パラリンピック金メダリストの「よっしー」こと葭原滋男さんにお話をうかがいました。「全身が触覚」という運動と連動した触知のあり方は、見えない人ならではのもの。暖かくなったらぜひサーフィンの様子を見学したいです。
葭原滋男:1962年生まれ。パラリンピックの陸上競技及び自転車競技のメダリスト。陸上競技は走り高跳びで1996年アトランタ大会で銅メダル。自転車競技は2000年のシドニー大会で1kmタイムトライアルに出場し、1分4秒950の世界新記録(当時)をマークして金メダル。これまでに4回のパラリンピックに出場。
(2015年2月3日 伊藤研究室にて)
○抜群の運動神経
伊藤 葭原さんはいろいろな種類のスポーツをされていて、パラリンピックでもすばらしい成果を残されています。今日は、いろいろなスポーツの魅力をうかがいながら、それを通して、葭原さんがどんなふうに身体や感覚を使っているのか、教えてください。よろしくお願いします。
まず、見えなくなった時期はいつですか。
葭原 10歳で病気が分かったんですが、生活自体はまったく支障がありませんでした。その後22歳のときに障害者の認定を受けました。
伊藤 10歳から22歳までのあいだは、普通に見えていたわけですね。
葭原 そうです。ふつうに学校に行っていました。暗いと見えない「夜盲」の症状はありましたが、それ以外はほとんど支障がなかったです。
伊藤 今の見え方は、どうですか。
葭原 認定を受けた後も進行は自覚症状のないほどゆっくり進行して、気がついたらこんなに見えなくなっていたって感じで、現在は光が見えて、前にいる人の輪郭がやっと見えるくらいです。
伊藤 22歳までのあいだに、かなりスポーツをやられていたということですね。
葭原 やっていました。運動神経が抜群によかったと思います。
伊藤 いちばん最初にやったスポーツは何ですか?
葭原 スキーです。東京生まれ埼玉育ちですが、父親がスキー好きで、3歳くらいから毎年のようにどこかに連れて行ってくれてすべっていました。
伊藤 すごいですね。小学校ではどんなスポーツをやられていたんですか?
葭原 最初は野球をやっていて、高学年になってからはサッカーですね。中学高校もサッカーです。
伊藤 そのころの運動神経のよさというのは、どんなタイプのよさだったんでしょうか。たとえば瞬発力があったのか、バランス感覚がよかった等といったことでいうと…
葭原 持久走大会でも1位2位を争っていたし、短い距離でも学校選抜に選ばれたり、何をやってもある程度の結果が出るという感じでしたね。
伊藤 それは体を動かすのが楽しくて仕方ないですね。
葭原 そうですね。日が出てから沈むまで、一日中外で遊んでいるような子供でしたね。少年時代は背も小さくガリガリで、身長は伸びましたが走高跳をやっていた頃までさほど体型の変化による動きにくさも感じなくやってきました。
○走高跳び
伊藤 10歳で病気が分かってから、将来見えにくくなることに備えて何かしていましたか。
葭原 特にしていません。22歳から3年間、所沢の国立身体障害者リハビリテーションセンター(現在、国立障害者リハビリテーションセンター)で理療(鍼灸)の勉強をしたのですが、そのときに初めて障害者スポーツと関わりました。そのときにやったのが陸上の走高跳びです。障害者の国体と言われている「全国障害者スポーツ大会」がたまたま沖縄であるというので、沖縄に行きたくて、やり始めました(笑)。
伊藤 (笑)見えない方で走高跳びはかなり難しいのではないかと思いますが、全盲の方でもできますか?
