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齋藤陽道×伊藤亜紗

写真家、齋藤陽道さんとの筆談トークを、公開で行いました(2014年12月18日、清澄白河のギャラリーSNACにて「声の居場所」)。心から楽しい対話でした。残像と「音がしみること」の関係、対象の固有のリズムに出会うこと、障害者プロレスなど、今までに考えたことのないことをたくさん考えることができました。

ちなみに筆談トークという形式じたいが、かなり没入感があるようで、お客さんが吸い込まれているのがわかりました。BGMの効果も大きかったのかも。

齋藤さんの手書きの絵とともに、内容の全文を公開いたします。冊子バージョンをご希望の方には郵送いたします。

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筆談トーク「声の居場所」@SNAC

 

齋藤 こんばんは。齋藤陽道です。31才、男性です。

 

伊藤 こんばんは。伊藤亜紗です。35才、女性です。今日は、寒いなか集まっていただきありがとうございます。

 

齋藤 ほんとうにありがとございます。

 

伊藤 まず1時間半くらい私と齋藤さんで筆談をして、そのあと30分ほど会場のみなさんからの質問コーナーを設けたいと思います。よろしくお願いします。

 私が齋藤さんとお話したいな、と思ったのは、齋藤さんが手話でひとりごとを言っていたのを目撃したからです。そのとき衝動的に、「この人とじっくり話してみたい!」と思いました。

 

齋藤 言ってました??

 

伊藤 さっきもしてましたよ(笑)。ひとりとごとというか、考えごとなのかもしれません。

 

齋藤 考えをまとめるとき、手というか…うごきながら考えますね。今も立って筆談してますし、座りながらだと、頭がかたまってどうしようもないんです。

 

伊藤 体で考える感じなんですね。

 私は筆談は座ってもできるけど、座りながらだとしゃべれないですね。口は動いてるけど考えがわいてこない。しゃべるときは立ってしゃべりたいです。

 

齋藤 同じじゃないですか?

 

伊藤 そうですね(笑)。でももっと、齋藤さんにとって、手話で、体で考えるってどういうことなのか知りたいのです。でもいきなりその話すると、かなりつっこんだ内容になってしまうので、まずは写真の話をしましょうか。

DSC_0105.JPG

 

写真の残像、しみる音

齋藤 さいきんの写真をまとめたスライドを作りました。11分くらいあります。みてください。

 

——スライド鑑賞——

 

齋藤 さいきんの写真は…何て言うのかな…こう言ってしまうのはすごく抵抗があるけれども、おんなのひと、こども、が多いです。なんでだろうな、と考えていたのですが、外見的にではなく、「そのものの内側にはらんでいる見えない何か」に関心が向かっているな、とここに来る前に寄ったカフェで気づきました。「そのものの内側にはらんでいる見えない何か」というのは、「可能性」みたいなものだと思います。よく分からないけど。

 

伊藤 内側といっても内面のことじゃなくて、人の中にある可能性のことなんですね。たしかに、その人が向かっている方向、ベクトルみたいなものが見えますね。

 ところで、ひとつのスライドから次のスライドに移行するときの残像時間がとても長いのはなぜですか?

 

齋藤 ぼくの記憶のかたちに近いからです。ぱきっとひとつひとつを区切って、ものごとを覚えていないし、見てもいない。AとBの重なり、ここを見たい。ここを知りたい。ここに生命がある。

 img868.jpg

 

伊藤 おもしろいですね。この重なりが残像なんですね。

 

齋藤 それは…ぼくの聞こえにもかかわるのかなと思う。音声をうけいれられないというガッカリ…絶望があったから。

 

伊藤 たしかに音は「しみる」とか「重なる」にかかわるものだと思う。いま会場内にBGMをかけていますが、音楽をかけることで、お客さんの体に同じ音がしみるので一体感、同じ時間を共有いている感じが生まれます。

 

齋藤 うらやましいと思う…。松尾芭蕉の「閑さや岩にしみ入る蝉の声」って本当なの?

