Research

大城勝史さん

大城勝史さんは若年性アルツハイマー型認知症当事者の方。若年性認知症支援コーディネーターの中野小織さんのサポートのもと、看護学校での講演に付き添わせていただいたほか、その前後の車の中や喫茶店にて、丸一日みっちりお話を聞かせていただきました。車のスピードを速く感じることや社訓を唱和するタイミングのあわなさといった事例を通して、時間感覚や空間感覚の変化について細かくうかがうことができました。最後に出てくる記録ノートの話、記録を見ても思い出せないときに、思い出せないとムキになるのではなく、書かれた言葉を見てたぶんこうだったんだろうなと想像するアプローチは、本当に素晴らしいなと思いました。ためらいも丁寧に言語化しながら前を見ようとする大城さん。そのお人柄に感動してしまって、帰りの那覇空港ではルートビアを飲みながら2時間くらいぼーっとしてしまったのでした。


大城勝史さんプロフィール

1974年沖縄県生まれ。自動車会社の営業マンとして勤めていた40歳のとき、若年性アルツハイマー病と診断される。現在、洗車担当として勤務。県内で初めて若年性認知症を公表し、誤解や偏見を払拭したいとの思いから講演活動を行っている。『認知症の私は記憶より記録』(沖縄タイムズ社)

 

中野小織さん(サポーター)プロフィール

特定医療法人アガペ会 新オレンジサポート室 H30年度若年性認知症支援推進事業 若年性認知症支援コーディネーター 

 

(浦添看護学校に行く途中の車内、後部座席にて)

 

◎車が速く感じる

大城 今日は寒いですね。来るまでずっと布団にくるまってました。

 

伊藤 17度は東京に比べるとだいぶ暖かいですが…風邪ひかないようにしないといけないですね。

 

大城 でも沖縄は湿気があるので、楽ですよ。

 

伊藤 ああ、そうですか。東京だと冬は静電気がすごいです。その割に日差しが弱いので洗濯物が乾きません。

 

大城 沖縄は紫外線強いって言いますね。観光客が来て、思ったより暑くないからと言って海で遊んで熱中症になったり、低温やけどしてしまったり。紫外線は倍くらいあるみたいですね。

 今日はどこでしたっけ?

 

中野 浦添看護学校の学生さんです。120人くらいです。

 

伊藤 けっこう多いですね。大城さん、講演は緊張しますか?

 

大城 緊張しますね。なんでこんなの引き受けたんだろうって(笑)。ドキドキです。

 

伊藤 私は研究者で、人によってどんなふうに感じ方や世界の見え方が違うかに関心をもっていて、それで今日はぜひ大城さんにお話をうかがいたいなと思っているんです。

 

大城 やっぱりおかしいなあと思うきっかけが最初ありましたね。

 

伊藤 最初のきっかけは何だったんですか?

 

大城 ほんとに最初のきっかけは、西暦とかの日付が、三〇代のころですけど、ちょっと曖昧になっていたんですね。「あれ、今二千何年だったけ?」とか。でもそれって、周りの人にもあることなので、気にしないようにしてたんですけど、そういうのが徐々に多くなって。あとは、今何月とか、何日とか、何曜日か、というのが分からなくなって、誰かに聞いたり、カレンダーを見たりして「ああ、そっか」と思うこともあれば、見ても実感がないこともありました。これって何とも言えない感情で。「あれ、今7月だったっけ?ふうん」と思いながら、違和感あるけれど、でもそれ以上自分自身も理解できなかったです。でも誰でもあるだろう、と思いながら、気にしないようにしていたんですよね。誰かに聞いたら、「ああ、分からんことあるよ、そんなのあるよ」と言われて、そうだよなあ、と思っていました。

 それから、仕事をしながら、方向音痴が少しひどくなったんですよ。今のトヨペットの前から、もともと車関係の仕事をしていたんですが、故障した車を取りに行くんですね。そしたら分かるはずの道が分かりにくくなっていたんです。「あれ、これってこんなに分かりにくかったかな、でも街中で入り組んでいるからど忘れしたのかな」と思っていました。これもおかしいなと思いながら、あるよあるよ、と言われ、でもみんなが言っているのとは何か違うんだけどな、と思いながらも、言葉でうまく言えなくて。そういうのが最初の頃からけっこうありましたね。でも病気とつなげることはなくて、ちょっと人より苦手になったのかな、ぐらいに納得するしかなかったです。

 

伊藤 なるほど。その西暦とか日付を見ても実感がない、というところが一番違うところですよね。

 

大城 うん、思い出すとかではなくて、見ても「そうなんだあ」という感じで、違和感があるんだけども、あることだろうと納得するしかない感じでしたね。今思えば、あのときから始まっていたんだなと理解できますけどね。あまり深く考えないようにしていました。

 

伊藤 ご著書の中で、こうやって車に乗っているときに、前の車との車間距離がすごく短く感じて、ぶつかるような気がすると書かれていましたよね。とても興味を持ったのですが、スピード感の感じ方が変わるということなんでしょうか?

