Iさんは、WIREDに転載されたドミニク・チェンさんへのインタビュー記事を見て、連絡をくださいました。Iさんも、ふつうにお話していると分からない隠れ吃音タイプ。ただし、言い換えに対してはネガティブな気持ちがあり、「一瞬黙って落ち着く」という対処法を多用されているところが特徴です。人前で発表するときなど緊張するとどもらない、というのもおもしろいところ。遠方に住んでいたので、Skypeにてインタビューを行いました。
Iさんプロフィール:23歳・大学院生・男性
◎一瞬黙って落ち着く
伊藤 吃音について話すのは、今回が初めてということですよね。ありがとうございます。
I 大多数の人がそうなんじゃないかと思いますが、ネットなどで吃音の記事があっても読むことはありません。でも、WIREDに転載された伊藤さんのインタビュー記事は、ちゃんとした人が書いてちゃんとした人が答えている感じがしたので、読みました。吃音の記事ってお金儲けのようなものが多くて、そういうものはスルーしますね。
伊藤 なるほど。確かに民間療法は多いですね。読んでいただいてありがとうございました。
でもこうやってお話していると、Iさんが吃音だということは全然分かりませんね。まわりの方も気づいていないんじゃないでしょうか。
I どうでしょうかね。でもたぶん、結構どもっていると思います。ぼくは連発というよりも、黙る感じです。単語が出ないので、黙ります。一瞬黙って、落ち着いて、呼吸を整えるんですけど、実際それでは出なくて、言い換えちゃうこともあります。
伊藤 言いやすい単語に言い換える、ということですね。
I そうですね。そのつどそのつどで言いやすさが変わると思います。昨日、学食に行ったんですが、マヨネーズがあまり好きではないので、よけるための小皿が必要だったんです。その、「小皿」っていうのがすごく言いにくいんですよ。だらか「小さい皿」って言ったんです。そのときに、ああ、これはどもっているなと思いましたね。
伊藤 ほぼそれは無意識にやっている感じですかね。言い換えてから、言い換えたなと気づいた感じですかね。
I 「小皿」の「こ」が出ない瞬間に、頭の中で小さい皿をイメージするんですよ。それで、意識的に、それを表す言葉を考えるんです。「小皿」以外にそれを表現する言葉は「小さい皿」しかない、と考える。多少は意識しているけど、ほぼ無意識に近いかな。
伊藤 意識と無意識の境界は微妙ですよね。おそらく、かなりの頻度で言い換えをしていますね。
I そうですね。あと、ぼくは自分の名前の最初の「い」が言えないんですよ。「い」から始まる言葉がすごく嫌いです(笑)。WIREDの記事にもありましたけど、ぼくの考えだと、やっぱり名前の最初が言えないのは、その文字だからじゃなくて、名前を言うシーンが、人前で、自己紹介をするときだからだと思います。悪い考えかもしれませんが、結婚したら名前を変えようかなと思ってます(笑)。相手の苗字にすれば、言いやすくなるんじゃないかと。
伊藤 音読はいかがですか。
I 音読はハードルは低いですね。どもることはありますが。
伊藤 さっきの「黙って、落ち着いて、呼吸を整える」というのは、言い換えをしない場合に黙るんでしょうか?