 

伊藤 これは岩が蝉の鳴き声を聞いているということだと思う。しみる=聞くだと思います。

 

齋藤 ふーん。ぼくは一体感というのがよく分かりません。一対一でむかって、やっとその人の言葉などが少しずつわかる。その感じが写真にあらわれていると思う。

 

伊藤 聞こえないことで、時間を共有するのがむずかしいなと思うことはあります。たとえば一緒に歩いていて、きれいな鳥が目の前を横切ったときに、瞬間的に「あっ!」と言えない。この「あっ!」という感情の高まりや発見のテンションをどうやって齋藤さんに伝えようか…と思いました。

 DSC_0151.JPG

まなざしの声

齋藤 さっきGoProをつけて通りを散歩してきました。コンビニまでコーヒーを買いにいったんですが、映像を見てください。これがぼくの見方なんですが…

 

——GoPro映像鑑賞——

 

伊藤 かなり酔いますね(笑)。

 

齋藤 伊藤さんはどんなふうに歩きます?違うなあと思ったことってありました?

 

伊藤 やっぱり齋藤さんはすごくきょろきょろして、歩きながら横や後ろを見ていますね。私は横や後ろの出来事をフォローするのは耳にまかせてしまっているので、ボーと歩いています。

 

齋藤 耳すげー(笑)

 

伊藤 でも風で、後ろから自転車や車が来たりするのを感じるのでは?

 

齋藤 風は通りすぎたあとにですね。遅いですね。

 でもこれは、言い換えると、ぼくは「見る時間」が多いということで、それは写真につながっている…というかつなげようとして、今ちょっとつながってきてるなあ、と思えるようになってきたところです。つなげるために、20才のときに補聴器をつけるのをやめたんです。以来11年間は無音…というか「見る人」です。

 

伊藤 「聞こえない」ではなく「見る人になろう!」と思ったんですね。

 見る(視線)って

①    発するもの

②    キャッチするもの

の両面があるような気がしますが、齋藤さんにとって写真はどっちなんでしょうか?

 

齋藤 うーん…どっちも等しいかな…うーん。いや、キャッチすることに重きを置いていますね。

 

伊藤 さっき、齋藤さんと時間を共有するのが難しいと書いたけど、写真をとってもらったときに、シャッターをガチャンを切る瞬間は、時間を強烈に共有する感じがありました。シャッターを切ることで、時間の流れがばさっと切り取られて、断面図みたいなものが見える感じがありました。何がキャッチされたのかな。

 

齋藤 ほー。何だろう。

 さいきん多用している言葉で、「まなざしの声」という言葉があります。いまちょうどスライドで出ているシャボン玉の写真も、シャボン玉は人ではないんだけど、「まなざしの声」を感じてる。この声をキャッチできたと思ってとるときは、一瞬が、何分何時間何ヶ月つくして語るよりも「あ、そうよねー」「イエーイ」感がありますね。その瞬間というのは、とてもうれしい。

 

伊藤 それは現像したときじゃなくて、撮ったときに感じる?

 

齋藤 はい、だいたいわかります。

 

伊藤 それは「モノと目が合う」みたいな感じなのかな…。

 

齋藤 目が合う、というとモノを人間になぞらえているようでしっくりこないです。なんだろう…それぞれのモノが持っている固有の…内包している固有のリズムがあって、それはぼくと異なるリズムであって…。

 

伊藤 縄文時代の人は、モノをたたいて音がするのは、たたくことでそのモノの本質(=リズム?)が出てくるからだと考えていたそうです。縄文式土器も、楽器として使われていたものがあったようです。

 

齋藤 (机の上にあったリンゴを叩いて、それから食べてみる)

 

伊藤 りんご食べるときの音がきらいな人って結構いますよね。

 

齋藤 (会場に向かって)きらいな人いますか?(しーん)いないよ(笑)

 

伊藤 (笑)食べるときの音、齋藤さんはどんなふうに感じているのかな。

 

齋藤 「コンコンッ」かな。感覚的には、四角い感じの感触の音。「カプシッ」かな。歯にひびきが伝わる。

 

伊藤 音って振動(=触覚)と区別がつかないですね。花火のような大きい音は振動として感じますか?