 

大城 車のスピードを速く感じますね。時速40kmのところを、時速60km、70kmに感じます。運転ができなくってから気づいたことです。妻が運転して、助手席に座っているときに「こんな速く走って大丈夫か?」と思って、メーター見たら時速40kmで。「あれ?40kmってこれくらいのスピードだったっけ」って妙に速く感じるんですよね。

 

伊藤 何で速く感じるんですかね?

 

大城 とても速く感じますね。

 

伊藤 自転車でも感じますか?

 

大城 自転車ではなかったですね。自転車で通勤していましたが、そういう感覚はなかったです。車で助手席に乗っているときですね。あるいはバスに乗っているときに、すごいスピードを出している感じがして、メーターみたら普通だった、ということがありました。流れる景色も速く感じているから、たぶんスピードも速く感じるんだろうな、と思いますね。

 

伊藤 なるほど。景色の見え方でそう感じるんですね。情報がばっと入ってきて、処理がおいつかない感じですかね。

 

大城 うん、たぶんそうかなあ、と。最初、妻が運転している車に乗っていて、信号に引っかかって止まるときに、ぶつかりそうに感じて「おい!」と言ってしまったことがありますね。「急ブレーキも踏んでないよ」って言われるんだけど、私としてはぶつかりそうで、今でもけっこう足に力が入りますね。

 

伊藤 怖いですね。

 

大城 今は認識してるから何か言うことはないけど、気持ちの中では「ん?」って思いながら乗ってます。怖いと思ったらなるべく前を見ないようにとか、遠くを見たりとかしていますね。助手席には座らないで、必ず後部座席に座るようにします。ぼうっと横を見るようにしています。これも後から気がつきました。

 

伊藤 カーブの感じ方はどうですか?

 

大城 カーブは大丈夫ですね。

 

◎タイミングが合わない

大城 あと会社の朝礼で唱和があって、社訓を言ったりするんですど、そういうのも合わせられないんですよね。

 

伊藤 それ、すっごい不思議ですね。

 

大城 なぜできないのかが分からないですよね。

 

伊藤 声が出ないですか?

 

大城 合わせて言おうとすると、ワンテンポ遅れてしまうんですよ。

 

伊藤 覚えている言葉を言うんですか?

 

大城 覚えているものを言うんです。

 

伊藤 書いてあるものを読むときも遅れるんですかね?

 

大城 あ、それはやったことないですね。社訓は覚えていて「一にサービス挨拶の励行」とかを、同じように言うんですけど、ワンテンポ遅れてしまうので、小さい声で言うんです。大きな声で言ったら周りから見られるので、自分のペースで、ちょっと小さく言う。でまた不思議なのは、ラジオ体操は合うんですよね。

 

伊藤 なるほど。体の動きだと合うんですね。

 

大城 なぜ体は合うのに唱和は合わないのか、ほんとに不思議でね。朝のラジオ体操は、みんながやっているところにすっと途中から入っても合わせてできるんです。

 

伊藤 社訓を言うときの、最初のタイミングはどうやって合わせるんですか?

 

大城 みんなふつうにパッと合わせますよ。誰かが最初に言って、呼吸で合わせる。私も合わせるのは分かります。無意識っちゃ無意識じゃないですか、こういうのって。「せーの」ではないけれども。みんなの速さにもついていけません。

 ひとつ思うのは、滑舌が悪くなっていることです。口が動かない、話しづらい、というのがあるんです。たまにひっかかったりすることがある。滑舌はもともとは悪くなかったのですが、「洗車」「作業」とか言いにくいですね。二年くらいコールセンターで働いていたことがあって、もしもともと滑舌が悪かったら、お客さんからクレームがあったと思うんですね、注意されている人もいたから。注意されなかったということは、もともとは悪くなかったんだな、ということを今思います。やっぱり最近から悪くなったのかな、と。

 

伊藤 なるほど。サ行が特に言いにくいですか?

 

大城 作業、洗車は言いにくいですね。

 

伊藤 言葉としては浮かんでいるけれど、出ないということですよね?

 

大城 そうですね。分かっていても、声に出さなかったりします。

 

伊藤 わたし吃音の研究もしているのですが、言葉が浮かんでいるだけれども出そうとするとつまったりどもったりする、というのはとても興味があります。

 

大城 いま思い出したのは、社訓で言えないのがあります。「よく見てよく聞きよく話すの実行」です。これみんなはさーっと速く言うんですけど、全く言えなくて、このときはわたしは完全に黙っています。わーわーわーとなってしまう。

 

伊藤 「よく」が言いにくいんですかね。

 

大城 なぜかは分からないけど、どうしても出ないですね。これも今思えば、病気に気づくきっかけのひとつですね。なんかみんなと合わせにくいなあ、意識してできなくなる感じ、調子悪いのかなあ、オレって。注意されないか、ビクビクしていましたね。「声出てない、大城!」っていつか言われないか心配でした。

 

伊藤 タイミングが難しいという感じですかね。

 

大城 タイミングです。でもラジオ体操はできる。

 

伊藤 そのほかの、たとえば何かをキャッチしたりするような場合のタイミングの合わせ方はどうですか?

