藤岡千恵さんにインタビューをしました。もともと吃音の連発(「どどどど…」と同じ音を連続する)があった藤岡さんは、長い難発(最初の音につまってから話す)の期間を経て、今はふたたび連発のステージにいらっしゃる方。一見すると、難発のほうがスムーズにしゃべれているように見えますが、藤岡さんはむしろ「どもった方が楽」と考えて、どんどん体を解放していったそうです。「どもれるようになった吃音者」というと何だか禅問答みたいですが、吃音の奥深さを感じさせてくれるインタビューです。
藤岡千恵さんプロフィール
1976年生まれ。どもりとのつき合いは約37年。小学生の頃から29歳まで悩んできたが、どもる大人のセルフヘルプグループNPO法人スタタリングプロジェクトとの出会いで人生が変わりはじめる。心の底からワクワクする世界に私を導いてくれたどもりの存在が、今は心強くもある。自称「幸せなどもり」。
藤岡さん参考URL:ことばの文学賞
◎連発→難発→連発
伊藤 関西ご出身のわりに、あまり訛りを感じませんね。
藤岡 人によって関西弁が出ることもあるんですけど、今日みたいにちょっと緊張してると、あまり出ないですね(笑)。
伊藤 方言と吃音は関係がありますか?
藤岡 そこは考えたことがないですね…。もともとは地元で関西弁でしゃべりながらどもっていました。幼稚園に入る頃に、「おおおおとうさん」と言っていたんですが、父に「もういっかいゆっくり言ってみ」と毎回言われていました。それで、音を連発するしゃべり方はあかんのかなーと思っていました。
伊藤 なるほど。お父さんに指摘されて、連発するのはよくないことなんだなと感じるようになったんですね。そこから三十年以上経って、藤岡さんの吃音はきっといろいろ変化してきているんじゃないでしょうかないか。
藤岡 変化してますね。
伊藤 私が藤岡さんに興味を抱いているのは、「難発の先の連発」という領域にいらっしゃることです。私もそれほど重くありませんが吃音があります。吃音のスタイルとしては、ときどき言葉が出にくくなる「難発」です。難発といっても、人からはあまり分からないので「隠れ難発」みたいな感じですが。藤岡さんも「難発」の時代が長くあったそうですが、今はそれを超えて「連発」もされていますよね。私にとっては難発の先に連発があるというイメージが全く持てない、信じられないんです。難発は緊張なのに、連発は弛緩ですよね。そうやったら連発ができるのか、ものすごい謎なんです。そこに至るまでの歴史に興味があります。
藤岡 その感覚はよく分かります(笑)。最初、幼稚園に入る前のころは、何も考えないで「おおおおとうさん」「たたたたたまご」と連発している感じだったと思うんです。小学校に入るまではいつも言い直しをさせられてきたから「あれ?」とは思っていたけれど、その程度でした。それから小学校に入ったときに音読をして、自分だけがつっかえてしゃべれなくて、「何かみんなとちがうんや」と思うようになって、真似されるし笑われるしで、悩み始めたんです。劣等感も小学校の1年生くらいから生まれて、悩みのスタートでした。それで、いつからは分からないですが、難発になっていきました。小学校の低学年の頃は、スキルもなくて、連発でどもるか黙っているか、くらいの選択肢しかなかったんですが、だんだん言いにくい言葉を同じ意味の単語に置き換えたりし始めて、そのあたりから表面的にはどもりが分からなくなっていったと思います。
伊藤 難発のときは、家族と話しても、友達と話しても、音読のときも、同じように難発だったんですか。
藤岡 音読だけはコントロールが難しかったので、小学校低学年の頃は連発をしていましたね。文章なので言い換えもできなかったし。小学校高学年頃になると、あからさまに連発することはできなくなっていたので、最初の音を出すまでは「・・・・」と難発をしていました。
伊藤 つまって、その先に連発というのもありえますか。
藤岡 ありえますね。難発と連発は共存すると思いますよ。音読のときに連発がでてしまうのは仕方なかったです。でもふだんは難発だったので、小学校高学年のときに、お母さんから「吃音が治ってよかったね」と言われたことがあったんですよ。私もそこを目指してたというか、「千恵は吃音には悩んでないし、吃音じゃない」と思って欲しかったです。その頃には吃音が出ない喋り方を身につけていたので、「うん、治った」と答えました。
伊藤 治ったように見えるくらいだったということですね。小学校高学年ころから難発メインになって、そのあとはずっとその状態が続いたんですね。
藤岡 ずっと難発ですね。本読みのときにときどき連発が出るので、まわりの人にびっくりされたりすることもありましたが、ほとんど吃音とは思われてなかったです。
難発の時期は30歳くらいまで続きました。そのあいだに短大に行ったり、就職をしたりしました。保育の勉強をして、保育士になったんです。保育士になろうと思ったきっかけは、子供が好きだったというのと、事務職だと電話があるからできないなと思ったからです。子供相手だったらプレッシャーも少ないのかな、子供相手だったら少々ぎこちない話し方をしても自分が傷つかないというのもあったなと思います。それで保育士を21歳から24歳まで、3年だけですけどやりました。子供相手なら大丈夫と思っていたんですが、実際に5歳児のクラスとかを担当すると、紙芝居もすごいボリュームがあって、ハードルが高かったんです。だから園長先生には「乳児の担任をさせてほしい」と言っていました。年長さんだとたまにしゃべり方について突っ込まれたりして、どきどきしてました。
伊藤 難発で言い換えをしたりすることが辛いというより、子供に指摘されることが辛かったということですか?
