Research

猪俣一則さん

猪俣一則さんは、高校生のときに右腕がちぎれる大怪我を経験。なんと、緊急手術で「一応つないでおいた」腕が、10ヶ月後に奇跡的に感覚をとりもどしはじめたといいます。一方で幻肢痛にも悩まされ、「腕があり、かつ幻肢もある」という稀有な体を持つことになります。現在では会社を設立し、VRを用いた痛みの緩和にも取り組んでいらっしゃいます。研究者的な分析力とジェントルマンな優しさで、28年間をじっくり、ていねいに語ってくださいました。貴重な超超ロングインタビュー、Tokyo Graphic Recorder の清水淳子さんによるグラフィックレコーディングつきです!


猪俣一則さんプロフィール

株式会社KIDS 代表 / Mission ARM Japan理事

1972年東京生まれ。17歳の時に右腕神経叢損傷を患う、それ以来、左利きに。右腕の代わりになると身につけたデジタルスキルを活かし、建築、土木、自動車のデザインに尽力、上肢障害者へのQOL向上を目的に活動するため起業、恩返しプロジェクトとして、若手デザイナーの育成や幻肢痛をVRを活用することで痛みを和らげる取り組みを行う。

 

◎腕に足の筋肉を入れて胸の神経で動かす

伊藤 今日は暑いですかね。

 

猪俣 右腕に汗かけないんですよね。交感神経・副交感神経が働いていないからですね。「暑いな」という感じもない。血管の収縮ができないし、毛穴も閉じているのか開いているのか分からない。なので、温度は外気による(笑)。外気と一緒になちゃう。

 

伊藤 鳥肌も立たないんですか?

 

猪俣 えーっと、腕には立たないですね。冷たくなっていても、そんなに辛くもないし、暑くても大丈夫。そのぶん、健常の側がつらいですね。

 

伊藤 なるほど。負荷が右腕以外のところにきちゃうんですね。

 

猪俣 たぶんラジエーターがこの一本分ないんでしょうね。

 

伊藤 外から触ると、体温は同じですよね?

 

猪俣 いや、冷たい。ちょっと冷たいです。血圧も低いです。腕が一度ちぎれたので、血管がそんなにちゃんとしてない可能性があります。血圧は上が100ないですね。

 

伊藤 しもやけや凍傷になったりしませんか。

 

猪俣 まったく感覚がない人たちは、指先とか気をつけておかないとなっちゃいますね。ぼくは指が動き感覚が戻ってきたので、指先部分だけ、暑さ寒さを感じます。寒くなれば、痛くなります。手首から肩までの腕の部分が感覚がないんです。

 

伊藤 なるほど。いったん時系列的に整理させてください。今すみません、おいくつですか。

 

猪俣 45です。事故にあったのが17歳。バイクの単独事故でした。覚えてないですが、そのときは意識はあったようで、「痛い痛い」と言っていたようです。症状としては、右手が脇の下からちぎれている。大丈夫だったのは、内臓と左手だけ、左脚は開放骨折で、膝の骨が飛び出ちゃった。右脚は粉砕骨折。この前、そんな話を大学で学生にしたら、気分悪くなっちゃった学生がいました(笑)。

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伊藤 片側ではなくて、右腕と左脚というふうに斜めにやられたんですね。

 

猪俣 胴を守っていたんですかね。顔もヘルメットをかぶっていたので大丈夫でした。ただ、頭蓋骨が凹んでいます。脳は異常なかったんですが、記憶力があがりました。

 

伊藤 えっあがったんですか?

猪俣 はい。もう、見るものすべて写真のように覚えられる。文字として読んでなくても、あとで読めます。だから、お腹いっぱいでもう食べたくない、という感じで、もう覚えたくない、見たくないという気分になります。

 

伊藤 面白いですね。文字に限らず、画像的なものも覚えられるということですよね。

 

猪俣 はい。人の顔も覚えられるので、ちょっと人間不信になります。すれ違うくらいでも覚えちゃうんで、次に会ったときに自分は覚えていて、相手は僕のことを覚えていない、ってなっちゃうんです。あまりこちら側からは話し掛けないほうがいいな、と思って(笑)

 

伊藤 音の情報はどうですね。

 

猪俣 音は、そんなに差はないですね。視覚情報がよく覚えられるようになりましたね。

 

伊藤 よく自閉スペクトラム症の方が、情報をひろいすぎて、ものすごい細部まで覚えてしまうといいますが、そういう感覚に近いんですかね。

 

猪俣 近いと思います。

 

伊藤 それでパニックになったりすることはないですか?

 

猪俣 それはなかったですね。受験と重なってたんで、ちょうど良かったです。

 

伊藤 すごい(笑)

 事故の直後、入院はどのくらいしていましたか。

 

猪俣 最初は約半年、そのあと半年おきに手術、それが4年間くらい続いた感じですね。

 

伊藤 右手は完全に剥離した形でしたか?

 

猪俣 うしろの肩甲骨のところだけつながっていて、脇の下からぺろっと。筋肉すらつながっていなくて、皮でつながっていました。

 

伊藤 ほんとうに皮一枚だったんですね。皮一枚にせよつながっていたということは意味があるんですか?

