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丹野智文さん

丹野智文さんは若年性アルツハイマー型認知症当事者。体の研究は、その人の性格や趣味、やっていた仕事と切り離しては進められないな、ということをつくづく感じたインタビューでした。外車のトップセールスマンとして腕を鳴らしていた丹野さん。問題があるならば的確に原因をつきとめ、人の心を動かす労をいとわない姿勢が、そのまま認知症との「普通の」付き合い方の提案になっていて感動しました。「今日の昼ごはん覚えてる?」という質問がいかに無意味か、そして「夕ご飯に何を食べたい?」という質問がいかにボジティブか。予防ではなく備えを、という指摘も、他のさまざまな障害にも言えることだと思います。


丹野智文さんプロフィール

1974年生。宮城の認知症をともに考える会「おれんじドア」代表。大手自動車販売店で営業マンとして働いていた39歳の頃、若年性アルツハイマー型認知症としての診断を受ける。『丹野智文 笑顔で生きる―認知症とともに』(文藝春秋社、2017)

◎失敗していい
伊藤 本のなかで、認知症になってから時間の感じ方が変わった、と書かれていました。たとえば、電車に乗っていて、気づくとすぐに目的の駅に着いていることもあれば、逆に長距離列車のように長く感じて、間違った路線に乗ってしまったんじゃないかと感じることもある、と。

丹野 いまはね、もう時間とかも、全然気にしてないの。携帯を使うと、電車がどこを走っているかとかも分かるようになってきたでしょ。それを見ているようにしています。最初は不安なんですよ、どこを走っているかが分からないし、行く場所の名前を忘れちゃう。不安だから、今どこかな、もうついたかなって気にしてたと思うんだけど、いまはそんなに不安がないので、分かんないときは「いまどこですか」って聞けばいいと思ってる。

伊藤 いつも外出するときは、行き先を調べて行く感じですか?

丹野 携帯で調べて、紙に全部何時にどこというのを書いて行くようにはしています。

伊藤 時間とセットで書いてあれば、行き先も分からなくならないですね。

丹野 それは忘れないよ。「〇〇分に駅につく」って書いてあったら、その時間に降りればいいでしょ。でもこのあいだ、ひとつ失敗したのは、その時間のとおりに降りたら、たまたま3分間電車が遅れていて、前の駅で降りたの。で、待ってるはずの人がいないから、なんでいないんだろうと思ったら、駅員さんに聞いたら「ごめん、3分遅れているんだ」って。でもそう分かったら、タクシーで行けばいいわけでしょ。何にも困らない。

伊藤 ああ、なるほど。タクシーという手がありますね。

丹野 どうやったら困らないか。パニックになるのが一番怖いんですよ。どうやったらパニックにならないかだけを考えているから、あんまり困らなくなっちゃった。携帯がいますごく便利。ホームが何番線かまで書いてあるので、それを信用して行けばいいからね。慌てて乗ると、だいたい逆方向に走っていったりするからね(笑)。冷静さだね。

伊藤 こうしようと思っていたとおりに行かなかったときに、別の方法でやればいいと思えるかどうか、ですね。でも最初はそんな冷静はなかったんじゃないですか?

丹野 なかった。すごくパニクってた。

伊藤 こうであるはずだ、と思ってる自分のイメージが強すぎたっていうことですかね。

丹野 ふつうの人でも、カバンの中に財布がないとなると慌てて探すでしょ。そのときって案外見つからないもので。冷静に中のものを一つずつ出していくと見つかったりするのに。それと同じなのかなと思っていて、いかに冷静にものごとを見るかということに気づいたことがあって。駅で降りて、分からなくなったときに、本当に動けなくなっちゃったんだよね。立ち止まって「どうしよう…」って。それで涙が出てきて、駅員さんに「いまどこにいるかも分からないんです」って言ったら、「家に電話した?」って言われて。そのとき初めて「家に電話する」ということに気がついて、電話したんだけど誰もいなくて。あとから考えたらなんで妻の携帯に電話しなかたんだろうと思うけど、そのくらい判断が鈍っちゃうんだよね。そこだけなんだろうなと思うんだよね。