藤岡 子供に指摘されることは滅多になかったですが、保護者との毎日の会話や職員会議、職場での報告や連絡などにとても苦労していました。難発そのものが辛いというより、最初の言葉が出ない時、自分に何が起きているのかわからず、それが難発という現象だとは全く知りませんでした。
伊藤 なるほど。保育園のお仕事を辞めたあとは、どうされていたんですか。
藤岡 保育士をやめたあとは、オーストラリアに1年、ワーキングホリデーで遊びにいきました。オーストラリアでは毎日がエキサイティングだったので、あまり吃音のことは考えていなかった気がします。ただ、英語の壁は大きかったです。「きちんとした文法で話せないなら英語を話したくない」と思いすぎて、なかなか上達しなかったです。吃音でいう「流暢に喋れないなら喋りたくない」と同じだなと今は思います。
吃音の人は外国語を習い始めた時は、考えながらしゃべるので注意転換が起こってどもりにくいけど、母国語並みになってくるとどもり始めるとも聞きます。
オーストラリアから帰国した後はDTPの養成学校に入って、デザイン事務所にいくつか勤めました。DTPの世界に入ったきっかけは、短大の情報処理の授業で出会ったMacが、電源を入れた時に「ハロー」と言ったことです。その瞬間からMacにハマってしまいました(笑)。付属でついていたキッドピクスっていうお絵かきソフトに夢中になり、放課後はピアノも弾かずにそればっかり触っていました。その時に「いつかMacを使う仕事をしよう」と決めました。今は事務に転職して5年経ちました。
◎どもりたくてもどもれない
伊藤 なるほど。そんななかで、吃音に関して30歳で変化が起こるんですよね。
藤岡 そうです。保育士を始めて1年くらいたったときに、毎日の保護者との会話や、職員会議や発表会など話すことが多くて、完全に行き詰まった感じでした。もともと伊藤伸二さんの新聞記事を小学校の頃から持っていたんですが、保育士で行き詰まった時に、新聞記事を握りしめて大阪吃音教室(以下「吃音教室」)の扉を叩きました。吃音教室はその頃からすでに「吃音は治らない。治すことにエネルギーを注ぐより、どもりながら自分らしく豊かに生きていきましょう」というスタイルでした。コミュニケーションを磨くスキルや、精神療法とか、いろいろな視点から「吃音とともに豊かに生きていく」ために勉強しています。
伊藤 そこにずっと通われているんですね。
藤岡 いえ、行き詰まって伊藤伸二さんたちのグループに行ったんですけれど、そのころの私は吃音が受け入れられなくて、他の人がどもる姿もまともに見ることができませんでした。心を閉ざして居場所を作らないようにしていました。「私とこの人たちは違う」「治らへんと言ってるけど、そんなことはない」と何の根拠もなく思っていて、3ヶ月くらいで行かなくなりました。
伊藤 ここは自分では場所ではないと思って、行かなくなったんですね。そのあと、また通われることはなかったんですか。
藤岡 8年くらいブランクがあって、30歳でまた行くようになったんです。行かなくなってすぐに、治る方法がやっぱりあるんじゃないかと思って、催眠療法に興味を持って、何か紹介してもらおうと思って精神科に行きました。その精神科の先生は催眠療法はおすすめできないという考えで、代わりに薬を処方されました。最初は抵抗しましたが、いろいろな説明を受けるうちに納得して飲みはじめたんです。精神的にもしんどかったですしね。時々、薬を飲み続けていることがこわくなり、何度か止めたりもしたんですけれど、急に止めたので余計に精神状態が悪化しました。29歳のときに「私はこの薬を死ぬまで飲み続けるのか?」と考えました。精神的に軽くならないと薬はやめられない。薬をやめるためにはしんどい部分に向き合おうと思いました。私の心に重くのしかかっているのは「吃音を頑なに隠していること」だと思いました。吃音が自分の核心部分だろうと思ったので「この核心部分の吃音に向き合わないといけない」思いました。「吃音に向き合うことは一人では到底難しいけど、あの人たちとならできそう」と思い、また吃音教室に行きました。
