかしら」という不安になりながら散歩しました。たまにそんな挑戦をするのも脳のためにはいいのかしらと思いつつ、なんなかしんどいから、いつものコースになってしまうんですよね。

伊藤 逆周りだと印象が違ってくるんですね。

藤田 逆周りだと景色が違うからかなあ。ちょっと不安になる感じがしますね。

伊藤 空間の把握の仕方は、以前と変化を感じますか。

藤田 一緒に歩いていて横にいると思っていた人がいなくて、きょろきょろする、というようなことが以前はありました。あれ、いないないって慌ててしまう。今年に入ってから、仙台の先生に空間無視という状況が起きているんじゃないか、と言われました。
さいきん気がついたんですけど、どっちかというと、私の場合は、右側にあるものをちゃんと認識できていないことがあるみたいです。ご飯を食べるときに、左側のものばかり食べていて、右側が残ったりすることがあります。お弁当をいただくときも、左側ばかり食べて「あ、こっちにもある」と気づいて右側を食べる、ということがあります。全然見えていないわけじゃないんですけど、右側に意識がいかないことがあるんですよね。
私が真ん中に座って6人くらいで話していたときにも、4人で話している感覚になっちゃうんです。一緒にいるのはこの4人だよね、という感覚になっていたら、右側から声が聞こえて、「あ、そうだこっちにもいたんだ」みたいに気づくことがあります。それを知ったので、なるべく右に意識を向けるようにはしています。

伊藤 利き手は右ですよね?

藤田 右利きです。だけど脳の状況が、右側を認識するのが難しくなりつつあるんだと思います。まだ完全に認識できなくなったわけではありませんが。

伊藤 街中を歩いていても、右側にある看板が目に入りにくいですか?

藤田 そういえばそうかもしれないですね。

伊藤 となると、いつものコースでも反対周りに回ると、かなり目に入ってくるものが変わりますね。

藤田 本当に微妙な感覚なんですよね。私はこうやって本人として微妙な感覚を伝える役割があると思っているから、自分に起きていることを細かく分析して思うけど、さりげなく日常で過ごしていると、そんなに気がつかないものです。それで、いつの間にか分からなくなっているという状況を起こしてしまっていて、そこに至るまでの過程がまわりに伝わらないんですよね。それで「理解されない存在」みたいな感じになってしまう。そういうことが起きるかもしれないなと思っています。学術的には「判断力がなくなる」というような、ゼロになるような言い方がされますが、実際には全然違うんですよね。同じアルツハイマー病の人でも全然違いますしね。
 自分に親しい人で、ずっといっしょに過ごしてきた人の名前が、ふいに分からなくなることがあります。この前も、「ワタナベさん」という事務局の人の名前が、いつもいっしょにいてご飯も食べているのに、不意に名前が出なくなってしまいました。道端で突然会って名前が出てこない、ということはあるけど、いつも東京に行ったときは一緒にいて「ワタナベさんが…」と言いながら過ごしているわけですよ。それなのに、ご飯を食べている時に声をかけようとしたら「あれ?だれだっけ?」ってなって。となりの人も、「なぜ私がこの人のことが分からないか分からない」という感じでした。

伊藤 意外なところで不意に消えるんですね。
 さっきの空間認識の話に帰ってしまいますが、道案内はできますか?たとえばここから鳥取駅までの道順は説明できますか?


藤田 ここだったら大丈夫ですね。お店を出て、左に行くと駅です。でも左右はよく間違えますね。道はイメージできていても、それが右なのか左なのかがすっと出てこないことがあります。「こっち(右)に行く」と分かっていても、まちがって「左」と言ってしまったりします。右に行かなくてはいけないのに、体が左に行く、ということは私はないですね。だから迷子にならないのかもしれない。

伊藤 いまのように向かい合っていて「私から見て右です」と言われたらどっちか分かりますか?

藤田 それはいますごい混乱しました(笑)その一瞬の判断はできなくなっていますね。自分にとってもうろうろするのに、相手にとってとなるとできないですね。発見だわ。

伊藤 最後に今後のお話をうかがいたいのですが、これから発見もあるだろうけど変化もあると思うんですね。そのことをどんなふうにイメージしていらっしゃいますか。

藤田 あまり、そのことは考えていないですね。そこを思っても仕方ないので。毎日の自分がやらなくちゃいけない予定をちゃんとこなせるかどうかに集中しています。今後こういうことが起こるもしれない、ということを考えだすとキリがないですよね。いつ起こるか分からないことに対してエネルギーを使って脳を疲労させる必要はないと思っています。むしろ、今やることに集中する。それしかないですね(笑)

伊藤 そのパワーや前向きさはどこから来るですか?

藤田 まあ、そういうのを前向きというのかもしれないけれど、そうやってきていて、調子がいい、病状が進まない状態を保てているんですよね。だからそのやり方は正解だったかなと思っています。終わったこと、過去のことも無理やり思い出すことは、いらない。必要があるときには携帯などを見て思い出せば大丈夫です。
(2019/3/5鳥取駅近くの喫茶店にて)