葭原 できます。助走を完璧に覚えるトレーニングをするんです。全盲の人だと助走が短くて、多くても5歩くらいかな。たいていの人は2、3歩です。自分の場合はある程度見えていたし、近づけばバーも見えていたので、10〜12歩くらい助走をしていました。
伊藤 助走が重要なんですね。
葭原 助走で踏むべきところの地面に2、3歩ごとにテープを貼っておきます。それを踏む練習をひたすらするんです。体に覚えこませて、それで跳ぶんです。
伊藤 そうなると「バーを跳ぶ」というのとは、またちがったニュアンスが出てきますね。
葭原 体にフォームを作りあげる、そればっかりやっていました。
伊藤 ある意味で振り付けに近い、ダンスのような感じですね。
葭原 近いですね。筋肉に動きを覚えこませる感じです。大会のプレッシャーなどでずれてきますが、覚えこませることはできます。
伊藤 そうなると、体感としても、見えているそのバーを跳ぶ、というのとはだいぶ違うスポーツになりますね。
葭原 健常者の走高跳びの結果は6割が助走で決まると言われます。ところが視覚障害者の場合は8〜9割が助走になるんじゃないかな。跳び上がってからは、見えている人はバーを見ながら跳び越えていくわけですが、見えないとバーはイメージだけ。「いま跳び越えているはず」と思って跳んでいます。
伊藤 なるほど。跳び越えたその瞬間を感じるわけではないんですね。
葭原 そうしたイメージの作り方は上手くなっている気がします。
伊藤 その頭の中のイメージというのは、どういうものなんでしょうか。いわゆる「イメージトレーニング」とも違うのでしょうか。
葭原 たぶん一緒だと思います。ぼくらも頭の中では映像でイメージを作っているんですよ。
伊藤 そのイメージは、視点はどこにあるんでしょうか。自分の体全体を「引き」で見ているような感じなのか、それとも主観ショットというか、自分の目の位置から見たイメージなんでしょうか。
葭原 両方ありますね。遠くから俯瞰しているのもあるし、集中してズームアップしているのもあります。その場面場面で必要と考えるイメージ、例えば、助走前はテレビでも見ているかのように俯瞰してその場を眺め、そこに自分がいる。助走中は踏むべきテープを踏んでいる足元、跳びあがってからは見えないバーを見ています。そのあたりは自由自在に自分の欲しいイメージが作り上げられる感じかな。
伊藤 でも実際の大会になると、まわりの声援や、風の感じなど、もともとつくりあげてきたイメージにはなかった要素も入ってくるわけですよね。そういった「その場の情報」と「理想のイメージ」はどういうふうに整理されているんでしょうか。つまり、見えている人だと、「見えているもの」と「頭の中で想像したもの」は、とりあえず別のものとして区別されます。ところが見えない場合には、今いるリアルな空間というのも、頭の中で作っているわけですよね。
葭原 高跳びだと、ピッチのタータン(トラックの走路)の雰囲気が会場によって違うので、とても気になりました。
その場の状況で、まず自分のイメージに良い方にプラスできるものは加えて気持ちを高めるために利用して、どうしても対応できなさそうなものは意識からはずしていました。
あとは、やはり頭の中の理想的なイメージの状態にいかにもっていくことが重要です。かなり集中していく感じです。だから、会場に左右されて緊張するということがあまりなかったかもしれない。見えないことのメリットと言えるでしょう。
伊藤 パラリンピックはどうでしたか。さすがに緊張されたのではないですか。
葭原 92年のバルセロナ大会と96年のアトランタ大会に出場しました。やはり対戦相手のすごさに驚きました。まず背がみんなぼくより頭一つ高い、正にハイジャンパーっぽいので、こりゃかなわないな、と思いましたね。自分のペースでやるしかないと思って、バルセロナのときは自己ベストを出しました。アトランタのときはそれよりも勝負意識がでてきて、メダルが狙えるなというのを感じ、パスするかどうかなど駆け引きができました(銅メダルを獲得)。
スタンドの歓声はプラスに働かせることができましたね。
伊藤 なるほど。陸上競技とはいえ対戦型ですから、駆け引きがあるわけですね。そういうときはコーチがいて、いっしょに作戦を考えるんですか?
葭原 ガイドがその場についているんですが、その人はアドバイスをしてはいけないんです。作戦はあくまで自分で考える。
伊藤 跳ぶときは自分のイメージに集中していても、勝負となるとまた別の要素が入ってくるわけですね。
高跳びをやられていたときは、都庁でのお仕事をやりながら練習をしていたんでしょうか?