 

齋藤 感じますね。光を目で見たのに遅れて感じます。

 

伊藤 結局、音って自分の体(=鼓膜)がふるえたのを感じてるわけですしね。

 

齋藤 全身が鼓膜?

 

伊藤 そうだと思います。むかしフランスの王様が、乞食に「裸で寒くないのか?」と聞いたら「私は全身が顔なので寒くないです」と答えたのを思い出しました。

 

頭突きのコミュニケーション

伊藤 話をもどすと、「まなざしの声」は、だから、たしかに「キャッチ」ですね。撮ったものの固有のリズムをキャッチする。被写体が人間の場合はどうですか?

 

齋藤 あまり違わないです。ことばで分かりあうということを、ぼくはどこかであきらめているので…。

 

伊藤 スポーツはしますか?言葉以外で分かりあう方法になりそうですが。

 

齋藤 部活は陸上をやっていました。うーん、でもコレだ!という思いはなかったです。スポーツじゃないけど、障害者プロレス「ドッグレッグス」は「コレだ!」感ありましたね。いまも続いています。来年1月10日に興行があります。

 

伊藤 必殺技はなんですか?

 

齋藤 ないです。ドッグレッグスがいいなと思うのは、1対1になれるからなんです。あと、相手の障害に合わせて、ぼくも縛りをつける。つまり自分の身体を変化させてたたかうということが、めっぽう楽しい。胸から下が動かない相手のばあい、手足を縛ります。

 

伊藤 それはリアルに紐で縛るの?

 

齋藤 はい。頭突き合戦です。

 

img883.jpg

 

伊藤 すごく面白いですね。相手の体の条件に合わせることがコミュニケーションになるというのは。

 

齋藤 合わせるというか、自分をなくしたい、変化させたいという気持ちの方が強いですね。難しい…。

 

伊藤 自分を変化、変身させて、相手の体になってみると、その体だからこそ見えるもの、感じられること、考えることをダイレクトに理解できそうです。でも私にはそんな柔軟性はたぶんないなあ…

 

齋藤 伊藤さんは言葉がある人だから、必要なさそう。

 

伊藤 最初に齋藤さんが言っていた「体で考える」ということとつながっている気がします。そういう意味では、私はかなり言葉にたよっちゃっていますね。

 

言葉のいずる場所

伊藤 今日は筆談(言葉)でのコミュニケーションで大丈夫でしたか?頭の中で、手話→日本語に翻訳して話してくれていたのですか?

 

齋藤 ぼくの母国語は日本語です。手話は高校からで…第二言語です。日本語で、思考の原石みたいなものを作って、手話で考えて大きく削って、また日本語に…という流れかな。

 

伊藤 「手話で大きく削る」というのは、輪郭をはっきりさせるということ?

 

齋藤 はい。原石から大きく削る過程に、「手話」と「写真」があります。さいきんは写真が言葉を削りだしてくれる。

 

伊藤 齋藤さんにとって写真は非言語のコミュニケーションだと思っていたので、意外な感じがします。

 

齋藤 言葉があらわれてくる…。ピカピカな言葉が。それが楽しい。

 

伊藤 さっきの「まなざしの声」という言葉も写真を通してあらわれてきた言葉?

 

齋藤 そうです。

 

伊藤 言葉ってどこから出てくるんでしょうね…。私は、自分の中からというより、相手(モノ、人)と自分のあいだにわいてくるような感じがします。

 

齋藤 ぼくは…うーん…言葉は「たましいの中にもうすでにあるもの」としています。知識や言葉の数の問題にとらわれていたときは、何も書けなかったのですが、一度こう考えを定めて、言葉を書いてみるとスーっと出るようになりました。

 

伊藤 そのあたりはだいぶ感覚が違いますね。私は実は声にだして人前でしゃべるのが苦手なので…。人を前にして、言葉がその人と自分の間にわいてくるのは楽しいけど、それは同時に自分が暴走するような感じでもあります。声を使うと、アワアワします。手話でもアワアワしますか?

