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川村綾人さん

川村綾人さんは先天的に左肘先が欠損で、日常的に装飾義手を使用している方。義手に対する距離感がなんとも面白いインタビューでした。「ないのが自然」だからこそ、愛着もあんまりない。スマホと義手が同時に机から落ちたらスマホをとっちゃう、と言います。そんな川村さんが筋電義手を使うようになったらどうなるのか。ニーズがなかった機能がどう必然化していくのか、しないのか、楽しみです。


川村綾人さんプロフィール

30代男性。義手と付き合うしがないサラリーマン。

 

◎義手との距離感

伊藤 すみません、事前にお送りした質問事項の最後のところ、お名前が「川人」さんになっちゃってました。

 

川村 あだ名みたいで距離感が縮まってよかったです(笑)

 

伊藤 いま、お仕事をされているんですよね。

 

川村 メーカーで8年くらい働いています。ずっと人事部で、異動や採用に関する仕事ですね。ふだんはデスクワークがほとんどですね。

 

伊藤 パソコンはどんな感じで使うんですか。

 

川村 片手で打って、電話が来たら左の肩でとる感じです。最初は、三つのキーを同時に押したりするのは大変だったけど、もう慣れましたね。

 

伊藤 大変だけど結構やっちゃうタイプなんですね。

 

川村 そうですね(笑)。

 

伊藤 左手の状態としては、先天的に欠損ということですか?

 

川村 ちょうど肘から先がない感じで、肘は曲げられます。肩などは左右同じに動きます。

 

伊藤 ふだんから義手をつけていらっしゃいますよね。つけない方もかなりいるなかで、川村さんはなじんでいますね。

 

川村 この義手は10年くらい前に作りました。それ以前は存在を知らなかったんですよね。義手なんてあるんだという感じで。つける必要もなかったし、つけている人もあまりいなかったんで。会社に入るタイミングで、人に言われて作りました。

 

伊藤 それまで、小・中・高校は義手なしで生活していたんですね。

 

川村 そうですね。つけないで生活していました。

 

伊藤 そこから二十歳くらいで義手をつけるというのはそうとう大きい変化だったんじゃないですか。

 

川村 まわりの目は圧倒的に変わりましたね。見られなくなったんです。つけていないと、びっくりされるんですよね。特に半袖を着ているときなんかはもろですから。それが「町の一員」になった感じです。それが一番大きかったですね。

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伊藤 なるほど。でも付いている分は重たく感じませんか。

 

川村 今でも重たいですね。一キロくらいかなと思うんですが。

 

伊藤 触ってみていいですか?あ、結構、年季入ってますね。

 

川村 まったく手入れしてないですからね(笑)。

 

伊藤 指先が柔らかいんですね。

 

川村 柔らかくなってくるみたいです(笑)。中に入っているものがぐちゃぐちゃになるみたいで。装具士さんがそう言っていました。劣化していろんなことが起きているんでしょうね(笑)

 

伊藤 (笑)。中指は直した痕がありますが、取れちゃったんですか?

 

川村 ちぎれちゃったんです。それをひっつけたんです。

 

伊藤 10年でもう寿命が来るんですね。

 

川村 サイクル的にはみなさん5年くらいで変えるみたいですね。

 

伊藤 じゃあ10年というとかなり大事にしてきた感じですね。

 

川村 たぶん大事にしてないからですね(笑)。

 

伊藤 川村さん、義手と結構距離がありますよね(笑)。

 

川村 (笑)ありますね。

 

◎ウチ/ソトの境界線にあるもの

伊藤 この義手はどこで作ったんですか。

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川村 奈良にいたときで、確か市役所に紹介された川村義肢に行って、装具士さんに会って、採寸してすぐ作りました。一回ソケットを作るために採寸に行って、あとはいきなり出来上がって、「じゃ、つけてみましょうか」っていう感じでしたね。

 

伊藤 付け方としては吊っているのではなく、嵌めている形ですよね?