伊藤 冷静だったら思いつける解決策が思いつけなくなるということですね。

丹野 スコットランドに行ったときに教えてもらったんだけど、スコットランドは道に迷った人がいたら、その人が落ち着くまで待ってあげるんだって。駅にもお祈りをする部屋があるから、そこでゆっくりしてもらう。そうすると、自分で来たのならちゃんとひとりで帰れるんだよね。日本は、どっちかというと、「送ってあげる」という発想でしょ。そこが違うなと思っていて、冷静になったらできるんだよね。

伊藤 それは他の障害を見ていても感じることですね。日本は「やってあげる」という関わり方が強いですよね。

丹野 守りすぎ。それが本人をすごくダメにしているんです。病名がついただけで守りすぎちゃうんのがいまの認知症なんですよ。他の障害もそう。認知症だけじゃなく車椅子の人とも関わっているけど、良かれと思って押そうとすると「丹野君だめ」って言われるもんね(笑)。俺の中でも分からないからね、最近は最初に本人に聞くようにしてる。「何か手伝って欲しいことがあったら手伝うから、そのときは気軽に言ってね」って言っておくだけでいいんだよね。それなのに、みんな良かれと思って先回りしてやるから、だからみんな怒るんですよ。
認知症の人はよく怒るって言うけど、怒るんじゃなくて怒らせてるんだよね。みんなね、気づかないうちに怒らせてるの。楽しい時は、誰も怒らないよ。
何かがやっぱりズレてるなあと思っててさ。いま、すぐに「リスク」って言うでしょ。何かあったらどうするんだってばっかり言われて。誰が責任とるんだと言われたら、自分でとるしかないと思うんですよ、やりたいことをやったときに。それなのに、責任問題が他の人になっているからおかしいんですよ。

伊藤 当事者でなく、家族や介助者の責任になるということですね。

丹野 うん。講演とかしていてもよく言われるんだけどさ、認知症の人の話っていうと重度の人の話ばっかりなの。診断直後から重度になるまでって何年かあるのに、そこをなかったことにしてる。本人の話を聞いてない、と言うと、しゃべれない当事者はどうするんだ、と返ってくる。しゃべれない当事者だってもともとはしゃべれてたんだよね。たぶんね、ほかの障害者もいっしょだよ。みんな同じこと言うよね。自分の思っているのと違うことをされるって。

伊藤 そうですね。12月にサンフランシスコに行ってきたんですが、障害者運動が盛んだった地域なので、当事者の自立性を尊重する姿勢が徹底していました。先回りして助けない。でもその代わりに、街中で「よっ」みたいに気軽に声を掛け合う雰囲気があり、信頼を確認しあっているのかなと感じました。

丹野 おれもそう思っていて、日本も気軽に言える社会になってほしいんですよ。迷惑をかけるかもしれないと思って言えないという人が多い。私は東京でもどこでも一人で出かけるけど、誰も一人で出かけないんですよ。不安かもしれないけど、聞けばよくない?と言うと、そうなんだよね、で終わっちゃう。みんな心配しすぎて、失敗しないようにしてるんだよね。そうすると成功体験がない。成功体験がないから、またやろうという気にならない。それなのに、今の日本の支援は「失敗させないようにどうするか」なんですよね。失敗して何がダメなんだろうっておれ思っててね。ふつうの人でも失敗するのに、何で障害者は失敗しちゃだめなのかなって。

◎すれ違いには理由がある
伊藤 これまでの丹野さんの最大の失敗経験についてうかがってもいいですか?