伊藤 2回目に吃音教室に行ったときは、はじめから吃音との付き合い方を変えたいというモチベーションがあったんですね。
藤岡 そうです。2回目に行ったときは、「この人たちは自分とは違う」などと思っていませんでした。むしろ、吃音の世界の大先輩、心強いと思っていました。別世界ですね(笑)自分のことを覚えてくれていた人が「よく来たね」と迎えてくれて、嬉しかったしホッとしました。「吃音と向き合いたい」と思って行ったから、入ってくる言葉もすべてが面白かったです。
伊藤 ブランクがある人はめずらしいんじゃないですか。
藤岡 そうでもなくて、他にもいます。一回か何度か来て来なくなる人もいますし、私のようにブランクがあって来る人もいますよ。
伊藤 通いはじめて、吃音の状態そのものも変わりましたか。
藤岡 めちゃくちゃ変わりました。まさか自分が連発するようになるとは思ってなかったです。
伊藤 抽象的な意味で、吃音との向き合い方を変えたいと思っていたのに、目に見える形で吃音の状態が変わるというのは面白いですね。
藤岡 そうですね。最初の動機は「精神的に楽になるために吃音を向き合いたい」というものでしたが、吃音教室では吃音だけでなく、生き方や自分自身にも向き合います。生き方や価値観が変化していくと、吃音との向き合い方も変化する、という具合に、すべてが循環しながら変化していったように思います。
吃音教室には私みたいに難発で一見吃音が出ない人もいたんですけど、隠したくても隠せない人ももちろんいます。不謹慎かもしれませんが、連発で話す人のことを「うらやましいな」と思いました。「私もこんなふうにどもりたいな」と思ったんです。でもそんなすぐにはなれなかったですね。
伊藤 連発していることをうらやましいと思ったんですね。どういう感じですかね。
藤岡 連発しているのは、素の状態で自然な姿だと思っていたのかもしれませんね。どうしても「難発=吃音を隠している」という意識がありました。
伊藤 なるほど。でも連発って目指せるんでしょうか。ブロックを外そうと思って努力をしたのか、それとも自然に連発になったんですか。
藤岡 両方だと思います。29歳でまた吃音教室に行きはじめて、最初の3年くらいは難発で、吃音は出ないけどどもれたらいいなと思っていました。吃音教室の中でもどもりたいけど怖くてどもれないし、連発の仕方が分からなかったですね。子供のころはしていたのに忘れちゃったんです(笑)
伊藤 さっき小さい頃の話をされたときに、連発の例として「たたたたまご」っておっしゃっていたのは、意図的に連発をしていたと思いますが、今はそうやって狙ってやるのもできるんですよね。
藤岡 どもることに抵抗があった頃、どもりを説明するために「たたたた」と言うことはできたとしても、実際の会話ではどうしてもどもれなかったです。「たたたた」と言うのと、自然に連発になっちゃうのは、自分の中ではだいぶ違っていました。今はほとんど違わないですが、そのころは、どもりたくてもどもれないというもどかしさがありました。
伊藤 劇的にできるようになったんですか。
藤岡 3年くらいはどもりたいけどどもれないという状態がつづきました。33歳のとき、NHKの「きらっといきる」に出たことがあります。スタジオに行って話をしたんですが、あのころの私は、自分では最初よりはどもるようになったなと思っていて、収録でも吃ったなと思っていたんですが、あとから放送を見たら綺麗にしゃべっていました。「あ、私、今言い換えした」というのに気づいて、まだまだだなと思いました(笑)。
どもる人が番組を見た感想に「どもる人が出演すると思って見たのにこの人たち全然吃っていない」というのがあったらしいんです。それを知った時に「ああ、しまったな」と思いました。もう少しどもれたらいいなと思いましたね(笑)
伊藤 吃音が苦しいという壁は、どもりたいっていう壁だったんですね。
◎どもれるようになったきっかけ
