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大前光市さん

リオパラリンピック閉会式でもソロダンスを披露された大前光市さんにインタビューしました!とくに「機能と器用はちがう」という視点は目からうろこ。義足の左足は、常に意識して動かざるをえないぶん、右足よりも細かい司令が効く状態になっているそうです。障害の身体の本質は、自動制御(オートマ)と手動制御(マニュアル)の線引きが変わることではないか、と最近思っているのですが、「器用さ」という概念は、マニュアル側からのオートマへのぎりぎりの接近で、とても面白いなと感じました。あと、断端にいつもある「ちっちゃな足」のお話も。義足の方にお話を聞くのは初めてで、基本的なところから詳しく教えていただきました。 


大前光市さんプロフィール

1979年生まれ。片足のプロダンサー。ダンスに命をかけていた23歳の時、酔っぱらい運転の車にひかれ左足膝下を切断する。10年後、ダンサーとして返り咲き、第4回ダンスクリエーションアワード審査員特別賞、第13回北九州&アジア全国洋舞コンクール第1位など受賞多数。

 

◎スキー靴を履いている感じ

伊藤 義足をつけるとは、まずどのような感じなのですか?

 

大前 一言で言うと「スキー靴」です。覆われていて、曲がらないんです。骨折したときみたいに、石膏に覆われているような感じです。毎日スキー靴を履いている感じです。

 

伊藤 なるほど。以前、義足の装着体験をしたことがありますが、そのときは竹馬のように「乗っている」感じでした。けれど実際には「履いている」感じなんですね。

 

大前 誤解されがちなのは、ぼくの義足は、断端を覆っているんです。ぼくは左足のみ膝下に義足を使っていますが、断端の下に義足が生えているわけじゃない。カポってはまっているんです。ソケットというお椀のような部分の全体で、体重を受け止めているんです。ほとんどの義足はそうです。

 

伊藤 先端ではなくて、ソケットにはまっているところ全体で体重を受け止めているんですね。

 

大前 そうです。だから痛くなるとしたら、全体が圧迫されて痛くなります。まず痛くなるのは、骨がちょっと出ているところ。腓骨と脛骨ですね。ここが出っぱっているので、ソケットの内側にクッション材を当てたりして、衝撃を逃しています。

 

伊藤 だから、靴と同じように「履いてる」感じになるんですね。靴だと、床についての情報、たとえばコンクリートなのか土なのかといったことが触覚的に感じられますが、義足ではどうですか。

 

大前 地面の硬い、柔らかいは感じますね。ただ、義足には種類があって、クッションが効く義足か、硬い義足なのかで、感じ方は変わってきます。当然、硬い方がより感じやすいです。

 クッションがある義足だと、衝撃がゴーンと来ないのでムニュっとなります。だから楽なんですが、筋力を使わせないので、衰えて来ます。ぼくがそうだったんです。最初に義足を使いはじめたころ、硬いなあと思っていたんです。一歩つくと、衝撃が腰までくる感じ。それで柔らかい義足を注文して使っていたんですが、そうしたら左足がだんだん使えなくなってきた。弱らせて、甘やかしていたんですよね。そうすると右足にばっかり負担がかかり、右足を壊すようなことになってくる。なので、今はかなり硬い義足を使っています。その分、それをサポートして、押し返すような体幹の筋肉を発達させています。あえて鍛えています。

 

伊藤 義足の性質によって、それ以外の全身の状態が変わっていくんですね。事故にあわれて今年で15年になりますが、そのあいだにどのような変化がありましたか。

 

大前 最初の変化は、義足側に負担がかからないようにするので、上半身がものすごい発達したんです。今も発達していますが、20代後半まではもっとゴツくて、かんばらけんた君みたいでした。上半身と下半身という別のものが組み合わさっている感じでした。椅子から立ちあがるときも、足に負担をかけないように、まず肘掛に手をついて、それから上半身で立つ、というような癖がついてしまっていた。上半身主導の使い方だったんです。