丹野 毎日失敗してばかりだよ。だって会社に行ってもさ、自分の上司がだれだか分からないんだよ。でもそんなの全然困らないでしょ?となりの人に、「おれの上司だれだっけ」って聞けばいいんだから。困らないように、環境を作り上げていくんですよ。初めてあったときも、「ごめんね伊藤さん、次に会ったときは忘れているからね。声かけてね」って。そう言っておけば、どこかで会ったときに「このあいだ取材した伊藤です」「ああ、そうなんだ」ってまたふつうになるでしょ。その環境をどう作るかなんだよね。失敗なんていつもだよ。だって今だって荷物忘れてきたからね。

伊藤 環境づくりって何が一番大事なんですかね。

丹野 自分から言っていくこと。まわりが勝手に決めつけるから、できることとできないことを自分から言っていくことが一番の環境づくりだよね。

伊藤 最初の話に帰っちゃうんですが、時間感覚について、さいきんは電車に乗っているときは気にしなくなったと言っていましたが、そのほかの場面で、一瞬で時間がすぎたり、長く感じたりすることはありますか。

丹野 集中しないとものごとができないことが増えているんですよ。集中しているとあっという間に時間がすぎたりすることがあります。本を読んでいても、のめり込んで読まないと読めないし。それでよくあるのが、会社で集中して仕事をしていると、「丹野君」って声かけられても気がつかないだよね。これが原因で家族とのズレがある人が実はいっぱいいて。本人が集中して、「パパ」って声かけられても聞こえなくて、そうすると相手は少し大きい声で「パパ」って言う。でも聞こえない。それで3回目のもっと大きい声で「パパ!」って言われたときに、本人は初めて気付くんですよ。そうすると、相手は3回目だから普通に言っているつもりなんだけど、本人からすれば1回目なので「何で怒ってるの?」って思う。そうやってズレている夫婦もいっぱいいます。家族は怒っていないのに、本人は怒られたと感じている。この前もいろいろな人と話していて、そういうことがある、という話になりました。

伊藤 なるほど。お互いの前提がズレているわけですね。そのズレの理由が分からないままだと、人間関係のズレになってしまいますね。

丹野 聞こえないんだったら、肩を叩いて「パパ」と言えばいいだけでしょ。でも声で言おうとするから、大きい声になってしまって、「なんでこんな大きい声で言うんだろう」って感じて、いつも妻に怒られているという感覚になる人が増えてくるんだよね。

伊藤 リアルですね。すれ違いにもちゃんと理由があるわけですもんね。食事のときはどうですか。

丹野 ぼくは問題はないけれど、空間認知機能が失われている人だと、食べるときに、どうやって持ったらいいか分からないんですよね。

◎顔がずれる
丹野 本当に認知症といっても人それぞれだからね。

伊藤 丹野さんは空間認知機能は問題ないんですか?

丹野 全然問題ないよ。ぼくの特徴は人は顔が分からなくことと物忘れがあるかなっていうくらいだね。テレビのドラマを見ていても、誰が主人公だから分からなくなってくるんだよね。表情は分かるだけど、この人誰だっけ?ってなっちゃう。だから、あんまり見ない。友達のライブに行っても、2時間くらい歌っていると、3、4回顔が変わるんだよね。「こいつこういう顔していたっけ?」と思う。

伊藤 それ、怖くはないですか?

丹野 いや、全然怖くはないよ。そういうもんだからね。だから、よく人の顔をじーっと見ているねと言われるけど、それは「この人、どういう顔なのかな」という感覚で見ているんだよね。でも他の人からすると、女性の顔をじっと見すぎだよって言われる(笑)。それは理由があるんだよね。

伊藤 分からなくなるのは人間の顔だけですか?

丹野 あのね、アニメを見ているときは、顔は変わらないの。人の顔は表情がすごいからかな。あとは服が変わっただけで分からないんですよ。アニメの世界は、だいだい服が変わらないでしょ。人とごはんを食べていて、その人がコートを着ただけで「あれ、いたっけ?」っていうのがけっこうあるんだよね。分からないけれど、人の印象って服で見ている部分がけっこうあるのかな。

伊藤 街並みや風景はどうですか?