藤岡 私がどもるようになったきっかけは3つほどあります。ひとつは、「どもります」宣言をしたことです。大阪の吃音教室の30人くらいのグループの中で少しずつどもりが表に出るようになりました。「ここでは吃っても大丈夫なんだ」と思えてきたんですね。私は親にも友達にも大事な人にも吃音のことを隠していましたが、吃音教室に通っている人の中には家族に打ち明けた人がいたり、もともと自分の吃音のことを話している人もいました。そういう話を聞くうちに「私も、せめて大切な人の前ではどもりたい」と思ったんです。だけど、昨日まで吃ってなかったのにいきなりどもれない。そこで私はひとりずつ「大事な話しがある」って呼び出して(笑)、話しました。相手は「何言われるんやろ」とびくびくしてたと思いますし(笑)、私も「今まで隠しててんけど、実は私、どもりやねん」と言ったら、すごくびっくりされるんじゃないかと緊張しました。意外なことに、実際の反応は「え、そうなん?」って感じで、拍子抜けしました(笑)。友達15人くらいに、ひとりずつとか、何人かグループで伝えたんですが、二人だけ「知っとったよ」っていう友達がいて、それもすごくびっくりしました。ひとりは、幼なじみで、小さいころにお母さんに「千恵ちゃんは吃音があるけどあんたは最後まで話を聞いてあげてよ」って言われてたという友達です。もう一人は中学校からの友達で、「知ってたよ、それが千恵の話し方だと思ってたよ」と言ってくれて、私はそのときに完璧に隠してたと思ってたのが一人芝居だったんやなと気づきました(笑)。それはすごく嬉しかったですね。「私が吃音って知ってたのに、変わらずに親友でいてくれだんだ」と。もともとお父さんから言い直しをさせられていたことが出発なので、自分が思っていたほど大した問題じゃないっていうことが分かったことが大きかったです。そうは言ってもすぐにはどもれなかったですけどね。
伊藤 ご家族にも話したんですか。
藤岡 話しました。弟と父と母がいるんですが、母は、私が2回目に吃音教室に行った頃に急病で亡くなって、伝えられませんでした。弟は、昔は私の吃音のマネとかしてたんですけど、話したら、「千恵に吃音があるなんて知らへんかった」という反応でした。父は、自分がどもりなので、いろいろありました。私が子供のころは、父も連発をしていたので「お父さんも吃音なんや」と思っていたんですが、そのうち父は一見すると分かりにくい難発の吃音になってたんです。だから「お父ちゃんはゆっくり話すようになって、治ったで」と言われました。
伊藤 藤岡さん自身の「どもる宣言」に対しては、お父さんはどういう反応だったんですか。
藤岡 「いやいや、吃音は治るねんで」という反応でした。でも、「お父さん自身、今も立派などもりやん」っていう感じなんですけど(笑)。
伊藤 なるほど(笑)。それにしても、藤岡さんは自分がどもろうとしていることに対して、すごく丁寧にプロセスを踏まれたんですね。
藤岡 吃音の人でも「そこまで一生懸命にしなくていいのに」という人もいましたけどね。
連発をしはじめたきっかけの2つめは結婚です。私は30歳すぎのときに吃音のグループで出会った方と結婚しました。彼は吃音ではないのですが、教育関連の仕事で吃音の子供と関わる機会がある人でした。結婚してすぐに彼のいる東京で暮らしはじめました。東京に行く直前にNHK「きらっといきる」の収録があって「まだまだやな」と思ってたけど(笑)、別居のために東京から帰って来た時にはけっこう吃っていたんです。
私は「吃音があると、結婚はハードルが高いんじゃないか」と思っていたんです。遺伝のこととかを考えてしまって、向こうの親に受け入れられないんじゃないかって。でも、そうじゃなかったということが分かって、本当にこの自分でもまるごと受け入れてもらえるんだということが分かったことが大きかったと思います。
伊藤 受け入れられる経験が重なって連発できるようになったということですね。
藤岡 そうですね。3つめは、吃音のグループの中で、「どもり方が素敵だね」とよく言われていて、それが嬉しくて、どんどんエスカレートしていった感じですね(笑)。5年前から吃音の子供のキャンプにも行っていて、キャンプの初日に大人がお芝居の見本を演じるんです。事前に一泊二日で合宿をして練習をします。そのお芝居の見本で、セリフを言うときにすごく吃ってしまって。そのことを伊藤伸二さんに話したときに、「もちろんわざとどもるのはいけないけど、もしも見本で上演する大人が全員吃らずに演じてしまったら、子供たちがきついよね。そんな中に藤岡さんみたいにどもる人がいたら、それは勇気になるよ」と言ってくれて、自分がこのままでどもることの意味や役割を感じはじめたんですね。