 

川村 嵌めています。

 

伊藤 最初に嵌めたときはどうでしたか。

 

川村 気持ち悪かったですね(笑)。違和感がありましたね。ずっと荷物を持ち続けている感じというか。疲れてくるし。嵌めているので、引っ張られる感じがあるんですよね。歩くと、腕を振るじゃないですか。そのときに義手が振られて引っ張られるですよね。

 

伊藤 なるほど。持っていかれる感じなんですね。

 義手を使うようになって、体のそのほかの部分に変化はありましたか。

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川村 もともと腕がない分、背骨が右に曲がっていきがちだったのですが、義手をつけたことで、それが徐々に治っていきましたね。

 

伊藤 生まれつき手がないような場合でも、背骨が曲がるんですね。

 

川村 大人になるにつれて、どんどん曲がってきていたみたいです。

 

伊藤 それまでスポーツなどはやられていたんですか。

 

川村 ずっとバスケットボールをしていました。

 

伊藤 バスケですか。シュートのときはどうしていたんですか。

 

川村 片手で、ちょっと左手を添える感じですね。今あらためて思うと、バスケなんてわざわざ選ばなくてもいいようなスポーツですけどね(笑)。たまたま誘われて始めました。サッカーだったらめちゃ楽だったんですけどね。手を使ったら反則だし(笑)

 

伊藤 (笑)。お話をうかがっていると、やっぱり10年経っても、義手に対して距離があって、体の一部ではないのかなという感じがします。川村さんにとって義手ってどんな存在なんですか?

 

川村 確かに外ではつけているけど、家の中ではつけていないですからね。何でしょうね…。服とか靴みたいな感じですかね。履かないで外に出るわけにはいかないですからね。

 

伊藤 なるほど。義手はウチとソトの空間的な区別に関係しているんですね。

 

川村 そうですね。境界線みたいな感じかもしれないですね。

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伊藤 でも物理的にはやっぱり重いという感じはあるわけですよね。

 

川村 つけてる感じがなくなることはないですね。

 

伊藤 こうやって話しているときの、左手を膝に乗っけている姿勢は、意識してやっていらっしゃる感じですか。

 

川村 下におろしておくと引っ張られ続ける感じになるので、自然と楽な姿勢を取ろうとして、膝の上に置いているんだと思います。

 

伊藤 最初は意識していた姿勢が、10年のあいだに、自然になった感じですかね。

 

川村 たぶんそうですね。

 

伊藤 膝の上に置くときは、右手を添えなくても置けるんですよね。

 

川村 そうですね。肘を曲げられるので、持ち上げることはできますね。

 

伊藤 義手を外から見たときにも、やっぱり自分の体の一部とは感じないですか。

 

川村 違いますね。靴ではあるんですが…間違えて左右違う靴を履いてる感じですね。何となく靴なんだなと自分では思っているんですけど、左右で違う黒と白の靴を履いてる感じですかね。

 つけることでTPO的には楽にはなるんですが、それだけに思えてしまうというか、愛着までは行かないですね。

 

伊藤 純粋に装飾という感じですね。それはやっぱり先天であるということが大きいですかね。

 

川村 それは大きいと思いますね。中途で切断された方は大事にしているというか、違うなと感じますね。

 

伊藤 でも川村さんは、愛着がないわりに、重みにも耐えてずっと義手をつけているというのが面白いですね。心理的な距離は遠いのに、物理的には近いというか。切断者の集まりにおじゃますると、つけていない人もいますよね。集合写真をとるときに、「じゃ、つけるか」ってみんなつけ始めたり(笑)

 

川村 確かにつけていない人も多いですね。自分はその時間が長いのかもしれませんね。常に、写真をとるときの状態というか。何でしょうね。ずっと写真とられているわけでもないのに(笑)

 今ここで外せと言われたら外せますけど、わざわざ外す理由があるのかなという感じがしますね。外でいきなり裸足になっているみたいな感じですね(笑)。うまく説明できないですね。

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◎筋電義手への期待

伊藤 このタイミングで義手を作り変えるというのは、何かきっかけがあったんですか。

 