丹野 それは大丈夫、うん。街中は、歩いていると、10人いたら一人くらい知り合いに見えるんですよ。こういう喫茶店にいても、「なんであの人がここにいるんだろう」っていう感覚になるんです。何回も声をかけて失敗したことがありますよ。友達に止められたことあるけれど、俺にとってはその人なんですよ。

伊藤 「この人、何となく知っているな」ではなくて「〇〇さんだな」と思うんですね。

丹野 うん。でも、すれ違ったときに声をかけられていないから、「あ、違うんだな」と思う。だから、街中を歩いているとすごく疲れるんですよ。あと最近は、人といっしょに歩いていても、はぐれちゃったときに顔が分からなくなるので、不安なんです。だから、そこに関しては、一人で歩いていたときのほうが不安がないです。二人で歩いているときは近くにいればいいけれど、五、六人で歩いているときには大変かな。

伊藤 知っている人の顔が分からなくなることと、知らない人の顔を知っているように感じることが両方起こるんですね。

丹野 たぶん、顔がずれるんだよね。「ずれる」という言い方があってるのか分からないけど。自分の中で誤認識してるんだろうね。去年かな、先月かな、病院に行って、先生に有名人の顔を見せられて「この人だれ?」と聞かれて、ぼくは「このおばあちゃん誰ですか?」って言ったの。そうしたら「え?」っていう顔をされて。そうしたら天皇陛下だって。

伊藤 年齢的には分かるけど性別が分からなかったということ?

丹野 まあ、優しい顔をしてるからかなって言われたけどね。でもあまりよく分からない。街中で会えば男性か女性かは分かりますけどね。写真で見た顔と、実際に見た顔がずれるんですよね。今日も伊藤さんの顔をFacebookで見てきたけど実際に会うと分からない。

伊藤 確かに写真と実物は印象が変わりますね。

丹野 でもふつうの人はだいたい結びつくじゃないですか。ぼくは結びつかないんですよ。だから、名探偵コナンじゃないけど、メガネがあって、伊藤さんを見たときに「これは伊藤さん」って出てきたら、こんな楽なことはないんじゃないかなと思いますね。そうすると「ああ、伊藤さん伊藤さん」と言えるしね。

伊藤 名前や声の記憶はどうですか。

丹野 顔の記憶がないから名前も出てこないんだよね。ふつうの人は顔は分かるけど名前が出てこないって言うけど、ぼくの場合は、存在がないからさ。声は聞けば分かるけど、その人の存在がなくなるから、声がどう、と言われてもピンとこないんだよね。

伊藤 音の聞こえ方や味覚、スピードの感じ方の変化はないですか?

丹野 何にもないです。スピードの感じ方も変わらないかな。車は自分で運転してないとブレーキを踏むタイミングが違うから怖いんだよね。だから助手席には乗らないで後ろの席でぼーっとしてる。それだって工夫だよね。

伊藤 夢はどうですか。

丹野 夢は毎日見ていますよ。それはたぶん薬の副作用じゃないかなと思うんだけど、脳が活性化して、寝る前にちょっと考え事しちゃうと、そのままずっと考えちゃうの。だから、夢の中ですごく疲れちゃう。二時間か三時間に一回はいつも起きてるよ。起きて、「わあ、頭疲れたな」と思って、携帯をぼーっと見て、それで10分後くらいに寝てる。ふつうの人は寝て頭を休めているかもしれないけど、僕の場合は起きて頭を休めてる。

伊藤 夢は、景色が見えるという感じでもないんですか?

丹野 夢は、怖い夢でもないし、楽しい夢でもないし、ふつうの、生活している夢なんだよね。寝る前に考えていることが続いていく。ストーリーもないかなあ。

◎「今日の昼何食べた?」じゃなく「今日の夜何食べたい?」
伊藤 本の中に「忘れていたことを思い出そうとするとすごく疲れる」と書かれていますね。

丹野 当事者みんなそう言うよね。だって、それなのに、「今日の昼に何を食べたか思い出そうよ」ってみんな言うでしょ。何で思い出す必要があるの?今日の昼に何を食べたかなんてどうでもいいよって俺は言ってるの。食べてなかったらお腹空くし、何か食べるんじゃない?って。それよりも「今日の夜何を食べたい?」って聞いてくれれば、「ああ、焼肉がいいかな、ラーメンがいいかな」って考えるでしょ。よっぽどそっちのほうが脳にいいと思うのに、思い出させようとしてみんなつらい思いしている。ふつうの人だって一週間前に何を食べたか聞かれて思い出そうとしたら、やっぱり脳が疲れますよ。