◎体を動かしながらだと言える
伊藤 連発も人によってタイプがあると思いますが、藤岡さんの連発の特徴はどのようなところですか。
藤岡 そうですね、吃音教室に30人くらいいますが、一人一人違っていますね。最近では、吃音教室に久しぶりに来た男の子が、わざと咳をしてから第一声を言っていたのを見て「ああ、本当にみんなどもり方が違うんだな」と思いました(笑)。あと、随伴の動きも早い人やゆっくりの人がいます。
伊藤 藤岡さんもわりと手を使いますよね。まげた腕を前に伸ばす差し出すような動きや、手で水平に四角を作るような動きが多いですね。これはいつ頃からですか。
藤岡 いつからは分からないですが、勢いをつけたら最初の言葉が出やすいといのは体得してたんでしょうね。
伊藤 手だけでなく、船をこぐように上半身を前後にゆったり動かしてもいますね。
藤岡 歩きながらや、電話をしていてもすごく動きがでますね。
伊藤 歩いていても手が動くんですね。
藤岡 両手を縛られたら喋りにくいと思います(笑)。いまでも職場で、「お先に失礼します」というのが、止まったまま言えないんです。動かなくていいのに、席を立ってその場でくるっと円を描くように歩きながら言います。
伊藤 歩きながらだと言いやすいというのは面白いですね。
藤岡 歩かないと言えないです。それをしないと「おおおお」となっちゃう。職場では今ではふつうに連発してるんですけど、そういうシーンで吃って注目されるのも、時間が止まるし、「お先に」じゃなくなりますよね(笑)。
伊藤 たしかにそれはさりげなく言いたいですね(笑)。去ろうとしてるのに、どもるとこっちから相手を引き止める感じになっちゃいますよね。
随伴運動とはちょっと違いますが、わたしは学生に「授業中に何かを触ってますね」と指摘されたことがあります。教卓や机にちょっと手を触れて、体重をあずけとくと、緊張がほぐれたり、話しやすかったりするようです。
藤岡 私の場合は、何かがあれば安心ということはなくて、振りができればそれで大丈夫という感じですね(笑)
伊藤 あと、藤岡さんは、気持ちよく連発しているときは笑顔ですよね(笑)。緊張してないんだなというのが分かります。どもりながら笑顔でいられる人というのは多くないイメージがあるので、とても個性的・魅力的に見えます。吃っているときは、表情が消えたり、苦しそうな人が多いですよね。緊張していたら笑えないですよね。
藤岡 仲間から「どもり方がいい」と言われるのを聞いて、どんどん調子に乗ってきたのもありますね(笑)。仲間のあいだでも「どもる人が辛そうだと聞いている人もどうしたらいいか分からないけど、明るく吃っていれば聞いている人も楽だよね」ということはよく話していますね。
伊藤 どもる人の見た目は重要ですよね。映像なしで吃っている声だけを聴くと、とても聴きやすいし、むしろ音楽的な面白さを感じます。ゲラシム・ルカというシュルレアリスムの詩人がどもりを詩にしていますが、音だけだと笑えるのに、映像がつくとそんな簡単には笑えなくなってくるんです。人って話を聞くときに、話す内容だけでなく相手の体から多くの情報を受け取っているんだなということを感じます。藤岡さんの「笑顔+吃音」というのは新しいジャンルだと思います(笑)
◎「難発」「つまる連発」「すべる連発」
伊藤 連発と難発ってどういう違いですかね。
藤岡 私が難発の仕組みが分かったことがありました。吃音教室の講座で「どもって声が出ないときの対処法」というのがあって、どうすれば最初の一音が出やすいかというを話すんです。そこで一番最後に伊藤伸二さんが言ったのは、「究極の対処法はどもることだ」って言ったんです。どうして最初の一音が出ないかというと、どもりたくないから声を出さないので出ない、だからどもればいい、ということです。それを聞いたときに、難発がどういうものかが分かりました。いまは平均すると70−80%が連発、20%が難発ぐらいの割合で、吃音教室や家族の前のときは90パーセントくらいの連発であまりブロックしてない状態です。一番難発の度合いが高いのは職場の電話です。何が嫌かって、電話で話している相手にどう思われるかではなくて、聞いているみんなの感じが嫌なんです。聞いている人がそこまで気にしていないことも分わかるんですけど、静かなフロアの中でしゃべっていると、「かわいそう」と思われているんじゃないかという思いを払拭できないんですよね。