 今は、それではダメだと思って、下半身も使うにしています。立ちあがるにしても、足をついて足で立つ。そうしたら動きが安定してきました。ぼくの場合は下半身は動くのですが、その機能を甘やかしていたんです。義足も硬いものに変えて、足を使うということをしようとし始めました。

 

伊藤 上半身に頼る癖がついていた状態から、下半身も使うように移行する過程で、痛みがあったり、バランスを崩したりすることはありましたか。

 

大前 痛みに耐えながらの時期が5、6年ありました。肉体労働をしていたので、さらに痛みが出やすかった。足の断端って、硬くなるのに時間がかかるんです。それまでは脛骨や腓骨のあたり皮がやぶれたりして、その痛みとの戦いでした。痛いので、使わないようにしちゃうんです。そうするとバランスを崩してしまう。いびつな発達とも言えるし、本来は人って足を含めてうまくいくようにできているんだろうなと思います。

 

伊藤 足を含めて人というのは、下半身がまず土台になるということですか。

 

大前 下半身は上半身の三倍の筋力があるんですよね。腕の三倍の力が足にはある。だから足がエンジンになって、それを主導にして、器用なことは上半身でする、というのが基本的な人のつくりだとぼくは思っています。

 

伊藤 いまも痛みは出ますか。

 

大前 使いすぎると出ますね。その加減を自分で分かっています。昔にくらべて皮が厚くなっているので耐久力があがっているし、力の逃がし方もバランスよく使えるようになってきたので、負担は減ってますけどね。義足を使いすぎると皮がめくれて、靴ずれのような状態になり、次はつねられたような痛みになり、それでも使っていると骨が出てくるような感じになって、さらに痛くなります。

 

伊藤 それはかなりの痛みですね。でもダンスをしていると、そうでない人に比べて足を使いすぎてしまいませんか。

 

大前 切り上げなきゃいけないタイミングが、ふつうのアスリートよりも早い。分かるんですよ。「これ以上やると、次の日もう踊れないな」って。膝をついてずっと歩いていると、膝の骨があたって痛いですよね。ああいう感じです。

 

伊藤 皮膚以外の、筋肉痛などはありますか。左右の足でバランスが違うと、特定の筋肉に負担がかかるのではないかと思います。

 

大前 ぼくは重心が真ん中になるように、調節しています。左足をあえて鍛えて、ふつうの歩き方をしてるんです。義足の人は、断端がふにゃふにゃに弱っていて、しっかり踏み込むようには歩かなくなる場合が多いのですが、ぼくは、義肢装具士さんにも、断端に筋肉があってしっかりしていると言われます。「自然にそういう使い方になる」という面と、「意識してそういう使い方にする」という面の両方があります。

 

伊藤 やはりダンスをやられているから、体をコントロールするときの感度の高さがあったんでしょうね。

 

大前 それは高いと思います。人にダンスを教えるときも、どんな順番で体を使ったらいいか、わかりやすく教える自信はあります。

 

伊藤 そもそもダンスを始めたきっかけは何だったんですか。

 

大前 高校時代に劇団四季に入りたいなと思って、ミュージカルをやっていて、その延長で17歳でバレエが面白くなってダンスを始めました。自分の体を観察するというのはもともと気質としてありましたね。ただ足を切ってから、よりそういうことを考えるようになりました。どうすればぼくは復帰できるのか、どうすればぼくはダンサーとして体を動かしていけるのか、考えて、勉強するようになりました。今でもそうですが、パーソナルトレーナーをつけて、体の軸についてや、どこから筋肉に力が入れば体が楽に使えるか、教えてもらっています。硬くなっているとこを柔らかくするために、しょっちゅうメンテナンスもしています。鍼、マッサージ、ストレッチ、トレーニングをしています。

 

伊藤 鍼もやるんですね。

 