 

大城 そういうタイミングも苦手になりました。これも今思えばきっかけの一つなんですが、ゲームで野球とかゴルフあるじゃないですか。あれもタイミングをあわせてやるのがいつの間にか苦手になっていました。

 

伊藤 画面の中でもタイミングを合わせるのが難しくなってきたんですね。

 

大城 画面の中でも、前はふつうにやっていたのに、下手くそになってる。ふつうはやっていたら勘を取り戻してだんだんできるようになるはずなんですが、いくらやっていてもうまくならない。それでつまらなくて、やめた、もういいや、ってなりました。次の休みに、よしもう一回やってみよう、とやってみるけどほんとに合わしきれないんです。「あれ、これこんなにゲーム下手だったかな」って。野球やったら空振りアウト、取ろうとしたらボールが取れない、ゴルフもスイング空振り。あ、おかしいなあ、と思ってゲームもしなくなりまいたね。今までに無意識にできたこととか、ちょっとやれば勘を取り戻せていたようなことでも、できなくなっていったんです。そのときは分からなかったけど、あとから思えば、あああれも苦手になっていたなあってリンクしますね。

 

◎エコモードがない

伊藤 なるほど。タイミングに近いことで、たとえば家の中にいて、机の角とかに体をぶつけるようなことはありますか?

 

大城 そういうのも多いですね。けっこうありますね。確かにそういうのも多いですね。ひどい時は、ドアノブをつかもうとしてドアにぶつかったりします。位置はあってるんだけど、勢いが強すぎて、手がドアに激突しちゃう。痛いことを沖縄で「アガ」って言うんですが、ドアを開けようとしてドアに突っ込んで「アガっ!」ってなる冗談みたいなことになります。私自身のびっくりしたから。ふつうにスッと開けるイメージでやったつもりがぶつけてしまって。

 

伊藤 行きすぎちゃうことのほうが多いですか?手前で握ってしまうことは?

 

大城 それはそのときでまちまちですね。あまり覚えていないですが。それまで無意識にやっていたことが「あれ?」って引っかかるんですよね。ドアノブなんてふつう意識しないじゃないですか。開けよう、距離感大丈夫だから手を伸ばす、なんていうふうには考えないですよね。そのままスッといくものです。でもそこでひっかかってしまって、「何で?」って。

 

伊藤 無意識にできていたことが、無意識にできなくなる感じなんですね。

 

大城 「あれ、なんだったんだ今のは?」「何で?」という違和感に近い感じですね。説明のしようがないですね。言葉で説明できないですよね。

 

伊藤 階段やエスカレータも怖いって本に書かれていましたよね。それと近い感覚ですか?

 

大城 たぶん近いですね。でも階段は、段差は高さが見えにくいというのがはっきりあります。立体的にうまく見えていない。上りはまだ見えているけれど、下りは手すりがないと、ほんとに怖いです。これも違和感のひとつですね。エスカレータでも手すりをつかまないと乗れないです。

 

伊藤 それもタイミングが難しいということですか?

 

大城 タイミングが難しくて、それまでは体が自然にスッとできていて、そこまで意識して測ることなかったのに、できなくなって、自分でちゃんとタイミングとらないとエスカレータ乗れないんですよね。何だろうこれ、オレ運動不足なのかな、体のバランスが悪くなったのかなって思ったりして。

 

伊藤 今は意識してエレベータにのるタイミングを測っているんですね。

 

大城 意識してますね。階段は手すりにつかまっています。意識すればできるけど、怖いからなるべく使いたくないですね。ほんとにドキドキします。

 

(目的地の浦添看護学校近くに到着)

 

伊藤 時間の感覚はいかがですか?たとえばさっきお会いしてからここまで来るのにどのくらいの時間が経ったかというのは掴みにくいですか。

 

大城 そうですね。そういうのは分かりにくいですね。

 

伊藤 楽しいことしてようが、ぼうっとしてようが、分かりにくさは変わらないですか?

 

大城 けっこう曖昧ですね。どれくらい時間が経ったかは分かりづらいですね。

不思議というか。ある日突然気づくというか。それまでできていたことができなくなるから気づくのかなあ、意識しないとできないから。

 

伊藤 考えて意識してやらないといけないとなると、疲れますよね。

 

大城 とっても今疲れやすいですね。そういうのもあるから疲れるのかなと思いますね。何でこんなに疲れやすいのかなあ、と思ったら、いろんなこと意識しないとできないからなんでしょうね。

 

伊藤 フル回転ということですもんね。

 

大城 エコモードがなくてつねに全力モードだから、そりゃ疲れますよね。ずっと、人が歩いてもいいところを、私はずっと走っていなくちゃいけない。そりゃ疲れます。でもふだんお家でひとりでぼーっとしているときでも疲れるから、ほんとに難儀というか、やっかいな頭だなあ、と思いますね。これが仕事とか、家族と楽しく外出しても、途中で帰りたいってなりますね。仕事だけじゃなく、どんなことでも頭フル回転ですね。

