オフプロムナード(1)空気より酸素
*オフプロムナードは、伊藤が2019年6月まで担当していた日経新聞プロムナードコーナーの私的な続きです(日経新聞とは無関係)。プロムナードの毎週の連載のリズムを失うのが惜しくて、ボストン滞在中は可能なかぎり続けてみたいと思います。写真はMITのヨットハーバー(パビリオン)。
先週、全MIT関係者のメールボックスに一通の「手紙」が届いた。送り主は現学長のラファエル・リーフ。手紙は「移民とは酸素のようなもの」と題されている。全文はこちらでも読むことができる。
米中関係の悪化を背景に、中国系の学生や教員が政府関係機関とのやりとりで不当に取り調べを受けたり、差別的な扱いを受けたりしている。MITはこれまで、アメリカそのものと同様、ひとつの磁石として世界中の才能をひきつけ、そのことによって繁栄してきた。外からやってくる者を排除することは、非MIT的かつ非アメリカ的なふるまいであり、それは結果として自身の首を絞めることになるだろう。手紙はそう力強く語っていた。
そしてこう締めくくられる。「私たちのような国では、移民は酸素のようなものです。新鮮な酸素の波がやってくるたびに、体全体がまた活性化するのです。ひとつの社会として、移民に機会を与えれば、私たちはお返しに共通の未来に向かって進むのに不可欠な燃料を得るのです。私はこの知恵がいつでもMITの生命と働きを導いてくれると信じています。そして私たちの国を導き続けるものでもあって欲しいと思っています。」
もちろんこれは、理想を高らかに謳う勇敢さにおいてこそ評価されるべき文章だろう。現実には、MITは必ずしもすべての他者に友好的な場所ではない。MITは巨大な軍事研究施設でもあるからだ。年間の研究予算の17%、金額にして130億円以上の資金が、国防費に由来している。
そのことを差し引いてもなるほどと思ったのは、コミュニティをひとつの生命と捉える視点である。生命が外界とやりとりすることで自らを維持するのと同じように、コミュニティもまた、外からやってくる者や世界に出て行く者によって活力を得る。移民ではないが、私もまたMITにとっての酸素なのだと考えることは嬉しい。そしてそれはMITのメンバーと接するときに感じることでもある。私は学ぶつもりMITに来たが、私の話に耳を傾ける彼らの熱心さに驚くことも多い。他者である私から、多くのことを吸収しようとしているのだ。
日本社会は「空気」を重んじ、「場」の力が強いと言われる。アメリカに来て感じるのは、この空気や場が人と人のあいだにないことだ。その代わり、人そのものが酸素であり磁場になる。空気は放っておけば淀む。淀むとは、先回りや忖度の自家中毒で、本質的な問題が見えなくなることだ。何もいますぐ移民を受け入れるべきだとは思わない。ひとまず移民を「よりよい生活を求める切実さ」と言い換えてみたらどうだろう。この率直でポジティブな力を吸い込むやり方こそ、いま私たちが忘れてしまっているもののように思う。(2019.7.4)