 

猪俣 うーん…長袖を着ていたので、中でちぎれていたんですよね。どこか飛んでいっちゃったら、応急処置でつけられなかったかもしれない。その意味ではよかったのかも。

 

伊藤 取れた腕をつけるという応急処置は、技術としては一般的なんですか?

 

猪俣 救急隊員の方が的確に判断してくださって、けがが大きそうだったので、大きな病院を選んであたってくれてたんです。ただ、それでも入れるところを見つけるまでに2、30分かかっちゃってたんです。そのあいだに、止血の処置だけしてもらえました。此の手の怪我、つまり腕神経の損傷や麻痺を専門にしているような病院に直接入れたので、すぐに緊急手術をしました。

 まずは出血が多かったので、母体がもつかどうかが心配だったので、足と手を一応つなげましたが、母体がもたなかったら再度切断します、と。そのときに腕神経の房だけはつないでおいてくれました。

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伊藤 「房」というのは何ですか?

猪俣 神経ってストローのようなものの中に通っているんです。診てもらったときは、ストローの部分しかなくて、中身がなかった。なので、一応ストローの部分をつないでおいてくれたんです。もしかしたら、あとで中身が伸びてくるかもしれない、と。二日くらいがヤマですねと言われていたんですが、一応もった。なので、手も足もつなぎっぱなしでいくことになりました。

 

伊藤 それは、かなりラッキーなケースということですよね?

 

猪俣 もう、ラッキーです。夜中だったんで、お医者さんたちも帰るところだったんですが、たまたま病院の近くに残っていた日で、戻ってきて処置してくれました。そこの病院じゃなかったら、あぶなかったかもしれない。

 

伊藤 なるほど。そこから半年入院されたわけですね。

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猪俣 段取りを組んで、左足から順番に手術をしていって、最後の一番大きい手術が、肋骨の神経を腕に移行するというもので、これを事故から5ヶ月後くらいにやりました。肋骨の裏側に肋間神経というのが走っているんですが、それが何に使われているか分からないので、これを利用するというものです。肋骨を何本か外して、その裏に走っている神経をピリピリはがして、それを腕に移す。移植ではなく、そのまま切らないで脇の下まではがして、腕に持ってくるんです。さらに足から筋肉を一房持ってきて、腕に埋め込みました。上腕と手首につないだその筋肉と上腕二頭筋に肋間神経を刺し込んである。足の筋肉を肋間神経で動かすようにしよう、というわけです。そうすると、筋肉が収縮すれば肘が曲がる。それから手首にもつながっているので、同時に手首も上がる。指が動かなくても、手首が上がればテノデーシスで物がつかめるんじゃないか、という計画でした。

 

伊藤 手術というと内臓のイメージが強いので、そこまで筋肉を動かしたり神経をつけかえたりする手術があるということを知りませんでした。

 

猪俣 ぼくの場合は腕の外傷があったので、二頭筋は阻血しちゃってる。なので、本来ならば肋間神経からの信号で二頭筋を動かせばいいんですけど、ぼくの場合はダメージが大きすぎたので、筋肉を一本持ってきて、それをメインに肋間神経で肘を動かす、という計画でした。

 

伊藤 筋肉ってどこも同じなんですね。足にある、というアドレスが振られているわけではないんですね。

 

猪俣 そうですね。信号さえ伝われば、動いてくれる。それが事故後5ヶ月のときの手術で18時間くらいかかりました。

 

伊藤 もともと体力はあったんですか?

 

猪俣 もともと体力しかなかった。テニス、水泳はかなり本格的にやっていました。何のために鍛えていたのか、という感じで、それがなかったらダメでしたね。

 

伊藤 なるほど。もともと体を制御することが得意だったんですね。

 

猪俣 なので、リハビリとかもちょっとやりすぎちゃう。やりすぎて熱出しちゃうんです。

 

伊藤 リハビリは大変でしたか?

 

猪俣 そうですね…痛かったですね。とにかく患部周りを柔らかくしなきゃいけないので、腕、肩回りの癒着部分をゴリゴリやられて、尋常じゃない痛みでした。もう、脂汗がすごかったです。

 

伊藤 そのときの痛さは何ですか?感覚はないわけですよね?

 

猪俣 そのときの痛さは、幻肢痛とはちょっと違う。アロデニアに近いかもしれない。アロデニアっていうのは神経が過敏になっているところに、刺激を入れている感じ、神経障害性疼痛です。それと幻肢痛はちょっと違う。

 

伊藤 なるほど。じゃあ神経の物理的な痛みだったんですね。そのとき幻肢はいたんですか?

 

猪俣 いました。

 

伊藤 いたから、違うというのが分かったんですね。

 

◎幻肢痛と自分の手の関係

伊藤 幻肢痛はいつからですか?

 

猪俣 最初は、やっぱり怪我の箇所が多すぎたのもあって、鎮痛剤をずっと打っていただいていたんです。そのせいか、そのあいだは全然痛くなかった。幻肢感というのも事故後3ヶ月間くらいは全くなかったです。手が全くない感じです。

 

伊藤 目で見ても、自分の手じゃない感じということですか?