 

伊藤 疲れ方も違うでしょうからね。脳の疲れですもんね。夜は寝られていますか。

 

大城 寝られていると思います。

 

中野 お薬を飲んで寝ています。たまにお薬を飲み忘れると、一晩中起きてます。

 

大城 仮眠とかもしっかりとって、今日もぎりぎりまで布団にくるまってましたからね。話しているあいだだけ体力持つようにと思って。寝ることで、いろいろな情報をシャットアウトしてるんでしょうね。眠気がくるということは、脳が自分を守ろうとしてるんでしょうね。仕事のときも、静かなところで横になって休みます。

 

伊藤 音はうるさく感じますか?

 

大城 あ、音は疲れてイライラしているときは子供の声でもうるさく感じるときもあるけど、でも難聴もあるのでテレビのボリュームが大きかったり、そのときによって違うように思いますね。

 

(講演前の控え室で)

伊藤 本の中で、記憶が消える瞬間の感覚がある、と書かれていて、とても面白いなと思いました。あれは他の認知症の方にもあるものなのでしょうか?

 

大城 けっこう共感してくれる人は多いと思いますね。これも病気に気づくきっかけでした。レンタルビデオ屋さんにビデオを借りに行ったときに、同じのを借りてますよ、と店員さんに指摘されて、じゃあ他のにします、と戻ったんですね。今度は間違いないようにしようと思って、そのタイトルをずっと頭の中で言っていたんですね。そうしたら探しているうちにこれがすっと消えてしまう。なんで消えたんだろうなあ、おかしいなあ、って。これも頭のなかでパッと一瞬で切えることもあれば、一文字ずつ消えていくこともあって。「あいうえお」というタイトルだったら、あいうえお、あいうえお、と繰り返していううちに、「あいうえ◯、あれ?」みたいな感じになって、「◯いう〇〇」になり、それで最終的には全部消える感じですね。

 

(学校の方が入ってきて、書類のやりとりや挨拶)

 

伊藤 こういう人が入れ替わり立ち替わりくる状況というのは、大丈夫ですか?

 

大城 それは大丈夫ですね。でも疲れていたりすると混乱します。自分で何か準備をしていたときに中断されると、ちょっと待てよ、と一瞬考えたりしますね。

今も実は書類に名前書きながら一瞬、「あれ、俺いま名前書いてるんだよな?」って思ったんですね。「大城」って書いて「ん?」ってなって、「そっか名前書いているだよな、サインお願いされてるんだよな」って考えました。

 

伊藤 確かにさっきサインしているとき、一瞬ペンが止まりましたよね。自分が何をしているか確認していたんですね。

 

大城 そういうのはありますね。一瞬ひっかかるようなのですね。・

 

伊藤 それは記憶が消えるのとはまたちょっと別の何かがあるんですね。

 

大城 たぶん意識が、自分が一瞬何なのか分からなくなる、というのがありますね。それで取り乱すということはないと思います。「あ、そっかそっか」って分かるので。

 

伊藤 書いている字が分からなくなるということですか?書いているという状況が分からなくなるということですか?

 

大城 一瞬「何やっているだろう」という感覚ですね。でも「大城」って書いてあるから、あ、そっかそっか名前書いているだ、とすぐに分かるからサインだろう、ということは必要な書類があるんだろう、ということを理解して、また続けるという感じですね。ひっかかりとか違和感とかは、いっぱい、数え切れないくらいありますね。それを私なりに処理していますね。

 

伊藤 違和感ってそういうふうに起こるんですね。不意に、あれ?っという感じで。

 

(講演が終わり、移動中の車の中で)

伊藤 おつかれさまでした。学生さんたち、ものすごい集中度で聞いてましたね。すばらしかったです。

 

大城 しゃべっている間、体力がもってよかった。

 

伊藤 体調は、かなり読めない感じですか?

 

大城 それが一番大変ですね。当日に体調壊すというのが一番こわいなあと思っていますね。

 

伊藤 一日の中ではどうですか?

 

大城 時間が経てば経つほど疲れてきますね。そんな中でも仕事はできているから、仕事をしているときのほうが体調を維持できているのかなと思いますね。職場では静かな場所で寝ることもできるので、いいですね。今の私に一番必要なのは、疲れたら眠るということなんですよね。認知症の人みんながみんな、休憩といえば寝ることというわけではないみたいですが。

 

伊藤 今日の講演は90分でけっこう長かったと思うんですが、途中で、さっきの名前を書いているときみたいに、ふっと話す内容が分からなくなったり状況が分からなくなったりはしないんですか?

 

大城 目の前にメモがあるので、それを見ながら話しているので大丈夫です。

 

伊藤 お客さんの反応は見えますか?