川村 ずっと使っていたんで、奥さんに「汚くない?」みたいに言われたのがきっかけですね(笑)。それで、調べてみたら筋電義手というのがあるらしいと知って、それでMission ARM Japanに行き着いたという感じです。それまで、汚いとは自覚していたけど、作り変えるほどではないかなと思っていたんで。

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伊藤 10年間でだいぶ柔らかくなってきたし(笑)。

 

川村 パジャマとかって、多少汚れていても着るじゃないですか。何とか擦り切れるまで着ようみたいな感じ。さすがに指が全部ちぎれたら買い換えようかなと思ってたんですけどね(笑)。

 

伊藤 愛着があるんだかないんだか分からない状態ですね(笑)。でも、どうでもいいものこそが長く使ってしまうというのは、分かる気もします。

 今の義手で、気に入っているところをあげるとしたらどこですか。

 

川村 気に入っているところ…うーん、「愛着ない発言」を挽回しなきゃいけないですね(笑)。周りの人からは、思ったほど違和感はないと言われるのは、いいことかもしれませんね。右手の型をとったわけではなく、いきなり「作ったで」という感じで、たぶん誰かの手を模したんだと思いますが。あとは、時計をするときにベルトの位置がジャストなことくらいですかね(笑)。

 

伊藤 時計の話は前にされていましたよね。右手にするとパソコンを打ったりするときに傷がつくから、左の義手の方にしているって。

 

川村 そうですね。義手よりも時計のほうが愛着ありますね(笑)。

 

伊藤 義手より時計なんですね。義手もぶつかって傷ついたりしませんか。

 

川村 ありますね。通った瞬間にドアノブとかにぶつかったりします。

 

伊藤 そういうときは「いたっ」と言ったりはしないですか。

 

川村 「いたっ」はなかなか言えないですね(笑)。ぶつかったことは分かりますが、別にぶつからないように気をつけているかというと、そうでもないですね。もちろんあえてぶつかるようにしているわけではないし、さすがに水に浸かってたら抜き出したりしますけどね。

 

伊藤 濡れたりすることもあるんですね。

 

川村 手を洗っていて、気づかずにびちゃびちゃになっていることがあるんですが、そういうときは、一応拭こうかなと思いますね。

 

伊藤 やっぱりすごい距離ありますね(笑)

 

川村 不快感もないですし…可愛がってないですね(笑)。スマホと義手が同時に落ちたら、パッとスマホを取ると思います(笑)。

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伊藤 でも、愛着がないと、新しく作り変えるとなったときに、逆に悩みそうですね。こだわりが見えにくいというか。

 

川村 筋電義手で動かせるというのは今までなかったので、それには非常に期待しています。

 

伊藤 筋電義手はもう試したことはあるんですか。

 

川村 何回かは体験しました。使えそうだなという感じがしました。ぎゅーっと握ったりはできないですが、グー、パーしたり、物をつかんだりはできます。動かすのは楽でしたね。

 

伊藤 使ったことはなくても、手を動かすという命令はすぐに出せるんですね。

 

川村 そうみたいですね。力を入れる感覚さえあれば、できるみたいですね。力こぶのもりあがりがあれば、それに反応するようです。

 

伊藤 筋電義手にするというのは決定事項なんですか。

 

川村 そうですね。装飾義手なら補助金を申請してまた作れるとは思うのですが、そもそも装飾義手には愛着もなかったので(笑)

 

伊藤 どうせだったらやってみて面白いほうを選びたいという感じですね。

 

川村 そうですね。ただ筋電で見た目が手のような感じのものを作るとなるとものすごくお金がかかるんです。右手が歳とっていくのに合わせて義手を何回も買い換えるとなると、お家が建ってしまうくらいの額になる。なので、実際には3Dプリンタで作るExiiiの青や白のものになるんです。それもいいなとは思うんですが、手のようなものがあればなとも思っていて、そのグローブの部分の手頃な素材を探しています。動かす部分は4−5万で作れるんですが、グローブの部分のよいものがなくて。グローブの部分を装飾義手の人に頼むとなると3−40万円なんですが、それをそのままかぶせてしまうと、動かしたときにやぶれてしまうんです。