 

猪俣 自分の手とは思うんですけど、感覚が伴わないので、意識が行かない。

 

伊藤 「変なものついてるな」という感じもなく、自分の手だとは思うけど、内側から感じれないということですね。

 

猪俣 そうですね。もう一本手があって、つまりみなさんでいえば3本目があって、それが感覚がない、これってどうやって感じるんだろう、みたいな感じ。大事にしなきゃと言う所有感があっただけ。それが肋間神経を移す手術をするあたりから、どんどんどんどん痛み出しました。もう、そのときは、会話が途中で止まっちゃう、うずくまる、それで通りすぎるのを待つ、という感じでした。

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伊藤 波があるんですね。

 

猪俣 一定レベルの、普通にしていられるくらいの弱い痛みがずっとあるんですが、それにプラスして大波があるという感じですね。それが1分おきくらいに来る。

 

伊藤 結構な頻度ですね。出産直前の陣痛という感じですね。

 

猪俣 そうですね。逃し方もなくて、耐えるだけです。ただ、5秒か10秒くらいでおさまるんで、耐えていると、すーっと治る。

 

伊藤 夜は寝られましたか?

 

猪俣 ぼくの場合は、寝ると全く痛みを感じないんです。痛みで起きる方もいらっしゃいますが、ぼくの場合はそれもないですね。

 

伊藤 それは「痛み=幻肢」と考えていいんでしょうか?

 

猪俣 ほぼイコールです。幻肢感、というか幻肢覚というのを、ほぼ半数以上の人は痛みで感じています。ぼくの場合もそうです。痛みがあるから、ああ、そこに手がある、という思考です。

 

伊藤 足は幻肢はないんですか?

 

猪俣 足はないですね。足は、ひざのあたりを除けば、だいたいほぼ感覚があるので。膝のあたりは、シャワーをあてても、一枚布があって、それ越しにあてている感じです。運動はできます。テニスもできますが、膝周りが痛い。し終わったあとは、おじいちゃんみたいな歩き方になっちゃいますね。それは機能的な、原因のある痛みで幻肢痛とは違います。ひざはお皿が欠けてしまったのもあり、痛いです。たぶん軟骨がすり減って痛いというのと近いと思います。靭帯がゆるゆるなので、気を抜くと膝がはずれちゃうんです。

 

伊藤 その痛みはなんとなく想像が及ぶのですが、幻肢痛のほうがどうしても分からなくて…どうして、その痛みの種類の違いが分かるんでしょうか。

 

猪俣 手がない、感覚がないのに、ある特定の場所が痛いと。それも非現実的な痛みのイメージが伴います。折り曲げられるとか、ちぎられるとか。あ、これは脳で感じているんだなとわかります。自分でちょっと実験したことがあるんですけど、朝起きた瞬間、どこに手があるかを当ててみるんです。みなさんは目をつぶっても自分の手がどこにあるかが、筋肉の曲がり具合や皮膚の圧迫感とかで絶対的に分かると思うんですが、僕の場合はそのフィードバックがないので、どこに手があるかが分からないんです。通常は目を開けているので、最後に目にした位置に手を感じる、あるいはそこからどう動いたか相対的に感じとるんです。なので、朝起きてすぐの場合はどこにあるんだろう、という実験をしてみると、思ったところと全然違うところにある(笑)。

 

伊藤 自分の手が迷子になる感じですね…。

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猪俣 そう、迷子になる。で、そのときに脳では手は痛いと思ってるわけですよ。どこにあるかが分かる前から痛い。ぼくは特に人差し指と親指が痛いんですけど、あ、今痛いなあと思ってその場所を指しても、そこに手がないんです。

 

伊藤 痛さを感じる場所と、実際に手がある場所が違う、ということですか。

 

猪俣 違うんです。痛く感じているのは、脳であって、実際にその場所が痛いかどうかは、ちょっと懐疑的だなと。

 

伊藤 指から痛さが来ているわけではない、ということですよね。

 

猪俣 ふつう、痛いところがあると、そこを握ったり、その周りの場所を触ったりするとまぎれたりするけれども、幻肢痛の場合はいくら指を握ったりしても、まぎれないんです。切断された方は、触ることもできませんし、存在しない部位が痛むわけですから。

 

伊藤 なるほど。痛さというのは、そこを触ったときに痛みに変化が生じるから、その場所だと特定できるわけですね。お医者さんの触診とかもそうですもんね。自分でも、内臓が痛いときに姿勢を変えて痛みを逃そうとする。それが変わらないとしたら、自分の体に定位できないですね。

 

猪俣 うん、本当にそこが痛いのかどうか分からなくなってくる。実際、みなさん幻肢が痛い、例えば、手のひらが痛いという場合、本当に手のひらが痛いかどうかは分からないですね。脳はそう思っているけれども、本当に痛さを感じているのはそこじゃないかもしれない。残っている抹消神経の手のひらに関係するところに処置をほどこしても、たぶんそれも違う可能性が高い。

 

伊藤 猪俣さんの場合は、手が残っていらっしゃるから、違いがよく分かるケースですね。

 

猪俣 そうなんです。実験ができる(笑)。

 

伊藤 さっきの目が覚めた瞬間の実験で、最初に痛みを手掛かりに感じた手の位置は、どうやって決まるんでしょうか。

 