伊藤 本当ですね。

丹野 思い出さなくてよくない?それなのに何で思い出さなくちゃいけないのかな。

伊藤 思い出さなくちゃいけないことなんて、あまりないかもしれないですね。

丹野 ないよね。お昼ごはんなんて、仮に同じものが夜出ても、忘れてるから、「何か最近偏る気がするけどさあ」って言って食べればいい(笑)。気にする必要ないさ。

伊藤 街中で分からなくなったら人に聞いたらいいですしね。

丹野 みんなね、一つのことにこだわりすぎるんだよね。目の見えない人だって見えないのが当たり前と思ってしまえば、それでよくない?と思っていて。もしここで伊藤さんだけが目が見えていて、他の全員が目が見えなかったら、こんな電気をつけてる必要ないですよね。これは全部目が見える人の配慮なんですよ。だから、どこに視点を置くかで変わってくるんですよね。

伊藤「思い出さなきゃ」という思い込みから解放されることで、すごく楽になりますね。

丹野 気が楽ですよ。

伊藤 過去に固執しないことで、むしろ「今日の夕飯どうしよう」って未来の可能性に目が向きますね。

丹野 うん。だってさ、ぼくは人の顔忘れるから、忘れてもいいという前提で人とつきあってるからね。超楽ですよ(笑)

伊藤 そうですね(笑)相手が覚えていれば関係は残りますからね。

丹野 そう。なんかみんな覚えてなくちゃいけないという前提があるからおかしくなってるんだと思うんですよ。もうこの人は忘れるんだという前提でつきあってくれれば問題ないと思うんだよね。前の日のことも、忘れちゃったら忘れちゃったでよくて、そこからまたやればいい。発想の転換だけなんですよ。そうすると気が楽で笑顔でいられるんです。どんな病気でも笑顔でいられるかだと思いますよ。

伊藤 記憶がなくなると人間関係がなくなると言われるけど、そんなことないですね。

丹野 みんなそう言うけど、僕はラッキーなことに一切ないんですよ。それは自分から、忘れることを伝えているからだと思います。ご年配の方とか、友達がいなくなったとい言うけれど、それは困っていることやできないことを言わないから、まわりが分からないからだと思います。認知症と伝えたときに、相手は、何かに誘っていいのか、声かけていいのか、落ち込ませるじゃないかな、と考えてしまって、だから離れていくんですよ。自分から言えば離れていかないし、そこで離れるような人は本当の友達じゃないですよ。

伊藤 丹野さんの中で、発想の転換が起こるきっかけはあったんですか?

丹野 ある新人の女の子と仕事をしていたときに、「丹野さん何に困っているの?」って聞いてきたんだよね。それで自分の口から言っていったら、次の日から彼女の対応がちゃんと変わっていて。夏に暑かったときに「ビール飲みたいなあ」って言ったら、「丹野さん、病気なのにビール飲んでいいの?」って聞いてくるから、「でも先生に止められてないから大丈夫だよ」って答えたら、「じゃあ、丹野さん飲みに行きましょう」って言ってくれて。言わないと分からないんだな、と思いました。そのあとはしょっちゅう飲みにいってますよ。プライドとかで言わない人がいるけど、オープンにしていけば、友達は離れないし、こんなに生きやすくなるんですよ。これも成功体験でしょ。成功体験があれば、ふつうに過ごせるんですよ。だって、道に迷ってないのに、迷うかもしれないからって言って出かけないわけでしょう。こんなバカな話あるかなって。

伊藤 そうですね。実際に道を聞いてみたときの反応はどうでしたか。

丹野 いろんな反応があったんだよね。最初は、会社の場所を聞いたら「何だこいつ」っていう顔をされましたよ。女性の人の聞いたときは「ナンパですか」って聞かれたんだよ。だから、今は定期入れに「若年性認知症本人です」って書いたものを持ち歩いています。これを見せると、みんな優しい。特に高校生とかめっちゃ優しい。そうすると、どういう人に声かけようかこっちも考えるよね。余裕がありそうな人に声をかけよう、とかね。