 

伊藤 なるほど。グローブの部分が問題なんですね。

 実際に作るときには、どのようなプロセスで作るんですか。装飾義手のときのように、どこかに採寸しに行ったりするんですか。

 

川村 それはもう自分で作ろうと思っています。ソースがネットに公開されているので、サポートしてくれる人に頼りながら、自分で作ります。

 

伊藤 そうですか。すごいですね。

 

川村 何回か作り変えることを考えたら自分で作ったほうが早いんですよね。骨組みだけなら、プラモデル組み立てるみたいな感じです。

 

◎「両手があったら得なこと」を探してみたい

伊藤 筋電を使うようになったら、愛着は変わりそうですか。

 

川村 確かに動かせるようになれば、見た目だけじゃない必要性が出て来ると思うんですよね。左手を使って生活をしていて、いきなり左手が使えなくなったら、「これは大変だな」と思うと思うんですよね。そこまで行って初めて愛着と呼べるようなものになるんじゃないかな、と。

 

伊藤 なるほど。「ないと困る」という感じが出てきたときに愛着を感じるのかもしれませんね。

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川村 いなかの人の車みたいなものですね(笑)。いきなり壊れたらスーパーも行けないなという感じになる。

 

伊藤 どうやってその必要性を発掘していくんですかね。いま、生活の中でものを持ったりするのに不便は感じていないわけですよね。

 

川村 そこは分からないんですよね。同じような先天の人と話していたときに出たんですが、「利き手」みたいな感覚って我々にはないんですよね。みなさんは二つあって、たとえば右のほうがよく使って、左は補助的な役割になると思うんですが、我々にはそれがない。右手だけで生活ができちゃっているので、義手をいつ使えばいいのか、というのが未知の領域ですね。

 

伊藤 なるほど。「利き手」というのは、主従関係のある両手の連動ということですもんね。そう言われてみると、「利き手じゃない手」ってふだん何をしているんだろう…。「添える」がほとんどで、ときどき両手を対等に使わなければならない場面があるという感じですね。

 

川村 たぶんその両手を使ってやることを、無理くり片手でやるというのが普通になってしまっていて、「それ両手のほうがやりやすいで」って言われないと気づかない感じなんですよね。

 

伊藤 そうですね…。義手で、荷物を持ったりすることはできるんですか。

 

川村 握れるのでできると思います。でも、本当に「両手で荷物を持つ」くらいしか、できるようになることが思いつかないんですよ。

 

伊藤 なるほど。それでも筋電義手にしたい、というのはなぜなんでしょうね。

 

川村 興味がある、というのが一番大きい理由ですね。「両手があるってそんなに楽なんだ」っていうのを、ちょっと体験してみたい感じです。それで楽にならないんだったら、もどすかもしれないですけど(笑)。仮にも両手がある人の生活というのに似せていけるのだとしたら、非常に楽しみですね。

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伊藤 Mission ARM Japanでも、先天的に欠損の方のための立食パーティ用に特化した義手を作っていましたね。手の部分が平らになっていて、お皿が置けるようになっている。その方も、他に困っていることがなくて、それだけの用途に特化した義手を作ったというお話でした。

改めて両手があるって何なんでしょうね。

 

川村 自転車も乗れますし、車も運転しますしね。後天的になくした人だと、「こんなことできていたのに」という感じになると思いますが、僕の場合にはそこが全くないんですよね。できないと言われたらできてないんでしょうけど、自分なりにはできているので。

 

伊藤 同じ「できてる」でもやり方が変わる感じですかね。

 

川村 不便だなと思われているのは分かるんですけど、我々当事者は別にそんなに大変じゃないというのがあるんですよね。

 

伊藤 ボタンの開け閉めはどうですか。

 

川村 ボタンも片手でやってますね。そうか、両手があれば両手でやるんですね。

 

伊藤 でも片手でと言われたら片手でやることもありますもんね…紐を結ぶのはどうですか。

 