 

齋藤 いつもアワアワです。というよりもどの言葉もしっくりこないで、写真が声になってほしいという願いもあります。

 

伊藤 しっくり来ないのは同じですね。自分と言葉がズレるので、このズレは何だろう?って思って理解するために次の言葉を出してみる感じです。写真はちょっと違う??

 

齋藤 その気持ちはいっしょです。写真が次の写真を呼ぶ感じが。

 

伊藤 なるほど…。最初のスライドショーのときにお話した、残像=声が重なって「しみる」という話に帰ってきた感じですね。

 

客席からの質問コーナー

Q1 補聴器をしていたときとやめてからでは、変わったことはありますか?

 

齋藤 聞こえ方は人それぞれですが、ぼくの聞こえ方というのは、ノイズがひどかった、今思えば。

 

img891.jpg

 

齋藤 こんなふうにノイズといっしょにききたい声が混じって入ってきます。がんばってその声をさぐりに行きます。さぐりにいくと、なんとなくあることはわかるけど、本当にそうか確信がもてない。「おはよう」ですらこんなだから、音声で話すことは苦痛でしたね。補聴器がなければ、筆談やスマホや手話で話せるけど、補聴器をつけていると、中途半端に聞こえているから「書いて」と言いにくかった。でも今は、わからないからお願いと言えるようになった。全然違いましたね。

 

伊藤 学校の授業は何で受けていたんですか?

 

齋藤 補聴器をつけて、みんなにうもれながら受けていました。全然わからなかったので、教科書をずーっと読んでました。

 

伊藤 高校もですか?

 

齋藤 高校はろう学校に入って、手話で授業を受けていました。まあまあわかりました。

 

伊藤 ろう学校、手話OKだったんですね。一般には、口の動きを読む訓練を重視する流れが強かったと言われていますが。

 

齋藤 ぼくの学校のばあい、公にはOKではなかったかもしれないけども、授業では先生によってやり方はまちまちでした。手話分からない先生もいたし。

 

Q2 私は、聞こえる、聞こえない、両方知っているのですが、聴覚障害を受け入れるきっかけはありましたか?

 

齋藤 聴覚障害という言葉は、今も「?」です。「見る人」と言葉を変えたらしっくり入ってきました。ろう学校に入ってからですね。

 

伊藤 ろう学校に入る前は、まわりに聞こえない人はあまりいなかった?

 

齋藤 聞こえない友人はいたけれど、考えが聴者寄り、「聞こえてあたりまえ」という感じでした。ぼくもそうでないといけないと思っていたのですが、この考えから離れたとき、楽になりました。

 

Q3 手話をモチーフにした作品を作っているのですが、手話の会話を思い出すときは、動き、言葉、どちらで思い出しますか?

 

齋藤 ぼくは動きですね。その人の表情、そのときの空間もまじっています。内容だけ覚えていることの方が少ないです。

 

伊藤 手話って表情や口の形も大切な要素なんですよね。

 

齋藤 はい。

 

伊藤 おなじ「知っている」という手話でも、「そんなのとっくに知ってるよ!」なのか、「知ってる、その話もっと聞きたい」なのか、「知っているふり」なのか、ニュアンスの違いで表情や口の形がちがってくるんですよね。

 

齋藤 (3種類の「知っている」の実演)(会場笑)

 

伊藤 (笑)そろそろ時間になったようです。なごりおしいですが、このあたりで終わりにしたいと思います。斎藤さん、楽しかったです。どうもありがとうございました。

 

齋藤 伊藤さん、見てくださったお客さま、ありがとうございました。

 

(筆談のやりとりをもとに構成、一部改変)