I 落ち着くというのは、ぼくはすごく実践しています。雰囲気がかなりどもりに影響するなとぼくは思っています。がやがやした飲み屋だとなかなか言葉が出ないんです。飲み会のような、落ち着くシーンじゃないときに自分が落ち着いていると変ですし。でも少しお金を払って、落ち着いた感じの飲み屋だと、自分も落ち着くので、かなりすらすら話せます。
落ち着くときは、お腹に空気を入れるという感じですね。お腹を膨らますというより、「空気を入れる」という感じです。入れれば、あとは吐くしかないので、最初の音はなんとか出るんです。「お腹に空気が入っていて、声帯を震わせると音が出る」というふうに、生体の仕組みとしてわかっていると、確実に出るんです。
伊藤 なるほど。状況に応じて、「落ち着く」のがふさわしくない場合もあるけど、そうでない場合は、息を吸って、お腹に空気を入れて落ち着く。人間の身体の構造として、息をすったらあとは必ず出る、という安心感があるから、落ち着けるわけですね。
I 家族に対しても、彼女に対しても、どんな人が相手でもどもりますが、どもったときには絶対に空気がなくなっています。どんなにリラックスしていても空気がなくなります。身体的には苦しい状態です。緊張が相手に移って悪いな、と思うんですよね。
だから、会話を成立するためには黙ったほうがいい。そうすると、「こいつ何かすごいこと言おうとしているな」っていうふうに思ってもらえるんで。フィラーを消しているということだと思います。フィラーを使わないほうが説得力があるように見えるので。
◎緊張しすぎてどもらない
I ぼく、どもらないこともあるんです。研究会とか学会で報告しているときはどもらないんです。どもる確率はほぼゼロですね。なぜかなと考えていくと、ちょっと違う人格になっているのかなと思います。極度に緊張していてどもりを忘れているというのもあるんですが、それよりも別の人格になっているということが大きいです。
ぼくはふだんお笑い芸人というか、人を笑わせたりするのが好きなのですが、学会の発表とかでは、もちろんすごく真面目な感じ、頭が良さそうな感じを演じているんですよ。だから違う性格になっているのかなと思いますね。
伊藤 面白いですね。発表のときは緊張するので、どもりそうな気がするのですが、そうではないんですね。
I ぼくは人前に出て注目を浴びるのは全然恥ずかしくないんです。どもりとその人の性格というのは、ちょっと違う気がします。活発で明るい人でも、どもるときはどもっていて、どもりだと内気である、というのは違うと思います。
伊藤 吃音があると、タイミングが遅れたりするので、人を笑わせるのは難しくないですか。
I 人を笑わせるときも、やっぱり言い換えをしていますね。言い換えをパターン化しているので、うまく対処しているんだと思います。ただ、ぼくは笑わせる回数は多いんですが、タイミングを逃すこともありますね。どもりがなかったら、もっと笑わせられていたかもしれません。なぜかタイミングよく言えない…本当に不思議です。
◎声を出す部活
伊藤 吃音じたいは小さいころ頃からありましたか。
I 小学校高学年くらいから、話しづらいなというのは気づいていました。それで、この時期から、人に注目されながら話すことを、意識的に回避してきましたね。たくさん会話が飛び交っているなかで話すのはいいのですが、注目を浴びていると、「どもったらどうしよう」と思ってしまう。
そのあと、中学生になって野球部に入ったのですが、日々声を出しているので、どもりっていうのを忘れていくんですよね。中学校3年生までは、どもっていたと思うんですが、忘れていました。でも生徒会長選挙の推薦人の役で、全校集会でみんなの前に立たされて話す、ということを任されんたんです。そのとき、「どもるかもしれない」と思ったんです。そこからまた意識しはじめましたね。記憶に残っています。
伊藤 そのとき、みんなの前でしゃべって実際はどもったんですか。
I それが、すごい緊張していたので、全くどもらなかったんです。
伊藤 (笑)不思議ですね。いまの研究発表のときに通じるエピソードですね。
I その後高校に入って、野球で肘を痛めて、合唱部に入ったんですよ。もともとピアノをやっていたので、伴奏をしようと思って入りました。でも入ったら歌うことになり、そこでもまたどもりを忘れましたね。歌っているときは、声が出るので、忘れていたんです。高校時代が、一番どもりを忘れていたのが長いと思います。
大学に入ると、またどもり始めました。東京に出てきて、いろいろな人と会って、飲み会もあって、そのときはどもることに対して開き直って、連発をしながら会話をしていましたね。そのとき、「どもり」「吃音」という言葉を初めて知りました。言葉を知らないと、自分のこの状態が何に該当するのか分からなかったので、いろいろ調べたんですよね。それで治るのも難しいということを知って、開き直っていました。
伊藤 面白いですね。中学高校と、声を出す部活をやっていたことが、生活全体の吃音状態に影響を与えていたんですね。シーンによって吃音の出方が変わるという話はよくありますが、一部が全体に影響するということもあるんですね。
I たぶん「忘れる」というのが一番重要なのかなと思います。自分に、「自分は吃音でない」と認識させるのはとても難しくてできないと思います。でも忘れることならできます。