大前 鍼じゃないと深いところにとどかないんです。ぼくがやっているのは中国鍼で、5センチ以上ある刃針を使っています。ふつうの鍼は打った瞬間は痛くないですよね。でも刃針は打ったときから痛いです(笑)

 

伊藤 もしかして、痛いのお好きですか(笑)

 

大前 ふつうの人よりストイックですが、痛いものは痛いです(笑)。でもそうじゃないと効かないんです。ここの奥の筋肉を柔らかくしたい、と思ったら痛くてもやめないんですよ。

 

◎「ちっちゃい足」がある

伊藤 いわゆる「幻肢」はありますか。

 

大前 ぼくは幻肢痛はないです。たまに大腿神経が、つったときみたいにピクピクすることがあるだけです。

 

伊藤 そのピクピクはどういう感じですか。

 

大前 つったときのキーンとする感じです。

 

伊藤 断端の「先」がある、という感じではないんですか。

 

大前 みんな、「先」はあると思います。にぎりこぶしくらいのちっちゃい足が、断端のところにくっついてる感じかな。

 

伊藤 ちっちゃい足??それはどんなものですか。全然わからないです。

 

大前 断端の先っちょが丸くなってて、親指、人差し指、中指…っていうのが、ちょん、ちょん、ちょん、ってついている感じです。たぶん、複数の神経がすーっと伸びていたんでしょうね。それが途中で切れているから、そこに指がちょん、ちょん、とある感じがするんですよ。

 

伊藤 面白いですね〜。なぜ、見えないのに小さいと分かるんですか。

 

大前 動かせないからです。だから丸い足で、「このへん親指だよね」「このへん人差し指だよね」という感覚がするだけです。

 

伊藤 指ベースだというのが面白いですね。足のfootの部分があるというより、指がある、という感じなんですね。

 

大前 そうです。ちょん、ちょん、ちょん、とある感じですね。

 

伊藤 右足の指はよく動きますか?私は自分の足指をパーの形に開くことができないので、そもそも指の一本一本という感触がかなりあいまいです。私が切断した場合に、ちょん、ちょん、があるか不安です。

 

大前 ぼくは右足の指は開きますよ。他の人には聞いたことないけど…神経が切られているだけだから、ちっちゃい足があるんじゃないですかね。

 

伊藤 なるほど。さっきのつってる感じというのは、その指と関係がありますか。

 

大前 そうですね…。幻肢痛って特殊なことじゃなくて、使いすぎたときにピクピク痙攣したような感じになりますよね。

 

伊藤 それは15年のあいだ変わらないですか。

 

大前 ありますね。足はずっとあるんです。ぼくの足は、義足の断端についているこのちっちゃな足なんです。そこに、継ぎ足しみたいな感じで、義足のソケットがついている感じです。

 

伊藤 ソケットをはめると、その小さな指はどうなるんですか。

 

大前 まさに「グー」ですね。

 

伊藤 なるほど!「グー」にしてるんですね。

 

大前 もともと「グー」状の小さい足が入ってる感じ。

 

伊藤 グーにしてるという感じはなく、そもそもグーのものが入ってるという感じですね。ということは、義足を履いているときに感じる地面の感触は、靴を履いているときに感じる感触と同じですか。

 

大前 そうですね。ながーい靴を履いてる感じですね。

 

伊藤 断端から地面までの距離はあるわけですね。

 

大前 距離はありますね。硬い義足だと地面をつかんでいる感じがあって、柔らかい義足だと、「地面はどこだ?」という感じになる。

 

◎「機能」と「器用」は違う

伊藤 ということは、重心は真ん中に保とうとしていたとしても、左右の足で感覚の違いはあるということですよね。

 

大前 左右均等には使ってないですね。同じように使ってはいなくて、「右足くん」と「左足くん」は全然別の人ですよ。

 

伊藤 筋肉としては同じように使っていても、情報をキャッチする手段としては使い方が違うっていうことでしょうか。

 

