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なぞって読む物体(村上)

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伊藤研M1の村上さんによる展覧会レビュー第2弾。大阪の国立国際美術館 ヴォルフガング・ティルマンス「Your Body is Yours」展について書いてくれました。ティルマンスの作品についてよく言われる触覚性。そのニュアンスを「生理」ではなくむしろ「読むこと」や「政治」に結びつけて論じています。


なぞって読む物体

村上由鶴(むらかみゆづ)

 

物体としての写真

 

ドイツ出身の写真家、ヴォルフガング・ティルマンスの大規模な個展は、日本では2004年以来11年ぶりの開催となった。ティルマンスの被写体は多岐にわたり、同じ人物の写真とは思えないほど、扱うテーマもさまざまである。わたしたちは彼の写真を前にしていつも戸惑い、それを隠すかのように言葉を尽くしてきた。そして、彼の作品のまわりにはいつも議論がうまれ、その議論が写真家として現代美術の最前線を行く彼の追い風となってきた。

 読み方を確定させず、既存の枠組みをぐらつかせる確信犯的な態度には、ときにいらだちさえも覚えるが、彼に導かれる自分の身体を感じることが、彼を楽しむ方法なのかもしれない。

 

 抽象写真のシリーズ《Freischwimmer》や《Silver》は、ティルマンスの代表作だが、そもそも写真であるかも疑問に思えるような作品である。この作品は、カメラを使わず光や感光乳剤などによって、印画紙に直接化学反応を起こし、制御不能な色やかたち、線と戯れる遊びの痕跡を出現させる。そして、その遊びの痕跡を残した場を、触れられる物体として存在させたのが、これらのシリーズである。近作《lighter》では、感光し、色鮮やかに光を反射する印画紙を折り曲げ、立体のままガラスケースに収めた。その様子はその写真が物体であり、触れられるものであるということが強調されているようである。

 

 写真術は、発明以来、愛する人の肖像や、思い出の風景を写し取り、触れられる物体として所有したいという欲求に答える形で発展してきた。彼は、そうした写真の本来の目的をまったく逸脱しているかのようにも思える。しかし、抽象写真のシリーズは、遊びの痕跡を物体として手に入れるという点では、彼の作品のなかでも写真的な写真と言えるかもしれない。

 

 

物語に触る

 

 ティルマンスの作品は、写真集《Neue Welt》のような最近の作品に近づくほど、一枚の写真のなかに意識の焦点を合わることが困難になってきている。つまり、彼の写真は抽象写真化してきていて、イメージよりも物体としての存在感を強めているのである。

 物体として存在する写真的な写真は、わたしたちの先祖が、夜空の星の連なりに動物の姿形を見たように、想像力を掻き立てる。実際に今展でも星空の写真はたびたび登場して、抽象的なものに具体的なかたちを見出す原初の記憶を体内から呼び起こす。ティルマンスの写真のミステリアスな魅力は、彼の独特な展覧会のかたちになると、より一層強くなり、わたしたちはその魅力にとわれ、いつの間にか、写真と写真のあいだに物語を作る。

 

一般に、写真の展覧会では、額縁に入れられた同じサイズの写真が顔の高さに合わせて整然と並ぶ。写真(機)が被写体を客観的に平等に写しとると信じられているように、写真は、一枚一枚を客観的に平等に見ることができるように展示される。

 しかし、彼は展示室の壁面に、異なるテーマの写真を大小さまざまなサイズにして、いたるところへ配置し、大きなひとつのスクリーンを作る。膝くらいの低い位置から、首を後ろに傾けなければ見えないような高いところまで使い、駅で見る広告のような大きな写真の隣に、絵葉書ほどの小さな写真を並べたりもする。彼は、世界を客観的に平等に見たりはしない。わたしたちが、好きな食べ物を多めによそったり、特別な人を思ったりするのと同じように、あくまでも彼自身にとって大切なメッセージを伝えるときには、その大切さを際立たせる。

 1枚のスクリーンのなかに組み込まれたそれぞれの写真と、そのサイズや位置が視線を誘導し、鑑賞者は、自然に写真を“見る”観客から、スクリーンを“読む”能動的な主体になる。能動的な主体とは、「からだをもつわたし」であり、「わたしのからだ」であって、つまり彼の言うところの「Yours」である。

 

 例えば服を買うとき、わたしたちはその素材に触れ、手や指をすべらせて、物体の表面をなぞることで、その感覚を知る。ちくちくしているニット、とか、ぱりっとしているシャツだとか、触覚によって好きになれる物体かどうかを確かめる。

 ティルマンスは、なにが写っているか、わかるかわからないかのぎりぎりのところまで被写体をクローズアップした写真も数多く撮影している。ティルマンスは触れるように被写体に近づき、一枚一枚の写真の前でただ見ることしかできないわたしたちに、その物体に直に触れる感覚を思い出させる。

 ティルマンスは、独特の触感のある写真によって触覚を誘い、展示方法によってその手をなぞらせて、彼のストーリーを読ませるのである。ティルマンスの作品は、ただ見るのではなく、ただ触れるのでもなく、なぞって読む写真である。

 

守るべき身体

 

 今展のために来日したティルマンスは大阪での若者(SEALDs)のデモの様子を撮影した。被写体となった若者たちは、自分が自分であって、意思や身体が誰にも支配されない世の中のために戦う。ティルマンス自身もこれまで、彼らと同じように《Soldiers》や《BURG》で個人が他者や病気に侵略されることに抵抗してきた。今展のタイトル「Your body is Yours」は、彼の大切にしてきたメッセージが、いま、この場所においても生きていることを示す。彼の歴史を読むための手引きであり、また、自己を守るために戦うひとへのエールでもある。

 

 なにかを触るというときには、触るものと、触られるものがなくてはいけない。ティルマンスはその関係が曖昧になり、他者のなかに別の個人が回収されてしまうことを拒む。

 彼は、写真が、イメージである以前に物体であること、そしてそれに触れることができるわたしたちの身体そのものを意識させ、その身体を守るべく、静かに抵抗するのである。

 

 ひとつの視点や文脈から読まれることを避けるために、複数の主題を用意し、さまざまに表現を泳がせてきたティルマンスは、予想を越えるところまで泳いでいって、彼の身体が自由であることを証明する。きっと、わたしたちはこれからも彼を追わずにはいられないのだろう。