葭原 ハードでしたね。陸上は個人競技なので、自分で環境を作らないといけない。北区に東京都障害者総合スポーツセンターというのがあり、そこまでの定期券を買って計画的にやっていました。4年計画でプログラムをくんでメニューを作っていましたね。
○足の使い方
伊藤 見える私の感覚では、見えなくて全力を出すということに、恐怖感を覚えてしまいます。たとえば、以前インタビューをさせていただいた難波創太さんは、途中で失明されて、リハビリセンターで最初にスポーツをすることになったときに、「じゃあアップします」と言ってみんながふつうに走り始めたことにとても驚いたと話していました。おいていかれるとまずいから必死に走ったけど、とても怖かったと。
葭原 そのあたりも慣れ、練習だと思います。いきなりやったら怖いですが、少しずつレベルアップしていくとできるようになりますよ。恐怖心をいかになくすようにするか。安全なんだ、と自分に思い込ませるんです。
伊藤 見えなくなってから、体の使い方が変わったな、ということはありましたか。
葭原 うーん…視野が狭いので、とにかく見ようとしていました。視野の中に目的のもの、たとえばバーをいかにうまく入れるか。見ながら跳ぶ、という工夫をしていました。
やはり、見えていたときの感覚に近づけようという意識が、今でも強いですね。見えないときの体の使い方は下手ということであって、見えたときが基準になって、それに合わせている感じです。
伊藤 やはり全盲ではない、というのが大きいんですかね。
葭原 そうだと思います。体の中に経験があるので、それに近づけようとしています。
伊藤 がんばって見ようとしても、注意が足りなくて転んでしまったりした、なんてことが最初はあったのではないですか。
葭原 いや、転ぶっていう経験がそもそもないんですよ(笑)
伊藤 さすがの運動神経ですね。バランスがくずれてもリカバーしちゃうんですね。
葭原 そこは自分の特徴かもしれないですが、重心をすっと変えられる技を持っていて、ほとんど転ばない。ぶつかって痛い、というのはありますが、過度に慎重になったりすることはありませんでした。
伊藤 見えなくなった当初は「どうやって見るか」ということに意識を向けていたとのことですが、それが変わってきた、ということはありましたか。
葭原 難しいね…見えなくなってきて、重心の位置は変わってきているのかなと思いますね。若干後ろになった気がします。たぶん、足先で何かを触って、触った瞬間にうまく重心を動かすような使い方になった気がします。やばいっと思ったらすぐ動くんです。
それと、やはり視覚障害の動きの特徴としてスローな動作、力強さのない動きのイメージがあるんじゃないでしょうか。それは、何かを確実、安全に行うためには、スピードを落として確認する必要がある。ある程度まで適当にやって、スピードを落として確認、確認できたら再びスピードアップ。スピードだけでなく力の入れ方も同様。見えないとどうしても、このスローな時間帯が多くなってしまう。練習、慣れによって、いかにこの時間を少なく、短くするかが重要なポイントになると思います。これはスポーツに限らず日常生活全般に当てはまるんじゃないかな。自宅など慣れた環境では見えているかのようにスムーズに動くとか。
もうひとつに、体全体で動くのではなく、体幹は動かさず、手や足など抹消部だけを一生懸命動かし、力を込めている感じがあります。重心移動してない感じ。動作が小さくなってしまう。
自分では、そうならないように、気を付けています。
伊藤 へえ、面白いですね。見えていると、そもそも足先で何かを感じることがないですね。足は純粋に運動器官だと思っている。葭原さんの場合は、足の裏の前の方と後ろの方で、使い方が違うわけですね。
葭原 前後というより足裏全体が触覚となり、そこで感じ取った変化に体が反応するって感じ。
伊藤 建物の中にいても、床の素材を感じたりしますか。
葭原 感じますね。あとはコードとか何かを踵で踏んだ瞬間につま先を挙げるとか、階段でつま先だけステップに掛って踵の方にはステップがないとわかった瞬間に重心移動するとか。
見えていたときは感じなかったことですね。足裏は敏感になっているかもしれません。足裏というか体全体が触覚器官になっているのかな。何かあったときにぱっと反応できるようにしている。
伊藤 それは人間ならではですね。二本足で立っているからこそ、常にバランスを気にする必要がでてきますね。
○自転車
伊藤 高跳びの後は何をやられたんですか。
葭原 自転車です。98年に自転車の実業団のクラブチームの監督にお会いする機会がありました。そこで「自転車をやれば金メダルを取らしてあげるよ」と言われて、始めました(笑)。年齢も36歳で陸上については引退を考えていたタイミングでした。そして2年後にはシドニーのパラリンピックがある。あと2年がんばろうと思って、すぐお願いしました(笑)。
伊藤 それで実際に金メダル取ってしまうのがすごいです。
二人で乗る、タンデムの自転車ですよね。
葭原 二人のうち前に健常者が乗って、うしろに視覚障害者が乗ります。ハンドル操作をするのは前の人で、後ろのハンドルは固定されています。ギアもブレーキもすべてお任せ。
伊藤 ひたすら脚力で勝負する感じなんですね。自転車競技の面白さはどのようなところにありますか?