大前 右足は無意識に使えるんです。でも左足は意識的に使わないといけない。たとえば短いソケット部分だけの義足で踊るときがあるんですが、そういうときは、「足をどこに置こうか」とかちゃんと考えないと、うまいこといかないですね。だいぶ無意識に動かせるようにはなってきましたけどね。ぼくはけっこう考えて使ってますね。

 ぼくのように、義足になっても何かを続けて、アスリートになりたいという人は、本当に意識して、使えなくなった体の部分を動かしています。あえてやらないと動いてくれないので、すごく気を使う。そこがふつうの人と違うところです。

 

伊藤 気を使うというのは、着地する場所や、体重のかけ方ですか。

 

大前 そうそう。どこまで行っても左足は「道具」なんですよね。道具を使っているという感じ。足の先についている道具の使い方がうまくなっている感じです。たとえば手の先に竹馬みたいなのが生えていたら、「ここらへんを押そう」とか意識的になりますよね。そんな感じです。「さぁて今日も杖を使おうか」みたいな感じです(笑)。

 

伊藤 なるほど(笑)。すごく細かいことなんですが、大前さんが舞台で右足の片足立ちしているときに、左足の腿が真下ではなくて、ちょっと前を向いていますよね。「膝を曲げてる感じ」というか。

 

大前 あれは、なんでなんだろう…そうするとバランスをとりやすくなるんですかね。前に曲げるというより、足をちょっと引き上げておくことでバランスをとりやすくなるんです。

 

伊藤 そういうのは無意識にそうなるんですか。

 

大前 それはバランステクニックというよりは、無意識ですね。バランスをとることについては、普通の人よりは発達していますね。だってコケますもん(笑)。

 

伊藤 右足で片足立ちするのと、左足で片足立ちするのは、どう違うんですか。

 

大前 左足は足の裏が使えないんですよね。だから体幹が重要になります。何かが使えなくなると、別の部分が、カバーをするために、仕事量が増えます。チームで仕事をするときと同じで、5人のうち一人が休んだら、誰かがカバーしなきゃいけない。あれと同じです。ふつうの人よりフル稼働している場合が多い。だから疲れやすかったりします。

 

伊藤 左足で片足立ちをしているときは、さっきの「ちっちゃな足」はどうなっていますか。

 

大前 かかと側を意識してるかな…でも右足と同じようなバランスの取り方をしてますね。足の裏はお椀を返したように丸めた形に力を入れるとバランスがとりやすいんです。お年寄りの杖の裏を見るとわかりますが、真ん中がへこんでいるんです。同じように、左足も、そうはならないけどそういうふうに意識してキュッと丸めるような使い方をしています。

 

伊藤 足の裏に相当する部分全体をべったり使っているのではなくて、まわりの部分を使うということですね。

 

大前 そうですね。かかとを中心に、土踏まずが使えている状態ですね。土踏まずが使えると、腿の裏側が使えるようになるんですよね。そうすると体がうまいこと連動してくるんです。

 

伊藤 なるほど。ちっちゃい足ががんばると、別のところが使えるようになるということですね。

 

大前 ぼくは右足よりも義足の左足のほうが、筋力は少ないんですが、器用です。

 

伊藤 「器用」ですか!

 

大前 「器用」と「機能」はちょっと違う。左足は常に意識しているから、筋肉も敏感になってるんです。そうすると、細かいことができる。たとえばすぐに力が入ったりとかできるんです。右足は力はあるけど器用じゃない。

 

伊藤 面白いですね。ということは、左足は道具っぽいと言っても、かなり頼れる道具ですね。「こうして」と言ったら、そのとおりのパフォーマンスをしてれる道具という感じですね。

 

大前 そうですね。だからぼくは軸足が変わっちゃったんです。もともと軸足が左で、利き足が右だったんですけど、逆になりました。今は、支える、鈍い方が右足で、器用な方が左足になったんです。右足はパワーの役割です。お茶碗とお箸が入れ替わりました。使わざるを得ないところが器用になるんですね。

 