猪俣 寝起きすぐの場合は、脳が感じる幻肢位置、ここら辺に手があるだろうと思う位置で、実際の手の位置とは違う、今起きているときは、最後に目にした場所に手があるんですよ。そこから、目を閉じ、誰かにゆっくり手を動かしてもらっても、自分がそれに気づかないとしたら、幻肢痛の位置は動かないんですよ。最後に目にした位置にある。。すごく視覚とリンクしていますね。

 

伊藤 面白いですね。ということは、見ながら動かすと、幻肢も動くということですよね。

 

猪俣 動く。動きますね。

 

伊藤 見えている限りは、麻痺した手と、幻肢は一体化しているんですね。

 

猪俣 うん。ぼくの場合は、手のハンドの部分の感覚が戻ってきちゃったんで、幻肢っていうのはほぼないに近い。幻肢「痛」として感じているけど、ほぼふつうの人の感覚に近いです。なので、事故後の全く感覚がないときの幻肢とは徐々に変わってきていますね。今はぴったり一致しちゃってますね。

 

伊藤 二重になってますよね。見ているこれが、幻肢でもあり、かつ自分の手でもあるわけですから。自分の物理的な手をさすっても幻肢痛が変化しないとき、一番その二重性を感じそうです。自分の手を信じれなくなるというか、一体になりきれない部分がやっぱり残っている感じがします。

 

猪俣 そうですね。ただ、痛さが先行して、そこまで考えが及びません。分析、熟考しだすともどかしさを感じ始めますね。

 

伊藤 なるほど。そこで混乱しちゃったりはしないんですね。

 

猪俣 視覚から手の位置が確認された瞬間に一致しますので混乱はしません。幻肢は自由自在に動くのに、実際の手は動かないというところで、もどかしさを感じてストレスになっている方はいらっしゃいますね。そういう方にはVRは最適で、見せてあげると、すーっと痛みが治まるというのはあります。

 

◎感覚の復活

伊藤 VRの話もあとで伺いたいんですが、その前に感覚がまた出てきたということについて教えてください。まず、いつごろから戻ってきたんですか。

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猪俣 事故後10ヶ月目くらいから、指が一本一本、復活してきました。最初に房をつないでおいてくれたのがよかったのかな。胸の手術をする前に、状況を目視する検査のために手術をしたんですね。頚椎から腕神経がどうなっているのかを確認したんです。頚椎から引き抜かれている場合には、ほぼ再生はないと言われていたんですが、途中から切れている場合には、中枢でないのでそこから伸びて来るかもしれない。なので、房、つまり道筋さえちゃんと指示してあげていれば、伸びて来たのがくっつく。一応、ぼくの場合は、全部抜けているという検査結果だったんですけど、もしかしたら指先のところだけはちょっと残っていて、それが伸びてきたのか、あるいは他が動かしているのかもしれません。

 指を曲げるのは、やり方は今までどおりで、曲げるつもりで曲げるだけです。ただ、開こうとすると、背中の広背筋が動いたりするんですよ。なので、もしかしたら、頚椎7番の腕神経だけじゃなく別の神経で動いていると言う可能性もあります。指を曲げる神経はあるんですが、伸ばす神経はないので、伸ばすことはほとんどできない。それを意識的に伸そうとすると、広背筋に力が入るんです。

 

伊藤 なるほど。開くと曲げるが全然違う行為だという意識すらありませんでした。

 

猪俣 いまはほんとうに、握るだけの状態ですね。5本の指を横に開くのも難しい。

 それで、曲げるのが一本ずつできるようになってきて、だんだんだんだん動き出して、全部が動き出したら、それに続いて、知覚ももどってきた。

 

伊藤 運動が先で、知覚が後だったんですね。そのあいだは、運動だけで何も感じない指だったんですね。

 

猪俣 運動が先でした。動かない間は、幻肢でグー・パーするリハビリをしていたんですが、あるとき、いつのまにかピクっと動いたんです。あれっ?っという感じで。

 

伊藤 幻肢を動かすときも、「グー」っとふつうに手に力を入れて握る感じなんですか?

 

猪俣 以前と同じです。握る、開く、ということを実際に手は動かないけどイメージでやる。幻肢もある程度は力を入れられます。力を入れると握られて、抜くと惰性で戻る感じです。動かないけど動かす、ということをしていました。「ファントム・エクササイズ」と言うんですが。

 

伊藤 ファントム、というイメージが強かったので、幻肢は抵抗なく自由に動かせるものなのかと思っていました。

 

猪俣 先ほどの患者さんのように、自由に動かせる患者さんもいます。9割くらいの方は、あまり動かせません。頑なに動かない方も。力の入れ方がわからないケースも。僕も肘は伸ばすイメージがつかめない。伸ばせないのではなく、伸ばすためにどう力を入れたらいいのかがわからない。

 

伊藤 でも、どのくらい動いているかは、確信を持って分かるわけですよね。

 

猪俣 「もうこれ以上にぎれません」「突き刺さってます」とかってみなさん言いますね。手の格好が頭の中にはっきりと想像できています。指5本バラバラに明確に想像できる方もいれば、指同士がくっついているイメージの方もいます、形状の差はあるが、今は開いているとか閉じているとかがわかるんです。これがより随意的に動かせるようになってくると、幻肢痛もどんどん軽くなって来る傾向がある。

 

伊藤 猪俣さんは最初から指が5本あったんですか。

 

猪俣 えーっと、思い出してみると、もう全体が痛かったので、ミトンのようなグローブみたいな感じ…バラバラじゃなかった気がします。

 

伊藤 幻肢痛の波のピークが来ているとき、幻肢自体の姿勢が関係しているということはありますか?