 

大城 話すことに一生懸命でその余裕はないですね(笑)。いい加減余裕くらいできてもいいのに。慣れないので、私のなかでは毎回ちゃんと話さなくちゃいけない。前回うまくいったから今回はどうかな、とか、前回失敗したから今日はこうしよう、とか、そういうのがないんですよね。毎回緊張する。まあでも、続けているということは、何とかなっているんだろうと自分で自分を励ましていますね。

 

伊藤 講演中、パワポを操作するのは中野さんの役割でしたね。お話しながらキーを操作するのは難しいですか。本の中にも、二つのことを同時にするのが難しい、混ざってしまう、という話がありましたね。石鹸で歯を磨いてしまう、でしたっけ。

 

大城 これも仕事をしているときに感じた違和感ですね。お客さんの話を聞きながらメモをとるじゃないですか。これができなくなって。いったんお客さんの話を切って、まとめてから書く、ということをしていたら、「何で切るの?」って言われて、「そっか、こうやって切るのはまずいよな」と気づきました。それで電話を取るのが怖くなりましたね。そのときはストレスだと思っていましたけどね。

 

伊藤 できないなあと思うときには、やっている最中に止まっちゃうという感じですか。

 

大城 そうですね。止まってしまって、どっちか一つになっちゃうんですね。でもお客さんってずっと話をするから、「ちょっと待ってください」って止めることになって。そうすると、お客さんが「あなた話聞いてるの?大丈夫?」って不安になってしまう。ふつうないですよね、何かを確認するために止めるのならあるけど、メモを取るためには止めないですよね。

 

伊藤 BGMで音楽が流れている場所で書く、というのも難しいですか?つまりきちんとキャッチしなくてもいいけど入ってきちゃう情報があるときです。

 

大城 あー、どうだろう、考えたことないですね。でも集中はできる気がします。昔は勉強するときには、音楽かけながらとかテレビつけながらとか勉強するのが好きで、全く何もないところでやるのは好きではないですね。

 

中野 スライドの打ち合わせするのに、わたしはうるさいのが苦手なのでテレビを消してほしいんですが、大城さんはテレビがあったほうが集中できるらしくて、それでいつも揉めるんです(笑)

 

大城 昔はそうですね。何か面白いことをやってたらそこだけテレビに注目する。でも集中できないというわけではないんですよ。今はでもいろいろな音があったらきちんと聞くのはたぶん難しいですね。

 

伊藤 散歩しながら計算するというのも、昔はできていたけれど今は難しくなった、と書いてありましたね。

 

大城 今はほんとにただの散歩ですね。できる範囲で散歩をします。

 

伊藤 まいご散歩はすばらしいですね。アイディアが最高です。分からなくなったとしてもとりあえず歩いて、時間になったらGoogle Mapを頼りに家に帰るんですよね。

 

大城 スマホがあればどこでも行けるし、どこに行っても新鮮なんです。家の近くでも遠くに来たのと同じ。本当は見慣れた景色なんだろうなと思いながら

歩いていますね。Google Mapは会社で使っていたので、活用できてよかった、と思います。会社でお客さんのところにいくときには、カラーコピーをたくさんしていくので、そのうち「カラーコピー代が増えてるよ」と言われないか心配ですが(笑)

 

伊藤 やっぱりカラーのほうが分かりやすいんですね。

 

大城 写真とか、見比べられるのではっきりしたほうがいいですね。ないよりは白黒でもあったほうがいいですけど。全部が全部分からないわけじゃないんですよね。サンエー[沖縄のショッピングセンター]やJASCOのような大きなショッピングモールは、それがどういうところかは分かるんですが、お家までのあいだのルートがイメージできないんですね。建物を見たら、なんとなくこの辺なんだなというのは分かるんですが。

 

伊藤 高い建物や塔を目印にして方角を把握するのは難しいですか?

 

大城 方角は全然だめですね。昔はお客さんに道を教えることができていたのに、どうやっていたのか、今となっては不思議でたまりません。意識しても分かりませんね。

 

伊藤 自宅の中で、たとえばお客さんがきたときトイレの場所を教えるというのはできますか?

 

大城 家のなかでは迷わないですね。トイレの場所まで連れて行くこともできます。右とか左とか、どこっていうのは言えないんですけど、「ここですよ」という形で案内するのはできます。

 

(サンエーの和風亭にてお茶をしながらインタビューさせていただくことに)

◎空間の記憶

伊藤 迷わずホットコーヒーを注文されましたけど、こういう写真つきのメニューを見ていて、食べたいものが分からなくなったりはしないんですか?

 

大城 うん、迷うのもあるから、正直もういいかな、って。分からなくなって、そしたらみんなも気を使うから、ホットコーヒーでって言っちゃいますね。

 

伊藤 食欲そのものはありますか?

 

大城 食べたら食べられないことはないかな。決めるのが、ほんとにどうしたら分からなくなって、時間だけがどんどん過ぎていく。だったらコーヒーって言ったほうが早いなって。

 

伊藤 その分からなさって、自分の欲望が分からないのか、写真を見たときに味をイメージできない感じなのか、どちらですか。

 

大城 自分でも何が欲しいのか分からないですね。

 

伊藤 このお店、広いですけど、どの席に座るか、「なんとなくこの席がいいな」という感覚みたいなものはありますか?