伊藤 なるほど(笑)。右足でお茶碗を持って、左足に箸を持つ感じになったんですね。ということは、上半身は右利き、下半身は左利き、という感じでねじれているんですね。

 

大前 体に障害を持っていると言われている人に共通しているのは、意識する部分が多い。向こうで「はい集合!」と言われたら、ふつうの人は無意識に「はーい」と行くけど、ぼくらは「分かった、ちょっと待ってね」って、足をはめたり、車椅子にのったり、姿勢をととのえたり、順番があって、ひとつひとつ意識してやるわけです。みんな、めんどくさいことをしてます。

 

伊藤 そのぶん、集中力が要りますね。いつも注意を払っているわけですね。

 

大前 注意を払っていますね。

 

◎バネとリズム

伊藤 ダンスについてのお話をうかがいたいんですが、着地するときの、衝撃の受け止め方や、次の運動へのつなげ方はどうですか。

 

大前 まず、footの部分がないぶん、ふつうの人よりも負担がかかります。体にガーンと来やすいので、どうやって逃すか、どうやって次につなげるかは、ふつうの人より意識していますね。

 

伊藤 いわゆる「バネ」はどういう感じですか。そもそも「バネ」って何なのかがよく分かっていないんですが…

 

大前 筋肉名で言うと、ハムストリングス、大臀筋、中臀筋、それとコアがつながっていると、バネになります。体を動かすのが下手な人って、膝をのばす筋肉で何かをやっちゃうんですが、それだと力が小さいんです。バネっていうのは、体全体を縮めたときに戻る力のことですね。足があったときは、その重要さに気づけなかったですね。義足になって、怪我が多くてして、どうにかしなくてはいけないと思って、教わりながら体得しました。確実に使わないと、一回のジャンプで怪我します。

 

伊藤 そのバネ感を義足になってからのほうが意識するようになったわけですね。

 

大前 ダンスに関しては、義足になってからのほうが断然うまいです。義足になって10年目くらいから、コンクールでタイトルをとれるようになったんです。使い方を意識するようになって、やっと上手くなってきたんです。

 

伊藤 私の運動神経のせいか、バネを意識するっていうのがどういうことか、あまりピンとこないんですが…。

 

大前 細かいところではなく、大きなところを考えるということですね。以前は、「こうやらなくてはいけない」と教わったことを、そのまま型として忠実にやっていた。でもそれをやっていても意味がない。それが出来切らないとなったときに、もっと抽象的に考えるようになるわけです。そうすると、そもそも体の使い方って、どういうふうにジャンプすると楽にできるのか、とかを考えるようになるわけです。型ではなくて、型以前のものを考えるんです。

 

伊藤 解剖学的なものということですか?

 

大前 そうです。でも解剖学の専門家でも、じっさいに動かしている人とそうでない人は違います。動かしていない人は、発想がパーツなんですよね。その筋トレをしたらそのパーツの筋肉はつくだろうけど、でもそれをどうやって動きに応用するのか、と言われると答えられない。そこはぼくが鍛えながら、やっていくしかない。

 

伊藤 リズムのこともうかがいたいんですが、以前出演されていたテレビ番組で、連続バク転の練習をされていました。一回目のバク転はできても、そこから先に続かないというお話でした。バネのお話につながると思うのですが、惰力が使えないというか、勢いでいくというのが難しい、というのがあるんでしょうか。

 

大前 両足が使えないと、そのぶん力が弱くなり、そうなると進む力も弱くなります。エンジンが半分になっちゃうのでね。だから右足の使い方を考えて、毎回毎回注意して蹴るようにしてますね。転がっていけないので、一回一回が注意してやる感じですね。

 

伊藤 そこも体に任せられないというか、考えてやらないといけない部分ですね。

 

大前 両足があれば安定しているので、多少ずれても大丈夫だけれど、右だけだと、「ここに絶対に降りなきゃいけない」とシビアになりますよね。ずれるとカバーができない。

 

伊藤 注意しているということは、ちょっと先に自分の体がどうなるかを予想しているということですね。

 