◎予防じゃなく備え
伊藤 ふだん、疲れやすいですか。

丹野 僕は疲れにくいんだよね。講演とかしても、10分くらい休めば元気になる。みんなと違うのは、講演の内容を考えてないんだよね。原稿は作るけど、その場その場で聞かれたこと、考えたことを言えばいいかなと思ってやってる。

伊藤 そのあたりの、やりすぎない加減がありそうですよね。

丹野 講演会のためにやるんじゃなくて、まず調べるのは、その土地は何が美味しいのかなということ(笑)。本当に講演行く気あるの?ってみんなに言われるくらい。

伊藤 準備しないというのは、ライブ感というか、その場を楽しむということですよね。

丹野 うん。だって自分が楽しければいいでしょって。認知症の俺が失敗するのは当たり前だから、失敗してもいいと思っている。それをプロの講演会みたいにしようとすると疲れるけど、一生懸命伝えようとかしないほうが伝わるしね。僕は人が好きなんですよね。だから講演会は楽しいですね。みんなつらい思いしてがんばってるけど、僕は何一つつらい思いしてないんだよね。もともと営業の仕事だというのがあるのかもしれないけど、講演会の後の懇親会でもビールを持ってみんなと話に行くんですよ。そうやっていろいろな人と話すと、いろいろ考えて、講演の内容も変わっていくしね。

伊藤 やっぱり、人を信頼している、ということも大きいですかね。

丹野 悪い人に騙されないの?ってよく言われるんだよね(笑)。僕を利用しようという人もいるけど、じゃあそれも自分が使えばいいなと思うしね。営業をやってきたから、人を見る目はある程度あるよ。

伊藤 やっぱり認知症になる前に何をしていたかも大きく影響しそうですね。みんなこうした方がいい、というのはなかなか言えないですよね。

伊藤 文字の認識はどうですか。

丹野 文字は書けない、というか、分からない、というか、何と言うかな…。たとえばこの「見」という感じも、今は分かるけど、分からないときがあって、それをどう書いたらいいか分からないときがあるんですよね。「こんな漢字あったかな」って。それで、パソコンで一番大きく表示をして、図形として書いているの。

伊藤 字としては認識してない?

丹野 うん、字としては全然書いていない。

伊藤 それは感覚として、顔が分からないということと似ていますか?

丹野 うーん、字が分からないという人は多いですね。でもひらがなが分からない、カタカナが分からない、とみんな違います。カタカナは思いつかないときがあるかな。当時者の集まりで司会をしていて「サトウさん」と書こうと思っても、分からないんだよね、「サ」が。どう書いたらいいか。そういうときはノートをとなりの人に渡して書いてもらう(笑)。何にも困らない。

伊藤 それは頭の中に「サ」は浮かんでいるけど、書けないということですか?

丹野 うん。だから「書いて」って(笑)。できないことは任せればいいんじゃないのって。

伊藤 できないことができなくなったって思いがちだけど、それをみんなでやればいいということですよね。

丹野 みんなできなくなったって落ち込みすぎなんだよね。しょうがないさ、病気なんだからって僕は割り切るようにしてて。それよりも、落ち込むほうがよくない。助けてくれる人たちに任せればいいわけだから。
でも、助けてって言ってないのに助ける人が多いから、イライラするんじゃないかな。家族の会に行っても、家族が当事者のお弁当を持ってきてあげて、ふたを開けてあげて、割り箸を割って、はい食べなさい、というのが当たり前だからね。「それ、おかしくない?できるのになぜそこまでするの?」って聞いたら、「やさしいからでしょ」って。「でもこれは本人の自立を奪ってない?」って言ったら、一回怒られたよ。でもぼくは言い続けるよ。だってこれをずっとやられたら、本人はどんどんできなくなっちゃう。今はどうしているかっていうと、本人が家族の分までお弁当を持ってきてあげてる。みんなできるんだよ。そうしたら支援者が変わってきたよ。