葭原 やはりスピード感ですね。風でも感じるし、競輪場で走るので、コーナーではG(重力)がかかります。
伊藤 自転車でGがかかるんですね!すごい。
葭原 壁にめり込んでいくような感じですよ(笑)。二人でこぐと、時速7−80キロでます。
伊藤 またさきほどの話になりますが、自分でハンドルを触れないというのは、恐怖心につながりそうです。
葭原 最初は確かにあります。慣れてくると大丈夫です。
伊藤 逆に、自分で操作できないことが楽しさにつながったりもしますか?
葭原 うーん、どうだろうな。ぼくは自分で操作できた方がおもしろいだろうなと思いますね。
伊藤 子供のころは自転車に乗られていたわけですね。
葭原 そうです。操作する感覚は知っているので、やってみたいという気持ちはありました。で、実際に遊びでトライしたことはあるのですが、タンデム自転車に慣れてしまったらハンドル操作を忘れてしまっていました(笑)。
伊藤 視覚障害者の場合は、短距離走でも、見える人と体をくっつけて走りますね。何にせよスポーツをするときに、自分以外の人といっしょにやる、という機会が多いのではないかと思いますが、そのあたりを、スポーツする楽しさとどう結びつけていらっしゃるのか気になりました。
葭原 楽しく練習したい、というのが第一ですね。競技性が高まっていくと、考え方がぶつかってしまうこともあります。練習をするにも、自分がさぼると相手に迷惑がかかりますしね。こいでいても、一回力を抜いただけでばれちゃう(笑)。言葉ではない、感覚のコミュニケーションは、難しい、楽しみたいですね。
伊藤 でも、独特の一体感はありそうですね。
葭原 二人乗りで乗っていると、重心は二つになりますが、一つにすることを意識しながら後ろで乗っていました。前の人の重心にうまく乗せていくんです。たとえばコーナーだと、前後の差ができてしまう。それを、前のめりになって、前の人の曲がる動きに合わせていくんです。そうすると、重心が一つになっているという感覚が伝わってきて面白かったです。
伊藤 面白いですね。体は二つだけど、一つにするような感じですね。そうなると、もはやただ漕いでいるだけではなくて、ハンドルはないけど重心の移動で運転するような感覚もあるわけですね。
○ブラインドサッカー
葭原 2004年のアテネに自転車競技で出場しましたが体力の限界を感じました。その後はブラインドサッカーをやっています。2001年にブラインドサッカーが日本に入ってきたんです。2002年に体験会があり、それに参加したらハマってしまいました。サッカーは小学校のころからやっていましたから、学生時代の青春がよみがえった、という感じでしたよ。またサッカーができるんだ、という喜びです。
伊藤 見えていたときと同じような感じで、楽しめたわけですね。
葭原 気持ちとしては同じでしたね。
伊藤 体の使い方はどうですか。
葭原 ぶつかるとあぶないので常に手を前に出していますね。あとは、トラップが難しい。見えているときと違って音をたよりにするので、ぐっと重心を下げて聞くようになりました。
伊藤 まわりのコーラーの声が入ったり、ここでも自分以外の人といっしょに動く場面が多いですね。
葭原 そうですね。ボールの音に集中することは勿論重要なのですが、コーラーら周囲の声や音にも意識を払わないといけない。広い視野でのプレーが求められます。
それと、ブラインドサッカーをやって、後ろの動きがよくわかるようになりました。見ながらサッカーをやっていたときは、見えているところだけに意識を向けていましたが、いまは360度、ある意味では全部見えている。だから、ヒールパス、後ろにパスすることが増えました。
伊藤 なるほど。面白いですね。見えないと前も後ろもないというか、同じようにわかるわけですね。自分を俯瞰しているような感じですね。戦略もだいぶ変わりますね。
葭原 面白くなりますよ。健常者のサッカーにも取り入れたらいいんじゃないかと思います。
伊藤 そうですね。この前、葭原さんのブラインドサッカーのチームである「乃木坂ナイツ」の練習を見学させていただいたときに、キーパーの方が、「見えない人はボールがどっちに飛んでくるかわからないからとても難しい」とおっしゃっていました。
葭原 健常者のサッカーだと、自分が蹴りたいところにボールを出して、それで飛びついてシュートをするわけですね。ところがブラインドサッカーの場合はドリブルの仕方が違って、ずっと触っている蹴り方なので、突然ボールが飛んでくるような感じになるのだと思います。いつ蹴るかわからない。