伊藤 難発のブロックというのは、精神的なものでもあるけれど、身体的に声帯のあたりが緊張しているというのもありますよね。連発になるときは、それもないわけですよね。
藤岡 難発のときには、息もストップしちゃって出ないけれど、連発のときは息が出ていますね、苦しいは苦しいですけど。
伊藤 吃音の当事者でない人は、なかなかその感覚が分かりにくいと思うのですが、どんなふうに説明されますか。
藤岡 何ですかね…。
伊藤 寝不足で眉毛が痙攣するような感じに近いですか?
藤岡 痙攣でピクピクするのとは…ちょっと違う気がします。
連発でも楽な連発と、しんどい連発があるんだと思います。楽な連発は、「たたたた」と本当に軽い感じです。
伊藤 確かにお話されているのを聞いていると、連発の最後にキックが入るときと、そのまますべっていくときがありますね。「たたたたたたっまご」と「っ」が入るときと、そのまま「たたたたたまご」となるときと。
藤岡 文字にすると、すべるときは「タタタタタ」で、つまっているときは「タッタッタッタッ」て「ッ」が入る感じですね。難発は「ッッッッッッ」って「ッ」しかない感じです。呼吸として一番楽なのは、私は「すべる連発」です。「すべる連発」の時、私は息を吐いていて力も抜けています。
伊藤 なるほど。難発と連発は全然別のものではなくて、「難発」→「つまる連発」→「すべる連発」というグラデーションになってるんですね。難発と連発は全然違うものだと思っていたので、中間形態があるという感覚を持っていませんでした。
藤岡 でも私は、むちゃくちゃ楽なすべる連発はできていないと思います。先月、桂文福さんが吃音教室に来られたんですが、あの方も、あの場では気持ちのいいどもり方をされていて「いいなあ」と思いました(笑)。
伊藤 文福さんは確かに全体的に早口で、すべっていく感じですね。
藤岡 いまでは初めて会う人に「昔はどもってなかったけど、今はどもるんだよ」という話をすると、そうすると「昔のようにコントロールしたほうがしゃべりやすいんじゃない?」と言われるんです。それも納得ですが、今の私にとっては、言い換えないでそのままどもるほうが、頭の中というか思考が軽いんですよね。昔は無意識に近いレベルで一個一個どもらないフレーズを探しながらしゃべっていたから、「そこのコップとって」と言おうとして「そこのグラスとって」と言い換えたり「取って、そこのコップ」と順番を変えたりしていました。これはどもる人なら普通にやっていることですが、「人前でどもってはいけない」と思っていた頃の私は、言葉を発する前に常に言い換えのチェック機能を張りめぐらせていました。「どもっても言い換えてもどちらでもいい」と思っている今は、どもらない言葉に変換しながら喋るより、変換しないでそのまま喋った方が楽だと思っています。
◎言い換えをどう捉えるか
伊藤 以前の言い換えをしていた頃は、口にする手前で「この単語はどもるな」というアラートが発せられていたと思うんですが、いまは難発の手前で「連発になるな」という予感がすることはないんですか。
藤岡 予感も、だいたいは分かる気がしますね。タ行とカ行がどもりやすいですね。でもたぶん、分かる/分からないも外していますね。
伊藤 人って考えながらしゃべると思うんですが、連発のときは頭の中はどうなっているんでしょうか。連発が入ると、しゃべろうと思って準備していたフレーズが、予定より遅れる感じになりますよね。その遅れたことと、どうつきあっているんでしょうか。