伊藤 それは、本当に認知症にかぎらず社会のあちこちで顕在化している問題ですよね。

丹野 だから、よく標語とかで「認知症に優しい街を作りましょう」ってあるけど、その「優しい」を勘違いしないでほしい。「誰のために優しいのか」という視点がなくて、自己満足で優しいと思っているだけなの。本人に対して優しいのなら、放っておいてほしいんだよね。「目の見えない人に優しい」にしても、目の見えない人に聞いて、やって欲しいことをやるのが「優しい」のに、勝手に想像してやるから優しくなくなってしまう。やっぱり聞くということが大切なんじゃないかと思っている。
本人が困ってるってよく言う。困っている仕草をしてるかもしれないけど、助けてとは言ってない。本人は自分で動きたいんじゃないの。

伊藤 たぶん、周りは待てないんですよね。

丹野 そう、待てないの。だから本人と話すときも、僕は家族を離すの。そうするとみんなよくしゃべるよ。それもさ、よく認知症の話から始めるんだけど、そうするから変な感じになってて。車の営業だって、いきなり新しい車の話をしたって誰も買わないよ。そうじゃなくて、「伊藤さん、最近何か趣味やってる?え、釣り?何人で行く?どういう荷物積む?どこまで行く?」って聞いていけば、こういう車がいいんじゃない、とオススメできる。ニーズに合わないことをするから、みんな「車買わされる」と思って構えちゃうんだよね。
本人が集まる場所に行くと、まず病名、困ってることについてアンケートを取られる。おれんじドアは、アンケートとらないよ。じゃあ、何をしているかといったら、「何をやりたい?」ということなの。それで実際に実行しようとするとここでできない、という場所がでてきて、そうすると困ってることが具体的に見えてくる。なんでもそうだけど、世間話もしないで直球で行くからよくないんだよ。「やってあげる」「たすけてあげる」になっちゃう。対等じゃないんですよ。

伊藤 先回りしないでいられるかどうかが大事ですよね。

丹野 本当に先回りしすぎだなと思っていて、診断直後から、重度になったときのことばかり考えてる。なんで今を見ないんだろうって。診断名は認知症とついたかもしれなけれど、人を見たらふつうでしょ。みんな診断名ばかりを見て、俺を見ずに「丹野君よくスマホ使うね」とか言うんだけど、世の中の40代男性みんなスマホ使ってるでしょって。なんで僕だけ特別扱いで「すごいね」って言うのって。

伊藤 今日も、丹野さんに会うんだということを話すと、まわりから「丹野さんすごいから」って言われました。

丹野 当たり前でいて欲しいのに、スマホを使っていると、悪いことをしているみたいなんだよね。そこが生きづらい。メガネをかけている人が障害者だと思われていないのと同じように認知症もなるといいんだけどね。
 最近、予防予防って言うけど、予防したって認知症はなるんだよ。地震だってとめることはできない。でも備えることはできるんだよね。認知症も、なったらどう生きるかという備えをみんなに考えさせたほうがいいんじゃなのって言ったの。

伊藤 予防じゃなくて備え。二つは全然違うものですよね。

丹野 うん。それとメガネだって、みんな視力が違うんだから、同じ度数のメガネをかけさせたら合わない人は動けなくなってしまうし、進行も一気に進むでしょ。認知症も、それぞれ段階も性格も違うのに、なんですぐ介護問題にするのって。

伊藤 前向きに解決していくある種の楽観的なパワーみたいなものが足りないですよね。

丹野 それは僕が最初にあった当事者の人がすごく前向きで笑顔だったんですね。それで、その人のように生きたいと思ったの。だから、それを他の人に伝えようとしておれんじドアを始めたの。いつもヘラヘラしてればいいかなと思ってるの(笑)。立派な人でいようなんて思ったことないよ。講演するときも、講演している人と聞いている人という関係で終わりたくなくて、出口でいつも待っていて、いろいろな人と話すんですよ。認知症だろうがなんだろうが普通の人でいいんじゃないって。

(2019/3/13仙台駅前の喫茶店にて)