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中橋恵美子さん

片耳難聴の中橋恵美子さんにお話をうかがいました。利き耳と利き手が違うために体にねじれが生じること、同じ物でも右手で触ったときと左手で触ったときでは感じ方がちがうことなど、ふだんの生活では意識していない微細なことまで、言葉にしていただきました。


中橋恵美子さんプロフィール

1993年 12月24日東京生まれ。
    7歳まで中国・南京で暮らす。
2012年 東京芸術大学・先端芸術表現科入学 
2015年 香港中文大学・北京語コース修了

○音源を定位しない聞き方

伊藤 ふだんは美術大学の学生さんで作品を作られているんですよね。

 

中橋 はい。自分が中国と日本のハーフだったり、片耳が聞こえなかったり、半分というか、決まった考えが持てないんです。そうすると結局、作品をつくるときも、本質的なところというか、抽象的なところに興味が向かってしまいます。

 

伊藤 いまは片方の耳が全く聞こえない状態なんですか。

 

中橋 生まれつき右耳が難聴です。検査すると、数値的には工事現場のくらいの音だと聞こえてるようですが。右はうずまきの部分が小さくて、音を増幅できないんです。左の聴力はよくて、耳を塞いでも聞こえます。

 

伊藤 自覚はあったんですか。

 

中橋 ずっと自覚はなかったです。最初に気づいたのは母で、電話を受けるときに、必ず利き手でない方にわざわざ受話器を持っていくので気づきました。自分としては自然で、ふだんも左耳で聞くために体をよじったりしていました。中学生くらいのときに、人の多いところに行くと、音を拾うのが不便だなと思うようになり、「こういう場面では端っこにいた方がいい」とか考えるようになりました。

 

伊藤 利き手と利き耳がずれている、というのは面白いですね。だから体にねじれがうまれるんですね。

 混んでいる場所だと音が拾いにくいということは、単純に音が大きいところというより、ざわざわしたところが苦手ということでしょうか。

 

中橋 自分の想像だと、両耳聞こえる人だと、聞き分けがしやすいのかなと思います。私の場合はいつも同じ方向から音が聞こえてくる感じで、どっちの方向から話かけられているのかが分からない。それが一番不便です。みんなで話しているときも、話している声の違いで誰が話しているかはわかるけれど、その人がどこにいるかが分からないですね。

 

伊藤 音源がここにある、ということが定位できないんですね。

 

中橋 そうですね。全くできないです。音の大きい小さいで距離は分かります。ただ、どの方向にあるかは分からないですね。

 

伊藤 音が立体的に聞こえるということは、音源の位置がわかるということなんですね。見えている立体的な空間と音が連動して、どこから来ているか分かる。中橋さんの場合はそれがないから、音が平面的に聞こえるということですね。

 

中橋 飲み会とかはすごく苦手です。なるべく右端に座るようにしていますが、意識して音を拾っていかないといけないので、首に負担がかかります。聞く方で精一杯で話せません。難聴のせいで消極的になってしまうことがありますね。

 

伊藤 聞こえにくいことは人に伝えていますか。

 

中橋 伝えてはいません。気づかないみたいですね。ただ、弟が難聴だという人に会った時は、すぐに気づかれました。首の動きや、話す時に相手との距離がどんどん近くなるので分かったようです。

 

○聴覚をあまり信用してない

伊藤 映画はどうですか。

 

中橋 DVDをレンタルして見るときと、映画館で見るときでは、映画館のほうが音が大きいなとは思いますが、サラウンドとして聞こえる感じが弱いですね。実家の車に、あるときから後ろにもスピーカーがついたんですが、自分にとってはあまり変化が感じられませんでした。

 

伊藤 たとえば背後から誰かが近寄ってくるときの足音のような、画面には映像としては映っていない音は、どんなふうに感じるんですか。

 

中橋 音が聞こえてくるという感じで、後ろから近寄られて怖いということはないですね。後ろから声をかけられて気がつかないことは多いです。たぶん、そんなに聴覚を信用していないと思います。なるべく目で見ようとしていますね。

 

伊藤 聴覚を信用していないというのはどういうことですか。

 

中橋 常に、「これは何かを聞き漏らしているんじゃないか」という意識があります。聞こえている音を信用していないというより、聞こえていない部分があるという感じですね。人と話していても、こっちにいる人が何かしゃべったかもしれないと思っていますね。

 

伊藤 そういうときはどうすんですか。

 