大前 予想してますね。よく考えてますね。バネはいつもまっすぐにしておかなければ働かないので、まっすぐにしておきつつ、次にここについたら、こう上がって行くな…みたいなことをシビアに考えいますね。

 

伊藤 バネが垂直に着地しないと弾まないんですね。

 

大前 そうそう。タイミングですね。「ここだ」というところがシビアにある。

 

伊藤 なるほど。最終的にはどうして連続バク転ができるようになったんですか。

 

大前 繰り返しですよね。一人では無理で、コーチについてもらってやっていました。恐怖心があると、絶対にうまくいかないですね。恐怖心があると、体が硬くなります。ブレーキをかける筋肉の動きがあると、踊りみたいなことはうまくいかない。バク転をするために後ろ向きになったときに、恐怖を抜けるかどうかの戦いですね。

 

伊藤 いつも注意を払わなければいけないということと、恐怖心を持たないというのは、両立するのがかなり難しそうです。

 

大前 それがだんだん合ってくるですよね。力が抜けているところは抜け、使うところだけが使えている状態がいちばんいいんですよね。障害を持っている人は、体に力が入ってしまう割合が多いんですが、その偏りを克服するのに時間がかかりますね。

 

伊藤 恐怖心の基本レベルが高いから、より繊細な注意が必要ということですね。

 

◎義足について

伊藤 同い年として伺いたいのですが、だんだん年齢があがってくると、体は変化してくると思いますが、何か感じることはありますか。

 

大前 成長ホルモンが出なくなってくるので、体がだんだん硬くなってきますね。だから鍼に行ったりマッサージをしたり、時間をかける必要がありますね。勢いで何かできない。年齢も障害ですから、これも考えてやる。勢いでできなくなったということではなくて、賢くなってきたとも言える。人に教えることができるようになりますね。そういう意味ではフェアだと思います。

 

伊藤 なるほど。あと義足についてですが、かなりたくさん作っていますよね。自分で開発しているんですか。

 

大前 自分で開発しています。義足屋さんに頼むと、そんなものは作れないと言うんですが、何が起こっても責任をとるからと言って、誓約書を書いて、作ってもらうんです。

 

伊藤 いままで作った義足は…

 

大前 断端にぱかっとはめる短い義足と、ダンス用のドラえもんっぽいやつと、長いやつがあります。短いやつはバランスが悪いので体に負担がかかりますが、いびつだからこそ演出としては効果があります。「なんだこいつは」ってなる。ダンスはそこは自由なんですよね。ソロでやるのであれば、何をやってもいいというのがアートの世界ですから。そこはスポーツとは違いますね。

 

伊藤 今後、開発したい義足はありますか。

 

大前 最近、車椅子ダンスをやっています。それと短い義足を組み合わせていいパフォーマンスができないかなと思っています。道具を使うダンスが好きなんですが、義足も道具ですね。ひととおり作ってはきたので、これでいいのかなと思っています。本当にたくさん作りました。

 最初は、ふつうのダンサーにもどりたくて、つま先がのびる義足を作ろうとしました。「義足に見えない義足ってないんですか」みたいなわがままも言いました(笑)。もうそこには執着はないですが。

 

伊藤 そこから、「短い義足」という発想はそうとう新しかったんじゃないですか。義足の定義をくつがえしてますよね(笑)

 

大前 逆転の発想です。ふつうの人になるだけ近づこうというのが義足のコンセプトだと思うんですが、アートに限ってはそれをやる必要はない。そのへんを、ぼくがやることで覆せたらっていうのが役割だと思っています。

 

伊藤 ダンサーだからこそ、自分の体を人に見せられる。それは強みですよね。

 

大前 そうですね。工夫力や創造力の発想がもっと広がったらいいなと思います。ぼくらは考えざるをえない人なわけですから。めんどくさいんだけど鍛えられている感じですね。

(2017年2月28日 大森の喫茶店にて)