伊藤 忘れていれば、「あ、この単語言えなそう」という感覚が生まれないということですよね。
◎「本当じゃない自分」が出てくるつらさ
伊藤 ということは、今は吃音は重い方ですか。
I 今は一番重いほうじゃないかと思います。今がどもりのピークですね。これからどうなることやら不安です。討論や議論でもタイミングが重要なので、せっかくいいことを思いついているのに逃してしまって、辛いですね。
伊藤 なるほど。やはりタイミングが要求されるような場面が、一番吃音が悩みになりがちということですね。
I そうですね。ふつうの雑談だと、言い換えればいいやという感じなので、だいじょうぶなんですけどね。こんなことが一生続くと思うと、ダルいなー、超めんどくさいな、と正直思いますね。
伊藤 めんどくさい、という感じなんですね。
I 話すとまたどもるんだろうな、と思いますね。たとえば、あの先輩と話すとたぶんあの議論になって、そうするとあの言葉がいっぱい出て…とか考えちゃいますね(笑)。飲み会でも、新しい人がくると、また自己紹介しなきゃ…とか。
どもるときの感覚というのは…たとえば水泳でバタフライをしているとしますよね。ところが適切な息継ぎのタイミングを失ってしまって、息がほんとうに苦しいとき、これが難発の状態だと思います。言い換えは、水泳で言うとコースで立って息を吸うという感じなんです。そのくらい、ぼくにとっては言い換えは反則なんです。言い換えは、「やっちまった感」があるんです。
伊藤 言い換えのとらえ方は、かなり人によって違うという印象があります。言い換えもひとつのしゃべり方だ、という人もいますが、Iさんの場合は、かなりネガティブにとらえていらっしゃるんですね。
I 言い換えをしてしまうと、本当の自分じゃなくなるので、僕的には嫌なんです。本当じゃない自分が、他人と話すときにたくさん出てくる人生がずっと続くかと思うと、僕的には反則行為かなと思いますね。
◎他人が言った言葉は言える
I そういえば対処法がもう一つあって、それはぼくの友達に、自己紹介させる、というのがあります(笑)。「こちらは、Iくんです」って言ってもらったあとだと、自分でも「Iと申します」って100%言えるんです。他人に自分の名前を言ってもらってからだと、空気ができるんですよね。
伊藤 不思議ですねえ。
I 不思議なんですよね。でもこれは成功率100%なので、自信があるんですよね。このシチュエーションだと言えるんです。専門用語とかでも、誰かが言ったすぐあとだと言えますね。
伊藤 自分が言った言葉をもう一度言うのであれば、慣れのようなものがあるので、楽になるのはわかるんですが、他人が言った場合でも楽になるんですね。
I だいぶ言いやすくなりますね。
伊藤 単純な自分のしゃべる運動の制御ではなく、さきほどおっしゃったように、場の空気のようなものが影響しているんでしょうね。
I なぜでしょうね。分からないですね。
伊藤 吃音ってそういうの多いですよね。なぜだか分からないけど、これが有効である、というのが。
I ぼくは中国語と英語と日本語をしゃべるのですが、中国語が一番言いやすいです。英語だと「I(アイ)」が言いにくいんですよね。中国語の「ウォ」は口を開けて言えばいいので楽ですね。
伊藤 ある程度、自分のなかで法則を作っている部分もあるように思います。ある意味では暗示に近いもの、「このパターンはだいじょうぶ」のような、経験からくる自信、ある意味では暗示に近いものがありませんか。
I 無意識に、小さいころからの積み重ねがある気がします。たとえば小さいころに、「おまえ〇〇って言えないの、バカじゃないの」って言われたときに「あれ?なんで言えないのかな?」と思う。そういったものが影響している気がします。それがパターン化していくというか。
伊藤 ご家族や育った環境はどうでしたか。
I 兄弟には吃音はいないのですが、おじいちゃんがどもっていました。おじいちゃんは校長先生でどもりにとてもうまく対処していたと思います。近くに住んでいたおじいちゃんがどもることを、こどものころに意識していたので、その影響があるのかなと思います。「おじいちゃん、言葉出ないな」というふうに、頻繁に思っていました。もちろん、それが原因のすべてだとは思わないですが。
伊藤 なるほど。
I あと、ひとりのときはどもらないですね。他人がいたらどもります。連発も難発も出ます。
伊藤 こうやってインタビューしているとあまり「黙って落ち着く」対象法は出ていないように思いますね。
I 言い換えは、インタビューが始まってから3回くらいしていますが、「落ち着く」はやっていないですね。今は、すごく口が走ってるんで、ここで落ち着くというのは不自然なんです。落ち着くというのは、自分に対して、ここでゆっくりしゃべっていいんだよという雰囲気を作らないといけないんで。
伊藤 「口が走っている」というのは落ち着いている状態なんですか?落ち着いていない状態ですか?
I 今は、実は感覚的にはひとりでいるときに近いです。Skypeだと、上の空でも会話がつながりますしね。他人がリアルにいて話すときには、落ち着いた雰囲気を作って話さないとダメですね。
伊藤 Skypeはけっこう話しやすいんですかね。
I たぶん、ですね。でも電話は一番嫌ですね。最初に名前を言わなければならいので。
(2017年8月3日 Skypeにてインタビュー)