 

猪俣 まったくないです。何も連動しないです。

 

伊藤 痛いときは動かすどころではない感じですか?

 

猪俣 動かします。ギューっと握る。健常側と同じで、痛かったら力が入ってしまいます。それで、通り去るのを待つ。

 

伊藤 こうやってお話ししていて、意識していて痛くなるということはないですか。

 

猪俣 ぼくは大丈夫です。今も弱い波が来てるんですよ。でもぼくは大きいのがなくなってきたので、弱い一定の痛みに、プラスで少し波がある感じですね。

 

◎幻肢/手/VR

伊藤 動き始めた順番は、親指からですか?

 

猪俣 中指からです。中指、次に薬指が動き始めましたね。

 

伊藤 その瞬間はびっくりしませんでしたか?

 

猪俣 もうびっくりです。で、1日1回しか動かないんです。リハビリ室で、「あ、動いた」って思って先生に見せても、次の日まで動かないんで、「うそつき」って言われちゃう(笑)。でも1日たてば、また「ピクッ」てほんの少し動く。でもそれもだらだら汗を流しながら力を入れてやっと「ピクッ」です。

 

伊藤 幻肢を動かそうとして力をいれたら、指が動き始めたということですよね。別物だけど、やっぱり幻肢を動かそうとするわけですね。

 

猪俣 感覚はなくても、目を閉じると今までどおりの腕と5本の指の感じがあります。それをイメージで握ってみたり、肘を曲げてみたりする。幻肢の運動は健側と変わりません。力の入れ方は一緒ですね。動き出したら、幻肢と実際の手がリンクしました。事故から11ヶ月後くらいで指が3本くらい動き始めたんですが、そのころから徐々に知覚がもどってきました。最初は、厚手の手袋の上から触っている感じで、それが徐々に鮮明になってきて、温度、素材も風が吹いても分かるまでになりました。

 

伊藤 回復の過程は大変だったと思いますが、それでもかなり早い段階でかつ速いスピードで運動が戻り、つづいて知覚が戻ってきたということに驚いています。やはりもともと、体をコントロールする能力が高い、コツを掴む能力のようなものが高い、というのがあったんですかね。

 

猪俣 そうですね…マニュピュレートするという感じで、自分じゃないもの、ショベルカーのアームのようなものをどうやったらうまく動かせるんだろうという感じで扱って、あとは重力を利用して動かしてました。

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伊藤 最初は「マニュピュレート」だったんですね。そこで重力も使うのが面白いですね。

 

猪俣 肘を伸ばす力がないので、立っていれば、肘が重力で伸ばされる原理を利用するんです。姿勢をうまくコントロールして、ゆっくり重力が掛かるように体を起こす、と同時に伸ばそうという意識を入れる。自分では伸ばしていないけど、「あ、伸ばせてる、曲げられている」という成功体験のようなものを植え付けていく感じです。

 

伊藤 面白いですね。でもそもそも体を動かすって、自分ですべて動かしているように錯覚しているけれど、実は惰力や重力を使っていて、「物だからそうなる」みたいな物理運動をかなり取り込んでの「体を動かす」なんでしょうね。 

 すみません、細かいんですが指が動き始めたときの順番を教えていただけますか。

 

猪俣 最初は中指の第二関節です。次に第三関節、第一関節の順に動くようになりました。さらにそれに連動して、薬指、その後小指、人差し指、親指の3本が動くようになりました。パーをする動きはないですね。

 

伊藤 先から順でもなく元から順でもなく、2→3→1なんですね。感覚が戻ってくるときの順番はどうですか。

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猪俣 動き出した順番とのリンクというより、指、手のひらが全体的にボワっと徐々に戻ってきた感じです。種類は最初は圧覚ですね。圧力で押されているのを感じるのが最初かな。それからすべらせた摩擦を感じるようになりました。圧覚だけのときは摩擦は感じないので、位置をずらしても分からない。摩擦が分かると移動も分かるという感じですね。そのあと温度ですね。

 痛みは圧覚の強いものですね。皮膚が柔らかいというのもありますが、痛みが増幅している感じはありますね。さっきのアロデニアに近いのかな。なので、つねられたら失神しちゃうくらい痛いです。

 

伊藤 感覚が鈍感なのに痛みには敏感という感じですね。

 

猪俣 指先と手のひらは全部感覚がありますが、手の甲は感覚がないです、あと腕も。ただ、感覚がないところも叩けば、振動が伝わるので分かります。ゆっくりそうっと触られたら分かりません。

 

伊藤 感覚が出てきたことと、幻肢の変化は関係していますか?