藤岡 「ここここここ」となってるときは、「こ」に全神経を集中していて、他のことを考える隙間がない感じですね。伊藤伸二さんは「どもる人は息を吸ってしまうので、なるべく息を吐いたほうがいい」と言いますが、「こここここ」に全神経が集中している瞬間はそういうのもぶっ飛んでいます。精神的にしんどいときは、連発している最中に「今言おうとしている『こ』は出ないかもしれないな」と諦めそうになるんですよね。「こここここ」と言いながら彷徨っていて、言おうか、諦めようか、言えないかも、とか考えてますね(笑)。言えないかも、って思うとやっぱり本当に言えない感じになっちゃうけど、「言える!」と思ったら言える気がします。「言えないかも」と思う自分を立て直せるかどうかということもその瞬間に考えていますね。
伊藤 すべる系の連発でもそういうことを考えていますか。
藤岡 そう言われると「すべる系」の連発の時はそこまで考えていないですね。自分の力が抜けているからでしょうか。
阪大での当事者研究発表会で発表しているときは、連発も楽しくて気持ちよかったんですよね(笑)。しゃべりながら派手にどもる自分にも笑ってしまう。どもりという現象、「どもり」と言いたいのに「どどどどどどどど」と、すごく時間がかかる現象が面白いという感じでした。7分の発表時間だったんですが、作った原稿が10分以上のボリュームで、圧縮しきれずオーバーしたまま会場に入りました。「どどどどどど」となると時間がかかるので、そこに時間をかけてしまって発表の時間がなくなるより、「どもり」を「吃音」と言い換えたりしようかとも思いましたが、「どもり」と表現したいところはそのまま表現したいと思ったので、あえて言い換えしませんでした。どもる私がそのままで発表するということにも意味があると思ったので、言い換えてすんなり進んでしまうと、その場で表現したい自分とは違うだろうとも思いました。原稿に時間の目安も書いていたんですが、予想を超えて(いつも通り!?)派手に連発しまくったことで、時間が全然足りなくなりました。手元のiPhoneのストップウォッチがものすごい速さで時間をカウントしていくのを見て「時間が足りない!」と思ったけど、不思議と「どもれるうれしさ」のようなものも感じていました。3歳からどもりはじめ、小学校から悩みはじめたこと、悩んでしんどかった時期のことも原稿に書きましたが、原稿のまとめを書いている時に「吃音、いてくれてありがとう」という気持ちがわいてきたんです。悩んでいた頃は人前で発表するなんて考えられなかったし、ましてや派手にどもるなんてありえなかった。そんな自分が、今、この舞台で気持ちよくどもって、自分の伝えたいことを話している。そのことを思うと幸せな気持ちがこみあげてきました。
伊藤 吃音をいいものだと思えたときに、話しながら自分の状況自体を俯瞰して見れている感じになるのが面白いですね。
藤岡 そうですね。たしかに楽しいときは俯瞰してるけど、「ここここ」にあまりにも集中しているときは俯瞰できてないですね。この集中は「連発しないように」ではなくて、「こ」を出すことに集中している感じです。連発は「こここ」となって最後まで言えるか言えないかの途中なので、言い切ってしまおうか、挑戦してる感じですね。
言い換えについても、ひとりで悩んでいるときは、劣等感が強すぎて、言い換えてしまったこと自体を責める感じがありました。今は、サバイバルというか、会話を前に進めてるための手段というふうに前向きにとらえています。だから同じ現象でも意味合いが違っています。目の前の相手のためにも言い換えようと思うようになったんです。わたしが「ここここ」と言ってるあいだ、相手は待ってくれていて、それだけ時間を使っているんですが、ここはさっと言い換えたほうがいいなというときは、言い換えたりもします。選択肢はいっぱいあるんだなという感じですね。
伊藤 なるほど。挑戦している感じというのは面白いし、私も少し分かります。ただ私の場合は「挑戦」というより「賭け」みたいな感じですね。「今日は言えるかな?言えないかな?」と占ってる感じがです。私は難発の中でそれをやっています。子供のころは俯瞰する余裕はなかったですが、今は結果として出ることが多いので、俯瞰できてるんでしょうね。
藤岡 伊藤さんはどんな吃音の遍歴があるんですか?