 

大城 景色が見えるほうがいいかな、とかは思いますね。

 

伊藤 なるほど。

 さっきの話の続きなのですが、家の中でトイレの場所まで人を連れて行くことはできるけれど、右や左といった言葉を使って説明するのは難しいとおっしゃっていました。

 

大城 どこかと言われたら、ふっと頭の中で想像して説明しにくい感じがありますね。だったら場所は体が覚えているので、案内はできるだろうな、と。それは自分で知らなかったことですね。今考えてそう思いました。

 

伊藤 難しいな、というためらいがあるんですね。俯瞰できないということでしょうかね。

 

大城 そうでしょうかね。会社の休憩室も、行けるけど、説明できませんね。

 

伊藤 右・左が分かりにくいということなんですかね。

 

大城 そうなのかな…。右手がこっちで、左手がこっちで、というのは分かるけど…。

 

伊藤 私からみて、この窓が右か左かというのは分かりますか?

 

大城 左?

 

伊藤 大城さんから見ると左ですよね。私から見ると…

 

大城 (体を後ろ向きにひねって)ああそうか、右ってことですね。同じように向いたら分かりますね。

 

伊藤 体を使うのは有効ですね!

 

大城 たぶん体を使わなかったら分からなかったなあ。

 

伊藤 頭の中でイメージを回転したり、別の立場に立ってみたりするのが難しいんでしょうね。

 

大城 ああ、たぶんそういうのが難しいんだと思います。昔はお客さんに道案内はできていて、とまどうということはなかったんですけど、やはり方向がわからなくなったことが病気に気づくきかっけの一つでしたね。車を止めた場所が、会社の駐車場でも分からなくなったことがあったから。

 

伊藤 それは映像的な記憶がないということなのか、映像はあるけれどそれがどこか分からないということなのか、どちらでしょうか。

 

大城 映像も含めてすべてがないんだと思います。昔はどうやってこれを覚えていたのかが分からない、という感じです。不思議ですね。昔は「東口の真ん中に停めた」と意識して覚えていたのか、それとも体でなんとなく覚えていたのか、それも分からない。今は道迷いが増えたので紙に地図を書いて覚えるようにしています。風景も覚えていたのがふっと消えてしまったりします。こうやって(伊藤の)顔を見ていても、見ているあいだはいいけれど、すっと目を離してしまったら分からないですね。出て来ないですよね。

 

伊藤 それこそ、どうやって顔を認識しているのかというのは、説明しがたいですよね。 

 表情は分かりますか。

 

大城 そういうのは分かります。相貌失認ではないんですよね。話をしているなかで、「お客さんが不機嫌になってきているぞ」というのはすぐに分かって、でも何を言っているのかが分からなくて怖かったのを覚えていますね。

 

◎働くのが怖くなった

伊藤 声の記憶はどうですか?顔の記憶と残りやすさの違いはありますか。

 

大城 試したことないけれど、どっちもそんなに差がないかな…。お客さんを覚えるときには、帽子を被っているとか、メガネをしているとか、特徴を覚えるようにしていましたね。でも最終的には、自分の持っている持ち物、ケータイとかをお客さんの前に置いて、席を外すようにしていました。

 

伊藤 そういう細かい工夫を山のようにもっていらっしゃいますね。

 

大城 たくさんありますね。「〇〇さんが呼んでますよ」と言われても「〇〇さん」が分からない。そういうときは、「〇〇さんが」男性なら女性に、女性なら男性に、「〇〇さん見なかった?」と聞くようにしていました。異性に聞けば、本人に聞いてしまうことはないので。変な努力をしていますね。何名かいる場合には、わざと遠くから声をかける。そうすると、反応した人がその人だと分かりますよね。これも私にとってはきつかったですね。分からないとは言えなかったですね。社員の写真をとって見比べたりもしていました。気苦労がたくさんありましたね。ものすごい疲れますよね。日常生活のありとあらゆることが意識しないとできないので。

 

伊藤 吃音の研究もしているのですが、吃音の当事者の人も、まわりの人との関係のなかで、小さい工夫をたくさんしていますね。言いにくい言葉があったら別の言葉に言い換えてみたり、固有名詞で言い換えられないときには、わざと忘れたふりをして、まわりの人に言ってもらったり。

 

大城 確かにそうですね。相手も気づきにくいですね。気苦労できついの分かりますね。たぶん笑顔でふつうにさらっとやっているんでしょうね。いまは病気としては重くなっているんでしょうけど、昔のストレスだと思って自分を責めていたときのほうがきつかったですね。営業もやっていたので、今思えば、よくごまかしながらやっていたなという感じですよね。だんだんうまくいかなくなって、仕事が怖くなったけど、それまでよくもったなと思いますね。お客さんに会うのも、話するのも怖かったですね。病気に気づくのがあと少し遅れていたら、仕事をやめていたと思います。