 

猪俣 感覚が出てきたことで、幻肢位置が物理的な手とリンクしましたが、幻肢痛の変化は関係ないようです。

 

伊藤 もともとのファントム・エクササイズの目的は何なのですか?

猪俣 痛みの軽減です。

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伊藤 動かすことではないんですね。つまり「自分の手よ、動け!」と思ってエクササイズしていたわけではないということですね。

 

猪俣 気持ちはみなさん、腕が残っている方は、動かそうという気持ちで訓練はしています。ただそれをしたから動き出すということにはつながらない。物理的な信号が来るかどうかなので。たとえば脳卒中など脳の障害による運動器の麻痺であれば、末梢神経は物理的にはすべて繋がっているから、ファントム・エクササイズは絶対やったほうがいい。脳の可塑性でどこかが拾ってくれるかもしれない。でも中枢から引き抜かれた場合には、ファントム・エクササイズしても、難しいかもしれません。痛みの軽減のための訓練となります。

伊藤 指が動いたときの瞬間の実感に、幻肢は関わってはいないんですか。つまり、そのとき幻肢はどうしていたんでしょうか。ファントム・エクササイズでは幻肢を動かそうとしてグーっと握っているわけなので、そのことと、目で見て手が動いていることが分かったという情報が、何らかリンクしそうな気がするのですが。

 

猪俣 実際の手が動かないときはバラバラですよね。それが動き出すと、リンクしてきますね。動かして手の形が変わると、痛い場所も、それに応じて変わります。たとえば手を開いた状態で痛くなって、そのあとすぐに曲げたら、幻肢痛も曲げた状態で痛くなる。ついてきますね。それは、曲げているという触覚の知覚があるから、頭でそう理解してるんだと思うんですよね。手の知覚のフィードバックがなければ、幻肢痛も動きませんね。いくら外力、反対の手で右手を動かしたとしても、痛さの形は変わらないですね。

 

伊藤 微妙ですね。幻肢と実際の手が、重なっている部分もあるけどそうでない部分もある。あくまで「リンク」なんですね。ひとつになっているわけではない。

 

猪俣 そうですね。ただ手が残っている患者さんでも、意識の中の手と実際の手の長さが違うテレスコーピングが起きている方が結構います。切断者の方のほうが多いんですけど、手が残っていてもいらっしゃる。だいたい短くなりますね。短くなった手でファントム・エクササイズをすると、気持ち悪いという人がいます。なぜかと言うと、自分で自分の腕をつかんでいる感じがするから。

 

伊藤 自分の右手で自分の右手をつかむ、みたいな状態ですよね。すごいですね。それはどっちが気持ち悪いんですかね。

 

猪俣 幻肢が気持ち悪いらしいです。それもVRでテレスコーピングを伸ばしてあげると、「気持ちいい」と言われます。

 VRは、ヘッドマウントディスプレイを掛けた状態で、最初に、その患者さんが感じている短くなっているところに映像の手を出してあげます。それを徐々に健側と同じ長さまで伸ばしていってあげる。そうすると、自分のイメージも一緒に伸びてくる。じっと見ていると、5分か10分くらいで一致して、伸びてきますね。それで、「じゃあ、握ってみよう」とやると、「ああ、もうつかんでないです」「元の位置にあります」ってなる。(猪俣さんのVRシステムの動画はこちら

 

伊藤 幻肢を直している感じですね。それが有効な方とそうでない方の違いは、どうして出るのでしょうか。

 

猪俣 皆さん大体は幻肢が少しは伸びてくれます。手のひら付近にまで指先が伸びてくる患者さんもおられます。ただ、VRが終わると、数日から数週間で元に戻っていっちゃうんですけどね。

 人による効果の違いは、頭の中のイメージとVRがリンクできるかどうかです。つまり思い込めるかどうか。幻肢が頑固な人は、動かせないと言うことから、幻肢とVR上の腕が別物と感じてしまい効果が出にくくなります。

 

伊藤 研究の分野としてはどの程度蓄積があるんですか。

 

猪俣 もう10年以上ですね。臨床まで行っているところはまだ少ないです。

 

伊藤 足の切断の場合もVRは使えるんですか。

 

猪俣 足は幻肢痛が少ないんですよね。なので、ぼくらのシステムも上肢だけに今は特化しています。ゆくゆくは足もやりたいなと思っていますが。我々のシステムは、指の動きをより再現させるというものです。いままでのVRの幻肢痛緩和は、どちらかと言うと腕全体の動きを左右対称に出したりするものだったんですが、一番神経が脳を支配しているのは指なので、指を動かすことでより効果があるかなと思っています。鏡療法は、左右対称に幻肢がある方しか対象にならないので、不向きでしたが、デジタル技術を使えば、その人の幻肢の位置にカスタマイズできるので、一歩先に行けますね。

 

伊藤 VRの効果が定着した例はないんですか。

 

猪俣 持続はするんです。実験前と実験後で痛みの評価をしてもらうんですが、長い患者さんだと三週間くらい痛みが軽くなります。手が残っているけど、動かない、感覚のない方です。VRの映像を記憶できているので、そのイメージを思いながら、家でもファントム・エクササイズをするんですが、そのイメージがだんだん薄れてくる。そうすると幻肢が動かしにくくなる。継続することで、緩和期間を伸ばしていくことが必要になります。今後はVRのシステムのレンタルとかができたら、自宅でもやっていただけますね。そこまでもっていけたらなと思っています。

 

◎痛みの種類

伊藤 さっきのお話に返ってしまうんですが、右腕が鈍いんだけど敏感だというのは、体にとってはリスク、気をつけなければいけないことですよね。それはふだん生活しているなかで意識していますか。

 

猪俣 意識していますね。激痛が走るので、ぶつけられないですね。肩や腕は、痩せて骨と皮しかありませんので、肩パットやサポーターで緩衝材として付けています。

 

伊藤 電車よりも車で移動されているのもそのためですか?