伊藤 私は遍歴というほどのものはないですよ(笑)。子供のころは連発で、そのあと難発になって言い換えをしていましたが、今は単語単位の言い換えはあまりしてないですね。言いたいことがあって、それについて語るルートを変えるような感じ、内容単位で変える感じです。だれしも文章を読むように整然と話しているわけではないので、こういう風に言ってブロックされたら別の言い方をしてみる、というようなトライアンドエラーそのものは、会話としては自然なので。特に教師のような仕事だと、大人数を相手に話すので、いろいろな言い方をしたほうが相手にとっても分かりやすいという効果もありますしね。
藤岡 柔軟な感じですね。伊藤さんはしゃべることへの苦手意識はあるんですか。
伊藤 ありますね。ただ性格的にあまり真面目じゃないからか、吃音にちゃんと向き合ってこなかったですね。言い換えることに対してもネガティブに評価したことはなくて、「そんなもんでしょ」と思っていました。ただいつも、言おうと思ったことに対して実際に口から出る言葉がずれてく感じはあって、でもそれも「そんなふうにも考えられるなあ」という発見のきっかけみたいにとらえてますね。自分が研究者だからかもしれませんが、言葉そのものよりも考えの内容の方が重要なので、「考えたことないことを考えたい」という欲求がとても強いです。だから、言い換えする癖がそのまま自分の思考回路みたいになっているのかもしれません。言い換えをすることで、思ったことと違うことが考えられているというか。吃音を利用して考えてるのかもしれませんね。
藤岡 内容が大事だから、表面的な言葉は関係ないということですね。まじめすぎると、見られ方やスタイルに意識が行ってしまって、悩みに入っていくというのがあるんでしょうね。
伊藤 言い換えをすることをどう捉えるか、人によってかなり別れるように思います。どこに分岐点があるんでしょうか。
藤岡 吃音教室で、もともとウェンデル・ジョンソンが開発した言語関係図というのをよく使います(参考)。X軸が吃音の状態、Y軸が聞いている人の反応、Z軸が吃音に対する評価です。私の最初の状態はX軸の吃音の状態がゼロに近くて、Y軸の聞いている人の反応もゼロに近かったんですが、Z軸の評価がすごく大きかったんです。だからお箸箱のような立方体ができます。今は、X軸の症状が9に近くなり、Y軸の反応とZ軸の評価がゼロになりました。この箱の形で、その人の悩み方の質が分かります。まわりから見ると吃音が重くなったように見えるけど、心理的には今はとても楽です。私は評価が変わったことで、吃音が重くなりましたが、評価が変わっても見た目の吃音が変わらない人もいます。
伊藤 藤岡さんは変化がわかりやすいですが、そうでない人もいるんですね。
藤岡 あと、言い換えをしていたときは、常にチェック機能が働いていて、セリフを読むように話していたので、「方言でないね」と言われてショックでした。「関西人なのに関西人ぽくない」と言われてるみたいで。
伊藤 なるほど。今、この場で話してるときは会話の中に標準語と関西弁が混じりますね。「方言でないね」のように誰かの発言を引用するときには関西弁が強く出て、そしてどもっていないような印象があります。二つのモードを混ぜて話すというのは、吃音と関係があるのかもしれません。私も、関西弁ではないですが、誰かの発言を引用するような喋り方をすると、話しやすくなります。間接話法じゃなくて直接話法というか。モードが一つだと辛いんですが、複数になると余裕ができて楽になります。
藤岡 それは思ったことがなかったですね。いつも同じモードで話していると思っていました。でも標準語のときは緊張していますね。東京で暮らしていたとき、新幹線で関西に帰ってくると、緊張が溶けて自分がふにゃっとする感じがありました(笑)
伊藤 なるほど。今日は聞き手にあわせて標準語で話していただいていたわけですよね。藤岡さん、長時間にわたっておつきあいいただき、ありがとうございました。
(2016年11月26日@神戸ANAクラウンプラザホテルにて)