伊藤 ドリブルの仕方が違うというのは印象的でした。
葭原 常にボールに触っています。メッシに近いんだと思います。
伊藤 そっか、メッシレベルになると、むしろブラインドサッカーになっているわけですね(笑)。
葭原 なっているんだと思います。ボールはほとんど見ていないかもしれない。
まあ、私は実際にメッシのプレーを見たことないので想像ですけどね(笑)
伊藤 ブラインドサッカーってある意味では最初からものすごくハイレベルから始まるサッカーなわけですね。
葭原 ブラインドサッカーは音のするボールを使いますが、僕らは本当は音のしないボールを使っても同じようにプレーできるんです。トラップは音がないとできないけれど、ドリブルやシュートはふつうにできています。あ、これがメッシなんだなと思いながらやってます(笑)。
伊藤 (笑)。これまでのスポーツ経験からすると、見えなくなってからボールを使うのは初めてですね。高跳びのように、前もってイメージを決めて動くのとはだいぶ違いますね。
ブラインドサッカーをやる人は増えていますか。
葭原 あまり増えていないと思います。ひとつの原因は、盲学校の授業では危険ということであまり教えていないことです。盲学校でやるスポーツといえば、ゴールボール、水泳、陸上など対人プレーのないスポーツ。ブラインドサッカーは選手がピッチ内を自由に走り回り、それでいて対人プレーがあるという視覚障害者スポーツとしては画期的なスポーツと言えます。
視覚障害者のスポーツのジャンルを広げたいですね。自分ができることはみんなもできるんだ、とひっぱっていきたいですね。盲学校もそうですが、ネット上なども情報が少ないので、出会う機会が少ない。大きな夢としては、視覚障害者のスポーツの窓口になるようなものを作りたいなと思っています。オーストラリアや香港には、視覚障害者スポーツ協会のようなものがあります。
○教えること
伊藤 人に教える経験はどうですか。実践がうまい人は、できてしまうから教えるのに苦労する、なんて言われますが…。教えた経験はサッカーが一番多いのでしょうか。
葭原 そうですね。ブラインドサッカーをやるまでは専ら競技者でしたが、最近は選手と指導者と半々。指導ってじれったくなることはありますね(笑)。そうなっちゃいけないんですが。
教えるときは、自分がプレーして、それを触ってもらう、という仕方で教えます。あるいは、その人の足を持って、こう動かすんだ、と教える。でもぼくが一番重視しているのは音です。音で、どういう蹴り方をしたのかがわかります。蹴り方だけでなく、体の動かし方もわかりますね。まさに「見えている」感じです。
伊藤「乃木坂ナイツ」のチームを作られたのはいつですか。
葭原 2005年に乃木坂にある都立青山公園で練習を始めて、2011年にチームを設立しました。最初はメンバーは3人で、都心で働いている人がみんなで練習しようという感じでした。他のチームが立ち上げると聞いて、このタイミングで立ち上げないとチャンスはないと思い切りました。
いまでは一年に、大きい大会が2回、リーグ戦が5試合ほど、その他に練習試合があるので、毎月1回くらいは試合があります。
うちのチームは健常者がたくさんいますので、障害者のスポーツを障害者に限定するのではなく、健常者もやる、という形になるのがいいですね。東工大にもブラインドサッカー部ができたら、ぜひ監督として行きたいところですが(笑)
それに、面白いのは、ブラインドサッカーの特性から視覚障碍者の方が主役となりやすいし、中核に存在しがちになり、そこに健常者が指導してもらいブラインドの選手目指して頑張るという、言ってみれば、一般社会の逆転現象が起こっています。それが障碍者に対する差別意識をなくすことにうまく機能しているように思います。たまに、この現象に馴染めない人もいるところが面白いですね。
伊藤 乃木坂ナイツのメンバーは、みなさんとても仲がいいですよね。大学の講義にもぜひあの雰囲気が欲しいです。
障害ってその場の触媒になりますよね。障害のある人がひとりいるだけで、その場のコミュニケーションが全く変わることがありますね。
葭原 仲良くなってくるとそういう広がりがありますね。でもいまの日本社会ってその前段階ができていなくて、視覚障害者を見るとどうしていいかわからない、あるいは見なかったことにしよう、という意識が強いですね。そのあたりが変えられたらいいなと思いますね。そのためにはぼくらがいろいろなところに顔を出していくのがいいんでしょうね。
○サーフィン
伊藤 サーフィンを始められたのはいつですか?