 

伊藤 その怖さは、自分の気づかないところでミスをしているのではないかという怖さですか。

 

大城 それもあるし、自分ができなくなっていくこと自体も怖いです。いろいろな怖さがありますね。結局自分の身におきていることが分からない怖さですよね。このあと、どうなるんだろう、と。怖いのと自己嫌悪ですね。子供がいるのにどうするんだ、父親として、夫として、情けないと思っていました。

 

伊藤 若年性だとやはり自分を責めてしまいがちですね。

 

大城 まわりにもなかなか理解されませんしね。友達にも「しっかりしろ」ときつく言われても言い返せないんですよね。みんな大変でもがんばっているんだろうな、と思ってしまって。

 

伊藤 いまはその状況は改善されましたか。

 

大城 いまはまわりにも素直に助けを求めることができるようになりました。できることとできないことが分かりますしね。私がしっかり自分と向き合えるかどうかはまた別のこととしてあるんですが、そこで悩んでできなくなるということはないですね。たとえば車の免許証も、ずっと車の仕事をしてきたのに運転できなくなるというのがとてもつらくて、なかなか返せなかったんです。でも運転できないことで誰かに何かを言われるわけではないので、あとは私がそれとどう向き合っていくか、消化していくかですね。

 

伊藤 自分と向き合うときには、ノートを書いたりするんですか?

 

大城 そういうのを書きながら向き合ったり、あとは自問自答したり、「たぶん受け入れるんだろうなあ」と思ったりしていますね。他の当事者と話すと、私はまだネガティブな方なのかと思います。私はまだそこまで笑って話せない、強くなれないです。まだ全部が消化しきれていない。「免許書返すのなんかなんとも思っていないですよ」と笑顔では言えない。そういう人もいると思うので、素直な弱い自分を出すようにしています。でもそういう部分もありつつ、最終的にはしっかり前を向いていきたいなと思っています。立ち止まるのも大事だと思っています。へこむときはしっかりへこまないと、転ぶ時に大きく転んでしまうかな、と。いろいろな人の助けがあって、その土台があるから今の私があるわけですしね。

 

伊藤 それはとても大切ですね。ついつい「認知症になってもできます!」みたいなポジティブなメッセージばかりが流通しがちだけれど、実際にはいろいろなためらいや葛藤のプロセスがあるわけですよね。

 

大城 そうですね。うまくいくのかな、という希望のきっかけになったらと思って、ポジティブな状態の前後も話すようにしています。最初からこうやってうまくいったわけじゃない。仕事も続けられないと思っていたけれど、中野さんに入ってもらって、会社と話をして、続けられるようになりました。そのときは中野さんもボランティアで今のようなシステムがなかったので、中野さんだって断ろうと思えば断れますよね。病院には、誰か会社とのあいだに入ってくれる人いないですか、ときいたら断られましたからね。家族で言ってくださいとしか言われませんでした。中野さんはボランティアで引き受けてくれたから、本当に感謝しています。

 

中野 会社も、ようこの第三者を入れたなと思いますね。家族の会で、同時に7人くらい支援していましたが、いっぱい断られましたから。いまは、若年性認知症支援コーディネーターとして堂々と言えるのが、本当によかったなと思っています。

 

大城 ああ、そっか。本当にいろいろな部分で運がよかったなと思いますね。中野さんと会社の協力、どちらが欠けていても、私は辞めていたと思う。仕事しないで、どうなっていたのかなと思いますね。本当に必死でしたね。誰かが間にはいってくれないと困る、自分だけではうまくいかない、と探し回っていましたからね。家族会があると知って、連絡してからのつながりです。

 

伊藤 家族会に連絡するタイミングがかなり早かったですよね。

 

大城 そうですね。若年性アルツハイマーが疑われたときに、ネットで調べて、すぐに連絡を取りましたね。数年後に寝たきりになっている可能性があるから、と思って連絡しました。

 

伊藤 大城さん、本当に用意周到ですよね。前もっていろいろな準備をされますね。

 

大城 妻が大変な目にあうんだろうなと思って、連絡しました。本当に何も分からなくなったら、自分は困らないだろうけど、妻は困るだろうなと。何かつながっておけば、何とかなるだろうなと思ったんですよね。自分というよりは家族の今後に対する怖さですよね。

 

伊藤 なるほど。

 

◎記録から生まれるストーリー

伊藤 講演でお話されていた、「記憶」と「記録」の話ももう少しうかがいたいです。メモリーノートに書いてあることが、あとから読んでも分からないときがある、客観的な事実としてしか分からないときがある、と話されていましたよね。たとえば「今日は〇〇に行った」とメモリーノートに書いてあって、それを使ってブログを書いたりしようとするんだけど、読んでも自分が本当にそれをしたのか実感が持てない。その記録が記憶にならない感じと、どうつきあってらっしゃるんでしょうか。

 