川村 できちゃいますね…。っていう感じで、でも探してみたいんですよね、絶対に両手があったほうが得なことが何なのかを。たぶんバスケットとかは、両手があった方が得だと思うんですよね。ピアノとかも両手で弾いてみたいです。

 

伊藤 確かに「得」っていう感じかもしれないですね。スポーツみたいな勝負の場面だと、その「得」さが際立ちそうです。

 それに加えて、義手をつけたときに、頭で「こういう場合は使える」と分かって使うのと、実際にさっと義手が出るようになるのとでは、少し時間差がありそうですね。

 

川村 動かそうと思って動かすと、パッと出るのとでは確かに違いますね。非常に楽しみですね、動かせる状態になるのは。

 後天的に失くした人が、あそこまでまた求めるというのは、絶対何かある気がするんですよね。「そこまでして手を修復したいのか」と思ってしまう。その人にとってはとても大事な問題だと思うんですけど、あればきっと便利なんだろうと思います。ま、便利にならなかったら捨ててしまうかもしれないけど(笑)

 

◎先天ならではの視点

伊藤 手のことで思春期に悩んだりすることはなかったんですか。

 

川村 違うなと思っていましたが、それが当たり前だったんで。小さいころから義手を使っている子を見ると、義手を使っても使わなくてもいいという選択肢があっていいなとは思いますけどね。

 

伊藤 先天的に欠損の方と会う機会はあったんですか。

 

川村 Mission ARM Japanに関わるようになる前は、なかったですね。街中ですれ違って、「ああ、あの人はそうなんやな」と思うくらい。

 

伊藤 幻肢もないですよね。先日、ある本に先天的に欠損の方でも幻肢があるという症例を読んだのですが。

 

川村 ないですね。幻肢痛があって、義手があると痛みが和らぐというのであればつけることに意味があるんでしょうけどね。自分で義手が必要である理由を動機付けするのが大変な感じですね。

 

伊藤 確かにこれまでは公共の場に出てくることが義手をつける理由になっていたわけで、それは自分の内側からの必要ではないですもんね。

 

川村 でも、せっかく義手を作ってくれている人がいるので、それは当事者としても発信しなくちゃなという責任は感じますね。作ってくれる人がいるのに、こっちがどっちつかずな感じでいるのは失礼だなというか。

 

伊藤 先天的に欠損であるということは、切断者が多い義手業界になかではマイノリティになりますよね。

 

川村 確かに温度差は感じます。線引きするのは嫌だなとは思うのですが、先天の方だとフラットに話せるなという感じは確かにあります。

 とはいえ、「右手がなくなって大変だ」と思っている人に、「我々は元からないで」と言うのも、なんか奢っている感じがしますしね(笑)。なくなった痛みを知っているわけではないので、慰めになってない気がするんで、あまり物言いはしないですけどね。その人にはその人なりのアプローチがあると思うんでね。

 

伊藤 確かにそうですね。

 

川村 名前みたいな感じですかね。めっちゃ好きな名前だったらこだわるんでしょうけど、自分でつけたものでもないし、愛着が特にあるわけでもない。間違えられても、申請書を書くときのように直す必要があれば直すけど、それほど強いこだわりがあるわけでもない。

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伊藤 なるほど、手を「名前みたいなもの」と考えるのは面白いですね。先天の川村さんならではの感覚ですね。愛着があるというより、当たり前のもの。結婚して苗字が変わっても、淡々と受け入れてますもんね。

 

川村 そうですね。大事じゃないわけじゃないんだけど、とりたてて愛着を持つわけでもない。一方で、中にはすごくこだわりがあって、絶対に苗字を変えたくないという人もいて、愛着というか信念を持っている、というのも似ていると思います。

 

伊藤 そうですね。「大事である」というのと「大事にする」というのはちょっと違いますね。「大事である」は自然になっているということですが、「大事にする」となると信念を通す感じになってきますね。

 

川村 一応もらった名前だし、使い続けようかなという感じですね。

 

2017/11/26 吉祥寺の喫茶店にて