葭原 20代はずっとサーフィンをやっていました。陸上と並行して、遊びでやっていました。台風が来ると、仕事を休んでやりにいっていました(笑)。結婚して、危ないからと止めさせられましたが(笑)。4年ほど前に、鵠沼で視覚障害者を対象にサーフィンをやるスクールがあると聞いて、また始めました。去年はオーストラリアまで行き、あちらの障碍者サーフィンのイベントに参加して交流を深めてきました。
伊藤 ブラインドサーフィンでは、まずどうやって波が来たということを知るんですか。
葭原 ガイドの人が一緒に沖に入って行って、声で教えてくれるんです。「来たよ」と言われたらパドリングをして、ボードが滑り始めたらテイクオフ。今はガイドの人にレギュラー(海に向かって左にブレイクする波)かグーフィー(海に向かって右にブレイクする波)か、波のくずれる向きを教えてもらって、そのイメージの中でライディングを楽しんでいます。
伊藤 サーフィンの一番の醍醐味はどこですかね。
葭原 自然との一体感はすごくありますね。自然には人間はかなわないな、ということを感じられます。見える人も同じだと思いますが。
伊藤 やはり、波という相手に合わせていくわけですね。自転車で、前の人に重心を合わせていく、というのと似ていますね。
葭原 そうですね、似ていますね。
走高跳、タンデムサイクリング、ブラインドサッカーも、その与えられた環境を瞬時に判断して、その状況に自分を合わせていく。サーフィンはその対象が自然ということ。
伊藤 視覚を遮ると、一体感が強まりそうです。
葭原 見えていたときは、波を見て、次はどういうパフォーマンスをしようかなと考えるわけですが、いまは足の裏で感じるわけです。音も使いますが、足の裏から伝わって来る波の感触は非常に強いです。本当に一瞬なので、それを感じとれなかったら失敗してしまう。それは難しくて面白い。見えているときにはなかったものかもしれませんね。
伊藤 足の裏が敏感になった、というお話がありましたが、だとするとサーフィンはその敏感さを最大限生かすことのできるスポーツですね。
葭原 ブラインドサーフィンは相手がサーフボードの下、足元にいて、それを足裏で動きを感じ取っているって感じかな。ブラインドサッカーでボールを扱うのとはまた全然違う。
伊藤 日常生活でサーフィン的な感覚を感じることはありますか。たとえば電車に乗っているときなどはどうですか。
葭原 電車の揺れは、見えているときから、サーフィン風に感じていましたね。
揺れに合わせて膝を曲げてバランスを取ったり。道端にスロープがあると波をイメージしたり、壁があるとそれに向かってサーフボードを当てていくイメージしたり、波っぽい?ものがあれば何でもサーフィンのイメージにつなげて楽しんでいます。
伊藤 今後やってみたいスポーツはありますか?
葭原 スカイダイビングですね。
伊藤 どんどん危ない方に行きますね(笑)。
葭原 見えないけれど、風などでどう感じ取れるのか、というのが面白そうです。
伊藤 ふだんの生活の中で、高さはどんなふうに感じるんですか。いま9階でかなり高いところにいますが…
葭原 光と音ですかね…。外であれば風や空気も関わってきます。
伊藤 私は高いところはあまり得意ではなくて、スカイツリーなどは絶対にのぼりたくないのですが、見えない人でも、足がすくむような感じはあるんですか。
葭原 ありますね。たぶん、頭の中のイメージですくんじゃうんだと思います。本当は数センチの安全な高さでも、「高いから気をつけてね」と言われたらすくんでしまう。
伊藤 見える人でもそれはありそうです。そもそも高所恐怖症じたいがイメージですからね。
葭原 それと見えない人の場合は、駅のホームなどから落ちるという経験をしていることが多いので、そういう意味でも高さに対する恐怖心がありますね。
伊藤 葭原さんはホームから転落されたことはありますか。
葭原 ぼくは2回落ちたことがあります。酔っ払ってですが(笑)。自力でホームにあがりました。落ちてあがって、歩いているうちにまたすぐ落ちたんですね(笑)。二回連続してだったので、二回目にホームに戻ったときには「おまえなにやってるんだよ」と声かけられました(笑)。
伊藤 それは心配ですね(笑)。スカイダイビングがうまく飛べるといいですね。今後のご活躍も楽しみにしています。ありがとうございました。