大城 ああ、ブログで人に出来事を話すときに、客観的な感じで文字を並べても伝わらないので、こういう感じだったんだろうな、と自分で想像して書いていますね。たとえば今ノートに「注射の痕。可愛らしいテープが貼ってあって、妻と娘が大爆笑。疲れも少し吹き飛ぶ」って書いてあったとしても、私の中ではもう分からないんですね。注射も、何か検査をしたのか、栄養剤を打ったのか分からないんですけど、ブログに書くとしたら、「今日病院にいって、私は注射が本当に怖くて、どきどきしながら受けました。帰ってきたら可愛らしいテープを貼られたみたいで妻と娘に大爆笑されました。病院の先生は、これをわざと貼ったのか?」とか(笑)、ちょっと加えながら、自分でストーリーを作って書いたりしますね。

 

伊藤 ストーリーにすると、大城さんにとってもイメージがわくということですよね。記憶はなくても、イメージができますよね。

 

大城 イメージですね。ただ「妻と娘が大爆笑していました」だと何も伝わらない。どういう流れで、どういう感じで笑っているかとか、妻と娘がテープを指差している感じとか、想像するんですよね。思い出すときは思い出したものを書きますが、思い出さないことがほとんどなので。

 

伊藤 でもそうやってストーリーをイメージする作業は、けっこう楽しいのではないですか?

 

大城 楽しいですね。

 

伊藤 「こうだったんじゃないか」みたいに想像するということですよね。

 

大城 うん。自分でストーリーを作って自分でウケている感じですね(笑)。悪気のない嘘ではないけれど、このくらいだったらいいだろう、と思っています。

 

伊藤 すごくいい関わり方だなと思って聞いていました。記憶そのものがなくても想像して作る楽しさがありますよね。

 

大城 自分で作って、付け足していますね。

 

伊藤 思い出せないことを思い出そうとしてムキになるのではなくて、想像してその日の出来事を楽しむ、というのはすごい発明だなと思っています。

 

大城 私の中では、想像というか、イメージはいま増えていますね。こういう感じでやっているんだろうな、と思って自分で笑ってしまったり、そういうのが多いですね。

 

伊藤 写真できっちり記録するということもやっていらっしゃると思うんですが、それだけじゃなくて、イメージする方向性もあるというのがすばらしいですね。

 

大城 きっかけはやっぱりブログを書いたからですね。これ、どうやったら伝わるのかな、と一生懸命思い出そうとしたら、勝手にいろんなイメージが作られて、ああ、もうこれはこれでありかな、と。

 

伊藤 なるほど。本を書くときも、そういうストーリーやイメージを活用していますか。

 

大城 そうですね。昔のことで、たとえば仕事ができなくて悩んでいた時期というのははっきり覚えていて、それは自分の気持ちで書けますが、それ以外は私のイメージしたものを書いていますね。仕事でつらかったときに注意されたこととかは、今でもはっきり覚えていますね。当時、楽しかったことと言われると、出てこないです。

 

伊藤 本のなかで、さいきん家事もやられていると書かれていましたが、その中での大変さはないですか?

 

大城 ちょっとしたできることをやっている感じです。昔からお手伝いはよくやっていて、効率よくいろいろなことを同時にこなしていたので、妻からは「あなたが主夫やったほうがいい」と言われていました(笑)。いまは同時にはできないのでひとつずつやっています。

 

伊藤 いまよくやる家事は何ですか?

 

大城 洗い物ですかね。食器を洗って、片付けることです。基本せっかちなので、いろいろなことを効率よくやらないと気が済まないタイプで。せっかちすぎて、ドアを開けて自分が行くまえにドアを閉めてしまって指を挟んだことがあります(笑)。「なんで開けながらしめるの」って言われました。自分でもそうとうせっかちだなと思います。今ではそれほど要領よくできないので、意識して、やっとちょっとできるという感じですね。

 

伊藤 お皿を洗って片付けるときの場所が分からなくなることはないですか?

 

大城 そういうのは大丈夫ですね。置き場所は決まっていて、そこに戻すのはできますね。たぶん何十年も置き場所が変わっていないので。いま食器棚がパっとイメージできたので、大丈夫だと思います。真ん中あたりにお椀とコップを置く場所があって、上のほうに大きな皿を置いて、というのが分かります。

妻とは性格が反対で、妻が洗った食器がそのまま置いて乾燥させているのが嫌で、私がきれいに拭いて片付けて、さらにシンクをきれいに拭いて、それで終わりという感じでした。

 

伊藤 待ち合わせで家族が早く来ても遅く来てもイライラしてしまう、と書かれていましたもんね。

 

大城 感情がコントールできなくなってきていますね。ちょっとしたことでもイライラしてしまう。スーパーのレジで店員さんとお客さんがおしゃべりしていると、それだけで正直イラッとしてしまう。早く終わらないかなと思ってしまう。ほんとに対処しきれない自分です。余計な大きなトラブルにならなければいいなと思います。

(2019/1/25 沖縄の車や喫茶店の中にて)