 

猪俣 知覚は、防御反応としてはあった方が良いのですが、敏感過ぎて、硬いものがぶつかると、骨を通じて激痛が走ります。

 足先を机の角にぶつけたりすると、後から強い痛いが来るじゃないですか。ああいう感じですね。足って、どの指を触られているか分からないくらい鈍いのに、ぶつけたら痛みがどわーっと来る。

肩関節を固定してあるのですが、上腕骨と肩甲骨を。使える可動域を確保するため、脇を開いた状態で固定してある。席に座った時、手が膝に乗らないんです。反対の手で引っ張って無理やり乗せる、肩甲骨が無理な格好になるため、首、肩周りが痛み出し長時間は引っ張っていられない。肘掛などは本当に苦痛で、力を抜くと押し当てている状態になるので、当たっている骨が痛くなる。腕に緩衝となる筋肉がない分、骨が直にぶつかっているということもあります。パーソナルスペースが人より必要になりますが、他人からはわからない、なんで手を広げてるの?と。電車も混雑時はなるだけ避けるようにしています。

 

 あと、つねられた時の痛みはもうちょっと瞬間的ですが、腕に移行した肋間神経が、腕のあちこちまで伸びてきているので、胸に激痛が来ます。これはつねったという原因のある痛みなので、幻肢痛とは違う痛みです。

 

伊藤 お話をうかがうと、痛みにずいぶん種類がありますね。

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猪俣 そうですね。分析してようやく区別できたかなという感じです。全て幻肢痛だと思っている場合が多いと思います。痛みの種類を項目別に分けて整理すれば、これは薬を飲むといい、これはVRが効く、ということが分かる。全部が幻肢痛なわけではないんです。幻肢痛はトラウマから来る痛みであり、VRで取り除ける。VRの効果が出ても、まだつねったらすごく痛いといった症状がある場合には、それは幻肢痛ではなくアロデニアに近いということになります。

 

伊藤 それは観察して初めて分かることなんですね。

 痛みは、原因だけでなく、痛みの感覚の質というのもいろいろありますね。前に、その感覚をあらわすメタファーのお話をされていましたね。「血管のなかを砂利が流れているような痛さ」って。

 

猪俣 健常側で砂利を触れたときに、「おお、これに近い」と感じたんですよね。そこから、この表現が自分の痛みには合ってるかも、と思いました。

 

伊藤 砂利って何ミリくらいのものですか?庭園に敷いてある玉砂利のようなものですか?

 

猪俣 大きさはとても小さく、角が立った砂利の上を、グリグリグリっとこすった感じが、腕の中で起こっている感じ。それが手首辺りから指先に徐々に広がっていく。指先までくると、痛みがマックスの状態になって、数秒経つと消えるという感じです。

 

伊藤 なぜ「表面」ではなく「中」なんでしょうね。「中」に砂利があるというのは経験したことないですよね。

 

猪俣 「体の中に虫が這っている」と表現する不快感のイメージに近いと思います。自分の中で、自分の意識とは無縁に、筋肉が動いたりすると不快なんだと思います。例えるならと言語化しようとすると、昔の体験の記憶の中から近いものを選ぶ。「火鉢に手をつっこんだ感じ」と言う人もいますが、実際につっこんだことはないわけですが、そうとしか思えないのです。僕の場合は、皮膚感覚が鈍いことと、痛い場所を察っても痛みが変わらないところからも表面ではないと感じているのだと思います。

 

伊藤 「火鉢」のイメージは、表面的だし、自分の手が痛いという感じだと思うんですが、「砂利」の方は、もうちょっと侵食されて、自分でない異物みたいなものを感じていますよね。「不快感」とおっしゃった感じでしょうかね。

 

猪俣 すっと消えるので、それと同時にいなくなるイメージなので、いつも異物が・・という感じではないですね。

 

伊藤 毎回同じ砂利が来るんですか?

 

猪俣 一緒です。波の時に、それが大量に流されるか、ちょっと大きい粒になるか。砂浜の砂くらいだったら我慢できます。血管の中を流されている感覚は、止血されていて解放されたときの感覚に近く、それに加え、血管を傷つけながら、角ばったものが流れている感じですね。

 

伊藤 知っている経験を組み合わせて、それに近いメタファーが出てくるんですね。その表現は、共感されますか?