中橋 何か言った?と聞くのが一番いいですよね。大学やアルバイト先の人には、聞こえにくいということは伝えています。ただ、言ってまわりにサポートしてもらうのもあとから自分が困るだろうなと思って、伝えるのは本当に必要なときだけにしていいます。

 

伊藤 アルバイトはどんなことをされているんですか。

 

中橋 美術館の喫茶店です。慣れるようにあえてそこで働いています。お客さんに呼ばれて聞こえなかったり、どこから呼ばれているか分からないことも多いんですが、やってみて自分の聞こえ方や、困る状況がよく認識できました。

 

伊藤 フロアでの接客は確かに耳を使いますね。でも、聞こえない人の世界ではなく、聞こえる人の世界で生活されているんですね。

 

中橋 聞こえない人との交流はないですね。

 

○右手で触ると純粋触覚

伊藤 片耳が難聴であることが、他の感覚に影響を与えていることはありますか。たとえば、つねに左側に意識を向けている状態だと思いますが、意識の中心線のようなものがが、体の中心線とずれるようなことがあったりしないでしょうか。

 

中橋 そうですね…。メインが左になっている感覚はありますね。

 

伊藤 以前半盲の方とお話したときに、左右が非対称になるというお話をされていたので、聴覚でも同じことが起こるのかなと思いました。

 

中橋 聞こえない右側は、ぼんやりと棉があるような感覚はありますね。イメージすると、耳のあたりに何かがあって、ふさがっているような感覚があります。

 

伊藤 鼻がつまっているみたいな感じでしょうか。

 

中橋 そうですね。たまにもどかしくなるときには、何かが詰まっているような感じが強まりますが、ふだんはそれほど意識していません。

 

伊藤 音って外だけでなく、体の中にもありますよね。たとえばクッキーを食べたりすると、どんな聞こえ方になるんですか。

 

中橋 ちょっと食べてみていいですか(笑)

 

伊藤 どうぞどうぞ(笑)

 

中橋 …右で噛むのと左で噛むのでは音が違いますね。左側で噛んだ音のほうが大きくて、右側の音は、振動としては伝わってきてるけれど、小さいですね。

 

伊藤 やはり違うんですね。でもこうやって実験しているまでは、気がつかなかったということですよね。

 

中橋 これが普通だと思っているので、違和感はなかったです。両耳聞こえる方が、片方の耳をふさぐとすごく不便に感じるようですけどね。

 

伊藤 そうですね。片耳をふさぐと、外から聞こえる自分の声と、内から聞こえる自分の声のバランスが悪くなって、変な声に聞こえますね。

 右側の、棉があるように感じられる方向に手を伸ばすとどんな感じですか。左側に手を伸ばすときと、右側に手を伸ばすときでは、感じ方が違いますか。

 

中橋 左側の腕は、動かすと衣摺れの音が少しするんですが、右側を動かしたときにはその音がないので、音のないところに手を伸ばしているという感じがしますね。体の右半分は、音としては動きを感じないですね。

 

伊藤 面白いですね。机を触るとどうですか。この机は白木の木製の机ですが、触り心地は違いますか。

 

中橋 右側の音も薄く聞こえるんですが、左側の方が、「木目を触っているな」という音がしますね。聞こえない右のほうが情報量が少なくて、逆に手の触覚が強く入ってくる感じですね。

 

伊藤 なるほど。右は音がない分、純粋に触覚が入ってくるんですね。面白いですね。

 耳の後ろを指で掻いたりするとどうですか。

 

中橋 触り方によっては、右は音がしないですね。左側は皮膚と皮膚が擦れている音がするんですが、右はその音がすごく小さくなって、ほとんど触覚しかしないですね。耳たぶを触っても、触覚しかないですね。

 

伊藤 触覚しかしないというのは、両耳が聞こえている人にはあまりない経験かもしれませんね。たいていのものは、触ると音がするし、少なくとも衣摺れの音がしますもんね。

 

中橋 ただ、髪の毛を触ったときのように大きい音だと、左から入ってくるので、左右の違いをあまり感じません。衣摺れのような小さい音だと差がありますね。ふだんは人とのコミュニケーションで困っていたので、体の音は意識していませんでした。

 

伊藤 なるほど。ふだんは意識されていないとのことですが、一緒にお話しをするなかで発見ができてよかったです。中橋さん、今日はありがとうございました。

 2016年10月26日 東工大伊藤研究室にて