猪俣 波が押し寄せる感じは共感する方はいます。でも砂利がピンとくる方とはまだ出会っていません。

 

伊藤 痛みとその表現は面白いですね。古い時代の痛みの表現を見ると、宗教観や身体感が表現されていて、痛みって生理的なものであると同時に文化的なものなんだなと感じます。痛みそのものは生理的でも、それをどういう言葉で表現するかで、感じ方や、直すアプローチも変わってくる。痛みと言葉の関係が、すでにかなりVR的ですね。バーチャルなものを通して現実に作用する。

 

猪俣 よくVRを「成功体験」と言ったりするんですが、ぼくの場合は「思い出体験」と呼んでいます。後天的に切断した人は、たとえば顔を洗うときに、それまでは左右対称に手を使って水をすくっていた動作が、できなくなっている。その体験をVRでさせてあげると、「あっ、手ってこうやってたよね」って昔の体験ができる。そうすると、今まで脳にあったイメージに作用するんですよね。今まで出来ていたことを、もう一度出来るようにしてあげるということが重要です。トラウマを上書きしてあげるというのが、近いですね。

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猪俣 患者さんに、夢みるとき、腕が動いているかとか、生えているかどうかを聞くんです。そうすると、夢の中でも動いてない、生えていない、と言うんです。どんどん上書きされちゃってる。それをもう一度上書きし直して、できないことからくるもどかしさという本当の原因の分からない痛みは取り除いてあげられるかなと思います。

 

伊藤 「あ、この感じ」というのがあるんですね。

 

猪俣 「あ、こうやってた」とか、ありますね。懐かしいっておっしゃいます。VR中にマネキンを表示すると、両手で頭洗ったり、肩を揉んだり。患者さんはマネキンに自分を投影していて、背後から自分の体にアプローチしている感覚です。なぜかそれを自分だと感じられるんです。後方から見ていても自分に感じる。離れすぎると単なるマネキンになります。

 

伊藤 現実を確認することではなくて、過去を確かにとりもどすことが痛みの緩和につながるというのが面白いですね。

 

猪俣 やっぱり、みなさん悲観的ではないけれど受け入れてはいて、VRをやると「ああ、そうそう」ってなりますね。「できないできない」というのが植え付けられているんですよね。

 

◎固定の安心感

猪俣 あと、手がある方で、肋間神経を持ってきた人だと、最初はうまく筋肉の動きを制御できないんですよね。勝手に動いちゃう。あくびやくしゃみで胸に力が入ると、手が動いちゃうんです。でも、最初はそれでしか動かせなかったけれども、訓練すると「肘を曲げろ」とだけ思えば、肘が曲がるようになる。呼吸と分離して動かせる。意識しているのは「肘を曲げろ」なのに、司令が胸に行っているんですよね。

 人間の腕の動きって、最初に手先が目的地目指して動いて、それに肘がついていく感じなんですよね。肩、肘の角度から決めていく人はいなくて、みんな手先から決めてる。CGの世界で、キャラクターにアニメーションを付けるときに、「フォワードキネマティクス」というのと「インバースキネマティクス」という二つのやり方があります。制御できない頃は「フォワードキネマティクス」に近く、各関節がどのように動くかを最初に定義する。なので、肩〇〇度、肘〇〇度という感じで決めて行って最終的に目的地に手先を近づける。でも今は、「インバースキネマティクス」のやり方が主流で、より人間の感覚に近い手法。それは最初に手先の位置を決めると、その距離に応じて肘の位置、角度が自動的に決まるんです。

 腕を制御できないと、たとえばテーブルに手を乗せていたときに、肘が勝手に動いて手がすべって落ちてしまうんです。それで、重りで手をテーブルに固定してあげると、体を動かしても手の位置が変わらず、肘の位置のみが変化するので、いままでの感覚にすごく近いんです。これを物理的に再現するということもしています。骨が押してくる感覚や引っ張られる感覚が肩に伝わると、みなさん「すごく落ち着く」と言います。

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伊藤 その「落ち着く」は、さっきのVRの「これこれ」というのと近いですか?

猪俣 近いですね、こちらは物理的「安心感」ですね。手が勝手に意図しない方向に動いてしまうフラストレーションは常にたまっているので、位置が固定されると安心できるんです。たとえば右手を膝の上にひっかけてあげて、逆の手で肘を固定し肩から荷重すると、膝を押している状態になりますよね。肘が突っ張れることで固定され、肩や膝に力が伝わるので、落ち着きます。。骨に荷重をかけることは、骨粗鬆症の予防にもなりますね。

 

伊藤 ただVRのときは力は伝わらないですよね。固定しているときは、力が逃げていないという物理的な確かさがありますね。

 

猪俣 そうですね、双方からのアプローチが重要と言うことになります。手に重りを乗せると、体のバランスも取り易くなりますね。

 

伊藤 すごく面白いですね。腕って動作だけ考えていてもだめなんですね。物体としての強度、重さを支えているという感覚が、安心感につながるんですね。

 

猪俣 タクシーに乗ったとき、つかまる必要はないけど、手すりを持っちゃったりしますよね。寝るときに股のあいだに手を挟んだりとか。この安心する気持ちが、自己制御できないと、感じにくくなる。つながっている安心感ということもあるかもしれませんね。ものに触れ、抵抗がかかることで、手が体の一部だと感じられるんです。

 

 

2017/10/11@伊藤研究室にて